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2020-07-28 26:25

【GMV 194】集中力を発揮する

イリュージョンの話が集中力の話に
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
ここのところですね、連休ということもありまして、娘が塾のオンラインホーザというものをやっているんですね、毎日。
これが午前中ほぼ全域を使って、かつ私の部屋でやるんですよ。
まあ、聞くんですね。
これは今、実はあっちこっちの塾とかで行われていることではあるんですけれども、
それは全然本筋に関係ないんですが、私が仕事をしているときに横で中学受験の懐かしい社会の例えば半島の名前とかをやっているわけですよ。
で、気がつくとですね、全然集中できていない自分がいて、割とイライラしていたんですね。
昨日、つい昨日のことぐらいなんですけど。
で、これはアレだなと思ったんですよね。
いかんなと思ったんです。
で、いかんなと思うっていうことはまだ良くないなぐらいな感じだったんですけど、
そこから一気にですね、いろんなイリュージョンが渦巻いてきて、気がつくとすごい気持ち悪くなってたんですよ。
で、これはですね、すごいなとまず思ったんですね。
イリュージョンってすごいんだなと。
久しぶりに思いました。
こういうときにグッドバイブスでは最近、最初の本とかにはあんまり強調されていなかった、
愛するとかいう考え方が出てきて、それはそれでいいだろうなと思ったんですが、
自分はこのときはですね、はるかに強くイリュージョンという感覚が湧き上がってきて、
で、これを知ってるのと知らないのはずいぶん本当に全く違う。
ある意味イリュージョンを動向できれば大半の問題は本当に片付くんだろうなと思いました。
気持ち悪くなりながら。
こういうことも何度も言ってきていることではあると思うんですけど、
自分で自分を気持ち悪くしている。
考えた、というか取ろうとまずしたんですよ。
このイリュージョン。
このイリュージョンがなくなれば気持ち悪さはなくなってもいいはず。
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なので、イリュージョンであることは明らかですよ。
そうじゃなくてこれは音がうるさいから集中できていないのでっていう風に言われるかもしれないが、そうではないんですよ。
私はあの程度の音がうるさくて仕事に集中できないという感じのタイプではないんで、
そういう人もいらっしゃると思うんですけど、僕はそうではないので、音の音量そのものの問題でないことはもう明らかだったんですよ。
例えば先日ものすごい雨が降りましたが、2階なので私の主催は音だけで言うと雨音の方がでかいぐらいなんですね。
雨音が私の仕事を邪魔してイライラしてしまうという人もいらっしゃるんですよ。
私はそれは全然ないですね。なぜなら雨の音が好きだからなんですよ。
すでにここにイリュージョンがあるんだけど。
一体全体、何に自分はまず怒っている時は恐れているってあるじゃないですか。
一瞬トイレに行って戻ってきて、これの何に自分はまず恐ろしいと思っているのか。
あるじゃないですか。中学受験僕もしたんで、そのトラウマがあるのかとか。
怒られた時の中学受験でね。
中学の先生に怒られた記憶があるのかとか。
全部洗ってみたんですね。怒られたことはありますよ。
でもですね、一切ないんですよ。
一切あれが恐ろしいと思える要素はなかったんですね。
どんなに探しても、それこそおじさんの声に似ていたとか、
昔自分をいびった同級生の言い回しに似ているとか、
いろいろ考えつくものは、でたらめな考えですが、
思い浮かんだものは全部検討してみたんですけど、
一向に当てはまらない。
つまりこれに恐れたり不安に思ったりする理由は、
どうしても出てこないということに気づいたらですね、
いきなり怒りが消えちゃったんですよね。
で、いきなり怒りが消えたなと思っていたら、
いきなりイリュージョンがスッと消えてしまったんですよ。
で、スッと消えてしまったら、
あの気持ち悪さもスッと一緒になくなってしまって、
あっ、これで仕事に入れると思ったんですね。
普通に考えてそうなんで。
で、仕事に入ったら、非常にこう、それから数分仕事してたんですけど、
数分して気がついてみたら、
そのズームなんですけど、
