1. 空地的ジンブン学
  2. 「モーツァルトが分からない」..
2025-09-06 38:35

「モーツァルトが分からない」と不穏な2025年 学


背景の波形がレオス・カラックス『アネット』/松崎「モーツァルトが分からない」/明るくて楽しいものを真剣に捉えられない、不穏じゃないものにリアリティがない/西洋文化におけるエポックメイキングとしての世界大戦、階級社会の崩壊以後の不確かな社会基盤におけるリアリティ/2025年に大学生は自分探しをしない、意識高い系への冷笑/構造主義以後の作品の構造・奥行きの考え方/市川崑『野火』は今見ると何も怖くない、"不穏さ"は"処理しきれない情報量"/3DCGアニメや流行曲の情報量の多さとしての"ザワつき"/社会基盤が揺らいで社会ではなく世界を描こうとすることの不穏さ、既存の社会リアリティの流用/音楽の録音における別個のリアリティ/Mrs.Green Apple『ライラック』MVについて/向井秀徳の歌詞やMCは時代にそぐわないのか



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サマリー

このエピソードでは、モーツァルトへの理解とその音楽がもたらす明るさについて考察されています。同時に、2025年の不穏な未来に対する不安や、過去の文化と音楽の固定化がどのように影響しているかも議論されています。ポッドキャストでは、モーツァルトとショスタコーヴィチの音楽の違いや、現代の人々が旅行を通じて感じる不安について語られています。音楽や映画による情報処理と、その影響が不穏な社会環境にどのように関連しているかに注目されています。また、モーツァルトの理解の難しさや音楽制作の変遷に関する議論が展開されています。さらに、音楽の録音技術と、その影響がアートや社会のリアリティに与える不安感についても考察されています。ポッドキャストエピソードでは、音楽や文化に関するさまざまな視点が語られ、特にJ-POPやヒップホップの要素がどのように影響しているかに焦点が当てられています。これらの話題を通じて、現代の音楽シーンやサブカルチャーの変化にも触れられています。

モーツァルトと音楽の明るさ
こちらです。松崎です。中村です。
というわけで、ジンブン学、今日もやっていくわけなんですけれども、久しぶりだったらちょっと言えなかった。
やっぱさ、モーツァルト分かんないよね。
ちょっと待って、ダメだな、背景。
これでオシャレでいいよ。
これでいく?
うん。
波形で?
波形で。
お前さ、カラックスのさ、アレットの最初のスパークスがレコーディングするシーンじゃないんだからさ。
はい。
前も全く同じこと言ってた。
俺はアネット見てないのに、そのシーンだけ。
アネット入りのかっこよさめっちゃ覚えてるわ。
なんか行こうみたいなこと言って。
それアレで、うちの教授が、こうかっこいいんですよって言ってYouTubeでみんなに見せて、かっこいいってことになったから。
そうなの?
それね、お前の体験じゃない。
いやいや、俺映画館で見たらめっちゃかっこいいってなってる。
それね、それより先見てるよ多分。
え?
でも大学始まって、公開日の前とかに予告をYouTubeで。
大学で見たのか。
見たから、だからあの教室全員があれをかっこいいと思ってるから。
え、そうなの?俺お前と見に行ったよね、渋谷で。
行った行った。
あれね、偽の記憶。
え?いや、あの時にみんなでスタジオで音楽撮ってるとこ始まるんだよ。
で、それでガラクサがよし行こうって言ったらみんながスタジオから飛び出して夜の道を歩いてって。
だよな?
で、それでラストもそこをみんなで更新するみたいなところで終わるんだよ。
それ存在しない記憶。
え?俺あれ、大学の教室で予告編見てかっこいいってなった記憶かそれ。
正確に言うと。
正確に言うと、今からかっこいいものを見せますって教授が言ってみたから、かっこいいものを見るんだと思ってかっこいいと思ってる。
俺そんな素直かな、俺。そんな素直かな。
ま、確かにあれはかっこいいけど。
いや、てかね、でもね、なんかね、あれね、その、なんていうの。
すっごいものを見せるぞって言われてから見させられたから。
見た。
どうなんだろうね。あれ教室の中で嘘じゃんってなってた人も結構いると思うけど。
いやでもさ、あれよく分かんないけど、大学入ってガラクカの。
いや、マジで大学初回とかだよ。
大学ってどんなとこなんだろうみたいなさ、まださ、ちょっと大学に対して見上げ感があるじゃん。
その時に、いかにもアカデミシアみたいな教授が、これがね、映画なんですよって言って見せてくれた。
ガチの、映画学科の一番でかい座学だったよね、しかも。
一番でかい座学で。
1年生が最初にある時にはね。
一番経緯っぽい教授、教授が来て、今映画がこういうのやっててこれ見てくださいねみたいなね。
これが映画なんだっていうその。
あのー、そうね。
あのー、水星の魔女って言ったらね。
え?
