1. おれたち LIVES MATTER
  2. #32 Future Is Born@ヒップホ..
2021-04-10 43:12

#32 Future Is Born@ヒップホップカルチャー(サブカル千夜一夜物語③)

サブカル千夜一夜物語/第3弾、ヒップホップ回後編です。
「1973年夏 まさしく闇に灯った松明 人々が忘れ去っていた街の片隅で誰かが歌い出す」(C)RHYMESTER - Future Is Born feat.mabanua
1973年、サウスブロンクスに生まれたこの奇跡は、わずか7マイルの円の中で育ち、その後全世界に溢れ出しすべての人種の心を焼き尽くすに至りました。
放火や強盗ではなく芸術と文化による抗争。想像力と人間性による闘争。
ヒップホップの誕生を僕たちと一緒に祝えば、もし今あなたがヒップホップに興味がなくても、ヒップホップのことがちょっと好きになっちゃうかもしれません。
「俺たちの仕事は、人生を生き抜くことである。そして迫害者になってはならない」これはとあるヒップホップ集団の言葉です。
これって、まさに僕らすべての人間の命題かもしれませんね。
「おれたち LIVES MATTER」は東京×鳥取から、自分らしく生きている人にも生きていない人にも送る、魂のデトックス番組です。
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00:13
おれたちライブスマター、おれまたは、人生を無理やり楽しむための人間参加キュレーション番組です。
みなさんこんばんは、今日も始まりましたおれまたです。まずは自己紹介からいきたいと思います。
三谷コーチの元シナリオライター、Shojiです。よろしくお願いします。
バッタン漫画家Kiwaです。よろしくお願いします。
最後に元ワナビーで、上京でウェブディレクターやってますYoshidaです。よろしくお願いします。
切らずにいこうか。
甘噛み一番恥ずかしいです。
おれにラップは無理だ。
ラップはおれも無理だ。Iwaちゃんが一番ラップうまかったりするよね。
そうだね、高校生のときモテたさがあふれた。
結構うまかったんだよこの人。
ということで、ラップ界を引き続き続けていこうと思いますが、よろしいでしょうか。
いいよーでいこうか。
だせえやつだ。
ラップの知識が薄すぎる。
もうよー以上出てこないもんね。
ということでね、今回は前回のちょっと軽く本当に軽くだけおさらいをしておくんだけど、70年代の頭、ニューヨークのサウスブロンクスっていうところが廃墟と貧困の町となっていましたと。
で、言われようはこのままではサウスブロンクスには走行車で行かなければならないなんてSFのようなことが起こるかもしれないとさえ言われていたと。
世紀末。
で、世紀末で北都の県の廃墟場みたいになってて、もうちょっとここからは物語っぽく言うよ、漫画っぽく言うよ。
あんまり重くするよりもかっこいい方向で行こうと思うから、紹介の仕方を。
それで、町には数々のストリートギャングが溢れていると。
多くのものが奪われて生まれた若者たちがそこで過ごしていますと。
主にね、黒人のね。
黒人とか他にラテン系とかもいたんだけど、白人よりもやっぱり黒人が多かった地域と。
で、そんな世の中なんだけども、そのサウスブロンクスを置いといて、世の中ではディスコが前世紀だったのね。
そんな時代感なのね。
ディスコってやっぱさ、ちょっと中流階級以上の人が集まる場所じゃない。
場所じゃないって言っても俺らリアル世代じゃないから全然知らないんだけど。
ミラーボールだな。
そんなディスコ前世紀の時代に、サウスブロンクスの人たちはディスコへなんか行けなかったのね。
で、何をしてたかっていうと、みんな音楽大好きだから、そこら辺の公民館とか公園とかでね、すごい友達同士のパーティーみたいなのをすごいやってたの。
映画とかで見たことある。
公園とかでやってた。
03:01
公園とかでやってて、野外だったりとかしてるんだけど、そういうパーティーのことがブロックパーティーって呼ばれるようになる。
今ね、そういうクラブ系とかね、ヒップホップ系とか専用のチャンネルでブロックFMってあると思うんだけど、あれって多分このブロックパーティーのブロックから取ってると思うのね。
このブロックパーティーって元々何だったかっていうと、第一世界大戦の兵士をたたえるためのパーティーとして行われたのが最初だったらしいね。
その名前を拝借して、みんなで身近にパーティーをするっていうパーティーのことをブロックパーティーって呼んでたと。
で、そんな中で貧困と崩壊の中で生きる若者たちが踊り出したと。
ついに。
なんかね、この感覚って日本人の感覚としてはちょっとわかんないかもしれないんだけど、なんかね、その同時代かちょっとヒップホップが生まれるよりも先輩になるのかもしれないんだけど。
このサウス・ブロンクスにゲット・オブ・ラザーズっていうね、プエルトリコ系とかラテン系アメリカ人の有力なギャングがいたのね。
で、ギャングで、ギャングだったんだけど、そこの副総長だった人が本当に好きだったのは音楽だったらしくて。
で、その人たちがラテンファンクロックバンドをやる音楽家でもあったのね。
なんか、ジャズ大名みたいな話だね。
ジャズ大名とはだいぶ違うけどな。
そうだね。
