アドラー心理学ラジオ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、
哲学、カウンセリング、そして科学の視点から深掘りし、本物の知性として語り直していきます。
お相手のあつくてゆるいです。 一人の人間の一貫性を説明するために、私たちは人生を通して大きな旗、
究極目標を目指しているとアドラーは考えました。
でもそこまで聞くと、じゃあその究極目標って具体的にどんなパターンがあるの? 私の旗って何なの?って気になりませんか?
アドラー先生実はこの辺りをきっちり整理してくれていないんですが、今回はアドラー自身や彼の後継者たちが書き残した言葉をあちこちから書き集めて、
具体的な目標って結局どんなものがあるの?という空白のマップを3つに分類していきます。
さらに後半ではこの究極目標の話と絡めながら、中学2年生のリスナーさんから届いた、自分の中に複数のライフスタイルのタイプが混ざっているんですが、という鋭い疑問にお答えします。
目的論、劣等感、優越性の追求、究極目標。
まあいろんな用語が出てきましたけど、いやもうわけわからんってなってませんか?
この辺りを整理するために、今回は車のドライブの例えを使っていきます。
頭の中で想像してみてほしいのですが、私たちはオギャー!と生まれた瞬間から、ある終わらないドライブに強制エントリーさせられている。
一人一人、全く違った姿形、スペックの車に乗って走っています。
ただ、この車は仕様がだいぶ狂っていまして、なんと生まれた瞬間から死ぬまで、ずーっとエンジンがかかりっぱなしなんです。
昔、キアノリー・ウス主演のスピードって映画がありましたよね。
減速したらバスが爆発するやつ。
そんな止まったら即死のデスドライブ、とまでは言いません。
まあ、現実の私たちは疲れたらロカタに車を止めてサボりますから。
でもサボって休んでいる間も、心の中のエンジンだけは絶対に切ることができない。
もっと良くなりたい、走り出したいと常にブーンと唸り続けているんです。
この上を目指して回り続けているエンジンの駆動力、これをアドラシン理学では優越性の追求と呼びます。
そしてこの優越性追求のエンジンを回すガソリンこそが、今の自分は足りてないという劣等感。
私たちは劣等感をガブ飲みしながら、成長というアクセルを一生踏みちぎっていくわけです。
さて、爆走するのはいいとして、行き先が不明だと単なる暴走族です。
当然目的地が要ります。
アドラシン理学ではこの最終目的地を人生の初期に既に決めていると考えます。
それが究極目標。
ただし最終目的地と名乗りながら、実は死ぬまでたどり着けません。
ピンポイントのゴール地点というより、あくまでこっちの方向へ行くぞという方向目標に過ぎないからです。
高速道路を走っていると、頭上にドーンと見えてくる緑色のデカい看板がありますよね。
地方からひたすら走ってきて、東京方面の文字が見えた瞬間、「おお、東京だ!」と謎のテンションが爆上がりするアレのイメージです。
俺の人生はこっちの方面に向かって突っ走るんだという、自分だけの大きなベクトル。
現実のドライブならそのまま走れば、いつか東京タワーの下でゴールテープを切れそうですが、究極目標に終着地点はありません。
あくまで〇〇方面という幻の看板が示す方向へと、死ぬまで爆走し続ける運命なんです。
ではその緑の看板に書かれた方面、究極目標には具体的にどんな言葉が書かれているのか。
私の知る限り、アドラーは決まったリストを残してくれてはいません。
そんなこともあって、究極目標というのはアドラーが人間の行動の一貫性を説明するために、理論上どうしても用意しなきゃいけなかった側面もあるんじゃないかなと睨んでいるわけですが、
とはいえマップもなしで道路に放り出されるのも困ります。
そこで今回はアドラー自身の言葉をベースにしつつ、現代のアドラー心理学でよく使われるキーワードをあちこちから書き集めてきました。
それらを私がざっくり3つの方面に分類してご紹介します。
1つ目は上へ、自力で方面。
高いところに立っている、あるいは誰にも頼らず自分の足で立てている。
この状態を一番のプラスだと感じる方向性です。
言葉にするなら優越、完全、自立、自由あたりの言葉。
アドラーは子供のごっこ遊びを例に出してこう書いています。
優越への強い欲求を持つ子は、他の子が馬を操る役をやっている時、馬の役を演じるのは我慢できない。
自分がいつも手綱を握る側でいたがる。
ちなみにうちの娘も私を四つん這いにさせて背中に乗るお馬さんごっこが大好きでして、
父親を完全に馬扱いして手綱を握りキャッキャと大騒ぎしている姿を見ると、
このまま支配者ルート爆走していくんじゃないかと舌で這いつくばりながらちょっと震えております。
二つ目は守られる方面。
一切傷つかず安心でいられる状態が一番のプラス。
安全、安心、快適みたいなキーワード。
これを聞くと、え、守られたいって全然上を目指してなくない?
