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2024-02-13 2:44:06

057. 大人になりきれないぼくらは

@dn0t_ さん(THINK AND SENSE 所属)をお迎えして、運営しているポッドキャストの話、クリエイティブコーディングや写真・ポッドキャストをやる理由の話、クリエイティブコーディングを始めるに至った経緯の話、物理的にモノとして存在することのすごさ、企画展や美術館に足を運ぶ理由、あるとき何かが決壊する気持ちよさ、シャッターを切った瞬間の記憶、太陽が出ているだけで世界が変わる話、写真との向き合い方やどうありたいのかということについて、自分より高い視座を持つ本物たち、一週間家出してしまったことについてなどお話しました。


* ご自身で運営されているポッドキャストの話

* doxas 氏と、自身、あるいは自身の番組との関わり

* クリエイティブコーディングも一種の癒やし

* 同級生の活動に衝撃を受けた経験

* TouchDesigner や TDSW との出会い

* そして p5js へ

* なぜ物理的に残る冊子という形で作品をまとめたのか

* 写真とクリエイティブコーディングは実は地続き

* 休日になにしたらいいかわからない問題

* 一見唐突に数学や哲学に興味を持ってしまう背景

* ガロア、そしてヴィトゲンシュタイン

* 少しずつ心のどこかに積み上がっていくもの

* 写真を撮った場面や気持ちを憶えている

* ネガティブな気持ちで撮った写真も思い出深い

* 太陽のパワーがすごすぎる話

* 写真のレタッチや写真を素材とした表現の話

* 肩書になぜこだわってしまうのか

* 醸し出される本物感

* やり始めなきゃ、始まりません

* 一人で外食できない話

* 一週間家出しちゃいました

* @am350can


## show notes


* プログラミングとの出会いや続けてきた理由

* クリエイティブコーディングに親しんでいる経緯や背景

* 意識的にインプットしているコト・モノ


サマリー

あやとさんは、ノーマライズFMにゲストとして登場する経緯と準備について話しています。番組を楽しみながらも、ゲストの質問に自分ならどう答えるかを常に考えているそうです。長谷川さんとドクサスさんの初対面のエピソードや、ショーノートの書き方についても話し合われました。ちょっとしたお金を使ってパチンコで大当たりした後、長谷川さんはクリエイティブコーディングや写真撮影などの活動を通じて自己回復を図り、自分を見つめ直すことができるとおっしゃっています。部数も発行せず、振り返れる作品として残すために自分の作品を制作するアーティスト、写真とでも作るリレーションシップが変わった、物理として存在しているアートの価値を感じるそうです。まともに自分のアイデンティティを持てず、いろんなことに興味を持ってしまう綾瀬さんの人生についても話されていました。綾瀬さんは自然体で磨かれてきた能力を活かし、写真を始めるきっかけを見つけました。一ヶ月に撮った写真から選ぶ写真集、自分の感覚で何を選ぶか判断するジレンマ、最近の選び方についても話し合われています。最近は意味がある状態にしたいという要求があって、最初は良く撮れたものだけが残るんですけど、その選定作業をずっとやっていく中で、思ったのが、精神的に辛いなって思っている写真の方が、1ヶ月後を振り返った時に決勝トーナメント勝ち上がるんですよね。その意味で、私たちが撮っているのはジャーナリズムで撮っている写真とかではないので、今ここにあるものに対する表現の手前にあった発見みたいなものを、ドクサスさんが意識的に表現のトライをしたことにより、写真の可能性や表現の幅を実感し、自身の表現に取り組む姿勢や肩書きを追求することの重要性を考えています。私自身は全然違うステージにいるわって思ったし、全然違う喋り方だったから、それがいいなって思っています。大人になりきれない私たちは、横浜のカフェで写真を撮りながら缶コーヒーを飲んで、人間と関わりたくない気持ちに悩んでいます。でも、他の人と食事をする際には相手の興味を考えてテーマを準備し、コストを払ってでも人と積極的に関わっていくドクサスさんの姿勢に感銘を受けています。年を重ねる中で、自分が嫌われたくないという思いから、人とのコミュニケーションを大切にすることや他人の気持ちを考えることの重要性についても話されました。大人になりきれない私たちは、1ヶ月ぐらい仕事に追われるうち、自分自身を見失い、奥さんに連絡をせずに1週間家出することになりました。その後、友人から叱責を受けたが、彼は自分が他の人とは違う存在だと感じていると述べています。

