「自分の時間」の定義と喪失
みなさん、自分の時間って持ててますか? I wonder if you all have yourown time?
今ないな。 Not now.
今ないですか? Not now?
今全くないっすね。 Not at all.
この年度末。 At the end of the year.
じゃあさ、どういう状態だったら自分の時間だなって思うの? So, what kind ofstate do you think your time is in?
私は割とはっきりしてるから、自分の時間っていうのは Well, I'm pretty clearabout it. My time is
自分が演奏とかする時間っていう、お寺行く時間とか、お寺行く練習の時間。 When I go tothe temple or practice.
要するに、好きなことをする時間ってこと? So, it's time to do what youlike?
そうそうそうですね。 That's right.
明確だね。 That's clear.
そこはもう完全にね、わかりやすいから。 It's completely easy tounderstand.
お茶しに行くとかそういう時間を欲してはないので、あんまり。 I don't really wantto go to the temple or practice.
もう時間があったら、風吹きたいとか、そんな感じ。 I just want to blow thewind when I have time.
自分の時間が取れないと、どんな状態になりますか? What kind of state do youfeel when you can't take your time?
自分の時間はもうほら、この言うたらば、去年1年間、ほぼ自分の時間取れる。 I've beenable to take my time for almost a year last year.
吹くことはあっても、練習をする時間というのが本当に取れなかったので。 Even if I hadtime to blow the wind, I didn't have time topractice.
とりあえず、焼き直しで吹けるとこ吹いてみたいな感じで。 I just blew the windwhere I could.
晩泊で、隣のパビリオに出てたときとかも、基本娘が主体なので、そういうものとして吹くって言ったら、練習する時間はなく。 I didn't have time to practice when I hadto blow the wind for my daughter.
本当に、その構成、現場監督とかから全部していくという形になりながら吹くって言ったら、もう吹いてる気なんて全然なくて。 I didn't have time to practice when Ihad to blow the wind for my daughter.
たまにあるけど、前も2023年の年末に、大きな震災場所の三寺さんの楽器放浪のイベントももらって、そこをいろいろ調整してると。 I got an event for the rock climbingin Mitera, Shinsaibashi, at the end of 2023.
それを、そこの部分の脳みそと、例えば台湾もそうだと思うんですけど、演奏したりとかするところの脳の使う場所は多分違うんじゃないかなと思ってて、こっちでそのいろんなその舞台監督的なところとか、調整する人の学員さんの調整であったりとか、スケジューリングとかガーとかせなあかん。
でもこっちでは、演奏するためのその感情であったりとか心を入れたりとか、何かを感じるところっていうのは全く同時進行が少なくとも私はできなくて、もうその時は本番2週間前にちょっとおかしくなっちゃって、音が出なくなって、吹き方がわからなくなった。
で、今回もやっぱりそんな生活が、2023年それがあって、2024年後半くらいから2025年午後1時にはその万博とか、で、万博あって姉が亡くなって、その後家のごたごた処理であったりとか、
今やってるうちに年末私、顔面麻痺になって、体調方針が耳にできて、かつ現在今その胃腸がちょっとおかしくなって、来週、先週胃カメラ、今週、来週大腸カメラの検査。