どうしてそれが優越性の追求になるのと不思議に思うかもしれません。
でもアドラは、
安全を求める絶え間ない努力は、今ある現実を乗り越えて、より良いものへと向かわせる。
と書いています。
つまり不安というマイナスから安心というプラスへと向かっている。
安心や安全を確保することで有利なポジションに立つという優越性の追求をしているわけなんです。
そしてラスト三つ目はつながる方面。
仲間の中で役に立っている状態が一番のプラス。
言葉にするなら、所属、昭和、貢献とかです。
ここでも人のために動くことが、なんで優越性の追求になるのと感じるかもしれません。
でも過去の放送を思い出してほしいのですが、
フィジカル激和の人間にとって他者とつながり協力し合うことは立派な生存戦略。
他者への貢献が引いては自分の利益にもつながるのだとアドラは捉えていました。
だから貢献も立派な優越性の追求だというわけなんです。
どうでしょうか。
この三つの方面、皆さんの中で、
あ、自分はざっくりこの究極目標に向かって爆走してるかも、なんて心当たりはありましたか。
もちろん人の心ですから、この三つで全部カバーできるわけではありません。
自分が絶対に正しいんだという正しさを求める方面や、
ただただ刺激や楽しさを求める方面だってあります。
複数の看板に同時に惹かれていると感じる人もいるでしょう。
で、こうやって究極目標を分類していて私改めて気づいたんですが、
究極目標の話ってやっぱりライフスタイルとか生存戦略の話と超絶密接に絡み合っているぞって思ったんです。
考えてみれば当然です。
上へ自力で方面を行くなら、自分の力でガンガン進むドライバー的な戦略と相性がいい。
一方、守られる方面を行くなら、人に助けてもらうベイビー的な戦略と相性がいい。
ただ、ここが人間の奥深くて厄介なところでして、
究極目標、目的地とライフスタイル、走り方は同じ現象別の角度から見たもので切り離せないのですが、
ただ、上へ方面なら必ずドライバー、守られる方面なら必ずベイビーというようにきれいに1対1で対応するわけでもないんですね。
なぜなら、行き先とそこへの行き方は別の話だからです。
同じ東京方面に自分でブイブイ運転していく人もいれば、誰かの車の後ろにくっついていく人もいます。
この微妙なズレのせいで、自分でも自分がよくわからなくなる。
この辺りのモヤモヤも後のお便りで一緒に整理します。
と、その前に一つだけ絶対にお伝えしたい注意点があってですね。
それが、今日の話を聞いて、上へ方面を目指すのは支配的だからダメだとか、守られる方面は甘えん坊だからダメだみたいに、
究極目標そのものにダメ出しをする必要はないということです。
上を目指すのも安全を求めるのも人間として自然な動きです。
究極目標そのものに善悪はありません。
問題なのは、以前の放送でも出てきた人生の有用な側と無用な側。
あなたはその究極目標を果たしてどっちの方角に向けているのかということなんです。
つまり、究極目標のさらに向こう側の話になってくるのですが、これは次回以降のお楽しみです。
では、究極目標とライフスタイルがどう絡み合ってくるのか。
まさにこのテーマにぴったりの素晴らしいご質問にお答えしていきましょう。
ラジオネームクワーティさん。
なんと中学2年生のリスナーさんです。
コツコツ第6回までお風呂で聞かせていただきました。
嫌われる勇気を読み始めてアドラー心理学という分野を知り、アドラジーにたどり着きました。
完全に私欲のためなのですが、ドライバーとベイビーが混ざっている場合どうなっているのでしょうか。
落ち着いた時はドライバーのような優越コンプレックスを持つようになり、会話をし始めるとベイビーのように相手の懐に入るような、
これが正常であり環境によってライフスタイルを変えているのですかね。
アドラジーで蓄えた知識は、アドラー心理学を100%信じるというより、こういう考え方もあるんだよというように有効活用させていただいています。
まだまだ理解できていない部分もありますが、一生懸命にアドラジーの内容を聞いて人生を豊かにしていきたいと思っています。
中学2年生でこの視点、自分の振る舞いを俯瞰して、しかも100%信じないで有効活用をするという絶妙な距離感。
国ってめっちゃすごいです。どんな大人になっていくのかいい意味でゾッとします。
