1. 空地的ジンブン学
  2. #9 エゴン・シーレ展に行く!
2023-03-15 36:58

#9 エゴン・シーレ展に行く!

東京都美術館にて開催されたエゴン・シーレ展に行った感想を話しています。
00:01
藤原です。
松崎です。
中村です。よろしくお願いします。
というわけで、今日エゴンシーレ展、テオポルト美術館エゴンシーレ展、
ウィーンが生んだ若き天才、東京の美術館の方に行ってきたわけですけど。
そんなタイトルだったんですか?
そんなタイトルだったんだ。
藤原くん、しっかり見てたもんね。すごい時間かけて。
君たちがすごい早かったよね。
結構じっくり見るかどうかって分かれるよね。
趣味の話だけど。
見方ってあるじゃん、人それぞれ。
なんであのスピードで見れるの?
ファーストインプレッションが大事だから。
俺もそうだな。
文章読んでた?
文章はほとんど読まない。
美術館にある文章、誰の口で読めないんだよね。
なんか、変に説明的にされるとちょっと引いちゃう時あるじゃん。
俺、まず絵見て、自分の中に1個感想を持った後に文章を読んで、また見直していって。
真面目に見てる。
真面目だね。
あと合間の開幕のさ、今回は14章に分かれてたけどさ。
そんなあったの?
14章はあったっけ?
9章だけ写真撮影できてた。
1章ごとのさ、最初の文があるじゃない。
あれを読んでるとちゃんと文脈がかかって面白くない?
あそこを読んだ。
絵の下のちっちゃい人は読まなかったわ。
絵の下のちっちゃい人も読んだよ。
キリがあるなって思った。
でも、ストーリーが分かると展示の目的が分かって見やすくはなるけどね。文脈が分かって。
俺、ああいうのを見る時にさ、自分が一番分かんないと思って見てるからさ。
見た後に、分かんないなり見た後に一応解説受けるかな。
特に今回の絵本シリーズのやつさ、他の作家の作品結構入り混じって置いてあったじゃん。
あそこを読まないとちょっと意味が分からなくなる。
誰が誰の作品で、あと文脈が分かんないと。
それは正しい見方なのかもしれない。
俺らはそれやらないから。
絵の下のやつは別に読まなくても良さそうだった。
あれ、Apple Musicのアルバムの説明文くらい。
そういう感じはする。
絵を見るのと文字を読むの違うんだよな、単純に自分と。
速度感がさ、文章を読むとずれてるから、ポンポン見てる時に。
でもなんか、絵と情報が一緒になっちゃってると絵の感想がグッチャになっちゃったりしそうだよね。
それはよく言うじゃん。
だから俺が見てる時は歴史だけを抑えた。
この時のこういう心境でこの人が描いたっていうのだけなんとなく抑えてみるって感じ。
心境までは分からないけど、どういう状況で。
タルコフスキー見た後に考察サイト見ないのと一緒だよね。
タルコフスキーの考察サイトは多いよね。
タルコフスキーは割とストーリーがあるような映画とかで結構。
結局分かりませんでしたみたいなやつないの?
一番下に行ったらそれ書いてあったけど、
いろんな作家の背景とかからこれがなんでこうなったのかみたいなことを書いてあったりすると、
なるほどね。
見ないっていうのもね。
03:00
でも絵のしたのは何て言うんだろう。
例えば絵を見た後にああいうの見ると、
普通にここの曲線がどうとか見てて気づかないのはあったんだよな。
普通にあと山の斜面の風景があったのが覚えてる。
あの時に山の丘陵の線と道の下にある道の線が逆方向になってるのが構図的にどうみたいなのが書いてあったりとかして、
ああいうのはパッと見ただけじゃ俺とかよく分かってないから、
そういうの見るとこういうところが一種では評価されてるんだなとか思ったでしょ。
見て分かんないこと分かんなくてよくないっていう意見もあるよね。
でもせっかくお金払ってるしねっていうぐらい俺は。
別に特にポリシーがあるわけじゃない。
なるほど。
なんか構図特徴的だったよね。
よく言われてることだけど、
俯瞰みたいなその話。
書いてあったからな。
それこそ文章に書いてあったからね。
そうね。
一章派以降の風景の切り取りみたいな。
でもね、あれだったね。
一章から14章に至るまで話すことが多いよね。
いろいろ何て言うんだろう。
別にやってることが変わってたりもするしさ。
聞く文脈はあれど、何が印象に残りましたか?
