1. おまえらわかってねえんだよなあ
  2. #73 餃子から学ぶハイセンス男..
2024-10-19 47:56

#73 餃子から学ぶハイセンス男子の心得

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2018年に流行ったモテる女のさしすせそ、


「さすが」「知らなかった」「すごい」「センスいいですね」「そうなんだ」


というのはもはやあまりにも有名になり、かえって使うのが憚られるほど。しかし男たるもの、これらを言われると満更でもないのが悲しい性。ただここで一番言われるのが難しく、その分また言われると嬉しいのは「センスいいですね」。


今回はその「センスいいですね」を言われるために、千葉雅也さん著「センスの哲学」を元にセンスのいい男になるための条件を考えてみました!


①そもそもセンスとは?


②何をすればセンスがよくなるのか


③センスにとらわれない生き方とは


※今回は千葉雅也著(2024年)『センスの哲学』株式会社文藝春秋のネタバレを含みます。本の購入はこちらから👇


https://amzn.asia/d/0lv9hkl


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実践はまだですが、この本を読んでから頭の中では理論上めちゃめちゃセンスが良くなっています。餃子食べたい🥟


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サマリー

今回のエピソードでは、センスの重要性について探求し、センスの良し悪しが文化的資本に影響することや、センスを育てるための手段が語られています。また、センスの悪さについて触れ、選択肢が多すぎることが心の不安を引き起こす点にも言及されています。このエピソードでは、餃子を通じてセンスの重要性と再現性の欠如について考察されています。ピカソの作品やコピーバンドの例を通じて、自分自身のオリジナリティを追求することの大切さが強調されています。また、餃子を通じてハイセンス男子になるための心得についても考察が行われ、特に存在と不在の関係を通じて自己成長や安定を求める人間の心理に焦点を当てています。本エピソードでは、餃子の作り方を通じてハイセンス男子の心得について探求されており、千葉さんの語りを通じて音楽や芸術における意味の解釈や日常生活における小さな意味の重要性が浮き彫りにされています。このエピソードでは、センスの良さを理解する過程や「進撃の巨人」のカミングアウトシーンなど、芸術やストーリーテリングにおけるリズムの重要性について考察されています。また、センスのある男子になるための具体的な方法も提案されています。さらに、センスの重要性について探求し、ピアノの例を通じて自我の表現と技術のバランスについて考察されています。「センスの哲学」という本の魅力についても触れられています。