結局、ギャングって言っても音楽を愛してて、音楽家でもあってって、すごいね、やっぱ音楽って身近な人たちだったんだよね。民族的にも。
ちなみにね、このゲット・オブ・ブラザーズってね、サブスクにもあるよ。
唯一出してるアルバムがあって、俺聞いてたんだけど、この前。
あの有力サブスクにはね、このゲット・オブ・ブラザーズのほうが聞けるんで、ちょっと興味持った人はぜひ聞いてみてもらえたらいいかなと思うけど。
この音楽はヒップホップじゃないんだけどね、ラテンファンクとかだから。
そうやって、結局民族的にも地域的にもすごく音楽と密接にあったっていうところを頭に置いてもらっておくと、この後の物語がわかりやすくなるかもしれないね。
で、そういう中でちょっとかっこいいことを一つ言うと、ブルーズっていうのはミシシッピから生まれたのね。
で、ジャズっていうのはニューオーリンズから生まれたのね。
そして、このヒップホップはこのサウス・ブロンクスで生まれるんだけど、起源はジャマイカなの。
ここで最初の神を紹介します。
DJ Kool Harkという人を紹介しようと思います。
全然知らねえ。
ちなみにMCとDJってヒップホップとかラップではよく聞くコンビなわけじゃない、僕らが基本としてね。
今回はMCにもちょっといろんな時代の流れっていうのがあるんだけど、最初このヒップホップを作った神たちの話としてDJを中心に話していこうかなと思います。
それでまずこの一人のDJ Kool Harkっていう人を紹介しようと思ったんだけど、そのヒップホップが生まれたとされる日があります。
それは1973年夏です。
06:01
この1973年夏、まさに闇に灯った松明ってライムスターさんも歌ってるよね。
そっから来てるの、その歌詞って。
フューチャー・アイズ・ボーンってライムスターの曲なんだけど、これはヒップホップの創世記のことを歌った曲なのね。
ああ、そうなんだ。
この1973年夏になぜ生まれたって言われてるかっていうと、これがヒップホップの創世神話になるわけなんだけど、その理由はこのDJ Kool Harkっていう人が世間で有名になった日だからです。
このDJ Kool Harkさんはクライブっていう本名なんだけど、この人ね、幼少の頃ジャマイカで過ごした人なのね。
で、そっからサウス・ブロンクスに引っ越してきたんだけど、DJ Kool Harkの妹のシンディ・キャンベルっていう人がいるのね。
シンディって妹が。その子がブロックパーティーを開いた。主催者としてね。
で、その理由は、小銭をそこで稼いで、おしゃれな新学期用の服が買いたかったと。
本当に個人的なことだよね。ちょっとしたパーティーを開いて、そこで兄のKool HarkがDJとして出るんだけど、もともと彼はDJ志望で、
もともとね、ジャマイカで育って、その頃のジャマイカってね、人々に音楽がめちゃくちゃ密接な国だったから、めちゃくちゃレベルが高かったわけ。
で、そこで幼少期を育った彼は、めちゃくちゃ本物のサウンドシステムっていうのを知ってる人だったのね。
スピーカーだとか配線だとかね、いろんな音の作り方、パーティーでの爆音の出し方とか、機材的なこと。
で、その彼の父親もめちゃめちゃレコードコレクターのレコードオタクで、音楽オタクだったのね。
で、ジャズ、ゴスペルからカンドリーとか、もうありとあらゆる音楽を聴いてたのね。
で、その影響もあって、めちゃくちゃ音楽にも詳しくて、めちゃめちゃサウンドシステムを作る方法を知ってたKool Harkっていう人が、
パーティーをしたら人気が出たと、彼が。
そのヒップホップを生んだKool Harkが有名になった夜っていうことで、1973年夏がヒップホップの誕生と言われてます。
で、彼がヒップホップっていうものを生んだって言われてるんだけど、何で生んだかって言われてるかっていうと、
そんな有名になった彼がDJって、普通にレコードを掛けて客を踊らすっていう人たちね。
とにかくそうやってブロックパーティーの中で、ダンサーたちがバンバン集まって自己主張してる中で、
彼らをいかに踊らせるかっていうのがDJの腕の見せ所だったんだけど、
そうやってKool Harkが客がめちゃめちゃ熱く、どこで踊りだすかっていうのを、ずっと冷静に眺めてたのね、客のこと。
そしたらあることに気づいて、その客が一番熱くダンサーたちが踊りだすのって、曲の歌がなくなってる間奏のリズムだけになった部分だったのね。
一番グルービーでクールだって思われる部分がそこだったわけよ。
それを発見したKool Harkは、そのブレイクの部分が一番客が熱くなるっていうことが分かったKool Harkが、
レコードを2台繋げて、1曲のブレイク部分が鳴ってすぐ間奏だから歌に戻るわけじゃん。
そこの手前でもう1個同じレコードのブレイクを始めて、ずっとそのブレイクが続くっていう状態を作ったのね。
09:06
だから延々と間奏だけが続くの、リズムの。これが、いわゆる今で言われるブレイクビーツっていう音楽の誕生なのね。
ブレイクビーツってジャンルあるでしょ?これのことなのね。
ブレイクビーツってね、曲にもよるんだけど、ヒップホップのさ、後ろに流れてる曲ってさ、延々とループ音楽じゃない?
今時違うかもしれないけど、めちゃめちゃ基本的なヒップホップって、同じリズムだけが繰り返し繰り返し繰り返し流れてる中で、ラッパーがラップをするわけじゃない?
