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  2. 150. コミュニティの架橋

🎙Ossan.fm🎧

150回目となる今回は2年前に公開した「部屋とパソコン通信と私」のnagayama昔話 part2です。オープニングでchris4403がエミネムが主演した映画「8 Mile」の話をしていますが、2年前のvol.50でもエミネムの話をしていました。狙っているようですが、偶然です。

  • オープニングトーク
  • 皮膚科でエミネムになった話
  • nagayama昔話 part1 のおさらい
  • nagayama昔話 part2

今回の内容は、2021/8/16の夜に生配信を行ったものを編集したものです。 番組への📮おたより、お待ちしております! 番組特製ステッカーご希望の方は送付先などご記入ください。

関連リンク

次回は、8 月 27 日(金)公開予定です。

番組への感想や質問などは📮こちらから(Google Formが開きます)。どんなことでもお気軽にメッセージください!
00:00
スピーカー 1
こんにちは長山です
スピーカー 2
こんにちはクリスです
おっさんFMは毎週金曜日クリスと長山が気になった出来事やおすすめしたい本や映画をゆるゆるとお届けするポッドキャストです
今週もよろしくお願いします
スピーカー 1
よろしくお願いします
スピーカー 2
ついに150回
スピーカー 1
150回きました
スピーカー 2
きましたね
すごいね
3年弱ですかね期間にしてね
いや、150回も続くとは思ってなかったですね
スピーカー 1
ねえ本当ねー ねそのあれですよね youtube の方も途中から上げ始めたけど動画一覧見ると結構数上がってて
スピーカー 2
びっくりしますよね 確かに確かに結構上がってますよね
いやそれがあれなんですよねが今さ最近ねあの 私の実家の母が
母から電話がかかって、鹿児島の母ちゃんからですよ。電話でしゃべってたら、
「最近ね、あんたのやってるおっさんFMを聴いてるのよ」って言うんですよ。
「聴くなよ」って思うんですけど。「あっ、そうなの?」って。
最近はだから、今までツイッターなのかな、最新回しか聴く方法がわかんなかったんだけど、
ポッドキャストってその昔の回も聞けるっていうことがわかったらしくて
結構最初の方から聞いてるって言うんですよ
今3回目まで来たよみたいな
毎回毎回3回目が放送できましたとかそういうこと言ってるよねとかって
スピーカー 1
言ってましたね
スピーカー 2
言ってましたよね
そうなんでありがたいなと思いながら
うちの母ちゃんはねその
自分だけじゃなくて自分の友達にねその
おすすめするんですよね僕のブログとか
あの多分おっさんFMも多分言ってると思いますよ
スピーカー 1
ああうちの子ちょっとラジオみたいなのやってるから
スピーカー 2
やってるからちょっとうちの息子がやってるのこれ
あのまたどっかで聞いてみたいなことを言ってると思うんですよね
スピーカー 1
本当恐ろしい話ですよね
スピーカー 2
ありがたい話ですけどでもその母ちゃんが言うには
うんあの最初の頃聞いてるけど
あのあんた最近ちょっとしゃべりすぎじゃないねって
長山さんの話を撮ってるんじゃないかみたいな
スピーカー 1
その
ことをねちょっと前に出過ぎじゃないかと
スピーカー 2
そうそうそうそうそう
言われまして
いやいや大丈夫ですよお母さん
今日も多分今日も聞いてると思いますけどねそのリアルタイムじゃなくてねはい
聞いてると思いますけど
はい
スピーカー 1
いやねそんなことがあった中ね150回も続いて
楽しげでラストになってます
スピーカー 2
で今日はあの長山さんのねなんて言うんだけど50回100回と
その節目節目の回でちょっとロングバージョンじゃないですけど
スピーカー 1
ちょっといつもの収録内容とまぁちょっとねなんていうかとその50回ごとにこう昔話をしていいっていう
許しが出るみたいな設定なんですよね おじさんはすぐ昔話とかし出す
03:03
スピーカー 1
武勇伝とか語り出すみたいなのがあるからあんまりこうそういうの喋らないようにしてるんですけども
スピーカー 2
50回に1回ぐらいはいいんじゃないかみたいな
今日は50回目が長山さんのお話だったんです
100回目が私の話で長山さんの50回目の話の続きを今日はやるということなんですけども
その前に最近ちょっと僕が
にあった出来事をちょっと枕的にちょっと話したいんですけど
いや別に大した話じゃないですよ本当しょうもない話なんですけど
永山さんのエイトマイルって見たことあります?
スピーカー 1
あのエミネムのエミネムのやつ
スピーカー 2
あのラッパーのエミネムのなり上がってくそうそうそうだからもう20年ぐらい前
その前でしたっけ結構前の映画なんですよあれ
で見たことない方がいるかもしれます言えないから軽く
あらすじというか概要を話すと、まあその要は今ほどね、今ってもうそのラップやる人っていろんな人やってるから、
あんまりそのラップイコール黒人っていう感じでもそこまでじゃないと思うんですけど、
その20年ぐらい前のエミネムが出た8マイルの時代設定はもっと前なんで、
もうラップイコールブラックの文化である、みたいな黒人の文化であるっていう中で、
白人のエミネムがフリースタイルバトルみたいな
フリースタイルラップバトル
そのトラックの音楽に合わせて決められた秒数の中でラップをかまして相手のことをディスって
観客の盛り上がりで勝敗を決めるみたいな
日本でも今盛り上がってますけど
そのフリースタイルラップバトルの世界で最初全然勝てないんですよね
身内でやってる時はすごいラップが上手いんだけど
その観客ほとんど黒人っていう舞台に立つと
スピーカー 1
アウェイになるとね
スピーカー 2
アウェイになるともう全然喋れないみたいな
で逃げ出しちゃうみたいな感じだったのが
自分の生活があまりにも酷すぎて
ねがやまさん覚えてます?どの日
スピーカー 1
まあその別に白人だからといってリッチなわけじゃなくて
全然そのエミネムの生活も悲惨なんですよね
そうそうそうそう
スピーカー 2
だから自分の母ちゃんが自分の先輩と付き合ってるみたいな
その設定だけでだいぶひどいなと思うんですけど、そういう生活から抜け出したいから自分もラップで成功するんだって言って、最後、今まで逃げてた舞台でぶちかましてかっこよく終わるんですよ。
その舞台も一日がかっこよくて、エミネームが相手のこと強烈にディスって言って、ディスるだけじゃなくてパフォーマンスも大事なんで、
結構そのなんだろうなこうズボンをぺろってお尻を出してなんかこう相手のことをこうなんか
挑発するみたいなことをやるじゃないですか
でもそれ見てめっちゃかっこいいなぁと思って
めっちゃかっこいいなって思うとしてもないんですけど僕も読んでる
スピーカー 1
今の話今はかっこいいなと
スピーカー 2
今の改めて見て今見てもかっこいいなと思ったんですよそのいいなぁと思ってたんですよね
06:05
スピーカー 2
っていうことが最近ありまして でまぁそれを置いておきましてでその翌翌日ぐらいかなちょっとこの長いその
リモートワーク期間で長いことを椅子に座りすぎて ちょっとあの皮膚に肌荒れができちゃったんですよ
お尻のお尻の肌荒れがで皮膚科に行ったんですよね
先生にそのお尻が荒れてみたいなことを言って先生がちょっとお尻見してくださいって言ったんですけど
その時のズボンの下ろし方が完全にエミネムだったんですよね
先生にズボン下ろして見せる時っていろんな下ろし方あると思うんですよ
両手で下ろすとかパンツの膝ぐらいまで下ろすとかあると思うんですけど
僕の下ろし方今思うと完全にエミネムの多分形だと思うんですよね
スピーカー 1
相当先生ちょっとなんか 徴伐されてる感じ
スピーカー 2
徴伐されてる感じだったんじゃないかなと思ったんですけど
自分でも自分でお尻を出しながら
これ今完全に俺エミネムだなって思ったんですけど
今更途中で訂正することもできず
先生すいませんって心なで思いながら
出してもらったみたいな薬をねっていう話
スピーカー 1
ラップしなかったですか?
