00:07
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
たぶんですね、いつこれを聞かれるかによるんですけれども、
ていうか、いつこれを聞かれるかによるんですが、
これを聞いたタイミング次第では、
今日はバックグラウンドミュージックって言うんですか、
あれが入ってないはずで、
たぶんそれは収録後早く聞かれている方。
で、時間が経ってから聞かれる方は、たぶん入る。
たぶんですね、たぶんばかりだな。
昼の少なくとも3時以降に聞かれた方には、
BGM好きってことになるかなと思います。
これですね、実はこのBGMについて、
ちらほらと意見があって、しかもちらほらしかないのに、
全部ばらけているんですよ。
ない方がいいという方から、ないと良くないという方までいて、
しかも音が大きすぎるというお話もあったりするんですね。
それは要するに、僕の声に被るって話だと思うんですけど、
音を小さくする方法は分かったんですけれども、
それはですね、デスクトップを使わないと今のところ私にはできないんですね。
モバイルだけだとですね、なぜか私今のところできてないんですよ。
そのうちできるようになるかもしれないんだけど、
今の段階ではデスクトップを使いたい。
デスクトップを使うのは全然構わないんだけども、
この時間、デスクトップPCというかMacはですね、
起動していない時間帯なんですね、私の場合。
どっちにしても終わった瞬間に私上げますから、
編集とか一切していないんで、
今後もする予定はほぼ全くありませんし、
分かんないですけどね、将来急に編集しなきゃダメだと思い始めるということはあるんだろうけれども、
人に言われてそれをやるほど私はこの辺の編集に興味持ってないんで、
多分よほど何かこう、なんですかね、
腐ったバナナ食べたとか、そういう戦でもない限りはやらないと思うんですね。
で、編集というほどのことはないから音量を下げるというのはやることにしたんだけれども、
とにかくすぐにはできないんですよ。
で、多分1時間後ぐらいにBGMを載せるバージョンを作ると。
忘れなければ。でも多分これはタスクシュート上にあるから忘れはしないと思うんですね。
で、最初はBGMはつけないことにします。
ただしばらくは、ここ2、3日はバタバタしそうな気もしますけどね。
要するに声が聞ければいいという話であればBGMはいらないかなって話で。
で、BGMが必要だということだったら小さいのをつければいいということなんですけどね。
03:01
たったそれだけなんですけどね。
それでですね、
昨日、かき揚げ地区というところで、神保町で、
神保町で、倉園圭三さんと一緒にやってきたんですね。
第6期に入っていて、私の感触としては今期が一番、
この言葉は私は間違っていると思うので使いたくないんですけど、
一番進化したバージョンだなと思っています。
上手いこと言っている感じなんですよね。
受講生の方も、私たちの方も上手くいっている。
一番フィットしてきているかなと。
毎度毎度やってるわけだからほぼ同じ形で、
どんどんブラッシュアップして、おかしくはないんですけどね。
でも成果としてそれが見えてきたかなって感じがします。
これはすごい変なんですけど、CMでしかないんですけど、
ぜひ皆さんも、気になっている方はぜひ受けられるのをお勧めします。
プロは関係ないと私は本当に思います。
とりあえず私は文章にプロもアマもないと思っているんです。
ここに非常にこだわられる方もいらっしゃるんですよ。
わからなくはないんですけど、
ここのこだわりというのもイリュージョン以外の何物でもなくて、
漫画でもよく言われることですけど、
プロより上手いアマチュアの人にザラに言いますよね。
でも、本が出る出ない、売れる売れないはものすごく自由に左右されるので、
これについていろんな意見をみんなで言っているんだけど、
これはこれで楽しいからいいんだと思うんですけどね。
どうしようもないんですよ、このことは。
自由はあるんですよね。
先日、田島のたけしさんとクロストークしたときに、
彼は言ってました。
僕は自由にものすごく乗っかれたんだと。
それは、その差はでかいですよね。
ほとんど、彼とは私、東京ライファー研究会というところで何度か一緒に登壇したこともあるんですけれども、
その昔の彼が自流に乗る直前ぐらいのとき、
私が要するに自流に乗り損ねた頃ですよ。
ものすごい差がつきますよ。
田島のさんなんて、前回お話になっていたときに、
家が4軒ぐらいあって、
なんか家賃だけで150万。
家賃150万って、