だからあの繰り返し繰り返し繰り返しリズムが流れてる音楽ってブレイクビーツかな?
これってね、作曲者にはめちゃめちゃ失礼な話だよね。
メインの部分いらねーっていう考え方だからね。
で、そんなブレイクに熱く踊る人たちの要望に応えて、ブレイクを永遠と流す音楽を作って、それがブレイクビーツっていうものになって、これが一つのヒップホップっていうものの要素なのね。
ヒップホップって何なのかっていうのも後で話すんだけど、で、今回はダンスについてはあんまり語らないようにするけど時間がかかりすぎるから、
このブレイクの中でバンバンバンバン踊るボーイとかガールのことをブレイクボーイ、ブレイクガールって名付けたのね。
つまりこれがBボーイ、Bガールっていう。
ブレイクボーイ、ブレイクガールの略なのね、あれって。
で、このブレイクボーイ、ブレイクガールたちがしてたダンスがどんどん進化して、今のブレイクダンスっていうのができてるわけ。
だからこれもヒップホップの重要な要素の一つ。
で、こうやってブレイクビーツっていうのを発見して、その中でBボーイ、Bガールっていうものと共に生まれたっていうのがヒップホップで、だから彼はDJクールハークはヒップホップを生んだ人って言われてる。
そんな中で1973年からどんどん有名になっていったクールハークが、1976年頃にはめちゃめちゃ有名人になってたの。
で、周りでこう言われるようになるのね、ブロンクスで金儲けをしてるのは誰だって聞かれたら、クールハークが音楽で金儲けをしてるぞって有名になるのね。
だから貧困でギャングになるしかなかった若者たちの中で、音楽でお金を稼ぐやつっていうのが出てきたの。
だからそんな彼はみんなを盛り上げる神のような存在になったっていうのがまず一人目です。
面白いね。
彼らって本当にめちゃめちゃ音楽好きだし、めちゃめちゃ音楽を愛してて、ギャングやりながらも本当は音楽好きだったっていう人がいたぐらいだからいっぱい。
だから暴力よりも音楽になった方が平和なわけね。
暴力っていうのはしたくてしてるわけじゃなくて、社会的に必要悪な状態だったわけなんだけど、
その中で暴力ではないね、膨大な量のダンスであるとか音楽っていうクリエイティブなエネルギーがね、このサウスブロンクスっていうアメリカ社会の底辺から今まさに生まれようとしてたって状態だったのね。
12:05
で音楽でめっちゃ儲かったクールハークっていう人が出てきて、マリファナ売ってるやつもパーティープロモーターに転身する方が儲かるようになって、マリファナ売るのをやめたっていうね、いい未来になってきたわね。
それでどっちかっていうと、暴力ではなくて音楽でみんなが盛り上がって楽しくなろうぜっていう文化が生まれてくるの。
ギャングみたいな暗いのじゃなくて、この中でもう一つヒップホップを構成する要素として大切なものが生まれてくるのね。
ヒップホップには基本的なフォースエレメンスって四つの要素があるのね、これも後で説明するけど、
魔法だな。 だんだん宗教っぽくなってくるんだけど、ゲームっぽくなってくるから面白いんだけど、今DJっていうものとブレイクダンスっていうものが二つの要素に出てきてました。
次第三の要素としてグラフィティアートっていうものがあります。 なるほど。
あの落書きね、街にある落書きね。バンクシーとかもグラフィティアーティストだよね、あの人。 セットなんだ。
そうそうセットなの。それでこれって説明が難しくて、日本の感覚で喋ると、俺もね日本人だからやっぱ日本の感覚で思っちゃうんだけど、商店街にグラフィティアートしてさ、みんな迷惑してるのとかってやっぱ印象があるわけじゃない。
あるな。 俺も日本人としては商店街の見方だから、やっぱあんまりいいことだとは思わないんだけど、
これはそんなサウスブロンクスっていう、正規末の街って言い方も本当は正しくないのかもしれないけど、こういう言い方しちゃダメなのかもしれないけど、ここはもうある意味神話として話すからそう言っちゃうんだけど、
放置したいな。 ああいう街っていうことを背景にちょっと置いて考えてもらいたいのね。
で、グラフィティアートっていうのは結局勝手に書くわけじゃん、犯罪として。それってその頃のサウスブロンクスってギャングの縄張りっていうのがガチガチにあったのね、やっぱ。
なんだけどそれに反抗して縄張りに抵抗して自由に書いたのね、彼らは。だから反抗だったのね。
それとギャングなんかの縄張りなんかないぜっていう、アート的反逆だったのね。書かれ方としては財産や礼儀を無視して独自の自由を表現したっていう、逆植民地化っていうやつね。そういう根底の魂があるのね。
ちなみにこのグラフィティアートっていうのはもう歴史っていつから始まったかっていうのはなんか諸説あるらしいんだけど、一応文献で最古って言われてるのは1965年にフィラデルフィアの有色人種地区で見つかってるらしいね、初めてのグラフィティアートっていうのが。
それはね思想とかじゃなくて黒人の少年が美少女の気を引こうとして自分の名前を落書きしたっていうのが最初だったらしいね。ロマンチックでしょ。こういうグラフィティアートっていうものもその頃に誕生しますと。
じゃあ商店街に日本人がこう少年がグラフィティアートをするのは縄張りなんてないぜっていうことだね。 難しい。