目次

あやとさんのポッドキャスティング経験
始まりました。normalize.fmの、今日は第57回になります。
年明けて少しね、仕事が、なんかよくわかんないんですけど、たまたまいろんな仕事が重なって、ちょっと忙しくなってしまってね、私の方が忙しくて、なかなか撮れなかったっていう感じだったんで、
久しぶりになっちゃったんですけども、今日も元気にね、撮っていきたいと思います。
はい、今日のゲストはですね、クリエイティブコーディングとかを普段よくね、やられている方だったりとかは、結構名前知ってらっしゃる方なんじゃないかなと思うんですけども、
今日のゲストは、クリエイティブコーダーのあやとさんに来ていただきました。あやとさん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。クリエイティブコーダーのあやとです。
クリエイティブコーダーっていう肩書きがちょっと重いというか恥ずかしい感じがあるんですけれども、
今日はちょっとクリエイターとしてね、ノーマライズFMにお呼ばれされてしまったので、ちょっと頑張っていいおしゃべりをしていきたいなというふうに思っておりますと。
一応あれですね、ごめんなさい。ちゃんとした肩書きも言っておくと、
株式会社T&Sという会社の会社内にあるSync&Senseという部門ですね。Sync&Sense部というところで、クリエイターとしてもお仕事活動させていただいておりますと。
その傍れでクリエイティブコーディングとかっていうのを趣味で結構5,6年ぐらいもやってるんですかね。
はい、という感じです。
よろしくお願いします。本編入ったらまた改めて自己紹介も聞けたらなと思ってますんで。
今日のゲストね、この後また話しますけど、私すごい楽しみにしてたんで、いろいろお話聞けたらと思っておりますので、今日も早速始めていきたいと思います。
はい、じゃあ彩人さんちょっと先ほどね、所属とかについては簡単に紹介もしていただいたんですけども、改めてちょっと彩人さんとは一体何者なのかというところを簡単に教えていただいてもよろしいですかね。
そうですね。僕は本当に一会社員として普段は先ほど話したSync&Senseという会社の部門でクリエイターとして映像を作ったりだとか、
システム開発みたいなことをしたりだとかっていうことをやらせていただいておりまして、おそらくあれですよね、リスナーさん的にはドクサスさんと僕の関係性みたいなところが全然わからないと思うし、
何して喋っている僕も、僕がノンマラスFMに?っていう感じで出ているので、ちょっと遡っていろいろ整理したいなと思ってるんですけども。
いいですね、お願いします。
僕は趣味でクリエイティブコーディングとかしつつ、もう一個活動の一面があって、それがポッドキャスターとして、
ドクサスさんがノンマラスFMをやられているように、僕もそれこそ5年ぐらい前から友人の長谷川という男とAM35館というポッドキャストを撮っていまして、
あれ、これノンマラスFMって今何年ぐらいやられています?
今、たぶん丸2年経って明けてぐらいかな。だから2年半ぐらいですかね。
じゃあポッドキャスト歴で言うと僕の方が先輩なんですね。
そうですね。
リスナー数で言ったらノンマラスFMの方が大大大先輩ではあるんですけれども。
僕が趣味でやっているAM35館という番組は、インターネットの隅っこの方で長谷川という男とちまちまとお酒を飲みながら、
ドクサスさんとの交流
最近見たアニメだったり、最近見た映画の話だったりとかっていうのを喋っている番組なんですけれども、
なんとその番組をドクサスさんが聞いているらしいと。何を間違ってしまったのか。
インターネットというのは怖いものでして。
何度かメールをいただいたんですよね。ありがたいことに。
そうですね。別に杉本と名乗ってはいないですけども。
はいはい。
何回か送ったことあります。
僕はドクサスさんからメール来ちゃったと思って番組で取り上げるんですけれども、
相方の長谷川という男はですね、その人は別にエンジニアでも何でもない、普段広告代理店で働いている男なので、
急に知らない人からメール来て、この弱小番組にメール来ちゃってやべーみたいな感じでやりこんじゃっただけだったんですけど、
僕からするとドクサスさんから来ちゃったって本当に驚きで、
印象的だったというか、特に驚きだったのが、2年前に僕が結婚したんですよね。
はい。
それを自分のポッドキャストで結婚しましたみたいなお話をさせていただいた後に、
ドクサスさんから結婚祝いをいただいちゃいまして、
ちなみにその時すごく高価なカタログギフトをいただいて、
いやいや別にそんな高価なやつじゃないです。
自分の番組で触れたか忘れちゃったんですけど、梨のセットみたいなやつを選んで美味しくいただいたんですけれども、
それだけでもね、ドクサスさんから結婚祝いいただいちゃっただけでもちょっと驚きだったんですけれども、
さらに驚きだったのが、その半年後に、今度は僕の相方の長谷川という男も結婚しまして、
そしたらドクサスさん、やっぱり優しい方なんでしょうね。
自分が聞いているポッドキャストの片方のパーソナリティには送って、
もう片方には結婚祝いを送らないのは変だろうっていうギリでですね、
面識のない長谷川さんにもちゃんと結婚祝いを送っていただいて、
この時も長谷川さんもめちゃめちゃ驚いてました。
いやそうですよね。
ドクサスさんからお祝いもらっちゃったみたいな感じで、
でも僕からして本当にめちゃめちゃ驚きもありましたけれども感謝いっぱいいっぱいで、
ドクサスさん本当にいい人だなと思っていたら、
ドクサスさんからあやとさんとノーマライズFM出ませんかっていうお誘いが、
その前後ぐらいのタイミングで来ちゃって、
なるほどと、ドクサスさんいい人だけど計算高いなと思って、
結婚祝い2人分も送ったんだし、お前ノーマライズFM来てダラダラ喋ってくれよっていう交渉なんだろうなと思って。
そうですね。
めちゃめちゃありがたいと思って、
ただあれなんですよね、それが去年の春とかだったと思うんですけど、
お正月、ちょうど1年くらい前か、だったと思うんですけど、
僕がちょうど仕事がめちゃめちゃ忙しい時期で、
あとでそれこそタイミングがあれば話したいんですけれども、
去年一番忙しかった案件の1個で、
その案件がヤバすぎて、その後私アロハシャツの沼にハマって、
1年で10万近くアロハシャツを買う男になってしまうんですけれども、
そのめちゃめちゃ忙しい案件のちょっと過強ぐらいだったのもあって、
1回お断りというか、また仕事忙しいんで落ち着いたら出させてくださいみたいな感じで、
伸ばさせてもらったんですよね。
で、また半年ぐらいが経って、今度ご連絡いただいたのが、
10月、去年の10月末とか、
そうですね、年末ぐらいですかね。
そうですね、11月頭ぐらいで、
で、ドクターさんからそろそろ、
タイラさん、アイツさん暇ですか?みたいな時間ありますか?っていうのをいただいて、
で、その時は仕事はちょっと落ち着いてたんですけれども、
僕が結婚式を挙げたんですよね、去年11月に。
その1週間ぐらい前にいただいちゃったんで、
今度こそドクターさんから連絡いただいたから出なきゃと思いつつ、
さすがに結婚式の1週間前に、
結婚式で緊張もしているのに、
ノーマルズFMで出るっていう緊張を心に乗ったら、
俺多分潰れちゃうなと思って、
ドクターさんに大変申し訳ないですけれども、
もう1回先延ばしにさせてくださいって言って、
で、また年明けですね、
今年2024年に入ってから、
そろそろどうでしょうっていうので、
今ちょっと仕事もちょうど落ち着いてたし、
プライベートも落ち着いていたので、
今度こそ大変お待たせいたしましたと、
出させてくださいということで、
無事今日という日を迎えられているわけですね。
はい。
いやもう多分今、
皆さんこれ聞いてる方々も分かったと思うんですけど、
あの、ポッドキャスターなんで、
こういう感じなんですよ。
ごめんなさい、ちょっと一方的に喋っちゃいました。
いやいや、もう。
そうですね。
ノーマライズFMにお前が感をちょっとでもなくすために、
ハードルを下げるためにね、
経緯をしっかり最初に喋っておこうかなって。
いやいやいや、
多分ね、聞いてるみんなの感覚は、
あれなんかすげえ滑らかに饒舌に喋る人来たっていう、
いやいやいや。
感じに今なってると思うんですけど、
いやもう普段からね、
やっぱポッドキャスターやられてるんで、
マイクの前で喋るということの経験値が、
それなりに溜まってるんで。
いやいやいやいや。
僕がやってるAM3号館っていう番組は、
長谷川とやってるAM3号館って番組は、
コンセプトがあって、
番組の一番最初に乾杯して、
350mlのビールだったり、
アルコール入ったお酒の缶を開けながら、
酒飲んでるんだし、
多少変なこと言ってもリスナーの人許してくれよっていう、
免罪符でやってる番組なんですけれど。
はいはいはい。
いかにせんノーマライズFMはそういう番組ではないので、
僕今日はちなみにアップルジンジャーを飲みながらやっているので。
アルコールじゃない。
アルコールじゃないんですよ。
シャーフで喋らなきゃなので。
ここは3号館の出張所というわけではないくて、
ちゃんとノーマライズFMという番組として、
喋ってくれてるってことなんですね。
ここまでちょっと3号館テイスト強めでいきましたけれども、
ここからはちゃんとクールな感じで。
あともう一個これ喋っておきたい話があって。
どうぞお願いします。
ノーマライズFMでの準備
ノーマライズFMゲスト出たことある人は、
共感していただけるんじゃないか。
共感していただける方もいるんじゃないのかなっていう話があって、
特に僕はそうだったんですけど、
ドクサスさんから出てくれませんか出ませんかみたいなお誘いを、
何かしらの形でご連絡いただくじゃないですか。
それから僕に関しては、
1年半ぐらいあったわけですよ今回。
その間にもノーマライズFMは、
多分10回ぐらいエピソード更新されてると思うんですけど、
もともとノーマライズFM初回からずっと聞いてるぐらい好きな番組なんで、
聞かせてもらってるんですけれども、
1回出ませんかのお誘いをいただいて以降、
番組を楽しく聞けないというか。
わかりますかね。
つまんないわけではもちろんなくて、
ドクサスさんがゲストの方にいい質問をなさるじゃないですか。
それをするたびに1回再生ボタン止めて、
もしこれ俺が聞かれた場合、
俺なんて答えるだろうなっていうのを1回整理して、
これだったら俺こう答えるなっていうのが整理できてから、
もう1回再生ボタンを押して、
ゲストの方でも答えられるんだみたいなことをやってるんで、
だいたい番組1時間半ぐらいのやつを、
僕ある2日ぐらいかけて聞くんですよね。
そうなんだ、面白い。
だからノーマライズFM、
ここ1年間ぐらいに関しては、
リスナーとして楽しむというよりも、
受験勉強みたいな気持ちで、
ここはこう答えるといい感じなんだなみたいな。
ちょっと収録前にもちらっと話しましたけれど、
橋本博さんが出られた回あったじゃないですか。
もうあれとか僕の中でかみかえすぎて、
彼これもう10回はさすがにまだ、
3時間ぐらいあったんでさすがに10回は聞けてないんですけど、
5、6回聞いて、5、6回何回も聞きながら、
博さんも独卒さんもいい話、
俺だったらなんて今の質問答えるだろうなとかっていうのを、
すごい考えながら考えながらっていう感じで、
そうなんですよ。
なので今日番組出るにあたっても、
なんかあれなんですよね。
脳内でシミュレーションしたわけですよ。
独卒さんと僕がしゃべるんだったら、
こういう話するだろうなとか。
この後おそらく出るであろう、
お互いの趣味である写真の話とかも出てくるだろうなとか。
多分独卒さんこういう質問して、
そしたら俺多分こういう開始をしてっていうシミュレーションを、
ここ1週間寝る前ずっとやってるんで、
今やっと本番を迎えてますけれども、
僕の中では脳内、
バーチャル独卒さんとしゃべり飽きてるんで、
僕の中で収録はほぼ終わっているというか、
こういう緊張の舞台に立つとき、
僕は石橋を叩いて渡る男なので、
めちゃめちゃ準備をしてくるんで、
それもあって今変な感じですね。
初対面のエピソード
いや、もう石橋叩いてる感、
ここまでの音声にも今多分出てると思います。
もうこうやってしゃべるシミュレーションをしてきたんだろうなっていう。
やばい、バレてる。
ここまでがほぼほぼ台本通りなんで。
全部伝わってるんじゃないかなと思うんですけど。
ちょっと割って入っちゃうんですけど、
多分情報量が今めちゃくちゃすごい多くなってて、
いったい今俺たちは何を聞かされているんだっていう状態に
多分みんななってると思うんで。
そうですね。
なのでちょっと整理するとですね。
整理してください。
ちょっと整理すると、
そもそもね、
みんな元から多分あやとさん知っている方もいらっしゃると思うんですけど、
結構クリエイティブコーディングとかを
ツイッター上とかでもね、X上とかでも
P5JSとかで作ったような作品をね、ツイートされていたりとかもするんで、
そういう感じで知っている人ももちろんいると思うんですけども、
私も多分一番最初は、
そういう感じでツイッター上で、
なんだこの人みたいな感じで多分見つけたと思うんですけど、
それと同時に、
なんかポッドキャストとかやってるんだってその時思った時から
俺はずっと聞いてるんですね、まず。
そのAM3号館を。
結構子さんではあると思うんですよ。
AM3号館の子さんリスナーで。
子さんだと思います。
ありがとうございます。
結構ずっと聞いてて。
だからなんかその俺からすると、
なんていうんですか、
その長谷川さんっていうもう一人のパーソナリティの方もそうなんですけど、
二人ともなんていうのかな、
芸能人的ポジションっていうか、
いつも聞いてる番組のパーソナリティっていう感じだから、
今もずっと喋ってる声聞いてて、
AM3号館だと思って聞いてるし、
すごい不思議な感じがするんですけど、
そういう感じのクリエイティブコーディングとかもやりつつ、
面白ポッドキャストとかもやりつつ。
面白ポッドキャスト。
面白ポッドキャストとかもやりつつ、
ポッドキャストで培われているマイクなれがあると思うんで、
多分聞いてるみんなもすっげー滑らかに喋るなっていうのが伝わってるとは思うんですけど、
そういった形で私と彩人さんの間では、
ショーノートの書き方
直接会って喋ったこととか多分ないですよね、多分。
そうですね、ないと思います。
ないと思うんですけど、
お互いに間接的に知ってるし、
お互いにリスナーだしみたいな感じの。
そうですね、お互いにリスナーだし、めっちゃ面白いですね。
そういう距離感なのかなっていう感じで、
私がちょうど声かけるタイミングがどうしてもタイミングが悪くて、
のびのびになっちゃったっていうのはその通りではあるんですけど、
とはいえ別にお互い、
絶対出てくれないと困るんですけどみたいなことは別に私の方もないし、
余裕があるときに出てくれればっていう感じでずっとお話ししてて、
それで今に至るっていう感じでね。
結婚のお祝いとかは、さっきも言ったように、
俺の中ではもう芸能人的ポジションにいるから、
どうしても結婚するの?っていうのを聞いて、
それまだ当時、
ポッドキャストでは言ってるけど、
Xでは言ってないっていうタイミングが一瞬あったじゃないですか。
あ、そうですね。
その瞬間にちゃんと俺、毎週聞いてるよっていうことをアピールしたかったわけ、俺としては。
なるほど!
だから、ツイッターでしか見てないにわかじゃなくて、
俺はちゃんとAM3号かも。
公開されたらすぐ聞いているっていうことを伝えたくて。
嬉しいな、めちゃめちゃ嬉しいです。
だから直接面識はなかった。
当時、全く直接やり取りしたこととかほとんどなかったはずなんですけど、
昔、多分スクールの関係でメールぐらいはやったかもしれないんですけど、
直接ツイッター上で喋ったりとか全然なかったんですけど、
その時に、そういう思いがあふれてしまって、
お祝いしたい気持ちがあふれだしてしまって、
それでね、DM送って、
ちょっとこの話、ほじくり返しちゃうんだけど、
その当時、あやとさんが、
自分で同人誌じゃないんだけど、
クラフトっていう小冊子を販売してて、
それをクリエイティブコーディングの作品として、
アート作品的な意味で私は興味を持って普通に買ってたんで、
その時に送られてきたレターパックに、
マジのガチの個人情報が書いてあるじゃないですか、住所が。
ここに送っちゃおうと思って。
それも最初びっくりして、
頂いた時にお名前見て、ドクサスさんからだと思ったと同時に、
なんでドクサスさん俺の住所知ってるんだろうと思って。
その中にメッセージで、クラフト買った時の住所で、
送っちゃいましたみたいなのも頂いて、なるほどと。
そういうカラクリがあったんだと驚いたのも覚えてますね。
そうなんだよ、個人情報これで手に入れたぞつって。
怖い怖い怖い。
それでカタログギフトをね、
私結構いろんな人にプレゼントをあげる時に、
もう悩むの嫌だからカタログギフトを送っちゃうっていう結構怠惰なことをやってるんですけど、
一番ありがたいです。
先方に選んでもらうのがいいだろうと思って、
カタログにしちゃうことが多いんですけど。
本当にありがとうございました。
なんかちょっと懐かしい、結構懐かしい感じもするね、ちょっと前のことだけど。
そうですね。
そんなこんなで、
今日に至っているっていう感じで、
もうここまで聞いてくださった皆さんだいたいなんかわかったと思うんですけど、
今日のノーマライズFA、ちょっといつもとなんか違うっていう。
ドキュラさんがクールな感じでゲストを紐解いていってみたいな、
徐々にゲストも熱くなっていって面白い話が見たいなのじゃないですね。
そう、もう最初から。
できなそうですわ、ごめんなさいドキュラさん。
たぶんね、わかんない、ほとんどいない可能性もあるんだけど、
両方聞いてる人、ノーマライズFMもAM35かも両方聞いてる人は、
混ざってる感じだなっていうのがたぶん今ね伝わってると思うんですけど。
今日はちょっと半分35感みたいな感じの、半分いつものノーマライズFMみたいな感じの。
いい感じにミックスできるより頑張りたいです。
そうっすね。
俺はすっごい嬉しいんですよ、今日。
芸能人と喋ってる感じで。
いやいやいや、同じですよ。
同じですよって言うとあれですけど。
今日だからあれなんですよ、ドクサスさんから事前に、
喋りたいこととかもしあれば、
ショーノートみたいなもの、簡単でいいんでメモ書きいただければ、
それをベースにお話ししましょうみたいなことで。
僕、ドクサスさんと何喋ったらノーマライズFM面白くなるかなと、
いろいろ考えていろいろメモしていった結果、
まず僕、スクラップボックスっていうサイトで、
メモ帳みたいな感じで基本的にメモってるんですけども、
まずあれでたぶん4000文字くらい書いちゃって。
さすがにこれ台本すぎるなと思って一回全部消したい。
その4000文字を整理していつもドクサスさんと一緒に共通で見ているメモ帳には書いてるんですけれども、
そこに書いてあることも半分以上というか、
半分くらい僕の人生を振り返るみたいな文章になっていて、
書きながら俺よっぽどドクサスさんに自分を知ってほしいんだろうなっていうのを、
自分で書いていいと思っちゃって。
AM3号館の場合はあんまゲスト呼ぶっていうよりはいつも同じ2人で喋ってるじゃないですか。
そうですね。
でもノーマライズFMは毎回違うゲストが来るんで、
毎回このショーノートっていうのを用意して、
事前に編集権限付きで共有して、
お互いに何か話題があれば書き足してみたいな風にするんですけど、
そこにお呼ぶスタンスって本当に千差万別ですよ。
あやとさんみたいにガーって書くタイプの人、
一言も付け足さない人もいるし。
そうなんですね。
俺が書いた、
あなたと話すならこういう話題どうですかリストが、
俺の方は俺の方で書くんですけど、
そこに一文字も付け足さない人もいれば、
2、3個付け足す人もいれば、
ページどんどん増やしてダーって書いていく人もいれば。
僕、番組することリスナーとして聞いてるときに、
これゲスト出てる人に、
とくさすさんどういうフォーマットで、
そのショーノートというか事前にトークの内容を
メモってもらってるんだろうなっていうのが不思議だったんですけど、
本当にだからあれなんですね。
千差万別というか好きに書いているのスタンス。
そうですね。
なんか一文字も追加しなかった人も別に悪気があるわけじゃなくて、
そこにはいろんなパターンがあると思うんですよ。
基本的には聞いてほしいタイプの人もいるのかもしれないし、
なんか自分なんかが話題書いちゃうのはおこがましいで書かない人もいるのかもしれないし、
いろいろだと思うんですけど、
でもどのパターンでも、