今ぐらいだよね。
そうそう、だから水星の魔女って言ったら、だからあれだよ。
やって、あれよくして。
エアリアルのパンデルがこうビュービューってなってBGMがシュッってなって。
俺これ言われたから、俺が見た時にかっこいいわってなる。
そうそう、あれかっこいいわ、YouTubeで見るの。
それはなんかモーツァルトが分かんないってことだよ。
2025年の不穏な未来
モーツァルト分かんないよね、明るくて。
明るいもの分かんないよね。
分かるこの感じ。
明るくてちょっと有意味な感じってこと?
明るくて楽しいもの分かんないってこと。
え、それメランコリーな方がいいってこと?
いや、暗いやつがいいし。
分かるこの感じ。
いや、なんていうのかな、真剣なものとして受け止められないっていう。
明るいもの。
明るいもの。
ポップソングとか。
分かる分かる、その感覚は分かる。
感覚は分かる、なんか。
感覚は分かる。
感覚あるわ。
なんか結構、暗いものの方がインテリジェンスで
すごいなんかなんだろう。
そうそうそうそう。
あのー、すごいいいものなんだみたいな。
ナイブで暗いものがいいものなんだみたいな。
俺も割とそっち派ではあるんだよ。
でも俺も結構そういう人だと思うのよ。
というのもあるし、
音楽で暗いだけで明るいとか暗いとかないよなと思う。
俺は。
どんな明るい曲でも。
単純な話でもないんだけどな。
つまり、クラシック音楽ってこう歴史があるわけじゃなくて。
今は全て地球に歴史があるんだけど。
いや、いらない注釈。
いらない注釈。
だけどなんでも。
例えばさ、なんかバッカとかがあって、
モーツァルトがあってさ、
マーラーが。
ベートベルが。
マーラーになってて、その後は。
古典からロマンへっていう。
ロマン、ロマン。
ポストロマンへっていう。
で、新古典主義とかあって、
プロゴフィーフとかになると、
底抜けな明るさがない。
1900年代ぐらいにやっぱさ、
普通に戦争終わると暗くなるんだよ。
例えば。
だから19世紀の。
西洋文化だと。
ぐらいが、
ウェストフェリア系。
だから西洋文化の中で最もデカいのは第一次世界大戦じゃない?やっぱり。
だからあれよ。
文学もレマルクまでとレマルクよりは全然違う気がするし。
展覧会の絵とかさ、
ドボルズダークの新世界よりもさ、
バカみたいなメロがさ、
良くてさ。
バカみたいな。
バカみたいなメロディ良くて、
底抜けに壮大でみたいな感じになってくるけどさ。
20世紀入るとさ、
レナード・バンスタインのさ、
なんだっけ、一番有名なやつ。
ウェストサイドストーリー。
ウェストサイドストーリーの音楽ですらさ、
ガズオンとか、
ラグタイムとかでね、
おもちゃにしてさ、
ポップでファンキーな感じなのに、
なんか暗くない?
そもそもウェストサイドストーリーがちょっと悲しみあるしな。
哀愁みたいな。
ちょっと哀愁みたいなのがあるわ。
なんかさ、
メロディだけとか取り出したら別に、
すごいポップにできてるのに。
それからのインプレッションが。
なんかね、暗い気持ち。
うっすら暗いじゃん。
暗いってかなんか、
もっと突き詰めていくと多分、
明るくても不穏なんだよね。
分からない構造があるんで。
見えない構造が多くにあるっていう。
だからなんか、
そういうさ、不穏さみたいなのがさ、
ないとさ、
がさ、
染み付きすぎてるんじゃない?
だからその不穏さを、
作品の奥行きだと思ってずっと楽しんできたみたいなこと?
っていうかなんか、
不穏なものじゃないとリアリティがなくなるの分かる?
2025年が不穏すぎて。
お前も不穏だし、
文化と世界観の固定化
世界も不穏だから。
なんかモーツァルトとか聞いてると、
なわけあるかい?みたいな。
カーペンターズとかね。
カーペンターズ不穏なんだよな。
カーペンターズはめっちゃ不穏じゃね?
カーペンターズのメランコリッサも、
メランコリッサもちょっと気楽ではあるけど。
だからアホみたいに、
明るいものが流行った時代っていうのがある。
アホみたいに明るいものが流行った時代。
でも逆にさ、
平成漫画とかさ、
今読んでも面白くないみたいなのさ、
ちょっとあるじゃん。
前番組で喋ってたじゃん。
平成の、
ノリがきつい。
ノリがきついとか、
雰囲気が面白くないとか。
あと、あの、
あれだ。
俺スカパラがね、
そういう意味でね。
スカパラみたいなね。
だからああいうビートとか、
リズムとかで作ってた音楽で、
底抜けに明るいものっていうのが、
一番苦手なジャンルかもしれない。
はいはいはい。
スカね。
あの、そう、スカ。
だからスカよりもダブよね。
うんうん。
ツンチャツンチャツンチャね。
やっぱりあの、
ダブ。
レゲエよりもダブだよね。
うんうん。
だからレゲエよりもダブの方が
いい音楽みたいなことになってるよね。
わかる?
