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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
だいぶ、これが普通になってきたけど
そのうち、いい街に帰ってまた元に戻っちゃいそうな気がちょっとします。
それはそれで、そのときまた考えればいいかなと思います。
えーと、で、最近、リソースというリユージョンについて
すごく、こう、なんていうんですかね、考えるようになってきたんだけど
えーと、これが割と自分の一つの個性なのかなと思えてきました。
こういう人って、私のほかにももちろんいっぱいいると思うんですが
そうじゃない人のほうが、今ははるかに多いし
しかも、私が生きている、生きているというか
私の仕事、活動圏内には圧倒的多数がリソースというものを信じている
と言っていいと思うんですね。
で、リソースというのはですね、イリュージョンだと思うんですが
というか、私はもうイリュージョンだと決めてるんですけれども
あの、ここに私の仕事の、つまりこう、メンタルと仕事術
仕事とメンタルは付きものですけど
まあその、ウッドバイブスでは多分メンタルってあまり
わかんないな、わかんないとしておこう
えーと、ただイリュージョンに近いものっていう
捉えられ方かなという感じは持っていて
私もそう思うんですが
でもこの、言ってみればイリュージョンを足掛かりにしていくのが
自分のこう、これまで一応意識してきた役割で
今後はそっち系を強めていけるのが自然になったらいいかな
ぐらいに今は思っています
で、メンタルという話をする時
決まってですね、リソースっていうことがまとわりつく気がするんですね
で、そのリソースが不足しているという不安が
仕事術には付きもので
人が時間ですよね
で、並行してお金だと思うんです
そして気力とかやる気みたいなメンタルリソース的な話ですよね
これらが全部一切気にならなければ
多分メンタル的な問題というのはですね
残るはコミュニケーションだけだと思うんですね
そしたらその問題はメンタルの問題じゃなくて
コミュニケーションの問題だということになるはずなんですよ
そういうふうに持っていくのが
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私の基本の持っていき方になるだろうなと思っています
で、時間もお金も
メンタルリソースはちょっとともかく
時間やお金はもちろんあるという前提で
この世の中が動いているので
これについてイリュージョンだとか何とか言っても
実質通らないんですけれども
でも私たちはこれを受け入れすぎていて
あまりにも時間を大切にしすぎているために
メンタルが時間不足という問題にとらわれるようになるんですね
これはもちろんお金不足という考えにとらわれると
全く同じだと思うんですね
すごく逆説的にも時間って大切ですよね
時間は足りないですよねっていうスタートから
例えばタスクシュートが始まるんですよ
でも私の行き着いたところ
時間はいくら使っても何に使ってもいいになるんですよタスクシュート
そういうところに行く過程の中で
時間管理というのは何の問題もなくなっていくんです
だから非常に簡単に言ってしまうと
時間というのはなくなりませんというのを
確信することができればですね
タスクシュートを使わなくてもタスクシュートの目的は達成されると
私は思うんですよね
だけれどもさっき言った通り今の時代
時間というもののイリュージョンは強烈なので
ほとんどお金ぐらいに思われているので
つまり実態があるかのように思われてしまったので
いきなり時間というものは無限にあって
いくらでも使えますと言っても受け入れられないので
タスクシュートを通るというアプローチが一つあると思うんですね
この話も何度話しても込み入ってくる部分として
何に使っても同じだというのは受け入れられないという話になるんですよ
お金でも全く同じですよね
お金は何に使っても一緒ですという話をしても通らないわけです
価値のあるものにお金を使いましょうというのが抜け切らないんですね
時間の方が一層これが強まるんですよ
お金は使い方の自由度が高いんですよ
そうだと思いません
時間の難しさは何にもしなくても使われていくから
自由度が低いんですよね
だから時間管理の問題というのは
お金の管理の問題も実は難しいんですけど
欲望というものがありますから
ただ時間の問題は欲望だけじゃないということです
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これ一つとっても実は時間というのは
自分のリソースなのかどうか疑わしいと思うんだけど
そういうことに今なっているので
つまり時間を使う使い道として
これに使えば価値があるが
こっちに使うと価値はないというのを
絶対視していくことになっているんですね
ここが多分タスクシュートの議論に
僕はなっていると思うんですよ
受け入れがたいという人に
この話をいくらしてもしょうがない面もあるんですが
