始まりました。normalize.fmの、今日は第57回になります。
年明けて少しね、仕事が、なんかよくわかんないんですけど、たまたまいろんな仕事が重なって、ちょっと忙しくなってしまってね、私の方が忙しくて、なかなか撮れなかったっていう感じだったんで、
久しぶりになっちゃったんですけども、今日も元気にね、撮っていきたいと思います。
はい、今日のゲストはですね、クリエイティブコーディングとかを普段よくね、やられている方だったりとかは、結構名前知ってらっしゃる方なんじゃないかなと思うんですけども、
今日のゲストは、クリエイティブコーダーのあやとさんに来ていただきました。あやとさん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。クリエイティブコーダーのあやとです。
クリエイティブコーダーっていう肩書きがちょっと重いというか恥ずかしい感じがあるんですけれども、
今日はちょっとクリエイターとしてね、ノーマライズFMにお呼ばれされてしまったので、ちょっと頑張っていいおしゃべりをしていきたいなというふうに思っておりますと。
一応あれですね、ごめんなさい。ちゃんとした肩書きも言っておくと、
株式会社T&Sという会社の会社内にあるSync&Senseという部門ですね。Sync&Sense部というところで、クリエイターとしてもお仕事活動させていただいておりますと。
その傍れでクリエイティブコーディングとかっていうのを趣味で結構5,6年ぐらいもやってるんですかね。
はい、という感じです。
よろしくお願いします。本編入ったらまた改めて自己紹介も聞けたらなと思ってますんで。
今日のゲストね、この後また話しますけど、私すごい楽しみにしてたんで、いろいろお話聞けたらと思っておりますので、今日も早速始めていきたいと思います。
はい、じゃあ彩人さんちょっと先ほどね、所属とかについては簡単に紹介もしていただいたんですけども、改めてちょっと彩人さんとは一体何者なのかというところを簡単に教えていただいてもよろしいですかね。
そうですね。僕は本当に一会社員として普段は先ほど話したSync&Senseという会社の部門でクリエイターとして映像を作ったりだとか、
システム開発みたいなことをしたりだとかっていうことをやらせていただいておりまして、おそらくあれですよね、リスナーさん的にはドクサスさんと僕の関係性みたいなところが全然わからないと思うし、
何して喋っている僕も、僕がノンマラスFMに?っていう感じで出ているので、ちょっと遡っていろいろ整理したいなと思ってるんですけども。
いいですね、お願いします。
僕は趣味でクリエイティブコーディングとかしつつ、もう一個活動の一面があって、それがポッドキャスターとして、
ドクサスさんがノンマラスFMをやられているように、僕もそれこそ5年ぐらい前から友人の長谷川という男とAM35館というポッドキャストを撮っていまして、
あれ、これノンマラスFMって今何年ぐらいやられています?
今、たぶん丸2年経って明けてぐらいかな。だから2年半ぐらいですかね。
じゃあポッドキャスト歴で言うと僕の方が先輩なんですね。
そうですね。
リスナー数で言ったらノンマラスFMの方が大大大先輩ではあるんですけれども。
僕が趣味でやっているAM35館という番組は、インターネットの隅っこの方で長谷川という男とちまちまとお酒を飲みながら、
最近見たアニメだったり、最近見た映画の話だったりとかっていうのを喋っている番組なんですけれども、
なんとその番組をドクサスさんが聞いているらしいと。何を間違ってしまったのか。
インターネットというのは怖いものでして。
何度かメールをいただいたんですよね。ありがたいことに。
そうですね。別に杉本と名乗ってはいないですけども。
はいはい。
何回か送ったことあります。
僕はドクサスさんからメール来ちゃったと思って番組で取り上げるんですけれども、
相方の長谷川という男はですね、その人は別にエンジニアでも何でもない、普段広告代理店で働いている男なので、
急に知らない人からメール来て、この弱小番組にメール来ちゃってやべーみたいな感じでやりこんじゃっただけだったんですけど、
僕からするとドクサスさんから来ちゃったって本当に驚きで、
印象的だったというか、特に驚きだったのが、2年前に僕が結婚したんですよね。
はい。
それを自分のポッドキャストで結婚しましたみたいなお話をさせていただいた後に、
ドクサスさんから結婚祝いをいただいちゃいまして、
ちなみにその時すごく高価なカタログギフトをいただいて、
いやいや別にそんな高価なやつじゃないです。
自分の番組で触れたか忘れちゃったんですけど、梨のセットみたいなやつを選んで美味しくいただいたんですけれども、
それだけでもね、ドクサスさんから結婚祝いいただいちゃっただけでもちょっと驚きだったんですけれども、
さらに驚きだったのが、その半年後に、今度は僕の相方の長谷川という男も結婚しまして、
そしたらドクサスさん、やっぱり優しい方なんでしょうね。
自分が聞いているポッドキャストの片方のパーソナリティには送って、
もう片方には結婚祝いを送らないのは変だろうっていうギリでですね、
面識のない長谷川さんにもちゃんと結婚祝いを送っていただいて、
この時も長谷川さんもめちゃめちゃ驚いてました。
いやそうですよね。
ドクサスさんからお祝いもらっちゃったみたいな感じで、
でも僕からして本当にめちゃめちゃ驚きもありましたけれども感謝いっぱいいっぱいで、
ドクサスさん本当にいい人だなと思っていたら、
ドクサスさんからあやとさんとノーマライズFM出ませんかっていうお誘いが、
その前後ぐらいのタイミングで来ちゃって、
なるほどと、ドクサスさんいい人だけど計算高いなと思って、
結婚祝い2人分も送ったんだし、お前ノーマライズFM来てダラダラ喋ってくれよっていう交渉なんだろうなと思って。
そうですね。
めちゃめちゃありがたいと思って、
ただあれなんですよね、それが去年の春とかだったと思うんですけど、
お正月、ちょうど1年くらい前か、だったと思うんですけど、
僕がちょうど仕事がめちゃめちゃ忙しい時期で、
あとでそれこそタイミングがあれば話したいんですけれども、
去年一番忙しかった案件の1個で、
その案件がヤバすぎて、その後私アロハシャツの沼にハマって、
1年で10万近くアロハシャツを買う男になってしまうんですけれども、
そのめちゃめちゃ忙しい案件のちょっと過強ぐらいだったのもあって、
1回お断りというか、また仕事忙しいんで落ち着いたら出させてくださいみたいな感じで、
伸ばさせてもらったんですよね。
で、また半年ぐらいが経って、今度ご連絡いただいたのが、
10月、去年の10月末とか、
そうですね、年末ぐらいですかね。
そうですね、11月頭ぐらいで、
で、ドクターさんからそろそろ、
タイラさん、アイツさん暇ですか?みたいな時間ありますか?っていうのをいただいて、
で、その時は仕事はちょっと落ち着いてたんですけれども、
僕が結婚式を挙げたんですよね、去年11月に。
その1週間ぐらい前にいただいちゃったんで、
今度こそドクターさんから連絡いただいたから出なきゃと思いつつ、
さすがに結婚式の1週間前に、
結婚式で緊張もしているのに、
ノーマルズFMで出るっていう緊張を心に乗ったら、
俺多分潰れちゃうなと思って、
ドクターさんに大変申し訳ないですけれども、
もう1回先延ばしにさせてくださいって言って、
で、また年明けですね、
今年2024年に入ってから、
そろそろどうでしょうっていうので、
今ちょっと仕事もちょうど落ち着いてたし、
プライベートも落ち着いていたので、
今度こそ大変お待たせいたしましたと、
出させてくださいということで、
無事今日という日を迎えられているわけですね。
はい。
いやもう多分今、
皆さんこれ聞いてる方々も分かったと思うんですけど、
あの、ポッドキャスターなんで、
こういう感じなんですよ。
ごめんなさい、ちょっと一方的に喋っちゃいました。
いやいや、もう。
そうですね。
ノーマライズFMにお前が感をちょっとでもなくすために、
ハードルを下げるためにね、
経緯をしっかり最初に喋っておこうかなって。
いやいやいや、
多分ね、聞いてるみんなの感覚は、
あれなんかすげえ滑らかに饒舌に喋る人来たっていう、
いやいやいや。
感じに今なってると思うんですけど、
いやもう普段からね、
やっぱポッドキャスターやられてるんで、
マイクの前で喋るということの経験値が、
それなりに溜まってるんで。
いやいやいやいや。
僕がやってるAM3号館っていう番組は、
長谷川とやってるAM3号館って番組は、
コンセプトがあって、
番組の一番最初に乾杯して、
350mlのビールだったり、
アルコール入ったお酒の缶を開けながら、
酒飲んでるんだし、
多少変なこと言ってもリスナーの人許してくれよっていう、
免罪符でやってる番組なんですけれど。
はいはいはい。
いかにせんノーマライズFMはそういう番組ではないので、
僕今日はちなみにアップルジンジャーを飲みながらやっているので。
アルコールじゃない。
アルコールじゃないんですよ。
シャーフで喋らなきゃなので。
ここは3号館の出張所というわけではないくて、
ちゃんとノーマライズFMという番組として、
喋ってくれてるってことなんですね。
ここまでちょっと3号館テイスト強めでいきましたけれども、
ここからはちゃんとクールな感じで。
あともう一個これ喋っておきたい話があって。
どうぞお願いします。
直接会って喋ったこととか多分ないですよね、多分。
そうですね、ないと思います。
ないと思うんですけど、
お互いに間接的に知ってるし、
お互いにリスナーだしみたいな感じの。
そうですね、お互いにリスナーだし、めっちゃ面白いですね。
そういう距離感なのかなっていう感じで、
私がちょうど声かけるタイミングがどうしてもタイミングが悪くて、
のびのびになっちゃったっていうのはその通りではあるんですけど、
とはいえ別にお互い、
絶対出てくれないと困るんですけどみたいなことは別に私の方もないし、
余裕があるときに出てくれればっていう感じでずっとお話ししてて、
それで今に至るっていう感じでね。
結婚のお祝いとかは、さっきも言ったように、
俺の中ではもう芸能人的ポジションにいるから、
どうしても結婚するの?っていうのを聞いて、
それまだ当時、
ポッドキャストでは言ってるけど、
Xでは言ってないっていうタイミングが一瞬あったじゃないですか。
あ、そうですね。
その瞬間にちゃんと俺、毎週聞いてるよっていうことをアピールしたかったわけ、俺としては。
なるほど!
