#045「本願疑惑心と疑煩悩(煩悩としての疑い)の区別(分別)は、未信の者にも分かるのでしょうか?」(頂いた質問)
2026-02-22 29:36

#045「本願疑惑心と疑煩悩(煩悩としての疑い)の区別(分別)は、未信の者にも分かるのでしょうか?」(頂いた質問)

前回の配信記事

#044について

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「本願を信じて、念仏していない」念仏は、念仏ではないと仰っていましたが、

法然上人や親鸞聖人は、信前の者にも、念仏することを勧めてはいないのでしょうか?

信前の者でも、お念仏を称えることは、尊いことではないのでしょうか?

私は、私の心が、どんな状態(心境)であっても、お念仏を称えること自体が、尊いことだと思っていました。


また、今回のお話しを聞いて、

阿弥陀仏の本願を疑う心(本願疑惑心)があるかないかが、一番重要なんだと知らされました。


そこで、この【本願疑惑心】について、詳しく知りたいのですが、

本願疑惑心と疑煩悩(煩悩としての疑い)の区別(分別)は、未信の者にも分かるのでしょうか?


もし、お聖教に、本願疑惑心と疑煩悩の違いが示されているお言葉があれば知りたいです。(頂いた質問)

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○話の中で出で来るご文


仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。(教行信証化身土文類・浄土真宗聖典註釈版P378)


(60)

不了仏智のしるしには

 如来の諸智を疑惑して

 罪福信じ善本を

 たのめば辺地にとまるなり」(正像末和讃・浄土真宗聖典註釈版P610)



浄土真宗辞典 

疑惑 疑い惑うこと。親鸞は、阿弥陀仏の本願を疑い自らはからう心とする。


(63)

仏智疑惑のつみにより

 懈慢辺地にとまるなり

 疑惑のつみのふかきゆゑ

 年歳劫数をふるととく(正像末和讃・浄土真宗聖典註釈版P611)


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