僕の、そうですね、年収とは言えませんけどね。
でも、僕の年収がそれぐらいだった時期って、
フリーランス始めた頃はありましたからね。
家賃じゃんって、しかも1月のですからね。
この差がつくんですよね。
自流の差って大きいですよ。
彼の書く本の方が面白くて、文章力が彼の方があると仮にしても、
そこまでの差はないだろうってのは感じるけれども、
しょうがないんですよね。
これが自流に乗れる乗れないの差なんて、
文章力が甘っぽいかプロっぽいかとか、
そんなものはこだわる人にとっての価値は高いと思うんですよ。
06:05
でも、それでじゃあ家4軒建てられるかとか、
外車買えるかといったら、それは絶対僕は無理だと思いますね。
文章に光るものがあるとかいう、それだけの方法でそこまで行こうとしても、
それは無理ですよ。やっぱり自流に乗らないと。
この自流に乗るってのは、これも田島田さんがおっしゃってたんですけど、
意識的にはできないんですよ。
気がついたら乗っかってるっていうのがやっぱり一般的な話で、
意識的に俺自流に乗るからみたいな感じで、
そういうやる方いっぱいいらっしゃるんだけど、
なかなかそう簡単には自流には乗れないと。
僕みたいに乗ろうというふうに意識しても、
意識しなくても乗れてない人もいるわけですから普通にたくさん。
コントロールして乗れるものでは多分ないと思うんですよね。
乗れる人もいると思うけど。
ちなみに乗んなくても全然いいやとか思ってるわけではないんですよ。
一応商業出版で生きてる人間ですから、乗れたらいいなぐらいには思ってるんですけど、
たぶん乗れたらいいなぐらいに僕が思ってるようじゃダメだって思いますね。
だから何の話してるのか分かんなくなってきたんですけど、
書き上げ塾に入るのもとても僕はおすすめです。
自流に乗れるということは全然特にないんですけど、
文章を書けるようになるというのはどういうことかというのは、
私はここで学びました。はっきり言って。
だからプロとかは関係ないんですよ。
別に僕は一応書き上げ塾に入るとか入ったわけじゃないですかね。
主催してたわけですから。
その前からプロはプロでしたから。
今の方が抜群に上手くなったかとかいう話をすればですね、
またそれはそれで分からないところもあるんですよ。
上手くはなってると思いますけどね。
ただこれがなければプロになれないということはないと思うんだけれども、
意識して書こうと思えば結構きちっと書けるようになるというのは、
プロの人には絶対おすすめできます。
そうはないと思う。
そうじゃなくても今からの時代、
全部動画ですって言うんでもなければですね、
表現はすべて動画でやりますとか、
全部絵ですとかそういう方にはおすすめしませんが、
文章って入ってきますので、
損にはならないとは思いますね、絶対に。
相当得できると、値段から考えると私は思います。
それで書き上げ塾で、
なぜ書き上げ塾の話をしたかというとですね、
昨日怖いという話だけすると、
そんなに怖がってないという方もいらっしゃると思うんで、
今ホットになりつつあるのは先送り問題なんですね。
先送り問題も問題視しなければ済むという部分もあるんですけども、
09:01
そこに随所に不安というのがやっぱり、
実は入ってきているんだなというのを、
最近改めてですね、
Jさん、J松崎さんとやっている100日チャレンジで、
今日は人名がよく出てきますね。
実感しているところなんですね。
何が怖いんだろうという風に考えると、
やっぱり死ぬことなんですよね、面白いことに。
面白いことにというのは、
そんな風には誰も言わないんですけれども、
結局すごく哲学的なところにすぐ行っちゃっているなというのは感じるんですよ。
死ぬこととは誰も言わずに何というかというと、
このまま人生が終わることっていうんですよね。
だから私はこれはですね、
倉園さんが時々学校教育っておっしゃるし、
それがすごくでかいんですけど、
もう一つ僕が感じるのはですね、
もう一つというかもういくつも感じるんだけど、
うち大事だなと思っているのが、
社会が豊かになったことはあるだろうなと思っています。
やっぱり自分の人生は豊かなものなんだと、
この豊かさを味わいたい、味わい尽くしたいという、
それ自体別に不思議じゃないんですけど、
味わい尽くす前に寿命を来たりするの嫌じゃないですか。
だから急ぐんですよね結局。
経験を急ぐっていうのかな。
で、味わい尽くすにはお金がいくらかいるじゃないですか。
割といくらもいるじゃないですか。
あって困ることはないと思われているわけですよね。
