自己認識の再確認
こんにちは、自分が産後ケア広め隊長であることをすっかり忘れかけていたおい⭐︎のっこりーです。
私ね、名前の横にも産後ケア広め隊長って書いたまんま、そのまんまにしてたんですけど、
だからね、自分が産後ケア広め隊長って自分で名乗ってることをすっかり忘れかけてたんですけど、
これいけないですね、このね、名前の横にこういろいろ書くやつね、定期的にこう書き換えたりするといいんだけど、
もう一回書いたら書きっぱなしにしちゃうっていうタイプの人間でして、
あの、書きっぱなしにしてて忘れてたっていう。やっぱ書き直さないとね、自分が今何に熱いのかみたいなこととか、
そういうこともね、自分で自覚することも忘れちゃうんだなーなんて思いながら、
まあちょっとね、はい、書いてるくせに産後ケア広め隊活動をね、
だいぶ情熱の火が消えかかってしまっていた最近なんでございますけれどもね、
なんとこのね、広め隊活動を全然してない中にね、
久しぶりにね、産後ケア広め隊活動というか、産前産後の取説というテーマでですね、
産前産後に、なんか知っといたらよかったっていう、そんな内容をさ、みんなでシェアして、
それ、そんなシェアしたものがさ、こう誰かに届いたら、これから産前産後を迎える方に届いたら、
なんか気持ちの、もちろんも違うんじゃないっていう意味で、産前産後の取説、
あなたの取説を教えてくださいみたいな、そんな声を募って、だいぶ前に募ってたんですけど、
それをね、なんかこのタイミングでポッと、皆さん大好きゆうすけさんがね、配信してくださったんですよ、数日前に。
で、あれ?と思って、ゆうすけさんが産前産後の取説を語ってくれてる?と思って聞かせていただきまして、
そうそう、これね、皆さんも聞かれている方も多いかもしれないんですけど、
なんかその、ゆうすけさんの語る産前産後の取説を聞いて、私が感じたことをね、ちょっと残しておきたいなって思って今収録しております。
そう、ゆうすけさん、この配信の中で2つお話しされてたかなと思うんですけど、
1個は、生まれた子供がね、パッとこの世に誕生した瞬間に、父親は父親になれるわけじゃないんだっていうお話をされてて、
それをね、その気持ちをなんかすごくね、何も飾らずに、なんか本当に素直な気持ちとしてお話しされてたんですよ。
母親は本当に妊娠した瞬間から、なんかこう妊娠期間、妊娠が発覚してから、いろんなこう、皆さんそれぞれ症状は違えど、
いろんなこう、通常生活している体の状態とは違うね、身体症状がいろいろ起きるんですよね。
つわりもしっかり、息切れ動機もしっかり、腰痛もしっかり、何よりこう、物理的に自分の腹がでかくなっていくわけじゃないですか。
で、お腹が重いから歩きづらかったり、なんだろうね、あの、何、もうなんか、こんな筋肉痛くなるのとかさ、
あとは、変な足がつったりとか、いろんな皆さん、症状、ね、妊娠された方とかはそんなご経験もあると思うんですよ。
だから、母親は妊娠したその瞬間から、母体って、何、子供を、胎児か、胎児をお母さんのお腹の中で育てるっていうところで、
なんかもう、言い方悪いですけど、強制的に、母子の時間が始まっていくんですよね。
強制的に、なんか、ホルモンが動き出して、普段発しないホルモンたちがもう、ウェーって出てきて、
そんで、体のいろんな身体症状の変化が、わーって現れて、母体はもう、赤ちゃんを守るために、いろんなこう、指令を出すわけじゃないですか。
で、それにもう翻弄される毎日、お母親はさ、なんかもう、自然とこう、自分の中に子供が、なんだろうな、育っていく感覚みたいなものを、
ね、また言い方悪いけど、強制的に感じざるを得ない状況になるわけですよね。
そんで命がけで出産して、ようやく生まれて出てきたと思ったら、今度はもうなんか、ね、また物理的に強制的に、
ま、授乳したり、抱っこしたり、何?もうお世話が始まるわけじゃないですか。
もう、物理的にも強制的にもって言い方悪いけど、もうなんかとにかくこう、世話を、ね、