塾の講義のレクチャーの声がですね、
一切聞こえてないということに気づいたんですね。
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あっ、こういうことなのかと。
これがイリュージョンを消すってことなんだと。
かなりの驚きを持って実感しました。
これをやれれば、なんて言うんですかね。
やれればっていうのも不思議なんですけどね。
なぜならばですね、もともとなかったものなので、イリュージョンに関しては。
音はありますよね、もちろん音はあるんですよ。
音に注意を一切払わないとどうなるかというと、
ないのと同じになるんですね。
あの、あれですよね。
私時々やっちゃったんですけど、以前。
電車にポトキャスト…違う、
AirPods、Appleのワイヤレスのイヤホン。
置いたまま駅降りちゃった…
電車降りちゃったことが何度かあるんですけど、
幸いにもそれは後に回収できたんですけどね。
その時、AirPodsが目に入ってないんですよ。
注意が一切向かないというのはそういうことで、
そこにあるものすら見えないってことは、
往々にして多くの人は体験してると思うんですけど、
聞こえている音は聞こえてるんだけど、
認識していないので、ないのと同じになってしまう。
そういう意味では、音もイリュージョンに限りなく近いと思うんですけど、
でも音はありますよね。
私がイリュージョンだったというのは、
この場合はですね、もちろんそのレクチャーが
私を気持ち悪くしているっていうことなんですね。
そんなことはないじゃないですか。
どう考えても私が私を気持ち悪くしているわけですよ。
塾の先生に関して言うと、私がそこで聞いていることすら知らないんで、
意識的に物を描いている奴に邪魔をしてやろうとか思うはずはないじゃないですか。
でもこのイリュージョンってすごくて、
どんなへ理屈でも作り出してくれるんですよね。
だから人のイリュージョンを聞いているととってもおかしいんですよ。
私が好きでよく読む福満茂樹さんという方の漫画家なんですけど、
自虐オンパレードで、
彼の恐れと不安とイリュージョンはもう、
目から見ると100%イリュージョンなので、
お化け屋敷にいるお化けに関する詳細を語ってくれるような話なんて、
読んでいて大変面白いんですけど、
本人が本当に本気で恐れているから面白いっていうところがあります。
私はあのことで怖がるっていう、
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それに共感できる部分が何もないので、
この点なんですよね。
多分この塾のズームも気にならない、
全く気にならないという最初からそういう人がいた場合、
多分私が気にしている全てはイリュージョンなんで、
イリュージョンって何なのかというと、
ないんですよ。ないもの。
つまりお化け屋敷にお化けはいないっていう、
ただそれだけのことなんですよね。
お化け屋敷にはお化けはいない。
いると思う、少しでも思えれば怖いわけだけど、
間違いなくいないと、間違いなくいないんだけど、
いうことがですね、あらゆる意味から確信できると、
怖がりようがなくなりますよね。
ところが、
昨日の私が体験したことっていうのは、
よくよく考えた結果、イリュージョンであるということが判明した瞬間にですね、
気持ち悪くなくなるんですよ。
ってことは気持ち悪さは作り出せるということになるじゃないですか。
イリュージョンによって。
で、あれがイリュージョンだと気づいていたからいいけれど、
気づかずに気持ち悪くなってたら、
体調をそのままおかしくして、
とりあえず寝ますってことになっても、
不思議がないぐらいの気持ち悪さだったんです。
これは、とてつもないことだと思うんですよね。
個人にとって。
世の中にとってはどうでもいいようなことですが、
自分自身にとって言うと、
これは何て言うんですかね、
防衛をするしかし実態はないみたいな感じでね。
防衛を振るわけですよ。
で、集中するってのは実に簡単なことだなと思ったんですよ。
これが一切なければ。
多分これが一切なければ集中するというのは、
昔クラズの慶三さんに教えてもらった、
愛するということは造作もないことだというのと同じで、
多分集中するというのは呼吸することよりも簡単だなと思った。
例えば、昨日のイリュージョンは、
もうイリュージョンってですね、一度忘れてしまうと思い出せないんですけど、