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まあそういうことじゃないよね。 自分自身に書かれたら流石にキレるだろうなと思うから。 ギャングじゃねーもんな。
こうやってグラフィティアートっていう第三の要素が誕生したんだけど、その次にもうクールハークの次の神のことを説明しようと思うんだけど、こいつが一番神っぽいんだよね。
そしてヒップホップのエレメンツもこの人によって提唱されたのね。名前をアフリカバンバータと言います。
この人も伝説のDJの一人で、サブスクにも音楽いっぱいあるよ、アフリカバンバータ。この人は結構長いことヒップホップ界では活躍して、これ神秘的な男で伝説の男で一番やっぱり神話感ある人なんだけど、
簡単に言うとDJだった人なんだけど、もともとギャングでもあったのね。で、ヒップホップ組織のユニバーサルズールーメーションっていうのを創設者のね。
ズールーメーションっていうのはヒップホップ組織でありながらギャングでもあったのね。
むずいな。
むずいんだよ。だから音楽とギャングが一緒なんだよね。文化の中で。で、彼はもう少年の頃からめっちゃ大物なやつで、ちょっとややこしくなるからね、ギャングの名前は言わないんだけど、ズールーメーションではない。
名前言ったらブラックスペースっていうギャングのメンバーだったのね。
かっこいいね。
かっこいいでしょ。で、ブラックスペースっていうギャングのメンバーでありながら、いろんなギャングにも顔が効いたっていう超大物だったのね。
で、そんな彼がギャングとしていろんなところを支配っていうかね、顔を効かせながら自分の支配力を広げていくのね、そのチーム。
で、そんな中で彼はズールー族っていう人たちが好きで、これ南アフリカにいた民族なんだけど、映画でね、ズールー戦争っていう映画があって、それを見たとき彼はめちゃくちゃそれに感銘を受けて、
で、それまでの映画ってなんか黒人ってやっぱ差別されるような描かれ方が多かったらしいんだけど、そのズールー戦争っていう映画の中では自分の土地のためとかそういう自分の魂とかもののために戦う黒人っていうのがすごいちゃんと描かれてて、
で、それを見て自分も誇り高きやっぱアフリカを起源とする自分の黒人の魂っていうものを高く掲げたいと思ったらしいのね。
で、そっからズールーネーションっていう組織もその名前はそっから来てるんだけど、ズールー族から。そんな彼がクールハーク、彼に影響されて彼も音楽を始めるのね。
それでどんどんそれが上手くなってきて、彼はどっちかというとね、クールハークがブレイクビーツを発明したっていうところがすごかったら、アフリカバンバータこの人も音楽大好き人間だったのね。
だから彼は選曲っていうのをもっと広くしていって、狭かった選曲をもっともっと広いいろんなジャンルに広げていって、最後にはね、この頃からMCってものもだんだん入り出すんだけど、ロックとかソウルとかファンクとかだけじゃなくてサルサとかね、いろんな音楽とか入れた。
18:11
逆にMCにマルコムXの演説までミックスして音楽作ったりとか、どんどん幅を広げていったのね。
なんか最近っぽくなってきた。
全然まだまだ神話の話だから、今のヒップホップからするともう昔々の話になっちゃうんだけど、
そうやってアフリカバンバータっていう人がさらに一個ヒップホップ音楽のレベルも上げたと同時に、
この人ってね、ズールネーションっていうヒップホップ組織っていうのを作って、音楽と暴力じゃなくてパーティーを始めて、構想とか暴力ではなくてクリエイティブとダンスっていうもので、そっちにシフトしていって、暗いのやめようぜってどんどん提唱していったのね。
だから暴力じゃない方向に持っていこうとしたのね。そういう意味ではこの人ってすごい人で、ただの悪いやつじゃなかったのよ。
で、そうやってもともといたブラックスペード団っていうギャングも、その自分の作った音楽文化集団のズールネーションっていうのに吸収させて、
ギャングではなくてヒップホップ組織を作って、さらにそこからね、いろんなギャングたちを吸収していくのね、その自分の組織に。
で、それは最後にはニューヨークを超えてね、ニュージャージーとかね、コネチカットまでもね、その近隣の州までもね、広がっていくんだけどね。
で、それでその時に彼はそのめちゃめちゃ支配力を広げていって、でも半分ギャングのような組織なんだけど、ギャング組織ではなくて音楽組織であるっていう、
ズールネーションという組織を広げていって、そこでヒップホップっていうのを提唱するのね。この人がヒップホップっていう言葉を生んだ。
提唱した。
そうそう、提唱した。ここら辺ってまあ諸説あるみたいなんだけど、一応一般的に言われていることとしてここは聞いてもらいたいんだけど、この人がヒップホップっていう概念を生んで、その中には四大エレメントっていうのがあると。
まさにね、火と水と土と空気のような四大エレメントっていうのがヒップホップに回って、宗教っぽくなってきたでしょ。
で、それはDJとMCとブレイクダンスとグラフィティーアートっていった。ここにさっきまで言った三つの要素とMCっていうのが加わってね、その四つからなるのがヒップホップといって、それは黒人の創造的文化を統合したものだとこの人が提唱している。