お腹の中にいる間から、子供に世話をしなきゃいけない。じゃないと、こう、お互い、もうなんか、生命の維持を保てないぞ、みたいな、そういう状況になるんですよね。
だから、もうなんだろう、嫌顔なしに、その母子関係ができていくっていうことなのかなって思うんですけど、
で、それが全くこう、そこに、そこにお父さんって感じじゃないですか。お父さんの存在はどこですか、みたいに。
そこの強制的に物理的に嫌顔なしに、世話をしなきゃいけないっていう、そこの強制力がお父さんに対しては、言ってみたらないわけですよね。笑っちゃいけないか。
そうそう、でも、そういう状況なんですよね。だから、お父さんからしたら、もうポッと生まれてきた、その人間を、あなたの子供ですって言われた時に、正直、正直どうしたらいいのっていう、そういう感覚の違い、母親と父親の感覚の違い、受け止め方の違い、
っていうのは、なんか当然のことなんだなって。なんか、今、ようやく、こう、冷静になって、その、まあ、男と女の生物学的な違いを捉えて考えてみれば、そう思えますけど。
でも、まあ、その妊娠期、出産期って、もう、とにかく必死で、もう、生かす頃に必死みたいな状況に置かれている母親からしたら、その状況では、その、なんか、冷静に考えたらそうでしょっていうところがね、なかなか冷静に思えないのかなっていうふうに思うんですけど、
でも、だからこそ、その、なんだろうな、そういう冷静でいられなくなる状況になる前に、なんか、物理的にそもそも違うよねっていうところを、なんか、こう、1回や2回じゃ全然理解できない、全然理解できないというか、理解できたとしても、その冷静じゃない状況の時に、
あ、そうだった、そうだったって思うためには、なんか、何回も何回もそういう、なんか、そういう事実をね、なんか、脳内にすり込ませないと、なかなか思えないんじゃないかなって思ったりもしたんですよ。
でも、その、どっちが悪いとか、どっちが、なんか、いいとか、どっちが偉いとか、そういうことじゃなくて、なんか、それが、それが事実なんだと、それがそうなんだと、それが男女の違いで、もうそこはもう、なんか、どうにも超えられないものなんだと。
親としての共通理解
誰が偉いとか偉くないとかないし、その、政策のね、その違い、もうそこはしょうがないということですよね。
そしてその産後も、あの、そういう、なんだろうな、もう、とにかく生かさなきゃいけないっていう、そういう女性の、なんか、そういうホルモンの何、指令的にもそういう戦闘体制になるんですかね。
っていう状況と、まあ、その、何、そういうモードになりきれない男性側はね、え、どうしたらいいの?みたいな状況にもなるわけですよね。
だからそこの、こう、なんか、まあ、脳内の、脳内の捉え方も違うし、置かれた状況も違うし、体の何、もろもろの、何て言うんですか、こう、打撃?って言うんですか、も違うし、何もかもその前提条件が違う中、ただ、ただ共通しているのは、これ、ここにいる子供は私とあなたの子供っていう、その、
なんか全く前提条件が違う状況の中、え、でも私たちの子供、みたいな感じで、突きつけられる事実。
この構図がそもそも過酷だよねっていう風に感じました。
もっとやってよって女性側は思わざるを得ない構図だし、お父さんに対して。
お母さんお父さんで、いや急に言われても、みたいな感じの構図ですよね。
だからこういう構図がそもそも前提条件違う中、ただ私とあなたの子供っていう、なんか、そこですよね。
だから、その違いをやっぱ、事前にね、お互い、お互いにやっぱり理解しておくっていうことが、まず最初大事だよねって。
でもそこの違いを理解することって、私、出産前に助産院でチラッと言われたぐらいだったかな、なんか記憶にあるかないかぐらいのこんな感じなんですよ。
多分言われてたとしても、こんな感じのうっすら記憶になっちゃうんですよね。
だから、やっぱその前提条件がそもそも違うから、それに応じた対策を練るとか、そもそも違う前提条件が違うってことも、なんか認知の書き換えとして擦り込むこととか、