スピーカー 2
ラップはしなかったですね
そのまま先生はデスリ始めてもよかったですけど
症状をねラップに乗せて言ってもよかったんですけど
いやなかなかそんなことがあって
っていう話です
150回目にする話じゃないですねこれね
ごめんなさい
スピーカー 1
いやいいんじゃないですかね
スピーカー 2
いや最近そんなことがあったなあという
近況報告でございました
はい
さあというところで私の近況はこのぐらいにして
今日は永山さんの話をちょっと寝ると聞きたいなと思って
ちなみに前回はどこまででしたっけ
スピーカー 1
前回はその僕がインターネットに出会った時
引きこもってたんだけどインターネットで出会って
東京に行ってアダルトコンテンツ作ってる会社に就職しようと思ったら
僕がティーチングアシスタントしてた先生が
そこにそのそこに行っちゃあかんって言われて
それででも明日食ってきてお金がないんだって話をして
話をしてじゃあ家で働けみたいなそういう感じで終わって
職にありつけた長山青年みたいな感じでしたね
スピーカー 2
それが多分ね1999年とか2000年とか
ちょっとエミネームの頃ですよ
エイトマイルの話ですね
スピーカー 1
の話だ
ちょっとね結構記憶がさすがにもうね結構曖昧でいろいろ
いろいろな当時の記録とかもなかなか引っ張り出すのが困難なので
どんぴしゃな年度がわかんないんですけど
09:02
スピーカー 2
まあまあその辺は保管して雰囲気に聞いてもらえば
スピーカー 1
その辺でそのウェブの制作会社みたいな形、会社でもないのか最初は
本当にワンルームマンションに、なみきさんっていうんですけどなみきさんの住んでる家に行って
で机だけ机とコンピューター用意してもらったんでそこに座って
ずっとデザインとHTMLのコード書くみたいな
仕事をし始めたんですよそこで
なるほどうん
でまぁ当時はだから当時はねまだあれですね
あのADSLとかもギリギリこのタイミングがないかな
うーんうん
なんでダイヤルアップか
スピーカー 2
ダイヤルアップね
スピーカー 1
ダイヤルアップとテレ放題
スピーカー 2
テレ放題
スピーカー 1
はいはいはいはいっていう感じだったんで
基本的にはもうローカルでずっと作業して
できましたってなって送る時に
Pがあって繋いで
例えばFTPでアップロードする
ホームページを公開する作業をしたりとか
の品物をメールで送るとか
そういう感じが始まったんだけど
さすがに仕事だからって言って専用線を引いてみたいな
ちょうどそのぐらいの感じ
そのISDNの専用線だった
スピーカー 2
インターネットに常時接続が
ぼちぼち始まり出したあたりってことですか
スピーカー 1
まあまあお金出したら常時接続できる
Cっていう感じだったその後に
その
Yahoo BBが駅前とかでモデルも組まってたみたいな話を
聞いたことある人もいるかもしれないですけども
ADSLっていう回線の方式で
常時接続がかなり広まっていくっていう流れになっていく
時代ですね
そうだった今話しながら思い出したわ
スピーカー 2
そうか1999年
スピーカー 1
一応ランというかね
その2つのコンピューターは繋がれてるんで
データのやり取りはその中でできるようにしたりとか
そういう工夫はしてたんですけども
そういう感じで今ほどバリバリインターネットに
自由に繋げるというよりは
電話台がかかるっていう世界観だったんですよね当時ね
うんうんうん
でそういう時代だったんで
前は画像の格好とか処理ができて
でホームページ作れますみたいな感じである程度のアウトプットができればもう仕事があったみたいな
そういう感じだったんですよ
でなみきつさんも美大出身で結構周りでその少しずつその
周りの人たちがこうウェブできるらしいねみたいな感じで仕事を投げ投げてきて
12:02
スピーカー 1
うんでそれで割とこうどんどんどん仕事が来るようになってきてって感じで
割とこのウェブの業界がだんだんお金になっていくみたいな、そういう黎明期だったんですよね。
スピーカー 2
なるほどね、そういう時代か。
スピーカー 1
そんな感じの時代。
それで何かまあ、何作ってたんだろうな。
もう覚えてるのは、しばらく仕事を知り合いずつもらってたんですけども、
ある日大手の広告代理店さんの子会社さんから急に連絡が来て
スピーカー 2
ほうほうほう
スピーカー 1
うんでちょっとあのウェブできる人探してるんだって話になって
でまぁでありますよっていう話になって
それで結構大手の携帯キャリアのサイト作るとか
うーん
結構その割とナショクラっていうんですかね
ナショナルクライアントよくCMとかでも見るような
そういうメーカーの携帯とか携帯だったな携帯のサイトチュック作ってたけど
そういうのを作り始めるようになったんですよね
でそれは有名な会社の仕事だって言って喜んでやってるんだけど
やっぱりさすがに大手広告大店D2の仕事だったんですけど
スピーカー 2
D2D2ねはいはいはいはい
スピーカー 1
D2の小会社D2の100%小会社の制作会社みたいなのがあるんですよ
D2は営業というか枠を持って
枠というか名家さんと繋がってて
こういうことしましょうああいうことしましょうみたいな話をするのが本体で
実際にそれを形にしていくっていうところは
外に出したりとか100%小会社のところに出したりとかするんですよね
でその中でも作れるものはいいんだけど
ウェブは当時新しかったんで中にその人材がまだ育ってないぞって形だったのかな
なのでちょっと探してるっていうので外に出てきたという感じだったんですね
ただやっぱり仕事のやり方は大手広告大利点って感じだったんで
結構普通に金曜日の夜に月曜日までにラフを全部用意してくださいとか
スピーカー 2
営業日的には実質ゼロなんだけどっていうやつね
はいはいはい
そうとか今素材渡したら今日中に行けますかねみたいな話とか
スピーカー 1
そういう仕事プリっていうのが結構あって
仕事自体は大変でしたその時は
環境もねまあなめきさん家のワンルームのマンションに行ってって感じで
で少しお手伝いのアルバイトの子とかも来てたんだけど
みんなタバコ吸うからもうなんかワンラウンドすげえちっちゃいとこに
4人ぐらいすしすめで人がいてみんなタバコ吸っててもうなんか
スピーカー 2
そんなところでタバコ吸ってパソコン使ってたら
15:00
スピーカー 2
パソコンも交渉しないですか?
