パチスロとゲームの比較
おはようございます。グッドモーニング・ボイスです。
4月18日火曜日、朝7時45分ですね。
今日はたまたまApple Watchなどをつけてるんで、やや曇り13度って書いてありますね。
今日は100チャレ編をお届けするという予定でおりますが、
まもなく777回を迎えるのではないかと。
これたぶん770回目になると思うんですよね。
777ってあれ、私パチスロってのやったことがないんですよ。
人工あるんですけど、パチスロになってからやったことがないんですよね。
だからやり方がよくわからないんですよ。
昔、スキーによく行ってたんで、温泉旅館の1階にはよくわからないゲームコーナーがあったりするじゃないですか。
昔でいうと、いつまでもアルカノイドの音だけが鳴ってるような。そんなこと言ってもわからないですよね。
あと、予選スタートですっていうのを繰り返し聴かされるような場所で。
あれ、私がすごい不思議だったのは、スロットみたいなのがあるわけですよ。
ある、僕が行ったところにあったんですね。
あれって100円入れてあっという間に終わっちゃうじゃないですか。
ぽっぽっぽって3回ぐらい押して、ハズレですっていうのをたぶん2回ぐらいしかできないんですよね、100円で。
とんでもないなって思った記憶があるんですよ、子供の頃に。
だってあれ、3秒くらいで終わっちゃうじゃないですか。一歩間違うと。
で、例えばなんですけど、私が得意だったものにテトリスがあったんですけど、あれならたぶんワンコイン入れれば30分遊んでられるんですよね。
なのにワンコイン入れて10秒ぐらいで終わっちゃうんですね、一歩間違うと、スロットみたいなのは。
で、いったいこんなのをやる人って何なんだろうって思って。
あの、ナナナナナナとかさくらんぼ道とか、見たことが僕はないんですよ。
自分がやった場合ですね、人がやってて出ているのは見たんですけど、変なコインが山のように出てくるやつなんだけど、そのコインもすぐなくなるやつですよね。
で、倉園家長さんにですね、彼はマチンコをよくなさってたそうなんで、1日あたりに継ぎ込むお金の金額を言って、そうか、わかったんですよ。
桁が全く違うんだなと。
この桁が全く違うから意味のある遊びなのであって、この100円とかでね、いつまでも遊ぼうと思うこと自体が、どっちか向いている方向が間違っていたんだということをお話を伺ってわかったんですよね。
だから僕はよくわからなかったんですよ、それのやる意味とか、そういう感覚的なものはですね。
テドリスはわかったんですけどね、アルカノイドとかもわかったんだけど。
そういう話をなんでしてるんだろう、今。
成功した人々の法則
3セブンですね。
777回になったら、これを聞いてくださった方は何か出すとかやってもいいかなと。
忘れなければなんですけどね、僕もう50分くらい喋っちゃってるから、50分の最後の方でこれを聞いた方はこうですみたいなのを出すといいのかもしれない。
5倍速とかでも聞くとわかんなくなるんじゃないかと思うんで、最低でも2倍速で聞いてもらうみたいな感じですかね。
100チャレ編です。
それで今日はですね、今までとちょっとガラッと変えまして、仕事は楽しいかねという本を紹介させてほしいんですね。
本の紹介としてもブログじゃないんで、断片的にちょこちょことお話に差し挟むという程度ですけど。
このデール・ドーデンという方が書いたですね、自己啓発、成功本の一種なんだと思うんですけど、僕この本は大変好きでですね。
自分が仕事をする上でかなり基本的な考え方は、仕事は楽しいかねに僕は割と寄っているんですよ。
この人の考え方で私が面白いなと思う点は3つありまして、1つはですね、基本的にこれは成功した人の取材だと思うんですよね、ある意味では。
あるいは取材はしてなくて単に研究をしただけなのかもしれないですけど、とにかく例えばコカ・コーラとかディバイスとか、
ありきたりのですね、かなり有名なアメリカの、主にアメリカのですね、成功者のスタバとかね、そういう人たちを多分デール・ドーデンがですね、寄せ集めて、
この人たちの共通点って何なんだろう的に探したと。つまり何て言うんですか、世の法則とか、
心理みたいなものというよりはですね、事例から推すという、私多分この臨床研究的な世界の方が好きなんだと思うんですよね。
心とはこういうものだから、こうしてこうするアプローチを取ると心理的に楽になるよ、じゃなくて、
実際にフロイトがドーラを見たとかね、ウルフマンとかラットマンとか、みんな動物の名前になっているのは大きな意味があると僕は思うんですが、
そういう人たちを見て、実際に治療をしていく過程で分かってきたことを軸にするっていうのが私は多分好きなんだと思うんですよ。
試すことの重要性
で、全くそういうやり方でですね、デール・ドーデンはこの仕事は楽しいかねの中で成功している人というのはどういう風にやっているかを探っていってるわけですよ。
で、その話をストーリー仕立てにしている。これがなかなかうまく描けてると思うんですよね。面白く読める。
