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こんにちは、こんばんは。
O沢イズミの雑談放送第16回
前回間違えましたけど、16回
O沢イズミとは
原作担当のO沢イズミと
作画担当のO沢イズミが2人で同人漫画を描いているO沢イズミです。
今回は、型(
型というものについて
なんかあれこれ喋ってみようかなっていう
そういう回ですけど
最近君が読んでる本の話がすごく面白くて
なんかいろいろ喋れそうかなっていう気がしたので
しらすまさこという人の本を読んでいましたね。
うん、全然知らないけど
しかもしらすまさこを本人が書いたものじゃなくて
まあ、しらすまさこっていう人を解説した本みたいなことですか。
そうだね。
しらすまさこっていう人がどういう人か
簡単に説明してもらえますか。
オノオですね。オノオの舞手であって
その後文筆業の方に行くんだけど
骨董とかのところでも出てくる人だよね。
しらす二郎の妻。
オノオのプレイヤーだったけど
そこから文筆家に転じて
そう、この本ではオノオの舞う人がして
その他の音楽とかやってる人が
つれとかわきとかってオノオでは言うけど
そのしらすはしてから
そのわきに行ったんだっていう風に言ってるけど
そのプレイヤーじゃなくて書き手になって
骨董集めとかも好きで
そのメキキみたいなイメージもあるのかな、この人には。
で、なんか脳には型っていうものがあるっていう話
脳の型ってどういうもの?
どういうものっていうか型って
こういう風に踊りましょうみたいな
動きが決まってるってことだよね
歌舞伎とかもそうかもしれないけど
この場面の時はこう動くみたいなのが
脳の場合はもうすごくかっちり決まってて
オリジナルの動きとかを加えてはダメで
伝統的にこうと決まってるような踊り方をしてくださいっていう
そういう世界観
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なんかそれで書いてたのが
型を自分の身体感覚にまで落とし込まないと
舞うことはできない
体が覚えている状態までまず訓練するっていうか
練習するっていうか日々踊れるようになるようにすると
その中にはどういう
どういう心でっていうか
心っていうものも含む
そんな風には書いてるかわかんないけど
我を忘れた状態にならないといいのにはならない
そこにこういう風に踊ろうとか
ここはこういう場面だからこういう気持ちでやろうとか
そういう作為とか
私の成果を見せようとか
我っていうものがあると良くない
それが出てしまうから何も考えない
ただ型をやるだけっていう状態がいいっていうか
本当に自分のトレースっていうか
身体感覚にまでなったその型をひたすらやるっていう
その時にその踊り手の個性が滲み出てくるっていうことを言ってて
だからいろんな人がやってる同じ動きの型をやってるはずなのに
そこには個性が出てくるっていうのがすごい面白いなと思って
しかも動きとしては型通りにやってるから
あの人がやってもこの人がやっても型通りの動きなのに
そこにはやっぱりその人の個性が出てきてしまうっていう
話聞いてて面白かったのは
型をトレースすることによって連綿と繋がってきた伝統
昔の記憶っていうか精神性みたいなものが
自ずと立ち上がってくるみたいなそういう話
本の中では型っていうのと形っていうものも同じ音だよね
型と形って似てるけど
表出したもの形
それは本当に実体のあるものでもいいし
祭り踊り
あともう集落に伝わってることとか何でもいいんだけど
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それの中にはそれを伝えてきた人の精神性が
そこに現れているものだということで
脳っていうものが室町時代に生まれて
ずっと現代まで伝わってくる中で
その形で残ってきてるっていうのは
その動きが表すものとか
踊ってきた人の心みたいなものも
自分に降りてくるっていうか
そういうことなのかなみたいな
それ本当に面白いよね
文書とかさ
