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おはようございます。グッドモーニングボイスです。
9月10日19時34分ですね。
これの配信は、うまくいけばなんですけれども、
明後日かな?明後日ってつまり、9月の12日ということになりますね。
しばらくですね、この方針ばっかりいろいろ喋っていてちょっとも固まってないんですけど、
しばらくこの方針でいければいいかなと思っています。
いくらかですね、グッドモーニングボイスに関する方針も、
なんとかかんとか固めていきたいと、少しだけ微調整をかけて固めていきたいと思っています。
微調整といってもですね、短いやつを週に1つ2つは入れたいなと。
これは実現できるかどうかわかりませんが。
それとできればノートをですね、ブログのようなやつですね。
あれを連動させてうまくいかせられるといいなと思っています。
今日は早速、一応テーマに入ろうと思うんですけど、
タスクシュートの話って、タスクシュートじゃなくてもいいんですけれども、
ずっと考えていたことがありまして、
要はダラダラしちゃうとかっていうやつあるじゃないですか。
タスク管理でリスト通りにできなくてダラダラしちゃうと。
これは最もスケジュールっぽく見えるタスクシュートで割と話題になるんですけれども、
私はそれは全く問題ありませんと問われれば答えるんですけどね。
それは私が思うに全く問題ないからだし、そうなるはずだと思うからでもあるんですよ。
ですが、たぶん私が全く問題ありませんと言ったところで、
これは気休めにもなってないかもなとはよく思うんですね。
いや、絶対問題だろうと。
一歩間違えば佐々木も本音では問題だと思ってるんだろうと。
それがですね、私はそうならない日ってないんですよ、私自身。
だからこれも全部問題視していると、
私の人生結構もっと遥かに自分がイメージしているよりダメなものになっていたと思うんだけど、
だからといってダラダラしている時間を全部ゼロにして、
本を書くなり、それこそ何かの勉強をするなりすると、
もっとずっと良くなったというふうには全く少しも思えないんですね。
そんなことやってたらもう死んでるんじゃないかって思うほど、
私はそういう乗り切れる人ではないんですよね。
ダラダラしちゃうというのが問題かどうかと言ったことよりも、
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この種の気休めにもならない何かって何かと似てるなと思ったんですよ。
これとよく関係一見ないんですけど、
よく聞くのはですね、ダラダラしちゃうのに加えて、
人に厳しいことを言われましたっていうやつね。
人に厳しいことを言われたっていうのは僕に寄せられることもありますが、
タスクシュートとは別に関係ないですよね、人に厳しいことを言われるかどうかは。
人に厳しいことを言われましたっていうのに対して、
私もそうだろうし、私じゃない人に相談しても必ずこう言われると思うんですよ。
いや、気にしないで大丈夫だよと。
私だってこういうことを奥さんなりに言ってあげれば、
あなた気にしすぎよって言ってくれると思うんですよ。
ここでね、ダラダラと同じ問題があるんですよ。
これを受け入れられないんですよね。
気にしちゃう人ってそうじゃないですか。
私もなんですけど、気にしなければいいんだよとか、
そんな奴の言うことを忘れちゃえよと。忘れられないですよね。
つまりアドバイスが気休めにもなって、
気休めぐらいにはなってるかもしれないんだけど、
気休めにもなってないんですよ。
僕はこのことをしょっちゅう考えるんですよね。
ダラダラしちゃうとか、
スクシュート通りに粛々と進められませんって言われたときに、
あーって思うんですよ。
あーって思って、またこの気休めにもならないことを言って、
気休めにもならないって思われるんだろうなーって思って、
ちょっと欲打つっぽくなるんですよ、専門的に言うとね。
これは東映ドイツカだなって思うんですけどね。
つまり、相手の人の気持ちが僕に映っちゃうってやつなんですよね。
そうか、またこの言っても意味のないことを、
でも僕の正直に言えばこれしか言うことがなくて、
これを受け入れてもらえればなーと思いながら、
でも受け入れてもらえないんだろうなーと。