だから、ツイッターでしか見てないにわかじゃなくて、
俺はちゃんとAM3号かも。
公開されたらすぐ聞いているっていうことを伝えたくて。
嬉しいな、めちゃめちゃ嬉しいです。
だから直接面識はなかった。
当時、全く直接やり取りしたこととかほとんどなかったはずなんですけど、
昔、多分スクールの関係でメールぐらいはやったかもしれないんですけど、
直接ツイッター上で喋ったりとか全然なかったんですけど、
その時に、そういう思いがあふれてしまって、
お祝いしたい気持ちがあふれだしてしまって、
それでね、DM送って、
ちょっとこの話、ほじくり返しちゃうんだけど、
その当時、あやとさんが、
自分で同人誌じゃないんだけど、
クラフトっていう小冊子を販売してて、
それをクリエイティブコーディングの作品として、
アート作品的な意味で私は興味を持って普通に買ってたんで、
その時に送られてきたレターパックに、
マジのガチの個人情報が書いてあるじゃないですか、住所が。
ここに送っちゃおうと思って。
それも最初びっくりして、
頂いた時にお名前見て、ドクサスさんからだと思ったと同時に、
なんでドクサスさん俺の住所知ってるんだろうと思って。
その中にメッセージで、クラフト買った時の住所で、
送っちゃいましたみたいなのも頂いて、なるほどと。
そういうカラクリがあったんだと驚いたのも覚えてますね。
そうなんだよ、個人情報これで手に入れたぞつって。
怖い怖い怖い。
それでカタログギフトをね、
私結構いろんな人にプレゼントをあげる時に、
もう悩むの嫌だからカタログギフトを送っちゃうっていう結構怠惰なことをやってるんですけど、
一番ありがたいです。
先方に選んでもらうのがいいだろうと思って、
カタログにしちゃうことが多いんですけど。
本当にありがとうございました。
なんかちょっと懐かしい、結構懐かしい感じもするね、ちょっと前のことだけど。
そうですね。
そんなこんなで、
今日に至っているっていう感じで、
もうここまで聞いてくださった皆さんだいたいなんかわかったと思うんですけど、
今日のノーマライズFA、ちょっといつもとなんか違うっていう。
ドキュラさんがクールな感じでゲストを紐解いていってみたいな、
徐々にゲストも熱くなっていって面白い話が見たいなのじゃないですね。
そう、もう最初から。
できなそうですわ、ごめんなさいドキュラさん。
たぶんね、わかんない、ほとんどいない可能性もあるんだけど、
両方聞いてる人、ノーマライズFMもAM35かも両方聞いてる人は、
混ざってる感じだなっていうのがたぶん今ね伝わってると思うんですけど。
今日はちょっと半分35感みたいな感じの、半分いつものノーマライズFMみたいな感じの。
いい感じにミックスできるより頑張りたいです。
そうっすね。
俺はすっごい嬉しいんですよ、今日。
芸能人と喋ってる感じで。
いやいやいや、同じですよ。
同じですよって言うとあれですけど。
今日だからあれなんですよ、ドクサスさんから事前に、
喋りたいこととかもしあれば、
ショーノートみたいなもの、簡単でいいんでメモ書きいただければ、
それをベースにお話ししましょうみたいなことで。
僕、ドクサスさんと何喋ったらノーマライズFM面白くなるかなと、
いろいろ考えていろいろメモしていった結果、
まず僕、スクラップボックスっていうサイトで、
メモ帳みたいな感じで基本的にメモってるんですけども、
まずあれでたぶん4000文字くらい書いちゃって。
さすがにこれ台本すぎるなと思って一回全部消したい。
その4000文字を整理していつもドクサスさんと一緒に共通で見ているメモ帳には書いてるんですけれども、
そこに書いてあることも半分以上というか、
半分くらい僕の人生を振り返るみたいな文章になっていて、
書きながら俺よっぽどドクサスさんに自分を知ってほしいんだろうなっていうのを、
自分で書いていいと思っちゃって。
AM3号館の場合はあんまゲスト呼ぶっていうよりはいつも同じ2人で喋ってるじゃないですか。
そうですね。
でもノーマライズFMは毎回違うゲストが来るんで、
毎回このショーノートっていうのを用意して、
事前に編集権限付きで共有して、
お互いに何か話題があれば書き足してみたいな風にするんですけど、
そこにお呼ぶスタンスって本当に千差万別ですよ。
あやとさんみたいにガーって書くタイプの人、
一言も付け足さない人もいるし。
そうなんですね。
俺が書いた、
あなたと話すならこういう話題どうですかリストが、
俺の方は俺の方で書くんですけど、
そこに一文字も付け足さない人もいれば、
2、3個付け足す人もいれば、
ページどんどん増やしてダーって書いていく人もいれば。
僕、番組することリスナーとして聞いてるときに、
これゲスト出てる人に、
とくさすさんどういうフォーマットで、
そのショーノートというか事前にトークの内容を
メモってもらってるんだろうなっていうのが不思議だったんですけど、
本当にだからあれなんですね。
千差万別というか好きに書いているのスタンス。
そうですね。
なんか一文字も追加しなかった人も別に悪気があるわけじゃなくて、
そこにはいろんなパターンがあると思うんですよ。
基本的には聞いてほしいタイプの人もいるのかもしれないし、
なんか自分なんかが話題書いちゃうのはおこがましいで書かない人もいるのかもしれないし、
いろいろだと思うんですけど、
でもどのパターンでも、
俺は好き勝手にこっちはこっちで勝手にホストするので、
いつもあんな感じになってますね。
だから結構アドリブですよ。
ここに一応何て言うんですかね。
そうですよね。
なんかショーノートにリストしてもらうのは、
一番はゲストのためっていうか、
あらかじめ何喋るか何も決まってなかったら、
それこそ不安しかないと思うんですよ、
ゲスト呼ばれて。
でも私はこういう話題想定してますよって私が書いたものとかがあったり、
自分で書き足したりできれば安心できるじゃないですか、
こういうこと喋ろうっていう感じで。
たぶん今、あやとさんも自分でいっぱい書いた結果ちょっと安心できてると思うんですけど、
俺はそれを全部取っ払って勝手にアドリブでこう、
ホストしていくんですけど。
はい、大丈夫ですよ。
ちっちゃい映画館、ミニシアターみたいなところに、
休日、夜見に行って、
その子の映画見たんですけれども、
それにすごい喰らっちゃって、
その映画の内容に喰らったというよりは、
自分が知っている、
僕の中のイメージは、小学校の時の彼女なんですけれども、
その子が、いろんな人を引き連れて、
いろんな人とコミュニケーションを取って、
1個の長い作品を作ってるっていうことに、
めちゃめちゃ喰らってしまって、
なんとなくこんな感じでエンジニア人生やっていくんだろうな、
50、60まで、みたいな感じで思っていた、
社会を舐めていた自分にすごい苛立っちゃって、
今でもめっちゃ覚えてるんですよ、
アップリンク渋谷から渋谷駅戻る中、
急に台風が来て大雨で、
本当は試写会終わった後に、
その子のところに行って、
いい映画だったよ、みたいなこと一言言おうと思ってたんですけれども、
映画のエンドロール見ながらも、
そういうことを考えちゃって、
その子に何にも挨拶とかできずに、
泣いてはいないけれども、
それこそ雨でびしょびしょになりながら、
家に帰って、
なんかやらなきゃと思って、
で、その時に偶然、
SNSでタッチデザイナーっていうツールを知ったんですよ。
今、活動どういう形になってるのかちょっとわかんないんですけれども、
当時企画が走り始めだったTDSWですね。
TDSWの第4回とかっていうのを、
今度東京のどこどこでやります、みたいなのを、
代表だったナレミさんが募集してたんで、
タッチデザイナーってあんまりよくわかってないけれども、
なんとなく興味あったから行ってみようって言って、
そこで勉強して、
それこそナレミさんとかとも仲良くなって、
で、タッチデザイナー、
それまで全くCGとかそういうこと、
何の知識もなかったんですけれども、
タッチで何かしら作品を作って、
毎日1作品インスタグラムに上げるっていうのを半年ぐらいやってて、
それこそタッチデザイナーの公式の人とかともちょっと繋がるようになってて、
いろんなイベントとかお呼ばれしててっていう流れで、
今度はTDSW主催でまたイベントをやるっていうんで、
ちょっと彩人さん今度講師として出てくださいよみたいなことになって、
めちゃめちゃそれが嬉しくて、
自分が勉強として文科生として入ったところで、
今度は講師として立ってほしいって言われたのが、
わりとそれも嬉しくても感慨深くて、
その勉強会に行った時に、
僕のタッチデザイナーの講座とは別で、
高尾さん、この番組ノーマライズFにも出られてましたけれども、
高尾さんが別のフロアでP5JSを教えますみたいな授業をやられてたんですよ。
話がまた前後してるんですけれども、
実は僕大学時代にちょっとだけプロセッシングをやっていたんですよ。
なんならプログラミングとの出会いというか、
僕がプログラミング楽しいと思えたきっかけはプロセッシングだったんですけれども、
でも大学の本当に大学1年生の秋とか冬ぐらいにちょっと2,3ヶ月熱中したぐらいで、
それ以降ずっと触れてなかったプロセッシング。
P5JSがあって、
その時をずっと過ぎていって、
高尾さんのイベントで、
僕はその上の階でタッチ教えて、
時間が余ったんで、
なんとなく1回行って高尾さんの授業ボケって聞いて、
P5JSってあったの懐かしいなみたいな。
僕の中ではやっぱプロセッシングって今でもそうですけれども、
プログラミング入門みたいなポジションじゃないですか。
教育目的がやっぱ最初のスタートとしてもあったんで、
プロセッシングってやっぱそういう入門だよねみたいな感じで高尾さんの授業聞いてたら、
高尾さんの作るグラフィックがめっちゃかっこよくて、
プロセッシングかっこいいじゃん、P5JSかっこいいじゃんってなって、
そのタッチと並行して、
またP5JSで何か作品を作るっていうのに、
また熱中し始めてっていう感じで、
今現在も、
ずっと辞めることなくったわけではなくて、
曖昧な休みとか挟みつつですけれども、
何かしらクリエイティブコーディング、
コードを書いて何かしら作品を作るっていう活動を続けていますね。
なるほど。
なんか言われてみたらちょっと高尾さんと絵の方向性に似てるとこあるかもしれないですね。
いやもう高尾さんリスペクトは大きいですね。
確かに。
ちょっと似てるかもしれない。
同じリズムを感じるかもしれない。
高尾さんのオープンプロセッシング、
高尾さんと名前出しちゃうと、
高尾さんと岡津さんと千博さん、
この3人、P5とかプロセッシングで何かしらやってる方は、
名前聞いたことある3人だと思うんですけれども、
この3人の作品からめちゃめちゃインプレッション、影響を受けてますね。
なるほどね。
やっぱり今の話だと、
一番最初は湧き上がる情熱じゃないけども、
俺もなんかやんなきゃっていう焦りと、
焦りと何なんだろうな、
すごい複雑な感情が押し寄せてきた瞬間が一番最初のきっかけではあったっていう感じで、
今はもうどちらかというと、
やれるときにガス抜きみたいな感じでやるっていう方が増えてきてますね。
っていう方が増えてきてるっていう感じなんですかね。
そうですね、その意味では割と当初あった、
何者かにならなきゃ俺もみたいな情熱とはまた別のベクトルで楽しんでるって感じではありますね。
なるほどね。
クラフト作った時とかはどういうきっかけだったんですか?
