物語の舞台と背景の設定
ハッシュタグ毎日未来創造プロジェクト、今週はウィーク14ですね。テーマは、モビリティの未来 移動の復権。
いやー壮大なテーマですけども、今日はその第一歩、エピソード1のステイ・トラベラーを取り上げます。
それにしてもステイ・トラベラーですか?いきなり泊まる旅行者って、なんかこう矛盾してるような不思議なタイトルですよね。
実際、Amazonの買い物とか、リモートワークとか、私たちの生活って、本当に家から一歩も出なくても、なんかいろいろなことが完結しちゃうようになってきましたよね。
あなたもそういう便利さ、日々満喫されてるかもしれませんね。
今回の情報源なんですけど、まさにそんな未来を描いたSFのショートショートと、あとその創作の裏柄について語られた対談ですね。
これらの資料から、これからの移動の意味、ちょっと一緒に深く探っていきましょうか。
これは非常に興味深いテーマ設定ですよね。
今日の資料、その物語と対談を手がかりにしてですね、テクノロジーがある意味進化しきったかもしれない未来、そういう世界で移動っていう行為が持つその本質的な意味って何なんだろうかと。
それから、つい私たちが価値を置きがちな効率とか、結果だけでは測れないもの、プロセスですね。
つまりそこに至るまでの過程そのもの、これが秘めている価値について、じっくりと考えていきたいなと思います。
物語の舞台、2070年の東京ネオ国運。人々はポッドルームっていう完全に独立した生活空間に暮らしていると。
公共の両子テレポーターを使えば、どこへでも文字通り一瞬で移動できる。食事も情報もエンタメも全部ポッドに届いちゃう。本当に移動が必要なくなった世界なんですね。
まさに究極の効率化と言えますよね。
情報源の対談でも振られてましたけど、作者の方はこの設定を通して移動を克服した世界のリアリティみたいなものを描こうとしたみたいですね。
物理的な移動に伴う時間とかコスト、リスク、そういったものが一切なくなった社会。一見すると理想郷のようにも見えますけど、でも本当にそうかなっていう。
そう、そこなんですよ。この世界では旅の概念も変わっちゃってて、旅の体験データをダウンロードしてVRで楽しむ。そういうエンタメになってる。
なるほど。体験のダウンロード。
で、主人公のレンはまさにそのスター。自分のポッドから出ずに世界中の体験データを編集して超リアルなVR旅行機を作る。ステイトラベラー。これで人気を博してるわけです。
もしですよ、身体を動かさずにあらゆる場所の体験ができちょう未来が来たら、あなたはどうしますかね。魅力的に感じますか。それともなんかこう物足りなさを感じるでしょうか。
その物足りなさっていうのが今回の確信かもしれないですよね。移動を克服したっていう言葉の裏には、移動に伴う面倒とか不確実性、そういうのがなくなった代わりに何か大切なものも同時に失われたんじゃないかと。
そういう問いかけが隠されているように感じますね。対談でもこのプロセスが完全に抜け落ちた世界で失われるものについてかなり議論されてましたね。
そんなレンの元にある日ちょっと風変わりな依頼が届くんです。見知らぬ老人からで最後の旅を記録してほしいと。報酬がなんとレンの年収並み。
でも条件が変なんですよ。転送機もあと没入体験用のイマージョンリンクも使わないでくれと。旧式の車でわしと一緒に移動してもらう。
レンにとってはもう博物館の展示物レベルというか、非効率のまさに象徴みたいな乗り物でしょうね。ここで物語はそのテレポーターっていう究極の効率に対して極端な非効率をぶつけてくるわけですね。
レンは渋々ですよ。生まれて初めてポッドのハッチを開けて外に出る。で老人の目的地っていうのが幻の夜明けが見られる場所。でも老人は言うんです。転送機なんぞじゃ行けん場所さって。
意味深ですね。それで始まった旅はレンにとってはもう苦痛そのもの。ガソリンの匂い、エンジンの振動、渋滞、雨。記録するデータも普段作ってるVRデータに比べるとなんか退屈で情報量が少ないと感じる。老人は一体なぜこんな不便極まりない旅をさせるんだろうっていう疑問が当然湧いてきますよね。
