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はい、おはようございます。こんにちは、こんばんは、おいぴーです。
都内の自立中学校でWeb3教員なんてやってますよ、と。
いつも再生いいね、ごめんね、ありがとうございます、と。
いうところでですね、今日はね、何の話をしようかなってところで、
うん、そうですね、
効率と経験のジレンマ
効率を取るか、経験を取るか、
っていうところで、ちょっとお話ししていこうかなっていうところですね。
うん、まあ、何の話かっていうところなんですが、
あの、まあ、結果を求めるだけであれば、
まあ、当然効率が重視されるので、
うん、なんかその、あ、ごめんなさい、前提条件を抜きちゃった。
あの学、あの生徒が、生徒ですね、高校生とか、
まあ、中学生とかの探求活動の話になるんですけれども、
うん、結果を取るか、それとも思考と過程を取るかっていう話なんですが、
うん、要は結果を求めるのであれば、
やっぱり教員がちょっと介入する、
うん、子供たちがこんな話をしていると、
もっとこうすると良さそうだね、みたいな話をガンガンしていってしまえば、
うーんと結構効率的に、
えー、子供たちの求める結果に近づいていくんじゃないかっていうのを思うんですね。
まあ、当然大人の経験があるからっていうだけの話なんですが、
うん、えー、一方、えー、
なんか、あー、もっとこうした方がいいとは思うんだけどなーっていうのを、
口を出さずに、ただ聞いているだけで待っていると。
で、子供たちに求められた時に、
うーん、俺はね、こう思うけど嫌なのを、
ならならそうですね、その話を聞いている途中に、
どうやってこちらが誘導せずにヒントだけ、
絶妙なヒントをどうやって渡すかみたいな、
うん、思考の幅を広げるっていうか、
自分で気づくためにどんなヒントを与えればいいかっていうのを、
教員側はじっくりと考えている。
聞きながらね、話を聞きながら考えるっていうスタイルと、
うーん、どっちがいいのかっていうのと、
どっちがいいっていうかなんだろうな、
どっちがいいとかじゃないですよね、
バランスを取るのがすごい難しいなと思ったっていう話なんですけど、
あー、まあというのもね、
渋谷のフィールドワーク
昨日ね、渋谷の方にちょっと行ってきまして、
渋谷でランチミーティングをしながら、
渋谷のフィールドワークをして、
渋谷が抱えている課題とか、
それを解決するためにどうすればいいんだろうみたいなのを、
アイデア出し、リージョンリングのフィールドワークの中の、
アイデア出しというものをやっていまして、
僕から見た子供たちですね、
若い子たちが中学生、高校生、大学生、
混ざってですね、
渋谷と組みまちだよねみたいな、
どういうところが課題感があったというか、
こんなであんなでみたいな話をしていく中で、
ふむふむみたいな感じを聞いているときに、
やっぱり渋谷っていうのは海外の人が多いので、
かなりね、
インバウンドなんだっていう話が、
よく考えてみるとそういう話ができているのもすごいなと思いつつ、
やっぱりなんかこう、
日本人と海外に行ったことがある生徒たちもいたので、
日本人の考え方と海外の人の考え方、
やっぱりアメリカとかはちょっと何週間か行ってきたけれども、
やっぱり自分が俺が俺、
俺は俺、お前はお前みたいなマインドを持っていたりするとか、
日本人は遠慮しがちだとか、
日本人って外から見ると優しいと思われているとか、
なんかそういう話をしていたんですね。
だからそういう、なんだろうな、
日本人の特性を考えると、みたいな話を結構していて、
だからもっと海外の人に寄るといいのになとか、
海外の人のいいところ、考え方のいいところを、
やっぱり日本人の、
日本の文化をどうやって入れるかとか、
そういう話をしていて、
その話を聞いている時に、
いや待てと、
それは日本人というものを定義するのを忘れているぞって、
心の中で思っていたんですよ。
日本人の育て方、
日本人の育て方だっけ、
っていう映画が、