冊子をわざわざ作って、それを販売してっていうのは、
どういうきっかけなんですか?
自分の作品集を作ったのが、
自分の中の燃えたげるものみたいなものが落ち着いたフェーズというか、
これまで勢いでなんとなくバーって作ってきたものっていうのを振り返ってみると、
自分ってものが見えてきそうだなっていうのをぼんやりと感じて、
それまではただ量産する、ただ新しいグラフィックを作る、
ただTwitterでいいねを稼ぐみたいなことを考えていたんだけれども、
あれ?もしかしたら俺がやってることって、
そんなにガメつくインプレッションを稼ぐためだけに頑張るにしちゃ、
もったいないぐらいいいものを作れてるんじゃないのかなみたいなことを
自分である時思って、ちょっと形に残したいなみたいな。
それは販売してお金儲けとかっていうつもりもそんなになくて、
そういうことをするほどの部数も発行せずに、
たぶん50部60部ぐらいしか作らなかったんですけれども、
どちらかというとその形として残しておいて、
10年20年経った時に自分が振り返れるようにするみたいなイメージがすごく、
あの作品は大きかったですね。
なるほどね。
そのグラフと私が買わせていただいたタイミングって、
ちょっと急に自分の話しちゃうんですけど、
私の中ではあんまり自分がアーティストだよっていう自覚、今もあんまりないし、
何か作品を作ってやろうみたいな感情って元々結構気迫というか、
あんま強くないなって自覚、自分の辞任としてはそういうふうに思ってるんですけど、
あのグラフと見た時に、なんか紙にするだけで全然違えなって思ったんですよね、単純に。
買うっていうのも、そういうアート作品めっちゃ好きだから、
もう出たら見つけたら買えるものは全部買ってますみたいな感じじゃ全然ないし、
なんかたまたまだったと思うんですよ。
もしかしたらツイッターでそういうの見かけないままだったら気がつかなかったかもしれないぐらいだし、
たまたま見つけて、こんなのやってるんだ、面白いなと思って、
なんとなくふんわり購入したっていうだけだったんですけど、
でもなんか届いたのを見てみたら、
なんかそのプログラムで作ったグラフィックスが紙に刷られて物理の世界にやってきて、
それが何なんですかって言っちゃったらそれまでなんだけど、
なんかこう物理的に存在していることの価値みたいなのがなんかあるなって思ったんですよね、あれ見た時に。
なんかそういうことやってみようってなった背景、
例えばウェブサイトにまとめて掲載するで満足もできたかもしれないのに、
あえて本にしたっていうのは一体何だったんだろうなってちょっと聞いてみたいっていうのはあったんですよね。
それはちょっと僕の中でそのタイミングが正しいか分からないですけれども、
多分同じようなタイミングで写真も撮り始めてるんですよね。
写真、僕フィルムで撮ることが多いので、
フィルム写真って基本的に36枚なり27枚のフィルム1本撮り終わったら、
カメラ屋さんに写真屋さんに行ってフィルム渡して現像よろしくお願いしますっていうので、
1週間ぐらいかけて現像していただいて、
僕当時は今はあんまりやってないんですけれども、
撮った写真っていうのを必ずL版みたいなやつ、はがきサイズのやつで焼いてもらってもらってたんですけれども、
その時に僕も、今まで写真ってデジタルで見るものだったんだけど、
物理としてあるってだけでこんなに、やっぱり物としてあるっていうだけでこんなに感じ方違うんだっていう衝撃を受けて、
なんだろう、それも結構だから自分のP5とかクリエイティブコーディングと写真はメディアとしては違うけれども、
今の時代、デジタルとしてスクリーンの中で見るものなんだけれども、
紙だったり物理にしてみることで、
なんて言ったらいいんでしょうね、
多分これはドクサスさんとかだったら、写真集とかご自身で作られてる人だったらより分かると思うんですけれども、
やっぱ感じ方が全然違うじゃないですか、同じ写真一枚でも。
そうですね。
それもあって、自分の単純にウェブサイトで作ったものをポートフォリオサイト作るぞとかっていうよりは、
クラフトみたいな作品集として物として欲しいなっていう感情がありましたね、あの時は。
なるほどね。
一緒に写真入れて送られてきてたんですけど。
そうですね、そうですね。
あれ多分みんなに入れてたんですよね。
最初の限定何人とかじゃなくて全員に入れて送ってたんですか。
クラフト、僕の作品集を買ってくれた方には、
クリエイティブコーディングの作品集とは別で僕が普段撮っているフィルム写真を現像したものを、
1枚なり2枚なりを同封しますよみたいな、
最初の購入者キャンペーンみたいな気持ちで、
そういうのあるじゃないですか、限定商法的なことを自分でもやってみようかなとかって思ったんですけれども、
割とドクターさんが言ったように最終的に買ってくれた人全員に渡してますね、あれ。
なるほどね。
だからそれも、何て言うんだろう、当時の私は写真もやってなかったし、
言うほどアートとかクリエイティブみたいなものに自分が寄ってるとも思ってなかったから、
写真とか一緒に入れてんだ、おしゃれだなぐらいにしか思わなかったんですけど、
今は分かる気がするんですよ、1枚入れてあることの意味というか、
そこに何があるのかって何となく自分でも分かるんですけど、
やっぱ当時はちょっと分かんなかったなぁ、だから。
それで何て言うんかな、これまた後で喋るかもしれないけど、
写真の良し悪しって分かる分かんないってあると思うんですよ。
あるいは、良い悪いなんてないかもしれないじゃないですか、写真の良し悪しって。
それこそ人によって全然感じ方も違うし、だから写真が入ってて、
その写真が良い写真かどうかっていうのは基本的には関係なくって、
それを見て何を感じるかっていうことしか多分言えないし、
そういう文脈で言うと当時の私はあんま何も分かってなかったなって、
何かオシャレなことやってるなぐらいにしか思ってなくて、
この写真に何の意味があるのかなとかあんまり考えたりしなかったんですけど、
でも今思い返してみると、写真が入ってるっていうのは何か粋な計らいだなとは思いますけどね。
そうですね、そう思っていただけると嬉しいと思いつつ、
でも確かにドクセスさんが言うように謎ではあります。
写真が同風されてるというのは。
僕の中ではやっぱり割とあの時点で、今ちょっと前にも話したように、
どっちも自分を振り返る自己セラピー的な効果というか、
ものとして同じような存在だったんですよね。
コードで何か作るのも、写真を撮って、
僕が街で歩いて落ちている葉っぱ撮ったりするみたいなものとかっていうのも、
ほぼ同じものみたいな感じだったんで、あんまり違和感はなかったんですけれども。
あれ多分、いきなり送られてきた側は、これ何なんだろう。
これも作品の一部なのか、ただのおまけなのかみたいな、
かんぐってしまうというか、それも含めて面白いなって俺は今だったら思うけど、
当時の俺は、何か写真とか入れてるんだ、みたいな感じで。
これはね、AM3号館知らない人には伝わりにくい話になっちゃうんですけど、
一緒にクッキーが入ってたんだな、これが。
これが面白かったんですよ。クッキーなんか入っちゃってるなと思って。
そのクッキーの話もありますね。
そうそう。
湘南クッキー。
そう、湘南クッキーが入ってて、
長谷川さんがAM3号館で、「君、郵便物に食べ物入れちゃダメだよ!」って言ってたんですよ。
そうそう。
送られた方がびっくりしちゃうよって言ってたんですけど。
意味不明ですね、確かに。自分で振り返ると意味不明ですよね。
作品集、高度描いたアート作品なのに、
洞風されてくるのがよくわかんないよ、街の写真とクッキーっていう。
何なのこいつっていう。
いやだからね、俺もう本当にね、そういうバカなとこも含めて好きなんですよ、俺は本当に。
確かにな。
いやちょっとね、だからなんか、なんて言うんだろうな、なんかAM3号館の魅力も今のお話と似たような感じで、
なんて言うか、聞いてて別にめっちゃためになるわけでもないし、
なんかすげえこう、例えば芸人さんのラジオ番組みたいなエンタメ性があるわけでもないし、
なんかこう、20代から30代ぐらいの若者ともおじさんとも言えないようなぐらいの人たちが、
なんか日々起こってることをただ喋ってるだけっていう、このバカなこともあるし、
バカな話してることもあるし、下の話してることもあるし、
一方でなんかすごい急にシリアスな話、真面目に議論してる時もあるし。
そうですね、あの番組はもうごったにですね。
そういうなんかはちゃめちゃなところがね、結構いいなと思って聞いてるんですけど、
なんか今のその作品に対する取り組み方とかも、私なりにはこう想像はしてたんですけど、
なんかやっぱスタートがそういうとこから、そのなんか身近な人のものすごいエネルギーみたいなものに食らってしまって、
背中をこう押されたみたいな。
そうですね。
そういうエピソードとか全然知らなかったんで、なんか良かったですね、そういう体験があって。
そうなんですよ、なんか僕が今の仕事の目標は、その子にまた何かしらの形であって、ありがとうって言いたいですよね。
本当になんかその人のおかげだなぁ感はありますね。
でもそれこそさ、なんか最近の仕事、具体的には言わないですけど、
最近の仕事みたくその現地でイベントとかでドカーンってでかい展示やったりして、
そこでスタッフとしていたら、たまたま偶然来る可能性とかありますよね。
いや実はですね、それこそ話せない話ですけど、とある案件でちょっと似合いミスしてるんですよ。
そうなんだ。
そうそうそうそう。
なるほど。
じゃあまあ、何らかの形でいつかその思い出話ができるかもしれないですね、もしかしたら。
でもそうですね、そういう、まあでも本当にその子のおかげでこういう何かしら作るみたいなことを始めたから、
いろいろ物の見方も変わってきたなぁみたいな、なんかそれこそ、
僕もなんかすごいアートに興味があってみたいな人間ではもともと全然なかったので、
なんか本当、修学旅行とか研修とかで行く美術館ほどつまらない場所はないなぁと思ってた人間が、
なんかでも自分で何かそのものを作るようになってから、すごいそういうところに行くのが楽しいというか、
最近週末何かしら美術館とかその写真館とかみたいなところ行ってるような人間になってるので、
そういう意味でも大きく変わってます、変わりましたね。
なんかその普段出かけていくモチベーションってどういう動機があるというか、何のために出かけていくんですか、それは。
何のあれがあるかって言われるとちょっとむずいっすね、
何でしょう、友達のいない荒沢の男、むしろ何もすることない土日、むしろみんな何してるんだろうみたいな。
これもあるんですよ、なんかクリエイティブコーディングとか、僕とかはそんなないですけれども、
なんかめちゃめちゃね、作品とか作られてる、おそらく推測ですけど、高尾さんぐらいで作られてる人とかだと、
どうやったらそんなに頑張れるんですかとか、どういうふうにやればたくさん作品作ったり集中できたりできるんですか、みたいな質問。
僕もそれこそ多少受けたことがあるんですけれども、むしろ逆にそういうのがない人って何してるんだろうな、みたいな気持ちがすごいあるんですよね。
そうですね、今の質問のニュアンス的な部分でいうと、やっぱり何か作品につなげようとか、そういう背景みたいなものがないとそもそも行こうってなんないのかなって思ったんですけど、
そこはやっぱり自分の感性を磨くであったりとか、インプットしようっていうつもりで行くイメージなんですか。
それで言うと、いわゆるデジタルアート的な展示とかもあったりするじゃないですか。それこそ東京とかだと。
そういうものに行くときは、割と勉強半分ぐらいの気持ちで行っている節がありますね。
