対話の意義
2回目のテーマは、「対話とは」ということです。
なんでこのテーマかというと、私たち対話の機会からちょっと時間が置いて、それぞれに一旦冷静になって、対話って何だろう、みたいなことがいろいろ生まれてきていると思うので、
そういう話を聞いてみたいなって思ったのと、 私は卒業式の時に、
ホゾミンに話した時に、
やってる時は辛いことがたくさんあったとかって言ってたのを聞いて、
これは大事だなと思ったんですよ。
対話について、みんなポジティブな、対話は素晴らしいとかいろんな話を聞いたけど、
ネガティブな思いは出てこなかった。もちろん出しにくかったと思うんですよね。
言葉として出なかったってことだね。
あんまり。でもそれを出さないといけないんじゃないかっていうのと、
私はそういうネガティブな話が好きなんで、個人的に。
だから、もっと、
いや、これはこうなんじゃないのとか、そういういいことばっかりではなく、
もうちょっとネガティブな話もどんどん出さないと、良くないんじゃないかっていう気持ちにすごいなっていて。
いいことですね。
とてもいいこと。
なんでそんな感じのことを含めつつ、対話って何だろうみたいなのを話せたらなと思ってて。
個性の表現
ジョイさん、この時間をちょっと置いたことによって、対話についてのなんか新しい考えみたいなのって出てきました?
えっとね、僕の考えを云々の前にさ、
ネガティブということでね、
あえて今聞きたいのはさ、石ころーちゃんにさ、
ナオミの対話ってどう思う?
やっぱり、自分を出すのが上手いなって思う。
自分の特徴。
やっぱり表現を仕事をしてずっとやってきたことによって、
良いも悪いも自分の個性を見ても、もちろん映画では出してるし、
対話においても、
自分の個性を上手いこと出してるなと思って、さすがだなと思ってたんだよね。
なるほど。自分の個性をね。
相手の個性は?
まあ、多分相手を出すより自分を出すっていう方が優勢なんじゃないかな、ナオミの場合は。
そうだね。要するに自分を表現するための対話だね、彼女にとって。
それは対話なの?いやいや、それは対話なのかい?
ナオミに対して?
ナオミの自分を出す、表現するということが対話になってんのかな?
多分ナオミの考える対話はそうなんだと思うよね。
そもそも対話がどうこうっていうのは一人一人違うと思うし、
違うね。
まあそれぞれのやり方でいいと思うけど、
まあ、やっぱりそういう自己表現がこなれてるなってすごい思ったけどね、私は、ナオミは。
そうすると対話というものは自分のイメージ、
自分の主張を表現するものということかな?
やっぱその要素は強いと思うな。
AIとかちょっと違うかね、やっぱり。
何?
AIでGPTみたいに事実を確認し合ったりっていうのができるじゃないですか。
でもやっぱり人間と人間の場合はその人個々の特徴みたいのが出てた方が聞いてても、
私は面白いし、いい部分も悪い部分もそこから見えたほうが面白いなって私は思うな。
哲学的対話の探求
なるほど。
ひとつ聞きたいんだけどさ、哲学的対話ってどういうものなのかな。
哲学的対話。
やっぱり経験がないからわからないけど、そもそも哲学に疎いんで、
わからないけどイメージで思うのは、哲学っていう体がつくといろんなルールが出てくるなって思う。
いろんなルール?
哲学ってやっぱり一つのジャンルみたいなものじゃない?
ジャンル?
ジャンルっていうかなんだろう、方法論みたいな?
方法論?
哲学思考みたいなのって、やっぱりなんかこう体系づけて、
もちろん過去も積み重ねで哲学っていうのができてるじゃない?今でも。
その全くの人が、素人が、これは哲学対話なんだって言っても、なんかそれは哲学ってイメージしてるだけで、哲学対話ではないような気がするな。
なんで石ころは生きてるの?
いやいや、なんで石ころは今生きてるの?
今?
いやー、なんでだろうねー、なんかそういうことあんまり考えてるようで考えてないかも。
考えるってじゃあ何なんですか?
考えるって?