やっぱり体に来るなぁっていうのが、やっぱり自分の時間がない。
自分が自分でいられる時間がないと、てきめに人間は免疫力が落ちるなということを今身をもっている。
同じ音楽であっても、自分で演奏したりする、自分と向き合う内面と向き合うような時間は自分の時間で感じるけど、そういう多くの他者を関わらなくちゃいけないとか、となると自分の時間ではなくなる。
どうなんかなと思うけど、私のやってる音楽っていうのが、ちょっとその、画学って割とね、そんなポピュラーな。なんか、画学をやる前、バンドであったりとか、そのオーケストラをやってたときっていうのはそんなことはなかったけど、画学結構、結構いろいろちょっと勝手が違うなっていうところが。
まず、演奏できる人たちがみんな基本的には坊さんとかなので、坊さんのスケジュール調整はすごいややこしくて。
いつ、誰かが、旦那さん亡くなったらもちろんね、そこでポンってフォームが入るので。
かといって、誰もが同じ力量を持っているわけじゃないので、そこはなくと、どこを誰を入れてとか、もうすごい大チェンジをしていかなくちゃいけない。
そういう雑務している時間で、最も自分の時間と離れた作業なのかな、そういうのって。
そこが、私本当にそういうところが、本当、能力低いなって毎回思ってて、調整能力っていうか管理能力っていうのが。
もう黙って、よく言われてたのが、私吹かしとったら4時間でも5時間でもずっと吹いてられる。
誰かが止めないと過集中だから。
でもそこに、そことは違う脳みそで考えなあかんところがちょこちょこあるわけです。
今基本的には自分のバンドで、自分のユニットでやってるので、本当急に誰かがいなくなったりとかすると、もうなかなかその辺にいろんな保険かけちゃうし。
じゃあ楽器3つくらい担当できる人を何とか捕まえたいと思ったりとか、後々のことを考えて動こうとしちゃうと、余計誰をここに入れようとか、そんな使ったことのない頭を使う。
もっと本当に事務的な、スケジュールを組んだりするのに近い。
丸子さん、ちょっと聞いていいですか。
ソロ演奏と、アンサンブルって何なんですか。
ごめんなさい、もう一回すみません。
ソロね、一人で演奏する楽器にしてもね。
それと、アンサンブルを組むことの何なんですか。
アンサンブルを吹くことの。
アンサンブルを作ることの。
作ることの違い。
これもすごく、例えば洋楽、私オーケストラやってたんで、オーケストラと和楽っていうのがものすごく全然違う感覚が、オーケストラは基本的に全く違う楽器をいっぱい合わせていくのに、
真ん中に指揮者がいてくるわけ。
で、和楽は指揮者がいないんですよ。
で、これを何、和楽っていうのは、人数的には言うたら、いくらでも増えるので、多かったら200人、300人で演奏することもあるんですけど、
そこでその人たちが、しかもリズムっていうのが洋楽基本一定なんですね。
1、2、3、4っていう、カチカチカチっていうベトロノームっていうのに合わせられる。
それが変拍子になっても、そのカチカチの回数が変わるだけの話なんですけど、和楽は伸びるんですね。演歌みたいに。
気持ちで。
基本は1、2、3、4、1、2とか、間がどっかに入る。
この間を合わせていかなくちゃいけなくって、それを何で合わせていくかって言ったら、それぞれの感覚に頼るわけ。
雅楽の世界と文化継承への危機感
一応ね、その太鼓のリズムっていうのが入ってくるんですけど、でも太鼓のリズムっていうのも一定ではないので、
画楽の演奏と洋楽の演奏で使う感覚は全く違うところを使う。
その全く違う感覚というか、それに惹かれたってことですね。
惹かれたというわけで、画楽を始めたわけではないんですよ。
画楽は、昔、私、民族音楽とか結構好きだったんですけど、他にいろいろ、画村にあったりとかいろいろやってたりとかしてたんですけど、
お祭りとかも好きだったので、日本中のお祭りとか巡りに行ったりして、
その中で、藍野のおじいちゃんと知り合って、藍野のおじいちゃんという方が、茅野茂さんという作家さんだったんですけど、
めちゃくちゃ可愛がってくれて、そのおじいちゃんと話をしているときに、
藍野民族というのは、言葉を結局失っていくわけなんですよね。文化も言葉も。