これね、カラゾノさんに寄せれば、
それは佐々木さん、一寸先のことは分かんないですからと言われてしまうんでしょうけど、
これもまた、私が受け入れられてないことですよね。
こういうふうに、相手が言ってることに、
どこにも嘘がないのに、そしてどこにも嘘がないと、
信じているつもりでいるのに、信じきれていない。
やっぱり僕は非常にきついことを言われたっていう人にですね、
誰もが同じことを思うと思うんですね。
そんなこと気にするなと。
私この例で今では全然違うかもしれないんですけど、
今では違うと祈りって信じたいんですけどね。
教習所ってあるじゃないですか。
あれで結構ですね、手痛い心理的ダメージを受けて、
行けなくなってしまうという人がね、
私の大学時代の、やっぱり女子に多かったかなって感じもあるんですけど、
結構繊細な男性って男の子っていうのもいますからね。
行けなくなっちゃうんですよね。
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でも大したこと言われてないんですよ、本当に。
お前その運転じゃハンコ上げられないよって。
たったそれだけ言われただけで、
もうなんか人によっては十数万円を棒に振るということが起こるんですよね。
いかにこの人に、僕はあの辺の時にちょっと確信したんですよ。
確信してから未だにそれができてないんだけど、
人に厳しいこと言うのってナンセンスだなって思うんですよね。
本当無駄なことを生み出す以外の、
何も生み出してくれないと思うんです。
言った人絶対ね、二度とうちの教習所に来るなとか思ってないと思うんですよ。
来てほしいじゃないですか、やっぱり。
教習所なんてところは、はっきり言ってあれはサービスですから。
本当に来てほしいと思ってると思うんだけど、
その何気ない多分つい出ちゃうんですよね、そういうのがね。
ことでもう二度と来なくなるとか、
しかも絶対悪評立ちますからね、
いいこと絶対ないと思うんだけど言っちゃうんですよね。
何にもこういうメリットがない言葉を吐いちゃうと。
でも気にすんなって言いますよね。
教習所のおっさんの言うことだって気にすんなってみんな言いますけど、
気にするんですよね、本人は。
気にするべきだと思っている人はいないと思うんですよ。
ここがね、やっぱりすごく考えさせられるんですよね。
気にするべきだと思っている人はいないのに、
心の傷っていうんですかね、刺さってしまうと。
心の傷の話もあるんだけれども、
それよりも、頭ではわかってるって言いますよね。
気にしなくていいのは頭ではわかってるんだけど、
どうしてもっていう話も出るんですけど、
なぜこの気にするなというアドバイスは、
全然受け入れてもらえないんだろうということを、
ここ両日ですね、9月の9、10と、
徴用のセックで、中秋の明月で考えてるんですよ。
月を見ながら、今月見えるんですよ、部屋から。
一つすごく今日話題にしたい、
二つあるんですけどね、
二つを分けてうまく伝えたいなと思っておりますが、
一つはですね、タスク修道に話戻しますが、
ダラダラというのは、これは対抗だなと結論したんですね、私は。
対抗というのはシリ族に行くで、リグレッションです。
リグレスが対抗かよって言われると、
うまい訳語って難しいってことなんだけれども、
対抗ってそもそも何なんだろうって考えたんですね。
対抗というのは、よく赤ちゃん帰りとか、
子供に帰るって言うんですけれども、
私はやっぱりそこはあまりに発達的に捉えすぎだなって、
先日もそういう話しましたけど、
子供は青年になって大人になるみたいな、
この発達ラインを意識しすぎると、
対抗っていうのがすごい直線的に戻るって感じがして、
普通の人は戻んないみたいな感じになるじゃないですか。
戻る、つらいことがあって戻っちゃう人もいるよみたいな、
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私はそうは思えないんですよね。
毎日自分のこと観察してると、私は日々対抗してしまう。
日々戻っちゃう。
奥さんにちょっと厳しいこと言われるけど、すぐ対抗する。
さっきの教授官に、指導教官とかに言われて傷つくっていうのは、
結局対抗しちゃうってことだと思うんですよ。
ババレイコさんの最近の本を読んで、
良い対抗と悪い対抗っていう表現も微妙なものだけど、