俺は好き勝手にこっちはこっちで勝手にホストするので、
いつもあんな感じになってますね。
だから結構アドリブですよ。
ここに一応何て言うんですかね。
そうですよね。
なんかショーノートにリストしてもらうのは、
一番はゲストのためっていうか、
あらかじめ何喋るか何も決まってなかったら、
それこそ不安しかないと思うんですよ、
ゲスト呼ばれて。
でも私はこういう話題想定してますよって私が書いたものとかがあったり、
自分で書き足したりできれば安心できるじゃないですか、
こういうこと喋ろうっていう感じで。
たぶん今、あやとさんも自分でいっぱい書いた結果ちょっと安心できてると思うんですけど、
俺はそれを全部取っ払って勝手にアドリブでこう、
ホストしていくんですけど。
はい、大丈夫ですよ。
長谷川さんのイメージ
でも分かるというか、たくさん書いてくれると、
こういう感じのこと喋りたいんだなっていうのは私も分かるんで、
助かりますけどね。
そうですよね。
やっぱりそのゲスト、
僕がやってる番組本当にゲストとか呼ばないんですけれども、
本当に過去数人呼んだ人とかっていうのも、
僕はなるべくその事前に情報いっぱいキャッチしておいて、
で、何でしょう、
さもアドリブで言ってますよみたいな感じの演技をしながら、
ゴリゴリにその頭の中で妄想した通りに喋ってるんですけど、
相方の長谷川というとこは本当にそのぶっつけ本番。
僕は勝手に彼は広告代理店だからやっぱりそういうその起点が聞くというか、
そういうところも尊敬していたりはするんですけれども、
僕は本当に逆に準備男なので。
性格がね。
逆にそれでバランスが取れてるか終わったりするんですけど。
バランス取れてると思うわ。
だからなんか俺も今リスナーとして聞いている長谷川さんしか知らないんだけど、
そういうアドリブ得意そうな感じはするもんね。
声だけ聞いてる感じでもそういう印象はあるかな。
なんだろうね。
やっぱりちょっと大人というか大人ぶってるというか。
大人ぶってるが正しいんだと思うんですけど。
大人ぶってますね、あの人は。
皆さんね、急にAM3号館なんか知らないよっていう人のために、
長谷川という男をイメージしてもらいやすく、
みんなの頭の中に住んでいるサブカル高身長クソメガネ男をイメージしてもらって、
その人をイメージしてもらったら、
その人が週末毎週映画館に行くかパチンコ屋に行くかっていうので長谷川完成します。
でも長谷川さんを完成させるのには、
あと一つ新宿でおっちゃんにキレて喧嘩になりかけるっていう。
新宿の二郎でめちゃくちゃキレるっていう。
そこのエピソード。
そのエピソードからパチンコに繋がるから。
だから、AM3号館知らない人には全然わかんないと思うんですけど、
長谷川さんは新宿の二郎で休日の唯一の癒しの二郎を食ってるときに、
隣にいるおっさんに醤油をかけられる事件が起こって、
一触即発の事態になり、
ありましたね。
おじさんが弁償するクリーニング代だって言って、
長谷川さんのパチンコ熱と自己回復
ちょっとしたお金をもらって、
そのお金で悲しい気持ちになっちゃって、
こんな金俺早く使いたいんだって言って、
パチンコに飛び込んでショートにバーンって突っ込んだら、
当たってしまったっていう。
大当たりしちゃったっていう。
確かに。
僕めちゃくちゃ好きだし、
あそこら辺からあの人のパチンコ熱はちょっと高まっている気がしますね。
このエピソードをありきで長谷川さんって人になりたって言うと、
私は思っているので。
久々に。本当に聞いてくださってるんですね。
結構前の回ですもんね。
結構前から聞いてるんで、
ありがとうございます。
二郎の回は多分、
僕もすごい好き。
相当長谷川エピソードの中ではランク上だと思いますよ。
長谷川先生の顔すっぷりというか、
性格の難しさというかが一番出ているエピソードですよね。
そうですね。
たまに、
ごくたまに急にシリアスな話をしている時もあるじゃないですか。
そうですね。
急に真面目な話をしたりする回があったりするんですよね。
AM-35か。
そういうのも面白いなと思って。
おちゃらけてふざけてるだけってわけでもなくて、
人間落ち込む時もあるし、
ハイな時もあれば落ち込む時もあるし、
そういうのがちゃんと番組に全部出てきちゃってるっていうのが
俺は結構好きなんですけど。
今日それこそこの番組で話せたらなと思ってたトークの一つが、
クリエイティブコーディングやってたり、
趣味で写真撮ってたり、
趣味でポッドキャスト撮ってたりっていう
いろいろやってるんですけれども、
それぞれ楽しさ、難しさ、いろいろあるんですけれども、
共通している部分が僕の中であるなと思っていて、
全部僕の中でセラピーなんですよね。
自己回復というか、
自分を見つめ直すみたいな活動の一環として
すごく大事な三つの活動で、
特にAM-35間って僕がやってるポッドキャストは、
長谷川という変わった男と
クリエイティブコーディングと写真撮影の活動
週1ペースでダラダラ喋ることによって、
ノーマルズFMとかでも多分あると思うんですよね。
ゲストの方と喋っていきながら、
喋ってて俺ってこう思ってるんだとか、
そういうのを理解していく瞬間って、
やっぱり人と喋ってる時ってあるじゃないですか。
別にラジオとか関係なくですけれども、
それを特に感じれるっていう意味で、
結構僕の中で大切な活動、面白い活動だなっていうので思ってますね。
特にポッドキャストに関しては。
それは多分ありますよね。
聞いててもそれは思うし、
私の感覚的にも、
クリエイティブコーディングも実はそういうものの
発露の一部なんじゃないかっていうのも、
分かる気がします。
そうなんですよね。
例えばなんだろうな、
俺作品作りてえとか、
もっと表現してみたいな気持ちでやってる時が、
ゼロではもちろんないけども、
それだけでもないですもんね、多分。
作品を作るっていうことが。
そうですね。
すごい作品を作りたいみたいな気持ちっていうのは、
それこそやり始めの頃とかはありましたけれども、
ここを最近に関しては、
どちらかというと、
ストレス発散ともちょっと違うんですけれども、
今自分が何を考えているのかとか、
何をいいと思っているのかっていうのを確認する活動みたいな、
イメージなんですよね。
そもそもの始まりは、
どんなところからやってみようになったんですか?
それはクリエイティブコーディング、PDFチェイスとかですか?
そうですね、クリエイティブとか、
もうちょっと広く、
今仕事で扱っているようなこととかも、
結構グラフィックス寄りなこととかやられていると思うんですけど、
結構小さい頃からずっとこういうのが好きだった延長性にあるのか、
それとも大人になってから興味を持って、
何かのきっかけがあったとかっていうと、
どういう感じが始まりだったんですか?
それでいうと、一個大きなきっかけがあって、
映画なんですよね。
その映画っていうのが、
僕が社会人になって、
僕社会人になる経歴もちょっと変な形で、
大学院に一回入学して、
大学院入ってちょっとして、
大学院でやっていけないわってなって、
大学院でやっていけないわというか、
研究職向いてないわって気づいて、
就職活動をして、
当時仙台にいたんですけれども、
横浜に来て、
エンジニアとして働き始めるんですけれども、
エンジニアとして働き始めて、
しばらく経った時に、
小学校の時の同級生の女の子が、
Facebookで今度映画を撮るんで、
クラウドファンディングで、
お金集めて回すみたいなことを投稿していて、
僕、その子とめちゃめちゃ仲良かったわけではないけれども、
何度か喋ったことある、
クラブ活動とか、
一緒にやったことあったなぐらいの距離感の子だったんですけど、
その子が映画撮るっていうんで、
頑張ってるっぽいし、
応援するかという気持ちで、
5000円ぐらいクラウドファンディングして、
そこから1年ぐらい経って、
僕の中で、こんな感じでエンジニア人生が続いていくのかな、みたいな。
嫌だなというよりは、
割とエンジニアという職業に慣れてきたぐらいの時に、
その子がついに映画できましたっていうんで、
クラウドファンディングしてくださった方は、
試写会来てくださいっていう招待をもらったんで、
もう今、亡くなっちゃいましたけれども、
アップリンク渋谷っていう、
作品作りとクリエイティブコーディングの意義
ちっちゃい映画館、ミニシアターみたいなところに、
休日、夜見に行って、
その子の映画見たんですけれども、
それにすごい喰らっちゃって、
その映画の内容に喰らったというよりは、
自分が知っている、
僕の中のイメージは、小学校の時の彼女なんですけれども、
その子が、いろんな人を引き連れて、
いろんな人とコミュニケーションを取って、
1個の長い作品を作ってるっていうことに、
めちゃめちゃ喰らってしまって、
なんとなくこんな感じでエンジニア人生やっていくんだろうな、
50、60まで、みたいな感じで思っていた、
社会を舐めていた自分にすごい苛立っちゃって、
今でもめっちゃ覚えてるんですよ、
アップリンク渋谷から渋谷駅戻る中、
急に台風が来て大雨で、
本当は試写会終わった後に、
その子のところに行って、
いい映画だったよ、みたいなこと一言言おうと思ってたんですけれども、
映画のエンドロール見ながらも、
そういうことを考えちゃって、
その子に何にも挨拶とかできずに、
泣いてはいないけれども、
それこそ雨でびしょびしょになりながら、
家に帰って、
なんかやらなきゃと思って、
で、その時に偶然、
SNSでタッチデザイナーっていうツールを知ったんですよ。
今、活動どういう形になってるのかちょっとわかんないんですけれども、
当時企画が走り始めだったTDSWですね。
TDSWの第4回とかっていうのを、
今度東京のどこどこでやります、みたいなのを、
代表だったナレミさんが募集してたんで、
タッチデザイナーってあんまりよくわかってないけれども、
なんとなく興味あったから行ってみようって言って、
そこで勉強して、
それこそナレミさんとかとも仲良くなって、
で、タッチデザイナー、
それまで全くCGとかそういうこと、
何の知識もなかったんですけれども、
タッチで何かしら作品を作って、
毎日1作品インスタグラムに上げるっていうのを半年ぐらいやってて、
それこそタッチデザイナーの公式の人とかともちょっと繋がるようになってて、
いろんなイベントとかお呼ばれしててっていう流れで、
今度はTDSW主催でまたイベントをやるっていうんで、
ちょっと彩人さん今度講師として出てくださいよみたいなことになって、
めちゃめちゃそれが嬉しくて、
自分が勉強として文科生として入ったところで、
今度は講師として立ってほしいって言われたのが、
わりとそれも嬉しくても感慨深くて、
その勉強会に行った時に、
僕のタッチデザイナーの講座とは別で、
高尾さん、この番組ノーマライズFにも出られてましたけれども、
高尾さんが別のフロアでP5JSを教えますみたいな授業をやられてたんですよ。
話がまた前後してるんですけれども、
実は僕大学時代にちょっとだけプロセッシングをやっていたんですよ。
なんならプログラミングとの出会いというか、
僕がプログラミング楽しいと思えたきっかけはプロセッシングだったんですけれども、
でも大学の本当に大学1年生の秋とか冬ぐらいにちょっと2,3ヶ月熱中したぐらいで、
それ以降ずっと触れてなかったプロセッシング。
P5JSがあって、
その時をずっと過ぎていって、
高尾さんのイベントで、
僕はその上の階でタッチ教えて、
時間が余ったんで、
なんとなく1回行って高尾さんの授業ボケって聞いて、
P5JSってあったの懐かしいなみたいな。
僕の中ではやっぱプロセッシングって今でもそうですけれども、
プログラミング入門みたいなポジションじゃないですか。
教育目的がやっぱ最初のスタートとしてもあったんで、
プロセッシングってやっぱそういう入門だよねみたいな感じで高尾さんの授業聞いてたら、
高尾さんの作るグラフィックがめっちゃかっこよくて、
プロセッシングかっこいいじゃん、P5JSかっこいいじゃんってなって、
そのタッチと並行して、
またP5JSで何か作品を作るっていうのに、
また熱中し始めてっていう感じで、
今現在も、
ずっと辞めることなくったわけではなくて、
曖昧な休みとか挟みつつですけれども、
何かしらクリエイティブコーディング、
コードを書いて何かしら作品を作るっていう活動を続けていますね。
なるほど。
なんか言われてみたらちょっと高尾さんと絵の方向性に似てるとこあるかもしれないですね。
いやもう高尾さんリスペクトは大きいですね。
確かに。
ちょっと似てるかもしれない。
同じリズムを感じるかもしれない。
高尾さんのオープンプロセッシング、
高尾さんと名前出しちゃうと、
高尾さんと岡津さんと千博さん、
この3人、P5とかプロセッシングで何かしらやってる方は、
名前聞いたことある3人だと思うんですけれども、
この3人の作品からめちゃめちゃインプレッション、影響を受けてますね。
なるほどね。
やっぱり今の話だと、
一番最初は湧き上がる情熱じゃないけども、
俺もなんかやんなきゃっていう焦りと、
焦りと何なんだろうな、
すごい複雑な感情が押し寄せてきた瞬間が一番最初のきっかけではあったっていう感じで、
今はもうどちらかというと、
やれるときにガス抜きみたいな感じでやるっていう方が増えてきてますね。
っていう方が増えてきてるっていう感じなんですかね。
そうですね、その意味では割と当初あった、
何者かにならなきゃ俺もみたいな情熱とはまた別のベクトルで楽しんでるって感じではありますね。
なるほどね。
クラフト作った時とかはどういうきっかけだったんですか?
冊子をわざわざ作って、それを販売してっていうのは、
どういうきっかけなんですか?
自分の作品集を作ったのが、
自分の中の燃えたげるものみたいなものが落ち着いたフェーズというか、
これまで勢いでなんとなくバーって作ってきたものっていうのを振り返ってみると、
自分ってものが見えてきそうだなっていうのをぼんやりと感じて、
それまではただ量産する、ただ新しいグラフィックを作る、
ただTwitterでいいねを稼ぐみたいなことを考えていたんだけれども、
あれ?もしかしたら俺がやってることって、
そんなにガメつくインプレッションを稼ぐためだけに頑張るにしちゃ、
もったいないぐらいいいものを作れてるんじゃないのかなみたいなことを
自分である時思って、ちょっと形に残したいなみたいな。
それは販売してお金儲けとかっていうつもりもそんなになくて、
作品を振り返るための制作
そういうことをするほどの部数も発行せずに、
たぶん50部60部ぐらいしか作らなかったんですけれども、
どちらかというとその形として残しておいて、
10年20年経った時に自分が振り返れるようにするみたいなイメージがすごく、
あの作品は大きかったですね。
なるほどね。
そのグラフと私が買わせていただいたタイミングって、
ちょっと急に自分の話しちゃうんですけど、
私の中ではあんまり自分がアーティストだよっていう自覚、今もあんまりないし、
何か作品を作ってやろうみたいな感情って元々結構気迫というか、
あんま強くないなって自覚、自分の辞任としてはそういうふうに思ってるんですけど、
あのグラフと見た時に、なんか紙にするだけで全然違えなって思ったんですよね、単純に。
買うっていうのも、そういうアート作品めっちゃ好きだから、
もう出たら見つけたら買えるものは全部買ってますみたいな感じじゃ全然ないし、
なんかたまたまだったと思うんですよ。
もしかしたらツイッターでそういうの見かけないままだったら気がつかなかったかもしれないぐらいだし、
たまたま見つけて、こんなのやってるんだ、面白いなと思って、
なんとなくふんわり購入したっていうだけだったんですけど、
でもなんか届いたのを見てみたら、
なんかそのプログラムで作ったグラフィックスが紙に刷られて物理の世界にやってきて、
それが何なんですかって言っちゃったらそれまでなんだけど、
なんかこう物理的に存在していることの価値みたいなのがなんかあるなって思ったんですよね、あれ見た時に。
なんかそういうことやってみようってなった背景、
例えばウェブサイトにまとめて掲載するで満足もできたかもしれないのに、
あえて本にしたっていうのは一体何だったんだろうなってちょっと聞いてみたいっていうのはあったんですよね。
それはちょっと僕の中でそのタイミングが正しいか分からないですけれども、
多分同じようなタイミングで写真も撮り始めてるんですよね。
写真、僕フィルムで撮ることが多いので、
フィルム写真って基本的に36枚なり27枚のフィルム1本撮り終わったら、
カメラ屋さんに写真屋さんに行ってフィルム渡して現像よろしくお願いしますっていうので、
1週間ぐらいかけて現像していただいて、
僕当時は今はあんまりやってないんですけれども、
撮った写真っていうのを必ずL版みたいなやつ、はがきサイズのやつで焼いてもらってもらってたんですけれども、
その時に僕も、今まで写真ってデジタルで見るものだったんだけど、
物理としてあるってだけでこんなに、やっぱり物としてあるっていうだけでこんなに感じ方違うんだっていう衝撃を受けて、
なんだろう、それも結構だから自分のP5とかクリエイティブコーディングと写真はメディアとしては違うけれども、
今の時代、デジタルとしてスクリーンの中で見るものなんだけれども、
紙だったり物理にしてみることで、
なんて言ったらいいんでしょうね、
多分これはドクサスさんとかだったら、写真集とかご自身で作られてる人だったらより分かると思うんですけれども、
やっぱ感じ方が全然違うじゃないですか、同じ写真一枚でも。
そうですね。
それもあって、自分の単純にウェブサイトで作ったものをポートフォリオサイト作るぞとかっていうよりは、
クラフトみたいな作品集として物として欲しいなっていう感情がありましたね、あの時は。
なるほどね。
一緒に写真入れて送られてきてたんですけど。
そうですね、そうですね。
あれ多分みんなに入れてたんですよね。
最初の限定何人とかじゃなくて全員に入れて送ってたんですか。
クラフト、僕の作品集を買ってくれた方には、
クリエイティブコーディングの作品集とは別で僕が普段撮っているフィルム写真を現像したものを、
1枚なり2枚なりを同封しますよみたいな、
最初の購入者キャンペーンみたいな気持ちで、
そういうのあるじゃないですか、限定商法的なことを自分でもやってみようかなとかって思ったんですけれども、
割とドクターさんが言ったように最終的に買ってくれた人全員に渡してますね、あれ。
なるほどね。
だからそれも、何て言うんだろう、当時の私は写真もやってなかったし、
言うほどアートとかクリエイティブみたいなものに自分が寄ってるとも思ってなかったから、
写真とか一緒に入れてんだ、おしゃれだなぐらいにしか思わなかったんですけど、
今は分かる気がするんですよ、1枚入れてあることの意味というか、
そこに何があるのかって何となく自分でも分かるんですけど、
やっぱ当時はちょっと分かんなかったなぁ、だから。
それで何て言うんかな、これまた後で喋るかもしれないけど、
写真の良し悪しって分かる分かんないってあると思うんですよ。
あるいは、良い悪いなんてないかもしれないじゃないですか、写真の良し悪しって。
それこそ人によって全然感じ方も違うし、だから写真が入ってて、
その写真が良い写真かどうかっていうのは基本的には関係なくって、
それを見て何を感じるかっていうことしか多分言えないし、
そういう文脈で言うと当時の私はあんま何も分かってなかったなって、
何かオシャレなことやってるなぐらいにしか思ってなくて、
この写真に何の意味があるのかなとかあんまり考えたりしなかったんですけど、
でも今思い返してみると、写真が入ってるっていうのは何か粋な計らいだなとは思いますけどね。
物理として存在するアート
そうですね、そう思っていただけると嬉しいと思いつつ、
でも確かにドクセスさんが言うように謎ではあります。
写真が同風されてるというのは。
僕の中ではやっぱり割とあの時点で、今ちょっと前にも話したように、
どっちも自分を振り返る自己セラピー的な効果というか、
ものとして同じような存在だったんですよね。
コードで何か作るのも、写真を撮って、
僕が街で歩いて落ちている葉っぱ撮ったりするみたいなものとかっていうのも、
ほぼ同じものみたいな感じだったんで、あんまり違和感はなかったんですけれども。
あれ多分、いきなり送られてきた側は、これ何なんだろう。
これも作品の一部なのか、ただのおまけなのかみたいな、
かんぐってしまうというか、それも含めて面白いなって俺は今だったら思うけど、
当時の俺は、何か写真とか入れてるんだ、みたいな感じで。
これはね、AM3号館知らない人には伝わりにくい話になっちゃうんですけど、
一緒にクッキーが入ってたんだな、これが。
これが面白かったんですよ。クッキーなんか入っちゃってるなと思って。
そのクッキーの話もありますね。
