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  2. #18 農×時間
2023-12-27 20:32

#18 農×時間

今回は 農×時間

 

2023年最後のテーマとして 「時間」にしました。 考えてみると時間って命そのものだし、私たち人間がいないと時間というものは存在しないのかもしれません。そんな時間を農業と組み合わせ、概念も含め話してみました。
・時間とはなにか?

・農業と時間

・時間のコントロール

・時間と命

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農のかけ算ラジオ、道テラスの山浦です。このラジオでは農業と様々なテーマ、
漁業史等を組み合わせて、新しい視点やビジネスアイデアを種あがしていく番組です。
はい、ということで冒頭から噛みましたけれども、12月最終週ということになりまして、今年最後の農のかけ算ラジオのエピソードになります。
はい、9月から初めてですね、約3ヶ月になりますけれども、ようやくというか、早いのか遅いのか、
500再生を突破させていただきました。本当にありがとうございます。フォロワーも徐々に徐々にですね増えてきて、
現在でいうと25人というところで、比較するとね、まだまだ多いところなんか、たくさんありますし少ないんですけれども、やっぱり25人に
確実かどうかは別としても、しっかり声をお届けできるっていうのは本当にありがたいなぁと思います。
ただ、ちょっと前にですね、リスナーとお会いする機会がありまして、ちょっとテンション低いのでは?言われてしまったので、
上げてるつもりですけども、多分あんま変わってないですよね。変わってないし、多分普通に戻ると思います。
はい、それはもう私のスタイルということでよろしくお願いします。 はい、ということで今年最後のテーマについてなんですけど、今年最後のテーマはですね、
農をかける時間っていうことになります。 皆さん、時間っていうことを実際何か具体的に考えたことありますかね?
時間って何か考えれば考えるほど何か面白くてですね、 話によっては哲学的になるのかもしれないんですけれども、
時間という概念と農業を少し一緒に考えてみたいなぁと思います。 最初に時間的な概念を深掘りできればなぁと思うんですけれども、自分が思いつく限りですね。
時間って何なのかって考えると、言葉で直すと、例えば日本で言うと季節とか、今日、明日、
昨日もそうですね。あと、言葉の種類変えていくだけなんですけど、過去とか、今、未来、あと歴史とか考えても時間の流れですよね、完全に。
あと前後とか、年齢とかで言うと若いとか、年寄りとか。 同時に農業っていう目線でいくと、歴史的な部分ももちろんあるんですけれども、
今、現代のもので考えると、例えば栽培期間とか流通、あと新鮮とかも時間の概念の中に入るんじゃないかなと思うんですけれども、
新鮮っていうことは収穫してすぐとかね、そういうことになると思うんで、そういう意味で。 あと農業の作業効率、効率ってじゃあ何かっていうと、パッパッパッとできるみたいな、無駄なくできる。
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じゃあ無駄って何かって考えると、じゃあそれって時間だよねとかになるので、よくよく考えるとですけどもちろん農業だけじゃなくて、この世のすべてが時間につながっているんじゃないかなと思います。
そういう意味においては、お金もすべて時間が生み出しているものだなと思います。 概念の話になるとね、お金自体も人間が勝手に生み出したものだし、時間という概念も人間が生み出したものって考えるとちょっと面白いんじゃないかなと。
思います。 単純に人生も時間そのものですよね。
そういう意味でいくと、本当に時間イコール命そのものですし、 なんかいろんな意味で考えると、社会全体すべてが時間に支配されている感じがするなぁと思ってますけど、皆さんの理解は
いかがですかね。
そんな時間を皆さんどんなふうにお使いでしょうか。 僕は
本当に比較的になるかもしれないですけども、今まで本当にやりたいことばっかりやってきたという自負がありまして、家族の事情とかもいろいろあったりはするんですけども、
かなり波乱万丈な時間の使い方になってきたんじゃないかなと思います。 周りからもそう言ってくれる方が多くですね。
何か本にしたらとか言ってもらえますけども、何も成し遂げてない私が本出したところでというところなので、頑張って何か成し遂げたいなと思っているところなんですけども、同時に
不必要な時間の使い方もたくさんしてきただろうなと思います。 実際こう皆さんも同じだと思うんですけども、やっぱ分かっててもね、無駄な時間だっていうことが分かってても、どうしてもダラダラしてしまう