私はそこのところの考えが少し最近違っていて
繰り返し繰り返し飽きることなく
永遠に説明し続けるべきだと思っているんですね
このことを前日で書いたんだけど
これを途中で簡単に諦めてしまうから
いけないんだと思うようになったんですよ
だからこれを絶対諦めないで
人が何と言おうと
どれほど抵抗されようと
この件については
時間というのは何に使っても同じなんです
という話を永遠に噛んで含めるように
こういうことを言うのかもしれませんが
言っていけばいいと思っているんです
それのバリエーションを
自分で考えていくのが
一つの仕事だろうと思っています
何に使ってもいいというのが
受け入れられないというのは
使い方というものに関して
期待されている部分があるというのが
抜けないというところに
必ず行き着くはずなんですよ
勉強に使うべきで
漫画を読むのに使うべきじゃないと
子供はよく言われているんですよ
こういうことが言われているんですよ
言い方はともかくとして
これを言うということは
人の時間の使い方に口を出せるほど
私たちは客観的に
どっちが正しいかを知っている
という意味になるんです
私はそういう実感が全くないから
娘の時間の使い方について
云々したことは
多分ないと思うんですね
妻がそれを言うときに
いちいちそれに対して
反論まではしないですよ
でも私はそれを
言うことはないんです
なぜならば
私にその実感がないからなんですよ
これが大事かなと今は思っています
言わないというだけじゃ
足りなくて
言う動機がない
ということの方が
大事かと思っています
そうしないと
言われないで
放任されている感じがしちゃうと
私は放任をしているわけではないので
どっちであっても
同じだという
確信が必要だと思うんですね
そうじゃないと
心のどこかで私は不安を抱きながら
09:00
娘を見守っていることになっちゃうじゃないですか
この子こんなに漫画ばっかり読んで
大丈夫なのかな
でも言わないでおこうって話になっちゃうじゃないですか
そうでない方が
いいかなと思っているんですね
つまり
どっちをやっても同じのはずだと
同じのはずだと
どっちをやっても同じのはずだと
言い切るためには
ここに
社会的なものの見方を
侵入させないぞ
という
気持ちが必要だと思うんですね
で
ここのところが
すっとばされているケースが多いと思うんですよ
多くの人は
社会の言いなりになりたくないとは言うんですよね
個人主義的な人は
これに類することをおっしゃいますよ
でも
英語の勉強をする方が
youtubeを見るよりも
ベターなんだというところは
いきなり来るんですよね
その根拠は社会の命令にあると
私は言うんですよ
のはずなんですよね
そうじゃないものがあるならば
提示してみてほしいと思います
間違いなく
社会が何というのは
全く関係なく
僕の勉強は
動画再生の視聴よりも
ベターだと
絶対的にベターだと
言い切れる
その根拠は何なんだ
ということなんですよ
価値って話をしてますからね
こっちの方が価値がある
社会がなくてもこっちの方が価値があると
言い切れるのかと
ちなみに社会に
従うのがダメなわけじゃないんですよ
社会に従うのも
結構だと思います
僕らはお金に価値を認めているということは
社会に従っているということだと
僕は思うんですよね
それはそれでいいと思いますよ
当然そうなるはずなんで
だけれども
そういう自覚なく
社会に従っているのに
まして子供なり
誰なりを社会に従わせようとしているのに
いやそうじゃないんです
っていうのは
ダメだと
それは不合理なんじゃないかな
という気がします
だからメンタルの問題として
時間が欲しいと
つまり
何それをする
価値のある時間を使う
その時間が不足しているんです
っていう話をした時に
自分はどの程度社会の命令に
従って生きていっていいことにするのか
を再検討していかないと
ダメだろうなという気がします
その話をしていくのが
自分の
活動に
今までもなっていたんだけど
今後この線を
強めていくしかないかな
という気を
ここ数週間
抱いてきたかな
という感じですね
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リソースというのは
リソースと言われているもの
お金もそうですが
時間もそうで
やる気か
モチベーションとか
メンタルリソースというやつですね
全部社会が価値を決めているんです
お金なんていうのは
最大のものですよね
どう考えたってあれに価値がある
というのは社会がそう認めているからであって
そう認めないと
戦前のドイツみたいになっちゃいますから
一丁練天丸でパン1個みたいな
あれが価値の
お金に価値が認められない世の中ですよね
賠償金が狂ってたって
ああいうことが起こっちゃうんだけど
ああいうことを
なんていうんですかね
僕らの国は幸いあんまり
異常なレベルでは経験しないんですよね
そうですよね
ブラジルみたいに
昔のブラジルがそうだった時
あったようですけど
コーヒー屋に入る前と
入った後と出る時とでは
値段が変わると
これが信用が置かれてない時の状態ですよね
