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2026-02-02 22:22

J-ROCK 50年史。サザン・GLAY・X・Mrs. GREEN APPLE・Vaundyまで時代毎の熱狂の歴史【推し活未来研究所】

『推し活未来研究所』🎧 毎週月曜あさ7時配信!ビジネスとカルチャーをつなぐ「推し活」の世界を、ほっこりトークでお届けする番組へようこそ!Z世代の推し消費トレンド、社員のエンゲージメントを高める「社内推し活」の可能性、ファンに熱烈に”推される”ブランドやサービスの作り方など、身近でちょっと気になる推し活関連のトピックをピックアップ。難しい専門用語は使わず、「ゆるっと深掘り」していきます。聴いていると元気が出て、明日からのちょっとした活力になるような番組を目指しています☀️▼ パーソナリティ矢澤 綾乃株式会社KAZAORI (https://kazaori.co.jp/) 代表取締役ファンやコミュニティの「好き」や「熱量」を起点に、企業のマーケティング支援、ブランドプロデュース、新規事業開発などを手掛ける。推し活の記念日やイベント等を華やかに彩るバルーン事業なども展開し、「好き」を形にするための多様なサポートを提供している。現役ベーシスト様々なアーティストのライブサポートやレコーディングに参加するミュージシャンとして、現在も活動中。推す側・推される側の視点を持つ「現場あがり」の実践者アーティスト/クリエイター側と、それを応援するファン側の両方のリアルな視点と経験を持つユニークな存在。この経験を活かし、“推し活×ビジネス”の新しい可能性を日々探求し、そのインサイトを番組で分かりやすく発信しています。▼ 応援&メッセージはこちら📣あなたの推し活体験やアイデアが、番組をもっと豊かにします!ぜひお気軽にご参加ください。SNSで参加: 番組へのご感想、あなたの「推し」紹介、熱い推し活エピソード、ビジネス活用アイデアなどを、ハッシュタグ #推し活未来研究所 をつけてぜひ投稿してください!Podcastを応援: SpotifyやApple Podcastで番組をフォローし、レビューや星評価(☆☆☆☆☆)をいただけると、制作の大きな励みになります!専用フォーム: 長文のメッセージや、SNSを使わない方はこちらからどうぞ。 https://forms.gle/zSD7LYrAscxYCoh79▼ 視聴・聴取はこちらから▶️ライフスタイルに合わせて、お好きなプラットフォームでお楽しみください!YouTube: 最新エピソードの視聴やアーカイブはこちら!チャンネル登録もお願いします🔔 https://www.youtube.com/ @oshikatsu_laboSpotify: 通勤・通学中やお休み前など、耳で楽しむならこちら! https://x.gd/9kSbnApple Podcasts: iPhoneユーザーの方はこちらも便利です! https://x.gd/lxYcKそれでは、また月曜あさ7時にお耳にかかりましょう!