他の彼の作品はあんなに面白くは読めないんですよ。だからこれは編集さんの力かもしれないなと、一作目はですね。
あるいはこううまく描けちゃったみたいな、そういうことって起こるんですよね、本回というか。そんなことなのかもしれない。
で、もう一つ面白い。これが一つ目のですね、私が好きな点なんですよ。
つまり、何て言うんですかね、抽象的じゃないってことですね。演劇的っていうのかな?逆か。これ分かんなくなるんですよね、どっちがどっちだか。
とにかく事例から入っているっていうことですね。
で、二つ目が、これがあの本の中でも繰り返し言われてることなんですけど、試してみることに失敗はないっていう表現。
これが結構軸になってるんですよ、あの本の。何でもいいからとにかく試せってことですよ。
これはですね、すごく私はビジネスであるというか、仕事する上では重要だなと思ってます。
これ100チャレ編ですからね。アスク州島でJ松崎さんと私が運営している100日チャレンジというものにご参加いただいている皆さんに向けてのお話なんで、
強調しておきたいんですけど、J松崎さんって人は私はこれを字で言ってるなってずっと思ってるんですよ。
彼は試しまくる人なんですよね。
だいたい日本にいないじゃないですか。思いつきで試すんですよ、彼は多分。
試してみることに失敗はない
後からだったら何とでも言えるっていうね、またあのデール・ドーデンの、これはマックス老人という人が喋ることになってるセリフなんですけど、
喋ってるセリフ、それを強するにあの話って、空港で、うだつが上がらないって言ってはいけないと思うんだけど、
そういうちょっと浸びれきったサラリーマンですよね、言ってみればビジネスマンがシカゴのお部屋空港で、僕も何度も行ったんですよ。
カンザスシティに行くには日本から行くとなるとあそこしかないんですね、基本的には。絶対そこが一番多いんですよ。
お部屋空港に行ったらマックス老人という成功した老人に会って啓発を受けるという、
アメリカの自己啓発系では非常にありきたりですね、まずそうはいかないだろうと思うようなストーリー仕立てになっているわけですね。
で、このマックス老人が言うんですよね、試してみることに失敗はない。
で、これを聞いて何でも今日から試そうって思う人はあんまりいないと思うんですよね。
これは多分僕は気質なんだと思うんですよ。私はそういう気質が全く欠けているので、
いつもJさんを参考にしようっていうのはあるんですよね。非常に僕は彼のそういうところに惹かれている部分があるんです。
全然後先考えないところを感じる。彼は考えてないわけじゃないんだと思うんですよ。
だけど私だったらドイツとかは絶対思いつきではいかない、というか行けないんですよ。
これはですね、ドイツという国についてちょっと詳しい人ならだいたいそうだと思うんだけど、
あそこに行って日本人がうまくやっていける気がしないんですよね。
まだアメリカならわかるんですよ。
僕はアメリカの方がですね、日本人というものを大いに受け入れてくれる感じがします。
ドイツってところは本当に難しいような気がしますね。
そして原則ドイツ語で喋らなければならないじゃないですか。
これもですね、Jさんはもちろんドイツ語なんか全くできなかったんですよ。
ここら辺からしてすごい不思議なんですよね。
いきなりそんなことを普通しないじゃないですか。いきなりドイツに行くとかね。
ドイツ語しかできない。やっぱり英語圏って考えてしまいますよね。
イギリスかアメリカ、あるいは中国。
インドって人は珍しいと思うんですよ。
英語は喋れる、雇用語になってますけど、インドっていう選択をする人は稀だと思うんですよね。
オーストラリアとか様々ありますけどね。
いずれにせよドイツってのはね、結構すごい選択だなってまず思います。
大概の人はね、行って1年で帰ってくるよねぐらいに思ってたんだと思うんですけど、
もうすでに数年いらっしゃる。これが試してみることに失敗はないんですよ。
これをできないんですよ。それは何でかって言って、我々は失敗という訓練を持っちゃってるからだと思うんですよね。
行くからには成功したいっていうこの発想がおかしいんですよ。
何でそれが成功か失敗かが、例えば行って1年で帰ってきたら失敗なのかと。
そういう基準がすっごい人によって曖昧で適当でいい加減なのに、
これは成功、これは失敗っていうのを僕ら直感で判断できると思い込んでるんですよね。
それが本当じゃないと。それが本当じゃないからリーバイスとかコカ・コーラとかは成功したんだっていう話なんですよ、あれは。
全部喋ると実は薄くて、しかもかなりシンプルな本なんで全部喋っちゃうとですね、
本を買うのに対する、なんていうんですか、機構処方さんへの営業妨害になりたくないんで全部は喋りませんが、
そういうストーリーとしてはそういう話で、僕は全くその通りだと思うんですよ。
リーバイスは有名ですよね、偶然の成功という例として。