うん。
考えるやっぱり、こういうなんかね、話をしながらでもいろんなこと考えるっていう。
どうして1年間半ばんカレーを食い続けたんだろうって。
ね、ほんとそれは興味深いところだよね。
いろんな誘惑を足し切るってことかもしれないよ。
あるだろうし、なんかその無駄な考えをそこに費やさないっていうこともあるかもしれないね。
あるね。余計なことは排除。
積み重ねの中に何か光が見える。
こうやって、何かを一人で考えるじゃなくて、
複数人で考えるっていうのが哲学対話なのかな。
そうかもしれないね。
じゃあ普通の対話とは違うのかな。
哲学対話と他の対話。
対話って、ある人に言わせるとさ、
会話と対話の違いっていうのを簡単に言うんだよね。
会話っていうのは、要するに噂話。人の話。
対話っていうのは、自分のことを語る。語り合う。っていうふうに言うよね。
そういうのも、
なんとなくそうやって、そういうことに対してこれを対話と呼びましょうとか、
これを哲学対話と呼びましょうとかっていうふうに、いろんなものが決まってるけど、
そもそもそこになんか結構疑問を持ちたいんだよね。
なんかさ、そうやって決めると決めれば決めるほど、
ルールを作るじゃない。対話とはこういうものだからこうしましょう。
挨拶はしないとか、敬語は使わないとか。
それはさ、いいんだけど、それに対して厳密に考えたら、それぞれ違いが出てくるわけじゃない。
そうだね。
なんかさ、違うっていうことをね、もうちょっと。だからそれを完全に一致させるのって無理だから。
なんかそうやってこう、対話とはこういうものであるみたいな感じで、決めれば決めるほど、
なんかこう意気揺るしさみたいなのが出てくる気がするんだよね。出てくるね。
私そもそも思うのは、人間なんてただまあ普通の動物で、
動物が言葉、こうやって思考を言葉にしてやり取りをしているだけじゃない。
行為としては。それに対していろんな、これはこういうものであるみたいなのって全部作り物だと思うんだよね。
そもそも、ただこうやってこう、動いて行動してるだけだからさ。
だから、これはこうであるとかっていうのは、まあそういうのは必要だけど、あんまりそこにこだわりすぎると、
なんかこう、良くないんじゃないかなって思うんだよね。だからその、
のぞみがなんで辛かったって、辛かったっていう理由は聞いてないけど、
まあいろんな原因があるのかもしれないけど、そもそもいろんなことに疑問を持ってたんじゃないかなと思って。
なるほど。
やっぱりそれはね、口に出しにくくなるじゃない、やっぱり。 そうだね。
規制がかかってるってことだね。 だから今こそそれをみんな思っていくことを、口に出した方がいいんじゃないかなと思って。
なぜそれがすぐ始まらないの?
始められないでしょうそれは。その場では。 なんで? だってそれをね、やっぱり一応、
法公正とかがね、ブレてきちゃうし。 その口に出したら、いたんしされちゃうじゃない、やっぱり。
そうだね。弾かれる可能性あるね。 そうそう、それはね、やっぱりみんな怖いだろうし。
そこには恐怖政治の匂いもあるなぁ。 どうしてもでも、組織みたいになったらそういう風になってくるよね。
お互いがお互いをジャッジするようになるじゃない。 なるなるなる。あいつはちょっと外れてるとかね。
だからこそ今、話すべきなんだよね、それを。 ここ変だったよねとか、これっておかしいよねみたいなことを。
例えばさ、合わせ感を残そうって話になってるよね。
なってるでしょ。 でもね、なんかもう壊してもいいんじゃないかっていう人もいるよね。
いるよ、と言いますよ。でもそれは表だっては出てきてないよね。 私もある一人からしか聞いてない、それは。
で、例えばさ、本当はカオスさんが一番壊したいのかもしれないんだぜ。
それは分からない。 分からないよ。
そんなこと聞いてないしね。でも、 例えば演劇的に考えた時に
まさにあの合わせ感というのは万博の半年に輝いて消える。 その方がかっこいいんじゃないの?
なかなかでもそれを言えない空気になってるよね。 うん?言えないよね。なんで?
おかしいじゃん。 おかしいよね。
要するに残すってことは税金を使うって話だろ?
税金だよ。
それだけのものなのかい? まあその残す残さないの話も
まあ私たちが止めることでもないってのもあるけど。
そりゃそうだね。
壊すことの良さみたいなのって言ってほしいね、嵐としては。
当然だってそれが、そういうものがあってこその対話じゃないの?
でもそれが言えなくなってるっていうところがまたポイントかもしれないよね。
非常に大きい、対話とは何かということを考えるポイントだと思うよ。
結局それと同じようなことがあの半年間で生まれてたわけだよね。 可能性があるね。十分あるね。
でもそれ半年間のそこのあの場っていうのもあるし、
例えば来月だっけ?何人かで複数人で対話の場を今日しましょうって言ってして、
何時間かわからないけどその場でもそういう空気が生まれるよね。
何時間のうちにでもここの場ではこれは言ってはいけないとか、
ここの場ではこういう態度を取ればいいとか、そういうのは生まれてくるよね。
つまり分断が生まれるってことだ。
なんか反してないかい?そもそものコンセプトに。
確かに。でもそれを分断っていうのか、
ただの集団のあり方っていうか、集団とはそういうものっていうか。
法則?