TikTokとかYouTubeとか意味ないなぁと思いながらも、楽しいっていう意味でね、見てしまってとか、今こういうことをやらなきゃいけないのに、こうしなきゃいけないのに、ちょっと体が疲れたなぁ、だるいなぁという部分でダラダラしてしまうみたいなことはすごく普通にあるんじゃないかなぁと思うんですけども、
なんか全然どうでもいい情報なんですけど、これヒロユキが言ってたのかな? なんかこの世界が5分前にできたっていうことを否定することってできないみたいですよ。
それを否定するための証明ができないというか、 証明する方法がないみたいなところで、まあ確かにそうですよ。
かほ5分前、これ5秒前でもいいんですけども、その瞬間に自分ができた、自分というかこの世界ができたっていうことを否定するってどうすればいいんだろうって考えると、よく分かんなくなっちゃいますよね。
はい、完全に脱線しましたけれども、またちょっと農業の話に戻りますけれども、時間って概念と農業を重ねるとまたちょっと面白いなぁと思います。
まあ単純に一括に農業と言っても、栽培っていう観点で見ると、お米作りに関して言うと日本では1年1回、1作ですね、しかできないって考えると、20歳で就農して70歳で引退したとしたときに、どんだけ頑張っても、まあこれはいろんな見方ありますけども、ざっくり50回しかできないわけですよね、1年1回なんで。
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逆にほうれん草とかっていう葉物で考えると、まあこれは僕の経験上ですけど標高高いところで夏場とかに作れば、大体5作ぐらい作れるんですよ、いろいろ回して。
例えば春、秋で種まきから収穫までかかる時間というのは45日、で夏場で大体30日ぐらいでできるので、まあそういうことを考えてプラスアルファ冬場でも1回は最低作れるようなんで考えると年6作で考えると50年で300回っていうところで、まあ勉強しながらね農業を始める人とかも農業をやっている人も常にね、いい収量とかいいものを作ろうとしてトライしていると思うんですけれども、
そういう意味においてはお米とほうれん草では6倍の差があるって考えると、なんかお米って大変だなとかありますよね。まあほうれん草もね、じゃあ1回1回トライを1個1個試行錯誤してるかっていうと、実際始まったらねもうガッタガタ走り回ってやってる感じなので、1個1個微調整が完璧にできるかっていうのはまあ農家さん次第なのかなとは思いますけどね。
あとまあ例えば果樹とかってなってくると、僕まあ経験がないんであんまり言えないんですけど、桃栗3年柿8年とかっていうように、単純に出だしで時間を取られて、その後まあ毎年取れる。まあそれが何年続くかっていうのはあれですけど、いろんな考え方、時間っていう考え方で農業を見てみると、人生の使い方、農業って一つ仕事として見たときにおいても結局自分の人生の使い方なので、時間で見ると面白いかなと思いました。
単純にもう極論ね、ベビーリーフとかスプラウトとかになってくると、もう一作一週間もかからないようなやつもたくさんあるので、そういうことを考えるともうかなり
ほうれん草よりもはるかに量も捉えできるし、単純に今の植物工場とかプラント工場ですね、とかっていうのは環境制御もされているので、そういう意味でいくと季節とかも完全に無視できるっていうことにもなりますよね。
だからそういうふうに考えていくと、季節に抗うのが農業の最新技術であったりとか、時間をコントロールするっていうところが農業に対しての戦い方というか、テクノロジーだったりするんじゃないかなというふうに思ったりもします。
もちろんね、技術はそれ以外の部分でもたくさん使われてるんじゃないかなと思いますけれども。
はい、そういう感じで話していって、さらに新規就農者の視点からこの時間と農業をちょっと見てみると、見てみるというか考えてみると、
大体みんな好きな野菜とか、もうかる野菜とか、これが楽層とか、あと地域の特性に合わせた形で品目とかを考えてみたりすると思うんですけれども、
さっきいろいろな品目によっての時間のかかり方というものを考えたときに、時間の概念で品目を選ぶというのも結構面白いのかなと思います。
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とにかくたくさん作りたいとか、たくさんトライしたいとかということを考えると、やっぱ浜の頼りになってくるだろうし、
単純に好き嫌いとかで考えていくと、お米でも果樹でもいいんですけれども、時間がかかるような植物をあえて選ぶという方向もあるかもしれないし、面白いですよね。
それプラスで言うと、やっぱり多品目という考え方もあるかなと思うんですけれども、
多品目に関して言うと、僕も何人か知り合いいますけれども、やっぱり季節に合わせて野菜を作っているんですよね。
野菜だけかわかんないですけど。
そういう意味でいくと、多品目、時間の概念でいくと、多品目という野菜の栽培の仕方っていうのは、時間を上手に使うための農業って言えるんじゃないかなって思ってますね。