対抗という言葉がこれほど多義的に使われるようになった以上、
やむを得ないんだっていうことを書いていらっしゃったんですね。
その話、よくわかる気がするんですよ。
子供に帰るだけじゃわけわかんないじゃないですか。
私は毎日人は対抗すると思うんだけど、
その最大の証拠が、眠るという対抗なんですよ。
睡眠ですね。
睡眠って赤ちゃんに戻るっていう感覚で捉えても、
ほぼ間違いないんじゃないかなと思うんです。
で、毎日寝るじゃないですか。
つまり我々は毎日0歳児ぐらいまで戻るんじゃないんだろうかと。
何にもできないですからね、寝てる最中。
だから寝込みを襲われるのは危険なわけですよ。
で、ここを考えてみると、
猫や犬も対抗するっていう言い方もできるなと思ったんだけど、
ここまで深入りすると混乱の種なんで、
ちょっとまず考えたのは、
タスクシュートの面白いところに24時間記録がありますよね。
私いつも思ってたんですよ。
睡眠時間はとっても長い。
8、短い人でも4から5は出る。
だからもう本当4から5の連続タスクあるかって、
多分厳密につければどんな人でもないと思うんですよね。
4、5時間連続タスクってのは相当辛い。
8時間連続タスクってのはもう明らかにおかしいですよ。
どこか食事の時間が大きくずれなければならないですよね。
でも8時間連続睡眠っていうのはザラにあるでしょう。
そうすると、私たちは1日の中で、
毎日毎日1回は大幅に対抗する。
だから睡眠時間というのは一昔前、
今も同じかもしれませんけれども、
睡眠2時間仕事術みたいなのが出てくるわけですよ。
長いから。
この長さを全部を英語の勉強とプログラミングと
等々に当てればどれほど素晴らしいかって、
誰でも一度は考えるんですよ。
僕の受験時代よく考えましたよ、これを。
これやっても全然ダメなんだけど、考えちゃうんですよね。
だったら昼間勉強しろよって話なんだけど、
昼間は違うことしたいんですよ。
人間そんなもんです。
毎日睡眠が対抗だと気が付いて、
そういうふうに考えてみた場合ですね。
少し言うと見てるとすくすく、
現実に向かって言っては対抗しっていうのの
繰り返しだなっていうのに、
ふと、ごく当たり前の事実なんですけどね、
気づいたんですね。
よく言うダラダラってのは、
つまりちょっと対抗なんですよ。
ダラダラってのは13、14歳。
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青春、青春は変だな。
思春期に対抗みたいな。
ないしは小学生に対抗。
対抗というものが、
睡眠が対抗だとするならば、
対抗してエネルギーを蓄えて、
もう一度現実に適応できるようになるという、
このフロイトの発想っていうのは、
つくづくおかしくないなって思ったんですね。
一旦対抗しては現実に戻っていく。
一旦対抗しては現実に戻っていく。
退いては進むっていうやつなんだけども。
最後に大いに対抗して、
また朝現実に戻っていく。
寝てる時も現実って言えば現実なんだけど、
また対抗中夢見るっていうのもね、
すごく面白いですよね。
対抗時にやりたいことって、
夢見るようなことじゃないですか。
例えばゲームとか、あるいは小説とか、
物語とか、コミックとか、映画とか、
ほとんど夢を見る行為に入っていきますよね。
食事もちょっと対抗僕は含むと思うんです。
だから私最近は仕事と食事をセットにするのは
良くないなって思うようになって、
あんまり会食で人と話をするっていうのは、
相手のご都合にもありますし、
僕そもそもそういうこと少なくて済みますんで、
やる時はやるんですけど、
あんまりやらなくていいんじゃないかなって
思うようになりました。
食事っていうのはやっぱり、
子供でもできるじゃないですか。
幼児でもできますよね。
こういう時にこそぐっと幼児に戻ると
言ったことがとても大事なんじゃないかと。
私、子育てで気をつけていることって
ほとんど何もないんですけれども、
いくつかはあるんですけどね。
世の中的に言われているようなことで
気をつけていることはないですよ。
いくつかあるんだけど、そのうちの一つに、
この時には子供らしく会ってほしいっていう
時間帯があるんですよ。
それが食事中、睡眠中、
ゲームやっている最中なんですね。
こういう時にこそ、
人間、子供に戻るほうが