センスの定義と重要性
おまわか
モテる女のさしすせそ
さすが
知らなかった
すごーい
せ、セバスチャン?
セバスチャン、そう
そうなんだ
なんで、急にリトルマーメイド一回
セバスチャンじゃない
せが浮かばなかった
せね
せなんだっけ
政治的思想が強いですね
あ、そうだった
そんなわけねえんだよ
センスいいですね
あ、そこだっけ
文章なんだ
急に喋る、よく喋る
急によく喋る女になっちゃった
よく喋る女になっちゃうから
こういうね、2018年くらいに流行ったけど
ここであるみたいな、センスいいですねっていうのはね
いい褒めゼリフだよね
そうだね、嬉しいね、言われたらね
だし、言われるのも難しいじゃん
センスいいねと言わせるのも
確かに
えのきのセンスの良さとか
センスのいい人ってどんな人
やっぱり
普通の人とは違った
価値観とか
持ってる人じゃないかな
なんかいる?芸能人とかね
アノちゃんでしょ
センスいい
センスいいっていうか分かんないけど
やっぱりね、既存の既成概念があんまり頭にないというか
あ、そうだね
かつ、ダサくない
そうだね、されてる感じあるもんね
そうそうそう
確かに
あとは
クリーピーナッツとか
あ、センスいい感じするわ
いいよね
別にめっちゃかっこいいっていうわけじゃないけど
独特のスタイルを持っていて
そうだね
それがかっこいいっていう
あ、いいこと言うね
独特のセン…ね
なんて言ったっけ
スタイルだね
独特のスタイルがあってっていう
うん
いいよね
そう、まあそんなね
今回は
いわゆるそのセンスのいい人にやっぱなりたいじゃない
なりたい
クリーピーナッツになりたいじゃん
なりたい
アノちゃんにもなりたいじゃん
なりたい
そのためにどうしたらいいかなと思って
ちまなこで本屋を歩いていたときに
解決するか
見つけた本がこちらです
センスの哲学
なんか表紙はすごいお堅そうだけど
そう、お堅い
これちなみに帯ついてて
うん
まあもう捨てちゃったんだけど
帯2種類あって
自分が買った方の帯は
この本はセンスが良くなる本ですって書いてあった
直球だね
センスが良くなる本を買いました
あーもう書いてあったから買ったんだ
そう
確かにね、わかりやすくていいね
いいよね
で、もう1種類の帯
隣の方に奥の方にあった本の
同じ本のね
うん
帯は東大・京大で一番読まれてる本って書いてあった
待って
俺、それさ
俺たちの好きなさ
思考の生理学にめっちゃ書いてない
塗り替えられた
変わった
塗り替えた
塗り替えちゃったんだ
思考の生理学2
センスの哲学
センスの哲学が塗り替えたらしい
確かに互換は近いけど
思考の生理学、センスの哲学
売れてる物語でよくあるもん
真ん中にのを挟むといいって
鈴宮春日の憂鬱みたいな
隣のトトロみたいな
そうそうそうそう
確かに
思考の生理学
センスの哲学
それかー
その理屈でね
なるほどね
センスのいいタイトルしてるでしょ
はい
センスの哲学っていう本を読んでみました
はい
で、この千葉雅也さんっていう
1978年生まれの東大教養学部卒業
パリ大中大学および高等師範学校を経て
はい
東大の大学院の総合文化研究科
聴覚文化学科学科専攻なんちゃら領域を出てる
学科学科領域はね
すごい人が書いた本らしい
結構なんか
そんな意味で売れてはいたのよ
読んでみて結構難しかったところもあるので
自分なりに
あ、これってこういうことなんだろうな
という解釈も含めて
ちょっとえのきに
どうやったらセンスの良い男に我々がなれるか
ちょっと話をしていこうかなと思います
よろしくお願いします
はい
じゃあ早速中身に入るんだけど
大きく分けて
トピック3つで分けて話そうかなと思っていて
はじめがまあ
センスが良い悪いというより前に
じゃあそもそもセンスって何なんだっていう話
と2つ目が
じゃあ何をやったら
そのセンスが良くなるのかという話
3つ目は
まあそんなセンスセンスっていうのに
もうそもそももう
とらわれないような生き方での
どういうことかということで
ちょっと話をしていこうかなと思います
センスを育てる方法
なるほどね
でじゃあまずセンスって何なのか
っていうことでいくと
そのセンスっていう言葉を辞書とかで考えて
引いてみると
簡単に言うと深く考えなくても
分かってるとか
分かってしまうみたいな意味
うんうんうん
まあ確かにセンスいい人って
いちいち考えて
いやこれはこういう組み合わせでっていうよりか
直感的にさらっとこなしちゃう
かっこよさみたいなのがあるじゃん
そうだね
そうでまあそういうので
この書いてる人は
直感的で総合的な判断力っていうのを
センスとして呼んでる
なるほどなるほど
確かにセンスって
英語でそのまま書いてもね感覚っていう
そうそうそうそう
みたいな
うんうん
でじゃあそのセンスの良し悪しが
じゃあ何で決まるかっていうと
今言ったみたいな
この直感的で総合的な判断力っていうのが
センス
でその良し悪しは
文化的資本に左右される
うーん
と言っていて
まあなんとなくイメージは
ちょっとイメージつくね
あるよね
うん
みんな大好きなワードだね
文化的資本
文化的資本
うん俺も大好き
ことあることに口ずさむからね
そうだよね
それは文化的資本が原因だね
育ちが悪いなみたいな言い方
そう
っていうのもそもそも人間っていうのは
自由の余地がかなり広い動物だと
ほう
だからもう関心の範囲っていうのは
もう無限に広がっちゃうから
うん
それをある程度の狭さに限定しないと
どんどん不安になっちゃう
うんうん
簡単に言うと多分
何でもしてもいいよって言われると
何したらいいんだっけとか
そうだよね
高校生の時とかによく思ってたさ
大学に入って何をしたいか分からない
あー
君の未来は無限大だって言われても
それが逆に不安だみたいな
そうそうそうそう
そういう話だよね
あーそうそうそうそう
でこれなんか自分の中で
これにすごい近いなと思ったのは
自分がその大学の卒論で
うん
水素学の曲を作った
前もちょっとお話したかもしれないけど
うん
その時のテーマが
その水素学コンクールの課題曲風のマーチを作るみたいな
うんうん
ものであって
でまぁ前提は
毎年水素学コンクールの課題曲のマーチっていうのは
一般の人から作った公募の新曲ばっかりなんだけど
なんで毎年似ちゃうんだっていうことで
10年20年分の譜面集めて似たような曲を作るっていうことをやって
でその時初めて作曲をしたのね
すごい
でもなんか作曲をするってなってもやっぱり
何したらいいか分かんないから
うん
テーマとか
なんかその時にそういう水素学コンクール風とか
あとそのコンクール曲の規定だと
音域がこっからここまでとか
うん
演奏時間が何分とかっていう制限があったのと
あとそれでも結構やっぱ範囲広かったから
作る時に大学の校歌のモチーフをいろんなところに使う
みたいな制限を自分でかけて
うん
作るっていうのをやって
すごいやりやすいなって思ったから
うんうん
なんかこういう風に制限があると