なんかそういうことが大事なんじゃないかなって思いました。
もう10分も喋っちゃった。
あとは、そうですね、そう思ったんです。
もう一個、ゆうすけさんが言ってた、その本当に、なんだろうな、ゆうすけさん子育てして8年目っておっしゃってたかな、
3人のパパさん、男の子のパパさんでね、8年目、親になって8年目になるけど、1人目も初めてパパになった。
2人目が生まれたとって、3人目が生まれたとって、それぞれ2人の子供のお父さん、3人の子供のお父さんとしては毎回初めてのことだから、
正直今ですら父親だって自信を持って言える、そういう感覚がなかなか持ちきれないっておっしゃってたんですよ。
ただ、でも言えるのは、その子供がこうして生まれてきてくれることとか、命をつないでいけることがすごく幸せだっていうふうにおっしゃってたんですよね。
これもすごく私も共感したんですけど、
子供を持つもたないとか、そういうことで語るのは違うのかもしれないけど、すごく子育てをしていて感じることとしては、
子供を通して、ゼロベースっていうかゼロ地点に毎回戻してくれる気がするんですよ、子育てをしていると。
子供たちってすごく、こんなことでそんな感動するみたいなことに目を輝かせて喜んだりとか、
こんな落ちたゴミとかでそんな遊べるのとか、
鏡くもっただけでそんな嬉しそうに指でお絵かきして、鏡でお絵かきするの楽しんだとか、
本当にもう私たち大人になったら、いちいちそんなことしないみたいなことをたくさん発見して、目を輝かせて楽しむじゃないですか、子供たちって。
だからそういうのを見てると、これって別に子育てするしない関係なくね、そこら辺にいる子供たち見てても同じように感じることもあるだろうし、
子供に関するお仕事されている方も共感していただけるかなって思うんですけど、
やっぱり子供たちって本当に私たちが失った感覚を取り戻してくれるっていうか、
もともとまっさらだったところに、ゼロから1になる瞬間ってすごく世界が広がるっていう感覚あるじゃないですか、
なんかそれを子供たちはすごく日々ね、ゼロ1、ゼロ1の体験をいっぱい積んでるなって思うんですよ。
大人になってその子供を通してまたね、そのゼロ1体験を追体験させてくれるっていうのが、子供たちと一緒にいる恩恵かなっていうふうに感じるんですよね。
子供がいることで不自由さを感じたり、あれができない、これができないみたいな時ももちろんたくさんあって、
でもなんかそのちょっとできない、ちょっともうなんかもうちょっと時間があったらみたいなふうに思うからこそ、
よりなんか時間を作り出したり、なんかどうやったらできるかみたいな、もう無理くりやってやるみたいな感じでね、
なんか実現させようとする力も、私の場合はなんですけど、なんか生まれてるなっていうふうに思うんですよね。
だからなんか子供がいることで、なんかもっとこうだったらいいのにみたいなことをもちろん感じるんだけど、
でも子供がいるからこそ、なんかもしかしたらそこまでなんか実現しようって強く思えなかったことも、
なんかちょっと不自由さを感じるからこそ、なんかそれをもぎ取りたくなって熱量熱くなれてるかなとか、
あとはそうやって子供を通してね、なんかもう一回感動をね、一個一個の感動をね、
あ、それこんな感動するよねそういえば、みたいな感じで思い出させてくれるようなっていうのを感じました。
そう、なんかゆうすけさんの配信を聞きながらね、なんかちょっと久々に私もサンゴケア広めたいとして、
子供から学ぶ感動
熱く語りたくなったので語らせていただきました。
ということで、何について語ったんだろうって感じだけど、
はい、あのー、サンゼンサンゴの取説に便乗して話してみましたよという配信でした。
ちょっと長くなってすみません。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
では、さよなら。