あと時間というところでいくと、最近、最近というかみんな体験していると思うんですけれども、たまたまネットとかで聞いた話なんですけれども、
例えば初めての場所に行くときって運転とかで、結構時間長く感じることあるんじゃないかなって思うんですよね。
でも、それと同時に何か用事が終わって、そこから帰りってなったときに、何か帰りだけ急に早く感じませんかね。
何か一回見た風景だからみたいなところがあるんじゃないかなと思うんですけれども、
この経験って多分どう考えても自分だけじゃなくてみんながやる経験だと思うんですけれども、
これって僕はすごい人生のヒントになるんじゃないかなと思っていて、
ヒントっていうのは人生を何倍もの価値として過ごすためにっていう意味ですね。
僕自身はそれを意識して生きてきたっていうわけではもちろんないんですけれども、
最近知った概念というか考え方なので。
なんですけど、例えば農業の現場にいるときって、ある意味ルーティンワークがとても多いので、時間の流れがものすごく早かったんですよね。
1年とか1ヶ月とかでも1週間でも一瞬でしたし、
それはそれで何か子供の成長が早いとか感じてて、何か単純に時間過ぎるの早いなーぐらいで思ってたりしたんですけれども、
現場離れてから、まあそれこそ事業開発とかいろんな人に会ったりとか、
そういう仕事になってからって結構ゆっくりになったんですよね、時間の感じ方が。
何かえらい、まだ何月かみたいな。
で、まあこれって今でも続いてはいるんですけれども、独立した後も。
じゃあなんでそんな風になるんかなと思ったときに、やっぱりやったことないことしか興味がないんで、自分自身が。
ってなったときに、ある意味で人生今過ごしている中でずっと初めて見る景色ばっかりを見てるんですよ、見続けているんですよね。
まあそれっていうのは実際に目で見ている景色っていう意味ではなくて、目で見ている景色って正直机の前が多いので。
じゃあ早いじゃないかってなりそうなんですけれども、そういうことではなくて、
こう考えること、やろうとしていることとか、経験しようとしていること、解決しようとしていることが常に変わり続けているので、
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時間がゆっくり過ぎる感覚になっているんじゃないかなと思うんですよね。
まあ単純にそういう意味でいくと、人生の時間の概念にとらわれないで長く過ごす、みたいな感じで考えると、
常に新しい景色を走り続けていれば、走り続けることで1年とかを10年にもできるし、1日を1ヶ月にもできる、みたいな。
これはあくまでも感覚値ですけれども、そういうふうになれるんじゃないかなと思っています。
とにかく挑戦の日々、みたいなね。
まあこれはどっちをストレスと感じるかによってどう選ぶかっていうのは人によって違うかなと思うんですけれども、
時間の概念を話しているのに、長さとか何月とか何ヶ月とかっていう時間の単位をそれ以外で例えようがないのがすごい気持ち悪いなって思いますね。
なんかこういうのって、概念系って踏み込みすぎると結構気が狂いそうになるんで気をつけてくださいね、マジで。
僕も過去に経験があって、全然関係ない話になるんですけど、
ロンドンにいる時ですかね、レストランの水槽に入っているロブスターがいるじゃないですか、水槽に魚とか。
そのロブスターがハサミをゴムか紐かなんかで縛られてたんですけれども、
なんでか知らんけどそれを見てめちゃくちゃロブスター側に感情輸入してしまって、気持ちが入りすぎて、
例えばロブスター側から見たときの最大の武器であるハサミを封じられた状態で水槽に入れられて、いずれ調理されるっていうことが自分って考えて心が壊れそうになったことがあるんですよね。
何の話やねんっていうことですけど。
なんかそういうこと、なんかいろいろこう深く考えすぎるとたまに頭がバグる時があるんで、あんまり皆さんにはお勧めしないんですけれども気をつけてくださいっていう話です。
時間の話なんですけれども、例えば人間とか生物で考えると、単純に終わりが来るじゃないですかね。
要は死ぬっていう意味なんですけれども、そういうのも時間という概念を生み出した一つの要因なんじゃないかなと勝手に思っていて、
人間生物って言いますけど結局考えるっていうことも人間の話なんで、あくまでも人間かもしれないですけれども、
要は死ぬから時間という感覚が必要になる。終わりがあるから。
ちゃんと時間を管理していかなきゃいけないって。
逆に言えば終わりがなければ時間っていう概念って必要ないっていう気がするんですけれども、そう思いませんかね。
待ち合わせどうすんねんとかあるかもしれないですけど、終わりがなければ待ち合わせなんかする必要がないし、終わりがなければ一生懸命やる必要もない。
だってずっと挑戦もできるし、いつでも挑戦もできるし、もう疲れたーっつって何十年も寝てようが、やっぱやろうって言って100年後にやりだしてもいいわけですから。
