新しく生まれる必要性
ヨハネの福音書3章1節から8節をお読みします。
さて、パリサイ人の一人でニコデモという名の人がいた。 ユダヤ人の議員であった。
この人が夜、イエスのもとに来て言った。
先生、私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。
神が共におられなければ、あなたがなさっているこのような印は、誰も行うことができません。
イエスは答えられた。
まことにまことにあなたに言います。
人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。
ニコデモはイエスに言った。
人は老いていながら、どうやって生まれることができますか。
もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。
イエスは答えられた。
まことにまことにあなたに言います。
人は水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
肉によって生まれたものは肉です。
御霊によって生まれたものは霊です。
あなた方は新しく生まれなければならないと、私が言ったことを不思議に思ってはなりません。
風は思いのままに吹きます。
その音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのか分かりません。
御霊によって生まれたものも皆、それと同じです。
以上です。
ニコデモとの対話
今日はこのところから、新しく生まれると題して、言葉を取り継ぎます。
皆様、おはようございます。
寒い日が続いておりますね。
青森でもニュースで、大雪で人が亡くなったりとか、
政府に緊急の支援や援助を要請することが起こっています。
寒いですから、風が吹いて身に染みますけれども、
今日はその風、また聖霊ということが一つのテーマになります。
先週は少し特別なところを見たんですが、
今日は元に戻りまして、ヨハネの3章から見ていきます。
いよいよイエス様が働きを進めていく。
そして今日はニコデモという人との対話から見ていきます。
神の国を見る、神の国を入るということが一つの話題です。
そしてその中で特に新しく生まれるということを見ていきます。
実は神の国に入る、神の国を見る、ほぼ同じ言葉で使われていますが、
それはイエス様の言葉やヨハネの福音書から、今の私たちにとっては、
神の子供となるとか、永遠の命を得る、ヨハネ独自の言い方ですと永遠の命を得る、
そして救われるという、そういう意味に置き換えることができると思います。
その上でニコデモとイエス様のやり取りを詳しく見ていきますけれども、
これまでのようにですね、このギリシャ語を読み取る中で分かってくることがあります。
最初は新しく生まれるということ、そして2番目はですね、水と霊によって生まれる、
いずれもギリシャ語や旧約聖書の背景からちょっと見ていきます。
そして最後には見えないのに分かることということで、
風と霊の最後の8節の例から見ていきます。
ニコデモはですね、夜イエス様の下にやってまいりました。
そしてイエス様に尋ねたんです。
夜やってきたというのはですね、おそらく彼が人目をはばかるかごとくですね、
名も知れない教師であるイエス様から教えを説くということを、
少し恥ずかしく思って夜来たのではないかとかですね、
あるいは彼が実は霊的にはですね、いろんなことを知っていながら闇の状態だった、
そういうことを象徴しているとも言われています。
その中でまず最初、新しく生まれるということをやりとりから見ていきましょう。
イエスは答えられた。まことにまことにあなたに言います。
人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません。
3章3節。
実はヨハネがですね、一番最初に慇懃無礼にですね、イエス様は素晴らしいお方であって、
神から使わされた教師でなければ、そんなことは言えないし印は行えませんということを前置きで話したんですが、
これまでのようにイエス様はですね、単刀直流に彼の心を見抜いてですね、そして本題に滑り込んでいった。
それは神の国を見る、神の国に入る、そして新しく生まれるということだったんですね。
このニコデモはですね、聖書にもありますように、律法学者の中でも厳格なパリ裁人でした。
ユダヤ教と、そして旧学聖書のしきたりを落ち度なく守っていた。
そして議員であったというのは、マルコの副委員長でも言いましたが、サン・ヘドリンですね。
日本で言うと国会と最高裁判所が合わさったような、そこの議員でありました。
ですから社会的にも宗教的にも非常にこの地位が高い人であったんですね。
そして彼はですね、そういう立場からもちろんユダヤ人でありましたから、
メッシャーがくれば必ず自分は神の国に入ることができると確信していたんですね。
で、そんな中でですね、イエス様が言われた言葉は
こういうことです。あなたは神の国に入るのには不十分ですよ。
新しく生まれる必要があるんですよということもニコデモに問いかけたわけです。
キリスト教の用語では新しく生まれると書いて神聖ですね。英語でリージェネレーション。
水と霊の象徴
実は彼はそのイエス様の言葉を聞いた後に、4節でこう答えていますよね。
人は老いていながらどうやって生まれることができますか? もう一度母の体に入って生まれることなどできるでしょうか?
