冒険ラジオのコラボライブ
おい⭐︎のっこりーのスキマ時間、冒険ラジオ。
はーい、えっと、今日の夜10時じゃなくて、夜の9時45分から、
えーっと、わーぱぱたかしさんと一緒にコラボライブしまーす。
すごい蝉やら飛行機の音が入ってると思うんですが、すいません。
産後気配広め隊×モテパパっていう名目で話しつつ、
雑談ベースでふざけながら、したかさんとおしゃべり時間を楽しみたいと思いますので、
よかったら、すんごい顔の周りに今、蚊がめっちゃ来てて不快なんですけど、
はい、えっと、しんたかさんとおふざけライブとなる気しかしませんが、
楽しくおしゃべりしたいと思いまーす。
はい、よかったら、お耳空いてる方は聞きに、遊びに、にがやかしに、ふざけに来てください。
ませ。
はい、で今日は、最近感じたことを話したいんですけど、
タイトルは、タイトル何がいいかなと思ったんですけど、
子育ても夫婦関係も依存先の分散に救われるっていうタイトルかな。
で、いきたいと思います。
なんかうち夫、私5歳、2歳の娘2人の4人家族なんですね。
で、この5歳と2歳がそれぞれ成長の段階の成長を遂げてまして、
それによる、対応の難しさというかめんどくささみたいなのが、
1日のうちにね、何回かあるわけですよ。
長女で言えば、成長しても来年1年生になるからこそね、
適当な約束はできないというか、適当なごまかしがきかないというか、
本当に一人の人間として誠実に対応しなければって思うことがあったんですけど、
ちょっとした約束、何気なくこっちが大人側が交わしてしまった約束、
その場しのぎで、じゃあ次回それするからねって約束してしまった約束を、
子供からしたらその約束は大事な約束なんですよね。
それをすごい覚えていて、親が守らないことにすごく傷ついてしまうみたいな、
そんな瞬間があったりとか、これはもうごまかしの約束ではなく、
約束をするならちゃんと守らなきゃいけないなって、
大人の社会だったら当たり前のこととして言われてるのに、
それをしっかり子供との約束もちゃんと守りたいなって思ったんですけど、
そういうごまかし、ごまかしてんのかいって感じなんですけど、
時にごまかしってすごい子育てで重要じゃないですか。
でもごまかしがきかなくなってくるが、家の大変さ、めんどくささみたいなのがありますよね。
それになんか私もっともぐったりげんなりしてしまう瞬間があるんですよね。
とか、あとは下の娘、2歳児に関しては、逆に彼女に関してはもうなんか、
気持ちが許せないみたいな、その理屈とかどうこうよりも、
私が今やりたいと思ってるんだから、やらなきゃ気が済まないんだみたいな。
何がこうだからこうなんだよみたいな説明がしたところで、
私の気持ちがそうじゃないんだみたいな、
そういう今2歳の言い合いやっきにがっつり差し掛かっている、
難しさ、めんどくささがあるんですよ。
それぞれ子供の感触とかぐずりとか、そういうものに日々立ち合うわけなんですけど、
そうなった時に、何て言うんですか、
なんかこう、何て言うんだろうな、
あーって、ぐずってる子供の声とか、うわーって泣いてる声とか、聞いてるとあーってなるんですけど、
あーってなるんだけど、どうしようかなーって思っている時に、
いい時も悪い時も、いろいろいろんなパターンがあるんですけど、
救われた瞬間っていうこともあって、その救われた瞬間っていうのがそれぞれね、
例えば上の子がぐずってる時、もうどうにもこうにも自分の気持ちが納得いかないみたいな、
で、ママもパパもいろいろ言ってくるけど、もう全部嫌なんだみたいな時に、
なんかその気持ちの収集がつかなくなっちゃってる時に、なんか下の子が一人遊びをしてるんですよ。
で、なんかメルちゃんに何か食べさせてたりとかいう時に、
なんかその下の子のそばに行って、なんか何々ちゃんみたいな感じで、
ママもパパも敵だからあなたが慰めてくれる?みたいな感じで、下の子に助けを求めに行くんですよね。
そうすると下の子も、ねえねえ大丈夫?とか言いながらよしよししてあげるんですよ。
で、なんかこの瞬間で、なんか二人の中で何かがこう、なんかあるんですよね。
もちろん喧嘩もすごい多いんですけど、そこで二人が慰め合う瞬間を私たち大人も見て、
なんかそれに急にほっこりして、なんだこの可愛い二人は?みたいな感じで、