多分うまくいく気がするんですね。
こういう時に人間が大人になっちゃうというのは、
きついだろうなっていう感じがするんです。
だから対抗っていうのはですね、
ダラダラするっていうのは、
対抗しているっていう風に考えてみると、
どうしてダラダラを
むしろしたほうがいいんだろうというのに、
スパッと答えられるなって思ったんですよ。
最近100日チャレンジの話、
よくしてますけれども、
J松崎さんと一緒にやっている100日チャレンジで、
すごい発見をされる方がいらっしゃって、
今の自分、ある日、
タスクの記録をつけてみたら、
いつもの2倍はできてた。
これはいつも半分で自分は済ませていたんじゃないだろうか
っていう、これはもう僕からすると、
それは厳しすぎますっていう感じの話なんですけど、
この書き込みのおかげでこの発想を得たんですね。
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だから非常にありがたい書き込みだったんですけど、
つまり確かにそうなんですよ。
対抗する時間を限りなく減らしていけば、
ある日の生産性を2倍にするということは可能だと思うんです。
この生産的な時間と、
ダラダラする時間のセットというのは、
まず交互に来やすいという傾向は、
私もずっと意識してたんですね。
それから、10日だと言いながら10日なんだけど、
どっちの価値も等しいんですけど、
なぜ世の中では、というか社会的にはこっちの、
例えば仕事をしている、勉強しているほうは価値があり、
対抗側のダラダラしている側には価値がないとみなされるのかと、
そして我々はなぜこのダラダラのほうは楽にできて、
仕事とかは難しくなっていくのかと、
いろいろ考えてたんですね。
これ例外あるんですよ。
世の中には難しい心理状態の人もあって、
ダラダラするのはほぼ不可能で、
何か気がつくと仕事にボッとしちゃうんですという人もいないではないんで、
今のは法則的に誰にでも当てはまるわけではないんだけども、
常識的にはやっぱり仕事や勉強に向かうのには一定の無理が必要で、
そこから違う時間、テレビを見たい、
それこそダラダラすることができる、
という言葉を使うように、
そう苦労なくできるんですよね。
それは、そうか、対抗だって考えれば当然なんですよ。
対抗というのは今までできていたところにある意味に戻るので、
苦労なくできるはずなんですよ。
前に戻るという意味においては。
例えばですよ、
2歳児がテレビを見ながらご飯を食べられるかというと、
難しいですよね。
1歳児はほぼ不可能ですね。
そういう習慣がついちゃったなら別ですけど、
そう簡単なものではないですね。
ご飯の方が相当おろそかになってしまう。
つまり対抗になっていないわけですよ。
0歳、1歳児にしてみれば、
テレビを見るというのは一つの技術なんで、
やっぱり対抗になっていないわけですよ。
僕はそこに苦労があると思うんですね。
最初は何と言ってもハイハイもできませんから、
手でつかんで物を食べられるようになるのにも、
一定の訓練が必要ですからね。
そういう意味で、前へ進むというのは、
結局現実に適応するんだけど、
現実に適応するというのは、多くの場合文化に適応するってことですよね。
動物である我々には、そこには努力が必要なんですよ。
所定の箇所に間違えずに何々を記入するとか、
そういうのが仕事って思うんですよね。
それはやっぱり訓練を要することなんですよね。
それに比べれば、食事をするという方が対抗的、
つまり大人じゃなくてもできるものですよね。
だからこの前へ進むものと後ろへ退くものは、
交互に来ている。
交互に来ているということは、
私たちは毎秒毎秒対抗し得るということですよね。
一瞬一瞬対抗する可能性があるということです。
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どこで対抗を止めるかということと、
どの程度どんな対抗をするかということを
選択していくことでですね、
どの程度そういうことをやるのが妥当かどうかわからないですけど、
今喋ってみてちょっと人為的すぎて妙だなとは思うんですけど、
ただ私は機会があれば、
大きく後ろへバックするっていうのがいいんじゃないかな
っていうのが一つ。
つまり思春期とかじゃなくてね。
