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#53_フランス若手作曲家の栄誉『ローマ賞』~本編 :あかりを消して楽しむ音楽特集
2026-10-23 28:43

#53_フランス若手作曲家の栄誉『ローマ賞』~本編 :あかりを消して楽しむ音楽特集

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#53_フランス若手作曲家の栄誉『ローマ賞』~本編:あかりを消して楽しむ音楽特集


番組へのメッセージはこちらへ。

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Spotifyでお聴きの方は★の評価もおねがいします。


() 今日は「あかりを消して楽しむ音楽」を聴いたあとのアフタートーク フランスの方が3人でてきたのでローマ賞の話します

() 今日紹介した作曲家 マスネー リリ・ブーランジェ ラヴェルとローマ賞 女性はまだ活躍するのが大変だった時代

() 5回受験してグランプリが取れなかったラヴェル、お笑い芸人くらい大変な賞レース

() フランスの作曲家の賞なのになんで『ローマ賞』なの?

() 作曲家のコンテストってどうやってやるの?

() ラヴェルはローマ賞の受験に向いてなかったのか、ラヴェルの落選で起きた『ラヴェル事件』とは?

() リリ・ブーランジェという夭逝の天才、姉妹だけでなく女性としてのリベンジがかなったローマ賞

() 歴代ローマ賞受賞者のリストを見て思ったこと

() ローマ賞って今もあるのかしら?~エンディング

【本編で取り扱った音楽】

メイン

F.ショパン ノクターン第2番変ホ長調作品9-2

J.マスネ 『タイス』の瞑想曲

M.ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ

リリ・ブーランジェ ノクターンヘ長調

F.ショパン ノクターン第20番 嬰ハ短調 遺作



コーナー:ディスカバー・ザ・クラシックス

F.リスト 『パガニーニによる大練習曲』第3番 嬰ト短調

ラ・カンパネラ / TSUKEMEN


番組後半の音楽

R.シューマン トロイメライ / BASUYA

A.ピアソラ オブリビオン / 國松竜次

F.シューベルト 白鳥の歌より セレナードD.957-4 / 小澤恵


お別れの音楽

ヴィラ=ロボス 黒鳥の歌 / 小澤恵


【その他のリンク】

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きらきらミュージックBOX | fmyame

このポッドキャストは水曜日のきらきらミュージックBOX【クラシック音楽】のアフタートークをポッドキャストとして配信しております。 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.fmyame.jp/%E8%A4%87%E8%A3%BD-%E7%95%AA%E7%B5%84%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%8C%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%99⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


コミュニティFM放送局、FM八女「きらきらミュージックBOX」でクラシック音楽を中心にお送りしている水曜日のコンビ、クラシックの解説をする担当「まつお」とそれを聞く担当「みとみと」でお送りする番組。フリートークがやりたくてラジオやりはじめたはずのまつおが、番組内容に余裕がなさすぎてフリーに話す時間がなくてやってるアフタートークを聴きやすく軽く編集したものです。

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「八女ラフラマナマナ」

この番組の前身になる番組タイトルで、まつおが気に入ってたんですがわかりにくいという判断で現在のタイトルに修正されました。

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まつお:松尾隆志:FM八女の市民パーソナリティでクラシック音楽の解説担当。番組「きらきらミュージックBOX」はすでに10年を超える長寿番組である。本職は写真屋さんで、写真を持っていないシニア層が多いのを心配していて、有償無償でそんなみなさんの撮影をやってる。ヴィオラを演奏し、単独での演奏、演奏付きの撮影会などを精力的に開催、2つのオーケストラに所属。

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みとみと:今村美都:FM八女スタッフでクラシックの番組ではまつおの解説を聞く役。がん患者・家族向けコミュニティサイト『ライフパレット』編集長を経て、2009年独立。がん・認知症・在宅・人生の最終章の医療などをメインテーマに医療福祉ライターとして活動。日本医学ジャーナリズム協会会員。『「不」自由でなにがわるい 障がいあってもみんなと同じ』を上梓。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.shinnihon-net.co.jp/child/product/9784406068703-----⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