さっきまでもう感情をかなり揺られて揺さぶられてたのに、なんか急にほっこりとした瞬間に変わったりとか、
その逆もあって、もう下の子がどうにも収拾つかないぐらいぐずりまくって泣き喚いてる時に、
なんか上の子が何気なくしていることに対して急にふっと、あ、私もあれやる?みたいな感じで急に泣きあんで、
ねえねえ一緒に遊ぼう?とか言って二人で遊び始めたりとかっていうのがあるんですよ。
だからね、これもし相手がいない時、なんか兄弟の相手がなんかどっか行ってるとかさ、
保育行ってるとか、もしいなかった場合、どんな風になってたんだろうなとかって思うことがあって、
私たち親も、なんかその泣いてる子に対して、やっぱ泣き喚いてるとどうにかしなきゃとか、
泣いてる時間をずっとこっちもなんか聞いてるのが辛いから、その状況をどうにかしたいとか思っちゃうんだけど、
依存先の分散
そう思えば思うほど、なんかうまく対応ができなくて空回りしてみたいな状況になるじゃないですか。
そうすると、やっぱりなんか何かどうでもいい変わるきっかけっていうか、
依存先が分散されるってことなのかなって、ちょっとなんか言葉の表現がこれでいいのかちょっとわかんないんだけど、
なんかこう負のスパイラルにいる、なんかグズってる子ども、そしてそれに巻き込まれまくってる親二人から、
全く関係のないことをしているもう一人の人間がいることによって、
なんか急にこう何かその負のスパイラルを急になんかこう、負のスパイラルを止めるというか止めて、
なんかちょっと違う空気を入れてくれる存在になる人がいるって、やっぱりなんか大事だなって思ったんですよ。
これはなんか子育てに限らず夫婦関係もそうで、なんかちょっとなんか相手にイライラする、
夫にイライラするとか、逆に夫が私にイライラしてるなぁみたいな時とか、
なんかまあただ単にね、自分の機嫌が悪くて、不機嫌をまあこうプンプンしてる時とかあるじゃないですか、大人が。
そうなった時に、なんか子供がなんかそういう負の感情とか、なんかイライラしてるなぁみたいな空気を、
もちろん子供も察知することもありますけど、でもなんか大人は無駄に察知するが故に変に空気を読んじゃったり、
それに左右されて自分も負の空気を放っちゃったりとかイライラしたりとか、
っていうこともあると思うんですけど、なんか子供の場合はなんか単純に大人がイライラしてたら、
なんでママ怒ってんの?とか、なんでパパ怒ってんの?とか、なんかそういうことを単純に聞いてきたりとか、
あとはなんだろうな、なんか単純にママ遊ぼう、パパ遊ぼうみたいな感じで、なんか単純にこう関わってきてくれるから、
なんかこっちのイライラしてる自分も、なんかこう気持ちを切り替えやすいのかなって、
切り替えるきっかけを子供たちがくれることってあるよなーっていう風に思って、思う瞬間もあったんですよ。
これがね、なんか子供たちが元気に育ってた時に、夫婦二人となった時に、
なんかこの契約ムードってどうやって解決していくんだろうね、みたいなこともしたんですけど、
何よりもその、なんか一点集中しないってことが一番大事だし、
なんかその一点集中にならない、なんかいろんなこう、なんだろう、その負の状況を変えるようなきっかけが、
なんかその環境の中に、なんかいっぱい持っておくとか、
あとは自分の中でその負の状況を変えるきっかけとしての方法を、
自分自身もいっぱい持っておくっていうことが、なんかちょっと生きやすくなるきっかけなんだなーっていうのを、
なんかここ数日の子供たちの様子とか、夫婦関係とかを見ながらね、感じたことだったんですよ。
そうだから、誰かの不機嫌に振り回されないし、
自分の不機嫌の、なんかなんだろうな、切り替えのきっかけも、
自分自身でいろいろ持っておくといいのかなーなんていうことを感じました。
まあそんなうまくいくことばっかりでもないですし、不機嫌スパイラルに飲み込まれて、出れなくなることもありますけどね。
まあでもちょっと、子供たちの存在によって、
なんかそうやって、なんか自分の不機嫌とか、なんかイライラとかね、そういうのをね、なんか改善してくれたり、
逆に夫のイライラとかも、子供たちの存在によって切り替わるきっかけにもなってるんだなーとかって思うことがあったので、
はい、子供たちもありがとねっていうことで、話を終わりたいと思いまーす。
お疲れ様でした。今日の夜9時45分にお待ちしてます。バイバイ。