だから終わりがあるっていうのはめちゃくちゃ重要で、終わりがあるから時間を大事にする。
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で、時間イコール命なんで、終わりがあるから命を大事にするっていうのはあるかなと思います。
その感覚で言うとオープンってなんか結構小さい頃から死ぬってことをかなり意識してた気がするんですよね。
何でか知らんけど中3ぐらいとかもうずーっと思ってた記憶があるんですけど、自分なんか絶対30年、いや30歳まで生きられないってなんか信じ込んでたんですよね、中国の時から。
それ何でかって言うとよくわかんないんですけど、こんなに世界中で戦争とか事故とか病気とかいろんな要因で人が死にまくってんのに、何で自分だけそんな長生きできるねん、いや俺はそんな運がいいはずがないみたいな感覚にあってですね。
30までは生きれんやろなーってずっと思いつつ、だからって一生懸命生きたんすけど、何でしょ、ガン宣告されたみたいな感覚ではなかったですけど普通に生きてきましたけどね。
ありがたいことにすっかり過ぎて42歳ということで幸せにやらせてもらっているので、今の感覚で言うと終わりっていう感覚を考えると、いつも死ぬ瞬間みたいなことを意識しているっていう癖をつけようかなと思ってます。
単純にベタな感じですけど、死ぬ瞬間に後悔しないようにっていう感じですね。
死ぬ瞬間にあの時ああしたけばよかったとか、これしたけばよかったみたいなことを考えないように、死ぬ瞬間っていうのを結構意識して生きているというのはありますね。
はい、改めて脳をかける時間なんですけども、例えば植物に意識があって時間という概念を持っているとは現状では思えないんですけども、
子孫を残すっていう生物の本能で考えると、そもそもで時間という概念自体が無駄で、我々人間は意識があるから時間とかどうこう考えてしまうけれども、植物とかって、動物とかもですかね、
単純に子孫を残し続ける限りって、命は続くっていう見方もあるじゃないですか。
そういう意味でいくと、時間は永遠って言えるんじゃないかなとか思ったりするんですよね。
そういう意味では人間も同じで、あえて終わりがあるっていうことで言うのであれば、人という種族が絶縁するときに僕たちは初めて本質的に死ぬっていうことになるんじゃないかなみたいな。
意味わかりますかね。
単純にだから、人間という種族が生まれて、もしくは生物という種族が、種族というか概念が生まれて、それが終わりになって初めてその生物の最初と最後が終わりのときに死ぬという概念になるみたいな、そういう意味ですね。
そういう種族単位での命とか時間ということで考えると、例えば人間という生き物に食べ物として認定されて栽培されるという選択ができた農作物とか家畜が実はめちゃめちゃ賢くて、逆に我々を利用しているみたいな考え方もできるなと思っていて、
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一つ一つの答えが考えたというよりも種族のDNAというか本能というかいうものがそういうふうになって、命というものを連鎖させるために栽培されるという選択がされたみたいな、そういう意味ですね。
意味わかりますかね。
さっきからこいつ意味わからんこと年末にずっと言っとんなみたいな感覚かもしれないんですけども、わかってくれればありがたいなと思います。
あくまで種族単位で見た場合、命という部分は人間で言っても何で言っても永遠に続いていく地球もしくはその種族が絶滅しない限りはというところですね。
そんな感じで言ってみました。話してみたというだけです。
そういう意味において今年1年って考えると、1年という概念自体もどっかの誰か偉いさんが考えたのかもしれないですけども、今年1年を振り返ってみなさんいかがでしょうか。
どんな時間の使い方をしてきて、農業という概念でいくと1年の何割ぐらいが農業というものに費やされたのか。
また農業というものに費やされて家族の時間とかを作れてなかったんじゃないか。
もしくは自分の人生という部分において価値ある時間、単純に幸せになるための時間ですね。
そういったものに時間を費やせたかどうかみたいなところを最後振り返ってみて、この1年がどんなものであって。
また来年来る、次の1年がどういうふうにしていきたいかみたいなところを考えながら、今年の農の掛け算ラジオは終わりにできればなと思います。
だらだらね、なんかよくわからない話もちょっとしゃべってしまいましたけども、我々の時間も有限なのでここらで終わらせていただきます。
最後に農の掛け算ラジオではご意見ご感想その他こんなテーマで話してほしいなどのご要望をお待ちしております。
メッセージは公式インスタグラム農の掛け算ラジオまでお気軽にお寄せください。
今年1年ありがとうございました。来年も引き続きよろしくお願いします。
それでは良いお年を。
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