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おいのっこりーのスキマ時間、冒険ラジオ。
今日は、正しさよりも目の前の相手をしっかり見たいと思った話をしたいと思います。
これを話そうかなって思ったきっかけが、この週末に
私の母親と子供たちと一緒に過ごす時間があって、その中での母親と私の娘、長女とのやりとりを見て、そう感じたエピソードがあったので、喋りたいと思います。
この週末、夫がいなくてですね、2泊3日で、石川だったかな、のトレイルマラソン、トレイルラン、ちょっとよくわからないんですけど、山をひたすら走って、夜通し走る、100キロ走るっていう、
なんか面白い大会にね、行ってくるつっていなかったんで、ちょっと一人でワンオペも、ちょっと私もね、苦しいので、母親をね、ちょいちょい呼んで、みんなで過ごしたわけなんですけれども、
その中でですね、私の家に母親が来てくれて、何をするわけでもないんですけど、なんか家の中でかくれんぼしたり、4人でかくれんぼしたり、あとなんか剣玉、最近長女がハマっている剣玉をね、披露したり、なんか別に何をするわけでもない時間の中で、
長女がね、なんかクラスの、また学校の話なんですけど、友達の話なんですけど、自分の目の前に座っている男の子がね、なんかちょっと嫌なんだ、みたいな話をポロリとし始めたんですよ。
で、この話、なんか実は夫からも聞いてて、夫に週末、金曜日の朝ぐらいかな、なんか朝、子供が朝行く時に、なんか誰々くんがね、なんかイヤガラスをしてくるから、学校に行きたくないって今日朝言ってた、みたいな、私は先に仕事に出ちゃったので、まあそんな話が娘からあったよっていうラインが来たんですけど、
あーじゃあちょっと帰り聞いてみるわ、聞いてみるというか話があるか、ちょっと様子見てみるなんて言って、でも結局その日と、金曜日かな、は特に娘からも話がなく、軽く学校の話とかも振ったんですけど、本人から出てこなかったので、あーじゃあなんかまあそこまででもなかったのかなーなんて思いながら過ごしてたんですけど、次の日の土曜日かな、に娘からね、やっぱその話が出てきたんですよ。
で、なんか聞いてみると、なんかその前々から同じ、学童でも同じクラス、学校でも同じクラスで、で、なんかすごい、授業参観でも私も見てたんですけど、なんかすごい、なんでしょう、なんかよくあるじゃないですか、男の子が女の子にちょっかい出すみたいな、あんな感じの絡みでね、なんかいろんなちょっかいを出して、でも娘も笑いながらリアクションしてるみたいな、だから仲いいのかなーなんて思ってたんですよ。
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で、好きな人が、好きな子に男の子がちょっかい出すみたいな、そんな風な映像に見えたんで、あの子、うちの子が好きなんだ、みたいな感じでね、親バカですけど、勝手にそんな、親としてもそんな感じで、重くは受け止めてなかったんですけど、ようやくなんか娘が言うには、なんかもう、なんか消しゴムのカバーを勝手に破られたり、なんか前からプリント配るときに、
あのー、なんか1秒でピッてピッて、はい、みたいな感じで渡してくるのが嫌だったりとか、あとなんて言ってたかなー、なんか、そのなんかこう、あのー、よく子供の頃やりませんでした、なんかこのぐらいの魚怖い?とか言って、目の前でパンって、なんかこのぐらい?とか言って手を示したときに、あのー、プシッてこう、あの、なに、目の前で、その相手の目の前で、あのー、手を叩くみたいな、
それで目つぶっちゃったらビビってるみたいなことをやりませんでした。私子供の頃よく友達とそれやってたんですけど、そんな感じの、そんな類のやつをやってくるんですって、なんかこう、娘の目の前でパンチするような寸止めするみたいな感じで、フッて止めて、それでちょっと目パチってしちゃったらビビってるみたいな感じで言ってくるとかっていうやつ、なんかそういうのをね、やってくるんだそうですよ。
で、それがなんか本人は嫌な、嫌なんですって。
で、いろいろね、こうされて嫌なことを、いろいろ話をしてくれたんですね。
で、なんか、あ、そうなんだ、嫌なんだね、みたいな。で、私は嫌なことは嫌だって伝えていいよ、みたいな感じで言うんですけど、でもそれもうまく伝えられないとか、なんか嫌なことを嫌だって伝えるのが嫌だって言ってて、