ああそうだな。かもしれないね。
それを改めて確認することは、これまでの流れを踏襲するってことだよね。
それを変えようっていうことを河童さんは言ってたんじゃないのかい?
確かに。
となると言い出しっぺが一番の悪だな。
そうね。ただ、そこまでもう河童さん一人で全てを
コントロールできるほどにはなってなかったと思うし、
まあしようと思ってなかったし、
結局それぞれみんなあれに関わった人、みんなが作ってた空気だったんだろうね。
要するに対話というのは、AとB、プラスとマイナス、
それがきっちりと姿を表してこその対話だよね。
つまりそういうことでもなくて、片方だけでやろうって言った可能性があるってことだ。
そもそもが万博自体にテーマがあることの時点で、そこに引っ張られてるわけだもんね。
そうだよ。だって、トラだってさ、お国がやってるんだし、お国からのお金でやってるわけだから、当然だよね。
そこに反したようなことは言いにくい空気にはなるよね、どうしたってね。
なるよね。あえてそこで挑戦したら大したものだったね。
でもこういうものから逃れることって絶対にできないから、
だからそもそも対話は何者にも縛られずに、
そこにいる者だけで成立するとかっていうのは全く信じられないんだよね。
そこにでも挑戦することこそが、万博のテーマだったはずだよ。
ジョージさんが一番これはいかがなものかと思っていたことは何かな、あの中で。
ここはちょっと気に食わないなって。
今思えばね、要するに最後の3日間の選択の仕方だな。
要するに最後の3日間、要するに1日9回×3日、27人を選んだんだよね。
じゃあその選択の基準は何なの?ってことだよ。
それって3日間だけじゃなくてさ、出番を減らされた人もいれば、多い人もいるだけじゃない?
いるねー。
それと全部つながってるよね。
対話の重要性
もちろんそういうことだよね。
そこだろうね、やっぱり。
本当にいい対話を作るための選択ならば誰もかとは限らないけれども、
おそらく大多数の同意が得られるよね。
それが民主主義だよね。
なんとなくの基準を作ってたんだろうね。
でもその基準はさ、みんな少なからず感じつつもさ、
そこに寄せる人もいれば、ここはちょっと自分とは違うなって思いながらやる人もいれば、いたわけじゃない?
そういうことだね。
実は中には、そこに本当に忠実にあろうとして、
本来のその人ではないようなキャラクターになってるような人もいたよね。
そうだね。
だけどそれはわからない。それは私が個人的にそう見えたってだけで。
いや、非常に同意。
だからそこをもうちょっと今こそ話すべきだと思うんだよね。
だってその場にさ、せざんだ、カバン。
カバンさんはもうあんまり気にしなくてもいいと思うんだよね。
いやいや、気にしないんじゃなくて、
そこをもし、要するにね、例えば忘年会なりになんかやるって言うならさ、
そこでこそ話すべきことはそれだよね。
それがないなら忘年会やる意味ないよね。
そう俺は思うよ。
どんどんカバンさんにその場に対峙できるのか考えた。
対峙できるのか。本当のところで。
まあ来るはずないと思うよ、俺は。
でもさ、これからこうやって対話について何かをやっていこうって思ったときに、
また新しく自分たちで作っていかなくちゃいけないときに、
そうやってなんか生産って言い方は違うかもしれないけど、
一旦忘れよう、全部忘れようって言ったら無理じゃない?やっぱり。
それは無理だね。
だからこそ、もう本当にその人その人が思っていることを思ったことを感じたことを、
ちょっとね、みんな話すべきだよね。
それがない限りさ、会う場があってもしょうがないって気がするよね。
本当にそう思う。
でもさ、川瀬さんはもうそうするしかない状況だと思うんだよね。
自由な環境の必要性
そもそも映画がさ、映画の延長戦場みたいな、本人のそういうキャラクターもあるし、
本人の長としての
振る舞う、振る舞うべき姿をしない限り、みんな好き勝手やったら、どうにもならないと思ってしまうし。
でも面白く川瀬さん自身も疑問に思っていることがたくさんあると思うんだよね。
と思うよ。
だからどんどんいった方がいいと思う。
ここでも好き勝手ね、どんどんみんな言えばいいんですよね。
そうだよ。
別に本人に聞かない気にせず。
あんまりないよね。
あの、川瀬さんが今後の川瀬官のあり方ということでさ、