イリュージョンの中になかったと思うんだけど、
こんなのはあり得そうですよね。
自分が損をしているという。
例えばですけど、
なぜ私の部屋で勉強をさせるのかとか、
考えてもいいわけじゃないですか。
気持ち悪くなっているから。
先にしてたときは何とも思ってないんですよ。
ここがとんでもないところで、
先に娘が勉強してるときはむしろこう、
嬉しいぐらいなんですよ。一緒にいられるわけだから。
ところが、
講義で気持ち悪くなった後で理由を考えたんですよね。
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いや、娘の近くでやればいいのにみたいな。
そもそも中学受験させたいの、
俺じゃないしみたいなことを考えるわけです。
そんなことを言えば、
そもそもなぜうちでやってるかというと、
コロナの影響なわけじゃないですか。
コロナが来なければいいのにというのと大して違いはないわけですよ。
で、そんなことを、
その、講義を横で耳にして気持ち悪くなるまでは、
考えてもいなかったのを、
後から考えだしてるくせに、
最初からそう思っていたかのように、
思い直すことができちゃうんですよ。
で、自分は損をさせられている。
このセリフはですね、
イリュージョンを一心に守っている人に、
繰り返し発生する表現なんですよね。
私だけが損をさせられている。
全然そんなことはないんですよ。
なぜならば、気持ち悪さが取れてみると、
全然そんなことはなかったから。
これは、
損をもししていることが何かあるとすると、
自分で自分を損させて、
自分で自分を気持ち悪くさせているという以外の解釈の
仕様がないですよね。
お化け屋敷にはお化けがいないという、
そんだけの話なので、
本当はですね。
で、
集中するということに関しても、
こういう言い方をすると多分、
多少ライフハック的に受けがいいんだろうなと思うんですけど、
イリュージョンを取り除けば集中はできるんですね。
ここに、
昨日それはなかったんですけど、
私に関しては。
ここにですね、
もう一個付け加えられるんですよ。
イリュージョンを使って自分を集中させたくない
というものがあるんですね。
昨日言っていたのは仕事なので。
これはですね、
あるんですよ。
この本、この原稿嫌だなと思っていると、
学校の理由になりますよね。
いや、Zoomの授業がうるさくて、
原稿を書けなかったんだけど、
うちの父なんかもそんなこと言ってたな。
そういうことを言うんですよね。
いや、違うな。
そういうことを考え出すんですよね、私たちは。
それは、
デタロメもいいところで、
そんな理由ではないんですよ。
昨日はただたまたま僕が原稿を書きたかったから、
イリュージョンを取り払うのの苦労は少なかった気がするんですけれども、
これはですね、
なんて言えばいいんですかね。
その、
きっかけにはなるってことですね。
つまり、
例えば、
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辛いものを食べて、
小さい頃に辛子を舐めてしまった、
私の経験があるんですけど、
2、数度。
ことを思い出して、
とても嫌な感じになる、
とかってことはあり得るわけですよね。
じゃあその辛いものを食べるという時に、
辛いものを食べたことに何か悪いことがあるのかというと、
ないはずなんですよね。
別にいいじゃないですか。
辛いものを食べても。
医者に止められているとかでなければ。
ところが辛いものを食べて、
そういう嫌な思いをすると私たちは、
不意に、
その、
辛いものを食べたことが失敗だったと考えて、
この損害の原因をどこかに求めたくなるんですよね。
この話を外でしていると、
そんなことを予防するのは容易いとみんな思うじゃないですか。
私も思うんですよ。
もっと自分はできた人間だと思いたくなっちゃうんですよ。
でもこれはですね、
昨日の経験からして、
人間として出来が良いとか悪いということと、
何の関係もないんじゃないかなと思えてきました。
何の関係もないような気がします。
なんで昨日気持ちが悪くなったのか、
結局よく分からなかったです。
なんとなく、
塾の先生が子供扱いしているのが聞いてて嫌っていうのもあったけど、
子供扱いされているのは私じゃないですからね。
しかもこれは弱い理由です、かなり。
子供扱いされていたら気持ち悪くなるかというと、
そんなことは全然ないですね。