今、藍野民族の方で、藍野の言葉をちゃんと会話として喋れる人というのは残っていないと言われているんですけど、
私が知っている限りは、その茅野のおじいちゃんとその村のもう一人の方が、例えばこうやって私たちが喋るくらいの勢いで、
藍野語で喋っている最後のお二人だったと聞いているんですね。
結構、言語学の先生とか皆さん研究に来られてたので、民博の先生とか教授とかいつもお話してたんですけど、最後のお二人って聞いてたんです。
で、その文化とか、そういう言葉すらも簡単になくなっていくっていう場面を、最後の茅野のおじいちゃんが亡くなるその十何年間一緒にいてたので、それを目の当たりにしたときに、
その茅野さんに私が何民族だって言われたときに、
割と軽い気持ちで言ってたので、本に感動して言ったのよ。そのおじいちゃんの書く文章が素敵で、その本の景色が見たいと言ってたくらいで言ってたので、
で、民族って言われたときに、え、日本人ですって感じになっちゃって、でも違うんです。日本人って人民族じゃなくて、
茅野民族があったり、山戸民族があったり、龍泉民族があったり、他民族国家だっていうことをそこで初めてガーンって、知らずに喋ってた。ガーンみたいになって、
で、そのときに、文化も言葉も簡単に奪われる。人間が奪ってしまうことができるっていうことを、そのときにちょっと肌身にガーって感じちゃったの。
ちょっとごめんなさい。よくわからなかったんだけど、それは征服という意味なんですか?征服されるとか。
征服もされると思いますし、戦争が起きたら簡単に民族って壊滅される可能性もありますよね。
今も戦争とかやってて、民族も国家をバラバラにされたりとか、その言葉を奪われる。私大学時代、外国語学科に行ってて、スペイン語学科だったんですよ。
でも先生が、南米のチリの先生で、私のスペイン語めっちゃ生まれてるって言われるんですけど。
メキシコに行ったときに、メキシコのピラミッドの前にキリスト教の教会が建っているんですね。
ピラミッド半分崩れてて、そこの前にある教会はめっちゃ綺麗に立派なものが建っている。これは何かって現地の人に聞くと、もともとあったピラミッドの材料を使ってその教会を建てたと。
当然ながら、メキシコの土着の人たちは、キリスト教ではもともとなかったわけですよね。ピラミッドを崇拝する、アイヌとかと一緒のような、本当に自然史みたいなものだったはずのとに、スペイン語が入ってきて、
スペインに侵略が入って、そこでキリスト教を普及されて、それを見て不思議に思ってた。本当は私歴史、何度も言うけど、いろんな人に言ってるんですけど、私歴史4点の女なので、全然わかってなかったんですけど。
そのまま次行ったところは、メキシコにはキリスト教の三大奇跡のうちの一つがある寺院があって、その立派な寺院に皆さんが行くんですよ。マリア様の、そこ話すとめっちゃ長いからなんですけど、そこにお参りするために、
現地の人とかがひざまずきながら、長い石畳をずりずりずりずり、恐れ多いからずりずりずりずりしながら、膝から血を出しながら見に行く。そこにマリア様の像を拝みに行く。私たち観光者は普通に歩いて、そのマリア様を見る。見てて、すごい不思議に思っちゃって。
マリア様は元々メキシコの人たちの神様ではなかったし、でも今こんだけの熱い信仰を得て、この人たちは膝に血を流しながらそれを拝んで、
元々あった神様は崩されて寺院を建てるために、その時に泊まったホテルの、基本的にメキシコの人たち、褐色系の方たちが土着の方が基本なんですけど、
その人に私が言われたのが、あなたは色が白くて素敵ねって言われて、なんでって、なんでかと思ったら、色が白いことが白人に近いからステータスになる。
すごい色んなショックを受けたんですよ。
彼らの元々あった信仰であったり、言葉であったり、そんなの簡単に失われるっていうのは、そこでも見て、その後にアイヌの、それと同じようなことが日本でも起きていて、
アイヌの祭りに参加させてくれて、色んな知識を、知恵をくれようとしてて、なんでそんなに学もなんでもない、私に色んなことを教えてくれるの?
どうなん?私に。だって、もらったってどうしようもん。って思った時に、文化とか言葉って簡単になくなるから、もうおじいちゃんにしてみたら、必死に残していくために、誰でもいい、とにかくいっぱい。
あれでもいいってわけじゃないでしょ?