もう黙々な感じじゃないですか
そうなんだ
まあでもなんかそのその時代のパソコン
インターネット黎明期のなんかそういうなんか
ベンチャーの職場とか写真を何とか見るとそんな感じのとこばかですよね
なんか狭いところでみたいな
スピーカー 1
「広告業界ってこういう風に仕事すんだ」と思って
スピーカー 2
へぇ~
スピーカー 1
で、本当に夜深夜とかに栄養ドリンクとか持ってね
その帰り手の人が来てるんですよ
「お疲れ様です」みたいな
スピーカー 2
「これ、あの、差し入れです」
スピーカー 1
「これみんなで飲んでください」みたいな
わぁ、なんかテレビみたいだなと思って
(笑)
でも、映像の仕事もあったりとか
あとはパンフレット作るみたいな仕事もあったし
割とあらゆる仕事がその後に
で、そいつ行きと繋がりができてある程度ちゃんとしたものを作って出すと
信頼されるんで、その次みたいな感じでどんどん仕事が来てみたいな
で、ま、こう回るようになったんですよね
それから2000年本当前半みたいなので
スピーカー 2
2000年前半か、多分ね僕だとそのパソコン初めてのパソコンを買ったか買ってないか
なったりですよその頃
SOTECのパソコン買いましたけど
スピーカー 1
ソーテックありましたねソーテックね
スピーカー 2
でもその頃の話ですよね多分ね
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
うんうん
スピーカー 1
あのよく覚えてるのは911ってあったじゃないですか
スピーカー 2
あったあった
スピーカー 1
テロの事件が
スピーカー 2
うんうん
スピーカー 1
であれねなんかね
徹夜して帰ったんすよ
その日にね
駅着いて家に歩いてた時に
急にその当時の同僚から電話かかってきて
スピーカー 2
うん
スピーカー 1
ピッチにphですね
スピーカー 2
わかりますよ
スピーカー 1
ピッチに
なんかまた修正入ったから
昨日徹夜だったらまた戻ってやらなきゃ
だめかなと思って受けたら
アメリカに飛行機が突っ込んで
スピーカー 2
大変だとなってるんだよみたいな感じ
スピーカー 1
今でもよく覚えてますね
ああ
徹夜でちょっと忙碌としている中で
あの映像見てたらなんかちょっと
おかしなテンションになっちゃったんですよね
スピーカー 2
ってのもよく覚えてるな
僕も多分研究室に残ってて大学のそれをその映像なんか事件があったぞっていうのをみんなでその研究室のテレビで見たんですけど
ブランカンですよねそのテレビね ブランカンでした
だから2000年今みたいにその薄型の液晶テレビが普通のテレビにまだなってなかったんじゃないかな
スピーカー 1
なってないなってない
ですよね。なんかそういう、なんかそのブラウンカーの中でその本当に衝撃な映像は、でも解像度もね悪いし。
スピーカー 2
「なんなんだ、なんだこれは」みたいなのを覚えてます。私も覚えてます。その、あの瞬間というか、あの時のことって。
スピーカー 1
それ、そんな時代でしたね。
スピーカー 2
うーん。なるほどね。ちなみにその頃一緒にやられてたのは、その4人とか5人とかっていう感じだったんですか?
18:05
スピーカー 1
そうです。僕で、もう一人、その、なみきさんって僕を誘ってくれた人は、その専門学校の先生もやってたんで、専門学校で結構生きのいい人たちを、こう、アルバイトで連れてくるんですよ。
スピーカー 2
はいはいはい。
スピーカー 1
結局そのまま社員になったって子が、子っていうかもう同い年で、僕と仲良くなった。
スピーカー 2
その頃の方とは今でも繋がりが?
スピーカー 1
最近ちょっと総演ですけども
実はその時に入った男女が結婚しましたね
数年前に数年前に数年前にもうちょっと前か
もうちょっと僕京都来たからだけどな
おーそば結婚みたいなそうそうそうずっといて
まぁ最初は全然そういうあれもなかったんですけども
なんやかんや縁があって最終的に結婚したみたいなもあったんで
人生いろんなことがありますねって話をね
うん
っていうのもあったりとかね
この頃は体力があったから
スピーカー 2
徹夜もできた
スピーカー 1
徹夜もできたし
週末も仕事したし
スピーカー 2
そうですね
スピーカー 1
床で寝て起きて仕事するみたいな
でも平気だったし
椅子もだってなんか別にいい
本当になんか
スピーカー 2
パイプ椅子みたいな
スピーカー 1
パイプ椅子まではいかないけどなに
普通のオフィス 隙にくっついてるよね
椅子みたいなやつとかね
そんな感じでしたもん
スピーカー 2
いやまあ確かにそれ若かったから
まあ周りにそのねいい環境は
なかったかのかわかんないですけど
まあ昔はそうですね
僕もなんか体力があったなっていう感じだもんな
スピーカー 1
今考えてみたら相当劣悪な
労働環境だったなって今日
今日この話すのためにいろいろ当時のことを
思い出したんですけど
相当劣圧くなった環境だったな
スピーカー 2
でもやってることは 自体は楽しかったんでしょ
スピーカー 1
楽しかった
スピーカー 2
だからできたっていうところは きっとあるんでしょうね
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
僕も職場環境というか 働いてた環境が結構厳しいなって思うことでも
スピーカー 1
やってることが楽しいなっていうことは 結構たくさんありますからね
スピーカー 2
そういうことは割と後から笑い飛ばせるというか
大変だったねって言いますけどね
スピーカー 1
当時はその会社自体は割とビジュアルを作ってそれをウェブサイトにして
商品の魅力を伝えるみたいなそういう感じを主体にしていたんですけども
あのフラッシュってあったじゃないですかあった
元々はマクロメディアマクロメディアフラッシュマクロメディアっていう今もないのかな
マクロメディアっていう会社が作っていたフラッシュっていうのがあって
まあ後にアドベに買収されて今はもう抹殺されてしまったプラットフォームなんですけども
21:03
スピーカー 1
まあ気軽に動くアニメーションを作ったりとか
インタラクティブなコンテンツが作れるっていうので
そっちでさらにビジュアルにもちろん動いたらよりインパクトもあるかなっていうので
そっちの需要がどんどんどんどん大きくなっていって
で、Flashを始めるんですね、僕が
スピーカー 2
当時で言うと、今ほどHTMLの表現力なかったから
Flashを使ったサイトっていうと、すごいかっこいいし、なんかオシャレみたいな
スピーカー 1
当時ね
スピーカー 2
当時はすごかったですよね
スピーカー 1
HTMLはJavaScriptってみんな普通に使うじゃないですか今
むしろなかったら大変だみたいな感じですけども
当時はセキュリティの理由でオフりましょうみたいなのが普通だったみたいな
そうだったわ
JavaScriptをオンにしてるとブラウザークラッシュするぞとか
いたずらされてしまうからオフにしましょうとかがあったんで