俺ね、両手を合わせる少女が結構良かったね。
両手を合わせる少女良かったよね。
てか、あれだろ。
あれ。
何て言うんだっけあれの。
ドローイング?
ドローイングのやつ。
ドローイングのやつはあのでっかいやつじゃなくて。
あれ違ったっけ両手を合わせる少女って。
ちょっと待ってごっちゃになってる。
でも多分合ってる。
あれでしょ?
両手を合わせる少女でしょ?
真ん中が明るくなってるやつでしょ?
そうそう。
あれは絵のキャプションで読んでびっくりしたんだよね。
真ん中が明るくなってるから、
あれが縦の構図の少女と横の明るさで十字架みたいになってるって書いてあって。
十字架作るのはあるあるあるあるだよね。
西洋会が。
あるあるあるある。
でもリヒターとかもよくやってた。
俺あんま手の中行かないんであれです。
あれ良かった。
なんかちょっと俺さファーストインプレッションじゃないわけ。
正直家に画集とかあったし。
だからなんか興味あるときは割とこう、
なんかどういう気持ちで作ってんの?とか考えんじゃん。
どういう風に作ったのか。
ちょっとなんか不完全なものの方がなんか。
だから完成されたいわゆる有名なやつよりもそういうのが気になった。
これかな?
祈る少女生涯墓断片2。
それだね。
アルビン・エッガー・リンツかな。
これじゃない?
それか。
それがね、割と良かったな俺の中で。
エゴンシーデってやっぱさ、
他の作家と作品と狙いでみるとさ、
なんかなんだろう、
すごい焦点が絞られてるよね。
06:02
ドローイングとかもそうだけど、
顔と手だけ焦点があって他はなんかピンとぼけてるみたいなの多かったよね。
それがなんかすごい特徴的だなと思ったわ。
松崎君は何か印象の答えありますか?
俺ね、あれだよ。
それこそさっき言ってた山梨さんのやつかな。
これなんだっけ、名前もタイトル覚えてないんだけどさ。
え?ってタイトル覚えないよな。
タイトル大体一緒だから。
割とそのまんまだからね、書いてあった方が。
タイトルないやつも良いじゃん。
山梨しゃべるやつとか良かったな。
それで?なんで?
あれかな、エゴンシーデの山腹の村かな。
秋の森の虎になってるやつかな。
そうそう。
なんかね、え?っていいよねって、
はっきり書かないでさ、色彩をぐちゃっと並べるだけで風景が出てくる。
現れてくるみたいなところが良かったよね。
風景画も人物画もそうだけど、エゴンシーデって結構剥き出し感あるよな。
そうね。
なんかこうなんだろう。
断面図感強いか。
断面図感あるかもしれない、俺の中で。
人とかもさ、血管見せるじゃん、人。
顔青く描くじゃん。
血管見せる感じ。
なんかこう、剥き出し感強いよね。純粋さというか。
俺今日風景画で面白いと思ったのがさ、写真より矛盾があるのが面白いと思ったわ。
実際写真にするともっとカクカクしてるし綺麗に矛盾なく写るけど、
まあそうだね。
なんか一個目があるっていうかさ。
その、どれだけ結構エゴンシーデって最終的には写実的か、そういう方向に行ったみたいなのが書いてあったけど、
それでも結局なんか一個目通してるなって思ったのが良かったな。
そう、確かにね。
なんか、すごいなんかそこは時代もちょっとあるよね、その表現主義。
その表現主義っていうのがあれだよね、写真が出てきて、絵画が何が出てきたっていうところだから、
写真、まあだから何、写実からは離れていくっていうのがある流れとして。
あの、祈る少女と同じ作者の森の絵良かったな。
あのさ、雪、あのさ、雪がさ積もってる森の中の絵。
あったね。
雪が積もってる森の中の。
ちっちゃいやつ?
大きい。
割とでかいやつ。
あれ超良かった。
あれなんかこう、湯彩の絵ってこうだよなと思った。
なんか厚みで雪の積もりぐらいが分かるのと、あとそのなんていうんだろう、色の光の入り具合がすげえ良かった。
エゴンシーデンのやつで良かったのはね、あの自画像のやつでさ、
あれ、自分を見つめる人。
はいはいはいはい。
あの、自分ともう一人なんか。
あれ、死を、死のやつ?
