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2022-09-05 11:26

#22【番外編】図書館小話その2『一斉に盗まれた〇〇』

図書館小話その2『一斉に盗まれた〇〇』

これは、あくまでも昔の記憶をもとにして、個人的な想いを振り返っているというだけのお話です。

(※一部の表現に誤りがあったので録り直しました・・・)

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この番組は、本が好きな人たちが集まり、
本から始まるさまざまな思い、
広がりを記録してつないでいく番組です。
図書館小話その2
〈一斉に盗まれた〇〇〉
これはあくまでも、昔の記憶をもとにして、
個人的に思いを振り返っているというだけの話です。
今回の話は、前回の話の頃と同じです。
前回のお話の頃とは違って、
公共図書館で働いていた頃のお話です。
こちらも、もう15年以上も昔のお話です。
大学の図書館と、自治体の公共図書館とでは、
同じ図書館という施設であっても、
いろいろな違い、
例えば、蔵書している資料の特徴に違いがあったりして、
これまた面白いのですが、
その話はまた別の機会にします。
公共図書館からある資料が一斉に盗まれてしまったというお話です。
皆さん、何の資料だと思われますでしょうか。
え、本って盗まれるの?と思われるような、
善良な方もいらっしゃるかもしれませんが、
残念ながら、図書館ではたくさんの本が盗まれてしまいます。
私のいた一つの自治体でも、
年間にしたら何百万円という単位でした。
街の本屋さんでも、
学生の頃に大型の書店でアルバイトをしていたことがあるのですが、
そこでも、この万引きの問題はとても悩まされていました。
おそらく本屋さんに限らず、
どの小売業界、スーパーでもコンビニでも、
大きな問題になっていると思います。
暗い気持ちになってしまいましたけれど、
実際に起こっている現実問題として、
認識しておくべきなのかなと思います。
その自治体、東京のとある区なのですが、
中央図書館から地域の地区図書館、
十数館ありまして、
複数の図書館で、
同時多発的に、ほぼ同時期に、
同じ類の資料が盗まれてしまったのです。
何の資料だと思われますでしょうか。
もう答えを言ってしまいますけれど、
03:00
その盗まれた資料とは、
小学校や中学校で、
創立何周年とか区切りの良い年のごとに作っていた冊子、
文集とか記念アルバムのようなものです。
当時の生徒の顔写真ですとか、
作文などもたくさん載っている資料でした。
それを私がいた図書館では、
貸し出しはしていなかったんですけれど、
図書館が管轄する地域の小中学校で作られたものを、
地域資料の一つとして、
別室みたいなところに普通に置いていたんです。
この事件を前後に、
それはもう全国的に図書館で置くのは見直されて、
おそらくもう目に見えるところには、
あのような資料を置いている図書館はないと思います。
なぜならば、その私の働いていた区だけではなくて、
東京中の他の区、市でも、
同時期に盗まれてしまったのです。
それは何か、図書館の中で事件があると、
自治体を超えて情報を共有するようなネットワークがあるので、
それは分かりました。
東京以外でも、いろんな地方で盗まれてしまったようです。
とっても恐ろしいです。
そんなことができる犯人は、もちろん個人ではなくて、
組織的な集団でしょうし、
当時の社会情勢と照らし合わせると、
なんとなく構造が見えてくるのですが、
犯罪の世界にも、情報のネットワークのようなものがあって、
〇〇がお金になるというような情報が出たら、
我先にと捕まらないように、
綿密に計画を立てて、
複数の人を動員して実行できるような組織が、
たくさんあるということです。
彼らの手にかかってしまえば、
図書館の万引き防止のシステムなんて、
子供だましのようなものでしょう。
この個人情報の塊のような資料に対して、
危機意識を持っていなかった当時の図書館も、
今考えると、
時代の変化について言い切っていなかったのでしょうし、
この盗まれた資料の行く末が、
一体どうなったのか。
想像すると恐ろしいです。
データになって、
売買されているのかもしれないですし、
盗んだ側は裏の社会の組織でしょうけれど、
それを買う側は、
きっと表の世界の普通の企業なども
多いのではないかなと思います。