レコード屋行って高いのは
ダブのレコードだから。
確かに。
今、なんかレゲエ、
そう。
そんなかも。
ボブマーリーってなんか、
そういう、
ボブマーリーとかじゃないよ。
まあでもそう。
まあでもわかるよ。
ボブマーリーを今、
みんなが聞くかって言われたらね。
あれもあるんだよね。
だからさ。
犬にね、
いいらしくて聞かせてるの。
ああ、そうなんだ。
だからなんていうの、
単純にあれもあるよね。
モーツァルトの時代とかは、
階級制とか、
格好してあるから、
農民の子供は農民にしかなれないし、
そう。
っていう、
社会自体が固定化されてるから、
流動的じゃないからこそ、
わかるさがある気がするんだよね。
てかそのさ、
文化が作られて、
音楽が作られて、
演奏されて、
聴かれるっていう、
その一連の営みの中の、
基盤みたいなのがさ、
全然しっかりしてる時代じゃん。
世界観がしっかり。
世界観がすごい揺らがない、
上で成り立ってるものだから。
だからよく言うじゃん、
自分探しが始まったのは、
近代以降だっていう。
職業選択の自由とかになってから、
自分が何者にもなれるから、
じゃあ自分って何なんだろう、
という問いが生まれ始める。
そのなんか、
世界観を構築するところから始まるからな。
今はな。
なんである世界観を、
その世界観じゃなきゃいけない理由も、
作んなきゃいけないし、
物を作る理由も必要だし。
自分が生まれた瞬間に、
自分の土地があったら、
違うだろうな、
その感覚は。
そうだろうね。
東京っぽい考え方なのかもしれないけど。
でも2025年っぽい感覚であると思う。
自分探しっていうテーマが、
生まれないっていう話は、
誰かがしてたよね、最近。
誰かがしてたね。
でも逆に今、
自分探しも戦死な、みんな。
自分探し時代じゃないっていうよね。
だから大学生がチャリで
日本を一周する時代じゃなくなったって、
めっちゃ言うよね。
あれはね、
あれなんだろうね。
そういうのやってる奴に痛いみたいな。
のもあるし、
そういう風な、
それも合計して、
若気の至りっていうのがどんどん減ってる時代じゃん。
だから本気で、
ハチクロンみたいにさ、
マジで悩んで、
蜂蜜のクローバーってさ、
ガチで悩んでる時に、
家の部屋の冷蔵庫を開けて、
冷蔵庫に何もなくて、
空っぽの音がして、
ブーンっていう。
俺も空っぽだっつって、
財布だけ持って北海道までチャリ漕ぐの。
どんだけ悩んでも。
だいたいあれだもんね。
僕は100日後に日本一周する、
大学生みたいな所を留めてるからね。
そうだね。
発信もできちゃうからね。
そういうでっかいことすると。
発信することによって、
接続されちゃうからね。
旅行と青春の葛藤
世界と一緒に。
だから自分一人で、
自分一人の悩みを見るためだけに、
北海道行くみたいなのもないんだから。
っていうのはだから、
高校生かなんかが、
チャリで日本一周するチップとか上げてんだけど、
正直今3前みたいなこと言ってないけど、
仲良くなったおじさんがいて、
そのおじさんの家に2日連続で泊めてもらってて、
進まなかった。
1分間。
面白い。
100日間で世界一周するって言ってんのに、
日本一周するって言ってんのに、
2日間仲良くなって泊まっちゃったんだ。
しかもおじさんにおごってもらって、
焼き肉食べて、
お風呂行って、
お前がんばってなおじさん。
おじさんもあれだったね。
1回こう、
おじさんが1回さ、
貧乏な旅じゃなくて、
裕福な楽しみを。
旅としては面白いけどな、
途中でいろんな人に会うと。
必死でおじさんが泣いて。
でもあれでしょ、
1回なんか深の布団と、
出てくる食事でこう。
でもなんかさ、
いってもさ、
ロードムービーとして一番泣けるのはそうじゃなくない?
なんかトマト揚げるとか。
それは分かったけど、
何か2日泊まってんのが、
2日泊まるのかも。
1泊でいいよな。
2日泊まってる前の2泊目は、
なんか居心地よくて甘えちゃってるからな。
そうそうそうそう。
でも高校生だから甘えてもいいんじゃないの?
いや別にそんな、
俺厳しい空気。
お前がんばれよみたいなことじゃないよ。
全然違うんだよ。
俺思うんだけどさ、
その手のやつはいっぱいあるけどさ、
俺は見たことないよ。
100日かけて一周して終わったやつ。
俺の観測範囲。
分かる?
