教育方法についての考え
おはようございます、こんにちは、こんばんは、oipyです。
隣の教室中学校で教員をやってます。
いつも先生にコメントありがとうございます。
というところで、
すいません、ちょっと風が強いので、
もしかしたら風切り音がご応用するかもしれません。
ご了承ください。
といったところで、
今日は何を話そうかなというところで、
僕の子供たちとの触れ合い方、
子供たちから聞かれた時に、
お断り案件という話で、
タイトルは、
俺に答えを求めるな、
みたいな感じで、
やっていこうかなと思います。
何回かスタイフで話をしたこともあるかもしれないんですが、
今、僕は中学校1年生を担任しておりまして、
中学生を久しぶりに授業で持っているんですが、
中学生たちは、
僕に先生、どうやればいいんですか?という形で、
基本的に答えを求めてくるんですね。
これでいいですか?とか、
どうやればいいですか?とか、
そういう風に聞いてくるんですよ。
夏休みも明けて、
1学期も終わったので、
繰り返し繰り返しにはなるんですが、
徐々に抜けてきてはいるんですけども、
子供たちには口酸っぱく、
俺に正解を求めるなと、
自分たちで考えてやることが大事で、
何なら、
俺は成功することにそんなに価値を見出していないと、
自分たちでどうすればいいかわからないから、
例えば、
どうすればいいかわからないから、
サボるというか何も手をつけない、
勉強にしろ、文化祭の準備にしろ、
何も手をつけずに、
明らかに失敗になってしまったとしよう。
でもそれでいいやんと、
中学校1年生でしょ?
いつでも失敗できるボーナスタイムなんだから、
失敗しちゃって、
なんで微妙な感じになっちゃったんですかって保護者さんに責められたとしたら、
そこは俺の責任なんだから、そこはもう何とかするって言って、
君たちが文化祭の準備とか勉強とかで、
どうやればいいですかってよく聞くけど、
それはもうやめてくれと、
全然やらないならやらない、それでいい。
ただ、僕に対して、
どうすればいいですかじゃなくて、
先生だったらどうやりますかとか、
どういうアイディアがいいですかとか、
何か面白い考えないですかとか、
僕の考えそのものに質問するっていうのは大歓迎。
もう何本でも聞いてくれと、
いくらでもいいぜと、
どうやったらより良くなると思いますかとかね、
そういう、僕個人というか教員というかの経験をもとに、
アドバイスというか、アイディア的なものを教えてくださいっていう質問の仕方は、
全然受け付けるよっていう話はしているんですが、
もちろん繰り返しになっちゃうんですけど、
どうすればいいですかみたいな、
正しい答え、正解を求めるような質問は、
理科の授業のポイント
一切受け付けないっていう、
ちょっと尖った教員でね、
常にやってるんですけれども、
それに付随して、
そういう質問の仕方もそうなんですけれども、
理科の授業で、
レポートの書き方をやったんですね。
で、レポートの書き方で大切なこと、
一番おそらくレポートで一番大切なのは、
ここの仮説と、
実験と考察、
この3つの流れだと。
仮説検証考察とも言うけれども、
仮説を立てる目的があって、
例えば今ちょっと、
物を燃焼させて、
物質の3つ、
砂糖と塩と片栗粉があって、
この3つを加熱した時にどうなるんだ、
みたいなことをやってたんですね。
この時の仮説は、
自分たちが持っている知識で、
どんなことが起こるかな、
見た目では分からない白い粉を、
それぞれ加熱した時にどんなことが起こるかな、
っていうのを自分の中で考えると。
何書けばいいんですか、
みたいなことを言ってくるんだけれども、
何書けばいいですか、じゃないのよ、みたいな。
あなたは、この3つの粉を
加熱したらどう思うかっていうのを書くんだ、
仮説。
仮説に丸も場所もねえ、みたいな。
で、その仮説を書いた後に、
次、実験しましたと。