ギャンブル精神と成功法則
でもデール・ドーデンが言いたいことはそういうことじゃなくて、偶然でない成功なんてないよってことを言ってるんですよ。
つまり、後からだったら何とでも言えるっていうのはすごい大事なんですよ。
僕はこれはですね、本を書いてて本当に思うんですよね。後からだったら何とでも言えるよなと。
売れてる本がなぜ売れたのかの法則というものを、編集さんももちろん、著者さんも、何なら営業さんとか、
とにかくこの業界では成功法則が人の数だけある、間違いなくそうだと僕は思うんですよね。
僕はどれも信じないことに基本的にしてるんです。
みんな、こう言ったらなんですけど、ライヤーですよね。
本当に、私はこれを絶対信じないぞっていう。
僕がもし本を書いていて、そこそこ上手くいけたのが理由があるとするとですね、
これを一度も信じなかったからだと信じてるんですよ。
まあそういうことですよね。
いろんなアドバイスをいただきましたけど、即座に忘れるようにしてました。
絶対メモとかは取らない。
とにかくこの業界でそれを信じることほど、微妙なことはないというか、おかしなことはないなというふうに。
本当に皆さん、自信満々に語られるんで、すごいドシロートは騙されそうになるんですけど、
3.7の法則みたいなもんですよね。
試してみることに失敗はないというのは、本当に機質的なところがありまして、
ある意味ギャンブル精神なんだなって思うんですよ。
今日はギャンブルづいてるな。
僕はまず、そもそもギャンブルをほぼまともにやったことがない人間なんで、
こういう機質が足りないんだろうなという感じは、足りなくて困ったっていう記憶はないんだけど、
それは多分、社会がそういうふうに僕にしつけてきたせいでしかなくて、
本当は僕にギャンブル精神が足りないというのは、どこかあるんだと思うんですよ。
だから割と積極的に取り入れるようにしてる面があるんですね。
Jさんと付き合って一緒に仕事するとか、嫌でもギャンブルさせられるんでね。
例えば皆さん、もう一つドイツ以外の例としては、この100日チャレンジがまさにそうですよね。
後からだったら本当になんとでも言いますよ。
彼と僕、彼が一時ちょっと落ち込んで、その後復帰してからまたいろいろやったんだけど、
いろいろやったんですよ。
100日チャレンジからやったんだったら、成功法則みたいなものを彼が知っててね、
私なりが知ってて、それを実行したと考えればいいんでしょうけど、
それは全く事実に反するんですよ。
いろいろやって、100日チャレンジがなぜかたまたま上手くいったんですよ。
試してみることに失敗はないメンタル
それを足掛かりにして、他のこともできるようにだんだんなっていっていて、
他のこともやったことが全部上手くいってるかというと、そんなのは全然とんでもなくてですね、
いろんなものを試しているんですよ。
僕がこれ、一番やっぱりこれに近いのは、比べるのもおこがましいですが、
エイジソンだと思ってるんですよね。
彼は豆連休が有名ですけど、とにかく試すと。
このとにかく試すっていうのは、やっぱりこうね、なんか足枷になる心理っていうのは僕はよくわかる気がするんですね。
なんか同じ上手くいってることをひたすら繰り返す方が賢いような気がしちゃうんですよ、僕は。
これに気がつくとハマるんで、必ずそうじゃない方向へ、そうじゃない方向へと。
本なんかは特に僕は適面にこれをやってきてますね。
それでも自分のテリトリーみたいなものができちゃうから、とにかく同じような本は極力避ける。
シリーズ化みたいなのも、できればそれはある意味、別の意味で幸せだからいいんでしょうけど、
原則あんまり追わないっていうのは心がけるようにはしてます。
ほんとね、あれは何が当たるかわかったもんじゃないし、誰とどんな話を書くとうまくいくかもわかったもんじゃないんで、
わかったもんじゃないのに、わかったような気がすることほど残念なことはないなっていうふうに仕事をするんだったら、
ある程度成功を収めたいみたいに思うんだったら、それは本当に思います。
だから、私やることが常に瞑想気味じゃないですか。
多分畑目から見ているとそうだと思うんだけど、それは今言ったような事情で、別に瞑想してるわけじゃないんです。
自分自身を変えたいなら、違うことをやってみる
こういうふうにやろうと決めているので、同じことを繰り返そうとは思ってないんですよね、原則的には。
ただ、うまくいったらそれはやり続けますよね、当然。
ただ、うまくいきもしないものをずっと続けていこうっていう気には、これは多分普通ならないと思う。
どっかでフェードアウトすると思うんですよ、そういうものは。
ただ、気質的に僕は凹んじゃうんですけど、もうダメだみたいになっちゃうんですけど、
基本そんなことはどうでもいいことなんですよ。
人生は長くて世の中は広いってことなんですよね、これは。
なんでもやってみればいいんですよ。
本当、いろんなお話を聞いていて、お悩み相談で、人が悩むことになる一つの理由は、