気持ち悪くなったのは事実なんですよ。
吐き怪我してきたんです。
胸のあたり。
ここから自分が損をさせられているというところまでは、
本当に簡単な連想で済むんですよね。
吐き怪我して、
せっかく書こうとしてたのに気持ち悪くなった。
俺は損をしたって。
理由づけはもっと上手な言い回しを使えば、
いくらもやれると思うんですよね。
でもそれはただ単に、
昨日に関して言うと事実ではなく、
これも大事だと思うんですけど、
もしそれが多少事実を含んでいたとしてもですね、
損はやっぱり全くしていなかったはずなんですよ。
なぜならば、それを取り払うのは実に簡単だったから。
同じようなシチュエーションをいくらもあり得て、
そのすべてがイリュージョンとして取り払うことができるのであれば、
つまり、
おばけはいないんですよ、そこには。
おばけがいなければ集中できるんです。
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多分これが全てだと思うんですよね。
昨日たまたま、それとは全く関係なく娘とですね、
ある話になったんですよ。
漢字の書き取りというものをすることしない子がクラスでいると。
自然の成り行きとして漢字の書き取りをする子は、
高得点を取るし、
成功は得点が上がらずに怒られるんだけれども、
怒られる子はそのことを苦にもしないわけじゃないんだろうけど、
意に返さない風でひたすらゲームをすると。
でも、ゲームっていうのは非常にひどく作業的なところがあって、
漢字の書き取りがみんなが嫌だと思っているのも、
ひどく作業的だからだと。
別に頭を使うわけではないし、
別に発見するわけじゃないですよね。
同じ字何度も書くわけですからね。
そのゲームが作業的であり、
かつ漢字の勉強が作業的であるんだけれども、
怒られてでも常にゲームをしている人は、
つまりどうしてなんだろうという風に、
娘が寝る前にどういう動きかこれを提起してきたんですよ。
私は思ったんですよ。
非常に確かに昔よく考えたなと思ったんです。
ロールプレイングゲームの経験値上げるのとかそうじゃないですか。
あの同じモンスターを同じところにいって、
何度も何度も戦って倒すというのと、
あれがやりたくて、計算練習はダメだというのはどういうことなんだろうと。
イリュージョンなんですよね。
それしか考えられないんです。
どういうイリュージョンかというと、
例えばゲームは楽しいというイリュージョンがあるわけですよ。
もう確固たるものとして、そこに理由はいらないと思うんですよね。
ゲームは楽しくて計算のテストは嫌なものだというイリュージョンがある。
先生に怒られるということが少々それを強化する。
もしゲームが失敗するたびにものすごく怒られるようであれば、
だいぶやる人は減るんじゃないかな。
これはゲームをやったから怒るじゃダメで、
ゲームをやってミスったら怒るにすれば、
やる人すごい減っちゃうだろうなという気がしますね。
もう一つは、ゲームはフィードバックが早いですね。
1作業ごとにフィードバックが来ます。
敵を倒せばファンファーレがなるし、とにかく良いことが起こったということを数字で。
数字でというのが昨日娘ともおしゃべっていたんですけれども、
数字の評価がでかいなと。
数字の評価はテストでもしますからね。
ゲームは数字でよく評価してくれるのに対して、
テストは逆に出ることが少なからずあるから、
これもゲームも人とスコアを常に比較されるようになれば、
嫌だと思う子はいっぱい出るでしょうね。
最後に一番大きいのが、
ゲームというのはそれなりに形がついたフィードバックを返してくれるんです。
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どういうことかというと、線が少々曲がった字を書いても、
まっすぐになるじゃないですか。
少々しょうもない武器で戦ってても、それなりにかっこよく戦えますよね。
漢字のテストとかで私が嫌だったのは、
自分の字というものの下手さ加減を見ることだったんですよ。
あれがiPadとかで書くと消え失せるんですよ。
きれいな字になってフィードバックされるじゃないですか。
画一的なんですけどね、その分。
つまりこれって何なんだろうというと、やっぱりイリュージョンだと思うんですよね。
これも強烈なイリュージョンだと思います。
だって字がきれいってのはイリュージョンですからね。