なんかやりやすいっていうのはこういうことかなっていうのはすごく思った
なるほどね
何がいいって言われると何をやっていいか分からなくなっちゃうんだね
そう
夜ご飯何食べたいって言うと何がいいか分かんなくなっちゃうから
確かに
そう
肉魚とか
中華とか
でも逆でも言えるよね
うん
あのー
主婦の人がさ
うん
帰ったら何食べたいって
うん
相手のパートナーに聞いた時にさ
うん
パートナーが何でもいいよとか言うから
あー確かに
なんか何か言えよって
なんかね意志を出してくれって
何でもいいよって言われて
うん
じゃあハンバーグかなって
いやハンバーグじゃないでしょ
いやそうそうそう
今日ハンバーグじゃないでしょみたいな
あるあるのね
あるある
パターンあると思うけど
やっぱ選択肢を提示するってねやっぱ狭めることだよね
そうそうそうだね
そういうのがね
あの意思決定には大事なのかもしれないね
そう
まあ人間がそもそもそういう風に思考の余地が広いっていうのを
まあ認知が余ってる動物って呼ばれてるんだけど
そういう余ってる動物が文化資本を形成していく上では
その多様なものに触れる時の不安を緩和して
あ、余ってる動物である我々が文化資本に触れる
で文化資本形成されるっていうのはどういうことかっていうと
いろんなものに触れて
たくさんのものに触れることで
その認知が広がってる不安をちょっとずつ緩和していって
その不安を面白さに変換する回路を作ることだって言っていて
はーちょっと難しい
急に難しければね
そう
まあなんか要は分かんないことっていろいろ不安だけど
そういういろいろなこの文化資本を得ることで
その不安がこういう仕組みになってるんだって
面白さに変換するこの道筋がどんどんできていくことだっていう
なるほどね
そういうふうにちょっとずつ不安を面白さに解消することが
できるようになっていくっていうのがセンスを育てることだと
なるほど
センスの悪さについて
言語化できているようなよくわからないような
言われたらそりゃそうなんだけどみたいな
いろいろ言ってしまえばそれっていろんなものに触れることで
センスが良くなりますって話になるから
そうだね
ちょっと広いよね
じゃあ逆に言うとセンスが悪いって何なのって話で
うん
センスの悪さっていうのはこの人は一つに足し算で表してて
不十分な再現性プラス無自覚に出てしまう身体性
へー
まあ分かるより分かんないじゃん
そうだね
結構気になるのが不十分な再現性っていう方で
ピカソと写実性について
これ何かっていうと例えばよく言うのが
ピカソの絵を見た時に下手くそだとか
これなら俺も描けるわとか
でもピカソ昔上手かったらしいよとかって言うじゃん
これの上手い下手何で決めてるかっていうと
その写実性で決めてるわけじゃん
要はそのリンゴ写真みたいに描いてるのは上手いけど
カクカクで描いたら下手だみたいな
これはもう言ってしまえばその判断基準
その再現性が高いかどうかっていうことだけで言ったら
ピカソのゲルニカとか泣く女とかも下手くそになるけど
ピカソは別に下手くそじゃないじゃん
そうだね
それは何でかっていうと別に再現性を目指してやっていたわけじゃなくて
自己中の表現とかキュビズムみたいな別のもので
高めていったから今の地位があるっていうことで
逆に言うと例えばそのアンティーク調の机
アンティークの机はすごいものがいいけど
アンティーク風にしてる300均の机って下手くそじゃん
そういう意味では
あとはそのコピーバンドとかも
例えばサカナクションのコピーバンドがいた時に
サカナクションらしいかどうかっていう判断基準だけでいくと
どうやっても本物にはならないから
再現性がどうやっても低くなっちゃう
っていうのがその不十分な再現性
なるほどね
前半と後半の話がやや違うような気がしていて
前半は写実性の話だよね
ピカソの話
本質捉えてないよみたいな
本質性を重視しているんじゃないよっていうのがピカソの話で
後半は本物があって
その本物にいくら近づけようとしても
結局本物が一番だから
本物にはなり得ないよねみたいな話だよね
モノマネとオリジナリティ
ピカソの絵を批判する人はどうかっていうのはあれだけど
要はその本物に似てるかどうかの判断基準で決めるかどうかって話?
リアルに実在するものと近いかどうかっていう話かな
ピカソが描いたリンゴと本物のリンゴを見た時に
写実性的にどうかっていうことで言ったら
下手くそになるじゃん
ピカソはね
ピカソは下手くそだと言われてしまうじゃん
でも本当はピカソの世間の評価は下手くそじゃなくて
ピカソなりのキュビズム的なやり方があって
それで評価をされているから
そういう判断基準であるべきじゃん
さっきのサカナクションとサカナクションのコピーバンドがいた時も
サカナクションのモノマネをしている段階では
どうやっても本人にはならないから下手くそじゃん
でも彼らコピーバンドが別で自分たちのやり方を見つけて
俺らはこういう音楽性やっていくんだってことを見つけたら
それはセンスがいいじゃん
それはそう
っていう話
なるほど
だからそういうふうに
あの人のそっくりになろうとするとか
そうやってるとどうやっても不十分な再現性が生じちゃうから
モノマネをしているだけではやっぱりセンスが悪いと言われてしまうっていう
なるほどね
そう
だから例えば
モノマネ芸人の金太郎とかも
よくさ見たことある
前田敦子のモノマネとかするじゃん
やってたね
前田敦子にもう似てないじゃん
似てないけど人気があるじゃん
それは別に下手くそな前田敦子のモノマネをする人じゃなくて
金太郎のモノマネシリーズっていう別の独自のものを
気づいたから人気があるんだよねっていう風に
そういう何かのモデルの再現から降りるっていうことが
物事のリズムの理解
センスの目覚めである
なるほどね
何かの再現をしようとするなっていうこと
そうそうそうそう
みたいな
なんか昔流行った
俺は金太郎にはなれないが金太郎も俺にはなれないみたいな話だね
流行ってたんだ
知らない
知らない知らない
昔なんかどっかの美容院に飾ってあって
ネットでバズったやつ
そうなんだ
だからそういう誰かのモノマネをするんじゃなくて
なるほどね
うちの父親に聞かせてあげたいよね
うちの父親は金太郎が昔大好きで今は好きかもしれないんだけど
どっか俺がさ
ちっちゃい頃テケテケテケーってお得意ことすると
ちょ待てよ
好きすぎるな
ちゃんとモノマネみたいに赤いチェックシャツを着て
本当に?
ロン毛で
ヒーローの時じゃん
ヒーローの時の金太郎のまんまだったから
あれはね悪い方のさ
再現性を目指して
スタイルを目指そうとしてないね
どうやっても不十分になるから
それを話を聞かせてあげたかったな
そうだね
これおすすめしといて
そうする
後でリンク貼っておきます
リンク貼っておくのでそこから買ってください
父親のリンク
そもそもセンスとは何かっていう話
次に何をすればセンスが良くなるのかって話なんだけど
今言ったみたいに
何かを再現しようって考える思考から降りることが