私はこれしかできないんです、みたいな不思議な発想ですよね。
誰がそれを教えるんだろうなって思うんですよ。
すごい人ばっかりなんですよ、僕なんかがお話を伺って。
僕なんてある意味無職じゃないですか、本当に。
佐々木さんなんなんですかって、昔ね、そういうことをからかわれたことがあるんですよ。
佐々木さんって肩書きないじゃないですかって。
それがいいんじゃないかって、僕なんかは、あれ多分開き直って言ってるように聞こえたと思うんですよね。
当時は全然、今に比べてもそんなことを言ってる場合じゃないだろう、前はっていう時期から僕はそういうことを言ってたんで。
でも肩書きがあるというのは確かに社会的にはいいことなのかもしれないですけれども、
不便なことだと思うんですよね、どうしたって。
で、その、私なんかのところに肩書きがある方がですね、お見えになって、
で、私には不思議なことをおっしゃるんですよ。
私はこれしかできないからって言うんですよ。
僕は別に転職を勧めるっていうわけではないんですけれども、
そこで行き詰まったら別のことをしたらいいじゃないですか、今みたいな時代は特に。
昭和中期から現在までの時代の変化
YouTuberが大金持ちになれる時代なんだから、
YouTuberになれば大金持ちになれるわけじゃないって言われればその通りなんだけど、
でも、これは昔だったら絶対ありえなかったことなんですよ。
そんなことはまだ私のところにいらっしゃる方はご存知のはずなんですよね。
自分が子供の頃に箱庭テレビみたいなのを作って、
当時は一応あったんだよね、アナログみたいな8ミリビデオみたいなのを作って、
そこでお笑い芸人みたいなことをやってビデオに撮って、さあどうするってことですよ。
それを例えば街のバザーとかで売るのかと。
そんなことをしてもですね、生きていけっこうないんですよね。
僕はあの、杉芳原さんっていう方が漫画家、杉さんですね、
ねじ式で有名な人ですけど非常に好きでですね、
かなり読んでると思うんですけど、その中に石屋っていうのが出てくるんですよ。
まさに僕あれ昭和の中期だなって思うんですけど、石売るんですよね。
河原で石集めてちょっと良さげな石を売るんですよ。
まあ、はっきり言ってホームレスですよね、あれじゃね。
本当今の時代ってのは僕はあれに比べると、
杉さんはああいうことでどれほど悩んだかっていうのを思い知らされるような話がですね、
いくつもあってとっても良いんですよ。
だいたい異常なほど貧乏で、
ただ多分旅をするっていう宙壁があったんでしょうね。
そんなにゴージャスな旅じゃないんですよね。
それこそ旅館とかに、旅館というか民宿みたいなところで行くじゃないですか。
そうするとやってるんだけど、やってないんですよ。
やってるんだけど、じゃあこれから部屋片付けますからみたいな。
そういう民宿なんですよ。
そして、でも食材を切らしてるからどうしよう買ってきますみたいな。
そういうところ。
すごく僕はあれを読んでいて、本当昭和中期だわって。
中期を僕はほぼ知らないんだけど、
本当に僕が幼かった頃のバス絵みたいなところに行く、そういうシーンってあったんですよね。
私は今覚えている中ではですね、
当時まだ朝霞市というのは人口5,6万人だった時代、
なかなか牧歌的だった時代に、
なぜかうちの父が好んでいたホルモン焼き屋さんがありまして、
橋の下でやってるんですよ。
本当に屋根は橋なんですよね。
今多分あれじゃ営業許されないだろうな。
なんでそこで買うんだろうと思ってんだけど、
これがうまいんですよ。なかなかね。
なんでこのお店は橋の下で営業してるんだっていう、
そういうホルモン焼き屋さんに連れてってもらって結構食べてたんですよね。
生き方についての考察
新菓子川っていう川だったと記憶はしていますけれども、
そういう時代だったんです。
あれに比べればですね、
それこそ大学の先生とかやってる方にできることなんて山ほどあるだろうって思うんですよね。
あとそのホルモン焼き屋さんの近くに釣り堀があって、
鯉を釣らせるんですよね。
鯉が好きな餌釣れてめちゃくちゃ簡単に釣れるんですよ。
あれもうぼったくり商売だなって思うんですよね。
その鯉全部元に戻すんですからね。
鯉大変ですよね。
ああやって政権人立ててたわけじゃないですか。
それだって結構それなりの何かが必要になるんだけど、
そういう人が山のようにいたような気がするんですよ。
あれに比べると今はもう本当に8ミリで取った自分の芸で
大金持ちになれる可能性があるんだから、
こういうことを言うとなお一層ですね、
痛々しく聞こえるかもしれませんが、
僕は河原で石集めて石売ろうっていうよりは全然いいと思うんですよね。
もうそういうことをやってた人がおそらく現実にいたってことですからね、
あの話を読むと。
だから試してみることに失敗はないんですよ。
僕は絶対そう思いますね。
本音を言うと思いついたら何でも試すのが一番いいと思うんだけど、
さすがに今みたいに家はあります、妻子いますみたいになってしまうと