それこそ今オラファーの展示とか、チームラボの新しいのができたみたいな話題ですけれども、ああいうのとか行くぞってなったら、割とどういう作品でどういう背景でみたいな、それこそノート片手に行くぞみたいな気持ちですけれども。
こと写真とかに関しては本当に別にインプットとかあんまり意識することなく、ただ楽しみに行きたいというか。
いわゆるデジタルアートとかより写真の方がその人がわかるというか感じがするので、そんなに構えてもないですね。フラーっと行きますね。
面白いな。本当に言っている通りなんですね。楽しいことをやることは別にないし、面白そうだから行ってみようかなぐらいの温度感で行っている感じなんですね。
そうですね。そうだし、不思議なのが、不思議というかなるほどなと思うのが、やっぱり勉強しに行くぞの気持ちで見に行ったデジタルアートのめちゃめちゃバキバキの今時の作品とかよりも、なんとなくで見に行っている写真だったり絵画展みたいな古典絵画みたいなものとかを見たりした経験の方が、
仕事、直接的ではないですけれども、仕事だったりとか自分の制作に影響を与えている気がします。
なるほど、それ面白いな。
僕、ここ半年ぐらいで割と自分でも意識してて、あ、なんかそうだなみたいな。どちらかというとアイデンティティとしてそういうもの。だからむしろこれは特殊能力というよりは、言われてみればそうなのかな。
逆にこの業界の人たちは、みんな見ているようなオラファーだったりチームラボのすごい奴とかっていうみんなが見ているものではないところで、やっぱりその個々の代わり種みたいなところ、個性みたいなところが出てくるってなるとやっぱりその僕の場合は、
いろんな写真見に行ったりだとか、そういう風景見に行ったりだとかっていうところが大きいのかなというふうにはちょっと思ってますね。
なるほどね。いいっすね。その話はすごくいろんな人に聞いててヒントになる話なんじゃないかなって思うけど、人によって何が良質なインプットになるかって人によって違うと思うけど、
そういう磨き上げ方というか、そういう風にして自然に磨かれていくっていうのは、より自然体な成長みたいな感じがあってすごくいいなって思いますけどね。
何でしょう。静かな場所が好きなんですよね、とにかく。静かな場所ってなると、やっぱりその自然と美術館みたいなところだったりとか、あとそのなんかめちゃめちゃ美術館行ってる人間ってほど美術館行ってるわけではないんですけれども、どちらかというとより行ってるのは古本屋さんとか。
本屋が昔からとにかく好きで、それはわりと父親だったり母親の影響が大きいんですけれども、何かしら休みがあるととりあえず本屋行くかっていう親父だったので、本屋でボケっと興味のないコーナーとか散策していて、そこでちょっと気になるなこの表紙みたいなので手に取った作品だったりだとか、雑誌とかも含めてですけど、雑誌とか漫画とかで
インプットっていうほどわけじゃないですけれども、感動したりするみたいな面白いじゃんと思ったりするみたいなのが多いですね。
これももし機会があれば聞いてみたいと思ってたんですけど、これはそのポッドキャストとかじゃなくて、結構どちらかというとブログとかに書かれていると思うんですけど、数学に突然目覚めてみたり、哲学に急に目覚めてみたりするじゃないですか。
そうですね。
そういう散漫なところって、もしかしたらそういう子供の時の体験から来てる部分もあったりするんですかね。
そうかもです。僕は好奇心旺盛なんですよね。
自分で言ってるとあれなんですけれども、ちょっと興味があったら必ずちゃんと知っておきたいなみたいなところがあって。
そのようになってから数学とか哲学とか建築とかめちゃめちゃ熱高く勉強していますね。
なんかそれは急に楽しくなっちゃうんですか。やり始めるっていうのは。
なんか日常的なふとしたきっかけがあるのかもしれないし、こうなんて言うんだろうな。
だんだん敷地を超えるまで、だんだん実は長い年月をかけて積もってきたものが急に欠壊してやる気になるのかもしれないし、その辺はちょっとわかんないですけど。
でもそれで言うと、その欠壊パターンですね。
欠壊パターンか。
よくあるのが、今の最初のクリエイティブコーディングでもそうだし、写真とかいろんなものを含めてやってるんですよって言うと、何がきっかけなんですかって言う必要もあるじゃないですか。
別に何かきっかけだったことって一度もなくて、どちらかというとその長い年月をかけてちょっとずつ自分の中で溜まっていったものがあるときパーンって開くみたいな感覚が大きくって。
むしろあれなんですよね。
何々さんが好きって言ってたんで僕も遊べましたみたいなのって。
例えば何だろう。
ドクサスさんの影響でWebGL、GLSLやってますって言ったときに、すごい自分の中の責任の半分をドクサスさんに押し付けてるような感覚があって。
それは別に悪いことではないです。
責任って言葉を使うのがあんまり正しくはないですけれども。
もっと言っちゃえば、例えば俺がそれでシェーダーアートでめちゃめちゃすごくなったときに、きっかけの半分はでも俺ドクサスさんに持ってかれちゃうのかみたいな。
そうじゃなくて僕の中でちょっとずつ地層みたいに重なっていったものみたいな、いろんな人の影響の結果、たまたまピョロって生えた目が今も数学に向いてたり今も哲学に向いてたりみたいな感じだったりするんで。
何か大きなきっかけみたいなものは。
それぞれの目が入る瞬間みたいなやつはもちろんあるんですけどね。
数学に目覚めたのは、2年くらい前に東高大の数学の教授、加藤先生っていうすごい有名な先生がいらっしゃると思うんですけど。
その先生がなんかニコニコ動画か何かで、ニコニコ動画じゃなかったかな。
Webのコンテンツで、この夏でガロア理論を完全理解しようみたいな講座をやられていて。
ガロア理論って、僕全然数学専門じゃなかったので知らないんですけれども。
ただガロア理論って言葉だけは知っていて。
それは何でかっていうと、中学生の頃に親父に勧められて読んだ、栄光なき天才たちっていう漫画があるんですよ。
栄光なき天才たちって漫画は、知ってる人、マニアの中では結構有名なんですけれども。
毎回毎回いろんな歴史上の偉人を取り上げるんだけれども。
いわゆる小田信長みたいに、教科書で太字になるような人は取り上げずに。
ちょっとその2番手3番手というか、歴史の限り隠れちゃった人をフューチャーするっていう漫画で。
ある時ガロアがピックアップされた回があって。
僕中学生の時に、なんだガロアって、数学者なんだって言って読んだんですけれども。
ガロアの人生があまりに衝撃的すぎて。
僕はガロア理論を当時中学生だったんで、勉強する気もなかったんですけれども。
でもガロアはすげえって思って、そのことだけ覚えてて。
25、6の時に加藤先生が授業をやるって言うんで、ちょっと見てみるかって言って。
講座を見始めた時に、いきなり軍論の話をし始めて。
軍論の基本的な準同型定理がどうのこうのでとかって言われた時に、やばいみたいな。
スタート時点でもう俺ついていけねえわってなっちゃって。
そこで僕の中でダメが決壊して、数学もっかいガチで勉強してみるかみたいな感じになって。
大学数学の参考書とかっていうのを、僕大学時代に数学だった友達とかに、
6、7年ぶりにFacebookでDMして、今数学勉強しようと思ってるんだけど、何かおすすめの本ありませんかとかって。
最初に大数学やるんだったら、まず集合論の勉強した方からした方がいいよとかって言われて。
集合論の本買ってとかっていう風な感じで、ちょっとずつ勉強していってみたいな感じでしたね。
なるほどね。
ちゃんと話が繋がってる感じがするのは、やっぱり普段からいろんなものを意識して取りに行くっていうよりは、
自然体でいろんなものに触れておいて、全部のゲージがちょっとずつ上がってってるんでしょうね。
知らず知らずのうちに。
で、何かのきっかけで、そのたまりきったゲージの敷地を超えたところに、たまたま横からコツンって当たったときに、
ドバーってたぶん、たまってきたのがいくんでしょうね。
自分でもその瞬間が結構面白いんですよね。
あ、今俺この門開くんだみたいな感じとかがすごいよくって。
哲学も割と昔から父親とかの影響で、ニーチェの本とか一旦読んでみるかって言って読んで、
読み切ったわー、一文字も覚えてねーけど、みたいな感じの人生だったんですけど、
大人になって、ゆる言語学ラジオ、たぶんドクサスさんも聞かれてますよね。
ゆる言語学ラジオで、パーソナリティの堀本さんが、何かの回でビトゲンシュタインの話をしてたんですよ、哲学者の。
ビトゲンシュタインっていうのは、すごい言葉を大事にした哲学家で、
そういう話をしたときに、ビトゲンシュタインって名前かっけえなと思って、
その翌日ぐらいに本屋さんで、ビトゲンシュタインはじめの一歩みたいな本を見つけて、
そこで結界がバーって開いて、これだわと思って、これで勉強するしかないって言って、
ビトゲンシュタインはじめの一歩みたいな本を読み始めて、全然わからなくって、
もうちょっと初歩的なところから勉強しようって言って、
それも大学時代の哲学専攻だった友達とかにも連絡とって、
本とか勧めてもらって、勉強してみたいな感じですね。
いやー、いいね。なんか、すごい豊かな人生を送ってる感じがするわ。
自分でもしね、綾瀬さん自身が自分で、いやー豊かっすねーとかって突然言い出したら、
そりゃお前なんかおごりじゃないの?って思っちゃうかもしれないけども、
でも聞いてる側の感覚としては、なんかすごい豊かな生き方をしてる。
だから例えばなんか、ちょっと例えが適切かわかんないけど、
めちゃくちゃすげー忙しくて仕事しかしないで大人になって、
おじいちゃんになってって生きていく人生とは全然違う生き方してんなっていう感じがして、
すごいなんか、いいなーって単純に思ってしまったなー、なるほどね。
なんか、ちょっとわかる気もするんですよね。
非同期的にいろんなものが実は積み上がってるっていうのは、なんかわかる気がする。
多分私で言えば最近写真がすごい楽しいとかっていうのも、そういうものなのかなって思うんですよね。
結構初期のノーマライズFM聞いてみるとわかるんですけど、写真なんか1ミリも別に好きでも気になってもいないですよ。
2年前ぐらいとか。
当時、木平さんっていう方とかが結構写真、成形写真ですね。
空の星の写真を木平さんとかは結構本も出されてるぐらいの感じで、
プロではないんですけど、プロ並みのテクを知っているアマチュアみたいな感じの方がいるんですけど、
木平さんがもうカメラいいですよいいですよって、その当時ノーマライズFMのゲストに出たときにめっちゃカメラのこと言ってくれるんですけど、
俺全然興味なさそうにふーんって感じで聞いてて。
今はもうなんかどっぷり使っちゃってるから、
本当何がきっかけで何にハマるかわかんないなーって最近すごい自覚としてもあるんですけど、
でもなんかそれも、今のなんか彩人さんの話聞きながら考えてたんだけど、
別に写真に1ミリも興味なくても写真に興味を持つような素地は多分積み上がってきてたんだと思うんですよね。
何かしらの形で。
それをうまいこと消化できるのがたまたま今は写真だっただけで。
そうですよね。なんかその自分の中のアンテナみたいなものっていうと、
その積み重ねるっていうのも、
なんか多分どの人もみんな何かしら日々いろんな人とコミュニケーション取ったりしてるんで、
積み重なっていってるっていうところで、
そのピョロって生えてきた芽みたいなものをちゃんと見つけてあげて、
水あげて育てるみたいなところを、
なんかちょっとすごい意識高い表現をしてしまって、
恥ずかしくなってきちゃいましたけれども、
その独卒さんでいえば、
その写真とかカメラ、
写真を撮るということで今、
すげーめちゃめちゃ頑張られてるというか楽しんでらっしゃるのとか、
あれ、それで言うと、でもきっかけは何だったんですか?