センスが良くなる第一歩なんだけど
そもそもなんでそんな風に何か再現しよう
それこそお父さんが
なんで金太郎の再現をしてるのかっていうと
それはそれが持つ意味を求めて
その意味を自分の中に取り込もうとしているから
金太郎らしさを自分の中に入れて
金太郎になろうとするとか
みたいなことが
なんでそういうことをするのかって要因なんだけど
そういう風に意味を取り入れる
意味を取り入れるっていうことが
変更してしまうのがそういうことで
裏を返すと
そういう意味を取り入れるとかっていう意味を考えるんじゃなくて
それより手前の物事のそれ自体がどう面白いかっていうことを
考えるべきだって風に言ってるのね
ちょっと難しくなってくるけど
そうだね
その意味意味じゃなくて
それ自体がどうかっていうこと
そのためには
この千葉さんの言い方
著者の千葉さんの言葉を借りると
物事をリズムとして捉えることが重要だと
ちょっとあんまりまだピントきてないけど
鍵括弧リズムみたいな感じで
リズムとして捉えることが重要
例えば世の中にリズムって色々あるけど
例えば雑談してる時とか
あるいは他の人のラジオ聞いたりしてる時とかでも
物事がすごいバッて盛り上がるところと
落ち着いたところの緩急とかもあるじゃん
当然何事もリズムがあって
例えば物の形とかでも
トランペットとかも
外側に向かってベルが開いてるところがあったり
口がすぼまってたりとかがあって
これは例えば他の
食事っていう体験とかでもそうで
例えば餃子を食べた時に
初めは熱いっていう感覚が来て
次にカリカリしてるなっていうところから
肉の味がガツンと来て
その後にニンニクの味が来て
醤油の味が来たところに
ツンとする酢の味が来て
タイの辛みが来て
みたいなこのバンっていう刺激と
ツーって穏やかな部分のコントラストの
デコボコリズムがありますよねっていう話
味覚がA便だ
めちゃめちゃ神経質に餃子食べてる話なんだけど
なるほどね
でも物事は何でもそうだよね
例えばうまい棒1本で言っても
うまい棒1本はどこを取っても平均なようだけれども
多分めちゃめちゃ細部に見ると
噛んだ時の食感だけ感じるシーンから
外側のサラダ味の塩味を感じるところ
中の空気の入ったパフみたいになっているところっていうので
多分外側のサラダ味の表面を
舌の上で舐めた時の
その塩味がベストなんだろうから
はじめのね
そうそうそうそう
でしょ
だからそこでリズムが生まれてる
確かにしかもあれ
あのまま口入れておくとちょっとふやけるしね
そういうこと
そういうことだよね
何事にもリズムがあると
リズムがある本当にそういうこと
レイヤーは異なれど
レイヤーは異なれどリズムはある
で例えばこの表紙になってる絵も
これラウシェンバーグっていう人の
サマーレンタルプラス1っていう絵らしいんだけど
まあなんかこういう絵って
よくみんななんか現代美術だ的な話をして
そうだね四角いキャンバスに
なんかメインがなんだろグレージで
よくわからないピアノ階段
なんかよくわからん
黒とかいろんな色でできた
あの階段とかピアノチックなものが
右側の端にあって
その上側に絵とか
そうだね
アルフェットっぽいものとか文字とか色とかが
バラバラに俺から見たら書かれているような
いわゆる現代チックな絵だね
そうでまあこれ画像出そうと思うけど
これもだからさっきの言い方で言うと
下手くそだ俺でも作れるっていうのは
すごい意味を求めたやり方
であって例えばこれを見るときに
パッて見ただけで
こっち側のがなんかいろいろ詰まってるじゃん
そうだねそのピアノとか書いてある右側の方がね
そう右側が詰まって
左側の白っぽくピンクっぽくなってるところが
空いててというだけで
そもそも空いてるところと混んでるところっていう
まずデコボコのリズムがある
であと
例えばその同じここの黒色でも
上の黒色の中央上側の部分とかって
黒にちょっと白が混ざったり
すごく手書きっぽかったりするけど
右側の中央のところの黒って
すごく正確に四角がべったりにならしたりするから
それだけでも動きのあるなしとかで
ここにリズムが埋まってる
とかそこの上のところに入ってる
このアルファベットも
AとかなんかOの上の部分みたいなことはわかる
うん
だけど別にこれアルファベットとして読めないし
そうだね
その時点でもこれがアルファベットっていう
この意味から離れて
こういう動きとして見るものになってるから
ここでもリズムが生まれてますよねみたいな
なるほど
そうっていうので
この絵としての見方
リズムとしての見方みたいなことを
伝えてるわけ
こういう風に物事をリズムとか
動きとして見るっていうことが
さっき言ったその意味から離れる
ということのポイントの一つとして
ありますよねっていう
うーん
なるほどね
さっきの食べ物の例だと
そのリズムの話って
なんかすっと腑に落ちるんだけども
絵で言うと
そのリズムを見つけるために
なんて言うんだろう
意味が必要な感じがなんとなくして
感覚的にはね
なるほど
その描けるじゃんっていう意味が
描けるじゃんって言ってる人が
その見えてないっていう
そのリズムっていうのが
どうなんだろう
多分その人にとっては
その色味の数とか
その成功さとか書かれているね
だけで判断して
描けないね
俺でも真似できそうだねって
多分言っているんだけれども
心理と存在の関係
実際にはさっき言ったような
そのベタ塗りとか
その質感とかの差があったり
文字を文字として捉えてないねっていう
話が多分あったりするんだろうけども
それがなんか
それも意味なんじゃないのみたいな感じが
個人的にはしちゃうっていう
どっちかっていうと
絵は写実的であるべきだみたいな
この一つの意味から離れるべき
って思うんじゃない
常識みたいな話
とかあとは例えば
これを見た時に
いやこれはこの部分が戦争のことを
表していてとか
っていう風になったら意味だと思うけど
単純にここが激しくて
こっちが落ち着いててっていうのって
意味はないんじゃないじゃん
もちろん激しい落ち着いてるっていう意味はあるけど
それをこの著者は
ある意味激しい落ち着いてるだけみたいな
深い背景がないものを
便宜上リズムと呼んでるから
なるほど
だからそれがセンスにつながってくるわけだ
そうそうそう
そういう意味ではもうこれを
深い例えば
これを作った時の著者
もしかしたらあるかもしれないけど
この時はこういう背景が
例えば奥さんと離婚していて
この時のここそれを表していて
みたいなのが
かんぐるのがある意味
意味的に見る見方
そうじゃなくて
もうこれを単純にここが動いてる
ここが止まってるみたいな
なるほど
見るのが意味から外れた見方ですよね
みたいな
はいはい
でなんかそういう風に
その意味じゃなくて
動きとして見るみたいな視点が
必要だよねっていうのが
言っていた話
なるほど
そう
でこういう風に動きっていうのを
考える時のポイントとして
問い難しいって難しいじゃん
うん
いう時のポイントとして
千葉さんが提唱してるのは