現にうちの父は書家でもあるんですけど、きれいに見えない字を書きますよね。
これの上手い下手が分かんないのは、見慣れてないからだってあっさり言われるんですけれども、
つまりきれいに字が見えるか見えないかというのは、見る人によって変わるわけですよね。これは大幅に。
完全にそれは社会が決めていることであって、こういう字がきれいですと。
イリュージョンなわけですよね。
こうして私たちはいろんなイリュージョンを持っているわけですけれども、
そこにおそれと不安が成立していくんだと思うんです。
テストが嫌だというのは、つまりテストが嫌だというイリュージョンが、
テストは怖いというイリュージョンを常に含んでいるんだと思うんですよ。
ゲームにはそれがない。
単にそういうことだったなと思うと、
なんで私が昨日Zoomの授業を聞いて何に恐れたのか分からなかったんですよ。
分からなかったから腹が立たなくなったんですよ。
恐れる理由が一切ないということは、恐れてないということになるじゃないですか。
でもその前は恐れてたんですよ。
恐れてないということに気づいた途端に消えてしまった。
ゲームはきっとそうなんですよ。
恐れてないんですよ。
なんで恐れてないのかとか理由はいらないんですよね。
多くの人はゲームミュージシャンとかの話をした時、
さっきのフィードバックがどうしたこうしたとかいろんな話をするじゃないですか。
私あれはね、多分デタラメだと思います。
私たちはそのフィードバックの力よりもイリュージョンの力の方が強いと思うんですね。
イリュージョンはもう最初からそこに理由は特になくてもイリュージョンとしてちゃんと成り立つんだと思うんですよ。
昨日まさにそれを体験したんですね。
本当にそういう感覚がありました、そこには。
つまりこれはイリュージョンなんだという。
イリュージョンの中に入ったんだと。
いつも入っていないイリュージョンの中に入ったと。
そうしたらもう何でもできるんですよ。
嫌悪することも腹を立てることも気持ち悪くなることもできるんです。
逆にそこから出てしまえば一瞬で全部消えちゃうんですよ。
おかしな話なんですよ。
肉体が一定の効果をこむってるんだからしばらく気持ち悪さ続いてもいいようなものじゃないですか。
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実際にはそうはならない。
2秒で消えてしまうんですよ。
だから逆に言うと存在しないものだから気持ち悪さについていっても
断続的に自分を気持ち悪くさせ続けていない限りは消え失せてしまうものなんだよね。
それを私は自分でやめられない、やめられないと何故か思っている。
それはでも自分がわざわざ一生懸命自分を殴り続けているようなものなので
やめ難いものもあるのかもしれない。
でも自分で自分を一生懸命殴り続けているわけだから
やめることが難しいかというとそういうことではない。
これだけだとやっぱり何かちょっと達人がかっていると思うので
私は単純に言いたいんですよね。
イリュージョンをやめるために必要なのは
これが間違いなくイリュージョンだということに断定してですね。
そしてこのイリュージョンから逃れる方が絶対良いと思うだけです。
他のことをしようとするからきっとイリュージョンから逃れられなくなる。
何故ゲームは楽しくてとか考えちゃいけないと思うんです。
ゲームは楽しいんですよ。
逆に言うとそれはイリュージョンなので
ゲームは楽しいというのはイリュージョンである。
このイリュージョンをやめようと思うと多分ゲームは楽しくなくなります。
現に私にとって今ゲームは楽しくないんですよ。
これ以外の理由を見出そうとするから迷路にはまっていって
ごく些細な原因になるものを見つけ出してきてしまうんだと思うんですね。
イリュージョンを取り払うための方法みたいなものはいらないんですね。
いらないってことが大事なんです。
お化け屋敷にお化けがいない理由っていらないじゃないですか。
いないんで。
イリュージョンを取り払うというのはそういうことでこれができればですね
ほぼ何でもできるんじゃないか。
少なくとも集中するなどということのために
私も本一冊書いちゃいましたけど
本一冊もいらないんですね。
逆に言うとこれが本一冊のネタになるのかもしれないですけど。
26:25

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