サマリー

日本のロックの歴史は1970年代から始まり、サザンオールスターズやGLAYなどのアーティストが登場しながら進化しています。Xジャパンやバンプオブチキンの登場は、音楽のスタイルやファンの応援方法に大きな影響を与え、現代の推し活文化へとつながっています。J-ROCKの50年にわたる歴史を振り返ると、サザン、GLAY、Xジャパン、ミセス・グリーンアップル、バウンディなどのアーティストが新世代の音楽シーンを牽引しています。また、音楽における居場所の重要性や推し活の進化を探りながら、2026年に向けた未来への期待も語られています。

日本のロックの始まり
こんにちは、株式会社KAZAORI代表の矢沢彩乃です。推し活未来研究所へようこそ。
今日のテーマは、J-ROCK 50年史。サザン・GLAY・X・Mrs. GREEN APPLE・Vaundyまで時代毎の熱狂の歴史です。
この番組では、日々進化する推し活をビジネスの視点から、そして時には私自身の経験を交えながら、楽しくそして深く紐解いていきます。
私は普段、推し活をテーマにしたビジネスや、ベーシストとしての音楽活動を行っております。
だからこそ、推す側と推される側、両方の視点から皆さんとこの大きなテーマを共有したいと思っています。
YouTubeでご覧の方はチャンネル登録、Podcastでお聞きの方はフォローを是非よろしくお願いします。
今回は、私たちが普段聴いている日本のロックがどのようにして生まれ、スタジアムを埋めるほどのエンターテイメントに育っていったのかを振り返ります。
そして、2025年から2026年にかけて、シーンがどこへ向かおうとしているのかも見ていきましょう。
1970年代、日本語でロックを歌うこと自体が議論になっていた時代がありました。
そこから東京ドームを揺らし、20万人を動員し、今ではインターネットを通じて世界中の若者に届くアーティストが現れるまでの50年間。
これは単なる音楽ジャンルの移り変わりではなく、私たち日本人がどうやって音楽に熱狂し、誰かを推すことで心を満たしてきたか、その歴史でもあります。
今あなたが応援しているアーティストのことがもっと好きになって、彼らが立っているステージの背景にある歴史を感じられるようになってもらえたら嬉しいです。
まず、日本のロックの歴史のスタートは1970年代に遡ります。
今では当たり前のように日本語の歌詞でロックを聴いていますが、かつてロックのリズムに日本語は乗らないと本気で信じられていた時代があったんです。
音楽史では日本語ロック論争と呼ばれています。
当時は、英語で歌わなければロックじゃないとする内田雄弥さんらを中心とした派閥と、日本語で自分たちの心を表現してこそのロックだとする派閥が対立していました。
ロックという輸入文化をどうやって日本人の言葉と体に馴染ませるか、これは単なる音楽的な実験を超えた文化的な議論でした。
この中で一つの答えを出したのが、ハッピーエンドです。
1970年に細野春生さん、大竹英一さん、松本隆さん、鈴木茂さんによって形成された彼らの功績は、日本語の歌詞をロックのビートに乗せる方法論を示したことにあります。
ドラマーであり、作詞家でもあった松本隆さんは、それまでのフォークソングに見られた何々です、何々である、といった説明的な言葉遣いをやめました。
代わりに重視したのが、言葉の響きやリズム、つまり韻律です。
代表曲、風を集めてを聴くとわかりますが、言葉が意味を伝える道具であると同時に、一つの楽器のような音としてリズムの中に溶け込んでいます。
日本語特有の語音プラス詩音という構造が、ロックのビートを殺してしまうという課題に対し、言葉を音説で区切るのではなく、フレーズ全体の響きとして捉える手法を取りました。
こうして日本語でもロックはできるという証明がなされ、論争に一つの区切りがついたと言われています。
そして彼らが作り上げた、詩的世界の象徴が、風待ちという架空の都市です。
それは実在の場所ではなく、風の吹き抜けるような情景、失われた青春の匂い、懐かしくて切ない感情が宿る心の街。