そうそう、生と死のやつ。
で、自分を見つめてる、自分と自分を見つめる人がいて、その前に自分と自分を見つめる人じゃない手が伸びてて、その画面の右側にもう一つ顔があるみたいなのが、あれ良かったな。
09:03
なんか他の作者と比べるといい意味であの時代性がないよね。
その雰囲気が分かる?
なんかすごく、なんかもっと自分の中にある、詩的な感じが。
なんか内部さが重要みたいなことすごく書いてたよね。
なんかあのでっかく上の方に。
そこら辺やっぱ自画像を見てて面白かったな。
なんか、なんかその、俺その文字はさ目に入ってるから読んでるんだけどさ、
なんか体から光が発せられるからそれを受け取ることが重要みたいなこと書いてあったじゃん。
うん、あったね。
それ見て結構思ったわ。やっぱこの人取り出してるんだなと思って。
その絵だからさ、要素取り出すわけじゃん。
浮世絵の影響を受けたってのもあるけどさ、やっぱりその、重要なところをメインにして書いて、他はなんか、なんかなんだろう背景みたいに抜くみたいなところは結構あってね、そういう。
だからやっぱ俺結構剥き出し感が強くて、なんか、あーなんか、なるほどねって思って結構。
なるほどね。
薄っ!
分かる分かる。いやでも分かるよ。
てか浮世絵っていうのがその表現主義の中で大事だったのかなっていうのがめっちゃ分かったっていうか、浮世絵って版画だからさ、
だから、そうそうそうね。
例えばさ、こう、にじみとかさ、そういうことはないじゃん。少ないね。
すごい迷路な色使いだっていうのが表現主義、絵本シリーズの絵とかもさ、割とこう、なにこう、にじみとかそういうこう、なんだろ、ぼやっとしたとこで見せるっていうより、割と全部こう塗ってあるっていうか。
俺それをね、最初の方で思ったんだよね。絵本シリーズがまだ学生だった時に書いた、あれ。装飾的な背景の前に置かれた様式透かされた花。
はいはいはい。
あの時にさ、あれを見た時、うわぁこれすごい絵だなぁと思ったんだよね。
なんか絵本シリーズってさ、それをそう思ったけどさ、なんか割と常に輪郭線描かない?なんか、ものの。
それなんか浮世絵っぽいなって思うと同時に、俺最初、なんか結構漫画味を感じる時なんだよな、絵本シリーズ見てると。
そうね、イラストっぽいと思う。
だから輪郭線つけるのもすごい浮世絵っぽいよなと思って。
だからさ、所々にさ、その同時期の展覧会のさ、ウィーン分離破天とかのさ、ポスターがあったじゃん。
あれすごい良かったよね。
これ良かったね。
クリムトとかの。
そう、クリムトとかの。
ああいう展覧会のポスターって結構俺、アメリカニューヨークのもののイメージが強かったんだけど、分かる?なんか。
ポップアート的なね。
あとロシアアバンギャルドとか。
ちょっとね、誰の作品か忘れちゃったけどさ、
ウィーン分離破天のやつだったと思うけど、建物の絵がポスターだったの覚えてる?
後ろ背景が黒で、白い建物で、金の装飾があるみたいな。
あれすげえデザイン良かったなって思った。
どういうとこ良かった?なんか。
いや、一目見てすごいいい映画のポスターってこういう感じだよなって思ったんだよ。
なんかいい映画のポスター見合ったよね。
12:00
全体的に見てて。
基礎になってる感はあるよね。
あと縦長の紙で女の人がうなだれてるみたいな感じの構図のポスターがあったんだけど、あれもめっちゃ良かったな。
ポスターってさ、やっぱあの時代において今よりも意味合い強いっていうかパワーあるよね。
なんかすごく、なんて言うんだろうね、なんかね宣言みたいな感じに近い。
なんか俺ロシアマンギャルドも結構好きなんだけど、わかる?ロシアマンギャルドって。
わかるわかる。
大抵の世界大戦の革命時にロシアで起きた芸術活動だから、プロパガンダも兼ねてある芸術活動なんだけど、
それのポスターとかってすっごいパワーあるんだよ。やっぱり。
あんな政治活動と芸術が結びついたことがあんまりないから。
なんかでもそこの繋がり感じたな。
ちょっと後のね、1917年とかだからロシアマンギャルドは。
ヘゴンシーデーその18年死んでるわけで、ヘゴンシーデーがやったこと引き継いだのはちょっと違うけど、舞台変わってたんだなっていう感じはした。
全体的に表現主義って分類されるしね。
あそこからは割とレディメイドものが出てきて、そこに対してどうするかみたいな考え方が変わっていく時期じゃん。
確かに図形的なところとか近いよな。
ポスターとかすごい思ったね、そういう。
不思議だなと思ったけどね、ヘゴンシーデーとかがコッシュンに対抗したっていう割にさ、ってことはさ、あれの、いまだに同じようなことやってるなと思ったよね。
コッシュ派の絵っていまだに同じようなことやってるような気もしたよね。
どういうこと?