あとは個人の歴史の記憶とかさ
そういうものとは違う形で
記憶っぽいものが伝承されてるっていうことだよね
しかもそうだよね
文字にならない形でっていうのが面白いよね
文書で残された歴史を読んでもさ
その人がどう思ってたかとか
そういうことは想像するしかない
実際に実感はできないけどさ
分かんないけど脳の型をトレースするとさ
ひょっとしたら昔の人が感じていたこと
みたいなものも人の中に主観的に立ち上がってくる
そういうことがあるんだとしたらすごい面白い
ダンスとか歌とか踊りとか
ずっと昔からあったものだと思うけど
それは一種トランス状態に陥りやすいっていうか
陥るっていう言い方がするか分かんないけど
激しく踊るっていうことは結構我を忘れることだし
ゾーンとかトランスみたいな状態になった時に
例えば踊りを神に捧げるとか
そういう場合にいるわ神みたいな
ゾーンとかトランスとかの状態にならないと感じられない
何かがあるみたいなのが近くにある
ゾーンももともと神と対話とか神に捧げるために生まれたり
庶民の芸能でもあるけども
だからその時に踊りまくってとか
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何だかわかんないけどもしかしたらお経とかもそうかもしれないし
その動きや踊りやそういうものの中で
神がいるとか仏がいるとか
これを待っていた過去の人の心がわかるみたいな
そういう感覚があるのかもしれないっていう
やったことないんでわかりませんけど
そういうことがあるとしたら面白いよねっていう
いろんな真似をするっていうこと
コピーバンドやるとか
二次創作やるとかっていうのもそうかもしれないけど
真似をすることによってオリジナルで
オリジナルのものが持ってた心みたいなものを
体感するみたいなのもあるかもしれないよね
我々もね二次創作やる中でそのオリジナルの
作品の理解を深めていくみたいなことを
やったりしてるわけなんで
しかも同人漫画の場合は
やっぱキャラクターがいるっていうのは
骨組みがあるっていうことで
しかも書きたいネタみたいなものが
例えば同じ場合もあるじゃん
このキャラクターのこれを書きたいみたいなことは
ネタが被ってるっていうか
30年もあってさ
みんな大好きな関係性をそれぞれに書きたいと思って
ある意味その型にのっとって書くわけだけど
でもそれでも同じものにはならない
そこでなんか個性が滲み出てくるっていうのがあるのかなみたいな
我々は書いてないけどカップリングとかっていうのも型だよね
こういうキャラクターとこういうキャラクターの恋愛を書きたいとかってなった時に
そこは同じだけどやっぱり違う
書いてるうちにその個性が出てくるみたいなものかもしれないし
それこそ一作だけでは何作もとか期間を重ねて書いていくうちに
その人の何かが
もちろん表現だから自我みたいなものも結構滲むものではあるけど
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そうだね同時漫画は我々を忘れて書くわけではないかもしれない
忘れる我々を忘れている瞬間もあるかもしれないけどね
一時創作よりもやっぱりその自我の出る割合みたいなものは少ないんじゃない
オリジナルのものを作るっていう意識はあんまりないし
そもそも二次創作だからオリジナルありきだよね
それの偽物を作るっていうある意味ね
自分を見てっていう感じはなくはないけど
どうなんだろうねどれくらい個性をアピールしたいと思って
人が書いてるのかわからないけど
読んでて出てきたのは個性っていうものを近代とかあるいは西洋的な価値観とか
最近の感じだとその個性を伸ばしましょうみたいな言い方をされて
もともとその人その人が持ってる何かがあってそれを伸ばすんだみたいな感じの言い方もされるけど
それとはちょっと違う考え方だったんだなっていう感じがした
個性を表現しようとするんじゃなくて
自ずと出てくるものとして個性を考えるっていうことだよね
そもそも個性とかっていうものが輸入される前に