そういうわけにはいかないから、
なるべく僕は、昔ゴリゴさんって方に書かれたんですよね、
書いてもらったことがあって、
佐々木さんという人は基本的に頼むと即答して
ああやりましょうっていう、
この人何も考えてないんじゃないかっていう、
あれはですね、正しいんですよ。
Twitterで書いてたんですよね。
Twitterかブログかな、僕何も考えてないんですよ。
持ちかけられた話は基本的に受けるっていう、
そういう、なぜならば今言ったようなベースがあるからで、
今はさすがにその、
飽きが減ってくるとちょっと考え始めちゃうんですけど、
これ良くないなっていつも思います。
やっているうちにお隣さんがいきなり大ブレイクするのが
ビジネス書作家の世界なんで、
そしてそれが大ブレイクしてる理由も
ブレイクした後になっても分からんのですよ。
本当にそこに理由はないんじゃないかなっていう風に
私は思っています。
そういうのを良しとしないっていう発想の方もいらっしゃるし、
実は私も思いっきりそうなんです。
昔はもう大学で研究したかった人間なんで、
でも研究の結果って意外と、
意外じゃなくて偶然の産物が多いんですよ。
例えばこれを聞くと嫌な気持ちになる方もいらっしゃると思うんだけど、
うちの方の今出ている薬って、
リチウムが発見されたんですけど、
あれはもう完全に偶然の産物なんですよ。
たまたまなんか間違って飲んじゃったものが、
たまたまこううつとして効果が出ちゃったみたいな、
そこから始まったんですよ。
だいたいリチウム飲めばうつが良くなるなんて、
普通考えないじゃないですか。
でもこういう話がいっぱいあるはずです。
はい、以上が2つ目ですね。
成功のイメージと試行錯誤
試してみることに失敗はない。
これ何で百チャレの方に言ってるかというと、
それはいいや、最後にまとめますね。
3つ目がですね、
これも似たような話に聞こえるかもしれませんけれども、
要はですね、成功している人というのは、
成功事例から書き集めてるから、
みんな試してきているんで、
偶然の成功ばっかりなんだっていう話。
だから試してみることに失敗はないと、
並行してですね、毎日違う自分になる。
これはですね、僕らは忘れがちなことです。
ラドノケイドさんがグッドバイブスでおっしゃってるのと、
ほぼ丸かぶりになるんだけど、
これはデル・ドデの本にも書いてあることだからいいと思うんですが、
毎日僕らはそもそも違う人間なんですよ。
忘れるんですよ、そのことを。
僕ら毎日同じ人間だと思って生活するじゃないですか。
だから一番はなかだしいケースに至っては、
僕はですね、これを言うのもまたちょっと心苦しいんですけれども、
病気とか、あるいはちょっと体調なり心理なりを崩した時というのは、
私は一つの、こういうのは良くないですかね、
でもグッドラックくらいに思うのは必要だと思うんですよね。
よく元に戻さなければ、みたいなことを書かれる方がいらっしゃるんですけど、
いや元に戻るのはもったいなくないかって思うんですよ。
元に戻るってことは、
もう一回それになりそうな自分のところに戻るっていうような話ですよね。
僕は元には戻りたくはないなって思いますね。
例えば、それこそ2019年に倉園さんと出会ったんじゃなくて、
再会に近いですね。
で、私はミドルクライシスを抜け出したんだけど、
あの前に戻りたいかっていうととんでもないですよね。
あの前はあの前でそれなりにうまくやってたけど、
二度とあの前に戻りたくはないし、
さもさもそんなことはできない。
毎日僕らは変化しているのであって、
毎日、つまりマックス老人が言うんですよね。
毎日違う自分になって、毎日違うことを試すんだと。
そういうことなんですよね。
試す、その機会を増やせと。
それもできれば1000倍くらいに増やせっていう、
僕らのような生き方に、
同じことを繰り返して同じ人間だと思って、
そしてコツコツと成功に向かおうみたいに思っている人間に対して、
飛躍しろって言うんですよ。
跳躍しろみたいな感じですけどね。
毎日違うことを試して、
毎日違う自分だと思って生きるんだっていうことなんですね。
私はこれは事実そうだとは思うんです。
昨日と自分が同じだってことはありえないから、
ただ僕らは調子がいい時に限って、
毎日同じ自分で生きたくなる。
少なくとも僕はそういう気質を叩き込まれてしまってるから、
多少そういう風になりやすいんですよね。
自己革新の重要性
昨日までが上手くいってたら変えたくなくなるじゃないですか。
そして調子のいい自分を維持したくなるじゃないですか。
あれは僕は危険な発想というか危うい発想だなって思うんです。
でもそうなりやすいんで、
体調崩したりするといいわけですよ、ある意味。
絶対にその状態で維持したいとは思わないから、
感覚的に思わないから。
変化を求めたくなるわけですよ。
その時になんでわざわざ元に戻ろうと思うのか。
せっかく狂ったわけだから、崩れたわけだから、