FM八女:福岡県八女市を放送エリアとするコミュニティFM放送局。自局放送は、午前の音楽番組『きらきらミュージックBOX』午後のワイド番組『がまだすワイド801』を中心として構成している。このPodcastは水曜日版の『きらきらミュージックBOX』のメンバーが出演しています。---


八女市について(福岡県で暮らす|福岡県プロフェッショナル人材センター ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.projinzai-fukuoka.jp/flive/flive_yame.html ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠サイトより)八女市は、平成18(2006)年10月1日に上陽町、同22(2010)年2月1日に黒木町、立花町、矢部村、星野村と合併し、 福岡県内で2番目の面積を有する広大な市となり、現在に至っています。福岡県の南部、福岡市から南へ約50kmに位置し、北は久留米市、広川町、 うきは市、西は筑後市、みやま市、南は熊本県、東は大分県に接しています。八女丘陵には岩戸山古墳をはじめ多くの古墳があり、 仏壇・提灯・手すき和紙などの伝統工芸品や、ブランドとして名高い八女茶・電照菊・イチゴなどの農産物が豊富です。



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サマリー

フランスの若手作曲家が目指した「ローマ賞」について、マスネー、ラヴェル、リリ・ブーランジェを軸に語る。賞はローマへの芸術留学資格を得る制度として始まり、作曲部門では隔離された環境で与えられた課題に合唱曲などを書く形式だった。5回挑戦して受賞できなかったラヴェルには、審査の公平性を問う「ラヴェル事件」が起きた一方、リリ・ブーランジェは女性初の作曲部門大賞を受賞し、姉ナディアの挑戦へのリベンジともなった。ローマ賞は1968年に廃止されたが、在ローマ・フランスアカデミーによる芸術家支援の仕組みは形を変えて残っている。

