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2024-01-13 15:03

#316 95歳の祖父、高齢者施設に入所しました

サマリー

今回のエピソードでは、OKファームのOKさんが、95歳の祖父が高齢者施設に入所するまでのエピソードを語っています。95歳の祖父が入所することになり、その際の不安やお金の心配について語りながら、施設での生活への不安や自身の変化についても言及しています。

95歳の祖父の元気な農作業
おはようございます。OKファームのOKです。このラジオでは、脱サラして農業歴12年を超えた私が、新規就農者やフリーランスの方向けに、マーケティング情報や気持ちがちょっと楽になる話をしております。
はい、土曜の朝は、OKさんの一発撮りフリートークということで、雑談や雑学など平日よりも砕けた放送をしております。
そして、今日が316回目の放送です。 95歳の祖父が高齢者施設に入所しましたということで、もう完全なる身の上話なんですけども、自分のね、師匠、農業の師匠でもある
じいちゃんとね、あとばあちゃんのお話を少しさせてもらおうと思います。 音声配信の方では時々しか出ていないと思うんですけども、
インスタとかね、エックスの方では時々、95歳の祖父がまだ元気に農作業をしていますよという写真を投稿していました。
僕が勝手にね、ハッシュタグを作って、OKGさん95歳みたいな感じでね、93歳くらいからそのハッシュタグを始めたのかな。
OKGさん93歳、94歳、95歳ってなっていって、よく見ていてくれるフォロワーさんだったら、
あ、94歳から95歳になってる、おめでとうございますみたいな感じでコメントくださる方もいたりして、
なんというかね、おじいちゃんが頑張っている姿にまた僕も元気をもらえますみたいなコメントとかがいたり、
亡くなった自分の父親のことを思い出しますっていうね、50代60代ぐらいの方からコメントをもらうこととかもありまして、
OKファームのコンテンツの中では、実は一番人気だったそのね、95歳の祖父がおります。
まあ今も元気にはしています。
で、ちょっと前段が長くなったんですけども、2023年の11月の終わりですかね、
ちょうど2ヶ月ぐらい前になるんですけども、いろいろあって高齢者施設に入るという決断を本人がしてくれて、
今はその施設でゆっくり寄生というか本当に老後の、老後の中の老後みたいな暮らしをしてくれているところです。
祖父の苦難の過去
祖父は昭和3年生まれになるんですけども、中学校卒業したぐらいで当時の日本の政策でですね、
満州の方に行って開拓団に参加しないかということを中学校の先生からお勧めされて、
その言葉を信じて中国というか当時日本領だった満州に行って、そこで開拓団として数年過ごしました。
そしてその満州というところに終戦になった時にですね、ロシアの兵士が攻めてきて保留となってしまったために日本に帰れるのかと思いきや、
シベリアで強制労働、俗に言うシベリア抑留とかいう言葉になるんですけども、
シベリアの-30度とか40度の世界で1年か1年半ぐらい強制労働ということをさせられて大変な日々を送っていたそうです。
無事に何とか命からがら日本に帰ることができたんですけども、その後もやっぱり農業が好きだったのか、これしかないと思っていたところがあるんですかね。
福山出身の祖父なんですけども、東広島の方で農地開拓団の募集のようなものがあるので来ないかという誘いがあったらしく、それに乗って僕が今農作業をしている畑の開拓を始めたという流れになります。
文字通り農業一筋で70年になるのかな。下手したら80年ぐらいかな。15歳で中学校を卒業したというふうに考えても80年ぐらい何だかんだ農業にずっと携わっている農業一筋のじいちゃんだなと思います。
80代中盤までずっと元気にして入院していなかったじいちゃんですけども、薬のアレルギー反応とかいろんなことがありまして、
1回意識不明の渋滞というか本当に1ヶ月ぐらい緊急入院みたいなことがあって、そこからやっぱりだんだん一度入院したことにより体がちょっとずつ弱ってきたのかなということが目立つようになったりして、
ここ3年ぐらいで何回か実は入退院を繰り返していました。入院するたびにもしかしたら帰ってこれないのかなと思うんだけども、ちゃんと退院してね、復活してくれて退院したらすぐに畑の見回りに行くみたいな。杖をつきながらでも畑の見回りに行くという感じで、
本当に農業が自分の身に染み込んでいる人なんだなというふうな生涯現役みたいな人だなというふうなことを家族一同思っているような感じでした。この間半年ぐらい前にもまた心筋梗塞みたいなことが突然起こって、その時も大事にはいたらなかったんですけども、やはりそこら辺で体力の限界みたいなものを感じていたのと、