彼はこのように老齢だったということです。 この言葉の意味は何だったのか。
文字通りに彼は受け取ったということもあるんですが、もう一つの意味はですね、
彼はプライドを傷つけられてイエス様に反論したという考えられているんですね。
つまりイエス様の言葉はですね、あなたの社会的な地位や宗教的な実績、そして民族的な誇り、それは神の国に入るのには意味がないんですよ。
新しく生まれる必要があるんですよ。そう投げかけられて、そのことをですね、
おそらく今風に言うと少しカチンときてですね、わかっていないふりをして、どうやって年取って母の体に戻ることができるんですか?という
ヘリクスにも聞こえたと言われているんですね。 実はこれは私たちにも関わることであります。
当然まあ私はたちま所牧師ですけれども、牧師ながらといって神の国に入れるわけじゃないですよね。
そしてクリスチャンホームに生まれたからといって、あるいは特別な何かキリスト教国家の国民だからといって、
神の国に入る、永遠に命を得ることができるということではないわけです。当然、
聖書の規定をうちのなく守っても、私たちは神の国に入ることができない。
どうするのか。それはイエス様がおっしゃっているように、新しく生まれる必要があるということですね。
ニコデモがヘリクスのように言った、この反論をもう少し積極的な問いとしてですね、
言い直すと、こう言い換えられるんじゃないかと思うんですね。じゃあどうやって神聖するんですか。
その答えのヒントはですね、元々の聖書の言葉のギリシャ語を見るとわかります。
そして皆さんの聖書にもですね、3節の脚注に、実は新しく生まれるという言葉は元のギリシャ語でアノーセンという意味なんですね。
それはもう一つの意味で、上からという意味があるんです。いわゆる多義語です。
前、上という字が先週ですか、お上という言葉を使うと地位の高い人を指すように、上といえばそのまま上ですし、
上りといえば電車が今では東京に向かってくることを上りと言います。一つの言葉にいろんな意味がある。
実はこの新しくというのは、ギリシャ語で上からという意味があるんです。
ですから神聖とはですね、上から生まれること、つまり人間によってではなくて神様によって生まれ直す、生まれ変わるとも理解できるんですね。
まあ余談ですけども、生まれるというのは
言葉は受導体なんですね。生んでもらう。だからこの文字通りイエス様とニコデモンのやりとりを見ると、人は年をとってどうやってもう一度母親に生んでもらうことができるんですか。
でもイエス様はそうじゃなくて、人は上から生んでもらわなければ、新しく生んでもらわなければ神の国に入れないよ。
実はこの上から神によって生まれ直すということが第二のテーマと関わってきます。
それがですね、水と霊によって生まれるということを意味するんですね。
ニコデモンの問いを受けてイエス様は答えられました。じゃあこの太い鍵カッコの中だけ読んでみましょうか。
まことにまことにあなたに言います。人は水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
ここで読んでわかる通り、
上から 神によって生まれるのためには
水と霊によって生まれる。そしてここでもですね、どういう意味かという議論というか諸説があって何か。
水によって生まれるとは何ですかということです。 水によって生まれるとは何ですか。
まあいろんな諸説がありますけれども
だいたいこんな意味だろうというのはですね、これは 聖霊によって生まれることの豊かさを
表すために 水によって生まれると
並べて書いている。ヨハネ独自、ここでヨハネのイエス様が語る独特の似たものを並べてお互いの意味を補完しあったり豊かにする。
そういう意味で水から水によって生まれるという言葉が使われています。
皆さん、ちょっとコマムシという生き物知ってます。0.1ミリぐらい。
これ史上最強の生き物と言われているんですね。どういうことかというと
冬を過ごす冬眠のように寒眠といって、乾いて眠る状態があるものなんですね。
クマムシは寒眠、乾燥した状態で生き延びることができる。 どこやって生き延びるか、どれほどすごいかというとですね
マイナス273度から高温の150度ぐらいまで寒眠の状態でクマムシは生き続けることができる。
乾いた状態。そして、真空の宇宙空間でも生きられるし、強い放射線が当たっても大丈夫。
乾いたままだったり。 乾くと困りますよね。私も乾いて爪が割れたりとか、日々言って今も痛いんですけども、クリームなんかに対してしますけど。
乾いた状態で長く生きることができて、30年前のものが生き返ったということがあるんです。
どうやって生き返るかというと、乾いていますから水を注ぐと 生き返る、復活するんですね。このように水には命とか再生という
イメージや役割があるわけです。 10分ほどで復活するそうなんです。でも本当に短命で
旧約聖書と水の象徴
1年だったかな?1年生きるかどうかぐらいなんです。 このように水には
命と深い関わりがある。そして命に必要不可欠な水は、実は旧約聖書の時代から命とか
聖霊による再生のイメージとして 豊かに使われてきたモチーフというかイメージなんですね。
いろいろある中でよく知られているのは旧約聖書のエゼキエル書にこういう言葉があるんです。
私が清い水をあなた方の上にふりかけるその時、あなた方はすべての穢れから清くなる。 清めというイメージもあります。
そして私はすべての偶像の穢れからあなた方を清め。 ここから読んでみましょうか。