その疑問こそ作者が読者に投げかけたかったことかもしれないですね。対談によるとこの非効率な移動っていうのは老人の転送機なんぞじゃ行けん場所っていう言葉これは物理的な場所だけを指してるんじゃないっていうそういう解釈が示唆されていましたね。
物理的な場所だけじゃないというとどういうことですか。
つまりですね効率的な手段例えばテレポーターみたいに結果だけを瞬時にもたらす方法では決して到達できない領域。
例えば心の状態であるとか内面的な変化とかそういうものを指してるんじゃないかということですね。
手間とか時間をかけるプロセスを減ることでしかたどり着けない場所があると。
なるほど。旅の途中で老人がレンに問いかける場面がありましたよね。
イタリアの青の洞窟のデータを編集した。
そうだらあれの価値はどこにあるって。
レンは即座にひるいなき青色のデータですって答えるんですけど。
現代的というか非常に合理的な回答ですよね。
結果としての青色のデータこそが価値だと。
ええ。でも老人は笑って否定するんです。
違うなあの旅の価値は3日待っても洞窟に入れるかわからん。
あのじれったさにあるんじゃよと。
じれったさですか。
結果じゃなくてその不確実なプロセス。待つ時間そのものに価値があるんだって言うんです。
これは結構衝撃的でしたね。
このセリフは物語の確信に触れる重要なものですね。
そして同時に現代社会への問いかけでもあると思います。
私たちは常に効率とか結果を求めがちですけど、
この老人の言葉は一見無駄に見える時間とか思い通りにいかない経験の中にこそ
何か本質的な豊かさみたいなものが隠されてるんじゃないかっていう可能性を示唆してますよね。
ここでまたちょっと想像が膨らむんですけど、
もし将来技術がもっと進んでVR体験がさらにリアルになったとしたら?
例えば車の振動とかガソリンの匂い、待つ時間の退屈さ、
そういう物理的なプロセスまで完璧にシミュレートできるようになったら?
それでもあなたは実際に自分の身体で旅をしたいですか?
体験するって結局どういうことなんでしょうね?
まさにそこがそのフューチャーポッシビリティとして考えさせられる点ですよね。
老人の言葉はさらに確信をついてきます。
転送機は目的地の結果だけをくれる。
だが車は目的地に着くまでのどうでもいい時間をくれる。
そして心の変化というやつはいつだってそのどうでもいい時間の中でしか起きないんじゃよ。
奇跡の瞬間と心の変化
どうでもいい時間の中でしか心の変化は起きない。うわー。
これはかなり強烈なメッセージですよね。
効率化とか最適化が進む中で切り捨てられがちな時間、予定調和じゃない時間。
それこそが人間の能力を持つ時間。
予定調和じゃない時間。
それこそが人間の内面を揺さぶって成長させる土壌になるんだと。
対談の中でもこの移動とは身体を物理的に動かすこと以上に心が動く、変わることなんだ。
っていうテーマが物語を貫く背骨として繰り返し強調されていました。
で、物語はクライマックスへ向かいます。
二人は地図にも載ってないような山奥の展望台に着くんです。
にも幻の夜明けが見られる確率っていうのは3割以下。
低いですね。
いつ見られるかもわからない。
レンは寒さに震えながら車の中でただひたすら待つ。
彼にとってはポットにいれば膨大な仕事ができたはずの最悪で無駄な時間と感じてるわけです。
ここでの待つっていう行為がまさに老人の言うどうでもいい時間であり、
じれったさの象徴なんでしょうね。
レンにとってはもう苦痛以外の何物でもない。
でも諦めかけた3日目の朝、奇跡が起きるんです。
濃い霧の中から太陽が昇ると無数の光線が霧を貫いて、
天からなんか黄金色の梯子がかかったような騒音で、
レン自身の言葉を借りれば恐ろしいとさえ感じる光景が現れる。
恐ろしいですか。
ええ。彼は記録することも忘れてただ涙を流すんです。
この涙って単に景色が綺麗だったからだけなんでしょうかね。
あなたならどう解釈しますか。
うーん、非常に示唆的な問いですね。
パイ段での分析を踏まえると、この涙は単なる絶景への感動だけじゃない、
と読み解けるかなと思います。
レンさんの心を深く揺さぶったのは、最終的な結果としての光景以上に、
そこに至るまでのプロセス全体だったんじゃないでしょうかね。
プロセス全体と言うと。
3日間ひたすら待ったという不確実性、車中泊という不便さ、