ショート動画でずっと追ってるわけじゃないから。
でも分かるよ。
でもそれってさ、
別に本当に100日かどうかはね。
でもさ、今あれさ、
コンテンツとして機能するやん。
多分昔ほとんど全員がやってんだよね。
昔。
その日本一周みたいな。
ナップザックで旅行するとかさ。
大学生の基本的な行為みたいな。
分かる?
だから俺らさ、
なんとなくバイトするじゃん。
お金困ってなくてもバイトは、
大学生バイトするものでするみたいな。
のはうっすらとしてあるじゃん。
バイトしてないわなんかお前変だよってなるじゃん。
みたいな感じで旅行してんだよ絶対。
俺親とか感じるもんそれ。
中田博士が悪いんだもんね。
え?中田博士。
あれな?
世界一周してから、
なんか世界規模で考えてますみたいな。
もう知識人みたいな。
中田博士がな?
帰ってきたじゃん。
ブラジルでわーって続けて。
結構ありそうじゃない?それ。ガチで。
中田博士帰ってきた中田博士の痛さみたいな。
でもああいうの意識高い系で練習をする時代がさ、
10年代から始まっちゃったじゃん。
それやっぱさ、大学生が本気で頑張るっていって
手短にやるものってそんなないから。
その中の一つの意識高い系例えば
企業頑張る、インターン頑張るみたいなのを
意識高い系っていう風にくくっちゃったから
大学生がそんな挑戦できない。
だって村上悠木も言ってたよ。
音楽と不穏な感覚
村上悠木もなんか旅行してて
トマトもらったのがめっちゃ嬉しかったみたいなこと書いてあったから。
それは普通に旅行でトマトもらった。
アナリクラスの女の子に手引かれて日本一周したの?
違いますよ。
村上悠木のことはそのエピソードでしか記憶してないよ。
河川直の横のな?
河川直。17歳。
新聞紙を広げて。
それは風呂場大きい系。
河川直でね。朝日新聞の上でね。
朝日新聞の日曜版の上でね。
日曜版の上でね。
3人目の女の子ね。
リテールが。
読みすぎだろ。
それは小5の時に
女の子に手を引かれて隣の教室に行ったのが
僕の初恋っていうのが
現体験みたいなのが
で、そのまま旅に出たんでしょ?
そのまま旅に出たのは大学生の早稲田次第ですよ。
河川直で女の子から柑橘系のシャンプーの匂いがしたのは17歳。
村上悠木は17歳。
じゃあ時系列的には女の子に手を引かれた後に
シャンプーの匂いがして
その後、ジャズ喫茶をやる前。
20歳前後。
新宿の六肩にいた時代ですよ。村上悠木は。
その時に北陸に行って
大学がやってなくてさ
暇だったの?
大学がやってない時期。
学生の時期。
北陸に行って
歩きとナップザックだけで
ショッて行って
その時に
田舎に育った時に
農家のおばあちゃんに
トマト食べなって言われて
トマト1個もらった
トマトが人生で一番うまいって言ってた。
もうちょっと噛んでいたのが欲しいよね。
なんかあれだよね。
水仙の魔女みたいなことね。
水仙の魔女みたいなこと?
補給食みたいなこと?
水仙の魔女みたいなこと?
みどりが育ててるトマトみたいなこと?
それはまた話が違うよ。
それはスペースコーナーだからね。
モーサルとの話も異ろいよ。
モーサルとの話も異ろいよ。
世界観がスタティックじゃないから
不穏なものの方がリアリティがあるっていう。
でもそれこそ、だからこそ
たぶんいかんのだよね。
あと構造が見えないっていうのが大事だと思うよ。
いわゆる隠された構造が奥にあるみたいな風に
見えない構造があるわけじゃん。
構造が明確だったからさ。
社会環境もそうだし。
でもさ、奥行きとか世界の不穏さみたいなのってさ
奥にそういうのがあるから面白いみたいな感覚がさ
構造主義以後の考え方ではあるじゃん。
それはあるくない?
構造主義前ってさ、そういう感覚さ
全部表面だったのかな?