その事を0と1で動きとして考える
簡単に言うと
これだったら白っぽいか黒っぽいかとか
みたいな
分け方にすると
ある程度線引きはできるじゃん
そうだね
で世の中のものはそういう意味では
その0とか1
もっと言うと
あるとないに分けることはできる
っていう話をしていて
うん
例えば宝探しに行きますっていうストーリーも
ないものをある状態に向かわせる
っていうストーリーとも言えると
極端な話で
そうだね
で例えば卵かけご飯を作ろうと思って
卵を割った後で醤油がないことに気づいて
今から買いに行くのかと思ってがっかりした
っていうことも
あるなしで一応言える話だと
それは
卵かけご飯を身体に取り入れる
ある状態にしようとしたものの
醤油がない状態だったから
今からあるにしなければならないのかと思った
とか
あとはその素敵な景色を見たときに
好きな人が今隣にいてくれたらいいのにな
っていうあるに対する扇望があるとか
はい
とかそもそも人間はお金がないので
あるためある状態にするために働くのだ
っていうような不在を存在にしようとする
エネルギーがあるのだみたいな
不在と存在の話を
ここから展開しているわけ
ちょっと話飛んでるように見えるかもしれないけど
そうだね今のところつながってないかもしれない
まあでもそういう
負けることはできるよねっていうところはね
まあそうかもしれないなあと思うね
うん
そう
で、まあ
一個例として挙げられているのが
いないいないバー
で、これは
いない
いるんだけども
自立の第一歩
いるんだけども
いるんだけども
いないじゃん
いないね
いないいないじゃん
バーするから
いるね
驚き
そう驚き
そこの中でも
まあいないいないっていうところの長さが変わったりとかっていう
まあそういう意味のリズムも生まれたりするし
うん
それだけじゃなくて実は
いないいないバーは
一時的に
母親が不在であるという
うん
不安を感じると
はいはいはい
その上で
誰かがいないサビストを埋めようとして
成長する
っていう心理があるみたいで
そこから自立していくための
一つの遊びになってる
っていうことも言っていて
そういう風に
さっきのそのお金がないからあろうとするとか
母親がいないから自立しようとするとか
人間はそういうないものをあるようにするような
安定状態を目指す傾向があるよねっていう話
うん
をまあしてるんですね
はいはいはい
そう
なんで例えばその
サステンスとか見ててすごいワクワクするのも
いわゆるその事件が起こって
例えばまあ人が死んでとかって何か起こって
緊張状態から早く緩和させて解決させたいっていうような
その不在から
存在に向かうようなエネルギーがあって
面白さが出てくるんですよねっていう
うんうんうん
話をしていると
はいはいはい
だからそういうのもひっくるめて
ハーモニーと解決
不在から存在に向かうエネルギーも含めて
そういうのもリズムとして呼ぶこともできるよねって
ちょっと結構広い話なんだけど
そうね
うん
そこは分かりました
なんとなく
分かりました
うん
だからまあここで結構ポイントとして言ってるのは
その不在から存在に向かうような
人々はなんかこう
安定に向かうエネルギーっていうのは
強くありますっていう
あーそうなんだ
そこが大事なんだね
そう
不在から存在に
ないよりあるほうがいいってこと?
まあ例えば
うーん
まあないよりあるほうが
なんかその
何本あってもいいですからね
そうそうそうそう
まあ金ないよりはあったほうが嬉しいし
食べ物ないよりはあったほうが安定するし
まああったほうがっていうよりかは
なければならないから
それを埋めようとするっていう感じ
だからさっきのにゃいにゃいバーで
そのお母さんがいないっていう状態って
ありえないから子供にとって
でそこから
いやどうにかして母親がいる状態にしたいんだけど
でもいないいないでいないから
それをなんとか自分で補おうとするっていうのが
自立の第一歩らしくて
うんうん
だから基本的にはその
存在がベースで
それがマイナスになるようなイメージ
まあまあゼロか
ゼロになるようなイメージ
うん
なんだって
うーんじゃああれなのかな
えっと
さっきのお金とかの話で言うと
その人たちの潜在的にはもっと
儲かってるはずみたいな
潜在意識があって
それをそこにたどり着くために
うん
その不在っていう前提で
あのお金を儲けようと頑張って
ある状態に持っていこうとしてるみたいな認識なのかな
どっちかっていうと
もうあの生きるためのお金的な方
あーそうなんだ
お金がないと暮らせないとかの方
あー
なるほどね
まあまあでもそれも多分言えるかもね
現実的には
ベースがもっと上にいると
そうそうそうそう
生きていけるかもしれないけれど
うん
その人の心の内では
足りないっていう意識があるから
まあそうだね
ないっていうこと
なのかな
まあ確かに
そうだね
なるほどね
そうでまあそういう風に
何事もこう解決に向かうエネルギーが
うん
まあすごくありますよっていうところで
一つ思ったのが
まあ音楽とか
でも和音の解決っていう言葉があって
うん
例えばその
わかりやすいハーモニーとかって
あのドミソとかってあるじゃん
こう
ドとソとミでこれで
綺麗なハーモニー
綺麗
になるっていうのが
あのいわゆる和音
はいはい
すごいわかりやすい例なんだけど
うん
これの解決とかってどういうことかっていうと
例えばこれが今
綺麗に
ドとミとソでやったけど
うん
これが
ドと
ドとレとソとかだと
ちょっとぶつかってたり
そうね
ロとファとソとかだと
ぶつかるけど
うん
これがこっから
こうやってなると
ドミソになると
綺麗になる
うんうん
っていうのが和音の解決って言ったりするのね
えー解決ってのはソルブっていう
あそうそうそうそう
なるほどね
これをなんかよく使う
よくっていうか
なんか使う例として
自分が前に聞いた話は
よく吹奏楽で演奏される
福島ひろかずさんっていう曲の
人が作った
ラッキードラゴン
大王福龍丸の記憶っていうタイトルの曲があるんだけど
ほうほう
この曲のテーマは
アメリカ人の
マーシャル諸島沖の
ビキニ鑑賞のところでやった
水爆実験がテーマになってて
うん
で要は
それをテーマにこういうなんか被爆のシーンとか
うんうん
でそこからのこの解決に向けるみたいな話があるんだけど
でこれ最後の
あの
和音が
あの
普通の曲だったら例えば
これヘチョウチョウだから
普通だったら
とかで
ファラードとかで終わるのが大体綺麗に
うん
なんだけどこの曲は最後
全部の楽器ある中で
ファと
ドとしかないのね
へー
2個しかなくて
うん
これってまだ解決しなくて
うんうん
でただこれが
ここに
ラが入ったら綺麗な解決で
うーん
これが
仮に
ラのフラットが入ったら
単調になるからちょっと悲しい感じになるじゃん
ほー
なるほどね
でそれがまだどっちか分からない状態
うん
ファとドしかついてないから
まだこの問題は解決してないですよねっていう曲