お答えしていく前に、優越コンプレックスという言葉について少しだけ触れますと、
アドラー心理学でこの言葉を使うとき、基本的には劣等感を隠すために自分を過剰に大きく見せようとする動き、
例えばマウントをやたらに取りたがるみたいなのを指すんですね。
コアティさんはもしかしたらそこまで深く見越してあえてこの言葉を使われているのかもしれません。
ただ今回はその優越コンプレックスという部分にはあまり引っ張られず、
シンプルに負けたくない、競争心が強いといったドライバー的な気質と、ベイビーが自分の中に同居しているケースとして解説しています。
結論から言うと、一人の人間の中に複数のタイプが混ざっているのはごく普通のことです。
人間ってそんなに単純じゃないので、Aさんはドライバー、Bさんはベイビーとスパッと分けられるものではありません。
このタイプ分類はあくまで生き抜くための生存戦略の王道パターンです。
ゲームで相手によって必殺技を使い分けるように、あるときはドライバー、またあるときはベイビーと戦略を使い分けるのは理にかなっています。
極端に一つの傾向が強い人もいれば、バランスよく必殺技を使い分ける人もいます。
各優、私はドライバー級対ベイビー1くらいのゴリゴリのドライバー気質だと自覚していますが、それでもたまには甘えたい、誰かに頼れたらめっちゃ嬉しいという気持ちはちゃんと持っています。
相手が誰なのか、家なのか学校なのか。
相手役や環境に応じた生存戦略の使い分けを含めて、トータルでその人のライフスタイルだと考えてください。
なので環境によってライフスタイルを変えているのですかね、というクワーティさんのご質問への直接的な回答としては、ある程度これでお答えできているのかなと思います。
ただせっかくなので、今日のテーマである究極目標に引き付けて、ここからもう一歩だけ深く掘り下げてみたいんです。
複数の戦略を使い分けていると、自分がよくわからなくなる。激しく葛藤してしんどくなる、なんてことはありませんか。
このしんどさの正体を前半の車の運転の例えを使って説明してみましょう。
ドライバーやベイビーといったタイプは、車の運転で言えば道路の走り方です。
追い越し車線を自力でガンガン進むのがドライバー、対して他の車にピッタリとくっついて扇動してもらったり、ハザードを耐えて助けてもらうのがベイビーです。
一方で究極目標は向かっている最終目的地のことでした。
もし目的地が上方面で一つにバシッと決まっているなら、走り方を使い分けても葛藤は起きません。
基本は自分でハンドルを握ってガンガン進むドライバー、でも時には強い先輩の懐にスッと入ってリードしてもらい、さらに高みを目指すベイビー。
これは上に行くためにどっちの技を使うかというだけの話なので、そんなに葛藤はないのかなと思うんです。
ただ厄介なのは走り方じゃなくて最終目的地の看板が2つ見えて、その両方に強く惹かれているケース。
名古屋にいたとして東京方面と大阪方面に同時に行くことはできませんよね。
自分の力で上に行きたい。でも同時に誰かに守られて安心していたい。
人に頼りたいのに弱みは見せられない。守ってほしいのに素直に甘えられない。
どっちにハンドル切るんやとパニックになってしまう。
複数の戦略を使い分けて自分がよくわからなくなるときって、実はこの目的地の葛藤が起きているんじゃないかと思うんです。
ちなみにアドラ自身は究極目標は1つだと考えました。
1つにまとまった人間がいくつもの目標を追いかける。そんなことがあり得るだろうか。
私たちはそうなっているのを見たことがない。と書いています。
ただ究極目標も虚構、フィクションです。
フィクションである以上変化する可能性だってあるし、きっちり1つに決まっているとは限りません。
だとしたときに看板が2つ見えてそれら両方に惹かれるのは不思議ではないと私自身は思うんです。
そして2つの看板に惹かれたときは人は大きく葛藤することがある。
このあたりは厳密なアドラ心理学というよりは究極目標を整理する中で気づいたことと、
これまでのライフスタイル診断の経験とか、今回のクワーティさんの鋭いご質問から引き出された1つの仮説くらいに捉えていただけたらと思います。
クワーティさん素敵なお便りをありがとうございました。