だからお金を稼ぎ、時間を効率よく使わないと、
味わい尽くす前に人生終わるっていうね。
というふうに思えるってことは、
見た感じ、世の中をぐるっと見回したりした時、
天命の大起き金とかが来ているような時代では、
そうは人は考えられないと思うんですよ。
人間の生というのはこんなに豊かなもので、
長く生きれば、いろんな面白いもの、美味しい食べ物とか、
それこそ会社とか、六本木ヒルズに住むとかが、
味わい尽くせる素晴らしいものだから、
そういう外的なものばかりじゃなくても、
いい音楽を聴くとかあるじゃないですか。
そういうものを味わい尽くすためには、
長く生きて、健康に生きて、お金もそこそこ自由になって、
いいことづくめなわけですよね。
だから、なんていうのかな、
だから僕の話とかは受けないわけですよ。
今日は別にだらだらYouTube見てても全然OKですという話をしても、
こいつは無責任だって思われるわけですよね。
だらだらYouTube見てたんでは、
ルーブル美術館とかに行けるようにはいつまで経ってもならないということだと思うんですね。
ということはでも、やっぱり世の中豊かだってことだと思うんですよ。
さっき言った通り江戸時代みたいなところで、
ぐるっと見回しても悲惨なことばっかりだったり、
そんなに面白おかしく暮らしてる人っていうのは、
本当に行くところに行かないと見たこともないっていう時に、
人はそういう発想にはならない。
今の時代は、やりように言ったら自分でもそこまでそういう生活ができるという風に思えるからこそ、
12:04
第二領域みたいな話が大事に人の心に刺さるようになってるんだと。
これは私はずいぶん若い頃からずっと意識はしてきました。
私も全く同じように考えたことがあって、
私の指導教会にからかわれたんですよ。
君らがそういう風に考えられるようになったのは、
結局俺らの時代の高度経済成長の名残だよな、みたいなこと。
からかい方が非常に教養豊かなからかい方なんですけど、
これからかってるんですよ。
それを聞いて私は非常にある意味滑稽に見えるんだろうなと思ったんですね。
多分そういう風に言うと、
教え子とはいえ大学生だから、ガドが立つから、
こういう非常にやんわりと教養豊かに、結局でもディスられてるんですけどね。
で、思ったのは、別にそれはそれで全然ありだと思うんですよね。
豊かに文化的に過ごす憲法みたいですけど、
のがいけないというような話では全くないし、
全然いいと思うんだけど、
これはそうすることがですね、
ダラダラYouTubeみたいなものを全部犠牲にするほど、
本人にとって価値があるのかどうかっていうのはまず、
グッドバイブス云々以前に、タスクシュート云々以前に、
真剣に考えるべきだと。
昨日ね、その話もやっぱり書き上げ塾の中で出てきたんですね。
筋トレって、筋トレってもう一つのキーワードだなと。
百日チャレンジ第2領域でも筋トレってもう、
湾坂出てくると。
ラジオ体操じゃなくて筋トレなのねって思うんだけど、
筋トレなんですよね。
で、筋トレが好きなら、いいわけですよ。
私の昨日もその話もしたんですけど、
友達のラグビー部員に筋トレ強みたいな人がいたんですよ。
筋トレに全人生を捧げても多分彼は惜しくないっていうタイプなんですね。
こいつと歩いてれば、体内のメニューやっても大丈夫そうだなと思ってたもんですね、私は。
私とかもう筋肉ない人間ですから。
ヒョロヒョロっとしてるだけの人ですからね。
で、全然筋トレに私は興味当時からなかったんだけど、
何かこのラグビー部の部室とかに連れて行かれて、
筋トレとかを、要するに遊んでたわけですけど、やらされてて、
なぜこれにこんなにやる気になれる、これが楽しいと思えるんだろうなと思ったもんなんだけど、
これならいいと思うんですね、筋トレでも。
でも、明らかに私と変わらないくらいしか筋トレに興味がないのに、
第二領域だからという、何かこう倒作した理由によってやるっていうのはですね、
多分それが続かなくならないにしてもですね、
15:03
それを習慣の力とか仕組みの力とかで続けてると、
どんどんどんどん嫌になっちゃうと思うんですよね。
で、ここで最初の話に戻るんですよ。
そもそもどうしてダラダラYouTubeではダメで筋トレじゃないといけないのかというと、
あれですよね、話が戻るんですが、
味わい尽くす前に人生が終わってしまうのが恐ろしいから。
恐ろしいからというのはとても変なもので、
味わい尽くすために何々をするっていう話だったはずじゃないですか。
味わい尽くすために第二領域すると。
ところが味わい尽くせないうちに終わるのが怖いから筋トレするってことになってくると。