ばあちゃんの方ですね、相棒の方が若干認知症が入ってきたりとか足がすごい弱ってきていて、自宅だともういつもじゃないな、しょっちゅうこけたりしていたので、このまま自宅で過ごすのはしんどいなというふうに思っていたこともあって、2人で一緒に介護施設に入ろうかという選択をじいちゃんがしてくれました。
じいちゃん一人だったら自宅でも過ごせたかもしれないんですけども、ばあちゃんを一人で介護施設に入れるのが忍びないと思っていたところもあると思いますし、僕の母の方が畑のあるじいちゃん家からは1時間ぐらい車で走らないといけないところに離れたところに住んでいるので、じいちゃんばあちゃんが少し体調が悪いだけで1時間かけて母が来てくれるのを申し訳ないと思っていたようなことも本当に思っていました。
なので自分一人のことだけを考えていたらまだまだ自宅に住んで少しずつ農作業をするということができたと思うんですけども、最後の最後は自分の妻とか自分の娘とかのことを思って施設に入ることを決断してくれたんじゃないかなと思います。そういうところも含めて本当に尊敬すべき祖父だなと思ったり、じいちゃんらしいなというふうに思ったりしている次第です。
最後に施設に30分ぐらい離れた中心部、東広島市の中心部の方にその施設があるんですけども、そこにじいちゃんを僕が僕の車で送って行ったんですけども、最後まで淡々としてというか、いつも通りのおじいちゃんだったわけなんですけども、その日のうちに帰って農作業をいつも通りしたんですけども、真っ暗なじいちゃんの家っていうのを初めて僕は見ました。
当然じゃ当然なんですけども、家主がいなくなったので家への電気はつくことがないわけですよ。なので夕方の5時ぐらいまで仕事をして作業場というかじいちゃん家まで戻ってきたら、電気が消えてる誰もいないっていうことを分かってたことなんですけども、その電気がついてないじいちゃん家っていうのを人生で初めて見て、なんか本当にいなくなったんだなっていうのをその時感じました。
ようやくじいちゃん家に誰もいないとか電気がついていないみたいな状況にようやく慣れてきたようなところです。
コロナの影響がまだ少し施設の方にも残っていて、面談はできるんだけども、前日に予約の電話を入れてくださいとか、面会する人数は2人までですよとか制限があったりするので、フラット会いに行けるとまでは言わないんですけども、時々出荷のついでとかに寄ってみて、
本当に何にもない雑談みたいなことしかすることはないんですけども、最近は書道をしているとか、100人一種を昔すごい地域の人としていたそうなんですけども、久々に100人一種の一覧表みたいなものを見て思い出しながら楽しんでいるみたいなことを言っていました。
もう少し暖かくなったらね、その施設の中で若干土いじりをできるようなスペースがあったりするそうなので、春になったらまた何か種まきとかできたり土いじりができたらいいねとか言ってるんですけども、ちょっとどうなるかはそこはわからないんですけども、ちょっと退屈なというかね、まだ頭もはっきりしているし、足もちょっとフラフラはするけど、自分の足で歩いて自分のことができる人なので、退屈な日々を過ごしているかなというふうに思っています。
ただ、春になったら大好きなプロ野球ですね。広島県なのでカープファンなんですけど、そのカープの記事を見たりとか、カープの試合をね、中継テレビとかラジオで見るのをまた楽しみにしているんじゃないかなというふうに思いますので、春までまずは元気にしてもらって、またね、2024年のカープの話をできたらなというふうに思っています。
ちょっと話がまた長くなっちゃったんですけども、とりあえずね、生涯現役っていうのはやっぱりなんだかんだで難しいんだなーっていうことを少し僕は感じているところです。
なんとなくこの人100歳まで畑にいるだろうなというふうに僕も、僕の母とかね、僕の父とかもいつも言ってたんですけども、多分あの人は本当にね、それこそ戦時中にね、満州とかシベリアで大変な思いをしていて、一般の人とは比べ物にならないぐらいね、体をずっと鍛え続けてきたというか、鍛えざるを得ないような状況にいたので、本当に元気だねというふうに言っていたんですけども、
最後の最後はやっぱりね、あの自分の親近拘束とかいろんなことがあってですけど、畑を去ることになったということで、最後の最後まで現役でいることっていうのはやっぱりね、難しいんだなというふうに少し思っているところです。
祖父の入所と不安