そのまま違うところに行ったら良さそうなもんじゃないですか。
どうせ違っちゃってるんだから。
よく、僕はあれはちょっと迷妻だと思うんですけど、
よく言う話あるじゃないですか。
人間の脳っていうのは物質的には何ヶ月かで入れ替わるみたいな。
これは1週間バージョンだったり1ヶ月バージョンだったりするんだけど、
とにかく全部入れ替わるんだみたいな話あるじゃないですか。
全部入れ替わるってことは別人になるってことですよね。
性格を脳とかが作ってるんだったらそういうことになりますよね。
全く違う物質でできているくせに、
全く前と同じでしたって主張するのがそもそもおかしいですよね。
だから、毎日違う自分になるんだっていう話は、
実は毎日違う自分にすでになっちゃっているんだから、
そういうものを受け入れてやっていけば良いと思うんですね。
ここを100チャレの方に申し上げているのは、
これが要するに最後のまとめになっていくと思うんですけれども、
毎日なるべく違うタスクの組み合わせって話が
タスクシュートでは出てきてると思うんですけど、
だったらですね、なるべく多く聞かれていくべきだと思うんですよね。
既成概念への批判的立場
僕は。
だから私はルーチンは本当に局省にしておいて、
言葉を追加する必要はありませんが、
なんならですね、言葉を入れ替えちゃえば良いと思うんですよ。
とにかく、機能と同じことを回すんだなって考えるのは、
もったいないとやっぱ思うんですよね。
最近ちょっと流行りの言葉な感じがするんだけれども、
良い習慣とか、僕はナンセンスだと正直思います。
良いかどうかなんて分からないってある種の習慣っていうのは、
習慣に良いも悪いもないような気がするんですよ。
だから、こう言ってもなかなか受け入れてはもらえないとは思って、
むしろ自分が考えるのは、その時その時でその時その時の思いつきを
実行に移していくっていうぐらいの気持ちの方が良いと思うんです。
その時もですね、なんでその時その時っていうことを
僕がこう言いたがるかというとですね、
前に立てた計画というものを、
わざわざその新しい自分が遵守する理由がないと思うんですよ。
いつかやりたいことっていう言葉あるじゃないですか。
それは過去あなたがいつかやりたいと思ったことじゃないですか。
そんなものを、なんで今の私が喜んで受け入れて、
これに従えない自分はダメだとか、よく分かんない。
この発想って、身代によっては相当よく分からない発想だと思うんですよ。
うまくいくだろうと思った方法で、
うまくいくかどうかなんて分からないわけですよ。
これ、本とかビジネス書とかに直してみると実によく分かりますよ。
1年前にいつか書きたいと思った本を書けない私はダメだ。
おかしいと思うんですよ。
1年前にいつか書きたいと思った本なんて、今書いたって売れないですよ。
見向きもされない可能性のほうがはるかに高いと思いますね。
だからその過去にいつかやりたいと思った、
絶対いつかやりたいと思うことは過去に思いついたことですから。
今いつかやりたいと思うぐらいなら、それ今やればいいわけで、
いつかやりたいことを後からリスト見直すときは、
必ず過去のものを見ることになるわけですから、
そのいつかやりたいことリストを作っちゃうなら、
日付そこに入れるべきだと思います。
過去のリストなら捨てるべきだと思います。
仕事へのアプローチの境地
だからいつかやりたいことというのは、
作って捨てるべきものであって、
作って実行するべきものではないんだと思うんですよね。
それ価値、たぶん僕はないんじゃないかと思うし、
たとえ実利的な価値、つまりお金に限ってもね、
お金生まないと思います。いつかやりたいことなんかやったって。
僕はそれをやるぐらいだったら、
今一番儲けられそうなことをするべきだと思うんですよ。
そこに価値観を、標準を置くならばね、
今一番売れそうなものっていうのは、
1年前とは違うんですよ。3日前とも違うと思うんですよ。
今のような時代の動きの仕方を見ていると、
チャットGBDが出る前と出た後ってやっぱり情勢が変わってるじゃないですか。
で、早速出してくるじゃないですか。
そうなった後で、何でもいいんですけど、
例えばこう、そうですね。
ライフハックで自動化するみたいな、
意味が大きく変わると思うんですよね。
チャットGBDのあるなし。
で、過去にいつかやりたいと思ったことっていうのは、
僕はナンセンスなものになってしまうと思うんですね。
だから、そんなものを参照して、
何かこう自分を固めてですね、
よりにもよってしかも、
それができない自分を攻めるだなんて、
とんでもないと思うんですよ。
で、僕はいつかやりたいことリストっていうのは、
ついつくっちゃうことがあるんだけど、
基本的には2日後にはゴミ箱行きです。
そういうものを読み返して実行する価値を認められないんですよね。
どうしても。
ということがなんとなくこうですね、
トータルで言えることかなと。
仕事は楽しい金で言えることかなと。