その写真、そのこそやってみようみたいな。
それもなんとなくだったんですか?
いやまあね、私の場合はなんか、
どっかでちょいちょい喋ってるようなことではあるんですけど、
なんかその、朝早起きするようになって、
うんうん、そうですよね。
早起きするようになって、
早起きするはいいが、
めっちゃ朝早い、
例えば5時台とかから、
まあ目が覚めてるとはいえ、
そこでなんかこういきなり、
こうキーボードガチャガチャやったりするのは、
さすがにちょっと近所迷惑かなっていうのもあって、
用事がないときは散歩しようかなみたいな感じで、
朝歩くようになったんですよね。
で、歩いてると、
最初はなんか、
あーこんな朝から歩いちゃって、
俺、清々しい気持ちになっちゃって、
いいわーみたいな感じの時期も、
もちろんなくはなかったんですけど、
でもそれで実際1ヶ月ぐらい経つと、
まあ日常になっちゃうわけですよね。
その目新しい自分なりの体験が、
日常になってしまったときに、
なんかもうちょっと、
価値のある経験にしたほうがいいんじゃないかなと思って、
で、なんか写真とか撮ってみようかなって思ったんですよね。
で、あと結構俺コレクター中っていうか、
はいはいはい。
何でも集めるの好きなんですよ。
あ、そうなんですね。
で、そういう意味では、
写真撮ってるのって、
溜まってくじゃないですか、めちゃくちゃ。
はいはいはい。
なんか、
まあこれはちょっとね、
同じではないんだけど、
例えばWebGL総本山、
ずーっとやり続けてる、
で、もう2千何百回とか更新してて、
そうですよね。
すげー。
めっちゃ溜まってるんですよね。
コレクションなんですよ。
溜まってるのが嬉しいの。
たくさん実績が溜まってるのが。
だからなんか、写真も同じで、
1日も欠かさず撮ってるっていうのが楽しいんですよ。
うんうんうん。
継続してやり続けてる。
状態ですよね、だから。
そう、だからなんか、そういうものもあって、
こう、
まあWebGL総本山とかも、
ほとんど多分ね、
本当に忙しすぎて、
どうしても無理だったっていうのが、
1回、2回あるかもしれないけど、
更新忘れたこととかもないし、
全部ずーっと更新し続けてきてるんですけど、
なんかそれができるのは多分その、
コレクターの心理が働いていて、
とにかく実績を壊さないように。
だからよくGitHubの芝生を生やすとかっていうけど、
はいはいはい。
もう絶対緑に塗られてないと気が済まないわけ。
もうなんか更新されてないと気が済まない。
だからなんか写真も撮り始めたら、
ずーっと撮っちゃうのは、
そういうところから来てるし、
まあ撮り始めたのも、
なんかそういうなんか目に見えて、
溜まっていくものが欲しかったんだと思う、多分。
歩いてるだけだと、やっぱ何の実績も残らないし、
消えていっちゃう、流れていっちゃうから、
なんかこう自分がやってる感を感じられるものが欲しかったんじゃないかな、
今、今考えると。
いやーわかります。
なんか僕も割とその写真続けられてるところ、
その要素が大きくて、
それこそ1回か2回前ぐらいのノーマライズFMで、
ドクサスさんが言ってて、
俺もだわと思ったのが、
なんか、
多分これは僕とドクサスさんの、
その写真の撮り方に対するスタンスの共通部分が、
何かしらあるからだと思うんですけれども、
撮った写真をしばらくして振り返った時に、
この写真撮った時、俺こんな風だったな、
こんなこと考えてたなっていうのを思い出すんだよ、
みたいな話してたじゃないですか。
はいはい、しましたね。
僕も全くそれって、
僕が今写真続けられてるのもそれで、
僕がフィルム写真始めたのが4年ぐらい前で、
死んじゃった母方の祖父の塊で、
フィルム写真、それこそコレクターだったんで、
めちゃめちゃレトロカメラを収集してたおじいちゃんで、
その中の1個のカメラをもらって、
フィルムカメラか、
試しに1回ぐらい撮ってみるかで撮った写真、
36枚バーって撮って、
現像出して、
一緒に収監して、
そういえば現像終わったから、
受け取りに行くかって言って、
受け取った後に、
もらった写真を振り返ってる時に、
その時、その写真をどういう風に撮ったのかっていうのを、
全部自分が覚えてることに、
すごく変な感覚になったんですよね。
全部覚えてる俺これみたいな。
これは僕個人の問題なんですけど、
僕って本当に記憶力が悪くって、
中高の思い出とかもうほぼないんですよ。
それは嫌な思い出だったとかっていうよりは、
むしろ中高楽しかったなってことは覚えてるんだけど、
同窓会とか久々の友達とかで会って、
あの時ああだったよなとか、
こんなことあったよなみたいな思い出を知って、
僕一個も覚えてたことがなくて、
そういう僕は記憶力が弱い人間なんだなって生きてきて、
自分が今言った写真で、
これこういう風に思いながら撮ったわとか、
俺この時ブランキー・ジェットシティのあの曲聴きながら、
シャッター切ったわとか全部覚えてて、
その体験が、
その時は何でこんなことが起きてるんだろうっていうのを
思いながらでも、
それが不思議で、それが面白くって、
フィルム写真どんどん撮るようになったんですけれども、
なんかそうですね、
継続していってどんどんどんどん、
自分の記憶が溜まっていく感じの面白さというか、
どこか怖さみたいなところとか、
不思議さみたいなところとかは、
僕もすごい共感しますね。
いやわかる。
俺もだって、
本当に今でも多分最初期の頃の写真見たら思い出せる気がするもん。
多分。
それこそ何十万枚って撮ったけど、
多分思い出せる。
一番最初の頃の写真見ても。
そうなんですよね。
特に僕は趣味が散歩の人間なんで、
それはもう僕は大学時代からずっと、
深夜ずっとひたすら仙台の街中を徘徊することが、
一番人生楽しかったぐらいの人間だったんで、
すごくとにかく散歩が好きで、
今はそれこそカメラ趣味として始めてから、
めちゃめちゃ、
僕今横浜神奈川住んでるんですけども、
めちゃめちゃいろんな街を歩いていて、
同じ街でも違うルートで歩いたりとかっていうので、
写真だけを見返したら、
どこが何なのか思い出せなくなって、
当然なのにでも覚えてるんですよね。
ここあそこ曲がったところのああいうところだったなとか、
俺この日昼日高いで食ったなとか全部覚えてて、
何なんでしょうね、あの感覚は。
何なんすかね。
これが変なのが、
スマホの自分の写真見ててもあんまならないんですよ。
確かにね。
それこそこの写真何だとか、
こんな飲み会あったっけとかばっかりなのが、
自分が一人で撮ったフィルム写真とかの方に関しては、
すごく覚えていて、
その感覚はやっぱり、
僕とかドクサスさんが今写真に魅了されている、
その根幹に繋がりそうな、
手がかりになりそうなところだなって思うんですよね。
確かにね。
私は本当に集積させていくっていうか、
たくさん溜まってるのが気持ちいいって思っちゃうから、
実際はね、
保険で1枚切っとこうみたいなのも全部含めて何十万シャッターなんで、
実際はもっともっと意識としては少ないんですけど、
でもやっぱりなんか、
感じるのが先だからなのかなって思うけど、
感じてから撮るじゃないですか。
何も感じないのに撮ることはできないから、
それこそなんだろうな、
片手で持てるカメラ片手に持ってて、
歩きながら無作為に手振りながら、
無作為にバシバシバシバシランダムにシャッター切るとか、
そういう写真は別として、
それを狙ってね、
狙ってそういうことをやるってことは絶対ないとは言い切れないけども、
普通に写真を撮るっていうとやっぱり何かを感じて構えて撮るから、
感じるのが先だから覚えてるんじゃないかなって、
なんとなく思ってはいるんですけど。
いい話ですね。
僕が最近すごく好きなYouTuberの方がいて、
トモコスガさんっていう方。
YouTubeで言葉なき対話っていうチャンネルで、
写真の話をされている、写真家の方なんですけど、
この方のYouTubeチャンネルがめちゃめちゃ好きというか、
この人の考え方が割と、
僕が写真に魅了されていることを上手く言語化されてるなっていう人で、
その人もまさにドクサスさんが言ってたように、
トモさんが感じている、コスガさんが感じている写真の面白い写真、
面白いスナップ写真っていうのは、
表現の以前にシャッターがちゃんと切られているもの、
表現になりきっていないものっていうところに、
スナップ写真はやっぱ面白さがあるよねみたいなことをしきりに言っていて、
僕も感覚が先にある。
なんでこれを撮ったのか、別に分からなくてよいというか、
何か明確に、これがこうで、
あの人が今あそこに立っていて美しいから、
俺はシャッターを切るんだみたいなことは、
頭の中で考える前にパッて撮っているものっていうのは、
なんでこんなに自分の記憶の奥底にちゃんと残ってるんだなっていう、
人間神秘的なところを含めて僕はやっぱ面白さを感じてますね。
それは本当に不思議ですね。
たぶんノーマライズFMでその話をしてた時も、
私不思議だなって言ってたと思うけど、
本当に不思議な、自分でもなんで覚えているのか説明できないですもんね。
ただなんか、この日はこんな天気だったとか、
結構思い出せるというか、
どんな気分だったかが思い出せる感じがあるかな、私の印象では。
その周りの外的な環境っていうのもそうなんだけど、
自分の心理だったりとか気分が思い出せることが多い気がする。
それでいうと、気分を思い出せる的な感覚で言うと、
後で振り返って、いい写真だなとかって思うもの。
それこそ今日聞きたかったのが、
その非公開でというか、
自分がちゃんと思った通りに撮れたっていう良い悪いで分けていくんですけど、
最近はでもあんまりその良し悪し、自分の中の良し悪しでは見てなくて、
ちゃんと意味がある状態にしたいっていう要求がありますね、最近は。
意味がある状態にしたい、なるほど。
見た時にそれを読み取れる人がいるかいないかはどうでもいいんですけど、
自分の中でちゃんとこういう風に写真が並んでいることにこういう意味があるっていうのが
自分の中にある状態にしたい、すごく。
なるほど。
最初はそれがやっぱりできないんですよ。
一枚一枚で見てるから、この写真は良く撮れた、この写真は良く撮れてない。
良く撮れたものだけがたくさんごちゃって残るんですけど、
それって良く撮れた写真の集合体以上のものではなくて、
ストーリーもなければ背景もないんですよね。
でも今はそのごちゃ混ぜただどんっていう風に、
ではないものが作れないかなって今は思ってやってる?