つまり筋トレしてれば怖くないって話になってくるんですよ。
で、この恐怖感の方が私は、
この恐怖感をモチベーションにするのは、
何やってもこういう倒策を生むよなって思うんですね。
ある意味精神分析の話もここでも頻繁にしてますけど、
あれってフロイトが防衛っていただきあって、
根本に恐怖があった時には人はおかしな行動をとるよと言ってる、
倉澤さんのお話とまんまかぶるんですよね。
防衛ですから。防衛ってのは怖いってことじゃないですか。
怖いから例えば想的に防衛する。
つまりいきなりブチ切れて人との関係を全部切ると。
急になんか厳しい迷路を出すというようなことを人はするんですよね。
今まですごい仲良くやっててひどく穏やかな人なのに、
いきなりこう非常に怖い文面の迷路を送ってきて人との関係を切る。
これ想的防衛なんです。怖いんですよね。
一見ものすごい怒ってるから怖さ自覚してないかもしれませんが、やっぱり怖いんですよ。
これになって想的防衛なんて1900年代初頭に名前が付けられたということを考えるとですね、
もっと後か。でも1900年代の前半に名前もう100年くらい前ですよ。
怖いんだってことはみんなにバレバレだったわけですね。
脳波とか今測ることができるからその人怖がってるのは目で見えるんですけど、
そんなものが全くない時代から結局ブチ切れてメール出すって人は怖がってるんだってことが、
もう誰の目にも人の目にはですね、本人を除いた目には明らかなんですよ。
あるいは怖くて欲打つになるというのは当然あるとして、
怖くてヒステリーっていうのももちろんあるわけですよね。
この話でも何度も出てきているお嬢さんが、名家のお嬢さんがね、
お父さんが不倫、結局不倫が許されている状態では、
私の理想の家庭というものはお嬢さんの目から見ればぶち壊しになってしまう。
この恐怖からヒステリーという症状が起こるわけですよね。
いきなり立てなくなるとか、そういう心身傷になってくる。
こういう防衛の仕方もあるわけですよね。
18:02
作業ではないんだけれども、心が体を病にして作っていくとか、
そういう怖さもあるわけだ。
相的防衛とか、ヒステリー障害とか、いろんな形でその自己愛とかね、
そういう怖さが、怖さを防衛する形で病気になっていく、病気を作り出すんですね。
で、この名群になってうまいこといくわけがないんですよね。
人生を豊かに味わい尽くしましょうって言った時に、
防衛が始まっちゃったら、もうどうにもならないと思うんですよ。
で、先送りっていうのも結局は防衛の一つで、非常に分かりやすい防衛ですよね。
それをやるということに近づくのは、もう嫌になっちゃってる。
嫌になっちゃってることをやるというのは、人生でちょっともう豊かに味わえてない感じがするじゃないですか。
つまり、人生を豊かに味わうために筋トレをやろうって話だったのに、
もう筋トレが嫌になっちゃってるわけですよ。
筋トレに時間を尽くすのは無駄な感じがするし、ここで倒作が起きてるんですよね。
時間を有効に使いたい。そのために筋トレをやることにした。
ところで、その筋トレをやると時間が無駄になるような感じがする。
これ、筋トレを英語の勉強に当てはめても、
それこそ、何でしょう、モーニングノートみたいなのに当てはめても、
バレットジャーナルに当てはめても、それら自体がいけないわけじゃないですよ、全然。
筋トレだろうと、モーニングノートだろうと、語学勉強だろうと、何でも全然全くOKなんだけど、
これが、何かを失いたくないからそれをやることにする。
それをやることにすると、その何かを失うことになるっていう、
この流れになるのが、この流れを作るのをやめましょうねという話なんです。
だから、始める前によくよく考えておく必要があると思うんですよ。
その第二領域は何のためにやるのかと。
その第二領域をやると、安心が得られるとかじゃダメだってことなんですよね。
その第二領域さえやっておけば、将来の安泰だからとかではダメだと思うんですよ。
それは、あっという間に、今の不安ですって話の占い師になってしまって、
今の不安だということは、毎日ずっと不安でなきゃおかしいわけですよ。
いつも毎日は今ですから、これか今ここなんですけど、
今ここが不安ならば、もう永久的に不安なわけですよね。
で、その不安を解消するために第二領域やりますっていうのでは、どうしようもないわけですよね。
それじゃ永遠に不安なまま、何にも解消できないので、
当然先送りになるに決まっているわけです。
これが私がダラダラYouTubeでもいいとしない限りは、