一応これが1974年の11月12日って言われてます。だから1973年にクールハークがブレイクビーツを生んでから1年後の1974年にはヒップホップっていう形になったと。
ちなみにこのヒップホップの四大エレメントって、その後に五大エレメントになったりとか最大九大エレメントにもなったりするんだけど。
ちょっとね、ちょっと俺四つでいいなと思ったからもう説明しないわ。
21:02
ややこしくなりすぎるとね、ちょっとなんか神秘的な感じがなくなっちゃうかなと思ったからね。
そうやってヒップホップっていう黒人の創造的な文化っていう誇らしいものっていうのを提唱して、バンバーターっていう人はクールハークが始めた楽しいパーティー。
暴力なんかよりも楽しい黒人たちのパーティーっていうものを信仰に変えたのね。一つ上のレベルを持っていっちゃったのね。
で、暴力ではなくてダンスっていうバトル、ダンスバトルであるとかMCバトルであるとか殺し合いではなくて平和的な解決のためにっていう構想の代わりの表現としてヒップホップっていうものを育てていったと。
ここってすごいのはさ、よく音楽なんかじゃ世界は変わらないんだとか芸術は何も生み出せないみたいなことを言うじゃない?よく。
こいつね、マジで社会変えてんだよね。
ギャングの構想を本当にこの人をこれで減らして、経済的な影響も与えたらしいのね。だからすげえ奴だなと思うのね。
この人って肩書きだけで言うと本当に神話を作ったような人で、ギャングスターだったわけじゃない。ギャングだったわけじゃない。
で、本当にこの人を平和に導いたピースメーカーでもあって、さらにDJとして音楽の幅も音楽的幅も広げた上に、
なんかね、さらにね、このエレメンツっていう言い方とかね、その他のなんかいろいろこの人が言ったこととかを読んだりとか見たりすると、
なんかね、神秘論者的だったりもするし、なんか本当に人を導く活動家のようにも見えたりするのね。
だからこの人、カリスマってこの人だなっていう感じの人です。俺のイメージの中では。
なんかあの、ヒッピー界とかビートニック界でできた、頭が良すぎてぶっ飛んでる人よりずっとこっちの方が共感度が高いっていうか、
なんかよりカルチャーな感じがしてね。
なんか本当に社会を変えちゃった人だなと思って、読めば読むほどスケールでかすぎるこの人って俺は思ったりとかした。
単純にかっこいいなって思う。
かっこいいでしょ。めちゃくちゃかっこいいんだよね。本当に自分の信念っていうものがあって、
ズールネーションって自分の作った組織があるわけじゃない。で、ズールネーションとはなんだって聞くと、
ズールの仕事とはなんだって聞かれると、それはみんなに言ってたんだけど、ズールのメンバーに。
ズールの仕事っていうのは人生を生き抜くことであると。心を開いて互いに真実を教えあって、
リスペクトしてくれる人をリスペクトして、迫害者にはなってはいけないって教えてるの。
かっこいいね。 すごいでしょ。ただここが面白いというか、一つこいつらしいなと思うところがあって、
ただし、ただしがついてて、そのズールの望む平和を望まない相手に襲撃されたら戦えって言ってるのね。
24:00
ギャグだ。
で、その頃ね、カウス・ブロンクスにはヘロインが流行ってて、一番やばいドラッグだよね。もう人生怖いんだよな。
有名なエンジェルダフトとかって呼ばれてたんだけど、その頃。で、仕方ないし、そういうドラッグに溺れる子どもたちも減らしたいから、
音楽としてはクソダセェって自分で思ってたらしいんだけど、簡単に言うとダメ絶対ソング作ったの。
言わなきゃダメなんだけど、自分の音楽的なセンスとしてはダセェなって本人も言ってたんだけど、
作っていいことをしなきゃダメだから作ったら、そのドラッグディーラーにね、襲撃されたらしいのね。
恨みを買って。
すごい世界観だ。
すごい世界観だよ、本当に。だけど、襲撃されたけど、俺はアフリカバンバーだって知らなくて奴らが襲撃したんだって逆に潰しちゃったのね。
すげえ。
すげえでしょ。
なるほど。
そのおかげでヒップホップっていう文化がすごい発展して、すごい世紀末の世界だったギャングのはびこる世界の衰退に貢献することになったと、この人。
うーん。
この人の話するとどんどん続いちゃうから、そろそろ次に行こうかなと思うんですけども。
はい。
そこで、ちなみにこの人が活躍して次に紹介する人も神の一人として紹介するんだけど、この頃の1970年代中盤のヒップホップって、アフリカバンバータがヒップホップとして提唱し始めたこの黒人の運動っていうのは、
サウスブロンクスの、これはねアメリカの言い方だから7マイル、日本だと11.2キロの圏内に収まってたすごいちっちゃな運動だった。この時点ではね。今ではね、世界一売れた音楽ってなったヒップホップなんだけど、この頃にはまだ11.2キロの円の中の小さな出来事だった。
そしてそこからさらに時は進んで、1977年に革命が、ヒップホップ革命が起こるわけなんですけども、その前にもう一人の神を紹介したいと思います。もう一人は、俺も音楽的には一番聞きやすくて結構好きなんだけど、次紹介したいのはグランドマスターフラッシュっていう人です。
へえ、ほんと全然わかんない。 わかんない。かすったこともないから。そうか、2020年代を生きてると、もう知らなければかすりもしない名前になっちゃうんだね、もう。 もう一回言って、え、なんて?