松本隆さんの歌詞を通じて描かれたこの風待ちは、やがて日本語ロックだけでなく、後のシティポップや90年代のサニーデイサービスの世界観にまで影響を与えていきます。
この発明をさらに推し進め、お茶の間に届けたのが、1978年にデビューしたサザンオールスターズ、そして桑田圭介さんです。
1980年代のバンドブームとボーイ
桑田さんが起こした変化は、一言で言えば日本語のグルーヴ化でした。
デビュー曲、勝手にシンドバット、早口で幕立てる独特の歌唱法は、当時の歌番組の視聴者から、歌詞が聞き取れないという声が殺到するほどでした。
その結果、テレビの歌番組で歌詞テロップが表示されるようになったというのは有名な話ですね。
歌詞を、読んで味わうものから、音として感じるものへと変えた瞬間でした。
桑田さんの歌い方には、技術的な工夫がありました。
日本語の歌行や歌行を、英語のような破裂音に近い発音に変換して、リズムのアタックを強調したり、語音を曖昧に発音して、言葉と言葉を滑らかに繋げたり、これによって日本語が持つ稼働を取り、ロックのビートに乗せることに成功しました。
歌詞の内容も印象的でした。
胸騒ぎの腰つきというフレーズ。
言葉の意味を考えると、腰つきが胸騒ぎするのは不思議です。
当時の制作スタッフからも、意味が通じないから変えてくれと言われたそうですが、桑田さんはこれを押し通しました。
その言葉の並びが持つリズム感や焦燥感、エロティシズムといったイメージの換気力がロック的だったからです。
意味よりも音としての快楽を優先する。
サザン・オールスターズは、こうしてロックを一部のマニアのものから国民が歌って踊れるエンターテイメントへと広げました。
80年代に入ると音楽シーンはさらに活性化します。
インディーズシーンの盛り上がりや、テレビメディアとの連動によりバンドブームが起きます。
原宿の歩行者天国、いわゆるホコテンでは週末ごとに多くのバンドが演奏し、若者たちが楽器を手に取る社会現象となりました。
音楽は聴くものから自分たちでやるもの、そしてファッションや生き方を含めてスタイルとして楽しむものへと変化していきました。
その頂点にいたのがボーイです。
1981年の結成から1988年の解散まで、彼らが駆け抜けたスピードと美学はその後の日本のロックバンドのお手本になりました。
ホテイトモヤスさんの気化学的でソリッドなギターリフ、氷室京介さんのストイックでセクシーなボーカル、彼らが作り上げたビートロックは演奏のコピーのしやすさと見た目のかっこよさでアマチュアバンドのお手本となりました。
そして何より彼らが残した功績の一つが引き際の美学です。
人気絶頂の中で解散を宣言し、完成したばかりの東京ドームでラストライブ、ラストギグを行いました。
2日間で10万人を動員したこのライブのチケット申し込みには電話が殺到し、回線がパンクする騒ぎにまでなりました。
バンドは人気絶頂で解散してこそ美しい、この美学は後の世代に大きな影響を与えることになります。
またこの時代に見逃せないのが、1987年にメジャーデビューしたワクチクの存在です。
彼らはボーインのビートロックを継承しつつも、より大輩的でゴジックな世界観へ持ち込みました。
髪を逆立てた派手なビジュアルは、ワクチク現象と呼ばれるブームを引き起こしましたが、彼らが特筆すべきなのはその後の活動スタイルです。
1985年の結成から2023年にボーカルの桜八志さんが休成されるまで、一度もメンバーチェンジを行わずに活動を続けました。
これは日本のバンド史において珍しいことであり、ファンとの間に強い信頼関係、つまり押し続けることへの安心感を築き上げた例といえます。
彼らが提示したダークエステティクス、暗黒の美学は、次の90年代に広がるビジュアル系ムーブメントへの橋渡しとなりました。
90年代のビジュアル系と新たな波
そして90年代、日本のロックシーンに大きな転換が起きます。
ビジュアル系の登場です。
これは単なる音楽ジャンルではなく、メイク、衣装、楽曲、そしてファンの行動様式まで含めた、日本独自のサブカルチャーへと成長しました。
その始まりであり、象徴とも言えるのがXジャパンです。