多分それを実行することはできるようにならないですっていう話をしたときに言ってる話であって、
別に無責任に、何やっても大丈夫だからって言ってるわけではないんですね。
21:04
手に入れたいものがあるならば、まずやっぱり、
今すぐ手に入れられる方法はないんだろうかって考える方がまだまだ全然健全だと思うんですよ。
一歩間違うと、いつ手に入るのかもわからないっていうのはまだまだ良くて、
何かが手に入るのが失われるのが怖いからこれをやっておくっていうのは、
もう手に入る保証は最初から自分で意識もしてなければ、
イメージもしてなければ本気してるじゃないですか。
だからこの話は最初から難しいんですよ。
本当に英語の勉強をしていれば将来そういう人生の豊かさを味わい尽くせますかっていうのは、
本人も全然納得できてないと思うんですね。
だってそれ納得する方法は別にないですからね。
それが英語である方が中国語より賢明なのかとか、
何ならインド語より賢明なのかとか、
わかんないじゃないですか、そんなことは。
わかんないはずなのにそれをまず分かろうとして、
分かったことにして、しかし確信を持つところにまでは至ることなく、
来領域というとりあえずカテゴライズしておけば安心っていう風に思える瞬間もあると思うんですよね。
でも結局疑い始めればそれは無理だってことになるので、
とりあえずYouTubeを見るわけですよ。
その時に手近にあるやりたいことをやるんですよね。
だからまず一番正常にやることは、実は不安を取り除くことだと思うんですね。
不安が取り除きたいであれば、これはできるっていう話を、
それもこの番組でもしてます。
とりあえず野村のポッドキャストを聞いていただいてもいいと思います。
私は昨日そのお話もかき上げ塾などにしたんですけど、
心体反応に来ると。
怖いって感じた時はもう体が反応してると思った方がいいと思うんですね。
つまり怖いと感じるのを避けようとしても無駄だってことです。
怖いと感じたということはもう身体は反応してしまったという話で過去形なんで、
多分脳が怖いと思ったっていうのはそのだいぶ後なんですよ。
だいぶつったって30秒とかですよ。
多分電光石火なんですよ。
怖いと思った時ってのはもうここを踏みとどまるのは不可能だと思うんですよね。
こんま何秒かせいぜい1、2秒の話だと思うんですよ。
怖いと思ったなと思った時には心拍が上がり始めている。
この流れをせき止めるっていうのは意識では無理です。
意識の方が後なんで。
タイムラグがあるってことですね。
怖さを取るって話を結局不安だから何かをしておきたいとか、
将来が怖いから何かをしておきたいというこの怖いですよね。
24:02
この怖いを取り除いてしまえばある意味毎日筋トレせずに済みますよって話なんですよ。
あるいは筋トレしようとした時に、
筋トレで時間と体力を今奪われるとかけ上げ塾の原稿を書けないなとか
そういうふうに思うことをせずに済むわけです。
これはですね、結構具体的にしゃべると、
具体的に言うと、こうやって抽象的にしゃべっている限り
そうかなぐらいに思える方もいらっしゃると思うんですけど
具体的に昨日倉園さんが面白いことを言ってて
一日中女の子とデートしてきました。
ものすごい楽しくてものすごい疲れました。
帰ってきて真夜中です。
さあ原稿を書こうと思っても簡単に書けるんだっていう。
こうなるといきなり怖くなるじゃないですか。
それは俺には無理そうだからデート行く前に本を書いておこう。
これが怖さなんですよ。
こういう怖さにとらわれている間は
人は自由に行動できないんですね。
私も昔そうだったんですよ。
デートほど極端じゃないんですよ。
朝10時のゴールデンタイムとか勝手に名付けて
ここで原稿を書こうとしてたんですね。
その時は夜は書けないって言ってて
みんな納得してくれるんですよ。面白いなと思いますね。
セミナーで4,50人いてもこういうとほぼ納得されるんですよ。
でも今はそれはデタラメだったんだなっていうのがよくわかります。
夜だって書けるんですよ。全然。
夜だって書ける方がいいに決まっているわけですよね。
夜じゃ書けないという不安を持っちゃったら
もし10時寝過ごしたらその日原稿書けないってことになるじゃないですか。
そんなことはないんですよね。
ここでも大事なのはやっぱり同じなんですよね。
書けないという、この夜に書いてはまずいとか
夜だったら無理だとか
夜だと原稿の質が落ちるという不安を抱かなければいいわけです。
ただ不安を抱いちゃう時には
もう心拍が上がり始めているので
その時点で不安を一切抱かずに送っていくことはできないんですよね。