もっと絵画的に描いてるものに対して、
絵画、あれだよな、ヘゴンシーデーの絵ってさ、見たものをそのまま描いちゃえみたいなのがあるじゃん。
人間の視覚がズレるんですよ。
ものがそのもの通りに見えないじゃん。
例えばゴッコってあれ、自分がああいうふうに、本当にああいうふうに見えてたらしいけどさ、
だから自分が見えたものをそのまま割と率直に描いてる感があるじゃん。
自分の意識とかで正直ズレるみたいな。
だからデッサンとか同じだよね。
デッサンってさ、上手い人ってさ、ちゃんと魚眼とかパースの歪み描くのよ。
パースって言うんだけど、平面じゃなくて、ちゃんと視野角によって歪んだものもちゃんと、
受験では描いちゃいけないんだけど、上手い人は確かにちゃんと描くんだよ、そこまで。
っていうのを進んでいくとそうなるよね。
でもやっぱりすごい取り出すのが上手い人だなと思った。
絵が上手い人っていうより。
15:01
なんかデフォルメが超上手いなと思った俺だから、今で言うデフォルメになっちゃうけど、
デフォルメじゃないのかもしれない。
ディテールが強いタイプではないじゃん、でも。
デフォルメしてるっていうか、デフォルメされてるじゃんっていうさ、
人間が何かを見る時点で既にっていう。
それをそのまま描いちゃえばいいんじゃないのっていうさ。
なんか結構さ、女性のやつとか結構見てたんだけどさ、
交換のラフが多くなってくるじゃないですか、展示会の流れだと。
そうだね、実際時系列的にもそうっぽいね。
そうそう、ラフのくだり見て、逮捕されて燃やされたりしてるじゃないですか、彼。
やっぱりその純粋、割と剥き出しのものを取り出す作業には、
そういうの必要だったんだなとちょっと思った。
で、なんかしょうがないなーみたいな感じになったよ、俺は。
でも自画像の時期からその後女性像の時期に行って、
そっから風景画の時期に行くんだね。
風景画は風景画でまとまってんじゃないの?別部。
風景画は風景画でまとまってんだ。
たぶん。
時期がどんな感じ?
最初9章でしょ?
俺9章で風景画、写真撮影家だからさ、9章で終わりなんだなと思ったの。
俺も思った。ちょっと思った。
思ったよね?
なんかエゴシリアス少なくね?と思った。
たぶん写真撮れる場所があって終わりみたいな感じだったと思ったら、
普通に10、何章だっけ?
14。
14まで続いて。
でも俺結構後期が好きだったかな。
本当、俺後期じゃなかったな、そう考えると。
後期って言ったら最後のほうだったら裸体のほうだね。
そう、ラフが結構良かったな。
でもあんま時期…
あーでもそうだね。
ある程度。
女性とかのほうが、女性とか裸体とかが多くなってね、後期は。
でも俺やっぱ最後の写実に近づいていくより中盤くらいのほうが良かったかな。
あー。
俺やっぱ自画像がすごく良かったな。
あー。
でもやっぱ確かにあのさ、エゴンシリでてんのさ、ポスターになってるさ、
大付けの身のある自画像確かに良かったね。
エゴンシリでやっぱ人って集まっててちょっと面白かったよね。
あそこやっぱすごかったよね。
みんな結局あれみたいな。
あそこだけもうグワーって人いたもんね。
モナリザに並ぶ人。
俺見たときそう、モナリザに並ぶ人みたいな感じですげー人いっぱいいた。
だから俺ちょっと正直こう見ると…
てかあの俺らが入った後がすげー人入ってた。
なんかよく分からんけど。
そうそうそうそう。
一時代からめっちゃね、人入ってた。
出るとき好き、まあそれはいいんだけど。
で、あの、そうだね。
あの俺結構ね、あれ、あの、また話戻るけど、その後ろに人立ってるやつの前くらいにさ、裸の自画像あったじゃん。
あったねー。
あれもすごいよかった。
なんか、なんだろう、この、やっぱさ、構図の撮り方がうまいよね。
その目線って落ちてくるじゃん。
その絵に対してって。
絵ってあんま下から上見なくね?