あ、そうだよね、みたいな。いや、面と向かって、それ嫌なんですって相手に伝えるって、まあ大人でもなかなか難しいことではないなって思いながら娘の話を聞いていました。
で、ママだったら、そうだな、ママだったらそのパンチで寸止めしてくるやつやってきたら、あの、ママの時代はね、この、よくママの時代はとか言っちゃいけないやつを言っちゃったんですけど、なんかこう、魚、このぐらいの魚怖い?とか言って、
で、目の前でこの魚のサイズ感、はじめはちっちゃく見せてるんだけど、急になんかパンって目の前でね、その子の目の前でパンって手叩いて、目絶対潰るから、そしたらビビったみたいなやりとり、よく友達とやってたよ、みたいな感じで、やってみせながらね、見せたんですよ。
で、娘も笑ってて、じゃあ私もやろっかなーなんて言ったりもしてたんですけど、まあなんかそんなやりとりで、でもね、なんかやってるうちにどんどんなんか娘の中でなんか怒りが高まってきたみたいで、なんかムカついてきたあいつ、とかって言ってて、そっかじゃあムカついてきたならもういいよ、この紙に、もう好きなだけそのムカついた気持ち書いちゃえ、つって、で紙に書き出したんですよ、もう。
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なんとかムカつく、くそ、なんか、もうすごい、なんて書いてたかな、もう忘れちゃったけど、なんとかの野郎ふざけるな、みたいなこととかを、もうめっちゃ紙に書いてね、で、まあそんなことをし始めたんで、あ、なんか自分の感情をそうやってね、紙に書いてよしよしって思いながら、私は今度下の子の相手したり、家のことしたりっていう、ちょっとフェーズアウトしてたんですね、その対応から。
そしたらその母がね、私の母がその書く娘に対してね、なんかこう相手をしてくれて、で、それがなんかこう汚い言葉だったり、なんかもうふざけんな、とかもうくそ、みたいなことを書いてるわけですよ。
それに対して、なんか自分の母親はどういうリアクションするんだろう、ちょっと見てみたらですね、もうすんごい、なんか何でしょう、賛成してるんですよ、一緒に。
えー、もっと書いちゃえ、書いちゃえ、もっともっともっと書け、みたいな感じで、怒りをね、娘の煽るように、娘の怒りを煽るように、なんかもっと書け、じゃんじゃん書け、いいぞいいぞ、みたいな感じで母が言ってるわけですよ。
そう、これ、あ、そういうパターンかと思って、そうそう、でね、なんかその書いたやつ、これ書いたやつどうする、みたいな。
私はなんか外側からね、なんかくちゃくちゃにしたり破ったり、もう投げ捨てたり、何にもしない、みたいな感じで言ったんですけど、母はね、なんか、それさ、バーバがその子の家のポストに入れてきてあげるか、って言ったんですよ。
悪いね、って思いながら聞いてたんですけど、そしたら娘がね、いや、それはダメだよ、そしたら悲しいじゃん、って言ったんですね。
で、その時聞いたバーバが、なんで、なんで悲しいの、だってさ、相手が嫌なことしてきたんじゃん、って言って。
うちの母結構、目には目を、って感じなんですよ、やられたらやり返してやる、みたいな、そういう感じなんですけど、またすごい言ってて、
うん、こっちが先に嫌なことされたんじゃん、だからいいじゃん、やり返してやれば、とか言って、悪いバーバが出て行ってたんですけど。
そしたらね、娘が、いやだってそれ見たら、それ見たら〇〇くんの母さんが悲しむでしょ、って言ったんですよ。
で、そこから、とにかくね、ビリビリに破って、それを投げ飛ばして、終わるっていうことをしたんですけど、
なんかこう、なんかきっと、わからない、私もし母がいなかったら、どんなふうに対応してたんだろうな、ってちょっと考えたんですけど、
なんかこう、例えばその手紙、紙に書くならOKとして、どんな言葉を書いてもOKとして、やってたかもしれないけど、
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なんか、自分以上に、自分が怒っている、娘自身が怒っていること以上に、なんか第三者がそれに対して怒りを、なんだろうな、
怒っているのを見ると、ちょっと自分の怒りが落ち着く瞬間ってあります?