だからもう私は身体の恐怖をまず取るというか
頭を取り除く、落ち着かせるという感じなんですよね。
その時に頭を落ち着かせることだけに陥る。
これができれば
この種の不安であれば全部簡単に落とせます。
オフにできます。これができれば。
つまり頭を不安になっていることの証拠を集めに使わない。
確証バイアスってやつですね。
釘を持っているとハンマーを打ちたくなるというアレです。
そういうことをしなければ必ず落ち着かせられるはずですね。
心拍を今怖いと思ったのは
その原因とは何の関係もなく身体反応だと決めつけて
27:00
脈拍を落とし、できれば
それを意識してやるのは困難ですけど
できれば血圧を下げる。少し。
これができれば恐怖の原因が何であれ
ましてその先送りが理由になっているような話であれば
全部間違いなくオフにできます。
大体私とかがすぐやっちゃっていたことは
このままでは原稿が書けないという
その前にも恐怖反応が身体の方に起きているわけですよ。
身体の方に心拍数がおそらく15ぐらい上がって
血圧も8から10ぐらい上がっているんですね。
身体反応としての恐怖があって不愉快ですからね。
だからみんな人に怒られたり皮肉を言われて
この身体反応が起きると
ものすごい不快になって相手を攻撃しだすわけですから
ここで自分の不快というものはもう受け入れるしかないですね。
不快になっちゃったんでね。
受け入れなくたって不快なわけですから
次にやってはいけないことは
この不快になった原因を頭の中で特定しようとすること
これを必ずやるんですよね。
非常に自然の成り行きとして
なぜ俺は不愉快になったんだろうって思うんですよ。
そしてこのメールで編集さんが心ないことを言ったからだ
ってなるんですよ。
これが間違いますよ。
不愉快になったのは
エレメンタル物質が心臓の方に
血の中に流れ込んで脳から命令が出て
落ちてきたからなんですよ。
クロチゾールが出るとかそういう反応をするべく
身体が準備を始めちゃったから不愉快になったのであって
メールのせいなんだけれども
この身体の不愉快自体は
メールとはあんまり関係ないんですよ。
なんでもこういう反応になっちゃうわけですね。
これを沈めればこの不快感は取れるんだから
このメールのせいで
あの編集さんがってやり始めると
次に何が起こるかというと
その編集さんのメールというものを読んだときの
不快感というものが脳内の大脳の方で
今度はイマジネーションを使って
この編集さんはそういえば
前もこういうことをやらなかっただろうかとか
記憶を探り出したりするんですね。
そうすると断続的にずっと
身体の方に不快感が
巻きがくべられるわけですよ。
エネルギーが供給され続けていくわけですね。
不快がずっと続き
しかもだいたい強くなっていくわけです。
頭打ちはあるんですけど
ここまでしかだいたい来ないみたいな
そういう負のフィードバック機構を働くんで
どこまでも燃焼が続いたりはしないんですけども
でも燃焼がゆっくりとにせよ
継続していくわけですよ。
そうすると身体は不愉快なままなので
非常に腹が立ってくるわけですよね。
そしてこのメールを出した編集さんの
30:00
この本の企画はもうやめようと決意してみたり
いろんなことをするわけです。
その間ずっと
でも本の企画をやめれば
やっぱり収入はその分減るし
来月から
例えばうちの子だったら
来月からそういえば
新しいなんとかという
タブレットを買うという
学校からの通達があって
あのお金はどうなるんだろうとか考えると
ますます腹が立ってくるわけですよ。
結局嫌々でも
この本を何のために書いているのか
分からないような状態で
書き上げ塾で習ったようなこととも関係なく
書いて嫌な思いをしなきゃ
なんないんだろうかとか考えるんですよ。
そういうことを考えているうちに
取れなくなっていくんですよ。
不快感が体から
そういうふうになる
遥か手前に
やめてしまうことができるんですね。
3分くらいと僕は昨日言ったんですけど
3分が最長くらいで
多くの場合1分以内に
収めることができるんです。
この方が絶対得です。
どうせ
編集さんに復習する長いシナリオを
考えてみたところで
そのシナリオは1%も実行できずに終わりますから
これ多分相手が上司でも
それこそ同僚でも奥さんでも
まあ間違いないと思います。
これ全部そのまま実行すると
結構人生が暗くなっていきますから
いろんな便宜を失うんですよ。
この中で。
わずか1分で収められる身体の不快感を
しかも
収めることもできずに
人を攻撃するというやり方
これをするために脳は働くところが