どう?みんな。
そう、確かに。
大体中心点見て落ちてくこと多いじゃん。
その流れがすごいなと思った。
斜めに落ちてくるんだけど。
そのなんか、しかも流れがすごいのもあるけど、
18:06
なんか微妙に違和感あるんだよ。
やっぱりエゴシーデの人間の、なんだ、構図、形って。
だからそれもなんかすごいなんか、なんだろうな、
違和感がなんかすごいスパイスになってたんだよ。
って言うとなんかすごい嫌な言い方だな。
気持ち悪い言い方だけど。
あと、そうだな、エゴシーデの、エゴシーデの作品で、
俺がこれすごいなと思ったのが最後の方にあった、
しまご用のドレスを着て座るエイリットシーデ。
座ってこっちを見てるんだけど、
その目線の作りがなんかこれすごいなと思ったんだよ。
目がちょっと緑っぽいブルー。
目が緑っぽいブルーで、なんかしゃがみながら
ためらいがちにこっち見てるみたいな。
最初の方にあった横をちょっと見てる女の人のやつも好き。
あれもすごかった。
目線の使い方とかすごいよな、あれ。
あの時代にいてるのもすごいし。
ああいうのってこっちを見てるのも目を反らしてるのも
なんかどっちにも説得力があって、
あそこら辺の絵を見てて面白かった。
エゴンシーデってさ、でもさ、やっぱなんかどう考えてもさ、
絵とかって今っぽいよな、あの絵。
わかる?
ドローイングとか見るとすごい今っぽさ感じたぜ。
確かに。
漫画っぽいよな、いい意味で。
漫画っぽい、そうそう。
いい意味でってか悪い意味でってか。
漫画がエゴンシーデっぽいのかもしれないけど。
あそこら辺の作品あるよな。
ああいう感じのなんか、タッチのやつあるよね。
ああいうタッチだね、割と。
明らかに違くね、なんか戦後の少女漫画とかいう感じじゃない?
あ、そう?
なんか俺の超知るときだったらジャンプ系とかでも
1個ある気するけどな、ああいう塗り方。
あ、そう?
ジャンプとかでも。
それこそホーズ好きのやつみたいなやつ結構ない。
ああー。
ジョジョとか俺そういうイメージなんだけど。
ジョジョはね、あの構図の作り方似てるわ。
ジョジョの塗り方とか俺そういうイメージだよ。
そんなに読んでないよ、図鑑。
教師見たところだけど。
もう人体構造なんてどっちでもいいから、
なんかジョジョっぽさがある、ちょっと。
まあ。
説得力あるよね、だからそういう意味で。
漫画的なね。
漫画的っていうか絵本主義的な説得力が漫画にあるよねって。
まあまあ。
ジョジョのポーズってあれだけどな、
バンドのジャケット車から撮ってきてるけどな。
ああー。
だから写真とかにも結果絵が与えてんのかね、やっぱり。
なんて言うんだろう、これ実際に
なんか確かに俺の絵本主義のさ、
走る女っていう絵があったじゃない?
あれすごいダイナミックですごいなーって思った。
こういうやつでしょ?