JavaScriptがろくに使えないっていう感じだったんですよね
スピーカー 2
会社の設定でね
スピーカー 1
せいぜいマウスのカーソルを載せて色が変わりますみたいなのをJavaScriptで作るとか
はいはいはいはい
根幹の表現をJavaScriptに頼るっていうのはなかなかこう勇気がいるというか
やっぱりなかなかクライアントに大きな言い方が出ないっていうケースだったんですけども
Flashはまったく別なプラグインで完全に閉じてたので
そちらと表現ができるっていうのもあったんで
それでこうFlashの前世紀にこうだんだん上っていく感じが
業界的にもあったんですね
でまぁFlashも映像を使えるようになったり
いろんなものが使えるようになったりっていうので
いろんなところでプロモーションとかでも
重宝されてたし
結構なんていうのかな
普通に業務のプログラムというわけじゃないけど
普通にこう予約フォームとかそういうのも
普通のブラウザーについてないようなコントローラーとかが作れるから
選択肢みたいなちょっと複雑な選択肢とかも作れるから
そういうのもフラッシュでやりたいみたいなとこもあって
フラッシュが結構ちょこちょこ出てきたっていうので
っていうのとあとは
もう片方でやっぱりウェブがどんどん複雑化していって
今まではビジュアルで見せたのがやっぱりユーザーさんから
投稿してほしいとかコメントをもらいたいとか
アンケートを取りたいとか問い合わせをもらいたいとか予約したいとか
プレゼントを応募するのにメールアドレスを収集したりとか
そういうインタラクティブとかいうかユーザーさんから
情報を投稿してもらうみたいなそういう流れもできてきたりとかして
結構そこでプログラムを書くことが増えてきたんですよね
なので表側だとフラッシュのアクションスクリプトって言われる
言語をJavaScriptにちょっと似てるような言語をやったりとか
あとは当時はCGI、PARLでCGIを書くみたいな感じで
24:02
スピーカー 1
メールを受信するとか、アンケート取るとか
予約をするとか、そういう風なプログラムを書くみたいなこともし始めてたんですよ
結構その中でPARLを書いてる時間が長くなってきたんですけども
PARLって結構なんていうんですかね
100人いたら100人100通り書き方があるみたいなそういう言語なので
書いてると非常にこういう書き方でいいのかなみたいな
不安になることが多かったんですよ自分のやり方が正しいのだろうかと
なるほどなるほどなんかめっちゃ省略していて
こうねそれこそつぶやきプロセスチングみたいにめちゃめちゃ
省略記法を使いまくって
書くこともできればもちろんなんかまあちょっとクラスみたいなのもあったりとかするするので
まあちょっとこうオーディエクト思考的な書き方でもできなくはないみたいな感じだったりして
スピーカー 2
どういう風なすればより良いものが作れるのかなっていうのが点で分かんなくなっちゃったんですよね
スピーカー 1
それでいろいろ本読んだりとかししゃべったら
当時宮川さんってリビルドFMの宮川さんが
国旗になった渋谷ピームっていう渋谷パールモンガースっていう
そのパールのコミュニティがあるっていうのを知って
スピーカー 2
それがそれ2003年ぐらい2003年か
スピーカー 1
で実際に僕は僕よりももっと複雑なよ
複雑なプログラムをしている人たちがどういうふうに
あのプログラムを書いているのかというのを知りたかったから
テックトークって言ってまあ今よくあるようなそういった
エンジニアの勉強会みたいな勉強会みたいなのがあるって言うのでそれで行ったんですよ
そしたらねなんかもうすごくそのコミュニティが面白くて
ああその人のコミュニティが人が話めっちゃ面白いなと思って
はいはいはいそのパールっていうのはもちろん
プログラミング言語で面白いなと思ってたけど
そのプログラミング言語でこんなに盛り上がってる人たちが世の中にいんだなと思って
ああ それのそういう衝撃を受けたんですよねそこでね
スピーカー 2
渋谷pm その最初は勉強会だったんですよね そう
スピーカー 1
でどういう雰囲気か最初に全然わからずに行ったんですけども すげー楽しくて
で別に呼ばれてもいないけど懇親会までちゃっかり残って 話ししに行ったりとかして
スピーカー 2
この頃の長山さんはまあ結構僕のイメージだと長山さん結構そのなんだろうな
すごくこう人見知りじゃないというか、結構積極的にこう話しかけていったりとかみたいな
飲み会だったら結構人に話しかけてその場を繋ぐとかやってるイメージですけど
やっぱこの最初も別に行くこと自体にはそんなにこうためらいとかそうなんなかったんですか?
27:01
スピーカー 2
初めての勉強会みたいな初めてのコミュニティみたいな
スピーカー 1
緊張はしてたけどそこまでその
緊張はしましたけどね最初緊張もちろんしましたけどもそこまでなんかこう怖いなぁとかっていうところはなかったかな
話しかけたりとか積極的にしましたね
スピーカー 2
それが偉いですねそのなんか最初に飛び込む勇気じゃないですけどそこができるってすごい強いですね
スピーカー 1
当時僕タバコ吸ってて
ではいはいはい皆さんあまり知らないと思うけど伊藤直弥さんというのがいて
でその人も当時タバコ吸ってたんですよで渋谷PMとかも来ててパールのコミュニティだったんで
で伊藤さんがタバコ吸いに行くわと思った時に僕も知らないとついて言って
でライター持ってんだけどすいません火を貸してくださいって言って
そこから話始めてさっきのトークめちゃめちゃ面白かったりするみたいな
スピーカー 2
なんすかそのテクニック
スピーカー 1
っていう感じでこう
やっぱタバコは割とそういうツールとしては当時
はいはいあの使いやすかったっていうのはありますね
へぇー
スピーカー 2
え、それで永山さん結構その何ですか
その持ってるテクニックのひとつだったんですか
そのライター持ってるけどちょっと火貸してくださいみたいな
スピーカー 1
それは結構使うよく使ってました
スピーカー 2
へぇー
スピーカー 1
前から
スピーカー 2
それがきっかけで話ができると
スピーカー 1
そうそうそう
タバコ場合タバコするとこ行って一人で吸って帰ってくるのだとつまんないんで
火を走る際って言ってっていうのをよくやってましたね
スピーカー 2
それタバコのメリットのひとつですよね
だって確かにいきなりさっきの特横あったです
でもいいかもしんないけどちょっとワンクッション入ることによってこう
スピーカー 1
なんかちょっとねこう一歩なんとなく近くなったような
錯覚を覚える感じはありますよね
スピーカー 2
それが最初だったんですね
よく掴んでましたねこの
スピーカー 1
これは面白い
そんな感じのことをしていて
でまぁ僕その
漢字マン漢字マンって昔よく言われたんですけども
スピーカー 2
長山さんといえばそういう漢字
漢字の長山ってみんな言ってましたよね
スピーカー 1
うん漢字って何かというと
別になんか偉いことも何もなくて