そうそう。
湘南クッキー。
そう、湘南クッキーが入ってて、
長谷川さんがAM3号館で、「君、郵便物に食べ物入れちゃダメだよ!」って言ってたんですよ。
そうそう。
送られた方がびっくりしちゃうよって言ってたんですけど。
意味不明ですね、確かに。自分で振り返ると意味不明ですよね。
作品集、高度描いたアート作品なのに、
洞風されてくるのがよくわかんないよ、街の写真とクッキーっていう。
何なのこいつっていう。
いやだからね、俺もう本当にね、そういうバカなとこも含めて好きなんですよ、俺は本当に。
確かにな。
いやちょっとね、だからなんか、なんて言うんだろうな、なんかAM3号館の魅力も今のお話と似たような感じで、
なんて言うか、聞いてて別にめっちゃためになるわけでもないし、
なんかすげえこう、例えば芸人さんのラジオ番組みたいなエンタメ性があるわけでもないし、
なんかこう、20代から30代ぐらいの若者ともおじさんとも言えないようなぐらいの人たちが、
なんか日々起こってることをただ喋ってるだけっていう、このバカなこともあるし、
バカな話してることもあるし、下の話してることもあるし、
一方でなんかすごい急にシリアスな話、真面目に議論してる時もあるし。
そうですね、あの番組はもうごったにですね。
そういうなんかはちゃめちゃなところがね、結構いいなと思って聞いてるんですけど、
なんか今のその作品に対する取り組み方とかも、私なりにはこう想像はしてたんですけど、
なんかやっぱスタートがそういうとこから、そのなんか身近な人のものすごいエネルギーみたいなものに食らってしまって、
背中をこう押されたみたいな。
そうですね。
そういうエピソードとか全然知らなかったんで、なんか良かったですね、そういう体験があって。
写真とクッキーのおまけ
そうなんですよ、なんか僕が今の仕事の目標は、その子にまた何かしらの形であって、ありがとうって言いたいですよね。
本当になんかその人のおかげだなぁ感はありますね。
でもそれこそさ、なんか最近の仕事、具体的には言わないですけど、
最近の仕事みたくその現地でイベントとかでドカーンってでかい展示やったりして、
そこでスタッフとしていたら、たまたま偶然来る可能性とかありますよね。
いや実はですね、それこそ話せない話ですけど、とある案件でちょっと似合いミスしてるんですよ。
そうなんだ。
そうそうそうそう。
なるほど。
じゃあまあ、何らかの形でいつかその思い出話ができるかもしれないですね、もしかしたら。
でもそうですね、そういう、まあでも本当にその子のおかげでこういう何かしら作るみたいなことを始めたから、
いろいろ物の見方も変わってきたなぁみたいな、なんかそれこそ、
僕もなんかすごいアートに興味があってみたいな人間ではもともと全然なかったので、
なんか本当、修学旅行とか研修とかで行く美術館ほどつまらない場所はないなぁと思ってた人間が、
なんかでも自分で何かそのものを作るようになってから、すごいそういうところに行くのが楽しいというか、
最近週末何かしら美術館とかその写真館とかみたいなところ行ってるような人間になってるので、
そういう意味でも大きく変わってます、変わりましたね。
なんかその普段出かけていくモチベーションってどういう動機があるというか、何のために出かけていくんですか、それは。
何のあれがあるかって言われるとちょっとむずいっすね、
何でしょう、友達のいない荒沢の男、むしろ何もすることない土日、むしろみんな何してるんだろうみたいな。
これもあるんですよ、なんかクリエイティブコーディングとか、僕とかはそんなないですけれども、
なんかめちゃめちゃね、作品とか作られてる、おそらく推測ですけど、高尾さんぐらいで作られてる人とかだと、
どうやったらそんなに頑張れるんですかとか、どういうふうにやればたくさん作品作ったり集中できたりできるんですか、みたいな質問。
僕もそれこそ多少受けたことがあるんですけれども、むしろ逆にそういうのがない人って何してるんだろうな、みたいな気持ちがすごいあるんですよね。
そうですね、今の質問のニュアンス的な部分でいうと、やっぱり何か作品につなげようとか、そういう背景みたいなものがないとそもそも行こうってなんないのかなって思ったんですけど、
そこはやっぱり自分の感性を磨くであったりとか、インプットしようっていうつもりで行くイメージなんですか。
それで言うと、いわゆるデジタルアート的な展示とかもあったりするじゃないですか。それこそ東京とかだと。
そういうものに行くときは、割と勉強半分ぐらいの気持ちで行っている節がありますね。
それこそ今オラファーの展示とか、チームラボの新しいのができたみたいな話題ですけれども、ああいうのとか行くぞってなったら、割とどういう作品でどういう背景でみたいな、それこそノート片手に行くぞみたいな気持ちですけれども。
こと写真とかに関しては本当に別にインプットとかあんまり意識することなく、ただ楽しみに行きたいというか。
いわゆるデジタルアートとかより写真の方がその人がわかるというか感じがするので、そんなに構えてもないですね。フラーっと行きますね。
面白いな。本当に言っている通りなんですね。楽しいことをやることは別にないし、面白そうだから行ってみようかなぐらいの温度感で行っている感じなんですね。
そうですね。そうだし、不思議なのが、不思議というかなるほどなと思うのが、やっぱり勉強しに行くぞの気持ちで見に行ったデジタルアートのめちゃめちゃバキバキの今時の作品とかよりも、なんとなくで見に行っている写真だったり絵画展みたいな古典絵画みたいなものとかを見たりした経験の方が、
仕事、直接的ではないですけれども、仕事だったりとか自分の制作に影響を与えている気がします。
なるほど、それ面白いな。
綾瀬さんのアイデンティティ
僕、ここ半年ぐらいで割と自分でも意識してて、あ、なんかそうだなみたいな。どちらかというとアイデンティティとしてそういうもの。だからむしろこれは特殊能力というよりは、言われてみればそうなのかな。
逆にこの業界の人たちは、みんな見ているようなオラファーだったりチームラボのすごい奴とかっていうみんなが見ているものではないところで、やっぱりその個々の代わり種みたいなところ、個性みたいなところが出てくるってなるとやっぱりその僕の場合は、
いろんな写真見に行ったりだとか、そういう風景見に行ったりだとかっていうところが大きいのかなというふうにはちょっと思ってますね。
なるほどね。いいっすね。その話はすごくいろんな人に聞いててヒントになる話なんじゃないかなって思うけど、人によって何が良質なインプットになるかって人によって違うと思うけど、
そういう磨き上げ方というか、そういう風にして自然に磨かれていくっていうのは、より自然体な成長みたいな感じがあってすごくいいなって思いますけどね。
何でしょう。静かな場所が好きなんですよね、とにかく。静かな場所ってなると、やっぱりその自然と美術館みたいなところだったりとか、あとそのなんかめちゃめちゃ美術館行ってる人間ってほど美術館行ってるわけではないんですけれども、どちらかというとより行ってるのは古本屋さんとか。
本屋が昔からとにかく好きで、それはわりと父親だったり母親の影響が大きいんですけれども、何かしら休みがあるととりあえず本屋行くかっていう親父だったので、本屋でボケっと興味のないコーナーとか散策していて、そこでちょっと気になるなこの表紙みたいなので手に取った作品だったりだとか、雑誌とかも含めてですけど、雑誌とか漫画とかで
インプットっていうほどわけじゃないですけれども、感動したりするみたいな面白いじゃんと思ったりするみたいなのが多いですね。
これももし機会があれば聞いてみたいと思ってたんですけど、これはそのポッドキャストとかじゃなくて、結構どちらかというとブログとかに書かれていると思うんですけど、数学に突然目覚めてみたり、哲学に急に目覚めてみたりするじゃないですか。
そうですね。
そういう散漫なところって、もしかしたらそういう子供の時の体験から来てる部分もあったりするんですかね。
そうかもです。僕は好奇心旺盛なんですよね。
自分で言ってるとあれなんですけれども、ちょっと興味があったら必ずちゃんと知っておきたいなみたいなところがあって。
そのようになってから数学とか哲学とか建築とかめちゃめちゃ熱高く勉強していますね。
なんかそれは急に楽しくなっちゃうんですか。やり始めるっていうのは。
なんか日常的なふとしたきっかけがあるのかもしれないし、こうなんて言うんだろうな。
だんだん敷地を超えるまで、だんだん実は長い年月をかけて積もってきたものが急に欠壊してやる気になるのかもしれないし、その辺はちょっとわかんないですけど。
でもそれで言うと、その欠壊パターンですね。
欠壊パターンか。
よくあるのが、今の最初のクリエイティブコーディングでもそうだし、写真とかいろんなものを含めてやってるんですよって言うと、何がきっかけなんですかって言う必要もあるじゃないですか。
別に何かきっかけだったことって一度もなくて、どちらかというとその長い年月をかけてちょっとずつ自分の中で溜まっていったものがあるときパーンって開くみたいな感覚が大きくって。
むしろあれなんですよね。
何々さんが好きって言ってたんで僕も遊べましたみたいなのって。
例えば何だろう。
ドクサスさんの影響でWebGL、GLSLやってますって言ったときに、すごい自分の中の責任の半分をドクサスさんに押し付けてるような感覚があって。
それは別に悪いことではないです。
責任って言葉を使うのがあんまり正しくはないですけれども。
もっと言っちゃえば、例えば俺がそれでシェーダーアートでめちゃめちゃすごくなったときに、きっかけの半分はでも俺ドクサスさんに持ってかれちゃうのかみたいな。
そうじゃなくて僕の中でちょっとずつ地層みたいに重なっていったものみたいな、いろんな人の影響の結果、たまたまピョロって生えた目が今も数学に向いてたり今も哲学に向いてたりみたいな感じだったりするんで。
何か大きなきっかけみたいなものは。
それぞれの目が入る瞬間みたいなやつはもちろんあるんですけどね。
数学に目覚めたのは、2年くらい前に東高大の数学の教授、加藤先生っていうすごい有名な先生がいらっしゃると思うんですけど。
その先生がなんかニコニコ動画か何かで、ニコニコ動画じゃなかったかな。
Webのコンテンツで、この夏でガロア理論を完全理解しようみたいな講座をやられていて。
ガロア理論って、僕全然数学専門じゃなかったので知らないんですけれども。
ただガロア理論って言葉だけは知っていて。
それは何でかっていうと、中学生の頃に親父に勧められて読んだ、栄光なき天才たちっていう漫画があるんですよ。
栄光なき天才たちって漫画は、知ってる人、マニアの中では結構有名なんですけれども。
毎回毎回いろんな歴史上の偉人を取り上げるんだけれども。
いわゆる小田信長みたいに、教科書で太字になるような人は取り上げずに。
ちょっとその2番手3番手というか、歴史の限り隠れちゃった人をフューチャーするっていう漫画で。
ある時ガロアがピックアップされた回があって。
僕中学生の時に、なんだガロアって、数学者なんだって言って読んだんですけれども。
ガロアの人生があまりに衝撃的すぎて。
僕はガロア理論を当時中学生だったんで、勉強する気もなかったんですけれども。
でもガロアはすげえって思って、そのことだけ覚えてて。
25、6の時に加藤先生が授業をやるって言うんで、ちょっと見てみるかって言って。
講座を見始めた時に、いきなり軍論の話をし始めて。
軍論の基本的な準同型定理がどうのこうのでとかって言われた時に、やばいみたいな。
スタート時点でもう俺ついていけねえわってなっちゃって。
そこで僕の中でダメが決壊して、数学もっかいガチで勉強してみるかみたいな感じになって。
大学数学の参考書とかっていうのを、僕大学時代に数学だった友達とかに、
6、7年ぶりにFacebookでDMして、今数学勉強しようと思ってるんだけど、何かおすすめの本ありませんかとかって。
最初に大数学やるんだったら、まず集合論の勉強した方からした方がいいよとかって言われて。
集合論の本買ってとかっていう風な感じで、ちょっとずつ勉強していってみたいな感じでしたね。
なるほどね。
ちゃんと話が繋がってる感じがするのは、やっぱり普段からいろんなものを意識して取りに行くっていうよりは、
自然体でいろんなものに触れておいて、全部のゲージがちょっとずつ上がってってるんでしょうね。
知らず知らずのうちに。
綾瀬さんの興味の広さ
で、何かのきっかけで、そのたまりきったゲージの敷地を超えたところに、たまたま横からコツンって当たったときに、
ドバーってたぶん、たまってきたのがいくんでしょうね。
自分でもその瞬間が結構面白いんですよね。
あ、今俺この門開くんだみたいな感じとかがすごいよくって。
哲学も割と昔から父親とかの影響で、ニーチェの本とか一旦読んでみるかって言って読んで、
読み切ったわー、一文字も覚えてねーけど、みたいな感じの人生だったんですけど、
大人になって、ゆる言語学ラジオ、たぶんドクサスさんも聞かれてますよね。
ゆる言語学ラジオで、パーソナリティの堀本さんが、何かの回でビトゲンシュタインの話をしてたんですよ、哲学者の。
ビトゲンシュタインっていうのは、すごい言葉を大事にした哲学家で、
そういう話をしたときに、ビトゲンシュタインって名前かっけえなと思って、
その翌日ぐらいに本屋さんで、ビトゲンシュタインはじめの一歩みたいな本を見つけて、
そこで結界がバーって開いて、これだわと思って、これで勉強するしかないって言って、
ビトゲンシュタインはじめの一歩みたいな本を読み始めて、全然わからなくって、
もうちょっと初歩的なところから勉強しようって言って、
それも大学時代の哲学専攻だった友達とかにも連絡とって、
本とか勧めてもらって、勉強してみたいな感じですね。
いやー、いいね。なんか、すごい豊かな人生を送ってる感じがするわ。
自分でもしね、綾瀬さん自身が自分で、いやー豊かっすねーとかって突然言い出したら、
そりゃお前なんかおごりじゃないの?って思っちゃうかもしれないけども、
でも聞いてる側の感覚としては、なんかすごい豊かな生き方をしてる。
だから例えばなんか、ちょっと例えが適切かわかんないけど、
めちゃくちゃすげー忙しくて仕事しかしないで大人になって、
おじいちゃんになってって生きていく人生とは全然違う生き方してんなっていう感じがして、
すごいなんか、いいなーって単純に思ってしまったなー、なるほどね。
なんか、ちょっとわかる気もするんですよね。
非同期的にいろんなものが実は積み上がってるっていうのは、なんかわかる気がする。
多分私で言えば最近写真がすごい楽しいとかっていうのも、そういうものなのかなって思うんですよね。
結構初期のノーマライズFM聞いてみるとわかるんですけど、写真なんか1ミリも別に好きでも気になってもいないですよ。
2年前ぐらいとか。
当時、木平さんっていう方とかが結構写真、成形写真ですね。
空の星の写真を木平さんとかは結構本も出されてるぐらいの感じで、
プロではないんですけど、プロ並みのテクを知っているアマチュアみたいな感じの方がいるんですけど、
木平さんがもうカメラいいですよいいですよって、その当時ノーマライズFMのゲストに出たときにめっちゃカメラのこと言ってくれるんですけど、
俺全然興味なさそうにふーんって感じで聞いてて。
今はもうなんかどっぷり使っちゃってるから、
本当何がきっかけで何にハマるかわかんないなーって最近すごい自覚としてもあるんですけど、
でもなんかそれも、今のなんか彩人さんの話聞きながら考えてたんだけど、
別に写真に1ミリも興味なくても写真に興味を持つような素地は多分積み上がってきてたんだと思うんですよね。
何かしらの形で。
それをうまいこと消化できるのがたまたま今は写真だっただけで。
写真への関心
そうですよね。なんかその自分の中のアンテナみたいなものっていうと、
その積み重ねるっていうのも、
なんか多分どの人もみんな何かしら日々いろんな人とコミュニケーション取ったりしてるんで、
積み重なっていってるっていうところで、
そのピョロって生えてきた芽みたいなものをちゃんと見つけてあげて、
水あげて育てるみたいなところを、
なんかちょっとすごい意識高い表現をしてしまって、
恥ずかしくなってきちゃいましたけれども、
その独卒さんでいえば、
その写真とかカメラ、
写真を撮るということで今、
すげーめちゃめちゃ頑張られてるというか楽しんでらっしゃるのとか、
あれ、それで言うと、でもきっかけは何だったんですか?
その写真、そのこそやってみようみたいな。
それもなんとなくだったんですか?
いやまあね、私の場合はなんか、
どっかでちょいちょい喋ってるようなことではあるんですけど、
なんかその、朝早起きするようになって、
うんうん、そうですよね。
早起きするようになって、
早起きするはいいが、
めっちゃ朝早い、
例えば5時台とかから、
まあ目が覚めてるとはいえ、
そこでなんかこういきなり、
こうキーボードガチャガチャやったりするのは、
さすがにちょっと近所迷惑かなっていうのもあって、
用事がないときは散歩しようかなみたいな感じで、
朝歩くようになったんですよね。
で、歩いてると、
最初はなんか、
あーこんな朝から歩いちゃって、
俺、清々しい気持ちになっちゃって、
いいわーみたいな感じの時期も、
もちろんなくはなかったんですけど、
でもそれで実際1ヶ月ぐらい経つと、
まあ日常になっちゃうわけですよね。
その目新しい自分なりの体験が、
日常になってしまったときに、
なんかもうちょっと、
価値のある経験にしたほうがいいんじゃないかなと思って、
で、なんか写真とか撮ってみようかなって思ったんですよね。
で、あと結構俺コレクター中っていうか、
はいはいはい。
何でも集めるの好きなんですよ。
あ、そうなんですね。
で、そういう意味では、
写真撮ってるのって、
溜まってくじゃないですか、めちゃくちゃ。
はいはいはい。
なんか、
まあこれはちょっとね、
同じではないんだけど、
例えばWebGL総本山、
ずーっとやり続けてる、
で、もう2千何百回とか更新してて、
そうですよね。
すげー。
めっちゃ溜まってるんですよね。
コレクションなんですよ。
溜まってるのが嬉しいの。
たくさん実績が溜まってるのが。
だからなんか、写真も同じで、
1日も欠かさず撮ってるっていうのが楽しいんですよ。
うんうんうん。
継続してやり続けてる。
状態ですよね、だから。
そう、だからなんか、そういうものもあって、
こう、
まあWebGL総本山とかも、
ほとんど多分ね、
本当に忙しすぎて、
どうしても無理だったっていうのが、
1回、2回あるかもしれないけど、
更新忘れたこととかもないし、
全部ずーっと更新し続けてきてるんですけど、
なんかそれができるのは多分その、
コレクターの心理が働いていて、
とにかく実績を壊さないように。
だからよくGitHubの芝生を生やすとかっていうけど、
はいはいはい。
もう絶対緑に塗られてないと気が済まないわけ。
もうなんか更新されてないと気が済まない。
だからなんか写真も撮り始めたら、
ずーっと撮っちゃうのは、
そういうところから来てるし、
まあ撮り始めたのも、
なんかそういうなんか目に見えて、
溜まっていくものが欲しかったんだと思う、多分。
歩いてるだけだと、やっぱ何の実績も残らないし、
消えていっちゃう、流れていっちゃうから、
なんかこう自分がやってる感を感じられるものが欲しかったんじゃないかな、
今、今考えると。
いやーわかります。
なんか僕も割とその写真続けられてるところ、
その要素が大きくて、
それこそ1回か2回前ぐらいのノーマライズFMで、
ドクサスさんが言ってて、
俺もだわと思ったのが、
なんか、
多分これは僕とドクサスさんの、
その写真の撮り方に対するスタンスの共通部分が、
何かしらあるからだと思うんですけれども、
撮った写真をしばらくして振り返った時に、
この写真撮った時、俺こんな風だったな、
こんなこと考えてたなっていうのを思い出すんだよ、
みたいな話してたじゃないですか。
はいはい、しましたね。
僕も全くそれって、
僕が今写真続けられてるのもそれで、
僕がフィルム写真始めたのが4年ぐらい前で、
死んじゃった母方の祖父の塊で、
フィルム写真、それこそコレクターだったんで、
めちゃめちゃレトロカメラを収集してたおじいちゃんで、
その中の1個のカメラをもらって、
フィルムカメラか、
試しに1回ぐらい撮ってみるかで撮った写真、
36枚バーって撮って、
現像出して、
一緒に収監して、
そういえば現像終わったから、
受け取りに行くかって言って、
受け取った後に、
もらった写真を振り返ってる時に、
その時、その写真をどういう風に撮ったのかっていうのを、
全部自分が覚えてることに、
すごく変な感覚になったんですよね。
全部覚えてる俺これみたいな。
これは僕個人の問題なんですけど、
僕って本当に記憶力が悪くって、
中高の思い出とかもうほぼないんですよ。