あなた方に新しい心を与え、あなた方のうちに新しい霊を与える。
広く言うと水と再生と霊ということが結び合わされて書かれています。
そして後で皆さんうちでゆっくり読んでもらいたいんですけど、47章にエゼキエルが見る幻があるんですね。
神殿から水が染み出てくるんです。 それがだんだんですね
くるぶしの高さになる。膝の高さになる。そして腰の高さになる。
その川を水が増すごとに渡るように言われて渡っていくんですけども、ついにですね
首ぐらいまで来たのかな。渡れなくなるぐらい水が豊かになる。 そしてその水が海に注いでいく。
そういうところですねエゼキエルは幻で見るんです。 そしてその中で神様から御言葉が与えられてこのような
言葉が与えられるんですね。 この水が川になって流れていく。この川が流れていくどこででもそこに群がる
あらゆる生物は生き非常に多くの魚がいるようになる。
ここから読んでみましょうか。この水が入るとそこの水が良くなるからである。 この川が入るところではすべてのものが生きる。
このように水にはですね命を再生して生かす。 そしてそれが聖霊の再生
霊の再生ということと結び合わされています。 ここでですからイエス様は
水と水玉によって生まれなければ神の国に入ることができませんというのは 聖霊によって人は新しく生まれる。そして
水がこのように豊かな命をもたらし再生をもたらすように聖霊によって人は新しく豊かな 命を得る。そのことをイエス様はここで語っているわけです。
イエスの教えと霊の再生
そしてさらにイエス様は聖霊による神聖について豊かな言葉を語るんですね。それが
8節ですね。読んでみましょうか。 3番目の点、最後の点は
見えないのにわかることがある。 ちょっと長いですが読んでみましょう。
風は思いのままに吹きます。 その音を聞いてもそれがどこから来てどこへ行くのかわかりません。
見た目によって生まれたものもみなそれと同じです。 実はここもですね皆さんの聖書の脚柱にもありますが
ギリシャ語を見るとよくわかることがあります。 風という日本語も
いろんな言葉に使うことができますね。 強風というと気象用語ですよね。
洋風というと和風というとそういう様式を言います。 同じように実は
風という言葉と霊という言葉はギリシャ語で同じ言葉なんです。 それは
プネウマ、プニウマですね。
この一つの言葉で風という意味と霊という両方の意味を表すんです。 そして文脈によって
その意味を理解していくわけですね。
ですから ギリシャ語で見るとこの風も
見た目もどちらも同じ プネウマという言葉が使われているわけです。
そして 同じ言葉を使いながらイエス様は風と霊の共通点から教えているんですね。
どちらも目には見えません。 しかし音やその作用を見ることによって、作用を知ることによってその存在とかその力とか意味
それがあるということを知ることができる。見えないけれども知ることができるということを 風と霊ということの共通点としてイエス様は語っているんですね。
そして 実は
じゃあ最後私たちが 聖霊によって生まれ変わる
聖霊によって上から神様によって新しく生まれるためにどうすればいいか 実は
失礼しました この間見たヨハネ1章12節に
私たちが聖霊によって神聖するためイエス様を信じ受け入れるということがわかるわけですよね 1章12節有名な御言葉を読んでみましょうかしかしから3回
しかしこの方を受け入れた人々すなわちその名を信じた人々には神の子供となる特権をお 与えになる
神の子供となる特権これは今日は話している 神の国を見る神の国に入る
新しく生まれていくという 置き換えられることです
このようにイエス様を信じて新しく生まれる 神によって上から生まれ変わらせてもらう
聖霊によって新しく 豊かな水のように命を得る
そのことを今日 イエス様が教えてくださったわけですね
そして 私たちが聖霊によって新しく生まれたこと神様の子供となったことは
見えないんですよね 色が変わったりするわけじゃないですねクリスチャーな
でも 風の音やその作用によって風の存在を知るように私たちも聖霊によって生まれ変わったということを
何らかの形でやがて知ることができるって言うんですね やがてと言いますね目には見えないが私たちが聖霊によって生まれ変わったということ
風の音や風のこの作用によって知るように私たちも知ることができるわけです まあそれがどういうことかというのは
千差万別だと思います私たち一人一人違うと思うんですね しかし私たちが聖霊によって生まれ変わった神のことなったということをまた新たにですね
知っていく見ていくそのような1年になることを期待して これからの日々を歩んでいくお互いであり教会でありたいと思いますお祈りしましょう
救い主なるイエス様皆を賛美いたします あなたは神様の子供として不思議なそして豊かな言葉で私たちについて新しい命について
語ってくださったことを感謝いたします それは聖霊によって新しく生まれ変わること
それを見ることは私たちはできないかもしれません しかしどうか風の音や作用によってそれを知るように私たちもこの新しい1年間
私たちの生活を通して私たち自身の出来事を通してあなたが私たちを 聖霊によって新しく生まれさせてくださったこと
そのことを知ることができるようにどうか導いてください この願いと感謝私たちの救い主主イエス様のお名前によって祈ります
アーメン それでは1分ほど言葉に応えて黙祷する時間を持ちましょう