見られるかどうか分からないという不安、
心の変化と効率の対比
そういった自分のコントロールを超えたどうしようもない体験の蓄積が、
彼の内面に予期せぬ変化を引き起こした、
効率化されたポッドの中では決して得られなかったであろう、
強い感情の波というか、
結果だけをポンと受け取るのとは全く違う種類の体験だったんだと思います。
なるほど、そういうことか。
不快ですね。
ポッドに戻ったレンは報酬のことも忘れて、
新しいVR旅行機を作るんです。
でも素材にしたのは、あの幻の夜明けじゃなかった。
おお。
彼が作品にしたのは、雨に打たれる車の窓とか、
ガソリンの匂い、臭いコーヒー、
そして老人のあのどうでもいい横顔だったんです。
結果ではなくて、プロセスそのものを描いたと。
そうなんです。
評価はキャリア最低。
意味不明、退屈って散々だったらしいんですけど。
あらら。
でもレンにとっては、これこそが唯一の本物であり、
初めて自分で体験した旅だったと。
うん。
そして物語のラストシーン。
彼は再びポッドのハッチを開けるんです。
今度は自分の意思で。
ほう。
転送機を使わずに、あの老人にもう一度会いに行くために、
たとえ何日かかかっても。
ここでレンはついに、
移動イコール心の変化という本質を体で理解したというか、
体得して、
自ら非効率なプロセスを選び取ったわけですね。
物語の副題にあった、
移動とは身体を動かすことではなく、
心が変わることだっていうのが、
見事に彼の行動によって証明された瞬間だなと、
彼の本当の旅はここから始まるんだっていうのを、
力強く示唆しているように感じますね。
というわけで、
今回はSFのステージにおいて、
その創作対談を通してですね、
効率とか結果ばかりを追い求めることで見失いがちな、
プロセスとか、
一見どうでもいい時間が持つ豊かさ、
そしてそれがもたらす予期せぬ心の変化について、
深く考えてきました。
未来の体験と人間の成長
なんか単なる物語の紹介じゃなくて、
その背景にある思想とか、
問いかけみたいなところに触れることができたかなと思います。
えぇ、非常に示唆に富む内容だったと思います。
はい。
ということで、
では、これを聞いているあなたに、
ちょっと問いかけてみたいと思います。
ご自身の日常を振り返ってみて、
どうでしょう?
効率とかスピードを優先するあまり、
無意識のうちに見過ごしてしまっている
どうでもいい時間とか、
非効率なプロセスってありませんか?
そして、あなたにとって、
心が動かされるような予期せぬ変化は、
どんな時に、
どんなきっかけで訪れることが多いでしょうかね?
ちょっと考えてみてください。
うーん、
考えさせられますね。
この物語は、
真の旅っていうのは、
場所の移動じゃなくて、
内面を変える経験なんだ、
って示唆しているわけですけど、
最後に一つ、
さらに未来を想像してみたいんですが、
もし、
テクノロジーがもっともっと進化して、
車の振動とか、
待つ退屈さ、
ふまいコーヒーの味、
そういう物理的なプロセスまでも、
もう完璧にしないといけない、
シミュレート可能になったとしたら、
それでも、
レンが経験したような、
予測不能な現実と、
そこから偶然生まれる、
内面的な変化までも、
本当に再現することってできるんでしょうかね?
これはなんか、
テクノロジーと人間の体験の本質に関わる、
かなり深い問いかもしれませんね。
非常に面白い問いだと思いますね。
シミュレーションできる体験と、
生身の現実の経験の間には、
もしかしたら埋められない溝が
ずっとあり続けるのかもしれないですね。
さて、
ハッシュタグ毎日未来創造
ウィーク14の探求は、
まだ始まったばかりです。
次回エピソード2では、
今回見出したこのプロセスの価値が、
今度はAIと融合することで、
人間の成長をどう拡張していくのか、
移動が人の成長曲線そのものを描くという、
エクスパンションドライブの世界に
迫っていきたいと思います。
それもまた楽しみですね。
そして、
今週は特別にですね、
この日本語版に加えて、
英語版の配信も予定しています。
語学学習なんかにも、
ぜひご活用いただけたら嬉しいです。
それでは、明日へ向かって
一緒に動き続けましょう。