リリ・ブーランジェとローマ賞
今日の曲について、もうちょっと話したいんだわ。 この番組は、FM辞めの朝の音楽番組、キラキラミュージックボックス クラシック音楽の水曜日で語りきれなかった部分を、ポッドキャストでお届けするアフタートー
クです。
お相手は、松尾隆史と、美兎美兎こと今村美兎です。 それでは、もうひとつ先へ、いってみましょう!
今日は明かりの日っていうことで、今日はちょっとこじつけではあったんですけど、 明かりはあえて消させていただいて、秋の夜を、暗闇を楽しむ音楽みたいな。
番組後半別として、5個のうち3つぐらいノクターンでしたね。 ショパンのノクターンが2つで、ショパンのノクターンでフランスの音楽を3つ挟むっていうやつにさせてもらいました。
ノクターンを聞くとしたら、ちょっと用意したかったのは、ディーブーランジェっていう作曲家のノクターンをお勧めしたかった。
もうほんの3分もないぐらいの音楽なので、ちょっと物足りなかった気もしなくはないのですが、 確か今まで持ってきたことなかった気がしてるんですよ。
昔からリスクは持ってましたし、よく聞いていた音楽ではあったんですけど、たぶんこの番組にあえて持ってくる機会がなかったような形でしょうか。
ちょっと本編と少し被りますけど、ディーブーランジェの話をすれば、フランスの女性の作曲家で、子供の頃から音楽の大天才ぶりを発揮しながら、
病気も2歳ぐらいで病気が出てしまって、あまり長生きはできないだろうと言われていた中で、
それでも病気と一緒に天才性も発揮していって、音楽の作曲家としての才能をいかんなく発揮して、
ローマ賞というフランスで一番の若手作曲家に与えられる賞があるんですけど、その賞も女性で初の受賞をして、
24歳という若さで亡くなったという、もう実にもったいない方なんです。
もったいないというと、僕がこれでもったいないというと、若い女の人が亡くなったのはもったいないというといやらしいですが、
写真も残ってますが、なかなか可愛らしい24歳の女性の写真が残ってますね。
頭の良さそうな美しい方だったみたいです。
そのリリ・ブーランジェのノクターンという音楽を聴いていただいたんですが、本編でも紹介したんですけど、
曲を紹介するときに、さっきも言いましたけど、ローマ賞を女性として初めて受賞した作曲家というお話をしたんです。
今日はショパン2つ、ノクターン2番とノクターン20番一作に挟まって、フランスの曲を3つ紹介したんですけど、
みんなローマ賞に関係する人たちだったもんですから、
今日そのローマ賞についてちょっと話そうかなと思ってました。
今日本編で聴いてもらったタイスの迷走曲っていう音楽を書いたマス姉さん。
1863年にローマ賞のグランプリを取られています。
今日僕が聴いてほしいって言って持ってきたノクターンのリリ・ブーランジェ。
この方が1913年、亡くなる5年前だったそうです。
20歳ぐらいでグランプリを受賞した女性の方。
初めて女性で受賞した方だそうです。
それでお姉さんにナディア・ブーランジェっていう方がいらっしゃるんです。
ナディア・ブーランジェはローマ賞に4回挑戦して、結局賞は取れなかったらしいんですね。
それのリベンジにもなったというのがリリ・ブーランジェの受賞だった。
女性作曲家としての受賞ということで。
ナディア・ブーランジェが多分女性として応募ができる一番初めぐらいの世代の方なんだと思うんですよ。
それからリリ・ブーランジェで初めて女性が対象になったっていう流れがあったそうで。
そもそもこのローマ賞っていうのが30歳までだったかな。
若手作曲家じゃないと応募ができないっていうやつなんですよ。
女性が受験を許されたっていうのの一番初めの段階では、
女性は見込んでなければならないとか何か意味がわからないおまけまでついていたという。
女性はいろいろと芸術の面でも活躍するのが難しい時代だったっていう部分はもしかしたらあるのかもしれませんね。
というわけでこのリリ・ブーランジェさんっていう今日ノクターンを聞いた方は、
その苦難を乗り越えてというか、女性全体の苦難を乗り越えて。
それ以上の天才。
ローマ賞の対象に手が届いたという輝かしい業績がある方ではあるわけなんです。
ラヴェルの落選と騒動
もう一人フランスの方今日出てきましたけど、
亡き王女のためのパバアーノを描いたラベルっていう方。
この人もローマ賞に挑戦して5回受験したって言われてるみたいなんですが、
それでも対象は取れなかった。
第3位が最高位だったと書いてありましたね。
2年ぐらい前の映画に僕これ見に行ったんですけど、
ラベルのボレルを中心としたボレルを永遠の旋律っていう映画があったんですよ。