えっとね、グランドマスターフラッシュっていう人です。 超必殺技みたい。 超必殺技みたいでしょ。この人もサブスクでもバンバン聞けるよ、普通。で、このグランドマスターフラッシュっていう人が三大神の最後の一人なんだけど、この人ね、最初に話したね、クールハークとかね、アフリカバンバータとかね、またタイプが違うのね。
アフリカバンバータは超カリスマな北斗の拳みたいな男だったわけじゃない。はっきり言ってラ王みたいなカリスマ性があったわけじゃない。なんだけど、このグランドマスターフラッシュっていう人はオタクなの。ちょっと面白いでしょ。クールハークっていうのが、自分のジャマイカ仕込みのサウンドシステムというので爆音が流せて音楽的な基礎を作った。そしてアフリカバンバータが音楽的にも文化的にもそれを発展させたと。
27:00
それで次に登場するこのグランドマスターフラッシュっていう人、本名ジョセフ・サドラーっていう人なんだけども、この人は少年時代、別にね、高価な機材を持ってたわけでもなかったし、レコードコレクションも持ってたわけでもなかったし、ギャングの仲間がいたわけでもなかったのね。
普通の人ってこと? うん、普通の人なんだけど、まあ普通じゃねえんだけどこれから話すのが。ただ、こいつ徐々に奇妙な冒険に出てきそうなキャラで、そこら辺に捨ててあるラジオとかスピーカーとか何でも家に持って帰って分解して中身を調べるような少年だったのね。
普通じゃないな、普通ではない。 そこら辺に落ちてるレジスタとかコンデンサーとか変圧器とか、それこそAC、DCの仕組みは何とか、どういうメカニズムでこれが動いてるかとかを全部分解して調べないとダメな少年だったのね。
へえ。 オタク的に家にそれを持って帰ってはずっと分解したり修理したりっていうのを繰り返して、めちゃめちゃメカに詳しくなっていくわけね。
で、サウス・ブロンクスだからそこら辺の外ではなんかクレイジーな暴力事件が起こりまくってるわけじゃない。なんだけど全くそんなの無視して、家に引きこもって自分の世界に没頭してた人なんだよ。
ああ、本当にオタクね。 オタクでしょ。で、ガチオタで、さらにパーティーとかね、クールハークとかのパーティー好きで行ってたんだけど、明るいね、黒人の皆さんだからねパーティーがあるとね、ナンパして仲良くなったりとかハイになったりとかダンスとかバンバンしてるわけじゃない。
そんな中でジョセフ・サドラー君はナンパもせずにハイにもならずにダンスもせずにDJとか観客とか機材とか音楽とかパーティーのすべてをじっと眺めて研究してたのね。すごいでしょ、今度は。
で、それで家に帰ったら今度はDJが使ってたターンテーブルとかミキサーっていうのを理論的にずっと自分の中で解釈していって、ターンテーブルもいろんな種類が発売されてる中で一番強いターンテーブルってどれかって探したりとか、それとか針はどれが一番強いとかって色々探してみたりとか。
エンジニア機質だね。
めちゃくちゃエンジニア、科学の人だよね、この人。で、そんな中で彼はクールハーク、大人気のクールハークさんのDJプレイを見て感想を持ちます。ハークのブレイクビーツってめちゃめちゃずさんって思うのね。
神の。
神のブレイクビーツを。だからずっと2枚のデコードを繋げてビートを繋げていくわけだけど、彼のビートはずさんで規則的なビートになってないって思うのね。で、家に帰った自分はそのブレイク部分から切り出してどうやって始点と終点を繋げたら綺麗なループができるかっていうのをひたすら研究したのね。
それで練習もして、それこそさっき言ったターンテーブルのモデル、カードリッジ、レコードバリっていうのを全部調査して、一番回転力のあるサラとかめちゃめちゃ強いハリとかを全部探し出して、それを使ってレコードを1枚の中にある部分部分を全部区分化して計算して自然に繋ぐっていう技術を習得したのね。
30:14
そうやって彼はもう本当に技術っていうものを挙げたの。それでそこからさらにテクニックを磨きまくった後に、さらにショーっていうのも、ショーってあのパーティーのショーね。ショーっていうのもみんながどうやったら盛り上がるかっていうことも全部理論化してやろうって調べだして。
で、盛り上げるためにはMCってラップする人たちだよね。そういう人たちが必要で、自分のテクニックっていうのプラスMCっていうのに盛り上げさせて、自分は超絶テクと自然な音楽で踊らせるっていう、その2つを揃えればショーは盛り上がるって。
自分の中で確定というかね、自信を持って。で、そこでグランドマスターフラッシュ&ザフューリアス5っていうチームというか、自分のバンドって言わないな、この場合だと何になるのかな。自分のヒップホップグループかな。を作って大成功をするのね。だから、科学に今度は押し上げたね、宗教から。アフリカバンバータが宗教にヒップホップを押し上げたのを、今度は科学的な本当の技術的な音楽のジャンルとして設立させたのがこの人っていう感じかな。
で、ちょっとかわいそうなんだけど、このグランドマスターフラッシュが台頭してきた頃に、クールハークさんは時代を終わらせちゃった。
結局、このグランドマスターフラッシュっていう人が超絶テクのDJっていうのを走りになるのね。
そうやって、ヒップホップのレベルっていうのが音楽的にバンバンバンバン上がっていって、めちゃくちゃレベルの高い世界へと飛んでいくのね。
で、そうするとクールハークはそれについていけなくなっちゃった。