それは嫌な思い出だったとかっていうよりは、
むしろ中高楽しかったなってことは覚えてるんだけど、
同窓会とか久々の友達とかで会って、
あの時ああだったよなとか、
こんなことあったよなみたいな思い出を知って、
僕一個も覚えてたことがなくて、
そういう僕は記憶力が弱い人間なんだなって生きてきて、
自分が今言った写真で、
これこういう風に思いながら撮ったわとか、
俺この時ブランキー・ジェットシティのあの曲聴きながら、
シャッター切ったわとか全部覚えてて、
その体験が、
その時は何でこんなことが起きてるんだろうっていうのを
思いながらでも、
それが不思議で、それが面白くって、
フィルム写真どんどん撮るようになったんですけれども、
なんかそうですね、
継続していってどんどんどんどん、
自分の記憶が溜まっていく感じの面白さというか、
どこか怖さみたいなところとか、
不思議さみたいなところとかは、
僕もすごい共感しますね。
いやわかる。
俺もだって、
本当に今でも多分最初期の頃の写真見たら思い出せる気がするもん。
多分。
それこそ何十万枚って撮ったけど、
多分思い出せる。
一番最初の頃の写真見ても。
そうなんですよね。
特に僕は趣味が散歩の人間なんで、
それはもう僕は大学時代からずっと、
深夜ずっとひたすら仙台の街中を徘徊することが、
一番人生楽しかったぐらいの人間だったんで、
すごくとにかく散歩が好きで、
今はそれこそカメラ趣味として始めてから、
めちゃめちゃ、
僕今横浜神奈川住んでるんですけども、
めちゃめちゃいろんな街を歩いていて、
同じ街でも違うルートで歩いたりとかっていうので、
写真だけを見返したら、
どこが何なのか思い出せなくなって、
当然なのにでも覚えてるんですよね。
ここあそこ曲がったところのああいうところだったなとか、
俺この日昼日高いで食ったなとか全部覚えてて、
何なんでしょうね、あの感覚は。
何なんすかね。
これが変なのが、
スマホの自分の写真見ててもあんまならないんですよ。
確かにね。
それこそこの写真何だとか、
こんな飲み会あったっけとかばっかりなのが、
自分が一人で撮ったフィルム写真とかの方に関しては、
すごく覚えていて、
その感覚はやっぱり、
僕とかドクサスさんが今写真に魅了されている、
その根幹に繋がりそうな、
手がかりになりそうなところだなって思うんですよね。
確かにね。
私は本当に集積させていくっていうか、
たくさん溜まってるのが気持ちいいって思っちゃうから、
実際はね、
保険で1枚切っとこうみたいなのも全部含めて何十万シャッターなんで、
実際はもっともっと意識としては少ないんですけど、
でもやっぱりなんか、
感じるのが先だからなのかなって思うけど、
感じてから撮るじゃないですか。
何も感じないのに撮ることはできないから、
それこそなんだろうな、
片手で持てるカメラ片手に持ってて、
歩きながら無作為に手振りながら、
無作為にバシバシバシバシランダムにシャッター切るとか、
そういう写真は別として、
それを狙ってね、
狙ってそういうことをやるってことは絶対ないとは言い切れないけども、
普通に写真を撮るっていうとやっぱり何かを感じて構えて撮るから、
感じるのが先だから覚えてるんじゃないかなって、
なんとなく思ってはいるんですけど。
いい話ですね。
僕が最近すごく好きなYouTuberの方がいて、
トモコスガさんっていう方。
YouTubeで言葉なき対話っていうチャンネルで、
写真の話をされている、写真家の方なんですけど、
この方のYouTubeチャンネルがめちゃめちゃ好きというか、
この人の考え方が割と、
僕が写真に魅了されていることを上手く言語化されてるなっていう人で、
その人もまさにドクサスさんが言ってたように、
トモさんが感じている、コスガさんが感じている写真の面白い写真、
面白いスナップ写真っていうのは、
表現の以前にシャッターがちゃんと切られているもの、
表現になりきっていないものっていうところに、
スナップ写真はやっぱ面白さがあるよねみたいなことをしきりに言っていて、
僕も感覚が先にある。
なんでこれを撮ったのか、別に分からなくてよいというか、
何か明確に、これがこうで、
あの人が今あそこに立っていて美しいから、
俺はシャッターを切るんだみたいなことは、
頭の中で考える前にパッて撮っているものっていうのは、
なんでこんなに自分の記憶の奥底にちゃんと残ってるんだなっていう、
人間神秘的なところを含めて僕はやっぱ面白さを感じてますね。
それは本当に不思議ですね。
たぶんノーマライズFMでその話をしてた時も、
私不思議だなって言ってたと思うけど、
本当に不思議な、自分でもなんで覚えているのか説明できないですもんね。
ただなんか、この日はこんな天気だったとか、
結構思い出せるというか、
どんな気分だったかが思い出せる感じがあるかな、私の印象では。
その周りの外的な環境っていうのもそうなんだけど、
自分の心理だったりとか気分が思い出せることが多い気がする。
それでいうと、気分を思い出せる的な感覚で言うと、
後で振り返って、いい写真だなとかって思うもの。
それこそ今日聞きたかったのが、
その非公開でというか、
写真集を作る開始
ご自身で撮った写真を月一ペースで写真集にされてるんですよね。
写真集っていうか、
多分彩人さんは名前知ってると思うんですけど、
フォトバッグっていうサービスがあって、
要はアルバムではなく、冊子にできるっていう、
写真集って言うとちょっとすごい低層が綺麗なものみたいなイメージがあるかもしれないですけど、
いわゆる冊子ですよね。
ちょっとした冊子にできるっていうサービスがあって、
それで月一回作ってるんですけど。
あれってつまり、その一ヶ月に撮った写真から
セレクトして何枚か選ぶわけじゃないですか。
それってどういう基準で選んでます?
感覚的なことだと思うんですけど。
直感的にいいな、みたいなものだったりするんですか?
なんかその、やり始めた当時、
フォトバッグ使って、
コレクター中のところの心理がうずいて、
またただ貯めてるだけじゃ物足りなくなって、
本にして貯めていきたくなっちゃったんですよ、多分最初は。
ただ、電子的なJPEGやRAWという電子的なファイルが
貯まっていく快感では物足りなくなっちゃって、
本というものが積み上がっていく快感を同時に得たくなったっていう感じだと思うんですけど、
最初は。
で、一番最初はやっぱり、やってみよう、やってみたい、
どんな感じなのかな?
やってみたらどんなこと思うんだろう?
それ見てみたらどんなこと感じるんだろう?
みたいな興味が結構先行していて、
だから、やり始めてるんだけど、
興味がそっちにあるから、
どうやっていいかがないんですよね。
自分の中にまだ正解がないから、
何をどう選んで、どういうふうに配置すればいいんだろう?
みたいなことはわかんないわけですよ、当たり前なんですけど。
だから、普段撮ってきた写真をPCに繋いで、
エクスプローラー見ながら、
これは消す、これは残すっていうのをやってるのと同じ感覚で、
それをもうちょっと厳選したみたいな感じの一冊ができるっていう感じだったんですよね、最初は。
はいはいはいはい。
写真の選び方のジレンマ
私はフィルムじゃなくてデジタルで入っちゃったんで、
無限に撮れるわけですよ、SDカードが許す限り。
だからすごいたくさん撮っちゃうから、
それこそ保険で2回押したとかだったら、
ちゃんとピントが狙ったとこに合ってる方だけ残して他は消しちゃうんで、
そういう作業をどんどんしていくんですけど、
本に入れる入れないの判断はそれをもうちょっと厳しくやるんですよね。
これはすごい見てていいなって感じる、
こっちはそうでもないなとかっていう感じで
測りにかけて選んでいくっていうのを最初はやってましたね。
最近は続けてきた成果はだんだんちょっと変わってきて、
ただ良い悪いって選んでないですね、最近は。
良い悪いっていうのは自分から見てこの写真はうまく撮れた、
あるいは自分が狙った通りに撮れたみたいな意味の良い。
賞がもらえるような良い写真とかの良いではなくて、
写真の意味の追求
自分がちゃんと思った通りに撮れたっていう良い悪いで分けていくんですけど、
最近はでもあんまりその良し悪し、自分の中の良し悪しでは見てなくて、
ちゃんと意味がある状態にしたいっていう要求がありますね、最近は。
意味がある状態にしたい、なるほど。
見た時にそれを読み取れる人がいるかいないかはどうでもいいんですけど、
自分の中でちゃんとこういう風に写真が並んでいることにこういう意味があるっていうのが
自分の中にある状態にしたい、すごく。
なるほど。
最初はそれがやっぱりできないんですよ。
一枚一枚で見てるから、この写真は良く撮れた、この写真は良く撮れてない。
良く撮れたものだけがたくさんごちゃって残るんですけど、
それって良く撮れた写真の集合体以上のものではなくて、
ストーリーもなければ背景もないんですよね。
でも今はそのごちゃ混ぜただどんっていう風に、
ではないものが作れないかなって今は思ってやってる?
はいはい、なんとなく分かりました。
僕も独卒さんみたいに手に残る形ではなくて、
毎月撮った写真っていうのを月一でブログに載せるっていうのを
それもだから4年ぐらいやっているんですけど、
その選定作業をずっとやっていく中で、
僕も同じように脳内トーナメント戦みたいなのが行われて、
その体操も面白いんですけれども、この順番にこの写真を選ぼうみたいなことをずっとやってて、
思ったのが、精神的に辛いなって思ってる写真の方が、
1ヶ月後を振り返った時に決勝トーナメント勝ち上がるんですよね。
それも自分の中で不思議で、
やっぱり撮った時の感情というか雰囲気を覚えているから、
この時結構仕事とか奥さんとちょっと揉めた後だったよなとか、
そういうことを振り返った時に、
ポジティブかネガティブかで言うとネガティブな感情を多く含んでいる時に
切ったシャッターの写真の方が、
だから感情の振れ幅が大きかったからなのかもちょっとあるのかもしれないですけれども、
最近はそういうことが多くて、
最初にも話した、自己セラピー的な側面で自分の写真を振り返っているから、
なおのことそういう写真を選びがちなのかもしれないんですけれども、
それもそれでちょっと面白いなと僕の中で思っていて、
言っちゃうと元気で調子が良くて、
友達とも周りとも円盤の時って、
そもそも俺多分写真撮りいかねえなみたいな。
何かちょっと別にうわーとかって言うことじゃないけれども、
写真の選定作業
ふーんみたいな奥歯になんか詰まってるなーぐらいの時に、
散歩で撮った写真の方が、
あーなんかいいねみたいな。
この写真はちょっとちゃんと残しておこうっていう気持ちになるみたいな現象がちょいちょい僕の中で今あって。
なんかわかる気がします。
なんか俺すごいやっぱりなんか、
雨とかあんま好きじゃない。
傘ささなきゃいけないってことは両手でカメラ構えられないから、
雨とかすごい嫌なんですけど、
でも雨の日に結構撮った写真は好きなんですけど、
撮った写真は好きなんだよな。
確かにドクサスはそういうテイストのやつありますもんね。
そう、なんかすげえ寂しい感じなんだけど、
それがいいとかやっぱあるんですよね。
で結構俺朝早い時間に外出てるから、
本当暗い、暗いっすよめちゃくちゃ。
どう撮っても暗くなっちゃうのね。
日が差してないから。
ほぼ夜だからどうやって撮っても暗くなっちゃう。
でその夜の街と違うのは朝の街って電気もついてないのよ。
確かに確かに。
だから本当に暗いのね。
で街灯一個ポツンみたいな感じの、
東京でもそのビルとかアパートとかバーって光が、
どこの家にも光がついててみたいなのじゃないんですよ朝って。
そっかそっかそっか言われてるよ。
街灯とか信号だけが灯ってるんですよ誰もいないところで。
でそれを撮っちゃうのがまたこうなんか、
後で見返した時になんかその安寧な感じっていうか。
はいはいはいはい。
なんかそれはそれで味があるっていうか、
こいつらなんか人間寝てんのにこいつら仕事してんだなみたいな風に思ったりしちゃうんですよ。
なんかでもその感覚、
だからドクサスさんってその自然に対するリスペクトをすごく写真から感じる時があるんですよね。
そうですね。
なんか植物、多分ドクサスさんが撮る植物の写真俺すごい好きで、
なんだろうその植物の綺麗なところを撮ろうというよりは、
あーこいつらもなんか頑張って生きてるっぽいぞみたいなものを収めようとしている感じがすごい好きなんですよね。
なんかね、やっぱりその、まず前提としてね、
人間たくさんいるとこ撮っても面白くないですよ、前提として。
はいはいはい。
例えば昼間の繁華街とか渋谷とか行って、
人がわさーいるところをなんか手前、前ボケ入れた感じにしてなんかこう撮ったりとか、
いやそらね、写真作品としてそういうものがある、
そういうものの良さがあることは私はわかるけども、
私はそれを撮りたいわけではないんですよねっていうのはあるじゃないですか、やっぱり。
はいはいはいはい。
で、中にはその葉っぱとか撮ってるよりも人間撮ってる方が楽しい人がいるはずだし、
それは別になんか個人の好き嫌いな話だと思うし、
例えばなんかそれが作家さんなんだとしたら自分がどういうふうに社会に評価されたいかってことを考えて、
人を撮ってる人もいれば自然を撮ってる人もいるってことだと思うんですけど、
なんか俺の場合はなんか人間そもそも別に撮りたくないっていうか、
わかるわー。
他人に興味は別にないですよ。
ただ、なんかこう人間が写っててストーリーができて写真として面白いっていうのはもちろんあるから、
なんかとっさにね、例えばだけどなんだろうな、
なんか小学生がめっちゃ元気に走ってるとかだったらやっぱなんか思わずそのエネルギーに引っ張られて撮りたくなる、瞬間的には。
それで実際いい写真が撮れたりすることもあるのかもしれないけども、
だからなんか人間撮ることを否定はしないんだけど、
それを別に狙って撮ることってあんまり心理的に撮りたいなっていうふうになることってあんまなくて、
でもなんか朝のその真っ暗な道とか歩いてると、
植え込みなんてそこら中にあるんですよ。
多分みんなが思ってるよりそこら中にあるんですよ、本当に。
なんなら途切れることなくどこにでもあるんですよ、植え込みって。
わかるわー。
撮影と感情
どこにでもあんの。
みんなの中で東京の街に植え込みなんかないでしょって思うかもしれないけど、
途切れることなく絶対視界のどこかには植え込みあるから。
その植え込みをじっと見てみると、
あーなんかゴミ捨ててあんなーとか、
あーここだけ枝折れて枯れてんなーとか、
他の葉っぱ青々としてるけどここだけ誰か引っ掛けちゃったんだよな、
枝折れちゃったからこの折れた枝の先の葉っぱだけが茶色くなってるなーとか思うわけよ。
いやすげーわかります。
でそれを思うのは0.1秒ぐらいでバンって頭の中をその思いが駆け巡ってるんですよね。
いちいち言葉にしないけど、
誰かぶつかってこの枝折れたんだな、この枝折れちゃったからここから先だけ枯れて、
葉っぱ茶色くなってんなーが0.1秒ぐらいでピューンって通り過ぎていって、
言語化するよりも先にカメラが動いて撮りに行ってるんですよ、手が動いて。
でそれがいっぱい溜まっていって、
でその中からなんかその日の一番心を動かされたやつが、
その構図がいいとか露出が合ってるとかそういうことではなくて、
一番心を動かされたやつが一枚選ばれてインスタのとこに入っていくみたいな。
そんな感じなんですよね、俺の写真の撮り方って。
いやわかります。
なんかやっぱこういうドクターさんとか僕みたいなスタンスで写真撮ってる人がどれだけ世の中いるかわかんないんですけども、
とにかくそういう生活というか普段これまで見ていたものの解像度っていう、
解像度って言うとちょっとバズワード感があるんですけど、
なんかこんなに世の中っていろんなものがいろんな風にあるんだっていうことに驚きますよね。
いや驚く、本当に。
わかるわ、さっきの埋め込みの話めっちゃわかるわ。
写真始めて本当に思ったし、
あと多分これは別に俺とか彩人さんみたいな人以外の写真家もそうだと思いますけど、
もう太陽の光差してるだけで大変なことになるんですよね。
いやわかる。太陽本当にわかるわ。
今まで一度も考えたことなかった。
ポエマーになっちゃいますもんね。
今日太陽綺麗だなみたいな。
この影美しいなとか思ってる自分がなんか、
ちょっと5年前の俺に絶対見せられない姿だなとか思いながら、
でも自然というものに対して僕もめちゃめちゃ改造度が上がったって感じがしますね。
本当にだから例えば太陽光差してたらなんで、
割と写真やる人のほぼみんなが感じてると思うんですよ。
太陽の光きたら世界が変わるなっていうのは多分みんなが感じていて、
それを作品にしている人もそうじゃない人もいると思うんですけど、
やっぱ太陽の光が差してくることによってコントラストが上がるっていうか、
情報量が増えてるんですよね、多分世界の。
明るい場所、暗い場所、光ってる場所、影になってる場所っていうふうに情報量が増えてる。
真っ暗な中歩いてるとやっぱり電灯とか何かないと、街灯とかがあってくれないと、
そういう状況が生まれないんで、撮れないときは本当に撮れないんですよ、何にもないときって。
ただでさえ暗いし。でも太陽の光が差してくると世界が急に動き出すんですよね。
急に世界が動き出す。
コントラストっていうのも、写真の世界の単純に白黒のコントラストというよりは、
それこそ明け方とか夜とかの目に映るもの全部が同じ情報量になっちゃうんですよね。
同じ量の光しかけて。
太陽の光みたいなわかりやすいものが当たるだけで、主人公感というか、
ここに火の光が当たっていて、ここが影になっていてっていう、さっき言った情報量が増えるっていう感覚。
その情報量も太陽の位置、つまり時間が変わることによってちょっとずつ変わっていく。
だから今この瞬間にしかこれはないっていうものに対する感謝みたいなところとか、
そういう面白さはやっぱり大きいですよね。
だから僕が今日もう一個話したかったのが、
僕がノーマルズFMで一番好きな橋本博さんと独立さんの回で、
写真の加工の話をされてたじゃないですか。
要はレタッチの話。
あれもすごい両者考え方が違っていて面白かったんですけれども、
根本的に橋本博さん、写真撮られるイメージあんまりないんですけれども、
だからああいうふうにレタッチというのも一個の写真表現としてありますよねみたいな議論と、
独立さんがカードにレタッチされているものに対してちょっと違和感を覚えるんですよねって話は、
やっぱ写真を我々、我々ってちょっとクッチャーの大げさですけど、
独立さんとか僕は何かを発見した喜びを残すものとして写真という装置があるのに対して、
そういうレタッチとかをするっていうのは良い悪いではもちろんなくて、
写真を撮るっていうことを起点に、ここからクリエーションが始まるっていう考え方なんですよね。
それって同じカメラ、同じ機材を使っていても、まるで違うスポーツだなって僕は思っていて。
なんで僕もすごく激しくレタッチされていたものだったり、
あとクロップされている、トリミングされているものとかっていうのは、
撮った人がいいんだったらもちろん全然いいし、いいんだけれども、
俺は美味しく食べないかな、それはみたいな気持ちはちょっとあるっていうのが。
それは別にそういう写真を全然否定するつもりはなくて、むしろそういう写真も含めて好きで、
今言っているのはラーメン大好きだけれども、俺は味噌ラーメンより醤油ラーメンが好きだぐらいの差でしかなくて、
全然気分によったら味噌ラーメンを食べるんだけれども、
バズりに前振りするレタッチの嫌悪感
その意味で、我々が撮っているのはジャーナリズムで撮っている写真とかではないので、
今ここにあるものに対する表現の手前にあった発見みたいなものを、
なんとか手に収めるみたいな面白さ。
そういう一種スポーツ的なところも含めてっていうところが結構違うところだったんじゃないのかなと思ったりしましたね。
バクさんと喋ったときは、収録した当時の私の感覚的には、言っていることごもっともですねとも思ったし、
バクさんが言っていることはごもっともだなと思ったし、
バズりに前振りしているレタッチをその人がしているかどうかなんてわからないじゃないですかっていうふうには、
当時私は別にあんまりそういうふうに考えたことなかったから、
確かになーってすごい聞いてて思ったし、
確かにバズりに前振りした結果、それが出てるかどうかは本人にしかわかんないなとは思いつつも、
やっぱりなんかこう、これは多分バズりに前振りしてるなっていうのはやっぱり嫌いになっちゃうというか思ったりはしちゃうんだけども、
ただその時バクさんも言ってたけど、なんかそういうことをする人が別に嫌いとかっていうこととか、
その人がいなくなってほしいとかっていうことではなくて、
そういう表現が別にあってもいいんだけども、
我々がやりたいのはそういうことじゃないよねみたいなことはどうしても思ってしまう気はするし、