ただ飲み会を仕切るってなきゃなんですけど
スピーカー 2
まあ店決めてお金集めたりとか
スピーカー 1
そうそうそう
で飲み会仕切るのも別に
何だろうな やればできるけど面倒くさいじゃないですか
ねえ 積極的にやりたいもんじゃないなっていう感じだし
スピーカー 2
そうね
スピーカー 1
あとは例えばエンジニアさんとかって集まって
その一人一人はこう意気投合して話すんだけど
そのまま次の店に行こうみたいな雰囲気になかなかならなかったりするんですよね
スピーカー 2
なんかみんな本当は本当はなんか行きたいというか
スピーカー 1
このままなんか喋っている 喋られるんだったらずっと喋っていたいんだけど
けどこの場所はもうクローズ 勉強会の会場は閉めますって話
になった時に割となんかその辺 でお話まだ続けてるんだったら
30:03
スピーカー 1
じゃあなんか別にみんなで飲み に行ったらいいんじゃないのかな
って普通にこう僕としては普通 だったんだけどやっぱりそういう
のを積極的にでかい声出してじゃあ みなさん行きますよみたいなこと
を言う人がやっぱりあまりいなかった のでなんかそれで結構重宝がられて
僕はそのね勉強しに行ってる側だから何かこう技術的とか
何か新しいノウハウとしてみなさんを引き付けるみたいなそういうのはなかったんだけど
漢字は嫌がおうでも顔を覚えるじゃないですか
あの人についてくとかこの人のお金払うとかさ
そもそもこの人なんか見たことあんなみたいになるので
2回目会った時に話しする時に
なんかこないどどうもみたいな感じで向こうからお礼言ってくれたりとかして
そのコミュニティーに非常にスムーズに
馴染むことができて
もちろんすごくもともと全然オープンなマインドのコミュニティだったってのは大前提としてありますけども
自分自身も役割みたいなのもちょっと感じて見つけたので
なんか自分の中でもしっくりがききて
そういう役回りを結構積極的にやるようにしてましたね当時は
スピーカー 2
いや、そう、これ確かに、漢字は面倒くさい。長山さん、いろんな問題が起きた時の対処方法とかも、もうすでに蓄積されてるわけでしょ。
いろんな、例えば、飲み会の席でお茶こぼしましたとか、一人行きませんとか、突発的なことっていろいろと起きるじゃないですか。
これの時はこうすればいいみたいなのを知っていると、多分その心理的な不可どうの差があるんだけど
スピーカー 1
何にもしないで始めて、なんか問題がバンバン起きていくと、もうなんかもうアップアップなっちゃうじゃないですか
スピーカー 2
でもそれが多分みんながちょっと感じしたくないなって思う要因の一つだと思うんですけど
まあ知ってれば別に、それにそのところに順次定やっていくだけみたいな感じだと思うんで
まあそれできたら、確かに長山さんおっしゃるように、その感じの人の顔は覚えるし、なんかすごく得ですよね
スピーカー 1
特なんかうん 覚えてもらえるみたいなってね覚えてもらえるって得でしたねうん
そういうのもあったんでなんかそういうのでまあ渋谷 pm の勉強会はよく行ってた感じですね
ちなみにその飲み会自体は何人ぐらい来るんですかその当時で230人ぐらい結構きますね
あの結構勉強会に来られた方皆さんほとんど行くるみたいな感じでしたね
スピーカー 2
だって2003年ぐらいつったらまだそのネット予約とかそんなないわけでしょ
スピーカー 1
もうそうだから僕がここで行き前で待っててくださいって言って走って行って
今から20人入れるとこ入れるとこないかって聞いて
で決まったらみんな呼びに行ってみたいな
スピーカー 2
いやーこれはめんどくさいですね
33:01
スピーカー 2
今ならいろいろとあるじゃないですか
スラックでとかLINEでここ決まりましたよとか
連絡手段もいろいろ作れるけど
2003年ぐらいだったらさっきピッチみたいな話ありましたけど
スピーカー 1
まだみんな柄系とかなわけですもんね
スピーカー 2
だからその駅前で待っててねみたいな人たちを
連絡を取るのもなんかちょっとめんどくさいし
うん。今やるのと、その当時やってるのと、ちょっと面倒臭さの質が違いますね。
スピーカー 1
確かに、確かに、まあ、面倒臭かったですね。
スピーカー 2
へぇ~、そうか、すごいな。2、30人の感じ。しかも、別に全員知ってるわけじゃないですよね。
スピーカー 1
初めての人ももちろんいます。
スピーカー 2
もちろんいるんですよね。
スピーカー 1
うん。そうそう。
酒癖の悪い人もいるし、色々面白い人がたくさんいた。
スピーカー 2
飲み会の漢字は酒癖の悪い人の対処が結構大変じゃないですか
お金払わないとかさ、酔っぱらってリバースしちゃうとかさ
スピーカー 1
そうそう、そういうのも、そういうのも対処もしましたよ
しましたか
お店の人がぶち切れて、お前が掃除しろって言われて
なんかわかんないけど、知らん人がリバースしたら僕が掃除するってこともありました
スピーカー 2
僕も漢字やったことありますけど、ありましたよ、乗り換えに参加してる人が僕の知らないところで、店の裏手で大事な場所にリバースしてて、後でめっちゃ怒られるみたいな。
そうですよね。そういうのがあるもんな。これはすごいな。でもそんなことにもめげず、永山さんは漢字を毎回やってたんでしょ。
スピーカー 1
僕はヘラヘラ笑いながらそれやってたから。
すごい、偉いな。
そういう高さがやっぱりあったんですよね。
へー
今これ言葉にして並べただけだったらよくやってんなって感じですけど
スピーカー 2
ほんとそうですよね
スピーカー 1
当時の僕見てると本当にヘラヘラしながら多分やっててやってる感じだと思いますよ
スピーカー 2
やがてほら知ってる人だったよね
スピーカー 1
知ってる人だけどみたいな感じでめっちゃ店員キレてますよみたいな
やべえやべえとか言いながら掃除してモップ借りて掃除するみたいな
スピーカー 2
はいはいはいはいなるほどなーすごい
スピーカー 1
たぶんそういう僕のアッケラ感としたキャラクターもたぶん良かったのかもしれないですね
これで深刻になってたらね
スピーカー 2
確かにね
スピーカー 1
ちょっとねやっぱりね
スピーカー 2
この間そのね勉強会の時にこの間の懇親会についてなんですけど
つってね思いっきり始まって説教から始まるとかじゃなかったわけですよね
そうそう
スピーカー 1
そういう感じ
そうだから僕もなんか酔うといろいろひどいけど
他人の酔いには寛容だったわけですよね
スピーカー 2
この頃は永山さん酔っぱらっても、まあほどほどだったんですか?
スピーカー 1
えっとね、ハッテナ入ってからの方が飲酒量上がってるから、
この時はまだそんなに強くもないし、量も飲まれなかったですね。
スピーカー 2
ああ、そうなんだ。
じゃあまあ別にその自分が酔って潰れることもなくてって感じなんですね。
36:00
スピーカー 1
なんか酔って、僕は自分自身、寝まくなっちゃうとかそういうのあったけど、
そういう感じでした。可愛い感じでしたね。
スピーカー 2
面白い。
これが2003年後ですか?