要するに楽しくやれということなんですよ。
あれ放題なんですけどね。
ワークストラテジーなんて放題なんですけども、
後から見てこれをやるのは辛いなと思うようなことは、
もはや仕事じゃないんですよ。
それは僕はタスクシュートをやっている人の方が、
分かりやすいことだと思うんですよね。
タスクシュートと変化に対する受動的な生き方
タスクシュートっていうのは、
何をどう見たって、
過去のリストは一列に並んでるけど、
未来のリストはしりめつ列なんですよ。
どう並べようとそれが正しいリストのはずがないんですよね。
それが正しいっていうことは、
未来に何が起きるか分かってるってことなんで、
これは私は何でも何でも言ってることですけど、
私たちはこれを信じる癖が抜けない。
この時に何が起きるかが分かっているというリストを作ってしまう。
リストを作ってる段階ですでに分かってるって言ってるようなもんですけれども、
これは実現はしないリストなんですよ。
作ったリストっていうのは。
1行ならば実現する可能性はそこそこ高いと思うんですけど、
それがもう10行となってくると、
実現しないはずのリストなんですよ。
100行となってくると、
多分そのままってことは絶対ないはずです。
100行がそのまま実行されるっていうのは、
相当無理があると思うんですよね。
だからそれをもしやるとすると、
相当周りに無理をさせるという、
無理辞するってことに。
これは昨日お話した話ですよね。
グッドファイブスの話をしてるわけじゃないんで、
受動的ってことを強調しなくてもいいんだけど、
試してみることに失敗はないとか、
毎日新しい自分になるってことは、
受け身的に生きるってことをやっぱり含むと思います。
毎日違う自分になった場合ですね、
結局そこにはどこか受動的な部分がありますよね。
その変化を自分で作り出せるわけではないので、
変化はすでに与えられたもので、
世の中も変化するし、自分も変化する。
ここがすごい大事だと思うんですよね。
本当に世の中って変化するじゃないですか。
昔、私が子供の頃はこれほど
世の中の変化というものが
目に見える形では示されてこなかった。
なんだか昨日と今日は本当に
同じような日だなっていう日は何日も続く。
昔の時代ほどそうですよね。
江戸時代とかきっとそうだったと。
でも変化って起こってるじゃないですか。
急に何かが起こり始めることはありますよね。
同じように今の時代はもう
その変化がよく動いている空みたいに
毎日毎日変化していくんで、
変化自体は見えやすいと思うんですよ。
自分はそれの中に生きてるわけだから。
そして自分もまた変化し続けてるじゃないですか。
マスクシュートではよく僕は言っているんですよ。
別人問題というか問題じゃないんですけど、
別人になってる。
夜寝る時にはもっと起きて何かしたいと思うし、
朝起きる時にはあと1分でも長く寝ていたいと思う。
全く逆のことを要求している。
食事の前と後も同じ。
トイレでも同じですよ。
で、私たちはしょっちゅうこれをやっていて
180度くるくるくるくる変わってるのに
一貫した自分がそこにいるっていう
リリュージョンをずっと大事に従うんですよね。
このずっと変わらない自分っていう観念が
完成するべく努力するっていう。
すごく不思議な、不思議な努力を
続けちゃう時があります。
あれから僕は目を覚ますために
マスクシュートやってるんだろうなっていう風に
守ってるんですよ、ずっと。
だからもう記録を見返すとか、
一定以上の長さのプランを立てるということは
一切してないんですが、
それでも使うことは使っているんですね。
それはここに書いてあることは
実現しないんだよということと、
過去に起きたことはもう起きないんだよということと、
私が今からやろうとしていることは
今までの何事も違うし、
何をしてもいいんだっていうのを
この3つの事項をいちいち確認するために
やっているようなものです。
これが多分、自分が頭を悩まさずに
少なくとも昔悩んでいたようなことでは
悩まなくなった大きな要因なんだと思うんですよね。
非常にだから軽くなったんですよ、
マスクシュートをすることで。
ついでに言うと2019年以降
Good Vibesを知ることで
一段と軽くなったんですよ。
これ以上軽くなるんだなっていうぐらい
軽くなった。
過去の価値観からの解放
それぐらい訳のわからん重荷を
持ち続けちゃうんですよね。
人っていうのは。
全部いらないんだなっていうね。
例えば、
過去の自分との整合性を取ろうとするっていう。
人によってはね、
それをやったほうがいいとか
やらないのは卑怯だっていうかもしれないんだけど、
私はもう、
まるっきりそうは思わない。
なぜそういう意見が出るのかということは
なんとなく、つまり
頭が入れ替わっていくと
わかんなくなってくるんですよ。
確かに過去そう言われると
すごく深刻に受け止めていた。
例えばタスクシュートで昔
1週間前のレビューしましょうとか
本に書いたぐらいのくせして