さっきはラーメンに例えてくれましたけど、
例えばプログラミングって言ったってプログラミングにもいろいろあるじゃんっていうのと一緒で、
ITの仕事って言ったってインフラの人もいればバックエンドの人もいればみたいな感じでいろんなのがあるのと一緒で、
そのIT屋として一括にされちゃうといや全然違うんですけどみたいなのがどんな業界にもあると思うし、
写真もやっぱりそれと一緒で、
何がどうなっているのが写真の定義なんだいみたいな話はやっぱり話がどうしても壮大になっちゃうし、
散漫になっちゃうから、
自分たちはこういうものをやっていきたいっていうことだけがちゃんと自分でわかってればいいのかなって今は思うんですけど、
そうですね、
そうですね、ちょっとこの話やめますか。
いやでもそう、やっぱね、俺は嫌い。やっぱバズりに全員フリしてるトーンは好きじゃない。
その人がやっぱり見えてこない、だからそう、写真というメディアに対してそれのスタンスもったいないなみたいなのは、
余計なおせっかいかもしれないけどちょっと思っちゃうというか、
やっぱTwitterはインスタでも何でもいいんですけれども、マイクかXとかインスタとか見てても、
この人同じように我々とか独卒さんみたいな感じで写真と向き合ってるなって人とそうじゃない人って、
なんか本当に1,2枚見ればわかっちゃうというか、
いやわかるわかる、わかります。
それはわかる気がする。だからなんか、
なんつったらいいかな、
なんかこう、とりあえず初心者がまずやってみることしかやってないとかがなんかやっぱ気に入らないっていうか、
なんかとりあえずサイドを上げてみました、バキバキにサイドを上げてみましたみたいな感じの写真とかを、
初心者がやってしまうのは全然いいっていうか、私もなんなら最初の頃、
そのフォトスタイル的なやつとかにやっぱサイドのパラメーターをちょっと上げ気味にして、
いや空の色がめっちゃ青く写るの気持ちいいなみたいな感じで撮ってたこともあるし、
それはすごいわかるんだけども、
なんか全然進歩しない変わんない人っていて、
多分これがだからずっといいと思ってこの人は撮ってるんだろうなって思っちゃうんですけど、
なんかそれはその人がそういうことをしててもいいんだけど、
やっぱ俺はまあなんかやっぱ好きくねえなと思って見えない形にしちゃう。
写真の定義と写真表現の多様性
そうっすね、なんか、
やっぱその、だからさっき言った発見じゃなくて想像とかその制作として、
表現として写真の話を見ちゃうとやっぱり、
なんだかな、みたいな気持ちは僕も。
多分なんか、写真をどういうふうに捉えてるかの違いなのかもしれないですよね。
そうですね。
なんかそのいわゆる昔ながらのストレートな、
撮ったものを撮ったままなるべく見せたいみたいな、
そのストレートな写真の傾向が強い人はやっぱりレタッチなんなんって思う人いっぱい多いと思うし、
でも現代的な写真ってやっぱりレタッチも全然写真の範疇に俺は入ると思うから、
否定しようとは思わないけど、
例えばなんか、
これもねちょっと特定の誰かに対して言うわけじゃないし、
そういう界隈を否定したいわけじゃないんだけど、
例えば、
いや雷火の写りいいんですよねみたいなの、
本当に俺、目隠しして、目隠ししてハッセルブラッドで撮らせたら、
ハッセルブラッドいいんですよねの代わりに雷火いいんですよねってその人言うんだろうなっていうのが本当に嫌い。
分かりゃしねえだろって思うし、本当に分かるんだったら、分かる人いるかもしれない確かに。
でもたぶんあなたは違いますよって俺は思う。
でもその話で言うと、僕は機材の話ばっかりしてる人って、
写真界隈ではあんまり近寄らんとこって思っちゃいました。
そういう人、特にYouTuberにそういう人多いけど、
それは別にそういう商売だし、そういうキャラクターだからいいと思うし、
いいんですけど、
やれ誰が雷火の何それが出て買った、やっぱり売った理由はこういう理由で売っちゃいましたみたいなのを番組としてこうやってるわけだから、
そりゃいいんだけども、そりゃいいんだけど、
いやこいつ絶対目つぶって撮らせたら分かんないんだろうなってやっぱ思ってしまうし、
実際は分かるのかもしれないんだけどね、思ってしまうし。
そうですね、写真の話熱いですね。
難しいですよ。誰かを傷つけたくはないし、嫌いだ嫌いだって言ってもしょうがないんですけど、
やっぱ写真は自分がすごく真摯に取り組んでるつもりだからこそ熱くなってしまうというか。
それの写真に関してもう一個、どうしてもドクサスさんと触れておきたかったのが、
でも我々こうやってどちらかというとそのピュアな写真表現的なことを工場のっけて熱く語ってますけれども、
でもドクサスさんってUVめっちゃ引き伸ばしたりしてるじゃないですか。
はいはい、してますね。
あれはどういうモチベーションというか動機というかなんですか。
あれは、さっきちょっと話したように結構私の中で写真ってずっと記録的なニュアンスが強かったし、
思い出の延長線上にあるものというか、
溜めていって後で見返して、なんか楽しいだったり嬉しいっていうものだったんですけど、
なんかずっとこう、アーティストとかクリエイターっていう人たちに対する憧れみたいなのがあって、
多分コンプレックスにどっちかっていうと近いものだと思うんですよ。
自分はできないってやっぱり思ってしまっているし、
本当はやりたい気持ちをどこかで嘘をついてできないふりをしているみたいな気持ちがずっとあるし、
写真はそれを取っ払っても大丈夫なんじゃないって途中からだんだん思えてきたんですよね。
その写真に対してだけは、自分が創作、制作、もしくは創造とかアートとかクリエイトっていう文脈で写真と向き合うことってできるんじゃないかなって思った部分があって、
でもそれってもう写真の文化を考えたときに、何十年も前に一通りみんなやられてしまっているというか、
大抵の写真表現ってもうやり尽くされてるし、
そうですね、いろいろありますもんね。
一方で現代写真とか現代アートっていうものを見たときに、そんな窮屈なものじゃないよねってやっぱり見てて感じるというか、
もっともっといろんな不思議な表現だったりしている人ってたくさんいて、そこにカオスな感じが広がってるんですよ、不思議な世界が。
UVのびのびマシンでの表現の模索
自分もそういうこと写真でできるのかもなって考えたし、できたらいいなってずっと思って、
そのコンプレックスに対してそのコンプレックスを乗り越えたいっていうこの欲求があって、
じゃあ自分がアーティストとして写真という文脈で評価されるために散々やり尽くされてきたもので勝負するのか、
自分にしかできないことで勝負するのかっていうのを考えたときに、
なんかその欲張りな気持ちとしてはオーセンティックなストレートな写真で評価されたい欲求っていうのはあるんですよ、やっぱり。
ちゃんといい写真撮って、いい写真として写真家として評価されたいっていう、そういう欲張りな気持ちはあるけど、
でもそれってたぶん1日2日でできるようなことじゃなくって、何十年もかけて積み上げていって初めて成し遂げられることなんじゃないかなって思うし、
でも今自分が持っているスキルとすぐに合わせられるのってやっぱWebGLとかGLSLと写真を組み合わせることだし、
それがたぶんできるのって世界中探してもそんなにいねえだろうって思ったんですよね。
確かに、はいはいはい。
だからもう堅苦しくストレートな写真でどうこう、それはそれとして追求はしていきたいんですよ。
好きだし、楽しいし、記録的な側面ももちろんあるし、いつかどこかでストレートな写真でちゃんと評価される未来も選択肢から消してしまいたくない。
だからずっとそれは続けていきたいんだけども、でも今すぐに何かやり始めるとしたらこういうことかなっていうのをいろいろ考えた結果がUVのびのびマシンを作るっていうことだったんですけど。
なるほど、そういうあれだったんですね。だから別、さっきのあれとはまた別の人格というか、もう一個のその表現者としてその写真という、自分が撮った写真というものを一個の材料として、
マテリアルとして自分らしい表現ってできないだろうかっていう部分の模索があるわけなんですね。
そうですね、だから普通にシャッター切ったままその場で出来上がるいい写真も追求はしていきたいけど、でもそれで結果が出る出ないの可能性とか、結果が出るまでいつまでかかるの可能性とか考えると、
さすがにこの継続得意なおじさんとはいえ、ちょっとだいぶ先を見せなきゃいけなくなっちゃうから、だったらちょっともう少し自分らしいことで、即興ですぐ評価されたいとかってことではないんだけど、もっと自分らしいことでやったほうが人目につきやすいんじゃないかなとも思うし、
だからちょっと打算的な部分もあるかもしれないですね。言ってみてもらえなかったら評価もクソもないわけじゃないですか。だからなんか自分なりの表現とかで人と違うことやって、面白い何かが生まれたらいいなと思ったのがあれをやり始めたきっかけかもしれないですね。
僕も似たようなことを去年あたりに熱中していた時期があって、今ドクターさんがそういうことをやられてたんで、その辺リンクするというか、どういうきっかけだったのだっていうのが。
僕もUVのみのみマシンみたいなことを去年一昨年ちょっとだけ自分でやって、それこそ去年プロセッシングコミュニティデイっていうプロセッシングのユーザーの人が集まって展示する企画とかに出させてもらった時は、僕も自分が撮ったフィルム写真をP5JSでめちゃくちゃいじって遊ぶみたいなことをやって、
その時、見に来てくれたお客さんとかに、どういうモチベーションでこういうことをやられてるんですかみたいな、他の人は色々かっこいいグラフィック作ってる中で、僕のは普通の写真だけど近寄ってよく見るとピクセルがぐちゃぐちゃになっているなみたいな、グリッチかかってるなみたいなやつを展示してたんで、
お客さんからどういうあれなんですかっていうリアクションが送って、当時僕なんかあんまりうまく答えられなかったんですけど、自分の撮った写真っていうものって、俺はどこに魅力を感じてるんだろうかっていうことが、当時不思議で、俺撮るという行為が好きなのか撮った写真が好きなのかがわからなくて、
一旦撮った写真をめちゃめちゃにしてみた、つまりそこに自分の手を加えて創作にしてみた、発見ではなく創作にしてみた時に、それでもその写真ってまだ俺の好きな範疇の中にいるんだろうかっていうことを、自分の中の実験としてやってみたんですよね。
結果的にそれがいじろいじったものが好きなものでしたかって言われると、意外にも好きなものだったんですよ。僕の中ではぐちゃぐちゃになっちゃってダメでしたみたいなぐらいの気持ちでいったものが、意外と手を加えてみても、写真が発見で終わらない、その先があるんだっていうことがわかっただけでも、
写真の表現の幅を実感
ドクサスさんが意識的に表現のトライとしてやってみたことっていうところ、スタート時点に僕は去年の夏やっと立てたというか、そっかみたいな、写真ってまだまだこの後、撮った後にもいろんな可能性があるんだみたいな、いろんな表現の幅があるんだって、当たり前のことじゃ当たり前なんですけれども、
単純にそのレタッチでただルックを、それっぽくみんながおーってなるようなものに、それ以外の可能性があるということにすごい気づけた、いいタイミングだったんですよね、去年は。
なので、ドクサスさんの最近の活動は写真も好きだし、そういういろいろモディファイするみたいな表現のあれもすごい応援してます、ファンとして。
やっぱりなんていうんですか、始めたからにはなんかちょっと一個ぐらいそういうの、人に認められたっていう結果を残しておいたほうが気持ち的に安心できるっていうか、
例えばですよ、ノーマライズFMでやるかはわかんないですけど、例えば自分がめっちゃ好きな写真作家さんいます。
写真店とか見に行ったりもしてます。運良く出会えたとします、本人と。その場で息統合したとします。
ノーマライズFM出てくれませんか?とかっていうふうに言うためには、こっちも何者かである必要があるんですよ、絶対に。
どこかの誰か知らないおっちゃんっていうラベルしかない状態で、ポッドキャスト出てくれませんか?は言えないんですよね。
だから、俺はどこそこの何それでこういうこととかやって、一応展示とかもやらせてもらってるんですっていうことぐらいは言えないと、相手も運は勝ったって言いにくいと思うんですよね。
例えば、俺が逆に街歩いてて、「あ、ドクサスさんじゃないですか?」って言われて、話しかけられて、
いつもWebGLの記事見てます!うわ、ファンです!とかノーマライズFM聞いてます!って言われて、
いやちょっと俺めっちゃファンなんで行きましょうよ!っていきなり肩組まれても、いや待て待て待てって。
お前は何なんだっていう話になるじゃないですか。
だから写真展来てくれたお客さんのレベルだったら、写真家さんの展示に熱意のあるファンが来て、
ファンです!までは許されるけど、ポッドキャスト出てくれませんか?とか、
ちょっと今度、面白かったらご飯とか行きませんか?とかっていう一歩踏み込むためには、俺が何者かになってなきゃいけないって思ってるんですね。
なるほど、ほうほうほうほう。
だから、なんか自分の他の人ができない自分なりの何かで、一回拍をつけたいんですよ、どうしても。そういう欲求が強い。
自身の表現に取り組む姿勢と肩書きの重要性
なるほど、はいはいはいはい。
で、そういう風にできないとしたら、できない人生も全然あり得るから、できないとしたら、自分の今回の人生ではそれはできない人生だったけども、
でも、それに向かって頑張ることをやめたくはないですよ。
めっちゃいい話ですね。
最近だと、カリブ太郎さんっていう写真家さんがいて、写真撮るとかっていう単純なストレートな写真ではなくて、
一番最近の作品とかだとAIとかも使って、ブラウン管テレビに。
あー、すごいブラウン管テレビ撮ってた人ですね。
めっちゃグリッチかけて。
ブラウン管テレビの刺さってる端子をグリグリしたりしてグリッチをかけて、
それを写真に撮って、グリッチだらけの画面を撮った写真をたくさん撮って、それをさらにフォトショップのAIに食わして、
これって風景写真ですよって偽って食わして食わして、
そうすると、そのグリッチかかった風景写真を学習したフォトショップが、自分で今度は勝手に作り出すんですよ、風景を。
それを写真作品ですって言って展示したり本にしたりされてる方で、
その本にグリッチのかかった風景が出てんすよ。
その隣のページに、この写真は誰それ、馬を撮ったものであるとかつって解説されてる文章が書いてあるんですね。
最初俺その文章を、
カリベさんがグリッチかかった画からAIが出してきたやつを見て、カリベさんがそういう画として捉えましたよって話が書いてあるのかと思ったんですけど、
その説明文、そのグリッチしてAIが出してきた画を別のテキスト生成AIに食わして説明させた文章が書いてあるんですよ。
だから何一つももうAIだけが作った世界なんですけど、
でもカリベさんはそのパラメータ調整という形で一緒にその作品を作ってるんですよ、AIと一緒に。
ただ食わせて学習させてきた結果が出てきて終わりではなくて、パラメータを少し動かしたりすることで、
自分なりのやっぱりそこは手作業の部分も含まれていて、じゃあこれは写真なんですか写真じゃないんですかって考えるともうそれって写真以外のものではないんですよ。
私から見ると。
なるほど。
カリベさんとかがもうそういうことをやってる人がいる中で、
カリベさんめっちゃ話してみて、めっちゃノーマライズエフェクト呼びてって思っても、
WebGLの第一人者ですみたいなことを言ったところでさ。
確かにカリベさんには通じないですよね。
内側と外側のバランス感覚
誰なんだよって話じゃないですか。
だけどなんかどこそこの超有名な写真ショーでなくても、年一ぐらいで開催されているような日本の写真ショーとかで、
一応こういうショーとかもらったこともあるんですよ。
カリベさんのすごいファンなんですみたいな切り口だったらギリギリ、
そっかじゃあ別にいいですよぐらいの感じに言ってもらえるぐらいの肩書きが欲しい。
なるほど。
自分がやっぱり接したい人と接することができない。
それは突撃してもカリベさんは答えてくれるのかもしれないけど、
俺だったら嫌だなって思うことをやっぱり突きつけたくはないから。
面白いですね。
だからショーを狙ったりだとか外部に発信していくっていうのが、
ちゃんと目的として社会とつながるため、
好きな人だったりだとかそういうものとつながるためっていう視点で、
外に発信していくっていう発想がちょっと僕思ってなかったので、
すげーすげーっすね。
去年とかも写真のショーとか海外の写真のコンペとかに出してて、
まさか撮れる仮作とはいえ何かもらえるとは思ってなかったんですよ。
それこそ初めて半年ぐらいの頃だから、
何も本当に知らない状態で適当に撮ってるだけだから、
ただなんとなく自分の中でのいいっていうものをチョイスして送っただけだったし、
仮作も撮れるとは思ってなかったんですけど、
一応仮作いただけて、それも後押しになったというか、
自分でできないって思ってるだけなんだなってその時も思ったんですよ。
俺なんかカリベさんと接ってモテるわけねえって、
思うことは勝手だけども、それ思った瞬間終わっちゃうよ全てがっていう風に思ったんですよね、
その仮作をいただいた時も。
なんで俺が写真書を撮って、
ちゃんとした肩書き持ってカリベさんにインタビューできる未来ないって、
自分が決めちゃうんだって思っちゃうんですよ、どうしても。
だからなんか自分なりの表現で肩書き欲しいというか、
何かを成したいってすごく感じる。
なんかちょっとまた僕の話になっちゃうんですけど、
最近悩んでるっていうか思っていることがあって、
何かしらこういう創作活動をめいたものをちまちまと続けていってて、
僕は何度も話しているように、そういう活動は全部自己セラピーというか、
自分を強くするためにやってきたことになってるんです、今現在。
僕は何かわりと自覚としてそれがすごく実っている自負があって、
僕も何か多少のことでは折れない心臓になってきたというか、
それはなんかでもドクサスさんが言ってたように、めちゃめちゃ積み上げることによって、
人間ってある程度何かずっとやってると、
何かその幹って育つ気がしてるんですよね。
つまり別にお前がいなくたって俺これあるし、みたいなもの。
別にそれが何かそんなつっけんどんなものでもなくていいんですけれども、
外部にコントロールされないように、
自分のテリトリーを持っているだけで、やっぱりその人って強いし、
その分だけ魅力的になるなって僕は思っていて、
現に僕は何かそういうふうに自分を育ててきた自負がここ4,5年あるんですけれども、
僕が今勤めている新刊のセンスっていうチームの代表をやっている松山周平っていう、
彼はアーティストでもあるんですけれども、
その会社のアーティストで、
代表というか部長でもありながら、
外でいろいろメディアートの活動とかされてるんですけど、
やっぱその松山さんとかと話してて思うのが、
なんか恥ずかしいんですけれども、やっぱ本物感があるんですよ。
はいはい。
で、もっと思うのが、松山さんは普段はホゲーっとしてる人なんで、
別にそんなオーラバリバリ男ではないんですけれども、
やっぱあの人が、
その松山さんの紹介で、
なんかもっとすごい人だったり、
もっと名前聞いたことあるアーティストの方とかっていうのと、
ちょっとコミュニケーション取ったりすると、
なんかやっぱり一個上の、
資座というか、
物の見え方というか、
喋っている時の、
説得力、安心感みたいなものがあるなと思っていて、
おそらくこういう資座に、
まあだから視点、
こういう視点で、
立ってるっていう、
なんだろうな、そこに行くんであれば、
なんか自分のこういう、
内側に向けたクリエイションじゃなくって、
外部に向けて、
外部と繋がるために、
アクションを起こしていかなきゃ、
いけないんじゃないかっていうことに、
えっと去年の12月、
僕30歳になったんですけれども、
30歳になってから思い始めて、
そう。
で、そういうのを、
ちょっとこの間、
松山さんと飯食った時に、
こんなようなことをぼんやり最近思ってるんですよ、
みたいな、
松山さん褒めるみたいで、
ちょっと気分悪いんですけど、
とかって、
冗談で言ってたんですけれども、
松山さん笑って聞いてたんですけれども、
その悩みっていうのは、
すごくいい悩みだと思う、
みたいな話をしていて、
それは別に01である必要もないと、
別にじゃあ今日から、
その内向きにやっていたものを、
すべて外に向けて、
その内向きに、
何かいろんなコンペ出したりだとか、
外部の人に見てもらうために、
積極的になるのが、
をずっとフルスロットでやる必要もないし、
それはバランス感覚の問題だよ、