その映画はね、始まりのシーンがラベルがローマ賞を受賞できずに落胆するシーンから確か始まるはずです。
このラベルがローマ賞を受賞できなかったっていうのは、
ラベルはもうすでに原学士重荘とかは若い段階で描いてますし、
いろんな代表作がもうすでに残り始めていた方だったので、
ローマ賞この人選でいいのかみたいなことで結構大きな騒動にまでなっている方なんです。
ちょっとそこら辺はまた後々話そうかなと思うんですけど、
そのマスネ・リリ・ブーランジェ・ラベルって今日は聞いてきましたんで、
フランスの作曲家たちが若い頃、同じ賞を目指してその賞が取れたり取れなかったり。
漫才師さんのM-1みたいな。
ショーレースとか今お笑いの世界でも言いますから。
そこら辺のことがあったっていうのが、そこら辺の話を今日はちょっとしようと思ってるんです。
その前にもう一つですね、素朴な疑問になりませんか。
フランスの人たちが賞を狙ってるんですよ、作曲家は。
フランスの若い作曲家が目指す賞なのに、なんでローマの賞なんですかねって思いません。
そうですね。
あと作曲家のコンテストって何よって、どうやってやるのよっていう感じもしませんか。
ピアノとかね、バイオリンとかのコンクールね、いろいろあります。
チャイコフスキー国際コンクールとか。
作曲家の腕比べをしないといけないんですよ。
楽器のコンクールなら課題曲っていうのが決まってて、それを審査員みんなで審査しようっていうのを想像できるんですけど、
作曲の賞っていうのは何を競うのかっていうような自身作を持っていけばいいのかとか。
そうですね、そもそも何を競うんでしょうってなりますね。
僕もそこら辺あんまり詳しく知らなかったので、調べてきたことをお話ししようと思うんです。
ローマ賞の起源と留学制度
まずですね、ローマ賞っていうのは最初から作曲のために作られた賞ではないというか、
フランスの文化の賞ではあるんですけど、
少なくとも僕にはローマ賞といえば作曲の賞なんじゃなかろうかって思うほど、
ローマ賞は作曲家の逸話とともに知っている賞なんですけど、
音楽のために作られた賞じゃなくて、17世紀にルイ14世の時代まで遡って、
ルイ14世っていうとほら、ベルサイユ宮殿の人じゃないですか。
この時代に宮殿とか建物とかを立派に整えるっていうのはやっぱり王様の立派さを表現するというか、
お城には絵も飾らないといけないし、彫刻みたいのもどーんと置いとかないといけないっていうのがあって、
だから芸術はもう王様の力を目に見える形で示すものでなければならなかったわけなんですよね。
だから芸術家も育てないといけないという考え方になっていきます。
フランスで芸術家を育てようと思ったら、フランスからローマに勉強しに行ってこいっていうのをやらせないといけなかったんですね。
その受け入れ先としてローマに芸術を勉強させる場所っていうのを作るんです。
一応調べてきたところによると、ザイローマフランスアカデミーといったそうです。
そのフランスアカデミーに留学したいっていう人が留学資格を得るために受けたのがそのローマ賞なんだって。
その若い画家とか彫刻家とかにとって、まずその時代に彫刻ないわけじゃないはずなんですよ。ないわけじゃないはずだし、絵もないわけじゃないんだけど。
何がお手本だったかっていうと、やっぱりローマの古代技術者とかローマの芸術を実際に見ることっていうのが何よりの。
今だったらおそらく写真とか動画とかでこういう芸術があるんだっていうのをぼやーっと僕らでも見られたりするような時代ですけど、その時代はおそらく写真もないし。
絵に描いてあったものはあるかもしれないけど、実際に見ないとどういう立体物なのかもわからないとかいうような部分もあるかもしれない。
そういうところを実際うろうろ歩きながら30、160度見られるっていうのはやっぱり夢の留学だったんだろうと思うんですよね。
例えば光の当たり方とかそういったものを実際に体験するっていうのはもう実際その場所に行かないとできないっていうような活動だったんじゃなかろうかというようなことで、
だからこそちゃんとローマに行ってローマの芸術を見てこられるという権利が王様によって与えられたっていうのがそのローマ賞の一番初めだったみたいなんですよね。
それでローマ賞なんですね。
ローマへの芸術留学みたいなものの権利を獲得できる。
そうなんです。町そのものが教材になるっていうことで、お手本を、だからもう古い時代、ローマの時代からのお手本を自分の目で見て身につけておいでっていう留学だったっていうのが考え方としてはわかりやすい。