まあなんかズームであったけどもさ、
別に要するに税金使う話だからさ、
できるかできないかだけの話であってね、そんなことはどうでもいいんだよね、川瀬官なんて。
要は、あなたが掲げた対話って何なんですかってことだよ。
そこをちゃんとさ、言ってもらえないと、次にはいけないよね。
そうね。
こうやって実践の場でも好きなことをやってみたらいいんだよね。
そういうことだね。
それで、どう思うかっていうのは、聞いた人は、それも変化していくだろうし。
うん。
私そのネガティブなことで言うと、みんながみんなをジャッジするようになって、
機械室で、この人はこうだとか、みんな好きに言ってたわけじゃない。
そう言ってたね。
それが一番何言ってんだみたいに思ってたよね。
でも言えなかったけど、あの場では。
うんうん。
でもそれって私だけじゃなくてみんな思ってたと思うんだよね。
そうだね。
それをなんか、今はもう別に関係ないんだから、みんなどんどん言ったほうがいいよな。
そういうことだね。
川瀬さんに対しても、いわゆるなんかこう、感動話、お涙、流してみたいな、
その世界観っていいんですよ、それはそれで。映画として。
ありだよ、ありだよ。
でも、そういうの嫌い嫌いな人だってたくさんいるし。
もちろんだ。
何言ってんだよみたいに思う人が、何言ってんだよって言うことも必要だと思うし。
その通り。
だから今こそ自由にね。
つまり不自由だったってことだね。
いや私はすごい不自由を感じたよなぁ。
でもきっとみんなそう思ってたと思うんだけどね。
自由を期待してたんだね。
わからないようにしてたのかもしれないし。
うん。
じゃあ、自分がこの場を何か新しくなるんだったら、
大和さんだったらどういう対話っていうものを、どういうものにしたいとかある?
まず思うのはさ、タブーはなしだよね。
タブーはなしなんだけれども、相手を傷つけることもなしだね、意図的に。
しかし、自分が思ってることを素直に言えない環境では対話は成り立たない。
そうなると、自分のポジションとして、やっぱり大人である必要があるよね。
つまり自分はどうしたら大人であるかということを意識しつつ、
自分の思ってることを素直に討論できる。
そこで初めて対話が成立するんじゃないかな。
利害関係とかそういうものがあったらダメだよね。
もちろん。関係ないし。
理想的な対話の場の創造
たとえばお客さんにお金を取ってって言ったら、その時点で利害関係を発生してるってことだよね。
あとさ、カウンセリングみたいなのも利害関係を発生してると思う。
上下関係あるしね。
立場が違うし、目的も定められてるし。
インターネットとかそういう場でただただ話すのは、利害関係から離れてるから、
自由になれる確率は高いよね。
それを継続できるスペースを考えたときに、
運営する方法論というのはきっと必要なんだよね。
これは今思いついたことだけだ。
会社が決めるとかでもちょっとおかしいよね。
つまり民主主義的になると、
それぞれがその場を保つための投資は必要かもしれない。
みんながこの公園を大切な私、みんなの公園として美しく維持しようと思ったときには、
お金が必要になるよね。
そういう場を作っていくということが、とても理想的な会話の場、育てていくことのような気がするね。
つまり、自分も投資をすることによって平等を得るってことだね。
今回こうやってちょっと試してみて、これをまた違う3人目4人目に聞いてもらって、
第2回、第3回、第4回っていろんな人たちがやっていって、
なんとなく方法論とか出てきたらいいのかもしれないね。
そうだね。
ここで話しても、2人の本格だから。
そう、第3者。
それが増えていく。
これはとりあえず今考えているのは、
音声配信のところに共通で誰でもそこにデータをこういう投稿できるっていうにして、
それぞれどんどんどんどん好きなようにこういう形でしたり、実際に会った時にしたのを録音したりして、
一つの場所に大量にアップする。
なるほど。
それを聞いた全然知らない人たちがどんどん参入してくると。
それでブーム、土地ブームを起こすと。
対話ブームを。
というなんか想像をしたんだけど、どうですか。
今思いついたことを素直に言うね。
今はもう携帯になってしまったけれども、公衆電話がある時代だよね。
公衆電話ね。ある時代の話だけども、
もともと10円でさ、自由に話せたんだよね。