それぞれ違うっていうことがどれほどたっ飛ばれてたのかとかっていうのはちょっとわかんないけど
副次的に個性みたいなものが肩をなぞる中で出てきてたかもしれないけど
それは別にどれぐらい価値を持って考えられてたのかっていうのはちょっと疑問があるよね
芸能とかの世界だったらやっぱり個性とかっていうものがあったと思うけど
普通に生きてるっていうかそういう芸能みたいなものと無縁だった人にとって
何なら個人みたいな単語すらなかったわけじゃん
それも輸入されてきた概念でしょ
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人権とかね
人格みたいなものもそうかもしれないけど
そういう社会で今は他とは違うみたいなことを目指そうとしたり
オリジナルじゃなきゃいけないんだみたいな感じもあるじゃん
なんか創作するときはオリジナリティが必要だとか目立ってなんぼみたいな
誰かと違う自分でいたいみたいなものは
広く言われてるしそれを何かどこか内面化してる自分もいたりするよね
でもねそれを目指してると結構辛かったりする時もあるじゃん
私は結構小さい時に何になりたいかとか
どういう夢は何かとかそういうこと聞かれるの好きじゃなかったし
自分のその人よりも火出てるとかオリジナリティがあるみたいに思ったことないから
そういうの聞かれるのも嫌だったけど
何をやっても結果的に出てくればいいみたいな方が精神的にちょっと楽だなみたいな気もしたり
肩で言うとスラムダンクも肩を習得する気持ちよさの話ではあるなって思いました
花道が基本的に練習でいっぱい練習してそれを試合で発揮するのがすごく気持ちいいっていうそういう話
花道がどんなにすごいプレーを試合中したとしてもそれは初めてそんなことができるわけではなくて
その前に必ずそれをやったことがあったり見たことがあったりした
経験したことだけがその試合中に発揮されるっていうのはもう一貫してる
合宿の2万本シュートはまさにその肩を自分の体に馴染ませる2万本だったから
ひたすらずっと基礎練習をやってるところとか
ある意味ジャンプショットなんて誰でもできるものだけど
この漫画のタイトルはスラムダンクだし花道が最初にやりたいのは個性みたいなことなんだけどスラムダンクっていうね
目立つ
ぶちかましたいっていうところから始まるんだけど
だけどやっぱりバスケの面白さっていうか花道が見えだした面白さっていうのは
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繰り返し繰り返しその肩を体に馴染ませて
そして体が
もう何か考える前に体が動いてるっていう状態だったよね
本当にザファのラストとか
だからあそこで別に俺が派手なことをしてやろうみたいなことは1ミリも考えてなくて
だからもうね左手を添えるだけしかなかった
あれも肩だよね
花道は自我がむき出しの時には絶対うまくいかないんだよね
そうだよね
なんかやんなきゃってなってる時のシアセマ状態になった時の初試合の時のガチガチ緊張しまくり男だった時とかは
やんなきゃやんなきゃって思ってた状態だったよね
両南戦のインターハイ予選の両南戦の途中のところとかさ
あいつ全然周りが見えてねえみたいなことを洋平くんに言われてさ
だんだん集中してきて自我っていうのが薄くなっていって
体が勝手に動くみたいな状態になってくると
それまでに練習してきたこととかが自然と出てくるようになってきて
肩の話もっといろいろできそうな話戻るけど
日常的に頭で考えなくても体に刻まれてるなみたいな肩が刻まれてるみたいな結構あるよね
なんかトイレに行ってさ
まだまだ考えてないもんね
水を流したかどうか覚えてない全く覚えてないけど不安になって帰って振り返ったらちゃんと流れてるとかさ
家を出てさ鍵をかけたかどうか全く覚えてなくて不安になって帰ってくるとさ
かかってるとかさ
あとなんならなんか風呂場とかさ
もう目が悪いんで目で見てないもんね風呂場のあれこれは
そしてなんか動きがもうさ決まってるじゃん
それこそ肩のように
洗う順番とかもさ日によって変えたりしてなくない?