行っておいでって言って、ただ行ってらっしゃいじゃなくて、国が向こうに拠点を置いて、在ローマ拠点を置いて、自由に見て回るだけじゃなくて、そこに滞在してローマをじっくり自分の体の中に染み込ませるって
いうことが当時17世紀必要だったっていうことで始まった賞がローマ賞なんですよね。
作曲部門の審査方法
作曲のローマ賞について、ラベルとかリリ・ブーラン・ジェとかマスネとかが合格したり合格しなかったりした作曲のローマ賞っていうのが何をどうやって審査してたんだろうっていう話をしたいんですけど。
そういうのもあるんでしょうけど、自分がこれまでに書いた作品から自信のあるものを選んで送ってきて、それを比べてもらうみたいなコンコールも実際あるんでしょうけど、ローマ賞は全然違うんですよ。課題を与えら
れるんですね。
どっかしらに閉じ込められてじゃないですけど、外部との接触を絶って、だからみんなで作っちゃったらその人の賞じゃなくなっちゃうじゃないですか。だから外部との接触を絶っている状態でテキストが与えられる
んです。
何か聖書の一節であったり、何か儀曲の一部分であったり、それを作曲家の皆さんはある程度の期間の中で、それにメロディーをつけるとか、オーケストラにするとか、そういった技術をラベルとかリリ・ブーラン・ジェ
とかが挑戦した頃には、オーケストラの伴奏がつく合唱曲を書きなさいとか。
そういったいろいろな決まりの中で、その期間に自分だけで書いたものが評価されるっていうものだったみたいなんですね。
ちゃんと作曲をするための技術がしっかり身についているかっていうのを試されて、予選があって本選があるみたいなことが書いてあったんですけど、そこら辺はあまり詳しく言ってもしょうがないんでなんですけど。
だから先生に相談したりとかも全然できない状態で、自分で作んなさいよみたいなことだったみたいなんですね。
それで考えたくなるのが、ローマ賞大賞が受賞できなかったラベルをどうしても思い出してしまうんですけど。
ラベルはあんまり歌の曲を作ってない感じがちょっとする。
だからね、僕はですよ。僕はですよ。
ラベルはテキストをもらって、テキストを音楽にするのがもしかしたら得意じゃなかったんじゃなかろうかって僕はちょっと思っちゃったんですけど。
よく考えると、一応ラベルもオペラも書いてますし、ちゃんとローマ賞の課題としても取り組んでいるので、実際できなかったわけではないんでしょうけど、どうなんでしょうね。
得意だったのか得意じゃなかったのかとか言い始めると僕には全然わからないんですが。
けど実際5回ローマ賞に挑戦して、今我々が分かっている範囲では次点第2位第3位ぐらいにあまんじた評価しかされなかったっていう結果は間違いなく残ってるわけなんですけどね。
最後の挑戦の多分これボレロ永遠の旋律っていう映画でも多分それで表現されたのが1905年の最後の挑戦だったんじゃないかと思うんですけど。
その年はもう本選に進む前の予選で落とされてしまうっていうね、屈辱を味わってしまったというような。
逆に面白いですね。
逆に面白いんですけど。
ラフェルはだからもう孔明の作曲家になりつつあったのですでに。
もうすでにさっきも少し言ったかな、原楽詩十奏とかはもうすでに書いてるんですよ。
その受験をした段階で今日本編で聞いた泣き王女のためのパバアーヌとかもまだオーケストラ編曲はしてないけどピアノ曲としてはもう作曲してたはずなんです。
そんな感じで自分の音楽も世に出し始めてる人が作曲の基礎を試される段階で落とされたっていうのにものすごくなんかもう世の中の皆さんからそれは本当なのかと。
そんな選考で大丈夫なのかっていうふうにすごい反応があったらしくて。
もう一つ問題になったのがその年に予選を通った人たち6人いたそうなんですけど。
その人たち全員が審査員の先生の弟子がだったと。
だからこういうのなんて言うんでしたっけ。
コネ当選みたいな。デキレース当選みたいなのがあったのではないかみたいな。
それはなんか不正があったのではないかみたいな公平だったのかみたいなちょっと疑問が向けられたで騒動になったって。
ラベル事件と今も言われるんですけど。
ラベルでは落ちてかわいそうっていう話よりも権威あるその選び方をね。
省の選び方を問う騒動に結局発展していくんですね。
でそこからまああのそうね。
わかんないですよ実際ねあの作曲家の中では実際先生にあたる人たちっていうのは新しい芸術は変なものだと思う考え方って多分あるでしょうしね。
新しい天才の音楽はわからないっていう場合って多分あるかもしれないし。
そんなので失意のうちに後半生を送った作曲家とか山ほどいるわけですから。