サイケデリックバイオレンスクライムオブビジュアルショックというキャッチコピー、このビジュアルショックがビジュアル系の語源になったと言われています。
吉木さんのクラシックとスラッシュメタルを融合させた激しくも美しい音楽性、そして破滅に向かってというライブタイトル通り、演者も観客も共に限界を超えて倒れ込むようなカタルシス。
これは現代の推し活における、推しに人生を捧げるといった感覚の原点かもしれません。
1992年1月、彼らは日本人アーティストとして初めて東京ドームで3日間連続公演、破滅に向かってを行いました。
バンドの解散やメンバーの脱退といったドラマを帯びたこのライブは、ドームという巨大空間を儀式の場へと変えました。
実は今でも私、このVHSを持っているんです。
私はXジャパン世代ではないんですが、私が高校生の時でも、楽器をやってたら一度は通る道という感じで、私もXの曲はたくさん弾きました。
私は初期のベースのタイリさんが好きで、高校生の時はライブに行ってベースにサインを入れてもらったりしたこともありましたね。
やっぱりXが残した構成の影響力は計り知れないと思います。
そして、この時代の熱狂を数字と規模で形にしたのがグレイです。
J-ROCKの歴史を語る上で外せないのが、1999年7月31日に開催されたグレイエキスポ1990サバイバルです。
千葉幕張メッセの駐車場特設ステージに、単独アーティストの有料ライブとしては世界記録となる20万人を動員しました。
20万人という数字、当時の東京ドームの収容人数でおよそ4個分、一つの地方都市の人口が丸ごと移動するような規模です。
このライブは、もはやコンサートというより都市インフラプロジェクトでした。
JRは臨時便を39本出し、最寄りの海浜幕張駅の駅員さんは通常10人体制のところを150人に増員。
全国から500台のツアーバス、600本のシャトルバスが稼働しました。
さらに驚くのはそのリスクです。総製作費は30億円。
野外ライブのため、雨天中止保険が適用されず、もし台風などで中止になれば事務所が倒産するかもしれないという、文字通りサバイバルな状況だったと後にメンバーは語っています。
ライブ当日、テルさんはMCで、「ここを日本で一番熱い場所にしようぜ!」と叫びました。
夕暮れ時に演奏された誘惑、地平線の彼方まで埋め尽くした20万人の観客が一斉に拳を突き上げる光景。
それは日本のバンドが国民的な存在になり得た時代の象徴的なシーンとして語り継がれています。
これ、実は私の母がこのライブに行ってたんですよね。
ものすごい人で、本当に遠くの方に豆粒みたいに少し見えただけだったよ、と言ってました。
20万人もいたら、そうなるのも仕方ないですよね。
でも、歴史的瞬間に立ち会っているのは、今思うとすごく貴重な瞬間だと思います。
そして、この頃からファンの応援スタイルも体系化されていきます。
VKファン、いわゆるバンギャたちの間で、サクという両手を広げて名前を叫ぶ行為や、エッセンスと呼ばれる独特の振付、曲調に合わせたヘドバンが広まりました。
また、インターネットが普及する以前、原宿の神宮橋には、Xジャパンやルナシーなどのメンバーの衣装を真似したコスプレファンが集まり、交流していました。
彼女たちは手書きのチラシを配り、連絡先を交換し、独自のコミュニティを形成していました。
これは現代のSNSにおけるハッシュタグや拡散のアナログ版であり、当時としてはかなり強力な推し活のネットワークでした。
90年代を経て2000年代に入ると、ロックは社会への反抗や派手なショーから、より内静的な個人の物語へと深まっていきます。
その転換点を象徴するのが、バンプオブチキンです。
2001年に大ヒットしたバンプオブチキンの天体観測。この楽曲は、単なるラブソングや青春ソングの枠を超えていました。
藤原本夫さんが積む歌詞は、まるで短編小説のような物語性を持ち、見えないものを見ようとする個人の孤独や弱さ、そして君と僕の距離感を繊細に描きました。
バンプオブチキンの音楽は、聴く人一人一人に、これは自分のことを歌っていると思わせる当事者性を持っていました。