たぶん同じように動いてる風呂場で自分が
無我の境地で風呂の一連の動きをやってるっていうか
無我だからさ自分が今どこまでやったか覚えてないんだよね
シャンプー2回目みたいな
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わかる
あとなんかさゆずとかがさ
夏色をよくテレビ番組で言ってた
あれさあの多分もう何も考えてないと思うんだよね
肩のようにさ
もう歌詞とかさ覚えてる覚えてないじゃない
体が勝手に動いてると思うんだよねあれ
煽りとかも全部含めてでしょ
ウェーみたいなこう観客への声かけも含めて
全部決まった肩ができてる
頭の中だと今日終わったら何食べようかなとかそういうことを考えてそう
流れでやってるみたいなことは言わない
あれ歌ってた?みたいなことを覚えてない
歌い始めて気づいたら終わってるみたいな状態の可能性あるよね
なんか本当にテレビに例えば十何年とか出てて
でも歌うレパートリーとしては毎回新曲とかじゃなくて
やっぱり決まった曲をやったりすることがあると
結構そうなるのかもしれない
なんかだってテレビでもやるライブでもやる
しかもライブは多い年には何本あるんですかみたいな感じで
リハもあるみたいになったらもう自動化だよねって
でもなんかそういうのこそ本当に名人芸みたいなものなのかもしれないよね
なんかそれこそ他のことを考えてるわけじゃないけど
もう歌詞をこうしようとか
ここをこう歌おうとかっていうことが失われた時に
すごい良い演奏ができてる可能性ある
なんか私あんまり知らないけど落語とかもさ
同じ演目を何度も何度も繰り返してさ
あれも体になじませる感じなんじゃない?
あの文字ではない形で覚えるんでしょ?
多くは
なんか本があるわけじゃないよと
実際にリハよされしながらってこと
私その師匠から教わる時も実演を
脚本があるわけじゃないんだ
おそらく
なんか講談とかは文字で起こしてるのがあった気がするけど
落語はまあ人によるのかなもしかしたら
師匠とかにもよるかもしれないけど
そのままもらうっていうかそのままやるっていう
あれもなんかそうだよね
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言葉と動きとあるもんね
顔をこっちに向けてとか
この時センスをこうしてとか
こっちを向いてとか
何も考えずにできるところまで行かないと
人にも見せできないかもしれないよ
なんか考え始めたら飛びそうだもんね
そうだね
その方の中に心があるっていう
そうだね
なんかアイドルの形が
自分たちの曲をやる前に
先輩たちの曲を踊る文化っていうか
練習もそうだしバックダンサーみたいなこともそうだしあるよね
その方の中に何かあるんだろうね
アイドルの何かがさ
継承されるんだろうね何かを
方の中にある何かが
ローラースケートを滑ったりする
なんか落ちてくるんだろうねアイドルの何かが
そしてその中で個性が出てくるんだろうかって
でもそうね
なんか同じ振付で踊っててもさ
違うもんね
この子いいなって思う時あるもんね
そんなにアイドルをしてないですけど
そういう話になってくると
型を繰り返すことによって何かが温存されてしまうみたいな
そういう話がちょっと連想しちゃいますよね
それが良いものばかりではないかもしれないってことだよね
縦社会で繰り返し繰り返し世代を重ねながら
同じ型を継承していくことで
縦社会の悪い体制悪い性格悪い部分みたいなものが
温存されていくみたいなことを考えちゃうよね
そうだね
今ここまでは型によっても継承されてきた良いものみたいな
良いかわからない
どちらかというと良いものの話をしてきたけど
悪いもののパターンは多分あるね
そこに善悪はわからないけど継承されてるとしたらあるね
ちょっと思ったのは
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なんかその型の中に意味や心が現れてるっていうことでいくと
小学校で集会の時に集められて
2列で並ばされて先生の話を聞く時には退屈ありさせられてた
あれ型じゃねって思ったりした
なんかあれもその型の形の中にはどういう意味があるかといったら
秩序を大切にしろってことだし
一人一人っていうよりは綺麗に並んでいることが大切で
しかも先生の話を聞く時には退屈ありっていう
動きにくい没個性状態でそこにじっと座ってるっていう
それを強制されるっていう