全部表面ではないんだけど
奥に構造があるってことは
俺らからは見えるけど
作り手の中に奥に構造があって
っていうところからスタートするっていうのがなかったんじゃん。
構造主義によって構造主義っぽい作り方が生まれたというかさ。
全部表面だったらテクストロンだよなと思って
全部表面なのがテクストロンだよなって今思っちゃったんだけど
構造とかじゃなくてもっと監修とかなんだろうね。
接続する場所の問題なのか
あともっと手が覚えてるみたいなことだと思うんだよね。
近代以前の話って。
今思いついたのはね
思いついたのはこの前市川コンの
ノビの4Kレストアを見たんだけど
あれは夏の時期にやったの
あれはレイテだよね。レイテの戦線で
カニバリズムの話だよね
カニバリズムと男子に変わるんだけど
あれで戦争映画が入るわけ。
だから戦争のシーンがあるわけじゃん。
あとは突然恐怖のシーンがあって
カットが変わって
音楽がアクターがいるじゃん
ちょっとピアノがジャーンってなるだけとか
弱いんだよね今見ると
衝撃の演出が弱いわけ
ピアノジャーンだけでカットが変わって
観客がめっちゃ恐怖するようになってるはずなんだけど
ピアノが薄いって
もうちょっとわざわざ厳密に言うと
今のジャーンだけじゃないんだと思う
ジャーンバリバリドカーンみたいになるじゃん
ディズニー映画みたいなことでしょ
不穏な瞬間にジャーンってなって
ジャーンだけで観客がびっくりした時代だと思う
古くてある絵に合わせてBGMが鳴って
それだけっていうBGMがサウンドとなる
カットの切り替えも遅いし
展開も遅いからずっと
よくできてるしいい映画
だから今見るとタルいよなって思って
慣れてるミッキューとかも今タルいけど
YouTubeで鬼滅の無限城見せたらさ
違うじゃん情報量が
カメラも
無限城の時代に
市川くんの戦争映画なんか
何にも怖くないんだよね正直戦争映画だけど
メッセージとか内容は分かるけど
単純に戦闘シーンだけを切り取った場合の
見てる時のうわっていう感じは弱い
映像から来るこっちの心理的な恐怖感みたいなのが
どうやっても反射的なものが薄いってことだよね
分かる分かる
なんだろうそういう意味で
ここからが今思ったことなんだけど
もしかしたら
漢字っていうのは不穏さじゃなくて
情報処理の多さなのかもしれない
不穏さっていうのが
だから奥にすごいでっかくて
こっちが処理しなければならないような
大きなものが奥にあるから怖いだけで
手前に分かりやすい
いわゆるタルいカット割り
情報処理と社会構造
タルい音楽だけでパッと分かっちゃうものだったら
奥にあるものがないから
それ以上観客が
同一平行で流れてる時に考えることがないから
怖くないってことね
チャーなんだけど戦争映画でカニバリズムなんだけど
なんか見てると結構ボロボロしてる場合がいるんだよね
映画という作り考えたとき
映画の作りとして考えると
映像の作りとしては
こっちの恐怖心とか
やべえよくないみたいなガッてくるものがある
わりと映画を見てる時の
劇場での姿勢は結構リラックスしちゃう
引き込まれたり気づいたら姿勢が変になったり
映画ではない
って考えるときに
最近明らかに3Dアニメの時代になってから
ザマザマそれでも見てるやつ
カメラの動きとかね
ザマザマするのが
一種そういう
ドーパミン中学の
ガキのための音楽ミセスグリーンアップルみたいな
ライラックね
本当にライラックもそうだよね
聴いてる間に
処理してる音の量があまりにも多いんだろうね
あれって快感であると同時に不穏さでもある
不穏さだから快感でもある気もするし
情報型なことが
それは不穏さっていうよりも
っていうだけな気もするな
今俺が言ってた話が
モーツァルトとショスターコンの違いみたいな話が
モーツァルトが単に
手前の情報量しかなくて
お前が受け取るスケールの大きさが
すごい低い
読みとかね小説とかあるとめっちゃ怖いんだけどね
だから
クラシックの高級曲の歴史で考えると
ショスターコンになると
ピアノとか
ピアノを打楽器として使い始める時代的に
相手はパルトークンがいるから
あと単純に
マーチング的に打楽器が鳴るじゃん
ずっと
ショスターコンの五番の四楽章が一番
ショスターコンが有名だけども
ずっとジャンジャンジャンジャンジャン打楽器が鳴ってるわけ
モーツァルトは打楽器にならないじゃん
そういう風に打楽器が使われないじゃん
そういう意味で
情報量が増えてるっていうのもあるかもしれない
いやでも俺どっちもな気がするな
社会構造の
基盤の確かさと
情報量
そこに相関関係があるのか分からないけど
どっちも受け取る側としてはある気がする
小説考えたらさ
キリスト教でキリスト教の世界観で
モーツァルトの理解
聖書に習って書かれた小説はさ
そんなにワンダーがないんだよ