はいはい、なんとなく分かりました。
僕も独卒さんみたいに手に残る形ではなくて、
毎月撮った写真っていうのを月一でブログに載せるっていうのを
それもだから4年ぐらいやっているんですけど、
その選定作業をずっとやっていく中で、
僕も同じように脳内トーナメント戦みたいなのが行われて、
その体操も面白いんですけれども、この順番にこの写真を選ぼうみたいなことをずっとやってて、
思ったのが、精神的に辛いなって思ってる写真の方が、
1ヶ月後を振り返った時に決勝トーナメント勝ち上がるんですよね。
それも自分の中で不思議で、
やっぱり撮った時の感情というか雰囲気を覚えているから、
この時結構仕事とか奥さんとちょっと揉めた後だったよなとか、
そういうことを振り返った時に、
ポジティブかネガティブかで言うとネガティブな感情を多く含んでいる時に
切ったシャッターの写真の方が、
だから感情の振れ幅が大きかったからなのかもちょっとあるのかもしれないですけれども、
最近はそういうことが多くて、
最初にも話した、自己セラピー的な側面で自分の写真を振り返っているから、
なおのことそういう写真を選びがちなのかもしれないんですけれども、
それもそれでちょっと面白いなと僕の中で思っていて、
言っちゃうと元気で調子が良くて、
友達とも周りとも円盤の時って、
そもそも俺多分写真撮りいかねえなみたいな。
何かちょっと別にうわーとかって言うことじゃないけれども、
ふーんみたいな奥歯になんか詰まってるなーぐらいの時に、
散歩で撮った写真の方が、
あーなんかいいねみたいな。
この写真はちょっとちゃんと残しておこうっていう気持ちになるみたいな現象がちょいちょい僕の中で今あって。
なんかわかる気がします。
なんか俺すごいやっぱりなんか、
雨とかあんま好きじゃない。
傘ささなきゃいけないってことは両手でカメラ構えられないから、
雨とかすごい嫌なんですけど、
でも雨の日に結構撮った写真は好きなんですけど、
撮った写真は好きなんだよな。
確かにドクサスはそういうテイストのやつありますもんね。
そう、なんかすげえ寂しい感じなんだけど、
それがいいとかやっぱあるんですよね。
で結構俺朝早い時間に外出てるから、
本当暗い、暗いっすよめちゃくちゃ。
どう撮っても暗くなっちゃうのね。
日が差してないから。
ほぼ夜だからどうやって撮っても暗くなっちゃう。
でその夜の街と違うのは朝の街って電気もついてないのよ。
確かに確かに。
だから本当に暗いのね。
で街灯一個ポツンみたいな感じの、
東京でもそのビルとかアパートとかバーって光が、
どこの家にも光がついててみたいなのじゃないんですよ朝って。
そっかそっかそっか言われてるよ。
街灯とか信号だけが灯ってるんですよ誰もいないところで。
でそれを撮っちゃうのがまたこうなんか、
後で見返した時になんかその安寧な感じっていうか。
はいはいはいはい。
なんかそれはそれで味があるっていうか、
こいつらなんか人間寝てんのにこいつら仕事してんだなみたいな風に思ったりしちゃうんですよ。
なんかでもその感覚、
だからドクサスさんってその自然に対するリスペクトをすごく写真から感じる時があるんですよね。
そうですね。
なんか植物、多分ドクサスさんが撮る植物の写真俺すごい好きで、
なんだろうその植物の綺麗なところを撮ろうというよりは、
あーこいつらもなんか頑張って生きてるっぽいぞみたいなものを収めようとしている感じがすごい好きなんですよね。
なんかね、やっぱりその、まず前提としてね、
人間たくさんいるとこ撮っても面白くないですよ、前提として。
はいはいはい。
例えば昼間の繁華街とか渋谷とか行って、
人がわさーいるところをなんか手前、前ボケ入れた感じにしてなんかこう撮ったりとか、
いやそらね、写真作品としてそういうものがある、
そういうものの良さがあることは私はわかるけども、
私はそれを撮りたいわけではないんですよねっていうのはあるじゃないですか、やっぱり。
はいはいはいはい。
で、中にはその葉っぱとか撮ってるよりも人間撮ってる方が楽しい人がいるはずだし、
それは別になんか個人の好き嫌いな話だと思うし、
例えばなんかそれが作家さんなんだとしたら自分がどういうふうに社会に評価されたいかってことを考えて、
人を撮ってる人もいれば自然を撮ってる人もいるってことだと思うんですけど、
なんか俺の場合はなんか人間そもそも別に撮りたくないっていうか、
わかるわー。
他人に興味は別にないですよ。
ただ、なんかこう人間が写っててストーリーができて写真として面白いっていうのはもちろんあるから、
なんかとっさにね、例えばだけどなんだろうな、
なんか小学生がめっちゃ元気に走ってるとかだったらやっぱなんか思わずそのエネルギーに引っ張られて撮りたくなる、瞬間的には。
それで実際いい写真が撮れたりすることもあるのかもしれないけども、
だからなんか人間撮ることを否定はしないんだけど、
それを別に狙って撮ることってあんまり心理的に撮りたいなっていうふうになることってあんまなくて、
でもなんか朝のその真っ暗な道とか歩いてると、
植え込みなんてそこら中にあるんですよ。
多分みんなが思ってるよりそこら中にあるんですよ、本当に。
なんなら途切れることなくどこにでもあるんですよ、植え込みって。
わかるわー。
どこにでもあんの。
みんなの中で東京の街に植え込みなんかないでしょって思うかもしれないけど、
途切れることなく絶対視界のどこかには植え込みあるから。
その植え込みをじっと見てみると、
あーなんかゴミ捨ててあんなーとか、
あーここだけ枝折れて枯れてんなーとか、
他の葉っぱ青々としてるけどここだけ誰か引っ掛けちゃったんだよな、
枝折れちゃったからこの折れた枝の先の葉っぱだけが茶色くなってるなーとか思うわけよ。
いやすげーわかります。
でそれを思うのは0.1秒ぐらいでバンって頭の中をその思いが駆け巡ってるんですよね。
いちいち言葉にしないけど、
誰かぶつかってこの枝折れたんだな、この枝折れちゃったからここから先だけ枯れて、
葉っぱ茶色くなってんなーが0.1秒ぐらいでピューンって通り過ぎていって、
言語化するよりも先にカメラが動いて撮りに行ってるんですよ、手が動いて。
でそれがいっぱい溜まっていって、
でその中からなんかその日の一番心を動かされたやつが、
その構図がいいとか露出が合ってるとかそういうことではなくて、
一番心を動かされたやつが一枚選ばれてインスタのとこに入っていくみたいな。
そんな感じなんですよね、俺の写真の撮り方って。
いやわかります。
なんかやっぱこういうドクターさんとか僕みたいなスタンスで写真撮ってる人がどれだけ世の中いるかわかんないんですけども、
とにかくそういう生活というか普段これまで見ていたものの解像度っていう、
解像度って言うとちょっとバズワード感があるんですけど、
なんかこんなに世の中っていろんなものがいろんな風にあるんだっていうことに驚きますよね。
いや驚く、本当に。
わかるわ、さっきの埋め込みの話めっちゃわかるわ。
写真始めて本当に思ったし、
あと多分これは別に俺とか彩人さんみたいな人以外の写真家もそうだと思いますけど、
もう太陽の光差してるだけで大変なことになるんですよね。
いやわかる。太陽本当にわかるわ。
今まで一度も考えたことなかった。
ポエマーになっちゃいますもんね。
今日太陽綺麗だなみたいな。
この影美しいなとか思ってる自分がなんか、
ちょっと5年前の俺に絶対見せられない姿だなとか思いながら、
でも自然というものに対して僕もめちゃめちゃ改造度が上がったって感じがしますね。
本当にだから例えば太陽光差してたらなんで、
割と写真やる人のほぼみんなが感じてると思うんですよ。
太陽の光きたら世界が変わるなっていうのは多分みんなが感じていて、
それを作品にしている人もそうじゃない人もいると思うんですけど、
やっぱ太陽の光が差してくることによってコントラストが上がるっていうか、
情報量が増えてるんですよね、多分世界の。
明るい場所、暗い場所、光ってる場所、影になってる場所っていうふうに情報量が増えてる。
真っ暗な中歩いてるとやっぱり電灯とか何かないと、街灯とかがあってくれないと、
そういう状況が生まれないんで、撮れないときは本当に撮れないんですよ、何にもないときって。
ただでさえ暗いし。でも太陽の光が差してくると世界が急に動き出すんですよね。
急に世界が動き出す。
コントラストっていうのも、写真の世界の単純に白黒のコントラストというよりは、
それこそ明け方とか夜とかの目に映るもの全部が同じ情報量になっちゃうんですよね。
同じ量の光しかけて。
太陽の光みたいなわかりやすいものが当たるだけで、主人公感というか、
ここに火の光が当たっていて、ここが影になっていてっていう、さっき言った情報量が増えるっていう感覚。
その情報量も太陽の位置、つまり時間が変わることによってちょっとずつ変わっていく。
だから今この瞬間にしかこれはないっていうものに対する感謝みたいなところとか、
そういう面白さはやっぱり大きいですよね。
だから僕が今日もう一個話したかったのが、
僕がノーマルズFMで一番好きな橋本博さんと独立さんの回で、
写真の加工の話をされてたじゃないですか。
要はレタッチの話。
あれもすごい両者考え方が違っていて面白かったんですけれども、
根本的に橋本博さん、写真撮られるイメージあんまりないんですけれども、
だからああいうふうにレタッチというのも一個の写真表現としてありますよねみたいな議論と、
独立さんがカードにレタッチされているものに対してちょっと違和感を覚えるんですよねって話は、
やっぱ写真を我々、我々ってちょっとクッチャーの大げさですけど、
独立さんとか僕は何かを発見した喜びを残すものとして写真という装置があるのに対して、
そういうレタッチとかをするっていうのは良い悪いではもちろんなくて、