今はもう
先日のも一切見る気はないですって
平気で言っちゃうというのが
昔ここを指摘されれば
ぐざっときたと思うんですけど
今は
それを言われる理由はあるなと思うぐらいなんですよね。
ぼんやりとしちゃっているんです。
つまり価値観が変わるって
そういうことだなと思うし
これを
なんて言うんですかね。
自分ではですね
そこに整合性を取ろうとすると
気になるじゃないですか。
捨ててしまってるんだけど
捨ててしまって大丈夫なんですかって
これを聞いている方は
心配になるかもしれないんですが
大丈夫なんですよ。
そして捨てないで
取っておけば安心かっていうと
その安心はですね
よく言っても
あれですよね。
車のフロントガラスに
スポットをつけておくと
交通安全が
交通を
事故なしでドライブできるかもしれない
っていうぐらいな
自己表現の意義
そのぐらいのものに僕には思えます。
過去との整合性を
取っている方が
より安全に
人に責められないし
職を失わずに生きていけるっていうのは
僕の今の
リアルには
反するんですよね。
全然そうはなってない。
あの時の方がよっぽど辛かったし
整合性を取ろうとしていること
それ自体が危険を招くってことは
ないんだけど
取ろうとしない方が楽なことは確かですよね。
人の考えも
そもそも人って変わっていくんで
今この瞬間にも変わっているんで
取ろうとしない方が楽で
そして今の方が
さっきの心配でいうと
失職と他人からの
批判あるいは
嘲笑かな、あるのかもしれない
批判ないしそのもの
でも僕の心までは
僕には届いていないしね
僕はツイッターまだ見てますし
エゴサーチはしてませんが
フェイスブックとかも
見ますしニチャンはもともと見てないし
今ごちゃんなのかな
そっちでエゴサーチすることもないですけれども
その種の批判を
もろに見たっていうのは実は
2019年以降も
ないんですよね
もろに1回だけ言われたことはありますが
肩書きの意義と自由な生き方
その人は
僕が
グッドバイブスとかをやる
前から僕に対して
極めて侵略なことは何回も
おっしゃってる方だったから
別にグッドバイブスによって改めて
侵略度が
増したってことはないんですよ
もともとその人は侵略だった
結局いつも侵略
だからそれによって危険が増してる感じは
しないんですよね
失職っていう話になってくるとさっきも
言いましたけど僕は肩書き
からないんで
だから
すごいって言われることがあるんですよね
すごい万有だって意味だと思いますよ
異常な勇気だ
みたいな
疑わしいと思うんですよね
あった方が
安全かどうかが疑わしいと思うんですよ
あることそれ自体はいいと思うんです
お医者さんが
食べるのに困るようでは
この国としては大変
よろしくないと思うんですよ
そのランクにある人すら
風にも困るっていうようじゃ
革命起きちゃうよなって感じがするんですけれども
でもこの
今のような時代ならば
肩書きがないっていうのは
私の妻の
実家は
お医者さんいらっしゃいますから
あっちの方が
お金には困らないし
うちの奥さんもよくおっしゃるんですよ
あれだったら
安心して
生きていけるのにって言うんですよ
僕なんかと結婚しちゃうから
そういう目に合うわけ
これはですね
そうは言っても
もちろん
医者と結婚すれば
その方がより豊かで安心だったとは思うんですよ
その件に関して
異論は一切ないんだけど
だけれども
いずれとなれば彼女は
医者を頼ればいいわけですよ
身内に医者がいるんだから
こういう観点が
どこか
自分で
そういうところが
あると思う
夫が医者であれば
より私は何の心配もない
っていう
世間として通る
考え方に沿っていたい
みたいなところがある
いざとなったら
身内頼るじゃないですか
なんでそれを最初は
自分の人生を取るべき方向を決める
塞いでおくのかっていうと
世間体が悪いとか
頼っているということによる
非難を受けたくないとか
そういうことを
捨てたほうが
そういうことを捨てるためには
新しいことを
自分に受け入れなければ
ならなくなっていくんだけど
これのほうが断然いい
と思うんですよ
その結果がどうあれ
いきなりドイツに
行ったJさんは
当時ずいぶんいろんなことを
言われたりしたこともあると思うんだけど
結果がどうあれ
これは結果良かったからね
結果良かったから
問題じゃなくなっている感じに
見えてしまうんだけど
僕はそうじゃないと思うんですよね
結果がどうあれ
自由に動くべきだと思うんですよね
そうすると一時的に
ある種の人に影響が及んで
その人が何か何か言ったり
思ったりするのかもしれないけど
それのほうが
今はですね
いいと思うんです
そういうことを僕に
留学時代に教えてくれたのが
仕事は楽しいかね
という本だった
留学時代もさんざんパラ
それ以来いろんなことを試すようになって
明らかにそれは留学で良かったです
僕は5年かけて
一応大学は出て
一応PhDのコースに入ることはできたんだけど
それはあの本のおかげだったんですよ