今はこんなのが流行ってるが僕の音楽はもう古くなったのだろうかとか言って。
後半生を送った作曲家っていうのはいっぱいいらっしゃる中で。
だからその審査員が本当に適切であったのかとかいうような話に騒ぎになってくると。
まあいろいろ困っていったりもするわけなんでしょう。
でその中でその審査員の弟子が6人綺麗に合格してしまっていれば疑いの目を向けられるっていうのもわからんじゃないという話なんですよね。
この騒動でですねパリ音楽院の委員長が辞職に追い込まれたって説明されることがたまにあるんですけど。
ただもともと辞めたいって言ってたっていう話もありますんで。
まあちょっとそのラベル事件の責任を取って辞めたとはあまり言い切らない方がいいっていうふうにちょっと書いてあるところがあったので。
ちょっとここは言い切らずに進めようと思います。
ちょっとひと騒ぎになったわけなんです。
で結局のところ30歳までにローマ賞を取るっていう目標はラベルにとってはもうかなわなかったっていう。
今日叶わなかった人は今日紹介したフランスの作曲家の中で叶わなかった人はラベルだけなんですけど。
女性初の受賞者リリ・ブーランジェ
リリ・ブーランジャーの話に移りたいと思うんですけど。
1913年に女性として初めて作曲部門大賞を受賞するんです。
まだ19歳だった。20歳ぐらいって僕は記憶してました。
今日聞いていただいたノクターンって静かな音楽ね。美しい音楽だったと思いますけど。
受験したときはノクターンみたいな小さい音楽ではなくて、
もう編成も規模も桁違いの合唱曲とか作らないといけないんだから。
もう歌手とオーケストラによる劇的な音楽もちゃんと作れる方だったということですよね。
長い歴史の中で女性が正式に認められたのがリリ・ブーランジャーが合格した10年前ぐらい。
わずか10年前から女性が受験していいよになって、
受験が認められた当初はなぜか結婚していない人じゃないとダメっていう条件がついていたということで、
いろいろと制限がある中で女性の皆さんの権利が獲得されていったっていうところなんでしょうか。
さっき少しだけ言いましたけど、お姉ちゃんのナディア・ブーランジャーも4年5年とローマ賞に挑戦して、
ナディアに関しては大賞は取れなかったんですけど、リリーがリベンジしたという。
なんかちょっと胸がすくような感じですが。
リリ・ブーランジャーの受賞っていうのはもう一人の優れた作曲家が認められたっていう出来事であると同時に、
女性が作曲家として公の場で認められたっていう。
フランスはどちらかというと女性の権利はだいぶ認められている国っていう印象はありますが、
フランスでもやっぱりそうだったんですねって思うような感じではありますね。
リリ・ブーランジャーは24歳という若さで亡くなってしまうんですけど、もともと体は弱かったんですが、
ローマに、さっきから話している通り、ローマに留学に行かないといけないじゃないですか。
また折り悪くというか、第一次世界大戦の頃なんですよ。
ちょうどね。だからあんまりローマにゆっくりいられるわけでもない感じになって、
それでも作曲を続けて24歳で亡くなるまで作品を残し続けたと言われる方なんですけど。
今日のノクターン、静かな曲聴いていただきましたけど、あれまだ18歳の時で。
まだすごいでしょ。
そりゃそうでしょね。19歳ってことは、そういう計算になりますよね。
まだローマ賞取ってない頃なんです。
あの短い作品の後に、まだこうしたローマ賞に対する挑戦が残っていたっていうようなところを考えると、
若いリリ・ブーランジャー、写真が残ってるんで調べてみて、かわいらしい女性なんです。
そうですね。
その若いリリ・ブーランジャーの姿が少し具体的に見えてくるような気も、ローマ賞という接点でするかなと思ったりしますね。
マスネーの話はあまりしてなかったんですけど、マスネーはちゃんとグランプリ取ってるんですよ。
それでラベルは5回だったっけ、挑戦しながら大賞には届かなかった。
その後、リリ・ブーランジャー、女性として初めて大賞を受賞したとかいうようなね。
歴代受賞者とローマ賞の廃止
ローマ賞のね、歴代を僕見てきたんですよ。
百何十年確か、百何十年っていうローマ賞の歴史で、誰が優勝して誰が2位で誰が3位っていうリストが残ってるんですね。
それちょっと見てきたんですけど、僕が知らない作曲家っていうのは山ほどいますね。
ちゃんと大賞を取った方でも、僕は全然名前を知らないっていう方でも、名前ぐらいは聞いたことあるかなっていう方もいる。
たまにごく稀に、僕でも知ってる、あの人じゃんっていう人がたまにいるっていうぐらいの感じのリストでした。
ベルリオーズとかね、ベルリオーズ1830年に大賞を取ってます。