写真を撮るっていうことを起点に、ここからクリエーションが始まるっていう考え方なんですよね。
それって同じカメラ、同じ機材を使っていても、まるで違うスポーツだなって僕は思っていて。
なんで僕もすごく激しくレタッチされていたものだったり、
あとクロップされている、トリミングされているものとかっていうのは、
撮った人がいいんだったらもちろん全然いいし、いいんだけれども、
俺は美味しく食べないかな、それはみたいな気持ちはちょっとあるっていうのが。
それは別にそういう写真を全然否定するつもりはなくて、むしろそういう写真も含めて好きで、
今言っているのはラーメン大好きだけれども、俺は味噌ラーメンより醤油ラーメンが好きだぐらいの差でしかなくて、
全然気分によったら味噌ラーメンを食べるんだけれども、
その意味で、我々が撮っているのはジャーナリズムで撮っている写真とかではないので、
今ここにあるものに対する表現の手前にあった発見みたいなものを、
なんとか手に収めるみたいな面白さ。
そういう一種スポーツ的なところも含めてっていうところが結構違うところだったんじゃないのかなと思ったりしましたね。
バクさんと喋ったときは、収録した当時の私の感覚的には、言っていることごもっともですねとも思ったし、
バクさんが言っていることはごもっともだなと思ったし、
バズりに前振りしているレタッチをその人がしているかどうかなんてわからないじゃないですかっていうふうには、
当時私は別にあんまりそういうふうに考えたことなかったから、
確かになーってすごい聞いてて思ったし、
確かにバズりに前振りした結果、それが出てるかどうかは本人にしかわかんないなとは思いつつも、
やっぱりなんかこう、これは多分バズりに前振りしてるなっていうのはやっぱり嫌いになっちゃうというか思ったりはしちゃうんだけども、
ただその時バクさんも言ってたけど、なんかそういうことをする人が別に嫌いとかっていうこととか、
その人がいなくなってほしいとかっていうことではなくて、
そういう表現が別にあってもいいんだけども、
我々がやりたいのはそういうことじゃないよねみたいなことはどうしても思ってしまう気はするし、
さっきはラーメンに例えてくれましたけど、
例えばプログラミングって言ったってプログラミングにもいろいろあるじゃんっていうのと一緒で、
ITの仕事って言ったってインフラの人もいればバックエンドの人もいればみたいな感じでいろんなのがあるのと一緒で、
そのIT屋として一括にされちゃうといや全然違うんですけどみたいなのがどんな業界にもあると思うし、
写真もやっぱりそれと一緒で、
何がどうなっているのが写真の定義なんだいみたいな話はやっぱり話がどうしても壮大になっちゃうし、
散漫になっちゃうから、
自分たちはこういうものをやっていきたいっていうことだけがちゃんと自分でわかってればいいのかなって今は思うんですけど、
そうですね、
そうですね、ちょっとこの話やめますか。
いやでもそう、やっぱね、俺は嫌い。やっぱバズりに全員フリしてるトーンは好きじゃない。
その人がやっぱり見えてこない、だからそう、写真というメディアに対してそれのスタンスもったいないなみたいなのは、
余計なおせっかいかもしれないけどちょっと思っちゃうというか、
やっぱTwitterはインスタでも何でもいいんですけれども、マイクかXとかインスタとか見てても、
この人同じように我々とか独卒さんみたいな感じで写真と向き合ってるなって人とそうじゃない人って、
なんか本当に1,2枚見ればわかっちゃうというか、
いやわかるわかる、わかります。
それはわかる気がする。だからなんか、
なんつったらいいかな、
なんかこう、とりあえず初心者がまずやってみることしかやってないとかがなんかやっぱ気に入らないっていうか、
なんかとりあえずサイドを上げてみました、バキバキにサイドを上げてみましたみたいな感じの写真とかを、
初心者がやってしまうのは全然いいっていうか、私もなんなら最初の頃、
そのフォトスタイル的なやつとかにやっぱサイドのパラメーターをちょっと上げ気味にして、
いや空の色がめっちゃ青く写るの気持ちいいなみたいな感じで撮ってたこともあるし、
それはすごいわかるんだけども、
なんか全然進歩しない変わんない人っていて、
多分これがだからずっといいと思ってこの人は撮ってるんだろうなって思っちゃうんですけど、
なんかそれはその人がそういうことをしててもいいんだけど、
やっぱ俺はまあなんかやっぱ好きくねえなと思って見えない形にしちゃう。
そうっすね、なんか、
やっぱその、だからさっき言った発見じゃなくて想像とかその制作として、
表現として写真の話を見ちゃうとやっぱり、
なんだかな、みたいな気持ちは僕も。
多分なんか、写真をどういうふうに捉えてるかの違いなのかもしれないですよね。
そうですね。
なんかそのいわゆる昔ながらのストレートな、
撮ったものを撮ったままなるべく見せたいみたいな、
そのストレートな写真の傾向が強い人はやっぱりレタッチなんなんって思う人いっぱい多いと思うし、
でも現代的な写真ってやっぱりレタッチも全然写真の範疇に俺は入ると思うから、
否定しようとは思わないけど、
例えばなんか、
これもねちょっと特定の誰かに対して言うわけじゃないし、
そういう界隈を否定したいわけじゃないんだけど、
例えば、
いや雷火の写りいいんですよねみたいなの、
本当に俺、目隠しして、目隠ししてハッセルブラッドで撮らせたら、
ハッセルブラッドいいんですよねの代わりに雷火いいんですよねってその人言うんだろうなっていうのが本当に嫌い。
分かりゃしねえだろって思うし、本当に分かるんだったら、分かる人いるかもしれない確かに。
でもたぶんあなたは違いますよって俺は思う。
でもその話で言うと、僕は機材の話ばっかりしてる人って、
写真界隈ではあんまり近寄らんとこって思っちゃいました。
そういう人、特にYouTuberにそういう人多いけど、
それは別にそういう商売だし、そういうキャラクターだからいいと思うし、
いいんですけど、
やれ誰が雷火の何それが出て買った、やっぱり売った理由はこういう理由で売っちゃいましたみたいなのを番組としてこうやってるわけだから、
そりゃいいんだけども、そりゃいいんだけど、
いやこいつ絶対目つぶって撮らせたら分かんないんだろうなってやっぱ思ってしまうし、
実際は分かるのかもしれないんだけどね、思ってしまうし。
そうですね、写真の話熱いですね。
難しいですよ。誰かを傷つけたくはないし、嫌いだ嫌いだって言ってもしょうがないんですけど、
やっぱ写真は自分がすごく真摯に取り組んでるつもりだからこそ熱くなってしまうというか。
それの写真に関してもう一個、どうしてもドクサスさんと触れておきたかったのが、
でも我々こうやってどちらかというとそのピュアな写真表現的なことを工場のっけて熱く語ってますけれども、
でもドクサスさんってUVめっちゃ引き伸ばしたりしてるじゃないですか。
はいはい、してますね。
あれはどういうモチベーションというか動機というかなんですか。
あれは、さっきちょっと話したように結構私の中で写真ってずっと記録的なニュアンスが強かったし、
思い出の延長線上にあるものというか、
溜めていって後で見返して、なんか楽しいだったり嬉しいっていうものだったんですけど、
なんかずっとこう、アーティストとかクリエイターっていう人たちに対する憧れみたいなのがあって、
多分コンプレックスにどっちかっていうと近いものだと思うんですよ。
自分はできないってやっぱり思ってしまっているし、
本当はやりたい気持ちをどこかで嘘をついてできないふりをしているみたいな気持ちがずっとあるし、
写真はそれを取っ払っても大丈夫なんじゃないって途中からだんだん思えてきたんですよね。
その写真に対してだけは、自分が創作、制作、もしくは創造とかアートとかクリエイトっていう文脈で写真と向き合うことってできるんじゃないかなって思った部分があって、
でもそれってもう写真の文化を考えたときに、何十年も前に一通りみんなやられてしまっているというか、
大抵の写真表現ってもうやり尽くされてるし、
そうですね、いろいろありますもんね。
一方で現代写真とか現代アートっていうものを見たときに、そんな窮屈なものじゃないよねってやっぱり見てて感じるというか、
もっともっといろんな不思議な表現だったりしている人ってたくさんいて、そこにカオスな感じが広がってるんですよ、不思議な世界が。
自分もそういうこと写真でできるのかもなって考えたし、できたらいいなってずっと思って、
そのコンプレックスに対してそのコンプレックスを乗り越えたいっていうこの欲求があって、
じゃあ自分がアーティストとして写真という文脈で評価されるために散々やり尽くされてきたもので勝負するのか、
自分にしかできないことで勝負するのかっていうのを考えたときに、
なんかその欲張りな気持ちとしてはオーセンティックなストレートな写真で評価されたい欲求っていうのはあるんですよ、やっぱり。
ちゃんといい写真撮って、いい写真として写真家として評価されたいっていう、そういう欲張りな気持ちはあるけど、
でもそれってたぶん1日2日でできるようなことじゃなくって、何十年もかけて積み上げていって初めて成し遂げられることなんじゃないかなって思うし、
でも今自分が持っているスキルとすぐに合わせられるのってやっぱWebGLとかGLSLと写真を組み合わせることだし、
それがたぶんできるのって世界中探してもそんなにいねえだろうって思ったんですよね。
確かに、はいはいはい。
だからもう堅苦しくストレートな写真でどうこう、それはそれとして追求はしていきたいんですよ。
好きだし、楽しいし、記録的な側面ももちろんあるし、いつかどこかでストレートな写真でちゃんと評価される未来も選択肢から消してしまいたくない。