なんかそんな感じで、なんか自分以上に誰かが、自分が怒っている相手に、誰かに、何かに対して怒りを示してくれたときって、
なんかそれだけでちょっと気持ちが収まることってあるのかなって、それを見てて思ったんですよね。
だからついなんか子育てしてると、なんか正しいことを言って、なんか教え込もうとしちゃう、しちゃうことって、なんか自分自身もあったなって。
なんか言われたら嫌なことは、嫌だって言っていいんだよとか、自分が嫌なことは嫌って伝えないと相手がわからないからとか、
じゃあ今度言われて嫌なこと、されて嫌だったこと、言われて嫌だったことは、じゃあ今度は誰かにしないんだよとかね。
なんかそういう、いかにも正しいみたいな話をしてしまいそうだって自分がいたんですよね。
でもなんかその、ああ、婆婆がその子の家のポストにその紙入れてきてやるとか、なんかね、そう来るかみたいな。
でもなんかその、それって正しさよりも、なんか目の前で、私はただただ嫌だったんだとか、辛かったんだとか、怒ってる、今怒ってるんだとか、
そういう娘に対して、一緒に怒ってくれるとか、正しさはこうだからとか、そんな話はもうどうでもよくて。
ただ怒ってる私を、なんか一緒に誰かが怒ってくれることで、私のこの感情って別にどうにかしなきゃいけないものでもないし、
それを隠さなきゃいけないことでもないし、なんかこの怒りの感情を同じように怒ってくれる人がいるってことは、
自分の感情はこう間違ってないんだって思える体験になるんだなっていうのを、この母のね、母の過剰な怒りを見て感じたわけですよ。
娘もなんだかんだで落ち着いたし、なんかその婆婆がポストに出てきてやるとかっていう言葉を見てね、笑ったんですよね、娘が。
だからなんか、ついつい正しさとか、嫌なことは嫌って言っていいんだよとかね、言っちゃうんですけど、
言えない!いざ自分だったら言えないなとか思ったり、言えるの?みたいな。
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そういう時に、そうできない自分も多分、うまく気持ちが処理できないじゃないですか。
で、こう迷子になっているというか、自分自身が感情の迷子になっているというか、どう処理していいのか分からない。
自分のこの、特に怒りの気持ちなんて、自分自身も苦しいじゃないですか、それを感じている時って。
そういう時に、なんか怒りとか悲しみとか、なんか悔しさとか、なんかそういう負の感情って言うんですかね、ちょっとネガティブな感情の時って、
その感情に陥っている自分がまず辛いから、そこにね、こうしたらいいんじゃないとか、こうすべき、みたいな。
そういう誰かの正しさを振りかざされちゃうと、頭で分かってても、そうできないから苦しいんじゃん、みたいな時、自分に置き換えてもあったので。
なんかそういう時は別に、なんか正しさとか正論とかいらなくて、それよりも目の前の、私今苦しんでますよっていう、そういう自分をまずは丸ごとね、
オッケー、オッケーってね、言ってくれる、言ってくれる、言わなくても、なんかこう受け止めてくれたかも、みたいな。
そういう感情が、まず持てる実感をね、なんかそういう感覚がやっぱ、持てることが大事だなって思ったんですよ。
で、そういう苦しい、誰かが苦しい状況にある時こそ、なんか正しさを振りかざしちゃうと、なんか一気にそこでこう遮断しちゃうとか、
だからね、何かこう苦しいサインを出してくれた時っていうのは、それをね、せっかく出してもらった相手側に自分が立っている時は、正しさとかこうすべきとか、なんかそういうことは一旦置いといて、
で、なんか目の前のその苦しんでる人の、同じ気持ち、完全に同じ気持ちになれないにしても、同じ土俵、同じ目線になんか立とうとするっていうか、
なんかその人の感情をひたすら得られるね、人でありたいなっていうのを感じました。
私、その母と娘の、私の母と娘のやりとりを見て、ああ、なんか正しさじゃないなって思ったよという話でした。
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なんか子育てとかしてたり、誰かが困っている話を聞いたりした時って、どうしてもね、なんか自分の経験からこうだった、あだったみたいな言いたくなっちゃう。
でもその言いたくなっちゃうって、結局自分の言いたい気持ちを満たしているだけなのかなって思うと、
でもとにかく、まずは相手の思いを聞いて、その気持ちでOK、みたいな、そんな受け止めだけでいいんだなっていうのをね、
ちょっと日々の自分の行いを含めて反省も含めて感じたよという話をちょっと長々としてしまいました。
おしまい。