へー
なるほどね
その水爆実験と絡めてって言ったらあれだけど
あそうそうそうそう
そうそう
っていうのがあるから
なんかこの和音の解決と問題の未解決
みたいなのをかけてるっていうのがすごい
オシャレだなって思って
オシャレ
そう
センスいいな
その当時からその用語はあったんだ
あ和音の解決ってこと
うん
あその福島さんってまだ全然若い人だから
あそうなんだ
餃子とハイセンス男
そうそうそうそう
なるほどねその水爆事件のこと書いたけど
うん
曲自体は
あそう
まだそこまで古いわけじゃない
2008年ぐらい
あなるほどね
そうそうそうそう
みたいなことでした
へー初めて知る情報だねそもそも
うん
和音の解決って言葉を知らないから
あー
面白い
これも要はその和音を解決するために
こうその前にぶつけるってよくあるのね
うんうん
でそのさっきのこの千葉さんの話でもあったみたいに
解決に向かうエネルギーっていうのって
音楽もすごくあるから
直前まで和音ぶつけてぶつけてぶつけて
一気にこう綺麗な和音で
フォルテで強く鳴らすみたいな
うーん
やっぱすごい曲として盛り上がりがある
あーそういう形で作られている曲ってのが結構あるんだ
結構ある
そうなんだ
そう綺麗にこう早く解決に向かいたいって
いろんな人を思わせて
ここで綺麗に解決がバーンってなって
綺麗にフィナーレとか
へー
そう
やっぱり何も知らなくても聴いてる方は
それまで不満がちょっと溜まってるけど
あそうそうそうそう
最後であーこれ求めてた音だっていうので
あそうそうそうそう
だから理屈分かんなくても
結構ジーポップとかでもあるけど
なんかこうグーっと高まってきて
解放されるようなイメージ
あーなるほどね
っていうのがある
そうやって理論的に作られてるんだね
そうそうそうそう
うーん
でまぁ最後に
じゃあそもそもの
センスにとらわれない生き方みたいな
うん
ところの話でいくと
今までこの絵とか音楽とかテーマに
物事をリズムとして楽しみましょうとか
意味から離れましょうみたいな話
うん
ちょっとしてきたけど
えーまぁ
じゃあその意味から
さっき言ったみたいに
この絵を見た時に
その戦争が云々とか
著者の気持ちが云々とかじゃなくて
リズムとして見るよみたいな話した時に
うん
その意味からじゃあ離れようっていう
その意味っていうのは
そもそもじゃあ意味って何なのっていうのを
考える時に
この千葉さんは
物事の意味っていうのは
小さな意味と大きな意味がある
っていう風に述べてる
ほう
でまぁこれ結構あの
文字通りの小さな意味として言っていって
例えば旅行に行きましたっていう時の
うん
大きな意味
二人で旅行行ったって言って
うん
めっちゃ楽しかった全部っていうのが
大きな意味
はい
でその時の
例えばあの時の
あそこで行ったご飯屋さんの
この料理のここが美味しかったよねとか
うんうん
海を一緒に眺めてる時にしてた
えのきのこういう思い出話が良かったよね
みたいなのが
ちっちゃな意味
なるほどね
まぁだからまぁ具体的な話なのかって
抽象的な話なのかっていうのも
ちょっとあると思うけど
うんうん
そうっていうのはその
小さな意味と大きな意味
でそういう時の
日常の些細な
この小さい意味的な
些細なことを
一つ一つ言葉にしていくっていうことが
いわゆる芸術活動の始まりであって
そういった小さな意味を
たくさんこう言語化する練習をしていって
音楽と芸術の意味
うん
たくさん並べて
そういうことのリズムを感じるっていうのが
重要だって言ってるのね
うーん
なるほど
そう
まぁ言ってしまえば
いろんな気づきを
ちっちゃい気づきでも
どんどん言語化していくことが必要みたいな
うんうんうん
こういうことを言ってるんだけど
でもなんかこういう風に言うと
一つ一つの意味を
重んじてる感じもするじゃん
うん
そうだね
一個一個の
あの時の魚のとか
うん
あの時の海の思い出がみたいな
うん
でここで
そういう風に
言葉の意味っていうのを
捉え直した上で
意味から
意味を脱意味化することが
重要だっていう話が始まって
はいはいはい
まぁ分かるようで分かんないけど
そうだね
でもなんかね
そこは結構分かるかも
ほんと?
うんなんかね
すごくよく分かるというか
さすが
ははははは
結局
そう
なんか何もかも
意味を求めるのは
間違ってるみたいな
よくね
絵とかを見ながら
言われる話はあるけど
うん
一方でそこに
もうじゃあ
赤ちゃんが描いた絵と
一緒なのかって言われると
うん
そうじゃないっていうところも
あるだろうし
うん
なんか多分そこを
結びつけるのが
そのリズムとして
消化された形での
表現になるっていうのは
うん
まぁなんか
自分ではできないけど
うん
言語化されると
そうなんだろうなっていうのは
イメージはわくわく
あーなるほどね
うん
でも
この著者はその中で
言語的な方で
話をしてて
例えばその
言葉っていうのは
うん
そもそも物に貼り付けられた
ラベルだっていう
ほう
たまにそういう話出るけどさ
うん
例えばその
ちっちゃい頃に
赤くて丸い野菜の前で
トマトだ
トマトだって言われたから
トマトだっていう
ラベルが付いてる
うん
だけだし
暑くてめらめら燃えてる物の前で
炎炎って言われたから
これが炎であり
あるいは燃えている
っていう状態だっていうのが
認識できてるだけ
まぁそういうことを通して
その例とか
赤くて暑くて燃えてる物っていう
炎とかを通して
その蓄積で
赤いっていうのが
どんどんでき
出来上がってくる
みたいなのがこう
ラベルが貼られていく
っていうこと
はいはいはい
だから逆に言うと
それを燃えるような
青い森っていう
表現とかをすると
うん
そういうラベルが剥がれて
脱意味的なリズムが
生まれるって言ってて
うーん
さっきえのきの話
ちょっと話ずれるかもしれないけど
うん
それなんか意味の
要は頭の中で
蓄積されてきた
意味があるからこそ
うん
それを外すことで
脱意味的な
面白さとか
リズムが出ますよね
っていう
うんうんうん
これはね
我々の大好きな
ラスト5行で
大どんでん返しと
同じ話かもしれない
そう
まあでも
この人もそう言ってて
うんうん
そう
まあ要はその
例えばそのね
昼は温厚なパン屋さんだった人が
実はあの裏では
夜は殺し屋でした
みたいなのも
我々の中で
そのパン屋さんが
いかに温厚かっていう
蓄積をこれまで見てきてるから
最後どんでん返しが生まれて
まあそれが面白いとされてる
みたいなことが
まあ脱意味的な話
うんうんうん
日常の中の小さな意味
そう
でまあこういう例えば
予想の蓄積と裏切りっていうものは
まあ映像とかでも使えると
例えば
とある映像があって
初めのシーンで
朝鳥が鳴いていて
その次に
木の
真っ白な四角い家を
外から撮ってるショットがあるとして
うん
その次の場面で
家の中になって
そこでベッドから
起き上がった柄の木が
こう写ってるとする
はい
その次の場面で
お皿の上に乗った目玉焼きが