ん?
あれでもいいってわけじゃないよね。
どうなんかな?でも、本当に来るもの怖わず、色んな人をきちんともてなしてあったと思うんです。
で、もう、その時に、おじいちゃんのその気持ちを考えた時に、私にできることっていうのは、私は私で、自分の民族の文化を大事にすること。
じゃないかって思うって言ったんです。
で、うちの家、母がお茶とかお花とか着付けの先生やってたんですけど、私もうとにかくガサイので、とにかく逃げ回ってやるのに嫌で、着物も着ない、お茶も嫌だ、肌も嫌だって言って逃げ回ってたけど、
やっぱり、結局はそこは私、じっとしてられない人間だったので、自分にできる、自分が興味があることっていうことで、
画学の世界にそこで入った。音楽が好きだったので。すごい、いきなり飛んだからあれなんですけど、日本の文化を私が持っておける文化って何だろうと思って、音楽の世界って考えて、じゃあ画学やってみようと思って、そこで初めて画学の世界に入ったという感じ。
200人の演奏者が一堂に会して、やる声もあるんでしょ。
200人の200のそれぞれの思いがあるんだよね。
多分その、画学に対する、あるいはその日本文化なり、自分のね、リズムなり。音楽ですよね。
それが、一本の線になる時があるんでしょ。
あらなくちゃいけないと思います。
それを経験したことがあるってことかな。
これがちょっとなかなか難しくて、ある、私はあったと思っているんですけど、でも実際は、まずその今画学やってる人たちっていうのは、好きでやってる人っていう人ばっかりじゃないんです。
画学は仕事でやるっていう人の方が多いので、例えばお寺さん、浄土神宗とか天理教とかは、それはやらなくちゃいけない義務としてやるものなので。
仕事だよね、そうすると。
そうですね、仕事ですね。神社さんも、神社さんの場合は自分たちがやらなくて、学人さん呼べばいいのであれなんですけど。
お寺はやるのが仕事なので、例えば浄土神宗とかだったらば、お坊さんの免許を取るのに必要な勉強の一つ、教科の一つですね。
だから、これはすごく、ベラベラ喋って申し訳ないんですけど、仏教お坊さんもそうなんですけど、お坊さんっていうのはみんなツールを持ってるわけですよ、仏教っていう。
いい道具、教義、そういうものを使える知識を持ってるけど、私の知ってる限りその知識が自分の中にまで落とし込んでる人はほとんど見ないんです。
厳しいね。
見ないですね。むしろ、ちゃんとしたお坊さんの方が少ないですね。
誰もお坊さんじゃないですよね。石ころとか坊さんじゃないよね。
その人は坊さんじゃなくても、画学が上手い人っているんじゃないの?
もちろん、もちろん。
ということは、目標関係ないよね。
私がいてるところは、基本的にお寺の中での学祖、学団なので、ほぼ9割9分坊さんか、官主さんとか新職さん。
その人たち200人くらいと一緒にやるので、ぶっちゃけ言うと派閥争いがめっちゃあるんですよ。
だから、心が一つにならないんだよね、みたいな。そりゃ見られるわーって思いながら。
派閥争いがなかった時代からやってるから、その時はまとまった。下手くそだったけどまとまった。
なんでその時は派閥争いなかったの?
その時はね、これは本当は昨日ちょっといろいろ思ったりしたので、そこもまたいつか掘り下げるのに。
大和のあれも聞きたいなと思って。本当に、なぜ派閥争いが起きるんだろう?
同じ坊さんたちのグループで行った頃は、派閥争いなかったってことだよね、今言ってるのは。
要するにそうですよね。
なんで?