ただ一方で、ひしばしながら
戻る幅を小さく小まめに戻るっていうのも
割と大事なんじゃないかなっていう風にも思います。
休日にですね、
8時まで戻ってしまうよりは、
休日には思春期ぐらいまで戻るっていうのは、
一定の何らかの健全さってのがありますね。
つまり、
大体心の出来事ってそうなんですけど、
今週よく喋ったことがあって、
マイポーラーはあんまり良いことじゃないんですよ。
全体的に見た感じ。
心というのは、
良曲に触れないほど安心感がある感じがするんですね。
良曲って厳しいんですよ。
葛藤を引き起こしやすいですよね。
そういう人は昭和のおじさんみたいなので、
よくいらっしゃったんですけど、
月勤はもう、
めちゃくちゃ仕事をする。
完全に大人モード。
土日になると完全に幼児になってしまうみたいな、
そういう過ごし方をする方。
これが割とですね、猛烈サラリーマンで良しとされる姿だったんですけど、
これなんか非常に苦しいなって感じを抱くんですよね。
印象として。
それは今の説明、
自分の説明としては結構いけるんじゃないかなと思ったんです。
よく新橋で飲みに行くって言うじゃないですか。
すごく幼児っぽくなるって話もありますよね。
あれは意識的に対抗するために、
お酒というアルコールという補助薬を利用していると思うと、
スッキリする感じがするんですよね。
だから我々はですね、
マインに行って、
現実的にすごい難しい問題と格闘したら、
一旦退く必要があるんですよね。
これがさっきお話の途中に出した、
心が傷つくってやつなんですよ。
現実と格闘して、
特に難しいところに現実適応で、
一番自分の前衛で対抗している部分がほぼないですっていう状態は、
傷つきやすいんですね。
例えば、私のこのグッドモーニングボイスみたいな、
こういう活動というのは、
やっぱり僕が、
ルパン三世のアニメを見るとかに比べれば、
はるかに難しいことをやっているわけですよ。
こういうものをやっている最中には、
ある種の独特の万能感を持って、
いろんな機材を使ってみたりして、
21:00
僕が使っている機材は、
すごい乏しい機材ですけど、
それでも機材を使ってみたりして、
用事にはちょっと難しいじゃないですか。
そのプランとはいえ、
一瞬一瞬まとめながら喋るということをやっていくと、
つい口が滑ったり、いろんなことが起こるわけですよね。
難しいことをやっているわけです。
そうすると、思わぬ形で、
ナルシズムという壁が崩れて、
つまり万能感を保持してやっているわけだけれども、
思わぬ形で現実に直に触れてしまって、
例えばすごいメールをもらったりするとか、
もっと難しいところで、
ファンレターなんだけど、
心に刺さるなみたいな。
毎日毎日聞いています。
すさきさんのこのグッドモーニングボイスが朝の楽しみなんです。
私は毎日ちっとも成長できなくて、
いつも会社に行こうと思うんだけど、
家から出られなくてみたいなファンレターをもらったとするじゃないですか。
結構聞きますよね。
何の役にも立っていないんじゃないかって感じがするじゃないですか。
つまり今のはあれですよ、たとえですよ。
そういうのをいただいたってわけじゃないし、
そういうのを出しちゃダメってわけではないです。
この辺難しさがあるわけですよ。
現実と格闘する難しさというのは、
読めないものだから難しいわけですよ。
今みたいなので、私がまた、
自分が結局大して意味ないんだなと思ってやめちゃうということをやると、
今度は楽しみにしている人を傷つけることになるじゃないですか。
こういうところに、
自分が万能感の限界というものがあるんですよ。
万能だと思っていないと、
僕はやれなくなると思うんだけど、
一方で万能でないのは事実なんで、
どこかで破られることはあるわけですよね。
そしたらその時に対抗しないといけないと思うんです。
一旦死に沿いてルパンでも見てるべきなんですよ。
そうすると、この世で生きていくというのは大丈夫なことなんだという感覚が
蘇ってきて、またこれができるようになるんですよ。
この時にだから、やたら強いトラウマを
バシーッと受けるのはまずいってことです。
それをやっちゃうと、例えばですけど先日言ったみたいな、
バイポーラーですよね。
文曲家を始めて、
良いリスナー、悪いリスナーみたいな、
これよく当然やりたくなると思いません?