バッて出てくるとする
はい
ってなった時に
我々の中では勝手に
初め映ったのは
榎木の家で
朝を迎えて
朝ごはんのパンと目玉焼きを
食べたんだなっていう
理解を勝手にするじゃん
はいはい
こういう風に人間の頭は
勝手に繋がりを作ってると
うん
だから例えば
車の渋滞を
引きで映したようなショットがあって
めちゃめちゃ混んでる渋滞があったと
急に
パッて場面が変わって
便器を上から見下ろしたショットが来る
ほう
ような映像があった時に
どういう風に考えるかっていうと
便器を上から映した
便器
小便器とか
小便器とか
えー
初め渋滞してるショットがあって
渋滞が長すぎて
サービスエリアとかに行って
やっと用が出せる
みたいな瞬間かな
そうそうそうそう
そう
っていう風に
そうめちゃめちゃ混んでて
行きたかった人が行けたんだとか
うん
なんかそういう意味を
脳が勝手に作り出して
するわけよね
うんうん
ただこれってまあ
そういう風に繋がるじゃん
そうだね
でなんだけど
だからまあ行ってしまえば
まあちょっと面白いっちゃ面白いけど
まあなんとなく分からんでもないじゃん
うん
だからそれが
さっきみたいな
その朝の映像の例で
朝鳥が鳴いていて
ひきの白い家があります
っていうシーンの次で
ぱっと変わって
真っ白な背景に
段ボールのアップが映って
うん
その次にまた画面が
ぱっと変わって
今度真っ黒な背景の前に
えっと
赤い抽選箱置いてあります
みたいな
ほう
ショットになると
うん
もうちょっと分かんなくなるじゃん
そうだね
で言う時に
意味が分からなくて
センスの理解
繋げられなくなるから
目を惹かれて
かっこいいと思うと
うーん
ただこれを例えば
全部同じ箱ですよね
みたいな
うん
言い方をするっていうのも
そういう映画の手法として
あったりするけど
はい
なんかそういうふうに
意味が分断されることによって
面白さとか
それを言ってしまえば
さっきのリズムみたいなものが
生まれますよねっていう
うんうんうん
こういうふうに
なんか要素を並べて
リズムにするっていうことが
芸術であったり
リズムが作ったり
分かったりできることが
センスがいいと言えて
バランスの良さにもなると
なるほどね
うん
うん
でもね
納得いくところではあるかな
うん
難しいけど
うん
なんかなんとなく
言語化されて
違和感はないかもしれない
うん
最近
漫画とかで
よくセンスのあるシーン
あー
この漫画家の
このシーンは
センスがいいみたいな
ってよく言われるんだけど
うんうん
その中で
あの進撃の巨人
はいはい
えーととあるシーンがね
よく取り上げられるんだけど
うん
進撃の巨人って
読んだことある?
うん
あるわけないよね
ないんだ
あるあるある
まあまあ有名だと思うんだけど
あるわけないだろ
あでもね
ドラゴンボールも見てないんだから
そっか
あははは
文化的資本に触れてないから
そうだね
うん
結構ね
まあ有名な作品で
うん
あの物語が複雑だから
うん
あんまり細かくは
説明ができないんだけど
うん
まああの
序盤とかだと
うん
あの兵の中に
うん
閉じ込められた人々が
うん
あのその中で
あー
外から侵略してくる
うん
人よりも何十倍も大きい巨人たちから
身を守る
はいはいはい
っていうような
うん
なぜあの街が分断されてて
うん
自分たちが閉じ込められてるのか
わかんないけど
うん
とりあえず身を守っていく必要があるよね
うん
うん
みたいな話があって
はいはいはい
で物語の数は進んでいくと
うん
ある程度進むと
その巨人っていうのは
うん
あのその中の人たちが
うん
一部変身して
なった姿なんじゃ
あそうなの
そうそう
でその中で
主人公たちは調査兵団っていう
あーそういう
うん
そう外の巨人たちを倒しに行く
立場なんだけど
あそれを調査してるんだ
そうそうそう
あー
物語に対しての理解をしているね
はいはい
そう
でその調査兵団の仲間のうちの一人が
うん
自分はその
うん
敵である巨人の一人だっていうのを
うん
あのカミングアウトするシーンが
いい
あるのよ
巨人なの
そう
うん
結構ずっと長年いた仲間が
うん
巨人だよっていうのを
カミングアウトするシーンがあるんだけど
うん
そのシーンが
うん
普通の漫画なら
うん
もう代々的に
うん
ちょっといいかみたいな
うん
話とかがあって
うん
大駒で
うん
俺があの巨人だみたいな感じになるところを
うん
えーその進撃の巨人だと
うん
普通のシーンの
うん
普通の端っこで
うん
あのちっちゃい駒で
うん
おいちょっといいかって呼び止められているシーン
うん
でその次に
うん
そのさらに小さい端っこで
うん
うん
えー
である程度駒が進んだ時に
うん
えっって気づいて駒が大駒になるっていう
うん
あっなるほどね
うん
うん
さらっと聞き逃しちゃってるんだ
そうなんだよ
あー
そのカミングアウトシーンを
うん
普通の駒の
うん
普通の吹き出しで書くっていうのに
センスいい
センスをね
うん
あの感じるっていう読者が多くて
なるほどねー
確かに今までにないパターンだし
うん
それはみんなが大駒で表現するシーンだっていうのを
そうそう
分かった上で
うん
それをあえて外して
うん
そういうのをね
うん
大駒で表現するシーンなんだ
大駒で書くべきだろうっていう
うん
あの何も知らない人の意見
うんうんうん
とはまたあのー
あのーね
あのー一線を隠した
そうだね
そう
センスのある表現ができてるんだなっていう
へー
すごい
っていうのが
めっちゃ読みたくなった今
そうすごいよくね
評価されてるシーンなんだよね
あそうなんだ
それも多分ね
今の話に通じるのかなって思うところがあって
そうだね
だからまあ
元々の期待を裏切るっていうこともそうだし
うん
それは多分
自分で表現するもんだよっていうのを
うん
作者自身は知っていながら
そうだね
それをしていないっていうね
それがすごいよね
うん
へー
でもなんかそうやってやったことで
なんか今思ったみたいな
こうなんだろ
さらっと聞き逃して
後でえってやっと理解できたみたいな
うん
感じが出るしね
そうなんだよ
そこでドンっていう衝撃があるから
あー
ページをめくり返したくなるっていう
なるほどね
驚きがあるっていう
センスいい
ねセンスがいいよね
センスいい
さすが
知らなかった
ははははは
すごいセンス
なるほどね
はい
面白いね
うん
そうなんですよ
こんな事例があって
へー
まあ確かに
なんかそういうのがあれだね
まあ今あったみたいなこの
バランスの良さとかリズムだったりとか
うん
繋がるかもしれないけど
そう
なんか今やったみたいにこうなんか
例えば要素を並べるときに
例えばそのなんか
完全に規則的に並べ方をするとか
うん
っても面白くないし
うん
完全に質量がなかったとしても
それも面白くないじゃない
うん
うん
だから
なんか
うん
例えばそのピアノの練習っていうの一つ例にとっても
うん