あるんだけど
それはあれです。
キャートルズの世界で
しか役に立たないんですよ。
鶏肉を
焚き火で食ってるような
あの時代だったらこのやり方でいいんだけど
あの時代でもこのやり方じゃダメなんじゃないかと
思うんですけどね。とにかく
これはギャートルズ用なんですよ。
我々の時代には向かないんですね。
この脳の使い方は。
心拍を穏やかにすると
これできるんで。やろうと思えばね。
心拍を穏やかにしようとだけ思っていれば
さっきの編集さんに対する
復習シナリオみたいなのを
考えることができなくなる。
これで止まるんですね。
で、もう一つ
本当はあるんですよね。
僕はこっちを基本の軸に置いてるんだけれども
もう一つあって
そもそも
イリュージョンの方
イリュージョンなんですよね結局。
だって出来もしない復習のシナリオって
イリュージョンじゃないですか。シナリオ自体が
実態ないものですから脳内で考えてるだけですから
絶対やめといた方がいいと思うのは
これを書き出すとかですよ。
絶対やめた方がいいと僕は思います。
実態はそれに戻せることはないですよ。
で、もう一つあるのが
昨日も倉澤さんのお話になってたんですけど
所詮お化けは怖くないって話なんですね。
つまり
身体反応が起きちゃった時に
沈めに行くっていうこと
もう一つは
その身体反応を作り出し
33:01
もしかすると
くべる巻になりかねなかったイリュージョンが
本当のことではないと
思えてしまえば
これは身体反応を引き起こさずに
そこで切断される
切断されるというか無効化できるんです。
つまり
身体反応を抑えるっていう
アプローチが
一方向にあって
もう一方向には
そのイリュージョンが身体反応を引き起こす力を
無効化すると
両方できれば万全ですね。
あの
倉園さんはよくですね
UFOの話をされるんですよね。
UFOが怖かったっていうような話が
近世に連れて行かれる。
で、これは怖くない人には
全く怖くない話だと思うんですよ。
なぜかというと真実味がないからですよね。
そこにリアリティが全然感じられないから。
つまり僕らがイリュージョンを怖がっている時は
そこにリアリティを感じている
っていう証拠なんですよ。
編集さんが
こういう無理難題をずっと
僕に突きつけることによって
私は悲惨な
執筆活動を継続しなければならなくなる
というイリュージョンに
リアリティはないんですよ、別に。
そんな事実はないから。
だけどこの話をすればですね
分かってくれて
分かったような気持ちになってくれる
著者さんっていっぱいいると思います。
今、編集さんの名前も言わなかったじゃないですか。
架空の人じゃないですか。
架空の人の架空の話。
今出っちゃいけたんで僕が。
の話なのに
こうやっていくと、そうそうそう
そういうことってあるよねっていう話になっちゃうんですよ。
こうやってイリュージョンに
変な力を与えるんですね。
リアリティを与えるんですよ。
その時間違いなくその話が
分かった時には心拍が上がってますからね。
心臓の速度が
これ現実としては
上がるんですから。
分65ビートだったはずのものが
70ぐらいになる。
本人気づかないレベルですよ、これだったら。
間違いなくその分不愉快になってるから
間違いなく自分の担当の
昔担当した
あるいは今担当してる編集さんの顔を
思い浮かべて
あいつが俺を不幸にするとでも思うんですよ。
これがイリュージョンですよ。
これがですね、UFOの
UFOと金星人みたいに
思えるようになればですね
この機能それ自体
持てなくなるので
話を聞いても
心拍が65のままなんですよ。
こういうアプローチがもう一つだから
イリュージョンに向かうというアプローチと
身体に向かうというアプローチ
両方やれれば万全だと思いますね。
絶対怖くなくなるので
私昔としまえんの
お化け屋敷がめちゃくちゃ怖かったんですよ。
多分あの時6歳か5歳だったと思うんですよ。
で、たまたま大学になった時
友達と行った時に
なんだと思ったんですよ。
これが俺怖かったんだ。
面白いもんだなって思いました。
これが怖かったんだと。
でもどう見ても怖い要素は
1ミリもなかったんですね。
つまり、いかにこの差が大きいか
見たものは同じものですから。
別に
36:01
5歳の時はとしまえんのお化けに
襲われたとかいうわけじゃないですからね。
僕多分その時
クラゾンさときのお話になってましたけど
トイレ行けなくなって
大変な目に遭いましたね。
としまえんのお化け屋敷に行った翌日あたりは
全然ダメでしたね。
そういう記憶がなんとなくおぼろげにあるんですよ。