それまでのロックがカリスマに憧れて見上げるものだったとすれば、彼らのロックは隣にいて静かに肩を抱いてくれるもの、あるいは自分の心の中の奥底にある言葉を代弁してくれるものへと変わりました。
バンプは、私が中高生の時に一番流行っていて、ライブもたくさん行ったので、本当に青春って感じです。
歌詞が世界観がすごく好きで、未だに実家にCDが全部あると思います。
あとめちゃくちゃ余談なんですが、20代の時に私がベースでサポートに入っている現場のリハに行って、隣のスタジアがバンプだったことがあったんです。
その時は素直にすごく嬉しくて、本当に高校生に戻ったみたいなワクワクが止まらなかったですね。
音楽やっててよかったって本当に思いました。
さて、この物語としてのロックというスタイルは、現在のシーンを牽引するアーティストたちに大きな影響を与えることになります。
また、この時代は音楽の楽しみ方がフェスへとシフトした時期でもあります。
音楽フェスの重要性
フジロックフェスティバルやサマーソニック、ロッケインジャパンフェスティバルといった大型フェスが定着し、特定のバンドを追いかけるだけでなく、音楽空間そのものを楽しむというスタイルが一般化しました。
これは2026年に向けて、さらに重要になる居場所としての音楽というテーマにつながっていきます。
さて、現在2020年代に進みましょう。
今、Jロックシーンで起きているのは、ネット発アーティストによる大きな変化です。
インターネットを通じて直接リスナーとつながり、支持を得るアーティストたちがシーンを牽引しています。
その筆頭が、ミセス・グリーンアップルです。
彼らの存在感は、今の音楽シーンにおいて際立っています。
特にボーカルの大森素樹さんが生み出す楽曲は、ポップでキャッチーでありながら、歌詞の深層には、現代の若者が抱える孤独や不安、そして自己肯定への渇望が色濃く反映されています。
例えば、レコード大賞を受賞したケセラセラ。
この曲で歌われる、「なるようになる」というメッセージは、無責任な楽観主義ではありません。
私を愛せるのは私だけという歌詞にあるように、傷つき疲れ果てた自分自身を、それでも何とか肯定して生きていこうとする切実な許しの歌です。
SNSで常に他人と比較され、将来の不確実性にさらされている現代の若者にとって、彼らの音楽は単なる娯楽を超えた精神的な拠り所として機能しているのかもしれません。
また、彼らのファンクラブ、リンゴジャムの仕組みも、現代の推し活ビジネスとしてよく設計されています。
単にチケットを先行予約するだけでなく、日々のアプリ起動やコンテンツ視聴でポイントがたまり、会員ステージが上がっていくポイントプログラムを導入しています。
これは推し活をゲーム化し、ファンが能動的に、そして継続的にアーティストに関わりたくなる仕組みを作っている例です。
新世代アーティストの台頭
次に注目したいのが、バウンディーです。
作詞作曲、アレンジはもちろん、アートワークや映像制作まで自ら手がけるマルチアーティストです。
彼が作り出すライブ空間の特徴は、一体感と音楽への没入にあります。
代表曲、怪獣の花歌が象徴するように、彼のライブは観客全員による合唱によって完成します。
薄暗い照明とシルエット、そして爆音の演奏で会場を支配する。
観客はバウンディーというアーティストを見つめるだけでなく、自らも声を出し、体を揺らし、会場全体が一つになるような感覚を味わいます。
これは声を出したい、誰かと繋がりたいという欲求を解放する場となっています。
そして、アドさん。
うっせーわで社会への怒りを代弁して登場した彼女は、ライブパフォーマンスにおいて姿を見せないという発想で熱狂を生み出しています。
ステージ上には檻のようなセットが組まれ、彼女はその中でシルエットとして歌い踊ります。
顔が見えないからこそ、観客は彼女の歌声とシルエットから滲み出る表現に集中します。
推しの実在性をあえて曖昧にするというファンの想像力を掻き立て、没入感を高める。
すべて可視化され過ぎている現代において、あえて秘めることの強さを示した面白いエンターテイメントの形と言えるでしょう。
ここからは2026年の話をしましょう。