こういうやつってあの辺の。
ああそう、あれダイナミックだった。
あれ良かった。
あと靴下留めをしているラフとか横たわる女とか
そこら辺のダイナミックさみたいなのが
なんかね感能的ともちょっと違うような
ダイナミックさみたいなのがあってね。
そこら辺面白かったね。
なんかさ、結構ラフとかさ
人体的なモチーフを描くことにさ
系統していく時あるじゃん。
うん。
あんまなんかそういうのに系統していくとさ
21:01
だいたい人体構造についてこう
系統していくタイプ多いのよ。
分かる?骨の関節とかの話とかね。
そういうのもまたちょっと違って面白いなと思った。
その人体への興味の生き方が。
なんかなんだろうな。
結構面白かったな。
なんかあれだな。
あとあれも感じたよねやっぱ。
古い絵画ではあるとも感じたよねなんか。
近代の人だねって感じました。
近代だなっていうのはなんだろうな。
まあ良い悪いは別物だけどさ。
エゴンシールの絵に時間感じなかったなと思った俺。
エゴンシールの絵って切り取りだなと思った。
その瞬間の。
切り取り、なるほどね。
例えばその後未来派とかさ
キュビズムとかさ色々絵画ってそう
平面の中にどう時間を描いていくかっていう実験になって。
写真もね時間作れるしねピントの。
マレセル・デュシャンの階段を降りるラフって
階段を降りる人こまどりで一面で描いちゃったりとかさ
そういう時間を平面の中でどう描くかみたいなことをしてるけど
エゴンシールの絵に時間を感じたかどうかっていうのを聞きたいのよ俺は。
そこに瞬間があったか
それとも一定の時間があったかっていう
どっちを感じたかなっていう。
いやでも時間相当内省的な絵は
結構象徴っぽいやつはそんなに時間切り取ってるなっていう感じはなかった。
別に時間とかじゃないところにある絵を描いてるなっていう感じはしてた。
なんか俺一番最近に行ってちゃんと見た点は
リキターだからリキターの話になっちゃうんだけど
時間ってと俺は今イコールで置き換えた話ですけど
絵と見てるものの距離みたいなことについてあんま触れてないなと思った。
エゴンシールって。
その時間もあるしさ
リキターってさ絵で描いたり写真撮ったりするのよ。
そういう対象物と自分の見るものの間にある階層みたいなことについて作ってるタイプの人だよ。
絵をあえて反射するガラス板の後ろに置いたりとか。
それはでもリキターがポストモダンの人だからそういうことやるのよ。
やっぱり現代のこの技術において
だからメディアンの中でどういうアートを作るかみたいなところ
ちょっと入ってるからあれだけど
エゴンシールってそれが全くない
全くと言っていいかまだ始まってない感じだから
時間って概念もそうだよね。
だから時間を中において表現すると
あの時代まだ歴史があったからさ
アート自体がそこまでいってない感じがするよね。
エゴンシールって若いしね。
無くなったのが結構。
正直こういう言い方するとあれだけど
24:00
まだまだいけた感はあるよね。
見てみると。
スペイン風邪だったね。
妻にうつって
普通に家族、あの時代はそうだよね。
大パンデミックだから。
1918年で28歳やん。
って考えると戦後くらいまでは活動してももっと面白かったんじゃないか感はあるよね。
なんかでも戦争との距離みたいなのどうだった?
それは結構薄かったじゃん中で。
一応朝平には行ったみたいだけど。
それがなんかね、俺ちょっとよくわかんなかった。
死ぬ時にでも言ってんだよ。
戦争が終わったら俺は死ぬよみたいな。
そんな戦争ってこいつにとって大きなあれだったのかなと思って。
作品にはあんま出てないのかな。
そこすごい気になったんだよね。
妙に引っかかって。
だから軍隊として人を撃ったりはしてないんだよ。
なんかムーブメントとして戦争に関わりがあったのかなちょっと思ったけど。
どうなんだろう。
そういうの感じたんで結構疑問として。
今何分くらい喋ってる?
今はね、22、23分。
俺今日思ったのがさ、
自画像っていう文化ってさ、
芸術の中でも絵ぐらいしかできなくない?
写真でも一応あるっちゃあるけど。
セルフポートレートとさ、
自画像ってやってること近くない?