なんでですかって言うと、私が最初に行った頃ってだいぶ昔なので、世代が上の世代。
言ったら、その頃の理事長先生とか学徒先生とかって、もう本当にうちの学層だから、他の学層も違うと思うんですよ。
他の学層もいっぱいあるんで、うちだけなんですけど、言ったら明治維新の時に、
ごめんなさいね、1400年あるから結構長くなっちゃう。
明治維新の時に、日本には三大学層って、奈良と京都と大阪に学層っていう学団があったの。
明治維新の時に、この3つの学層の学人にほとんど全員が区内町に連れて行かれたんですよ。
なるほど、明治維新の問題です。
明治維新が関わってくる。
もうどこも何にもできへんようになって、はーってなったところの残党が、これでは保養とか大阪にある保養も文化の一つだったので、
それができなくなると言って、立ち上がった世代、もしくはその世代からの直接教えてもらっている人たちが、私らがやり始めた時のユダラトップだったんです。
アナーティーだね、随分。
目的としては、この人たちにはすごく熱いものがありますよね。
消えてしまった、さっきの話も、消えてしまった文化を消さないでおこうと思う。
そこで立ち上がって資材や何もかも投げ打ってでも、大阪にある、私たちは指定農地なので、小寮へという大保養があるので、それを絶やさなくてはいけない、絶やしたらあかんというのを集まった人たちだった。
あー、熱いね。
そこは熱いじいさんたちがいてくれてるから、すごい力も気持ちもあるけど、そこからもう百何年たってきてるので、次の世代って言ったら、基本坊さんは世襲制なので、世襲制のあれはやっぱり、坊ちゃん、嬢ちゃん、嬢ちゃん少ないけど、坊ちゃんたちが何が起きるかって言ったら
ここはまずあれなんですけど、我がが我ががっていう気持ちですよね。自分がどれほどすごいか、自分の寺がどれほど立派な寺か、ここから始まったり、自分がどれほど立派な人間かっていうことをやっぱり言いたい人が
自己承認欲求の塊の人がすごく、これめっちゃ実ってんな私今。そういう感じで、そういう人もいる。
例えば、もうちょっとこの代々受け継いだものを守りたいチームもいる。この2つが分かれて、相手を蹴落とすためにやってるところに段々挟まれている。
どっちにも悪いところも良いところもあるので、難しかったですね。本当にどっちからもどっちにつくんやって言われると、どっちの言い分も分かるし、どっちの言い分も分からへんしってなって
どっちの先生たちも好きなんでって言ってたら、ソース感がボコボコにこっちがやられて。
じゃあ、そのさ、やってる時に自分の時間はどうやって作るの?
自分の時間。私、子供が生まれるまでっていうのは、とっても自分の時間を大事にしていったというか、自分の時間を大事にするとかそんな感覚もなくて、ただただやりたいことをやっていたんですよ。
もうバンドずっとやってたし、もう外国行くのとかバックパッカーもやってたので、とにかくお金貯めてはフラフラ外国行く、旅に行く。
で、結婚して、結婚してもやってたんですけど、やっぱり天気が来たのはやっぱり子供が生まれた。
どういうことですか?