スピーカー 1
2003年から
でこの間のアテナ総立20周年記念イベントっていうので
はいはいはい
そのアテナが東京に来ましたみたいな年表で追ってたのがあったじゃないですか
スピーカー 2
ありましたありました
スピーカー 1
アテナの奇跡みたいな
スピーカー 2
うん
スピーカー 1
であれがなんか2004年にアテナが東京に来て
で僕もなんかそのこの間も話しましたけど
サーバーを本当に物理的に車に乗せて移動させるみたいな
のを実況を見ててわすねえなぁと京都からアテナが東京来るんだっていう
その時は永山さんハテナいなかったんだ僕はだからハテナ社員じゃないです
僕は1ユーザーでハテナアンテナ使ってた
スピーカー 2
その時はそうだったんですねなるほどなるほど
スピーカー 1
ハテナアンテナに僕が読んでるインターネットの全てを登録してたから
ハテナが止まってるとインターネットがなんか読み見れないみたいな感じで
そのぐらいなんかこうハテナのアンテナには
たくさんサイト登録してみんなの日記とかニュースサイトとか
それでそれで経由で読んでたみたいな感じでしたね
テキストサイトとかもそれを経由で読んでた感じ
テキストサイトとか読んでましたね
スピーカー 2
テキストサイトねありましたね
うんいや僕もなんか自分この頃も自分でブログとか書いてましたけど
やっぱテキストサイトのなんか文体真似たりとか
うんうんうんまぁね2003のもっと前ですけど
それこその先行者のなんだっけ
侍魂とかねああいうのありましたし
スピーカー 1
ありましたねテキストサイト テキストサイトという文脈があって
それを果てのアンテナに登録して更新されたら見て
みたいな感じでしたね
で今twitterとかね果てのブックマークとないから
その時に思ったこととかはこう
自分の日記に書くか心に秘めておくみたいな感じしかなかった
スピーカー 2
この頃は永山さん書いてたそのブログとか
スピーカー 1
ブルーとかちょっと書いてました? 書いてる形跡ははい
僕の秘密の日記を読んでみると
CBPMに行ったりとかってのを書いてたりとかしてたし
パールのこととかもちょこちょこ書いてたっぽいですね当時
でも今見るとなんか文体が気持ち悪いなと思って
直視できないなと思いました
スピーカー 2
まあその昔の自分の文体はそうですよね
わかりますよその
スピーカー 1
わかるわ
スピーカー 2
こんなおさん平門の中で僕が大学生の時に映画の感想を書いてた
ああいう感じでしょ?
スピーカー 1
そんな偉そうななんかちょっとなんだこいつみたいな
わかるわかる
で東京来てハテナが
結構だからシビアPMで知り合った直也さんとか
スピーカー 2
あとはゲストにも来てもらったセコンさんとか
スピーカー 1
知り合いがハテナに入ってくれてる
のが増えてきたんですよね
スピーカー 2
この2000、はてなが東京に来てからか
39:00
スピーカー 1
そうそう、ではてなに入ってるわっていうふうに
結構身近というか別にその身近ではないんだけども
知ってる人がはてな入ってるみたいな感じがあって
でまぁそっかなんか転職
それまで転職っていうのを考えてなかったんですよ
ああ仕事 転職って概念がなかった
スピーカー 2
概念、頭にね
スピーカー 1
そう僕の中にね
でもあの人々がこう新しい会社ベンチャーの会社に転職しますとかっていう日記に書いたりとかするのを見て
でまあこういう理由で転職しましたっていわゆる転職ブログみたいな転職エントリーみたいなのを読んで転職っていう概念があんだなと
仕事を変えると職場を変える
でも僕はその仕事は当時、プログラムもやりデザインもやり、何か何までやる人間で、割とその会社の下支えをしてたから
なんかこういうとこ離れていいんだろうかっていう気持ちもあったんですけども
自分の中でもちょっと仕事自体が全部見えてきちゃうというか
だいたいこうしたら終わるなみたいなのがルーチンワークみたいな感じになっちゃってたんですね当時ね
スピーカー 2
ああまあ刺激的な新しい発見とかっていうのがちょっと減ってたみたいなそういう感じですか
スピーカー 1
そうですねうんその中フラッシュでの映像表現の面白さを突き詰めたりする人たちもいて
そういうのはすごいなと思ってたりとかしたんだけど
しそういうのを僕も真似事みたいなのしてみたんだけど
なかなかそこまでボッとできず
で、ウェブはウェブである程度広告の仕事とかっていうのは型が決まってるところもあったので
し、僕自身の手本化するよりは人にお願いするみたいなとこもあったりとか
そういうとこもあって、なんかもうちょっと
違う形で仕事ができないかなっていうのを悶々と考えてる間に
なんかあまりにも仕事をそれでそういうことを考えたら
今の仕事がだんだん色褪せてきちゃって
それであんまり会社に行きたくないなってなってきちゃったんですよ
ああああああ 今考えるとね当時はなんで会社行きたくねえんだろうって思ったんですが今考えるとまたやっぱりその自分のやりたい理想像と今目の前になる仕事が結構帰りがあってちょっとそれがやっぱり上手く自分の中の理由がつけられなくてでまあ会社行くんだけどめっちゃ夕方に行ってなんかこう深夜仕事してとか人とずらしたりとかなんかこうんまあうん一夜逆転したりとか
あんまり精神状態とかそんなに良くなくて
スピーカー 2
その間にも一応渋谷PM的な勉強会とかはあったんですか
スピーカー 1
そうそういうとこはやっぱり
そういうところと
そういうところで当時の
42:01
スピーカー 1
on the edgeとか
それがライブドアになり
ラインになっていく
一番最初の会社とか
サイバーエージェントとか
そういうところの仕事プリを見ていると
やっぱり自分の仕事プリとは違うから
そういう差が、いいなぁみたいな、憧れるなぁみたいな
自分にはできないのかなとか思ったりしてたっていうのがあって
でなんかそういう話はちょっと世間差にしたのかなぁ
今こういうことをいろいろやってるんだけど
スピーカー 2
なんかこうもうちょっとこう次のステップないかなっていうことを考えてんだみたいなことを言ったの気がするんですよね
スピーカー 1
でその後なんか何ちょっと時間経ったら
くせこさんからちょっと派手な来たなみたいな
連絡があって自分が派手な行くやって
自分が使ってるサービス作ってる会社に行くってのは
全然信じられないなって思ったんですけども
でもまぁせこさんそう言ってくれてるしと思って
でその後かなその前後だな
やっプシー そのシビアpm のメンバーが主体でやっプシーエージアってそのパールの大きなお祭り
が 世界中で転々としてるんですけども
そのやっプシーna だと北米とか やっプシーそのヨーロッパでやったりとかドイツでやったりとかっていうのがあってその中の
まあアジアって大枠でもう東京でやろうっていうイベントがあってそれに参加したんですよ
うんうんうんうん
でそこに当時はてなの所長とコンドさん来てて
しかもコンドさん何してるかって言うとスタッフで来ててなぜか
スピーカー 2
スタッフ側だったんだ
スピーカー 1
ビデオ撮影とか録音とかしてて
スピーカー 2
はいはいはいコンドさんけどその人好きです
スピーカー 1
そうそうそうその人好きだから勝手に出てやってたみたいで
うんうんでそれで
ランチタイムに食事にさせてもらって食事したんですよ一緒にうん
でまぁこうで自分派手なって会社やってて使ってます使ってますみたいなありがとうみたいな感じが始まって
自分はこういうことしてるんですみたいな話をしてそこはそういう流れで終わったんですけども
その後この先からもメールが来て誰のどれですかっていう入りませんかっていうメールが来て
あもうこれはもうこのチャンスを逃したら次のステップはねえなと思った思ったので
もうそっからやっぱシーンがあったのが3月で今の記録によると
6月に僕はじめに転職してて、やっぱり3月だったから3ヶ月ですね。
その3ヶ月の間に会社を辞め、転職の準備をし、一応面接もしてみたいな感じで転職をしたっていうのが2006年っていう感じでした。
スピーカー 2
その時は永山さんの職種はデザイナーだったんですか?