同じなのあれ。
自画像って鏡見て描かないでしょっていうことでね。
結構違うよね。
だし自画像でさ、
今日のエゴシーレとか結構内静的な映画多かったじゃん。
あれってなんか、
俺は映画やってるから、
こういうの映画とかだとどういう風にすればいいのかなと思ってたんだよね。
小説で書くときとかに。
こういうことって、
絵じゃないとできないなんてことはないはずだし、
どうすればいいんだろうと思ってたんだよね。
自画像どう作るかってむずいね、確かに言われてみると。
こういう内静の仕方とか、
自分自身に深く潜っていくっていう行為はさ、
他の芸術にもあっていいはずじゃない。
まあ確かに、
小説とか書く上ではさ、
そういうのを違う形に置き換えてフィクションにしたりするけど、
自画像を書くみたいに、
比較何か書いていくみたいなのって、
どうすればいいんだろうなと思ってた。
こういう形の内静の仕方って今、
映画をやってる人とか小説を書いてる人はどうやってやってるんだろうなと思ったんだよな。
なんかさ、あれだよな。
どうやってやってるのかってむずいね。
映画はやっぱ直感的にさ、
書けるって言っちゃあれだけどさ、
もうちょっと意識とのずれがない。
27:00
できたりするからな。
映画とかは、
金も人も他人が手が描けるからな、ある程度。
手でもあるし、
距離が違う。
だからさ、絵ってさ、基本的に描いた人が見てる絵とさ、
だから描いた人自身が見てる絵とさ、
展覧会で見る人が見る絵って基本的に同じなわけやん。
でも映画とかって違うやん、基本的には。
作ってる時は同じもの見れないわけやん。
だからその、
映画とかで自画像を作って、
見せるのってやっぱどうしてもずれができるよね。
ずれがでかいからさ、その分こう、
正直さみたいなのが薄くなっちゃうよね。
パワーというか、
正直な力みたいなの。
ああいうやり方の内省って、
絵に独特なものなのかなって思っちゃったんだよな。
そんなことないんじゃないかなって思ったんだよね。
でも彫刻とかでもね、
自分のやつ作るタイプの人っているけど、
だから美術方面に独特なのかなって思っちゃった。
そうなのかなって思ったんだよ。
自伝的な小説は違うんですか?
どうなんだろう。
でもさ、自分のことを描くのとさ、
あの絵本シリーズの自画像ってちょっと違うじゃん。
違うね。
だから自分の顔を体形物として取り扱うやつもあるしね。
ああ、なるほど。
サルドルやん。
逆に言えばさ、風景画もさ自画像なのかもしれないじゃん。
そうだね。
なんか、だから絵本シリーズって結構なんかあれだよね。
こう、なんかナイーブになるために
自我と自己ってあるやん。
自己の中に自我ってあるやん。
自己の殻をあえて取ろうとしてる感があるんだよね。
自我だけを絵の中から取り出そうとしてるみたいな。
だからそれを自我の中を取り出すって行為が多分、
突き詰めていくと自画像になるんだよ。
自我を取り出すっていう。
でもその風景、見た風景の中から自我を絵の中に取り出すってこともできるっていう感じの印象はするな。
だから絵本シリーズはそういうとこ強いと思う。
あんまり対象物に寄ってない感じがするな。
結局こう、自我を取り出してる感があるな。
まあ、もともとはないこと言っちゃえばさ、
自画像ってある意味さ、画家がずっとやってきてる一つの様式だからさ。
それもあるね。
意識とかを考えないと答えは出ないんだろうなと思うよ。
なんでまず自画像、そもそも最初に描いたの誰かとか知らないしね。
なんで描いたのかとか。
自画像って。
そういうところから考えてくればわかるけど、
まあ、画家が描く時点でさ、
全部さ、自画像っちゃ自画像なんだって俺は思うっていう立場だけどね。
いやまあそうだけど、
30:01
そういう、ああいう内省の仕方を単純に俺がやってみたいなと思っただけある。
まあ、だからいいよね。
逆に他の分野だと自画像みたいに歴史がない分いいよね。
わかる?
そういう様式美で判断はされないじゃん。
っていうのはいいよな。
なんか、映像でああいう、まあそのさ、
映画とか映像にもさ、わりかし抽象的な表現みたいなのってたくさんあるけどさ、
ああいう風に内省的なことをどうにか表現するみたいなのって、
今までもたくさんあるけど、
ああいうなんかもっと自分に迫っていくとかモチーフみたいなのってさ、
やってみたいなって思ったんだけど、
全然今もあるけどね。
別にみんなやってるけど、
俺もなんか単純にやってみたいなと思ったんだよね。
なるほどね。
ああいう意味でのしっかりした内省みたいなのって、
普段遠いなと思ってさ。
藤原結構内省してるイメージあるけどね。
そうでもない?
いや、作ってない。
作ってない?