っていうところもあると。
でも確かに、
ある一定の壁を突破したところにある、
人同士のコミュニケーションの種類というのはあると。
それは、
そこに達していない人が聞いていても、
なんかぼんやり聞けちゃうけれども、
僕がすごく思ったのが、
たまに松山さんが同席していない場で、
僕がそういうプロフェッショナルな方とかと喋っていると、
何か上手く喋れてないな、みたいな。
何か本当にすごい、
何か上手く喋れてないなというか、
何かあれ何だよ、
俺松山さんと同じように喋っているつもりなのに、
こんなに通じてないんだろうな、
みたいなことがあるっていうところとかも含めて、
やっぱ同じ、
ある一定の資材に立ったときに、
見れるもの、
伝えられる言葉みたいなものがあるっていうことを、
今僕は、
すごく、
劣等感まではいかないですけれども、
俺それ持ってないんだっていうこと。
松山さんが言ってたのは、
でも、
内向きに向かっていくクリエーションっていうのは、
どのクリエイターにもあって、
もっと面白いのは、
内向きに向かっていくクリエーションを
積み重ねていった結果、
すごく一気に外側に行くこともあると。
それがめちゃめちゃすごいショーを撮ったりとかっていうことかもしれないし、
また別の形かもしれないけれども、
必ずしも、
そのバランス感覚、
さっき言った内側と外側のバランス感覚って言ったけれども、
内側に向き続けることによって見つかる境地みたいなものもあったりするから、
一歩上を行っている
難しいよねーって言ったんですけど。
でも本当そうだと思うわ。
本当そうだと思うわ。
例えば、
バクさんゲスト回の時に、
俺は本当にそれを感じたよ。
この人、全然違うステージにいるわって思ったし、
バクさんはすごい謙遜されてたし、
バクさんはバクさんなりに、
私のことをすごくリスペクトしてくれてたっていうのもあったんだけども、
ただ、
作り手というものの磨かれ方として、
全然違うわっていうのが、
喋ってても分かる。
お互い気遣ってた部分もあったからね。
番組としては成立してたし、
会話としてはすごく、今聞き換えしてみてもすごい面白いんだけども、
いやでもやっぱその見えてる世界違うわって思うし、
一つの事象をどういうふうに捉えられてるかの解像度も全然違うし、
蓄えられてる知識の量も違うし、
とっさに出てくる反射神経も全然違うし、
やべえなって思ったし、
例えばさっきから名前出してるカリベさんを代表とするような、
世の中で評価されている人たちっていうのは、
そういう世界にいるんですよね、みんな。
もし、そういう人たちが、
例えば表彰されるような賞に私が何かを出して、
表彰されなかったとしたら、
多分その世界まで行けてないんだなって、
自分に対して、
答えをちゃんと突き返してくれるじゃないですか、
何も起きませんでしたよっていう現実を突き返してくれるじゃないですか、
だからそれでまたやる気が出るというか。
そうなんですよ、何かしらこうやって、
頑張って作ってみようって思った時に、
目の前に出てくるこの壁みたいなもの、
この独卒さんはその壁を、
とりあえずまず叩いてみるところからやっていこうってやってるのが、
すげえだから、
良い方はすげえ生意気ですけど、
俺の一歩上を行っているなみたいな、
当たり前なんですけど、
一歩どころじゃないんですけど、
この写真に関してはすごく、
すげえ、僕はリスペクトがありますね。
いや、何かだってやってみないと分かんない。
これ、WebGLスクールとかGLSLスクールでも言うことなんですけど、
やりもしないで何も分かんないですよ、絶対。
その人に例えば、
例えばなんかめっちゃ写真好きです、
年間何十万枚も写真撮りますっていうのを何十年も続けたとしても、
人に見せるためにセレクトしたことなかったら、
その時点では初心者なわけじゃないですか、
どんなに積み重ねてあったとしても。
そうですね。
だから、私はもう、
いち早くやり始めたかったんですよね、
そういう意味で。
だから、
一歩、
一歩、
一歩、
やり始めたかったんですよね、
そういう意味では。
自分が何者かになりたいなっていう感情が生まれてきた時に、
もうすぐにでもやり始めたんですよ。
だから、写真始めて半年とかだったけど、
とりあえず有名そうな写真の
インターナショナルコンペみたいなやつに出してみて、
どういうことが起こるんだろうって、
そもそもまず出そうと思ったら、
選ぶところからやらなきゃいけないから、
どれにすればいいんだろう、
ってやってみたら、
わかんないなりに、
何か思うし、
結果を聞いて、
何か感じるわけですよ、
やってみたからこそ。
何も受賞しなかったら、
受賞しなかったなりに感じるし、
今回みたいに何か、
過剰とはいえ、賞がもらえましたってなったら、
それはまたそれで、
何かが起こるんですよね、自分の中で。
うんうん。
人生有限だから、なるべく早く始めて、
どんどん突っ込んでいかないと、
どんどんおじいちゃんになっていっちゃうから。
はいはいはい。
だから、
うん、
自分が今甘いな、
他の世界の見え方
その爪が甘いなっていうのもわかってても、
とりあえず全力でやってみますね、
その、
今の自分なりに。
で、何も起こんなかったら、
あ、やっぱ何も起こんねえわ、
だから今足りないなって感じてるのは、
やっぱ正しいんだなって思うし、
じゃあ何を付け足したら足りるんだ、
っていうことをまた改めて考えれば、
いいんですよね。
でもこれもし何もやってなかったら、
スタート地点からそこまでの全部の範囲のことを、
もう一回考えなきゃいけないけど、
一回やってみたことは違ったなって捨てられるから、
より純度が高くなるんですよ、
次の、
次考えることっていうのは。
だからもう、
UVのびのびマシンで、
今の俺が作れる最強の写真みたいなのを作って、
もう何個かに応募もしたし、
何の端にも棒にもかかんない、
っていうのも2、3個あったし。
あ、そうなんだ。
それでやっぱり、
今写真業界がこれを求めてないだけなのか、
俺がやっぱり何かが足りないのかで言うと、
多分後者なんだろうなって思うんですよ。
例えばUVのびのびマシン許されないんだとしたら、
AIでジェネレーションしたカリブさんの写真は、
何で認められるんだって話になってくるし、
だからやっぱなんか俺が足りないんだろうな、
っていうことがもう分かってる、
俺は今。
これやってみなかったら多分分かんなかったから。
分かんないままですよね。
そうそうそう。
だから、
どんどんやってみちゃう。
いやー強いなー。
なんかその一歩踏み出すみたいなパワーってやっぱ、
なんなんでしょう。
なんか、
ちょっとまた別のあれなんですけど、
なんか俺この間、
Xを見ていて、
マジかよ、嘘だろって思ったんですけど、
なんかドクサスさんその、
一人で飯食いに行けないみたいな話してたじゃないですか。
俺コミュ障だからみたいな。
全然ごめんなさいね。
急に、
全然くだらない話になっちゃうんですけど、
なんか、
それはなんでなんでしたっけ。
あのー、
一人で飯行かないみたいな話っていうのは。
えっとそれは、
そのー、
お店に入った瞬間から、
定員さんとのコミュニケーションが発生するんですよ。
はいはいはいはい。
いらっしゃいませー。
こちらどうぞー。
で、座った後に、
注文するんですよ。
で、座った後に、
注文するというまたプロセスが、
お決まりになりましたかーっつってきて、
そのプロセスに俺は耐えられないんです。
その、知らない人と喋れるのが。
いや、ていうかね、
できるかできないかで言ったら、
できる。
できるよそれは。
で、例えば家族で、
家族で、
あのー、なんかの、
こう、お祝いかなんかで、
どっかで、じゃあ外で、
何でもしよっかっていうときに、
まずは父親が一番前に立って、
店にズカズカ入っていって、
ちゃんとこう、
エスコートしてあげるというか、
別にそこでこう、なんか子供とか嫁とかを先に押し込んで、
自分は後ろから、
ていうことは別にないわけ。
だから、できるかできないかで言えば、
できる。
でも、
そこに発生するコストは、
俺の中でめちゃくちゃでかい。
あーそう、それがすごい不思議というか。
めちゃくちゃでかい。
めちゃめちゃ高い人が、
でもこうやってノーマライズFMで、
外部のいろんな、
クリエイターだったり、
エンジニアだったり、
そういう人とコミュニケーション。
自分の成長を意識
それこそね、あの、
ドクサスさんと世代が、
僕もそうですけども、
僕よりもさらに若い世代の人とかと、
いまだに僕なんてもうすでに20代前半のこと喋るのに、
あーすげー頑張らなきゃーっていう気持ちで会社にいるのに、
ドクサスさんはそういう人を呼んで、
1時間とか1時間半、2時間とか、
トークするっていうだけで、
そこって何なんだろうなーみたいな。
それもさっき言ったように、
外に向かっていくエネルギーのモチベーションが、
やっぱこのノーマライズFMと、
飯屋行くのとでは訳が違うからっていうところで、
ギアが変わるんですかね。
ギアが変わってるとは思いません。
例えばなんか、
例えばですけど、
一人、
なんていうのかな、
ちょっとこう、
一人暮らしというか、
なんていうんだっけ、そういうの。
単身不妊か。
単身不妊みたいな感じで、
お父さんが一人暮らし、
その一人暮らしをせざるを得ない状況っていうのに、
私もなってた時期が一時期あって、
一人で暮らしてた時とかは、
なんていうんだろう、
外で飯を食ったことほぼないですね。
マジですか。
うん。
もう絶対コンビニで買って帰ってきちゃう。
多分3年ぐらいあったと思うけど、
3年ぐらいあったと思うけど、
多分一人で暮らしてた時とか、
一人で食べに行ったの、
多分1回ぐらいあるかなっていうぐらい。
そうなんですね。
だから孤独のグルメとか全然信じられないわけですよね。
全然信じられない。
全然信じられないし、
なんていうか、
誰かがいたら大義名分があるから、
行かなきゃいけないから行くけど、
自分一人だったら絶対に行かないし、
コンビニもなるべく同じところがいいですね。
知らないコンビニに入りたくない。
結構極まってるタイプのコミュ障じゃないですか。
そこだけ聞いとると。
結構極まってる。
てか何だろうな、
人間が基本あんま好きじゃないっていうか、
なるべく他人と関わりたくない感覚がすごい強い。
仕事だからとか、
仕事だからとか、
コミュニティのイベントでとか、
そういう時に人と会いたくない時に、
そういう時に人と会いたくないかとか、
そういうこと聞かれた時は全然そんなことないし、
自分で勉強会企画して、
無料の勉強会で人をたくさん集めてとかも、
全然できるし、
集まってきた人たちのことを、
なんでこいつらわらわら集まってきたんだみたいな風に思ったりも、
別にしてないし、
全然できるんですけど、
取らなくてもいい選択だったら取りたくないですね。
すげーでかいから、
コミュニケーションっていうことが自分の中で。
だから、
今でも色んな人とコミュニケーション、
こういう番組だったり、
スクールやったりする時に、
結構カロリーを消費しているけれども、
カロリーを消費する価値があるなって、
自分の中で判断したものには、
押してもらったら払えるみたいな。
なるほど。
だからもうすごい疲れてるけど、
めちゃくちゃ頑張ってそれをやるだけの理由がちゃんとある。
おもしろ。
っていう感じですね。
だって、
ほとんどのゲストは初対面ですからね。
だからもう、
俺の中で、
言葉にしなかったけど、
ドクターさんって圧倒的コミュニケーションの高い人っていう認識でいたから、
あのツイートが僕の中で、
え?みたいな、嘘でしょ?みたいな感じで、
結構びっくりだったんですよね。
いや、ほんとにね、
エラ…もうね、
たぶん監視カメラで見てたらマジ面白いですよ。
ほんとに。
例えば、
横浜のカフェでの一人時間
こないだちょっと横浜行った時も、
横浜に行く用事があったんですよ。
で、その、
横浜なんて滅多に行かねえわと思って、
横浜行ったらじゃあちょっとなんか、
海のあたりでも写真でも撮って、
いいですね。
で、なんかちょっとそこらのシャレオツなカフェでも入って、
とかってこう、
行く前は思ってるんだけど、
はいはい。
いざ行ったらもう店なんか全然入れねえわと思って、
コーヒーなんか絶対無理だわと思って、
缶コーヒー買って、
うわー。
缶コーヒー買って、
ちょっと眠めながら一人で缶コーヒーを飲んで、
帰りましたけどね。
いや、めちゃめちゃそれを、
意外性あふれてるって面白いんですよね。
でもスタバとか絶対行きたくない。
絶対やだ。
人間と関わりたくない。
僕は、
なんでしょうね、なんだろう、
小魅力の低い、
喋りたがりな人間なので、
なんか、
その点において、
逆というか全然違うベクトル、
なんですよね。
なんか、例えばあれなんですよ、
ちょっと難しいのが、
エドクサスさん逆に、
友達とか、
仕事のつながりにもいいですけど、
他の人と飯食いに行くのは、
全然楽しめるタイプですか?
あー、
選べるなら選ばないですね。
あー、はいはいはい。
そっかそっか、それはこっち側なんですね。
選べるなら選ばないけど、
やっぱそこは空気をちゃんと読みます。
大人として。
大人として空気は読んで、
ここは多分行った方がいいんだろうな、
と思ったら行きますね。
あー、なんかもう、
僕はすごい、普段喋りたがりなんですけど、
なんか、人と飯を食うのは、
めちゃめちゃハードルが高くて、
はいはいはい。
なんか、だからむしろ逆で、
むしろご飯屋さんって、
一人で行くのが好きなんですよ、僕は。
むしろ誰かと行くってなったら、
なんか、
そのー、
なんでしょうね、
おかえりだけよろしくねーでいいんですけど、
でもなんでしょうね、
それこそ、じゃあ例えばドクサスさんと、
じゃあご飯行きましょうってなったら、
じゃあまず、
ドクサスさんの、
もう散々見たけど、
過去のツイートを遡って、
ドクサスさんが興味ありそうな話題を、
いくつかテーマとしてピックアップしておいて、
この話題だったら、
何分ぐらい持つだろうなとかっていうのを
考えておかないと、
なんか、
ご飯、
人と行くのすごいハードル高くて、
会社とかでも、
それはなんなんですか、
なんか、
やっぱり、
よく見せたい心理が働いちゃうってことなんですか、
その、
人との食事に対する苦手意識
よく見せたいというか、
つまんないやつとは思われたくないでしょうね、
でも少なくとも。
あとはなんか、
傷つけたくないというか、
ないがしろにしたくないっていうのも、
ありそうですけどね、
相手のことを。
うん、なんか、
切退精神というか。
なんか、それでもなんか、
もっとなんか僕が割と、
なんかその人、
なんだろうな、
なんかこの人としてつまんないなとか思っちゃうタイプの、
人だったりするんで、
逆に人にそう思わせないように、
しようみたいな気持ちが働いちゃうというか、
うんうん、はい。
なんかすげえ、これ、
現体験みたいなのがまた一個あって、
なんか僕中学受験してるんですけど、
なんか中学受験したのも、
なんか割と勢いというか、
なんか本来小学校卒業して、
エスカレーター式に行く中学校っていうのが地元にあって、
で、それが家からチャリで、
まあ30分40分ぐらいかかるところで、
すごく遠かったんですよ。
で、だったのが、
新設校みたいのが近所にできるよっていうんで、
それがうちの家からチャリで5分ぐらいのところだったんで、
っていうすごい、
なんだろう、スラムダンクのルカオみたいな、
家が近いからっていうと、
受験して、
中学受験して中学行ったんですけれども、
はいはいはい。
なんか学校の人とあんまり、
なんかやっぱみんなレベルが高い、
中学受験してくるような子だから、
最初全然話が合わなくって、
なんか、
うまくやってけないかもなーみたいな、
で、話しててもなんか、
なんか、
面白くないというか、
温度感が合わねえなーみたいな気持ちで、
別にいじめられたりとかはなかったけれども、
そんな感じでいたんですけど、
なんかある時、
深夜ラジオ聞いてて、
深夜ラジオ聞いててじゃないわ、
親父が、
中学受験合格祝いに、
当時、新発売だった、
iPodなど買ってくれたんですよ。
で、iPodなど買ってくれた喜びで、
いろんな音楽を聴き始めると同時に、
それこそポッドキャストっていうサービス自体が、
当時始まったばっかりで、
で、ポッドキャストで、
芸人さんのラジオの番組とか聞くようになって、
それがめちゃめちゃ、
面白くって、
学校で頑張って人とコミュニケーション取るより、
ラジオ聞いてる人が、
ポスパーよく面白いじゃん、
みたいな気持ちになっちゃって、
そっから僕、
人と喋ることのカロリーが、
ドクサスさんと同じように、
すごく上がっちゃったんですよ。
上がっちゃったし、
ドクサスさんのように割り切って、
でも頑張るぞ、
でもこの機会を大事にするぞ、
みたいな、
エンジンの書き方もわからないまま、
ただただ、
声と笑い声がでかいだけで、
30歳になっちゃったんで、
たまに、
ご飯とか言っても、
福原さんつまんないですか、
つまんないとか全然ないよ、
体調悪いですか、
すごい聞かれて、
もともとこういう人間なんだけどな、
みたいなところもあったりするんで、
その辺の温度感みたいのは、
自分でたまに迷子になったりします。
なるほどね、
いやでも難しいっすよね、
やっぱりなんか、
その、
そういう空気を純粋に楽しめる人もいるじゃないですか、
一方で、
みんなでワイワイ楽しく、
ご飯食べるお酒飲むが、
ほんとに、
生き甲斐みたいな人も、
そりゃいるわけですよね、
だから、
なんか、
なるべくその人たちはその人たちで、
気持ちよくなっててくれたほうがいいし、
その、
嫌味とか皮肉ではなくって、
単純にその人が幸せなほうが、
いいから、
なるべくその人たちが気分悪くならないように、
振る舞うみたいなことは、
やっぱり考えちゃうし、
例えばなんか、
これほんとにもしかしたら、
その業界で今も働いている人いるかもしれないから、
その、
悪く表現したいくっていうわけじゃないですけど、
その、
パチンコ業界で昔働いてた時に、
もうやつらはほんとになんていうか、
パリピなんですよ、ほんとに。
基本的には。
なんかあったらカラオケ行きたくてしょうがないし、
なんかあったら飲みたくてしょうがないわけだし、
もう、
イエーイみたいなのがもう大好き。
湘南の風大好きみたいな感じなわけよ。
好きそう。
好きそう。
カラオケ行ったらもう絶対みんなタオルぶん回さないと気が済まないみたいな、
人たちなんですよ。
でも、
ほんとに、
その、
テンションにはなれないわけ、自分は。
だけど、
別に人として嫌いではないし、
うん、
嫌な気持ちにはなってほしくないから、
まあ、行くんですよね。
イヤイヤなんですけど。
はいはいはいはい。
でも、私は私で別に、
ほっといてくれっていうオーラを出すから、
その、
ほっといてくれっていうオーラを出せるような
間柄になってるからこそ、
いや、ほっといて、
大丈夫、
大丈夫ですよっていうオーラを出すし、
うんうんうん。
これがなんか、中途半端に知り合いとかで飲みに行ってたりとかだったら、
その、ほっといてくれるオーラも出せないわけですよ。
コストを払って関わる姿勢
今はこの、
そうですよね。
お互いの関係性でそのオーラ出しちゃうとちょっと、
やっぱり失礼になっちゃうなとかって思っちゃうし、
だからなんか、
ほんとにそういうことは、
自分がこうすごくコストに感じているというか、
ほんとだったら気にしなくてもいいのかもしれないことまで
気にしちゃってるだけなのかもしれないんですけど、
とにかく自分にとってはコストが大きいんですよ。
人といること自体が。
はいはいはいはい。
それがほんとになんか、
別にいてもいなくても変わんないのって、
ほんと嫁さんぐらいで、
あー。
あとは誰と一緒にいたとしても、
絶対何かを考えちゃう。
それこそ息子とかでも考えちゃう。
その、
あ、へー。
親と子、男親と息子だから、
あー。
そこって何もないは無理じゃないですか、結構。
一般的に、割と。
なんならお互いになんか気まずくてちょっと、
スッてお互い部屋にいなくなるみたいな。
そういう、
そういう感じがあるし、
隣にいても何も感じないのって、
ほんとに嫁さんぐらいだし、
あー、そうなんですね。
だから俺にとってはその、
俺の最小のパーソナルスペースに入れるのって、
一人しかいないですよ、この世の中で。
で、あとはもう、
あとだいたいみんな同じぐらい離れててくんないと、
気持ち悪い。
うん、どんなに親しい人でも。
だから多分、最小の、
最小のパーソナルスペース円、
それこそ密着してもいい、
一番内側の円がまず一重あって、
はいはいはい。
そこの内側には嫁さんしか入れなくて、
あとは多分10メートルぐらい離れたところから、
1メートル刻みぐらいで、
何層か多分ある。
なるほど、なるほど。
っていう感じで、めっちゃ、