95歳まで現役でいたんだからすごいじゃないというふうに言ったら、もちろんそれはおっしゃる通りなんですけども、やっぱり高校から介護施設というところに入ることになって、日常が一変してしまうことに対してのね、不安みたいなものもじいちゃんが持っていたりしたし、お金の心配もね、預貯金はじいちゃんしっかりしているので大丈夫だと思うんですけども、
やっぱり2人分の施設代というものを貯金から出していくということになったので、お金の心配もまあまあぶっちゃけたらし2,30年くらい生きるんでなかったらお金は全然大丈夫だよっていうね冗談半分で家族も言ったりしたんですけど、やっぱり本人からしたらいろいろ気がかりになるところはあったりとかするんじゃないかなというふうに思っているところです。
まあそれと僕の方でいうと、やっぱり今まではじいちゃんがいたからなんとかなっていたこととか、じいちゃんがいるから周りの地域にいる周りの人からの風当たりが弱かったというか、じいちゃんが後ろ盾になってくれたという状況があったんですけども、それが完全になくなった。
施設にはいるので完全になくなったわけではないんですけども、そこの家に行ってももうじいちゃんはいないということを地域の人はみんな知っているので、これから僕の見方がどう変わっていくのか、以前よりも厳しくなるのは間違いないかなと思います。
自分も気を引き締めないといけないなという面とともに、田舎特有の近所付き合いの難しさみたいなものが実はあったりするので、そういうところも上手にこなしていかないといけないなとかね、いろんなことをね、不安というほどではないんですけども、やっぱりね、自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分自身が自分
もいろいろ変化があるだなあるだろうなというふうに思っているところです まぁとりあえずね施設にね
じいちゃんもばあちゃんも入りましたということなんですけどもとりあえずね二人とも元気にしている ようですし
まあ僕もね時々顔を見に行ったりしてね畑でこんなことはあったよとかね今度、新しい 加工品
タムネギとごぼうのスープが出たよとかいうものね飲んでみてもらいたいなぁと思うし まあまだまだね今96歳
もう春になると96歳になるじいちゃん なんですけども
まあねできることなら不死目となる 100歳をまずは迎えてほしいなあ
というふうにね思ったりしている ところですね
音声配信ではあんまり名前は出て こなかったかもしれないんですけ
ども
sns xとかインスタとかフェイスブック で僕のokファームの投稿をずっと
見ていた方からしたらね
今日もじいちゃん頑張ってるね みたいな感じでコメントくださった
方が沢山いると思いますのでそう いった方にもねとりあえずねお礼
申し上げたいなというふうな思い もあったので今日はこういう放送
を撮らせてもらいました
なんか最後にねほんと積極さいこと を言うつもりはないんですけど
もやっぱりね会えるうちには会える うちに会いたい人には会えるうち
に会っておいたほうがいいよとか 聞きたい話は聞けるときにね家族
とか親戚とかに聞けるときに聞いて おいたほうがいいなあというの
をね最近本当に思うんですよね このじいちゃんとばあちゃんが畑
からいなくなった自宅からいなく なったというのもそうですしすごい
近い存在がねじいちゃんとばあちゃん とは別の人なんですけども近い
存在の人が病気になって入院する みたいなことも身近で起こって
いたりするのでなんかほんとに 日常って簡単に変わってしまうん
だなとかねいつまでもいてくれる ような気がするんですけどもいつか
はねどこかのタイミングでねその 人の日常も変わってしまうという
瞬間があると思うのでもしねこの 音声を聞いているあなたも身近な
存在でね話をしたい人とか会いたい 人とかがいたらですねぜひ会える
うちにとか話ができるうちにとか 一緒に出かけることができるとか
なんだろうな遊んだりご飯を食べ たりできることがあるうちにできる
うちにその人とね大切な時間を 過ごしていただけたらなと思います
10分でまとめるつもりが時間オーバー しちゃったんですけども今日は
自分のじいちゃんとばあちゃん のことについてお話をさせてもらい
ました普段は農家の方やフリーランス の方向けにマーケティング情報
や気持ちがちょっと楽になる話 というテーマでお話をしています
私okの音声配信のフォローがまだ の方はぜひフォロー等で応援を
よろしくお願いいたしますはい それでは皆様腰痛にならないように
肩を上げ下げしたり腰を回したり しながらですね体をリラックス
させてあげて今日またやるべき ことに向かって頑張ってみてください
ここまでのお相手は ok ファーム の ok でしたまた遊びに禁歳ほい
じゃまたの
15:03

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