ある程度ディケンスとかも
最終的にはこれなんだろうなっていう
小説はすごく上手くて
なるの分かるんだけど
結局こうなるんだろうし結局
前世の話だし結局
道徳的な話だしっていうのがあるじゃん
だけど
戦争からさキリスト教的世界観が
壊れてその社会のことより
世界のこととかを書こうと
すればするほどどんどんどんどんさ
入っていくところが深くなっていくから
基盤みたいな問題あるかも
人間の感覚
とか身体からそのまま
繋がっているものが
なんかアートだみたいなことでも
時代が
終わったのかなというだけの
気がする
前提となっている情報というか
例えば
ラノベとか
高校で部活があってっていうところが
すごい前提で進んでいくからさ
その社会のリアリティを
そのまま小説に持ってこれるじゃん
だけど小説で
リアリティを積み上げていくパターンはさ
そもそもの情報量と不穏さが
生まれやすいじゃんやっぱり
既存の価値観を引き
社会の形とか
情報とかによってない
使ってないっていうのが
あるからね
あんまりそういうのを使わないっていうのが
いわゆる人文学における美学でもあるわけだし
使わないけど示すみたいなことだし
でも情報量が
多いから不穏だっていうのは
わかる
だからその最近の
最近の
って出てこないけど
例えば米津玄師とかさ
パッと聞きながら何やってるのか
全部わかんないように作ってあるじゃん
ライラックもそうだけどさ
もうだんだんやっぱり
録音技術の進化
そういう風になってきたけど
例えばギターがギターとして聞こえないとかさ
ドラムはドラムか
楽器は楽器としてわかる
パッと聞いただけで
わかるっていうのは不穏じゃないじゃん
メロディの作りとかね
構造が見えない
歌の歌詞の載せ方とかね
一つのメロディ
音歌に対して一文字だとね
バカっぽくなるじゃん
バカっぽくなるっていうか
牧歌的になるじゃん
そこに舌と
ぶわーって重ねてね
そこにリズムを寄らしたいとか
複雑になって
世でやることなくなって複雑になっていってる
っていうのもあるな
でもなんか聞いた時にさ
これ4人バンドで
4人が一発で録ってっていうのは
めっちゃ聞いててそんな不穏ではないわけだもんね
例えばギターが2人いて
ベースが1人で
ドラムが1人で
誰がどういう風に演奏してるのかが一聞きでわかるっていうのは
不穏ではないしね
音の作り方とかもね
そういう意味では変わってきてる
確かにミセスとかだって
何人何個の
あれが
そもそもレコーディングの
話やっぱずるいような
気もするけど
元々だから
古いロックとかさ
50年代とかのレコーディングとかってさ
一発録り
一発録りなのもあるし
ドラムを例えばドラムだけで60年以降の
ビートルズとか
ドラムの音を録るっていう時に
今ってさ
ドラムのキックの前にマイク置くのよ
そういうイメージある
でも冷静に考えたら
耳で聞いた音に一番近いのは
2メートル離れた音とかなわけじゃん
昔は結構そういう録り方してるんだよ
ヘアナリーで録るって言い方するけど
割とドラムの前に立って楽器として聞こえる
そのままの音っていうの
でも今割と主流でみんなが
割とそういうもんだと思ってる
サウンドってすごい
全部ベタ付けで録って
そうだからすごい近くですね
ハイハットチャカチャカチャカと
キックが鳴ってて
てかドバドバ動くみたいな
だからその
みたいな
部屋で楽器が鳴っているみたいな感じを
聞いてる時の奥行きがあるイメージではない
全く別格のリアリティとして
音楽と社会の関連性
出来上がってることだよね
ヘアナリーとは別の
レコーディングされたドラムの音としてのリアリティっていうのがある
みんな慣れちゃってるから
録音されたものを聞くってことに慣れてるから
ヘアナリーである必要がないってことだよね
うん
まあ
ヘアナリーとは別で定義されてるじゃないですか
ドラムの音っていうのは
シンプルに技術が育って
いろんなことが出来るようになったからっていうのもあると思うんだけど
ライダックとかさ
明らかにさ
例えば
ライダックを普通の楽器で
コピーバンドで
全部普通の生楽器でやりますと聞いて
前で聞いた相手には聞こえないのよ基本的には
そういう音楽ではないのよ
確かに
ライブハウスで聞いてもあんな問題ない
そういう風に自然に作ろうみたいな
自然に作ったものとかが
別に強い力を持つわけではないんだろうね
それこそ一加工みたいな
それは示唆的だよな
ライダックの用具って
確かに大盛り10人くらい出てくるもんな
そうなんだ
見たことないんだけど
大盛り10人くらい出てくる
いろんな職業の大盛りが出てくる
話聞いたわ
ライダックのPVの話だけ聞いたわ
ライダックのPVを批判してる話
ライダックって
どういう世界観の曲か知ってる?
一回聞いたことあるけど
テーマはどういうテーマか知ってる?