はい、実際に実験しましたよねと。
で、その実験をした後に、
で、その後の考察っていうのは、
書き方としては、
もう、仮説通りだったっていうケース。
これはこうなると思うんだ、
実験してました。やっぱりそうだった。
だった場合は、考察は、
僕の仮説は正しかったので、知識として定着しようと思います、
みたいな。で、おしまい。
ただ、ほぼほぼそんなことはねえって。
仮説を立てました。
で、実験をしてみました。
で、そしたら、結果としては、
自分の仮説と全然違うものになってしまった。
で、そしたら考察で、
どうして私は仮説と違ったのかな、
っていうのを考えると、
それがまた新しい仮説になって、
まあまあ、そうやると
無限ループになっちゃうんだけれども、
一つのレポートの考察としては、
そこで最後に、仮説として、
僕は私はこういう風に思ったんだけど、
実験したらこういう風になった。
それは何でかっていうと、こういう風に
私は考えました。それが考察だから。
で、じゃあこの考えをもとに、
もう一回次の人が何かしら実験をしてくれると。
レポートっていうのは、
同じ実験をして、同じデータを得るっていう
結果を得ることができると。
誰でもそういう風に、まあいわゆる再現性
なんて言ったりするんだけれども、
レポートっていうのは、誰が読んでも同じ実験をして
同じ結果が得られるはずだっていうものを
書かなければいけない。で、その解説、
最後の考察のところに、
こういう風に思いましたっていうことを書いておくと、
その考察まで読み切った人が、
それも踏まえて実験するよね。
それがどんどんどんどん、科学として
サイクルしてって、今の君たちの
スマートフォンとかになってるのかもしれないね、
結論と今後の展望
みたいな話をするのでございますね。
はい。
なので、とにかくね、
正解を求めるなっていう話と、
それに付随して、
仮説とか実験とか、
考察っていう、国語、数学、理科、社会、英語
いろいろあるけど、
仮説、実験、考察っていう流れが重要だって
話をするのは理科だけなんだぜみたいな話とかをね、
まあ、中学校の義務教育の段階
っていうのも踏まえてですね、
結構、ここが大事だっていうのをね、
すごくアピールして、
なんか淡々と、仮説っていうのはこういうことだよ
とかいう話ではなくて、
仮説、実験、考察がすごい大事だ
っていう話は、
ちょっとするようにしてはいるかな
と思います。
もちろんそれもね、文化祭で、
例えばそうだな、内装で煙突町のプペルで煙突を建てよう
って言った時に、煙突をこういう風に
建てられる、こうすれば建てられるんじゃないか
って思って仮説するわけだね。
実際に建てる、実験する。
でもそれで上手く建てなかった。
じゃあなんでだろうなって思うと、
バランスが悪いからとかじゃないですか。
じゃあバランスが悪いんじゃないかって思う
っていうことがそもそも考察だから。
じゃあバランスを建て直すためにはどうすればいいか。
それでまた仮説が、
こうすればバランスが取れるんじゃないか
っていう仮説ができるでしょ。
その仮説を元にバランスを調節して
もう一回実験する。
上手くなったら、考察としては
僕たちの仮説が良かったねっていう形になるわけだから。
理科で習うこの仮説実験検証、
違う違う、仮説実験考察っていうのは
生きていく上で
非常に重要な
いわゆるロジカルシンキングっていうものになるんだぜ
っていう話をしながらですね
理科の授業を
展開しているという
話でございます。
タイトルがね、俺に正解を求めるな
っていう話だったんですけど
ちょっと理科の授業の話も
セットでお話させていただきましたよー
っていうところで変な時間にアップしましたが
僕はですね、火曜日は週休日なのでですね
今お散歩中でございました。
9月になっても
昼は暑いですね。
熱中症気をつけてポカリスウェットを飲んで
元気にやっていきましょう。
ではでは。