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2021-11-04 06:16

#9【自】命名の由来、人は簡単に死ねない、小学校時代のピアノ、水泳、野球の話について。

これから少しずつ、記憶喪失保険として自分の歴史について振り返っていきます。

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おはようございます、アキヒコです。今日は11月8日、木曜日ですね。
今日も昨日に引き続いて自宅で録音しています。
今日は何の話をするかということなんですけども、
むきまきの自分詩ということで話をしたんですね。
自分詩って何なのかということなんですけど、自分の歴史ですかね。
今考えていることは、これからいろいろ話していくつもりがあるんですけど、
記憶喪失保険ということで考えると、自分詩を作っておくというのは、やっぱりすごい大事なことなのかなと思いました。
自分詩をテキストにして書いておいたほうがいいと思うんですけど、
それはちょっと手間がかかるというか、ハードルが高い。
思いつく前にしゃべっておくほうが楽で、それを聞きながら後で書いていくという風にすれば、
全体的にやりやすいのかなと思います。
では本題です。
自分詩ということで、一回ノートの方に、物理的なノートですね。
こちらのノートの方に、今ちょっと私手元にあるんですけど、
生まれた年から今日の年まで、年表を書いて、何歳で、何、小学校はいつでとか、
それをちょっと見ながら話をしてるんですけども。
私は34歳で、34年前の1987年の7月に生まれたということですね。
名前が秋彦ということで、これは読み方は本名ですね。
これはあと3分くらいでどのくらい話せるのかなと思うんですけど、
全部話せなかったらまた次回ということで。
秋彦という名前がですね、秋というのは祖父の漢字が、
別な漢字なんですけど秋という漢字があって、
それを別な漢字に変換して秋と読む漢字があって、それで秋ですね。
彦というのは7月なんで、彦星の彦ですね。
誕生ですね、七夕の近くなんで、彦星の彦を親が預けてくれたということですね。
そうですね。
もの子と言ったらたぶん4歳か5歳くらいで、
私4人兄弟の末っ子ですね。女男、女男ということで。
末っ子で甘やかされていた面もあると思うんですけども、
なんとなくですね、人生にもその時嫌だなっていう、
あまりにも早いんですけど、生きててもしょうがない、死にたいなみたいな、
そういうふうに思った時期があって、4、5歳くらいですね。
幼稚園行く前だったと思います。
ほとんど顔をうずめて息ができなくすれば死ねるんじゃないかとか、
折り渡さずに頭を逆さまにして頭に血が昇れば死ぬんじゃないかとか、
そういうのを試していた記憶があります。
結局死ねなかったということですね。
その時学んだのは、簡単には死ねないんだということですね。
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生きていくしかないという、言語化していなかったですけど、
そういうふうな潜在意識じゃないですけど、
そういうのがもの子について思いましたね。
幼稚園行って、幼稚園は6歳になる年ですね。
1年保育だったので、特に友達とかであまり作れなかったんですね。
幼稚園をどういうふうに過ごしていたかというと、
私の記憶では10時間は紙飛行機を降りまくっていた。
紙飛行機を降りまくっている記憶しかないということですね。
一人で過ごしていたということですね。
幼稚園を行く前か、行った後かそのぐらいから、
水泳とピアノをやっていたんですね。
水泳は兄が前足で、水泳をやるとよくなるということで、
うちの親が会話を始めていて、
その流れで兄で姉、2番目の姉で私が見ていると、
行きたくなるということで、
私は自分で行きたいと言ったらしいんですけど、
全くそんな記憶はなくて、
途中からやめたいやめたいと思って、
結局平泳ぎまでやって、背泳ぎはできなくてやめたんですね。
だからバタフライは全然できないと。
ピアノは家の近くにピアノ先生がいたんですね。
小学校4年か5年くらいのときに亡くなっちゃったんですけど、
そこまでやっていたんですけど、
ピアノをやりたいと言っていたみたいで、
上野兄弟みんなやっていたんで、
ただピアノはあまり練習が好きじゃなくて、
1週間に1回なんですけど、
1週間に1回の5時くらいからだったと思うんですけど、
その30分くらい前から月曜日から月曜日から練習をして、
先生にもうちょっと練習すればできるようになるんだねみたいな。
結局それはあまり続かなくて、
先生が亡くなってやめたのか、亡くなる前にやめたのかちょっと覚えてないですけど、
楽譜は読めますけども、
両手でクラシック弾けたりとかそこまでのレベルにはならなくて、
今から思えばもっとやっておけばよかったなと思いましたね。
小学校ですね、1994年から6年間、
何をしたかというと、
スポーション野球ですね。小学校3年生からスポーション野球をやってました。
野球では、5年生の時にライトをやってて、
6年生の時にファーストで一番頑張ったんですね。
足が速かったんですね、小学校の時。
とにかく足が速かった。
というのは何でかというと、
小学校の集団登校の時に朝7時10分くらいに
集合場所に立って行くんですけど、
私は朝寝坊というか朝がダラダラしてて、
ご飯食べ終わったらダッシュで集合場所に走ってたんですね。
そのせいかどうかは分からないですけど、
すげえ足が速くなって、
小学校では野球で一番で、
フェフティバトルとか投げゴールとかで、
余裕で一塁に行くとか、そういうことをやってましたね。
だから足が速かったというのは、
いつの間にか速かったんですね。
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転生的なもの?
親からもらった体がそういう風になってたんだと思いますね。
そろそろオープンになっちゃうんで、
今日はこの辺にして、また来週の木曜日ですね。
中学校編から始めたいと思います。
ではまた。ありがとうございました。
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