あとグノーが、バッハ・グノーのアベマリアとかで有名なグノーですね。1839年に大賞を取ってます。
あと有名なところではドビュッシー、ドビュッシーも1884年に大賞を取ってまして、この人も一応有名なんですが、イベールという方がいらっしゃいました。
イベールさん、1919年に自責、優勝してませんでした。
そんな感じで、たまに有名だけど大賞は取ってないとかいう人もいたり、ラベルとかもそうですよね。
そんな感じでね、大賞とかを頑張って取った人と、たぶんその年はね、すごい頑張って大賞を取った芸術家だったんだと思うんですけど、
そういう人たちでも現代に名前を残すっていうのはなかなか大変だなっていうのがわかるほど、大賞を取ってる人もほとんどの方を知らないっていう歴史は確かにあるんだなというような感じはしましたね。
まあそんな感じで。
面白いですね。
KAR賞って何だろうっていう。
日本ではあんまりそういうのはね、印象はないんですけど。
そうですね、小説で芥川賞とか。
芥川賞とかね、そうですね、確かにそりゃそうだ。芥川賞とか直木賞とかそういうのはね、もちろん有名な賞はありますが、作曲とかではあまり聞かないかなと思ってね。
そうですね。
やってる人が少ないのかな。
きっとあるんでしょうけどね。海外でピアノとかバイオリンで。
いやいや、そりゃありますよ。
その印象の方が。
それはもちろんそうだと思います。
音楽系はなんか強いですよね。日本国内でってあるんでしょうけれど。
あるのかもしれませんね。僕はあまり知らないですね。
まあそんな感じでローマ賞っていうのを目指した作曲家たちの話を話してきましたけれども、
この賞が今もあるのかっていう話を一番最後にしようと思うんですが。
実はですね、ローマ賞、ラベルとかリリ・ブーランジェとかが挑戦した形のローマ賞は、今はもう残ってないんです。
1968年、僕が生まれた前の年です。
当時のフランスの政府が廃止させます。
で、あのね、音楽部門が始まった。ここに書いてた。音楽部門が始まったのは1803年だそうなんで、160年続いた制度だったんだそうです。
1968年というと、今のフランスもえらいことになってるじゃないですか。
その68年もフランスでは学生運動とか大規模ストライキとかが起こって、
すごい社会の仕組みとか権威とかがいろんなところで問い直された年だったらしいんですね。
で、そのローマ賞をめぐる改革もその流れの中で進められたという風にされてまして、
今フランスがとんでもないことになってるのもね、学生運動とか言われてますけどもね、あまり深く触れませんけども、
そういう流れの中で僕が生まれた年ぐらいにローマ賞廃止された。だからもう60年ぐらい前ですね。
賞が廃止されたっていうのは実際記録としては残ってるんですけど、
そのローマで芸術家を支える、さっき在ローマフランスアカデミーの話をしましたけど、
その組織は今も残ってるんだそうです。だからその先行の方法がローマ賞っていうものではなくなっているんだけど、
その在ローマ、だからローマに行ってフランス人のみんなローマに行って勉強しておいでのシステムは残っているみたいで、
今は映画とか新しい文化についてもその仕組みが利用できるというか、そういった分野にも文庫が広げられているそうで、
昔のローマ時代の色々な芸術文化とかに触れる、学ぶための制度っていうのが今も残っているっていうことらしいんですね。
というわけでローマ賞とは呼ばれてないんだけど、目指したローマにはその後もフランスから芸術家たちが未来を見据えてやってくるっていうようなことになっているみたいっていう話でございました。
今はフランスは芸術のことをゆっくり考えられている感じでもなさそうにはテレビのニュースでは思うんですが、
もうちょっと平穏なフランスが早めに帰ってくるといいですね。フランスにパリ旅行とかも早めに行けるようになるといいですねというような感じでございました。
今日はローマ賞っていうものね。フランスの芸術家たちが目指した賞の一つっていうので、作曲家の経歴によく出てくるものですからちょっと調べて皆さんに共有しようと思った番組になりました。
ということでありがとうございました。
ありがとうございました。
皆様からのメッセージは概要欄においておりますフォームからお寄せください。
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それではまた来週あたりお会いしましょう。
28:43

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