それで、クールハークはここから落ち目になって、もうそこから再び回復すること、回復っていうかね、再起することはないぐらいまでになっちゃうっていう、ちょっと寂しいことなんだけどね。
だから、そうやってヒップホップは新しい時代へ突入しようとしてるっていうのが、ここまでがヒップホップの創世紀の3人の話です。
だから、ここからいわゆる僕らがDJ世界大会とかで見るような超絶テクっていうのがどんどん生まれていくわけね。
レコードを逆回転させたりとか、グランドマスターフラッシュは全部発明したわけではないんだけど、肘でスクラッチしてみたりとか、
狙ったところに音楽鳴らしてなくても、レコードを覚えてれば針を落とすだけで、ぴったり自分のかけたいところから音楽かけるようなテクニック。
で、俺もめちゃめちゃDJ詳しいわけじゃないから、そういうパッと見の素人でわからないようなスーパーテクっていうのがバンバン生まれていきましたと。
で、ここまでがヒップホップの神話かなっていうところなんだけども。
そして、この1975年も過ぎて1977年、DJクールハークがピークを過ぎようとしてて、最初の神が終わろうとしてた頃に新しい歴史が生まれる事件が起こります。
33:10
これを最後に説明して、まずこのヒップホップ神話っていうのを終わりにしようと思うんだけど、これは1977年7月13日、めちゃめちゃヒップホップの歴史にとっては重要な日です。
何があった日かっていうと、ニューヨークの大停電があった日なのね。これってヒップホップ好きな人にはすごい有名な事件なんだけど、なぜ有名かっていうと、
1977年7月13日、それ以前にはヒーローたちがいっぱいいたわけじゃん。今までのクールハークであるとかアフリカバンバータであるとかグランドマスターフラッシュっていういっぱいのヒーローが出てきたんだけど、結局ターンテーブル買うにもお金がいるわけじゃない。
だからDJやりたくてもやれない子たちがいっぱいいたのね、子供たちが。なんだけど、このニューヨークの大停電があった翌日に、街にめっちゃDJ増えてたのね。
なんとなく。 なんとなく。あのね、一気にね、この1977年7月13日の次の日からめちゃめちゃヒップホッパー増えちゃったわけよ。
丁寧でね。 これってね、俺もね、一応商売してる一人だからね、ふたつな気分ではあるんだけどね、すごく。
だけどまぁ、めちゃめちゃ大貧困でね、ギャングになるしかなかったような世界の子供たちって考えたら、ちょっとまぁ、あんまり悪い方向ではないちょっと明るいね、ギャグっぽい捉え方をしてもらいたいんですけども、
まぁみんなね、DJ機器をいっぱいいただいたわけですね。そしてみんなDJ始めて、こっからヒップホップっていうものがどんどん世界に広がっていき、そして1970年代の終わりには、ついにはそのムーブメントっていうのは、ずっとサウスブロックスの7マイルの中で行われてたこのムーブメントは、その外へと溢れ出すっていう時代に入っていきます。
ここまでがヒップホップの誕生、創世紀、神話ってところかなと僕は捉えたので、今回は説明させていただきました。結構ね、はしょったけどね。時間ねえと思ったからはしょったんですけども、いかがでしたでしょうか。
ギャング文化から始まり、エンジニアライクな人が出てきてってすごい面白いなって思ってたんだけど、大抵伝でしっかり持ちがついたからさ。
コッシュはギャングなんだなっていう、なんかそういう印象になってしまうけど面白いね。 ただね、ここでもう一つだけ追加すると、決して褒められることはやってないっていうのは前提に置いといて話したいんだけど、アフリカバンバーだって人の話をしたわけじゃない。
でもこの人のやっぱ精神っていうのがすごくすごいなって俺思うことがあって、この大抵伝の夜なんだけど、買っ払っちゃったからいいことではないんだけど、買っ払おうとして押し入った少年たちはめちゃめちゃいたんだけど、強盗したりとか人を殺そうとした人はほぼいなかったらしいね。
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だから純粋に自分の欲しいものを手に入れようとはしちゃったんだけど、いわゆる本当の悪行みたいなことはやらなかったっていう。 悪行ではあるか。 悪行だけどね。
暴力沙汰ではなかった。 そうそうそう。物壊したりして入ってるから暴力なんだけどね。 そうでしょうね。複雑だね。
多分そういう我々の常識っていうのもそもそも危ぶまれるような世界観なんだろうなっていうのは聞いてると思うな。
面白いって言っていいのかわかんないけど、面白い話だね本当に。
なんかヒップホップのイメージでね、なんかそういう不良とかギャング的な俺俺、カレー持ってる、いい女抱いてるぜみたいな感じのものも多いじゃない、割と。
その文化ありきって考えると、ああいうものはあってしかるべきっていうか、そうなるものだったんだなっていう気がするよね本当に。
いろんな枝渡りするだろうし、音楽のジャンルでもあれ主張のジャンルであれ、なんかただただ悪ぶってるっていうよりは、
そうそうそう。
なんか笑うことがマナーみたいな感じでもあるのかもしれないね、場合によっては。
俺はタフなやつだぜって、主張しなきゃダメっていうね。
そういう工夫というか、そういう構えなんだろうな、バッティングフォームのジャンルなんだろうなっていうような気は聞いてたら思った。