それをやってる時は何もわからないけど
それが型として形として客観視した時にはそういう性格があるとか
それこそ学校集団生活
比率例着席みたいなやつとか
型だから何も考えないでやっていることの中に何かがね
特にね小学生のような柔らかい人間を型に押し込めると
すごい的面に効きそうだよね
秩序的な精神性を知らず知らずに植え付けるみたいな
授業や勉強の時には机に座って静かにしてなきゃいけないみたいなこともそうだよね
一種挨拶とかマナーとかって言われてるものもあれも一種型であって
その形によってその礼儀だったりとか感謝だったりとか
そういうことを表現する形なんだけどもね
良いものであればいいけれども
あまりその構成に残していきたくない文化や慣習もあるじゃん
今やとかもあるよね
それこそ何か感覚が変わったから
何かそれで言うと何かいいことなのかあんまり判断つかないんだけど
自分のパートナーのことを嫁って言う人いるじゃんね
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ある
それを何かどういう呼び方にすればいいのかっていうのは分からないんだけど
でも嫁じゃなくて妻じゃんそこは妻と夫じゃんって思うんだけど
一人称二人称だったらなんとかなるのよ
妻と夫で
なんだけど他者の場合になった時にさ
すごい難しくない
奥さんって言うべきなの
旦那さんって言うの
旦那許せねえって私は思うんですけど
なんでその家の旦那が
一方ではさ
妻だろうが嫁だろうが
奥さんだろうが
何かそこを何か
その呼び方の違いだけであって
何かあまり関係ないのかなっていう気持ちも一方であるけど
何か今の話だとさ
ここまでしてきた話だと
その方の中に精神性が保存されるみたいなところもあったりとかしてさ
でも差別語とかもさ
たとえこれまで使われてきた差別語が禁じられたとしても
また別の言葉が現れてきて
結局その精神性が言葉から言葉に乗り移ってさ
温存されるみたいなこともあったりとかしてさ
だから何か
嫁って呼ぶことに何か問題
事態に問題が
どれほどあるのかなみたいなことを考えたりしますね
でも
嫁って呼びながらさ
なんていうか
頭の中では対等な関係のパートナーですっていう
何かそういう意味合いで
ただその世の中的にその嫁
配偶者のことを嫁って呼ぶから
そう呼んでるんであって
実際の精神そこに宿ってる精神性は違う可能性もあったりするし
とかね
でもやっぱり
言葉も型の一つだなって思うよ
私は言語学もちょっとだけやってたけど
やっぱり意味あるよって思う
言葉が同じようなことを指し示してても
それが何種類かあるんだったら
やっぱりそのことに意味があるし違いがあるし
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っていうことを考えるから
使ってる側としてはそこまで考えてなかったっていうことかもしれないけど
でもやっぱりそこまで考えてなかったっていうのは
我を忘れた状態でそれを
頭で考えてないだけであって
その形の中には含まれている
身体はその精神性を演じてるんだよっていうことだよね
ありますよそこには
だから
あなたの旦那さんみたいなことを言いたくないんだけど
代わりの言語がないっていうね
それをすごい前から思いますね
それに対しては名前で呼ぶっていうのが
一番の解決策なんじゃない
自分の配偶者のこともそうだし
でも相手の配偶者の名前知らないときは
あなたの夫みたいな
どう言えばいいの
あなたの妻が
分からない
そこで尊敬語のややこしさとかもあるよね
お前のパートナーさみたいなことを
目上の人とかにはちょっと言いにくいよね
旦那さんっていう尊敬語っぽい
呼び方に対応する別の言葉
パートナーでいけばいい
パートナー
パートナーさん
伴侶
古風だねなんか
伴侶ってでも
俺の伴侶みたいな
お前の伴侶さって言わないよね
口語じゃないよね伴侶あんまり
文語だねなんか
レコーダーがチカチカしてきてるからこれ
そろそろ終わりそうな気がする
一回終わるか
そんな感じ
いろいろ
日常の中の方みたいなことを考え始めると
いろいろ
見つかる気がするよね
こんな感じですか
まとまったかわかりませんけど
まとまってませんけど
雑談なのでね
5月まであと1.5ヶ月
頑張ろう
我を忘れて体を動かします
そうだね
じゃあ今日これくらいにしたいと思います
36:01
ありがとうございました
おやすみなさい