45:00
スピーカー 1
僕はデザイナーって肩書きで入りましたね
戸次は池田さんってゲストに来てくれた
方が一人だけデザイナーでいて
でまぁ理想性全然足んなかったので
まずまずデザインできるやつと
でまぁもちろんパールも描ければ
二人に二船だって感じもあったのかなやっぱり
まあカルチャーにも親和性がありそうっていうのもあって
そんな感じで転職したって感じですね
スピーカー 2
へーなるほどね
でもその面接はどんなことしたんですか
普通に面接だけですか
なんか当時はてなんて結構変わった面接
そうそうそう
色々と試してたんじゃないですか
スピーカー 1
ゲーム面接とかありましたね
ゲームモノポリをするとかっていう
スピーカー 2
はいはいはい
スピーカー 1
とかだったんですけど僕は
なんか近藤さんと川崎さんとしゃべって
そうだから一応面接あるから
やっぱり不作用ですみたいな話もあるのかなと思ったんだけど
全然そういう感じもなかったですね
スピーカー 2
そういう感じもなかった?
スピーカー 1
この後こっち来てピザ食べようみたいな感じで
みんなでピザ食べて
スピーカー 2
へぇ~
スピーカー 1
うんで帰りに数人で飲みに行って
帰って
でいつからこれますかみたいな感じでした
スピーカー 2
仲良く?
スピーカー 1
うん
だから懇親会みたいな感じでした
スピーカー 2
だから人からも分かってたしみたいな感じなんでしょうね。
一応だからもう一回ちゃんとしゃべるけど、
まあまあ、ほぼとも、よっぽど変なことなければ。
スピーカー 1
どうだったかわかんないけど、最後の条件?
スピーカー 2
ああ、はいはいはい。
スピーカー 1
お金的なものだったりとか、そういう話だったのかな?
スピーカー 2
うーん、なるほどな。
それ2006年ですか?
スピーカー 1
2006年でしたね。
スピーカー 2
僕は2008年入社なんでだわなるほどね
あの頃ですわ
でもいいですねなんかこう勉強会とかで刺激を受けて
まあ要は自分のいる環境とねよりもうちょっと高みじゃないですけど
やりたいことがなんとなった形が明確になってきて
それができる環境に行きましたみたいな話ですもんね
スピーカー 1
そうですね
スピーカー 2
それでも2006年からはもちろん転職した後からは
なんかその職場に行きたくねえなみたいな気持ちはあまりなくなったみたいな
スピーカー 1
そっからは逆になんだろうな
ついていくこととか
やっぱりサービス作ることってなんだろうっていうことに
必死でついていくのが精一杯って感じでしたね
スピーカー 2
うん
スピーカー 1
そのコンドーさんの方で喋ったことあるか分かると思うけど
コントさんってもうあてらのサービス作ることしか考えてなかったじゃないですか
スピーカー 2
そうですね
48:00
スピーカー 2
サービスクリエイトすることにもう全てをかけてるみたいなね
スピーカー 1
なんでもうなんかずっとその話しかしてないんですよね会社の中で
飯食いに行っても飲みに行っても
なので僕もそのやっぱりそういうものを作るっていうことに対して
そういう向き合い方から自分を変えて
変えてたりとかそこからやっぱり学ぶこともあるし
デザイン的なものもそうだし技術的なものも
学ぶことがとにかくたくさんあったんで
とにかくそこは必死でキャッチアップしてくっていうのが精一杯だったんで
行きたくねえとかそういう感じじゃなかったですね
結構早い時間に起きて行ってたし夜は遅くまでいるみたいな感じでしたし
それは楽しかったなぁ
わかると思うけどやっぱりユーザーさんからのフィードバックも
もうすごいたくさんあったからうん
そういうのもすごくやりがいに直結してたので
ちょっと不眠症みたいのもあったんですけども転職する前
スピーカー 2
それは転職してから一瞬で治っちゃいましたね
やっぱりどうしてもこうあったんでしょうねその中
スピーカー 1
だから多分そのもっと普通の不眠という全然別なところが要因になってて
結果的にこう中夜逆転しちゃったりとか
睡眠障害っていう言い方じゃないかもしれないですけども
眠れない起きれないみたいな
そういうのが結果として表面化してたっていう感じだったのかな
スピーカー 2
なるほどね
ちなみに長山さん
渋谷PMとかパールっていう言語で
スピーカー 1
ちょっとそういうコミュニティに入っていったじゃないですか
スピーカー 2
でまぁその果てなにはデザイナーとして入ってるわけでしょ
スピーカー 1
はい
スピーカー 2
でもまぁそのナヨマサイに書けるじゃないですかそのコード自体は
スピーカー 1
うんうん
スピーカー 2
そのデザイナーで入るっていう選択肢は
もう割とすんなり決まったんですかそこそこって
要はそのエンジニアだったりとかっていう選択肢はなかったんですかその時
スピーカー 1
あでもなんか中に入ってから割と普通にコード書きたいんだったら書いてみたいな感じで言われてたし
今よりも職種の区分が不明瞭な空気感がめっちゃあったんですよ
それはその果てなにってことですか
果てなに
なんで、人数もそもそも少ないんで
スピーカー 2
少ないからね
スピーカー 1
いれることがあれば何でもやってよい
やってって感じだったんで
いや信じられないと思うんですけども
なんか会社来て好きなことみんなやってるんですよ
本当に俺今日このサービスちょっと機能つけるわみたいな
スピーカー 2
いやすごいですね
そのその時代は本当に僕がまだ入社前なんでこのタイミングはね
スピーカー 1
本当ちょっと昨日思いついたからこういう機能作ってみたから
これちょっとデザインを当てといてみたいなはいはいはいはい
デザインを当てといてって言う
渡されるのがもうなんてかパールコードから渡される感じだったんで
51:03
スピーカー 1
そこからテンプレートにしてとかっていうところは
一応半分ぐらいパールの仕事もあったし
そういうところでは割と最初の頃は役に立ったんじゃないのかなと思ってますけど
スピーカー 2
なるほどなぁ
僕もだからその僕は元々 SIから果てなに転職していったんで
そのなんでしょうね
そういう仕事の進め方みたいなのは当時はより薄まってましたけど
結構衝撃を受けたんですよね
そのなんかものを作って要はその si の世界って仕様書書いてどっちかっていうとその画面の設計して
ui のなんか形だけから決めて中を実装していくみたいな感じでしたけど当時
まあ今も今の果てではねそういう作り方したりとかいろんな方法を試してますけど 当時は本当なんか僕もねコード書いて結構その
html は素でなんかデザインも何も当たってない状態で
スピーカー 1
長山さんとか焼田さんにちょっとお願いしますって渡してそこからデザイン組んでいくみたいな
スピーカー 2
仕事の進め方してたじゃないですか結構なかなか衝撃を受けたんですよ当時こんな感じで進めるのみたいな
スピーカー 1
今考えても衝撃的な感じだし
スピーカー 2
そうなかなかないなかなかないですね確かにねこれを普通と思っちゃいけないんだよな
スピーカー 1
まあマスタマスだってみんな言ってるたてな匿名ダイヤリーも起きたらリリースされてたみたいな
伝説が残ってますよね確かに起きたらラボで勝手にもちろん勝手にリリースしていいんだけど
そんなことが本当に起こるんだって感じの会社だったのでだからそういった職種のボーダーは
別に開発側の職種のボーダーはすごく低かったですね。
僕障害対応もしたし、サーバー組み立てたり運んだりしてました。
スピーカー 2
デザイナーが。一応片岳デザイナーなんですよね。
あーすごい。
まあまあそれが今の永山さんに繋がってるわけですもんね。
スピーカー 1
そうそうそう。
スピーカー 2
ちゃんとね。
うーん。
スピーカー 1
アパッチのソースコードとか読んでた。
スピーカー 2
すごいな。
デザイナーの仕事じゃないですもんね、普通に考えたら。
いやー、面白いですね。
僕からすると長山さんって、やっぱりこう、初めて長山さんと会ったのが、
僕はハテナの2008年に面接を受けに来て、みんなの前でプレゼン、面接受けた日の帰りかな。
ハテナの9階のエレベーターホール前で、たばかを吸いに行く長山さんとバッタリ会った。
のが僕は最初の会合だと思うんですけど。
だからもう僕からするとも、もともとずっとハテナの人っていうイメージなんで
結構2006年ぐらいの前の会社から転職しましたみたいな話はめちゃめちゃ新鮮な感じですね
スピーカー 1
そう、あんまりこの辺…
話しとんないからね
スピーカー 2
うん、なんならそのハテナ東京移転のあたりからもういたんじゃないかみたいな、そういうイメージを
54:05
スピーカー 1
なるほど
スピーカー 2
うん
なんか勝手にこの僕の中のその勝手なイメージずに長山さんがその京都から東京に車でサーバーを運営する
サーバーを長山さんが押さえてるとか
長山さんが運転してるみたいなその勝手なイメージを持ってましたけどそうじゃなかったんですね
スピーカー 1
やっててもおかしくなさそう
いやー面白いですよ
その当時ねその
社用車ってあったんですけど社用車はねマニュアルのインプレッサーだったんですよ
スピーカー 2
マニュアルのインプレッサーなんだ
スピーカー 1
誰もね、そんなの乗れなくて
で、僕は車、田舎生まれで移動手段車絶対必須だったし
父親の仕事の関係でダンプとかも運転してたからマニュアル全然平気だったんで
それでね、よくサーバ運んだりとか、あとはランチを運んだりとか
ランチを?