知らない
自分が自分じゃなかったみたいな感じある
ゾンドサルトルみたいな話じゃないよ
もう一人の私みたいな
みんな辛いことあるけど頑張ろうねみたいな
そんなバカみたいな話しかない
あれはだから
大人が精神を解雇する
っていう
方なんだよね
だからなんていうの
いろんな大人が出てきて
高校生を見守る
みたいなMV
終わった後見てもらえばいいんだけど
最初
高校生に対して失礼で回るってことね
むしろ
双方
だから
説明を聞いてから考えたんだよね
ごめんなさい
ごめんなさい
大森素朴とか
メンバー3人が全員高校生なんだ
ちゃんと教室の中にいるんだけど
で、大森が歌ってるのやっぱ
すすれで
って歌うだけ
って言ったら
カッと変わって先生が振り返るんだけど
その先生が大森だった
はい
で、とかいろんなシーン
高校生活でいろんなシーンがあるんだけど
そこに出てくる
街の魚居のおじさんとか
工事してる人とか
が全員メンバー
大人になった
自分が見てるみたいな
双方が見合ってるってことやん
違う見合ってないから
高校生の自分が魚居
高校生は自分を見守ってる
逆はないやん
覚えていようぜから
あ、そうなんだ
開古系YouTuber
ライダリ系YouTuber
だから
そういうやつなんだけど
大森素樹が演じる
魚居とかの車居とかが
すごいテンプレ
魚居の気がいい
おじさんテンプレみたいな
工事関係者の
いわゆる
土木みたいな
映像タイプのロールプレイをして
何もオルタナティブがない
リアリティもないし
非常に
暴力的な
長所的にラベリングしてるわけでしょ
そうそう
それをカリカリしてやるのが
面白いと思ってるのが
大森素樹の助けてのセンスと一緒だなと思ったし
コロンブスとかもそうだし
あれが結構
萌えないことがびっくりするくらい
見てるとあれは
ビックリしちゃうんだけど
映像作ってる人の普通の価値観ではない
そういうやつが
一番売れてるんだ
っていうのもあるし
そういうやつがチャートのトップなんだろうな
あれを魚居が見たらどう思うんだか
とかはないんや
微妙に
やりやすいものでやってるよね
魚居とか
コンサルトがいないんだよ
そりゃそうだろ
競偶がさ
病気の人とかさ
そういうのでもなくて
単純にさ
大人っていう
過去を振り返るに対する大人っていうのを
時間の体積として見るんじゃなくて
一個のステレオタイプのロールプレイ
出てくるのが魚居とか
あと工事関係者
なんかあとは
消防署とか
なんかあるし
日本がそういうのに甘い
ちゃんとスターで
音楽をやってる大森もときが
その姿勢の人々を
に対して
すごい姿勢の人々を
やってるっていうのがすごいなんかね
嫌な余裕を感じる
やり方の中でも
ちょっと嫌な余裕があるってことでしょ
ちょっと舐めてんやろな
政治家とかも入れないとダメだろっていう
いうのもあるし
1位の人々を仕事でラベリングするっていうのもね
だからかあんまり話してない
でもそれってなんか
そこに切れてるみたいなことなんじゃないかな
そうなんだろうね
っていうのも若干思う
絵本の世界観でさ
戦う人は消防士
かっこいい大人は
あれ?
たかし君は
家を出た5分後に弟が
家を出ましたに対して一緒に出ろよって言ってるじゃん
違う違う違う
子供には
魚居は
そこらへんの大人を大人として普通に書くんじゃなくて
魚居とかよく見かける
だからそれを見てるのが
俺らはもう大人の魚居顔なの
そのライラックの
PVで
だからこのラベリングは大森本紀が
って思うけど
あれを見てるのは高校生だから
見られてる側
で俺らが
私たちが
きっと大人になったら
今は懐かしくなるんだろうなっていう
先取りをね
そういうのがダメなんじゃないの
だからそういうのがやっぱさ
中井の技とかでさ
観覧が全部
一気に格好したお姉さんとかなのがさ
女性の視線への
モノ感の始まりがあるみたいな
観覧が女性しかいないみたいな
もう俺は
腹からクソ割ってんなと思ってるけど
それに目覚め
それが内面化されるわけじゃん
バラエティの女性アシスタントとか
女子アナウンサーとか
めっちゃでも日本じゃない
大森本木の
PVがいけるのってめっちゃ日本じゃない
でもあのMVのね
大名とかそういうのうるさいイメージある
面白いところはね
ロケ地とかの
必要上
なぜかわからないけど
高校の帰り道が
再開発の工事をしてるさらちになっちゃってることが
俺はめちゃめちゃ面白いんだよ
取れないじゃん街中でなかなか
強化的に
はからずのバラックしか
プレハブしかない
最近舗装された
アスファルトを
高校生が歩いてるっていうのが
はからずの現代日本への
批評さえ持ってしまっている
逆になだから
過去を掻き消して過去を
音楽と文化の視点
創用する音楽なのにその
過去がバラックの中にいる
再開発されているっていう
あれは誰も作り手は
意図していないんだろうけど
そこにさ
作り手の意識が回ってない時点でさ
やっぱさ
普通に映像を撮ってたら
この時に映り込む
それで高校生の時代を
創用するような映像を撮るんだったら
高校生の時に抜けぬ絵はめっちゃ大事
そこバラック再開発の地域で
撮るわけないじゃんだからそもそも舐めてんだよ
これで終わっちゃうやん
でもねこういうのは俺別に
曲は好きってことだもん
でもあれだと思ってるけど
ライラックさ
ライラック初音ミクバージョン
この前会った時見つけたじゃん
初音ミクバージョンあるじゃん
初音ミクバージョン聴いた?