賞を受賞されたと思いますが、
たぶんあの子たちが話をしていた日本人、日本の文化っていうのは、
そもそもなぜそうなったのかっていうのが、
日本が受ける教育のシステム上育っているんですよね。
だからつまり、
日本人とか日本の文化ではなくて、
日本の教育で育った人たちっていうのは、
こういうマインドセットになっちゃうよねっていう定義から入らないとまずくて、
つまり生物学というか戸籍上の問題で、
日本で生まれたけど、
育っているのがアメリカだった場合は、
身体的に戸籍的には日本人だとしても、
おそらくその日本人の文化で育っていないので、
へなし日本人じゃないはずなんですね。
なので、
日本の文化っていうのは実は根っこの部分に教育問題があるので、
そういうところにもっとメスを入れていけば、
話が膨らむのかもしれないなって思いながら聞いていたんですが、
でもそれはなんか違うなと思って。
ただ話を聞くだけというところと、
ちょっと屋外だったので席を外して、
もう一人大人のリージョンリングの代表の方がいたので、
ちょっと二人で席を外して、
いやーと言いたくなっちゃいますね。
ちょっと席を外して、
その人は当然もう発観視しているので、
今は吐き出すフェーズだから我々が言う場所じゃないですよねみたいな話で、
二人で話を聞いて、
結局話があまりまとまりきれていないんですけど、
学校の先生ってすぐに、
未来の教員像
こっちの方が手っ取り早いぜみたいな声をかけがちなんですよね。
もちろん高校生活というか、
中学生活、小学校生活でもいいですけど、
限られた時間の中でこういったスキルを身に付けなければいけないみたいなのが、
なんとなかったんですよね。
でも、
学校の先生は、
こういったスキルを身に付けなければいけないみたいなのが、
なんとなく頭の中にあると思うので、
より効率よくというのを狙ってしまうのかもしれないんですけれども、
こと探求活動においては、
結果を出すというよりも、
試行数とか過程の部分、
こんなに当たった時にどうするかみたいな時にこそ、
教員が準備をしているということの方が、
むしろ価値があるというか、
学校の先生が準備をしているので、
なるべく黙っていつでも、
はっとした気づきを与えられるような立場になるために、
全然違う思考回路で、
話を聞いているというのが、
最近の、未来の教員のあり方なのかな、
一つのあり方なのかなと思ったという話でございますね。
どうでしょうかね。
どんな学校の先生がいいですかね、皆さん。
本体的にはそこで終わりなんですけれども、
教育実習じゃなくて、
学校の先生が心を出そうかなと思っている受験生が、
高校3年生がいた時に、
それも似たようなアドバイスをしたんですけど、
あなたがどんな教育をやりたいとか、
10年後に学校の先生になっていたとして、
その時にあなたがどんな教育をやりたいんですかというのを、
誰かに話すというのは、ぶっちゃけたらほぼ価値がないという話をして、
どんな教育をやりたいかじゃなくて、
求められていることに対応できる教員になりたいという主張をしていかないとだめで、
どんなことがこれからの時代に教員として求められるのかというのを、
今のうちから考えないと、
受験するときに、
10年後の自分の教師像というのを思い描くときに、
自分のエゴだけ押し通すただの教員になり、
そんな教員になっちゃうよみたいな話をしたのと、
ちょっとリンクしていたほうがいいなと、
タブーを語る教育サミットも近いので、
そちらにも行きつつ、
5月14日はリージョンリンクの発表がありつつということで、
今日は4月の最終日ですが、
5月もコブテンウィークで試合、試合、試合、試合で、
タブーを語る教育サミットに行って、
スプリングキャンプで3泊4日に新潟に行って、
戻ってきたらリージョンリンクの発表があるという、
5月の前半の2週間は、
なかなかフィジカル的にドタバタですが、
いろいろ発信していこうと思いますので、
皆さんどうぞよろしくお願いしますというところで終わりにしようと思います。
ではでは。