ずっとメトロノームを鳴らして
うん
一定のテンポの上で
神経質に一音一音譜面を並べていくだけだと
もう手がこわばっちゃって
うん
全然感動する演奏にならない
うん
やった方でめちゃめちゃにエネルギーだけで
鍵盤を叩いてても
それはダメだから
うん
めちゃめちゃにエネルギーを爆発させる
っていうことをやった上で
そこから
いわゆる譜面にこう
収縮させていくみたいな
うん
ことをやっていくことで
やっとその人
その人なりの演奏とかができる
うん
はじめの話にひも付けると
誰かのセンスのいい人のモノマネをして
誰々風みたいな演奏をしてるだけではやっぱうまくいかない
はい
みたいなことがあると
そういう風に
なんかこう
要は譜面の通りに演奏してれば
確かに合ってるし
完璧なんだけど
それは
完璧な人間が全く面白くないっていうのと
隙がない人が面白くないみたいな
はい
同じで
そういうなんかちょっと外れたところとか
まあ言い方変えると
ちょっとどうしようもないところがある人とか
うん
そういう部分がなんか面白くて
まあ愛おしいんですよねっていう話をしていて
うん
例えばそういうなんだろう
なんか
例えば犬はペットにするけど
ビリヤードの玉はペットにしないですよねっていう話があって
ほう
それ何かっていうと
あの
例えばビリヤードの玉のお尻を突いたときって
うん
一定の動きしかしないじゃん
あーなるほどね
言うまでもなく
そうだね
なんだけどペットのお尻を棒で突くと
うん
予期しない動きをするから
最悪の例え
予期しない動きをするからペットにする
撫でるとかでいいじゃん
そう
お尻を突いた場合
そうだからそういうなんか予測できないところとか
ちょっと外れた部分があるっていうのが
まあ人間とか動物の面白さであり
そういうところに惹かれるんですよねっていうのが話で
表現の重要性
えーとまあこのほうは基本的に終わり
うん
になると
なのでまあ簡単に
えー
センスのいい人になるためには
何をしたらいいのか
っていうことでいくと
はい
もう分かりやすいのは人のコピーはもうやめると
はい
でも自分の価値を見出すべきだっていう話
で2つ目はまず大きな意味っていうものと
小さな意味っていうことを考えた上で
物事一つ一つ小さな意味を言語化していって
小さな意味を見出して
大きな意味とこう言い聞きすることが必要だと
うんうん
3つ目はそもそもその物事を意味じゃなくて
リズムとして捉えたりとか
センスを磨く方法
あのーっていう意味から外れていく
っていうこともこのセンスっていうのを考える上では
重要ですよねっていう話
なるほどね
でした
はい
ことを芸術においては分からないんだけどさ
うん
よく一般的に言われるような
うん
あの自我を出すのは
あのある程度真似ができるようになってからでいい
みたいな意見とかはなかったの?
あの肩を身につけてから的な
そうそう
あー
まあでもそれはこの人なりに言うと
そのさっきのピアノの例みたいな
あの順番はない
うんうん
だからその自分自我のこのエネルギーの爆発みたいなものがあった上で
それを肩に収縮していくみたいな
うんうん
それが例えば先にメトロノームで順番通り練習するっていう
そのいわゆる一般論的な
うん
肩の身につけ方で完璧に演奏できるようになった
ってやった後で
もう無理だって言って爆発をどっかでやって
うん
もう一回初めに立ち返って収縮させていくっていう風にやったら
それはあの肩を身につけてから爆発させてっていう話かもしれないけど
このセンスの哲学の中では
初めに別に自我の爆発的なものがあって
うん
それとあのその後で別にその肩の収縮
練習みたいなものがあって
初めの爆発を収縮させるとか
それはまあどっちでもみたいな
ああなるほど
この話だけだと肩に収縮させるっていうプロセスは入ってはいる?
どこかで
ああそうそうそうそう
それはその感動するピアノの例で言うとね
ほうほうほう
まあそれはえっとピアニストになるって前提に立った時はね
別に人間性で言ったらその話はないけどもちろん
ああなるほど
もう最初から最後まで自由に自我を爆発させて
その小さな意味をリズムとして表現できれば
それは立派なセンスのある芸術ですよと
まあそう人間としての意味で
意味って言うとあれだけど
そうだね
でそれを評価してもらったりしようと思うと
一定の肩にはめたりする作業は
まあピアニストの例で出てたんだろうけれど
あの必要になってくるっていう話
まあそうだね
何かでその人から評価をもらうってことだよね
うんうん
おそらく
なるほどね
中身がまず難しそうだけど
だいぶ噛み砕いてくれたおかげか
うん
特に後半の部分は理解がしやすくて
すんなり入ってくるところもあったかな
そうね
なんか結構難しいけど
あのちょいちょい前半のまとめとかしてくれる
その前の
そう前回までのあらすじみたいな
そう
言ってくれるの
第三章ではこれこれについて話してきましたが
いいねありがたい
でも結構ねなんかあれっぽい感じはある
あの論説文みたいな
さっきの鍵括弧リズムとか
鍵括弧脱意味かとか
鍵括弧大きな意味とかあるから
ちょっと難易度高くなる時がある
よく結構分厚そうだけど最後まで読めたね
そう
でも面白かったすごい
そうなんだ
それこそうちの同じ学科の人とかすごい好きだと思うけど
教材みたいな
教材みたいな
教室
そうだね売ってありそうだもん学校で
なんか一応これコラム的なところで
本の表紙みたいな話もあるんだけど
さっきのその不完全な人の方が人気があるみたいな話じゃないけど
本もおしゃれすぎる本って
意外と売れないらしくて
ちょっと抜けてるところとかあった方が興味を持って
手に取ってもらえるらしい
ちょっとおしゃれじゃねえと思ったけど
そうだね
まあよくあるあれかな
外のさ路面に置いてある看板が
ひっくり返ってる方が効果があるよみたいな
あそうなんだ
たまに見たことないロードサイドにある看板で
完全に普通の看板がひっくり返ってる上下
真っ逆さまになってる
でも人間の認知能力を持ってすれば一応読めるのよ
読めるし目に引くっていうので
そっちの方が同じお金でも効果が出るよっていう
ちょっと抜けてるじゃん
間違えて配置しちゃったーって
心配だけどね
だいぶわかるから
それは意図的だろうけど
そういうちょっとしたねミスみたいな
に見えるところが逆に気になって
そうなんだ
目につくような形になるのかなっていうのは
思わなくもないが
なんかねそうだね
なるほどね
そうみたいな話なので
ぜひみなさんも読んだら
コメントや
何やらもらえれば
何せ京大生東大生が
一番読んだ本だから
ほんとかだいぶ突っ込んだテーマな気もするけど
一番読まれた本だから
センスの哲学
なので今回センスの哲学について
お話ししてみました
本への言及
ぜひコメント感想と
お待ちしてます
それでは本日もお疲れ様でした
お疲れ様でした
47:56

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