だからずっとそれは続けていきたいんだけども、でも今すぐに何かやり始めるとしたらこういうことかなっていうのをいろいろ考えた結果がUVのびのびマシンを作るっていうことだったんですけど。
なるほど、そういうあれだったんですね。だから別、さっきのあれとはまた別の人格というか、もう一個のその表現者としてその写真という、自分が撮った写真というものを一個の材料として、
マテリアルとして自分らしい表現ってできないだろうかっていう部分の模索があるわけなんですね。
そうですね、だから普通にシャッター切ったままその場で出来上がるいい写真も追求はしていきたいけど、でもそれで結果が出る出ないの可能性とか、結果が出るまでいつまでかかるの可能性とか考えると、
さすがにこの継続得意なおじさんとはいえ、ちょっとだいぶ先を見せなきゃいけなくなっちゃうから、だったらちょっともう少し自分らしいことで、即興ですぐ評価されたいとかってことではないんだけど、もっと自分らしいことでやったほうが人目につきやすいんじゃないかなとも思うし、
だからちょっと打算的な部分もあるかもしれないですね。言ってみてもらえなかったら評価もクソもないわけじゃないですか。だからなんか自分なりの表現とかで人と違うことやって、面白い何かが生まれたらいいなと思ったのがあれをやり始めたきっかけかもしれないですね。
僕も似たようなことを去年あたりに熱中していた時期があって、今ドクターさんがそういうことをやられてたんで、その辺リンクするというか、どういうきっかけだったのだっていうのが。
僕もUVのみのみマシンみたいなことを去年一昨年ちょっとだけ自分でやって、それこそ去年プロセッシングコミュニティデイっていうプロセッシングのユーザーの人が集まって展示する企画とかに出させてもらった時は、僕も自分が撮ったフィルム写真をP5JSでめちゃくちゃいじって遊ぶみたいなことをやって、
その時、見に来てくれたお客さんとかに、どういうモチベーションでこういうことをやられてるんですかみたいな、他の人は色々かっこいいグラフィック作ってる中で、僕のは普通の写真だけど近寄ってよく見るとピクセルがぐちゃぐちゃになっているなみたいな、グリッチかかってるなみたいなやつを展示してたんで、
お客さんからどういうあれなんですかっていうリアクションが送って、当時僕なんかあんまりうまく答えられなかったんですけど、自分の撮った写真っていうものって、俺はどこに魅力を感じてるんだろうかっていうことが、当時不思議で、俺撮るという行為が好きなのか撮った写真が好きなのかがわからなくて、
一旦撮った写真をめちゃめちゃにしてみた、つまりそこに自分の手を加えて創作にしてみた、発見ではなく創作にしてみた時に、それでもその写真ってまだ俺の好きな範疇の中にいるんだろうかっていうことを、自分の中の実験としてやってみたんですよね。
結果的にそれがいじろいじったものが好きなものでしたかって言われると、意外にも好きなものだったんですよ。僕の中ではぐちゃぐちゃになっちゃってダメでしたみたいなぐらいの気持ちでいったものが、意外と手を加えてみても、写真が発見で終わらない、その先があるんだっていうことがわかっただけでも、
誰なんだよって話じゃないですか。
だけどなんかどこそこの超有名な写真ショーでなくても、年一ぐらいで開催されているような日本の写真ショーとかで、
一応こういうショーとかもらったこともあるんですよ。
カリベさんのすごいファンなんですみたいな切り口だったらギリギリ、
そっかじゃあ別にいいですよぐらいの感じに言ってもらえるぐらいの肩書きが欲しい。
なるほど。
自分がやっぱり接したい人と接することができない。
それは突撃してもカリベさんは答えてくれるのかもしれないけど、
俺だったら嫌だなって思うことをやっぱり突きつけたくはないから。
面白いですね。
だからショーを狙ったりだとか外部に発信していくっていうのが、
ちゃんと目的として社会とつながるため、
好きな人だったりだとかそういうものとつながるためっていう視点で、
外に発信していくっていう発想がちょっと僕思ってなかったので、
すげーすげーっすね。
去年とかも写真のショーとか海外の写真のコンペとかに出してて、
まさか撮れる仮作とはいえ何かもらえるとは思ってなかったんですよ。
それこそ初めて半年ぐらいの頃だから、
何も本当に知らない状態で適当に撮ってるだけだから、
ただなんとなく自分の中でのいいっていうものをチョイスして送っただけだったし、
仮作も撮れるとは思ってなかったんですけど、
一応仮作いただけて、それも後押しになったというか、
自分でできないって思ってるだけなんだなってその時も思ったんですよ。
俺なんかカリベさんと接ってモテるわけねえって、
思うことは勝手だけども、それ思った瞬間終わっちゃうよ全てがっていう風に思ったんですよね、
その仮作をいただいた時も。
なんで俺が写真書を撮って、
ちゃんとした肩書き持ってカリベさんにインタビューできる未来ないって、
自分が決めちゃうんだって思っちゃうんですよ、どうしても。
だからなんか自分なりの表現で肩書き欲しいというか、
何かを成したいってすごく感じる。
なんかちょっとまた僕の話になっちゃうんですけど、
最近悩んでるっていうか思っていることがあって、
何かしらこういう創作活動をめいたものをちまちまと続けていってて、
僕は何度も話しているように、そういう活動は全部自己セラピーというか、
自分を強くするためにやってきたことになってるんです、今現在。
僕は何かわりと自覚としてそれがすごく実っている自負があって、
僕も何か多少のことでは折れない心臓になってきたというか、
それはなんかでもドクサスさんが言ってたように、めちゃめちゃ積み上げることによって、
人間ってある程度何かずっとやってると、
何かその幹って育つ気がしてるんですよね。
つまり別にお前がいなくたって俺これあるし、みたいなもの。
別にそれが何かそんなつっけんどんなものでもなくていいんですけれども、
外部にコントロールされないように、
自分のテリトリーを持っているだけで、やっぱりその人って強いし、
その分だけ魅力的になるなって僕は思っていて、
現に僕は何かそういうふうに自分を育ててきた自負がここ4,5年あるんですけれども、
僕が今勤めている新刊のセンスっていうチームの代表をやっている松山周平っていう、
彼はアーティストでもあるんですけれども、
その会社のアーティストで、
代表というか部長でもありながら、
外でいろいろメディアートの活動とかされてるんですけど、
やっぱその松山さんとかと話してて思うのが、
なんか恥ずかしいんですけれども、やっぱ本物感があるんですよ。
はいはい。
で、もっと思うのが、松山さんは普段はホゲーっとしてる人なんで、
別にそんなオーラバリバリ男ではないんですけれども、
やっぱあの人が、
その松山さんの紹介で、
なんかもっとすごい人だったり、
もっと名前聞いたことあるアーティストの方とかっていうのと、
ちょっとコミュニケーション取ったりすると、
なんかやっぱり一個上の、
資座というか、
物の見え方というか、
喋っている時の、
説得力、安心感みたいなものがあるなと思っていて、
おそらくこういう資座に、
まあだから視点、
こういう視点で、
立ってるっていう、
なんだろうな、そこに行くんであれば、
なんか自分のこういう、
内側に向けたクリエイションじゃなくって、
外部に向けて、
外部と繋がるために、
アクションを起こしていかなきゃ、
いけないんじゃないかっていうことに、
えっと去年の12月、
僕30歳になったんですけれども、
30歳になってから思い始めて、
そう。
で、そういうのを、
ちょっとこの間、
松山さんと飯食った時に、
こんなようなことをぼんやり最近思ってるんですよ、
みたいな、
松山さん褒めるみたいで、
ちょっと気分悪いんですけど、
とかって、
冗談で言ってたんですけれども、
松山さん笑って聞いてたんですけれども、
その悩みっていうのは、
すごくいい悩みだと思う、
みたいな話をしていて、
それは別に01である必要もないと、
別にじゃあ今日から、
その内向きにやっていたものを、
すべて外に向けて、
その内向きに、
何かいろんなコンペ出したりだとか、
外部の人に見てもらうために、
積極的になるのが、
をずっとフルスロットでやる必要もないし、
それはバランス感覚の問題だよ、
っていうところもあると。
でも確かに、
ある一定の壁を突破したところにある、
人同士のコミュニケーションの種類というのはあると。
それは、
そこに達していない人が聞いていても、
なんかぼんやり聞けちゃうけれども、
僕がすごく思ったのが、
たまに松山さんが同席していない場で、
僕がそういうプロフェッショナルな方とかと喋っていると、
何か上手く喋れてないな、みたいな。
何か本当にすごい、
何か上手く喋れてないなというか、
何かあれ何だよ、
俺松山さんと同じように喋っているつもりなのに、
こんなに通じてないんだろうな、
みたいなことがあるっていうところとかも含めて、
やっぱ同じ、
ある一定の資材に立ったときに、
見れるもの、
伝えられる言葉みたいなものがあるっていうことを、
今僕は、
すごく、
劣等感まではいかないですけれども、
俺それ持ってないんだっていうこと。
松山さんが言ってたのは、
でも、
内向きに向かっていくクリエーションっていうのは、
どのクリエイターにもあって、
もっと面白いのは、
内向きに向かっていくクリエーションを
積み重ねていった結果、
すごく一気に外側に行くこともあると。
それがめちゃめちゃすごいショーを撮ったりとかっていうことかもしれないし、
また別の形かもしれないけれども、
必ずしも、
そのバランス感覚、
さっき言った内側と外側のバランス感覚って言ったけれども、
内側に向き続けることによって見つかる境地みたいなものもあったりするから、