子供が生まれて、お母さんになって、お母さんってやっぱり本当に子供の世話、面倒を見るっていうのが当然。
今の時代はどうか分からないけど、私の子供が生まれた15年、6年前っていうのはやっぱりまだまだお母さんがしっかり見るっていうところが、それは当たり前なんで全然しんどくもなかったんですけども、
でもうちの子供がちょっとやっぱり難病があって障害もあるので、これは前もちょっとお話したんですけど、
娘を幼稚園に入る年齢になった時に、いろんなところで、成長ゆっくりちゃうんで、発達障害もあるし、知的もあるので、
同世代の子となるべく触れ合わす方がいいとは言われながらも、いろんなところに連れて行くんですけど、まず保育園は待機児童がいっぱいで、なかなか入れない。
幼稚園はやっぱりほぼほぼ断られる。ほぼほぼっていうか、ほぼ全部断られました。もう本当に行けるだけプレーの幼稚園にも、毎週必ず毎日どっかにはいってたし、下手子いたら午前と午後で2つ行ってたりとかしてたけれども、
全て断られて、
で、
まあ、もう、
両育園、
昔で言う養護学校みたいなところがあるので、そこと、あと理解のある、
保育園にも行くって決めて。
子どもも初めての子どもだし、そういう障害のある子も、私も初めて触れ合うし、もう言うならば、福祉の話を全部聞いて、その子を鵜呑みにするので、その道を行ったときに、
たった1か所だけある幼稚園が、
うちに、この子を預からせてほしいと言ってくださったところがあったんです。
キリスト教の幼稚園がね。
メキシコ。
うーん、あの、
ね、そうで、そのキリスト教の幼稚園が、モンテストーリー教育っていう、ちょっとあの、独特の教育法をやってあって、園長先生はその教育方法っていうのは、障害のある子にとってとてもいい。
でも私としてはもう本当に、たった2年ほどですごいいろんな壁にぶち当たってたので、いやもうこの子には無理やと思っていて、もう行き先も決まったし、もう本当に、いやいや、たぶん最近、そこすごいセレブ幼稚園って言われてて、もうなんか義者の高いし、
それためやな、とか思ってそれで放置する気やなとか、いろいろなんか疑心暗鬼になっちゃってからめっちゃ断ってたんですけど、でも園長先生が、
あの、とにかく、えっと、3学期の間だけ、エマちゃんを、エマちゃんという子なんですけど、お家に預からしてくれって。
それにはちょっと、言ったら、なるべく同世代の子と一緒にいるっていうのが、その領域としていいって言われてるから、それにはちょっと行く気はないけど、甘えてみようと思って生かしてみた。
3ヶ月後に園長先生は、やっぱりこの子はうちに来るべき、神様がこの子を連れてきたって、パパキリソニオだから、アンディグチェスターだからって言って、
で、すごい悩みに悩んで、いろいろな人と相談して、決めた一つの言葉が、言われた言葉で一つが、
キリスト教って200年の歴史があるね。
2010年に生まれたから、2000年の歴史がある。この2000年の間にキリスト教の中にはいろんな子供が生まれてるはずやと。
で、きっとエマちゃんみたいな子供もいっぱい生まれてきてるはずやから、それなりのノウハウ蓄積されてんじゃんかって言われて、
ニョマくん、キリスト教に騙されてしまえって言われて、それは一理あると思って。
それも細かいことあるんですけど、一応そこで入院して。
本当にありがたいことに、娘なりに成長していって、
一年間本当に感謝して、園長先生にも、お友達とかみんなにも感謝して、その分なりで返せるかって言ったら、
セレブ幼稚園、お金では私、うちそんな自転車創業みたいな家なのでできないんで、
体で買いそうと思って、とにかくPTAとかを。PTAだと子供たち泣いて、行ったら子供らも来いや!みたいな感じで。
やって、一年間行って、一年終わったらそこの幼稚園、
一年ごとにキリスト教の修道院でもあるので、先生たちにプレゼントをする。
単人の先生、シスターちゃんいない先生たちにも、一年ごとに保護者からプレゼントとお礼をする。
そしたら、一部のそのお母さんに呼ばれて、駐車場に呼び出されて、
エマちゃんのお母さんって言って、エマちゃんって、知恵遅れでしょって言われて。
で、知恵遅れの子と一緒にいると損するってわかってます?って言われて。
で、みんな先生に構ってほしいんですよ。みんな先生に抱っこしてほしいんです。
でも、知恵遅れの子と一緒にいることによって、まず勉強を進まない。
運動会、エマちゃんと一緒のチームになると勝てない。
マーチングもお遊戯も揃わない。
みんなすごい迷惑かけてるんです。
わかってあります?って言われて。
何言ってんのかな?って思って聞いてて。
何が言いたいのかな?って思って、はぁーって聞いてたら。
だから、誰もこの一年間は先生にお世話になれなかったので、
その先生へのお礼の品は全部エマちゃんとこで払ってくださいって言われる。
で、すごい衝撃があって。
そっから、もう絶対にうちの子と一緒に行って損したって思わさんとこ。
うちの子と一緒にいることによって、子どもたちにいい思い出であったり、楽しかったり成長したりする時間があったって、
何年か経った時に大人になった時に思い返してもらうために、
とにかくそっからは自分の時間なんて全部、ある意味それがいやらしい話。
私の復讐だと思ってて、その人たちにいつか自分たちが間違ったことを言っちゃったということを気づかすために、
とにかく子どもに時間を使おうと思ってやっているうちに、
だんだん、この間も道子さんと話聞いてもらってたんだけど、
だんだんそのうちに自分との境目がなくなってしまった。子どもと。
なんか今そこが問題になってるなーっていうのはすごく思ってきてるところで、
このパビリオンに来たって感じですね。
じゃあ自分の時間っていうのは境界線があるってことなの?