こういうことをやっている人であれば、
情報発信しているほとんど全ての人が
そんな厳しい、あまりにも心を傷つけるような人には
聞いてほしくないということで、
囲い込みをやり、アカウントで
弾いたりして、絶対に大丈夫な
人たちだけが聞いているところで喋ろうと。
これがナルシシズムってものだと思うんです。
つまり、現実適応という意味で
一枚膜を張るんですよね。
一番前には出ないってことですよ。
24:00
現実そのものとは関わらず、
現実より少し安全な擬似現実を作り出して、
これがウィニコットの言うところの
遊べる空間の中でも遊びやすい空間であり、
おそらく移行対象とか、
移行現象とか、移行空間とか、
そういう風に呼ばれているもの、つまりバーチャル、
ある種のバーチャル空間を作り出す。
でも、ほぼ難しいじゃないですか。
料金を300円に設定して、絶対安全そうなところで
喋るというのは、果たしてそれは擬似と言えるか。
それはやっぱり現実なんじゃないか。
300円で足切ったって足切りじゃないんだけど、
そういう風にフィルタリングしたからといって、
やっぱり厳しいことを言う人はいるかもしれない。
実はそこは仮想空間なんかじゃなくて、
そういう風に考えることもできますよね。
ちょっと今先走っちゃいましたけど、
そういう含みもこの中にはあるわけですよ。
それでお話し後、一番最初に戻ると、
つまり私たちは対抗なのか現実なのか分かりにくいところまで、
グレーゾーンみたいなところで、
いっつも頑張っているんだけど、
やっぱりそこでは頑張りきれなくなって、
もっとぐっと対抗する瞬間が必要。
そういうのが食事中、入浴中、睡眠中。
だから私はこの3つの時間はとても大事だし、
これだけでは現実的に
やりきれないなということがあるならば、
かなりダラダラする時間というものを
設ける必要がむしろあると思うんですよね。
このダラダラっていうのはつまり、
子供っぽく過ごすっていうことだと思うんですよ。
そうやってさえいればですね、
多分これ交互になってくると思うんですよね。
思い出すくダラダラ、思い出すくダラダラ。
これ、ごく自然の成り行きですよね。
あとはその中でその人が、
自分にどういった対抗が有効であるのか、
というようなことを考えてみたり、
対抗だけでは厳しくなってきたなと思ったら、
人に頼ると。でもそれはやっぱり対抗なんですけどね。
そういうふうにしていくってことが、
リアルっていうものとやっていくにはですね、
欠かせないんじゃないのかなと。
これがリアルタイムに起こってるってのが
やっぱりまた大事ですよね。
対抗っていうのは子供に戻るっていうことでは
本当はないんだと思うんですよ。
マイケル・バリントですよね。組織的対抗って言ったかな。
非常に独特の表現を使ってるんだけども、
そして彼はアクロバットってまたそれも独特の表現を使うんだけど、
上手く対抗させてあげて、
現実と自分はいけるって思った瞬間には
何かアクロバットをするんだみたいなね、
そういう表現を取るんですけど、
そういうことってあるじゃないですか。
世までずっと何かこう苦しくして
ぐっと引きこもってた人がある日、
不意に何かこう上手く活動できるようになるみたいな。
27:00
一寸先は分からないってことではありますけどね。
そういうものとして、
私たちは今々なんですよ。
リアルタイムなんだけれども、
現実というのは。
同時にこう過去に的をかけてるっていうんですかね。
そういう感覚があるってことは
上手く対抗できてるってことだと思うし、
甘えられているっていう意味でもあると思うんです。
ちょっと前にこの放送の中で
何度か紹介した家族ゲームとか、
あるいは異人たちとの夏とかね、
ああいった話の中に出てくるテーマですよね。
異人たちとの夏は対抗して
ご両親の幽霊と出会うって話なので、
いかにも小説的だし、
全部が全部真相心理だけでは
処理させないぞっていうような作者の
何かを感じますけれども、
でもやっぱりあれを真相心理的に解釈するのは
難しいことじゃないし、
自分よりもすでに年下になってしまった
ご両親の幽霊と出会うことで、
現実の非常に難しい厳粋を
直面している時の主人公が
これでやっていけるようになったみたいな話ですね。
ああいうのが、
ああいう時に現実と幽霊の世界ですけどね、
股にかけているじゃないですか。
両方に足を突っ込んでいる。
そういう瞬間が対抗なんだろうなと思うんですよ。
完全に子供に帰っちゃったりするわけじゃないんですよね。
ただむしろ逆ですよね。
大人であるままにルファン三世を見るっていうことをやるからこそ、
楽に見られるわけですよ。
そしてその中で何かが戻ってくる。
戻ってくるからまた前へ行くことができるみたいな。
対抗してしまうというのは、
僕は最近わかったんですよ。
PDCAも一つの対抗なんだということを感じるようになったので、
一概に
それ自体が良くないということはないと思うようになったんだけど、
でもこの対抗する時間を
減らせばいいってものでは
やっぱりないなって思いますね。