俺のパーソナル入ってこないでくれエリア、
めっちゃ広いっすね、多分。
あー。
だからもう無理なんすよ、その、
例えば松屋とか、
なんかこう、吉野屋とかの前に立って、
いやここは、
食券システムだから、
ワンチャン、
食券買うとこまではまあ、
いやでも入った瞬間にいらっしゃいますよ、
あるしな。
あー、はいはい。
って考えたら、
すってもうコンビニの方に行っちゃいますね。
はー。
いや、なんかでも、
いや、その、
ドクサスさんが、
そういう自分のその個性というか、
メンタルでありながら、
そのさっき言ったように、
コストを払って、
人と積極的に、
その関わるべきところを関わっていくっていうのは、
なんかすごく、
僕にとって元気の出るというか、
でも、
なんか今現在、
それこそ僕も奥さんがいて、
まあ会社もいい人たちがいるんで、
なんとかやれてますけど、
年を重ねる中での気づき
なんかそこに対して意識的にちゃんとコストを払って、
コミュニケーションを取るぞとか、
外部とつながっていくぞ、
外に向かっていくぞって意思を、
持っていないと、
やばいおじさんになっちゃうな、
俺っていうことを、
そう最近すごく感じているんですよね。
うーん、
まあそうだよね、
コストを払っていれば、
重ねた分だけ、
自分では気づかないうちに、
労害化はしてっちゃうと思うんですよ。
ああー。
あのー、
程度に差はあれど、
はいはいはい、
労害化問題ですね、はいはいはい。
程度に差はあれど、
なんかそのやっぱり、
労害化していってしまうと思うんですよね。
悪気はなくても、
気に入らないって思われるようなことをしてしまう。
まあ要はジェネレーションキャップみたいなものも含めて、
だから若いうちって、
それ気にしなくても全然ヘッチャラだし、
むしろなんなら感じる側じゃないですか。
なんでおっさんたちはこんなことしてくるんだろうなーって。
でもそれ、
自分たちが今度は与える側に置かれるから、
周りはそういうふうに見えてしまうと思うんで、
なんかこう、
歳を重ねる中で、
自分がそうなりたくないんであれば、
いろいろ考えなきゃいけないんだろうなとは、
思っちゃいますよね、やっぱりね。
いやー、
そうですね、老害の話はまた一個ありますよね。
なんか、
そういうことになりたくないと思っていても、
なっていってしまうものが、
その通りだと思うんで。
なっていってしまう。
だからなるべく俺は、
歳のある人と喋りたいっていう欲求はそれ。
あー、
なるほど、そこまでだから。
大学生とかと喋ることができたとしたら、
なんか少なくとも、
100%無理とは思われてないってわかるじゃないですかね。
目の前にいる大学生は、
俺と普通に喋ってくれるってことは、
たぶん大学生の、
全部とは言わなくても、
一部は俺とコミュニケーションとってて、
不快にはならないんだなってわかるから。
だから、なんかこう、
大学生の子とか、
呼んでみたりとかするのもそうだし、
Twitter上とかでやりとりするのも、
なんかこう、
無理にガツガツ言ったりはもちろんしないですよ。
それはやっぱ老害っぽく、
振る舞っちゃいけないなと思うし、
上から目線で言っちゃいけないなって思うから、
たとえばなんだろうな、
なんかすごいこう、
作品公開しましたって言った時に
リツイートするみたいなことも、
なんかその、応援したい気持ちももちろんあるし、
そういう人たちの感覚に少しでもやっぱ近づいていたい、
自分のこの、
なんていうか身勝手な欲求もあるし、
なるべく接点を多く取りたいっていうところは、
あったりはしますよね、
そういうところは。
いやぁ、参考になるなぁ。
ゲストもバラバラじゃないですか、
ノーマライズFMって。
そうですね。
なんかざっくりグラフィックスプログラミングと
ウェブって言いながらも、
割とぐちゃ混ぜっていうか、
ごちゃ混ぜなんですよ。
いやぁ、すごいですよね、本当に。
それはやっぱりそういうのもある。
俺はWebGLの人だって思ってないから、
自分のこと。
その、
なんか断るごとに、
自分でもWebGLの第一人者って言われたくないです、
みたいなこと言っちゃってるのが、
もうそれがなんかちょっと自意識過剰っていうか、
難しいですよね。
そう思っちゃうけども、
でもやっぱりそういう自分で
ありたくない気持ちがやっぱり、
ノーマライズFMを見ていても
現れてるなって自分でも思うし、
なんかこうデザイナーさんと話すときは、
絶対分かんないだろうなって思うんですよ、
自分で。
なぜなら自分はそういう方向に
尖ってきた自覚もないし、
でもやっぱり話してみたら
めっちゃ面白いし、
自分がデザイナーになりたい、
なりたくないとはまた無関係に
すごい成長させてくれるし、
楽しいし。
だからそういうこと考えたらもう、
吉野家入れないメンタルも
我慢できるんですよ。
プラスの方が圧倒的に大きいから、
むしろ取りに行っちゃうわけですよ。
吉野はマジで入れないっすね。
マジで入れないっす。
俺多分ここ5年で10回ぐらい
入ろうとして入らなかったっすから。
すごい。
でもあれですね、
今聞いてて思ったのがやっぱり
人嫌いじゃないにしても
人との距離感難しいと言いつつ、
やっぱりどこか
人から学び取ろうというか、
享受しようみたいなところの強さ、
そういう好奇心みたいなところが
トクサスさん、
すごく高いんでしょうね。
なんか今俺が聞いてて思った
反省点というか、
俺はどうしても
与えなきゃ何か一緒に
俺といてくれる人に
オカールといて面白かったわって
思ってもらわなきゃ
こっちが義務する側として
すごく疲れるなって思ったんですけど、
トクサスさんはそうじゃなくって
うまくこの人から面白い話を
吸収しようっていう
そのために頑張ろうっていうところの
向きが違うっていうところが
すごい面白いなというか、
まあ確かにね、
そうですね。
あとはね、
もうもともともないこと言っちゃうと、
自己中な考えと嫁への思い
これはもう
こういうテンションに
今なってるんで
言っちゃうんですけど、
私の場合は
なんていうか、
究極のこと言うと
マジで世界のこととか
社会のこととかどうでもいいんですよ。
究極のこと言っちゃうと
はいはいはい。
その哲学的なレベルにまで
自分を落とし込んだときに
社会とか世界平和が
自分にとってそれだけ重要か
って言ったらそんなことはなくって
もうどっちかっていうと
例えば嫁が幸せなまま
死んでくれたらいいなとか
そういうことが
もう俺という世界の中の
98%くらいは占めてるんですね。
多分その残りの2%か3%ぐらいが
みんなが見ているトクサスさんなんですよ。
みんなからしたら
そんなこと絶対ないやろうって
思うかもしれないけど
その自覚としては
俺という人間の中の
98から9%ぐらいは
嫁のことしか考えてないんですよ
基本的に。
その幸せを実現するためには
経済的に成功する必要があるなとか
そういうのが
残りの3%の中に
全部入ってるんですよ。
そういうのが。
ノーマライズFMやって
知り合い増やしてとか
WebGLスクールやって
教え子が増えてとかっていうのは
それ一つ一つを単体で見たときに
自分なりに一生懸命やってるし
なんかこう
変な打算的なところを別に
なくやってはいるんですけど
それって
俺が自分自身が成功することにより
経済的な価値が生まれることにより
結果的に嫁が
いい暮らしができる
っていうことしか考えてない。
すべてのベクトルは最終的に
そこに向かってるんですね。
自分自身の究極の
幸福が何か
嫁が幸せなまま死んで
あなたと一緒に生きてこれて
よかったわって言って
死んでくれることだけを
俺は目指してるんですね。
すげーいい話だし
すごい筋が通って見えてきましたわ。
だから何やるにしても
そこに繋がる最大限にいいだろう
っていう選択肢を
選んでるだけなんですよ。
だから何かこう
人と一緒にやっていて
その人の機嫌を損ねないように
したほうがいいなっていうのは
その人の相手のことを思って
やってる部分ももちろんあるし
でもそれって究極的には
俺がここで嫌われるようなことを
した時にリスクが高まるっていうことを
避けてるんですよね。
なるほど。
だからその残りの
そのさっき言った
頑張っているっていうところ?
そうそうそう。
だから何か選べるなら選ばない
例えば吉野家入るのはやっぱ
躊躇してしまう。
選べるなら選ばない。
それはそれをやったことによって
別に何も影響しないんですよ。
確かに。
徳田さんが頑張って吉野家入っても
奥さん何にも関係ない。
そう、究極の目標に向かって
何の影響もないじゃないですか。
そういうものはシュッと諦められるし
何とも思わないですけど
でもなんかやっぱ
人の機嫌損ねちゃうとか
誰かを傷つけちゃうみたいなのって
すごいリスクが上がる体感があるから
すごい避けようとしてしまうんですよね。
うん。
だからもう本当にさっきも言ったけど
このテンションなんで喋っちゃってますけど
そのすごい本音的には
そういうとこもある自分の中に。
あー。
実際は何事も一生懸命やってますよ。
で自分がやっぱ好きなこと
楽しいことやりたいし
なるべくなら悲しくない方がいい
そりゃそうなんだけども
全てのベクトルが向かっている
一つのゴールがあって
そこに向かう限り
全てのことをやる可能性がある。
だから急に何もかもやめてしまう可能性もある。
それが必要なんだったら。
人との関係における選択肢
あー。
急にノーマライズFMも更新されなくなり
WebGL素本座も更新されなくなり
Twitter何の更新もされなくなることも
全然あり得る。
例えばなんか
病気で倒れた。
看病しなきゃとかってなったら
本当に何もしなくなる可能性がありますね。
それぐらいでかいから
90何%始めてるんで。
それは
ご夫婦というか
長い
年月を経て培われたもの
でもあるから
そうですよね。
思いが違いますね。
自分がだって一番長く過ごしている
人間ですからね。
生まれてから
例えば思春期に親元離れるまで
20年弱とかあるわけですけど
そこから先
俺今42とかだから
人生の一番長く一緒にいた人ってなると
もうそうなっちゃうんですよね。
あー。
なるほど。
最初からずっとそういう気持ちで
20年以上
一緒に来てるんで
なんかもう
それ以外のことは些細なことっていうか
うん。
本当なんか
仕事で失敗したとか
そのなんか
ショックの大きさとしてはどうでもよくて
最悪別に
それがなんか嫁のためになってるんだったら
それでもいいし。
なんかその
ドクサスさんと近いものを感じる回でもあったし
違う点も感じれる回だったなと思うのが
なんか今僕が思っていたのが
僕はそれで言うとすごく
自己中な人間というか
僕の
僕は僕の知識欲求の
ために生きている節が
あまり
象徴的だったのが
奥さんはよくネタにするんですけど
一昨年とかの秋口に
仕事がすごい詰まりに詰まって
なんかそれが
ちょっとしたユニティでアプリを作るってやつだったんですけど
仕事からの解放
何でしょう
なんか新しい技術に挑戦するというよりは
ただなんか大変な作業みたいな
エンジニア俺一人でみたいなやつの案件で
1ヶ月ぐらい
もうずっとそれやってて
でその案件が終わったときに
終わったやっと終わった
解放されたと思って
奥さんとしては
じゃあお疲れ様回するかのテンションだったらしいんですけど
なんか俺はもうとにかく
もうなんかこの1週間
俺はただ出力を押し続けちゃったので
インプットが足りていないってなって
奥さん申し訳ないけど
俺来週1週間1人で
その江ノ島の先っぽの方の民宿に泊まって
誰とも連絡取らないからみたいな
期間を設けさせて
1週間家出をするっていうことをやっていて
家出の決断
それはメンタルがやられてたというよりも
単純に
最近俺の体に何の情報も入ってきてない
これは体に良くない
っていうだけでやってたんですけれども
これも終わった後に
友人皆様からお叱りを受けまして
なるほどね
そうそうそう
反省はもちろんするんですけれども
でもなんか自分という人間が
そもそもそういうところで動いている
っていう感覚がずっとあるので
例えば
わがままって言われれば
その一言で終わっちゃうんですけれども
なんかそういうところの
何だろう
違いみたいなものはちょっとありますよね
ありますよねっていうのはあるじゃないですか
でもそれは多分みんな
そこは何ていうか
なんか私みたいなのが正しい
っていうわけでもないというか
別にそれは極端すぎると思うし
自分で
もしそういう人いたら
キモいなって思うし
他人でね
そういう人いたら
キモいなって思うし
でも俺は多分
本当にこれが正しいな
これが嫁の幸せに繋がるなと思ったら
隔壁のボタンとか
平気で迷わず押せますね
ポチンって
それで地球の他の人類全滅するとしても
押しますね多分
本当に正しいって自分が思ったらね
これ何とか奥様に聞かせられないですかね
いや聞かなくていい
聞かなくていいです
そうか
なんか僕の中の独卒三造が
今日すごい一気に上がりましたね
いやだから本当になんか俺を見て
あ情熱すごいとか
思うんだったら
それはそういうゴールがあって
そこに対するものすごい
ものすごいこう
責力が働いてるっていうか
そこに向かっていくエネルギーが
ものすごいから
その発露としてそういう行動力が
おまけとして発生しているだけって
思ってほしいですね
なるほど
本当何回も言うように
本当に何ていうか
単純に物事を楽しんでるとか
誰かのために一生懸命頑張ってるみたいな
建前的なことは全くないわけじゃないし
むしろ普段はそういうことをね
思ってるんですけど
ただその哲学的に自分を掘り下げていくと
っていう話ですけどね
いやーなんか
めちゃめちゃ良かったです
今日話せて
ちょっと俺が頑張って話しすぎちゃったちょっと
いやいやいや
むしろ
最後の方の話で
なんか
僕の中の独卒三増がちゃんと
事件解決みたいな感じになりました
そういう仕組みだったのかっていうのが
そうなんですよ
と同時に僕のこの
旦那としての自覚の無さみたいなものを
感じましたね
いやでもそれはさ
まだ分かんないよ
これからいろいろあると思うから
うんうんうん
これからいろいろあると思うんで
そう分かんない分かんない
はいでは今日もね
いやだいぶ長い時間に
今なってると思うんですけども
ちょっともう楽しくなりすぎてしまったのと
なんていうか
私もちょっとテンションが上がりすぎてしまって
なんかすごい深い話をしてしまったんですけど
別になんか
いい話をしようと思ってたわけではないんですけど
なんか結果的にそんな感じのことを
言ってしまったなと思って
ちょっと今更恥ずかしい
感じもするんですけども
はいまあね
いろいろ面白い話が
今日はできたんじゃないかなと思います
あのあやとさんなんか
急にお声掛けする感じになっちゃったんですけど
いろいろ話聞いて
楽しかったです
ありがとうございます
なんか30歳になったばっかりなんですけれども
いい30代のスタートがきれいだと思います
そうですかそうですか
人生の先輩にいろいろ学べる彼になったなと
僕個人的には思っています
いやそんなこと言うと
長谷川さんがまたジェラシーが発動したから
いや長谷川さんからも
長谷川さんからもいっぱい
長谷川さんからもいつも
学ばせていただいてますっていうのは
もちろんですあの人から
もう人生の師匠ですね
そうですね
私もちゃんと長谷川さんから
多分年下だとは思うんですけど
学ばせていただいてるんで
長谷川さん
長谷川さん聞いてるかな
絶対聞くと思うよ
絶対聞くと思う
なんか大河原君ちょっと楽しそうに喋ってんじゃん
みたいなことは絶対
絶対いじられますね
普段の3号階よりすごい楽しそうに喋ってんじゃん
みたいな感じのこと絶対言うでしょ
絶対言う
絶対言われるわ
月限取らないと
そうですね
でも本当に私はすごい好きで聞いてる番組ではあるんですけど
なんか今日は今日でね
ちょっとまた違うテンションで
喋れたんじゃないかなと思うので
はい
良かったんじゃないかなと思います
また
ノーマライズFM
これからいろんなゲストの方いらっしゃるんでしょうけれども
本当にもう最後出尽くしたなと思ったら
ぜひ2回目3回で呼んでいただければ
そうですね
いやもう本当はね
もっと早くから2週目3週目したいって思ってるんですけど
なんかその声かけたい人が
居すぎる問題っていうのがあって
そうですよね
それってぶっちゃけ
結構今並行で何人かの
話してみたいなという人に声かけてたりするんですか
いやまあ声かけるのはもう
収録終わった後
次誰にしよっかなって感じなんですけど
ただ自分の中ではその
リスト化されてる広報リストみたいなのがあって
へえ
やっぱその
バクさんとかもずっとその広報の中に入ってて
ずっと声かけられなかったんですよ
怖くて
そうだからその
今なら行けるっていうタイミングを
なんか見るともなく見て待ってる
っていうのがあって
いや楽しみだわ
本当にノーマルズFMは
もうこの界隈にいれば
名前知らない
知ってて当然の方ばっかなんですけれども
でもこの人なんだって驚きは
毎回レナード君とかが出た回とか
普通にツイッターのファンで一緒に見てるから
レナード君とか出てるのすげえみたいな
いやレナードさんはね
面白かったですね
ねえ
こんな感じかっていうのがやっぱ分かるじゃないですか
声かけるのが
なんかねえ
あんなピュアな生き物いて
好きなって思うよね
作る作品バキバキでかっこいいし
バキバキでかっこいいし
なんかシェーダー楽しいみたいな感じで
なんか本当にそれがゴンゲみたいな
そのシェーダー楽しいわーい
みたいな感じの塊が
そのまま実在しているみたいな感じがして
こんなピュアなものが
こんなに
本当に
本当に
こんなピュアなものが
この世に存在するのかみたいなね
リスペクトですね
いや本当にだからノーマル絵図表更新されるたびに
ゲストのはず誰なんだろうっていう
ドキドキワクワクがあるんで
そうですね
今回はちょっとあやつさんが出てきたことによって
どういう感想を皆さんが持たれるかちょっと
分かんないんですけど
あけくん
あけくんお前2時間半とかあんじゃねえかつって
おバカヤローってなってる
追われるなあ
たくさんの回ほど中身もねえ
会話を2時間半くらいしてるからな
もう何なんだこいつってなってる可能性はあるんですけどね
何なんだこいつかいかもしれないです
でも俺は本当に楽しかったんで
僕も本当にドクサスさんとちょっと仲良く
ちょっとでも仲良くなれればなと思って
いやいやもうね
ノーマライズFMはね
俺のための番組なんで
みんなはその
みんなはおまけでそのおこぼれを頂戴してるだけなんで
俺がこの人と喋りたいっていうのがまず最初なんで
ノーマライズFMは
それは勇気づけられますね
ゲスト出るの
ためらってる人ももしかしたらね
出るかもしれないけども
その言葉はすごい出たくなるなって
だからなんかその格式高いものとして
恐れ多く見守るんじゃなくって
もっと気楽に出演してほしいですね
皆さんには
ゲストの皆さんにはね
これちなみにあとごめんなさい
もう1個だけ聞きたかったやつとは思い出した
これドクサスさんノーマライズFMって
これ毎回エピソードごとにタイトルつけるじゃないですか
あれドクサスさんが編集し終えて
このワードだなみたいなもの決めるんですか
そうですそうです
それは結構パシッて決まるもんなんですか
回によるんですか
回によるけど
大体3分以内には決まってますね多分
おーへー
今日はどういうタイトルにしようかな
もうあっち行ったりこっち行ったりだったからな
いや今日もうなんか
いっそ喋ったら
お前のタイトルが
お前のタイトルが
今日もうなんか
いっそ喋ってないのに
アロハの話とかをタイトルにだけ入れておいて
それは面白いかも
今年はこのアロハみたいな感じの
タイトルにしておいて
その話一切出てきてねえけど
出てきてる
そういうの好き
そういうなんかちょっと面白いタイトルでもいいかもしれないですね
はいじゃあまあちょっとね
またずっとこれ喋っちゃうんで
喋れちゃうよくないですね
今日はこの辺りでね
終わりにしたいと思います
本当に今日はありがとうございました
ありがとうございました
また機会があったらお呼びしますので
よろしくお願いします
ありがとうございます
じゃあノーマライズFMの
一応ねいつも言っているお知らせを
言って終わろうかなと思うんですけども
ノーマライズFMでは
ハッシュタグでノーマライズFMという
そのままのハッシュタグで
皆様からのご意見ご感想など
随時募集しておりますので
聞いてね面白かった
という一言だけでも全然構いませんので
何か感じたことがあれば気軽に
ポストなりしていただけたら
嬉しいなと思っております
はいでは今日はこれで
終わりにしたいと思います
最後まで聞いてくださってありがとうございました
02:44:06

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