初音ミクバージョンめっちゃいいよ
歌詞が入ってこないと
ボーカルが歌詞を聴かせるまで
ただ1個の楽器になり下がった瞬間
割といい音楽が聴こえる
ライラックそういう事しなくても
歌詞が入ってくるとダメなんだよ
ミセスパープルは
歌詞がダメだよ
かっこよい今の
ミセスなんとかアップルはさ
歌詞がダメなんだよ
フィッシャードチップス
フィッシャードチップス忘れらんねえ
英語版とか出してくれれば
聞けると思います
英語版ダメだから
いいよエイトの香水
英語バージョンの話はいいよ
あれってすごいいいと思うよ
エイトの香水は
歌詞がいいから
歌詞が面白い
日本語交互分体の
新しい
分体だと思うよ
ドルチェガンドガバーナを
アクセントにしてるとこすごいいいと思ってる
結構そこで一気にさ
あの分体の中で一気にガッと
運動が起きるじゃん
曲的にも運動が起きるし
あのね
香水はちょっとね
一万字書いてもいいくらい歌詞すごいと思う
でも見てよ今の僕を
崩んじゃった僕を
ってありえなくね
人を傷つけてまた泣かせても
何も感じ取れなくて
さあさあ
売れていい曲じゃなさすぎるじゃん状況が
確かに
そういうところも来るって
J-POP的で結局
そういうことを言った後に結局
ドルチェガンドガバーナ香水のせいだよっていう
強いオチって締める
でもなんかシンプルなリズムと
シンプルな余興で曲を進めていくから
あとあのカジュアルな言葉っていうのが
わりとHIPHOP由来だし
あれは実は
あれレゲエっぽいけどな
Aともともとそっち系の
出身だしね
向井修徳みたいでよかったけどね
水筒ナントカップル
パフューム3人に求婚されて
吉岡理宝と結婚するって言ったらしいけどね
全部イメージ応じてしまう
そうだよ
今の説明だと
パフュームから求婚されるシーンがあったわけじゃない
全部
マネキンになっているパフュームを
見ている向井修徳がいて
マネキンの3人が
ある日見ている向井修徳に恋をして
店から飛び出すの
それで3人で
争いを始めて向井修徳が
争いはやめてって叫んで
吉岡理宝と結婚したいらしい
でパフュームとの対バンの
MCで行ってたらしい
俺めっちゃ行きたかったんだよ
俺結構そういうのも
時間切れな気もしてきたな
向井修徳の
そういうゲーム
日本のサブカルのそういうゲーム
かなり消費期限が近いなって
向井修徳の歌詞が消費期限切れてる
マジで
この前のアルバムとか
マジで誰も聴いてないだけじゃない
歌詞ちゃんと聴いてないだけじゃない
向井修徳だなって思って
向井修徳だなって思って
ありがたがってる人だけしか聴いてないから
価値観ありで
初見で聴く人がいないから燃えてないんだけど
俺めっちゃ好きだけど
座禅って元々そういうバンドじゃね?
桃色団長がやっぱ
どんどん座禅がそういうバンドなのも
ナンマガガってそうだし
っていうのもあるし
そもそもどんどん
ニゾンブですから音楽なんて
ナンマガガの価値観がシーラリンゴっぽい
シーラリンゴはそれで歌われてる女の子を
やってるわけやしな
マッピルマガールの女の子をやってるわけやし
あと
ミセツクリーンアップル聴く人と
座禅聴く人マジで関係ないっていうのもあるし
今はもう
本当に関係ないから
だからなんか
ヤバいところはヤバいところでずっともう
延命し続けるような気もするんだよな
それぞれの分断があって
現代の音楽シーンの変化
じゃあそろそろ終わりますか
という東京です
池袋から
分断がありますからね
で終わる番組ヤバくない
いや
いやこの番組を通じて繋がっていくわけ
分断があるということだけで
敵の敵は味方
いやいやもう番組中に充電するのかっこいいわ
なんか
岡田斗司機のあの3月の5日間で
じゃあ今から休憩とりますって
忍者が言って休憩するみたいでかっこいいよね
というわけで
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ありがとうございました
そろそろ季節変わるってことは新しいの撮らないといけない
あと3ヶ月くらい先でいいや
夏終わった
あれ春編でしょ
あれ5月くらいに撮ったっけ
あれ春の終わり編だから次に晩回に撮んないといけない
そろそろね
じゃあ夏の戦災写真もね
新しいのに変えてみるか
じゃあ夏の終わりでなんかあの
閃光花火みんなで3人でしながら撮るか
浴衣着てな
俺がシークレットベース歌ってな
え?誰が欲しいのよ
ありがとうございました
38:35

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