作るかって話なのか。
いや、でもやっぱり作る。
話ずれてきたけど、作ることによってこの内省が起きたりするじゃん。
そうだね。
描きながら考えてる時に一番自分の深いところに潜ってたりみたいなさ、
そういう感覚に近いかな。
なるほどね。
それじゃあタルコフスキーとかそういうことやってるけどね。
そうだね。
よくも悪くもタルコフスキーが撮ってる風景って全部自分の内省なわけじゃん。
鏡ね。
そう。
特立した風景じゃないじゃん。
そこにある風景じゃなくてあくまでも自分が見えているものと自分が考えているものが
いろんなものの集積としての風景だったりするから、
そういう意味では自画像的かもしれないよね。
そうだね。
なんかタルコフスキー言ってたけどそれはなんか映像どっかで
象徴じゃなくて比喩だって言ってる。
そうそうそう。
そうそう。
だからまあ。
でも結構エゴンシリーズ見て普通にいろんなものを作ったりしてる身分として憧れちゃったわ。ある程度。
ある程度の剥き出しのものって結構痛いところあるじゃん。
エゴンシリーズは結構痛いところある作家だと思ってるんだけど、
だからそういうものって目を背けたくなるけど目を引いてしまうみたいな強さあるじゃん。
そういうものに対する憧れが自分にあるなってすごい再認識したわなんか。
エゴンシリーズは?
総括?
総括に入った。今でもちょうどいいぜ時間。
エゴンシリーズって最初の人文学だったんだなって感じだよね。
タルコフィスキルと。
だからつまりさ、絵画っていうのがさ、いろいろ記録とかが終わってさ、表現主義の時代になって、
その後の例えば絵画がどうあるべきかみたいなことの問いになる以前の、絵画っていうものが自分のツールになった。
いかないかとだね。
33:00
道具になって自分を表現することができるようになった最初の方の時代の絵だなって思った。
まだねじれてない。
意外と無邪気なところもあるっていうか。
なんかあれだよね。
すごく始まりの時期というか。
年齢もあるよな、亡くなった。
描きたいものを描いてる感がいいよなっていう。
絵っていうものが作者が自由に扱えるものになって、まだそのものを疑う前の段階な気もするじゃないですか、ポストモダン以前。
やっぱりモダン以前だよなって感じ。
そうだね。
すごいやっぱり近代、終わりかけ感はあるよね、そういう意味で。集大成感は。
そうそう。
そういう感じですか。
初期衝動感というか。
でもああいう、
なるほどね。
ああいう内省をしていきたい、俺は。
それしか言われなさいから。
それはこちらが内省タイプの人間だからだよね、言っちゃうなんだけど。
俺は内省とかよりも、自分を減らしていく方に興味がある、多分。
だからエゴンシーレンの絵は面白いと思ってるけど、エゴンシーレンの絵って、小坂和志が三島由紀夫の風景描写を批判してる人と一緒で、結局自分でしかないっていう風景を描いてるんじゃなくて、自分を描いてることにしかならないみたいなところがあるじゃん。
俺はどっちかっていうと全てを、
アンチやん、こいつ。
画を減らして全てをフラットにしていきたい、自分を召していきたい。
だからそこがあれなんだよね。
一番俺と松崎がスタンス違うところなんだよ。
この話は。
俺全なのよ。
東洋だね。
自分を四散して霧になっても、千の風になって吹き渡っていきたい。
仏になりたいですね。
俺結局やっぱり、俺の見てる意識とかから逃げられないところもあるから。
なるほどね。
結局何かしたいとかの前に、こういうのを描きたいとかの前に内省したいから、
ああいう内省にはちょっと憧れたね。
でもあのポスターの絵は確かに緊張感あったね。
大月。
大月の。
読んだやつじゃねえか、ちゃんと。
あれはね、緊張感。
ちゃんと読んだやつじゃねえか。
あのキャプションにも書いてあった。
確かに緊張感あった。
いやーあれはすごいよ、やっぱり。
で、あとやっぱ絵見ると、なんかこの構図で何か撮りたいなとか思ったのよ。
あー。
たぶん順に。
あー。
ということで。
そろそろお時間ですけど。
言い残したことあります?
ないです。
余計なことを言った感じもします。
ちょっとでも時間長いぐらいだよね。
うん。
そうだね。
でもなんか結局、自分滅せないとは思うけどね。
っていうか最後、付け加えたいけどね。
よく考えたら結局自分の見てるものしかないんだろうなっていうのは。
36:02
俺はそのスタンスだぜ。
うん。
なんか認めざるを得ないけど、でも滅したいね。
じゃあお疲れ様でした。
36:58

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