うーん、そこがどうなんかがちょっとまだ私にはまだ答えを持ててなくて、
じゃあ私、前も道子さんにいっぱい話聞いてもらって、
自分をどうやったら取り戻せるんやろうかすごい考えた。
昨日もチラッと言ったけど、私いつから人に心を開けなくなったんだろうとか、ぐるぐる考えてて。
ここでは開けてるんですか?
ここではそれも考えてたんですよね。
ここではまだ開いてないと思われてる、正直言うと。
それはなんでかな、私がそのうまく対話ができない理由は何かなっていうのをずっと考えてたんです。
ワンパク終わったとも、ワンパク中も。
それは心を開いてないからだっていうことだけど、
どう開くんやったっけって本当に吹けなくなったのと一緒で、
どうやって心を開くんやったんかなって。
最後の出番が終わってからずっと考えてます。
昨日ちょっとだけ思い出しかけた一瞬がありました。
今そこを反省する、昨日の晩から反省しだしてるところ。
何を思い出したんだ?
思い出したというか、何かがつながりかけている気がする。
自己犠牲と他者との境界線
ですけど、持ってる私のこのコンピューターがまだ一太郎クラスしかない、昭和のあれなので、
計算がすごい遅いんで、まだカタカタカタカタって言って、まだ考えてる。
どんな感じがするの、それ。
そう思ったのは、ここもあれで言っちゃう。
全部こう言っちゃいますと、私昨日対話、入るんかなどうかなって、
何せ本当に四十九日放映をやったので、いろんなこととか、お骨忘れたとか何とかなったりとかしてて、
大騒ぎしてたんですけど、みちこさんから来たじゃないですか、リストが。
対談の相手、最初の方全然知らない方で、その次変わったじゃないですか、神様に。
ほいで。
で、アチャーって思っちゃったんですよ。
まあね、ほいで。
で、神さんちょっとうまいことしゃべるようになって、ちょっと苦手っぽいなと思って。
で、どうすると、ぼっちゃけ言うと和歌に神様になる前に、和歌やってくれ、和歌やってくれとかってライン送ってたりとかしたんですけども。
ダメですよ、相手選ぶのは。ほいで。
ほんで、ほんで。
ほんで、つまりは。
つまりはどう思ったの。
つまりはどう思ったかというと、神さんが、あの神さん、神様が、神様?神さんが、あんなふうな切り口で来るとは想像できてなくって。
ほいで。ほいで、どう感じたの。
で、なんか、なんていうのかな。
とにかくずっと、ちょっとだけ私が最後、今日、昨日終わってからもずっとだけ、ああ言えばよかったって後悔してるのが、なんか、神さん、神様、神さんに最後一言。
と、あの、でも、神さんのピンクのセーターが、なんか、あれが似合ってて、私あれが好きだっていうことを言えばよかったなと思ったんです、最後に。
いいポイントだね。
いいポイントだよ、それは。
そう、なんか、あの、最初本当にちょっと苦手だったんですよね。
ナオミちゃんもいいねってコメント来てる。
それはどういうことなんだ。ピンクのセーターがいいねってどういうことなんだ。
なんか、いや、だから、その苦手がなくなったんですよ、だから。
ああ、嫌いだったんだな。
嫌いだったんだなっていうと、ですよね、だから、みちこさんのお前なんか嫌いだって。
で、それとが、そうだ、これはみちこさんが言ってた、お前なんか嫌いだ、のちょっと別バージョンかなって思ったりとかしながら。
そんな感じですか。