ただそれが両手話にはいいとは俺も思わなくて、悪いことを賛美するようなこともいっぱい言ってたりするところもあってね。
それでいうと90年代のね、それこそ何度も出しちゃうけど、ニルバーナのカートコ・バーンはヒップホップについてどう言ってたかっていうと、
俺は白人がヒップホップするのはどうかと思うっていう、今の時代でいうとエミネムとかがいるから時代遅れになっちゃうんだけどな、彼の時代だから。
ヒップホップっていうのは黒人の文化だと俺は思ってるって言ったのと、あとは俺はヒップホップに関して悪い印象は持ってはいないけど、
ただ女性ベース的な表現は引っかかるね俺はみたいな、すごいねアメリカ人っぽくない?みたいな。
らしいなカートって思って、そんなシタビを読んだことがある。
だから捉え方はいろいろだよね、本当に。
そうそうそう思う、本当に。
なんかあくまでそういう音楽というか、ガチなやつはわかんないけどさ、
俺とかが日本で聞くようなものっていうのはあくまでフィクションとして聞いてる感じはあるから、なんかね難しいね。
あとはね、あそうだ、最新のヒップホップの話に富んで言えば、カーディービーっていう人が新曲出したのが、
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まあ卑猥な曲だね、女の人なんだけど、まあ卑猥な曲で、あんまり放送に乗って言えないんだけど、
タイトルは言わないようにするけど、タイトルは略語で書いてあるんだけど、
まあLAタイトルの曲で、私とやりたければ云々かんねんとかそんなことばっかり歌ってるような曲なんだけど、
今だとそういうガールズパワーっていう部分で言ったら、
女のヒップホッパーがわざと攻撃的なことを言うっていうのは、今までの女性が抑圧されてたりの反発として歌ったりするんだよね。
自分たちがこんな卑猥な曲歌ったらめちゃめちゃ叩かれるけど、男たちはずっとこんなことばっかり歌ってきたんだぜ、みたいなことを言ってたりとかね。
なるほどな。
だからある意味、すごく悪ぶってたりとか極端なことを歌ってるっていうのは、その裏には何らかのまた別の意図があってそれを表現してるっていう場合もあったりとかね。
わざと極端。
結構奥が深かったりとかするよ、この。
ヒップホップで表現してるものっていうのも。
さあ長くなりすぎるので、そろそろ誰かにまとめてもらおうかなと思うんですけども、どうですか?
いや馴染みがない。本当に高校の時、高校生の時とか流行ってるの聞いてたレベルだから。
あー話がまた長くなる。ただ俺も高校生の時ね、全然ヒップホップむしろね、好きじゃないとかって思ってた頃から好きになって、あの頃を思い返すと、
80年代の終わりから、それこそ90年代に日本でヒップホップやってた人いっぱいいるわけじゃない?それこそキング・ギドラとかね、俺もそれぐらいは聞いてたけどね。
あの人たちがね、このね、歴史っていうのにドハマりして、そのね、精神っていうのをなんとか日本でやろうって、
すごい新しいものをね、日本に溶け込ませるために努力してたんだなって、今さらわかった、俺は。
翻訳しよう、翻訳しよう。
そうそう、その頃はね、なんか悪そうな人たちが悪そうな変な音楽やり始めたなぐらいしか思ってなかったんだけどね。
そうだな、言ってたよな、ストッキング被ってるって言ってた話。
そうだな。
しゃべり豚野郎、なんだっけ、デトロイトメタクシー。
それはデトロイトメタクシーだ。
クラウザーさんじゃん。
そうそう、言ってた言ってた。
ひどいこと言うなって思ってた。
まあね、ヘビーメタラーとヒップホッパーはね、なかなか相容れないものがあったかもしれない。
そうだな、敵だよ、同時に。
では誰にまとめてもらいましょうか。
じゃあ、いわちゃんいきますか。
僕もヒップホップ全然、さっきもね言ってるんだけど、詳しくなくて、
自分が高校生の頃とか流行ってたいわゆるチェーラップとかね、言われてたんだけども、
ほんとメジャーどころのやつとかを聴いてて、その後なんかレゲエに流れていったりとか。
まあ、ルーツに流れていった感じだね、本当に。
なんかね、ラガーポップとかになったりとかして、
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なんやかんやしてるし、いつの間にかミクスチャーになってるんだけど、
今なんかオルタナと混ざってるなって気がする。
いろんなものごちゃごちゃだよね、新世代は。
ね、もう何でも混ざっちゃって、今やジャンルは何?って思うことはあるんですよ。
でもなんか今回のことみたいに、今回のね、千夜一夜みたいに、期限を紐解いてみると、
面白いよね、やっぱり。はっきりと、じゃあこれがヒップホップなんだとか、これがレゲエなんだみたいな風に、
自分なりの道標ができて、また音楽の楽しみ方っていうのが変わってくるのかなって気がするんで、
おのおの方もね、ぜひ調べてみてほしい。
いや、またね、レゲエっていくとね、また長い話になるんだよ、またこれが。
なるでしょう。なるんでしょうよ。
答えがいっぱいだね。
また機会があったらということで、はい。
そうですね。はい、じゃあそんな感じで。
では今日はこれぐらいで終わりにしようと思います。
ありがとうございました。
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