J-ROCKシーンは今年、新世代のアーティストたちがスタジアムクラスの会場に次々と挑む年になります。
まず、グレイは2026年1月に、Kアリーナ横浜でローソン50th Anniversary Presents グレイスペシャルライブを開催。
そして3月から5月にかけて、全国15箇所16公演の全国ホールツアー、ハイコミュニケーションズツアー2026グレイコンプリートベストを行います。
ベストアルバムを引っさげた3年ぶりの全国ツアーで、これまでのキャリアを彩ってきた名曲をホールならではの距離感で届けます。
彼らが解散しないバンドとして歩み続ける姿は、推し活動する私たちにとって推しがずっとそこにいてくれるという希望です。
これだけ長くずっと活動し続けてくれるバンドは本当に貴重ですよね。
そして新世代のアーティストたちが大きな舞台に立ちます。
バウンディは男性ソロアーティスト史上最年少となる4大ドームツアー、バウンディドームツアー2026サイレンスを開催中です。
2月に福岡と東京、3月に大阪と北海道をめぐる全7公演。
全公演が完売し、総動員数は約36万人に達する見込みです。
彼の音楽がドームという巨大空間でどう響くのか、すでに多くのファンが体験しています。
ミシス・グリーンアップルは、2026年1月1日からフェーズ3を開幕させました。
そして4月から7月にかけてスタジアムツアー全人未踏とイミュータブル感想編を開催します。
MUFGスタジアム、国立競技場の新しい名前ですね。
こちらで4月と7月に計4日間、ヤンマースタジアム長いで5月に2日間の計6公演。
国立競技場での4日間開催は、嵐以来2組目。バンドでは史上初の開挙です。
全人未踏シリーズは、彼らがインディーズ時代より前からライブハウス規模で行ってきたツアーの名前。
それがスタジアムまで到達したことは、バンドの成長を象徴しています。
アドさんは、2026年7月4日、5日に日産スタジアムでのライブ、アドスタジアムライブ2026を開催します。
日産スタジアムは収容人数約7万人で、2日間で延べ14万人規模の動員が見込まれています。
2025年にワールドツアーと初のドームツアーを完遂した彼女の次なる舞台が、国内最大級のスタジアムになるわけです。
J-ROCKの未来
さらに2026年はフェスシーンにも変化の兆しがあります。
洋楽と宝楽が交じり合う新しいフェス、ロッキンオンソニックの開催など、国境やジャンルを超えた新しい形が模索されています。
フェスは単に音楽を楽しむ場所から、社会的・心理的な居場所へと役割を強めていくのかもしれません。
さて、今日はJロック50年史というテーマで、1970年代の黎明期から2026年の未来まで一気に駆け抜けてきました。
ハッピーエンドが日本語という壁を壊し、サザンがそれを国民的な楽しみに変え、ボーイやXジャパンが視覚とスタイルを作り上げ、
グレーが規模の限界を超え、バンプオブチキンが個人の心に寄り添い、そして今、ミセスグリーンアップルやバウンディ、アドが新しい時代の熱狂を作っている。
こうして振り返ってみると、Jロックの歴史は常に常識との戦いであり、何よりもファンの熱量がそれを支え、育ててきた歴史だということがわかります。
ビジネス的に見えば、レコードからCD、ダウンロード、そしてストリーミングへと音楽を聴く媒体は劇的に変わりました。
でも、推しを応援したい、同じ空間で熱狂を共有したい、誰かの音楽に救われたいという私たちの欲求は、50年前から変わっていないのかもしれません。
むしろ社会が複雑になり、個人の孤独が深まる現代だからこそ、音楽という熱狂の場所、そして推し活という心の拠り所に重要性は高まっていると言えるでしょう。
あなたの心に残っているJ-ROCKの名場面、あるいはこれから楽しみにしている2026年の予定はありますか?
ぜひ、ハッシュタグ推し活未来研究所で教えてください。全部読ませていただきます。
それでは、次回の推し活未来研究所でまたお会いしましょう。
ここまでのお相手は株式会社カザオリの与沢彩乃でした。ありがとうございました。
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