誕生日にケーキを食べるイベントがあったんでそのケーキを買いに行くとかね
そういうことそういう本当に雑用もやってました
スピーカー 2
あれですよねその僕が入社した後でも結構開発合宿とか行く時に
その会社から合宿会場までモニターとか機材を運ぶ時に車を出すなきゃいけなくて
スピーカー 1
でも運転できる人があまりいない会社だ当時会社だったから
結構な隠れ家長山さんやってましたね
やってましたうん
スピーカー 2
やってたやってたなるほどねそんな感じだったのか
これが2006年ですもんね
これで15年前か これでまだ15年前か
スピーカー 1
そうですよだって今2021年ですから まだまだ引っ張りますね
スピーカー 2
これはまだ200回250回とやっていかないと
スピーカー 1
また、ハテナ入ってからの話、また面白いですからね、これ。
スピーカー 2
そうですね。で、今あれから、ようやくハテナに入ってくる。
その、第一部、第一部って感じです、ようやく。
いやー、これはね、いいっすね。
これまた、ちょっと頑張って更新して、ちょっと次の続きを聞かなきゃいけないですね。
毎回言ってますけど、別にもうちょっと頻度高くやってもいいですよね、その50回って言って。
年に1回、2年に1回しなきゃ。
スピーカー 1
今日もね、でもね、このメモまとめてて、
うん、この話面白いのかなっていうのは
スピーカー 2
思いました?自転に?
スピーカー 1
そうそう
スピーカー 2
自分で?
ああ
スピーカー 1
からなんかね、あんまりこう
普段喋る気になんないんですよね
スピーカー 2
そうね、だから例えばその飲み屋に行って
話す話でもないですもんね
そのだから後輩とかに聞かせる話かっつったら
スピーカー 1
それはそれで歌いでしょだって
スピーカー 2
その会社の中の話はしてもいいかもしれないけど
その前どうだったかとか
そう話さないですよね
あんま話さないじゃないですか あんま話さない確かに
いやこれはいいですねこの
このこれ聞いてるおっさんたちは懐かしいんで聞いてると思いますよ昔のことを
57:03
スピーカー 1
いやそのYouTubeのコメントにも堀介さんが
遅くなるからJSを無効にしてるという友達がいましたねって書いてあった
やっぱ当時当時ね
でもJavaScriptを入れてると広告とかがポップアップで出てきたりとかしてね
スピーカー 2
あそうそうそうポップアップ広告ねはいはいありましたねあったあった
いやー懐かしいねーそうか 逆にでもまだそっからね20年弱しか経ってないんだって気もするしね
スピーカー 1
そんな時代から随分と遠くに来てる気がしますけど 遠くに来てる気がしますね
スピーカー 2
ねこの間のこの10年ちょっと20年弱ぐらいって本当 技術革新じゃないですけどぐーっとねいろんなことが進んでますからね
だってフラッシュがあっている時にフラッシュが捨てれるなんて思ってないでしょだって
スピーカー 1
思ってなかったしこんなに今JavaScriptを書くことになるとは思ってなかった
スピーカー 2
そう思うとJavaScriptは頑張ってますよね
スピーカー 1
そうで2006年に転職する前後に渋谷JSっていうイベントを僕が事務方やってセコンさんがオーガナイザーみたいな感じでやったんですよね
で そんときは そのテーマが リーディスカバージャバスクリプトって言って
まあ そうやってこうジャバスクリプトをオフにして
こうすごいけむたがれてる言語なんだけど
実はジャバスクリプトには すごく可能性があるんだよっていうので
まあ海外からAJAXとかいう言葉が 少しずつ出てきて
スピーカー 2
AJAX はいはいはいはい
スピーカー 1
盛り上がってるとこに結構乗っかって
そのシビアPMにちょっと名ぞらえて シビアJSっていうイベントを開催して
そこでやっぱり繋がった人もすごく今でも仲良くしてもらってますし
そこで何か得たJavaScriptっていうのも
今ずっと書き続けてる言語での面白いですね
スピーカー 2
そうか、エイジャックスの頃ですね
スピーカー 1
そうかそうか
JavaScript
スピーカー 2
懐かしいですね
いやいやなかなかいい話を今日は 聞けましたね
今日はだいぶテッキーな部分テッキー というか技術的な話も出てきました
けどね
スピーカー 1
ちょっと多かったかな
スピーカー 2
すいませんたぶん実家のうちの 母ちゃんも今回はね後ろにちょっと
難しかったかよって言うと思います けど
スピーカー 1
そもそもここまで聞いてるか分かん なけど
スピーカー 2
いやでも良かったんじゃないですかねそんな感じのはい
スピーカー 1
あのはい2000年前半ってことでました
スピーカー 2
はい長山さんヒストリーの第2回ね
スピーカー 1
皆さんは2000年前半何してましたか
スピーカー 2
#おっさんFMでツイートなどして
していただけるといいかなと思いますねはい
ということで今週のおっさんFMはこの辺りですかね
1:00:05
スピーカー 2
150回目を迎えまして引き続き頑張っていこうと思いますので皆さんもぜひとも
感想フィードバック等いただけると嬉しいです よろしくお願いします
では今週のオスタンFMはここまでとさせていただきます また来週お会いしましょうさようなら
01:00:21

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