今回は#047回を聞いた方からの質問メールについて話をしました。
以下質問メールより
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本願を信じるか・信じないか?
本願を疑いなく聞いたか・聞いていないか?
は私の選択や決断ではないですよね?
阿弥陀仏の本願は、差別的な本願ではなく、万人が平等に救われる唯一の道であり、後生は自分ではどうしようもなく、後生は阿弥陀仏におまかせするしかないと思ってはいるのですが、どうも本願を疑いなく聞けていない自分もいるような気がします。
「念仏称える者を極楽浄土に生まれさせて仏に成らせる」のが阿弥陀仏の本願であると聞いて、最近は何も引っかかりもないですし、疑いもないのですが、救われた自覚みたいのもないですし、とくに心境の変化とか、特別な体験とか、念仏がありがたいとか、本願がありがたいとか、そういう思いはあまり湧いてこないのですが、自分自身で信疑決判はできるものなのでしょうか?
これについて、またネットラジオ版安心問答でお話しをしていただけないでしょうか?
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話の中ででて来たご文
○一念多念文意
「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。(浄土真宗聖典註釈版P678)
○教行信証化身土巻
如来の誓願、疑蓋雑はることなきがゆゑに信とのたまへるなり。(P393)
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