なんかそんな感じが、だって始まる前と終わった後の私が神様、神さんに対する感情は全然違いました。
どう変わったの。
だから、ピンクのセーター似合ってるよって。似合ってるよって、そう、私それ好きって。
私もあのピンクのセーターいいと思ったけど。
これね、もしかしたら多分ね、あんたは言わしてなかったらはね。
でも、さっきまでと服ちゃうやんかとか、なんかこう言いそうじゃないですか。
でもまあ、好きってことだよ。
そう、っていうのが、昨日なんか、あ、なんかそれが、だからいろいろこうね、いろんな過去のこととかも、なんかこう、いろいろ、
今日、今日いろいろ、また過去、なんで私が心を閉ざしていったのかとか、ちょっと反省して。
でもなんか、いい話聞けた、今日。
ありがとうございます。
ありがとうございます。これもみちこさんのあれと、あ、そこか。
だから私あれ、最後になんかすごいちょっと後悔してたのは、
神様が、神様じゃない、神様が、最後すごい苦しそうな話で終わっちゃったじゃないですか。
うん。
なんか、すごい切なくなっちゃって。
うん。
ああ何、その苦しんだ最後の言葉でプチって鳴らせてしまったことを、すごいこう、実はあの、ああって思ってて。
だからこそ、あの、途中で思ってたのは、こんなにあの、神様があの、後悔してるとか、いや、あの、あんなにダンティーであんなになんか、いかにも成功してそうな人だったのに、後悔ばっかりやとか死ぬときになってとか言って、
ああ、このままじゃあかんって、なんか、このままで、このままの感情で終わらせたくないなと思ったから、そのペンクのせいでやって。
なんか、案外と言葉で言ってることと、聞いて送っておってることが同じとは限らない。
ほうほうほうほう。
って最近は思う、タイは聞いてて。
うんうん。
このタイは、言葉がわかんなくても、なんかいいなって思うだろうなって思うときもある。
ああ、ほうほうほう。
だから、そんな風には思わなかったし。
うん。
あれはね、だから。
そう、そこが。
だから大丈夫、あれでいいんだ、あれはあれでいいんだ。
そうっすか。なんかそう、いろいろね、いろいろこう、いらんこと考えるタイプなので。
あれ、あの後、あのときまだあんまり気づいてなかった。
あの後、めっちゃいろんな人が見てる数上がっていってたじゃないですか。
うん。
なんか、3000人見てるみたいなこととか。
で、やっぱ人間、私もなんとなくあれはあれでよかったかなって思う気持ちもある反面、
その見ている3000人の人たちが、の受け取り方って、どのくらいの割合で、
あの、なんて言うんですか、あんまりいい見方をしない人がいるかなとか言うのか。
で、それが、神さん、神さんのことをなんか嫌なふうにやったら、
それは嫌だなーっていう、それをさせちゃったんじゃないかなとか、いろいろそんなことをこう思っちゃったりとか。
みちこさんとかはそう思わないとか、ここにいてるみんなは思わないっていうのは、そこはなんかわからないんですよ。
そんなことないと思うけど。
みんなそんなに、そんな人ばっかりじゃないって言うんだろう。
何かを感じるのは、結局自分が思っていることを感じるだけだから、
こちらがどうしようもないし、どこまでもなんか、自分が感じたことを言うのが対話だし、
だけどなぜかそれが伝わっていくという感じなんじゃないかと。
とにかくピンクの生徒が好きになってくれてよかったなって思いました。
そうだね。