これはイリュージョンにリアリティを
与えてるってことなんですね。
それと編集のメールは
違うだろうって思われるかもしれないけど
多分全く同じなんですよ。
そして、この種の
イリュージョンにリアリティを与えて
心拍上げたり下げたりしているうちに
第二領域の
先送り問題というものに
発展していくんですね。
私の人生このままだらだらだら
YouTube見て終わってしまって
六本木ヒルズに住んで
ウィーンのオペラを
見に行けた人生というものを
そっくりそのまま捨てているんじゃないんだろうか
という恐怖が
今の喋ってても僕には
何のリアリティも感じられないんだけど
多分そういうリアリティが
あるという方にはあるんですよ。
だから
早くドイツ語の勉強を一生懸命して
J松崎さんみたいにならなきゃ
っていうような
意識が芽生えるんですよ。
それはイリュージョンなんですよ。
何のせいでもなく
誰のせいでもないと
僕は思うんですよね。
そういうものを
一人一人の脳内で
言ってみればでっち上げる能力が
僕らあるんですね。
これがクラゾンさんのとおり
学校教育のインスパイアとか
影響とか大きいと思うんだけど
でもやっぱり学校教育が
これを作り出しているかというと
そういうわけじゃないような気がするんですよ。
こういうイリュージョンは昔からありましたし
作らないようにすれば
作らないようにもできるんですよね。
多分これを作らないと
今の現代人として
豊かな人生歩めないんだ
っていう宗教みたいなものが
あるんだと
一番の背景には。
でもそのせいだとも僕は思わないんですよね。
なぜなら
簡単に払拭できるんでこんなものは。
一旦これが
金星人のUFOだぐらいに
思えるようになればですね。
全く怖くなくなるんですよ。
これでもなお
食い下がられると思うんですよね。
でもその人がそうやって
だらだらとしているうちに
会社に乗り回せる人が出てくるじゃないですか。
つまり
それがそういうイメージですよね。
一つは。それイリュージョンじゃないですか。
出てくるっていう
その間に出てくるっていう
その出てくる人の具体的な名前と
乗り回している会社の名前と
乗り回している会社の
写真とかをその時
持っているわけじゃないですよね。きっと。
それはたまたまそういう意識がある。
意識の中に
そういうイメージが湧いたってだけですよね。
イリュージョンであることに違いはないですよね。
一つには。
別にそれが
今言ったような極めて植物的な
価値じゃなくてもですよ。
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もっと文化的な生活だったとしてもですよ。
田舎に行って
ワイン飲みながらトルストイを読むとかでも結構ですが
いずれにしても
イリュージョンなんですよ。
そして大事なのは
それを得ないと
恐ろしいっていう
その感覚なんですよね。
これが払拭できるということです。
払拭できてしまえば
それが得られても
得られなくても
どっちでも良くなるんですね。
得られて悪いわけじゃないんだよ。
それは
今やりたい。
今すぐ十分
楽になれて
リラックスできて平安になれて
幸せになれるという
その瞬間をかなぐり捨てて
その代わりに
見たくもないものを見て
やりたくもないことをやって
読みたくもない本を
読むほど
価値があるわけじゃないんだ。
そういうものに価値を信じていないと
私の人生は
ダメになるっていうその恐怖は
今すぐ捨てて
ダメにならなかった
素晴らしい人生の後に
得られるであろう
心の平安だと思うんですよね。
人生はこれで良かったんだ
と思えるその気持ちは
今すぐ直ちに得られるんですよ
っていうお話なんだと思うんですよね。
それを倉園さんは
繰り返し喋っているし
僕も最近繰り返し喋っているし
100日チャレンジのコメントとかに
書いてるなって思うんですよ。
何度聞いても何度書かれても
何度読んでも
やっぱり
それではいけない気がするとは思います。
私は思わないけど
思わなくなりましたけど
そういう気がするっていうのは
まだ分かるような気もします。
でもそれは間違いなく
UFOと
金星に連れて行かれる恐怖と
多分何にも変わらないもので
これを僕らは
これを言うのに
飽きることはたぶんないので
たぶん聞きたくなれば
いつでも
いくらでも話して差し上げますと
聞きたくないという状態では
どうにもなりませんが
だからこれは聞きたいか聞きたくないか
っていう部分も大きいんですけれども
聞きたくなればいつでも
あらゆる
例え話を用意して
お待ちしてますと
そんな感じですかね。