個人情報の流出がたびたびニュースになりますけれど、
何万件、何十万件となると、
一体それがどこまでの情報なのか、
想像を超えるような形態になってくると、
何がどう使われてしまうのか、
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そういうことで、勝手にどこかに渡ってしまう恐ろしい世界に
私たちがいるというのは、
紛れもない事実でしょうし、
情報を扱う際は、
最新の注意を払わなくてはならないのだなと、
改めて思います。
そういえば、図書館にあった資料で、
大手企業の役職のある人たちの住所録のような、
分厚い本なども昔は作られていましたし、
日本の作者の住所が、
普通に載っていたりする時代もありました。
時代が変わって、
情報化社会では色々な面で便利にはなっていますけれど、
怖さ、悪用される怖さももちろんですけれど、
それらに花瓶になりすぎて、
社会全体や人の心にまで及ぼすような怖さもある気がします。
SNSなどでよく見かける、
自分の子供以外の人の顔や目に
全部モザイクがかかっていたりするような写真などを見ると、
私は世代的に古い感覚なのでしょうけれど、
人間の顔にモザイクを入れるというような行為、
その画像に対する抵抗感、
怖さは感じないだろうかと思ったりもします。
昔読んだSFの小説に出てきたような、
人間同士がお互いの相互監視の意識が過剰になっていって、
お互いの感覚が変わっていって、
自分の顔にモザイクを入れるというような行為、
人間同士の意識が過剰になっていって、
お互いが信じられなくなって狂っていくような、
ディストピア社会のようなものが本当に来ているのかな、
なんて大げさに思うこともあります。
私もこのようなことを今さら話をしたり、
後悔をしたり、どうなんだろうか、
どのように思われるのだろうか、
何がしたいのだろうか、
何か迫用されてしまうのではないだろうか、
と、ちょっとでも言わ気になると恥ずかしくて、
痛たまれないような気持ちになるのですが、
これも恐らく私は情報に惑わされて、
疑って、
何が何だか自分の心や本心もよくわからなくなっているのかもしれません。
何が何だか自分の心や本心もよくわからなくなっているのかもしれません。
タザイオサムの人間失格という有名な作品で、
恥の多い生涯を送ってきました、
恥の多い生涯を送ってきました、
という有名な冒頭の書き出しがありますけれど、
個人的な感想ですけれど、
私はとっても共感します。
自分のしたこと、
すること、
振り返ると何をもかも恥ずかしくて仕方がない。
個人情報が開示されることによる怖さ、
恐れる気持ちと、
個人の創作活動や、
表現をするという行為とでは、
遠いようで、表と裏のような近い欲求が
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元にあるのかなあなんていう気もしてきます。
果たして何が真実で何が嘘なのか。
果たして何が真実で何が嘘なのか。
自分の今の感情はどこから来てどこに行くのか。
本当の言葉なのか。誰が喋っているのだろうか。
誰にでもあるような承認欲求や
見地欲が抑圧されると、
突然して他者への非難になったり
攻撃に向かったり、
匿名の存在に簡単になれることによって
はせられるような責任から逃れた人の声、
その効果、影響。
話がどんどん脱線していって
しまっているような気がしますが、
このある地域の小さな過去の情報、
今回は学校の記念差しでしたけれど、
そのたくさんの当時の子どもたちの思いや
記録が集まったその温かい冊子を作った
当時の学校、関係者の気持ち、
時代を経てそれを盗み、
お金に変えた組織、
またそれを求めて収集し
活用するような社会構造、
それらの何となく安直に何か
考えられるような、
何となく安直に何かまとめようとしている
自分がいるのですが、
皆さんはこの一連の流れ、
関係性、変化をどのように解釈して
思われるのでしょうか。
今回はこの図書館で実際に起こって
強く印象に残っていた思い出でした。
これで終わります。
もし私も好きな本を紹介したい、
面白い話がある方がいらっしゃいましたら、
お気軽にDMをしてください。
たくさんの方に参加していただけたらな
と思っております。
ご視聴ありがとうございました。
次回をお楽しみに。大阪ブックラジオ
11:26

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