僕らはもっと
最近ガソリンとか
言ってますが
物の値段は安定している
だから僕らはついついすごい勢いで
騙されるわけですよね
100とか書いてあるわけじゃないですか
物に100とか書いてあるわけですよね
1000とか
価値が完全に数字になって
置き換えられていて
しかもそれを信じているので
僕らがそれを不足する
不足することが怖いと
当然だとは
思うんですよ
当然のはずなんですよね
これは
グッドバイブスで言うところの
自然のものか人工のものかという
話ですね
私の
話を持ち込むと
ただややこしくするだけなんだけど
精神分析ではこれを
父親の世界か
母親の世界か
父親の世界かって話だと
母親が自然と天然の方です
父親が人工物の方ですよ
つまり
父親の世界って何なのかというと
エディプスですね
つまり上下関係というものです
上下関係というものは
なんでここに来るかというと
ルールを作った人がいるからですよね
ルールを作った人はトップなわけですよ
だってルール作ってるわけですからね
その人は
権力を持ってルールを
守らせないとならないじゃないですか
例えばお金を手に入れれば
いいんですと言っておきながら
でも盗んじゃダメなんですとかって言うでしょ
これルールですよね
こういうものが自然の起点としてあるわけじゃないって
こういうルールを作る
という世界が
自然自然何を生み出していくかというと
当然ですがヒエナルキーを作るわけですよね
12345678
前頭
名前に書いてあるじゃないですか
昔から日本だけじゃないですけど
こういう序列っていうものを
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作ってきたわけで
これはリソースの配分と
必ず比例しているはずなんですよ
上からリソースが
たくさん配分されていく
こういう風にして僕らは
現実世界で生きていく上で
父親世界のルールを
飲み込まなければいけないんです
ということを
思い知らされてきたわけです
これに抵抗する時代は
どんな個人にも当たり前ですけどあります
だって面白くないじゃないですか
序列最高位じゃないんですから
生まれた時から間違いなくですね
しかも勝手に生まれる前に
決められたルールに
乗っ取って生きていかなければならないということになっているので
これが面白いはずはないんですよね
これにどういう抵抗の仕方を
するかというのが
ある程度その人の個性というものと
関係があって
だからエディプスと反抗期っていうのは
連動するはずなんですよ
でもこれをこんなにグダグダグダグダ
しゃべらなくても
人口化・天然化っていうのも
説明としてシンプルだし
多くの場合それで
十分だったりするので
この話をグダグダグダしなきゃならない
というのは
それだけメンタルがですね
ややこしい状態にあるということだと思うんですね
そういう父親的世界が
世の中にはボンとあるんで
なんとか議事堂とか
偉い人が住んでいるところとか
すでに立派だし
人が守ったりしてますからね
この時代になってもなおその状況は
全く変わってないですから
当然その偉い人と
僕みたいに全く何の原力もない人間とでは
上下があっちゃうわけですね
ウッドライブズでは
どっちも勝ちマークスで
対等だっていうし
そういうことにもなってますけれども
でも
やはり対等でない面がありますよね
例えば収入面が
全く違うとかね
そういう序列っていうのが
あるんだけども
あるんだけどもというか
ありまして
この序列の中で
何を争われているかというか
競争させられているかというと
当然リソースなわけです
野球でも何でもそうですが
上の方が収入がそもそも多い
それがリソースになっているから
私たちはリソースというものが
現実にあるという意識を持つし
いつだってもっと欲しいという意識
これがないと
実はこの序列は
ほぼ無意味なものになるんですよ
ここのところが僕は
すごく気に入らないし
重要だと思うんですよね
タスクシュートで結局
何でもいいんですけど
レビューをするなりして
この時間の使い方だめだったなって思うのは
この序列があるゆえのはずなんですよ
この時間の
使い方をしている限り
お前は前頭13枚目から
上にはいけないぞと
社会における
そういう序列の中の
18:00
話を意識させられているからこそ
そういう考え方を
持つはずなんですよ
そもそも時間というもののリソースを
数量化して
2時間3時間4時間
3時間を稽古に使えば
積分けになれるとか
横綱になれるって話を
するわけですよ
あんなに分かりやすくないもんだから
僕らは
いちいちそこまで意識しない
でもあそこまで分かりやすくたって
いちいちそこまで意識する人たちは
やっぱり貪欲なんですよ
貪欲な人の方が上に行くじゃないですか
世界では
僕らの世界でも同じで
つまり貪欲な人ほど
たくさんのリソースを手に入れられるように
かなりできているんですよね
これが公平だといえば公平なんだと思います
貪欲だってことは
リソースがいっぱい欲しいってことですからね
だけれども
その手に入れ方というものにはルールがあって
破ると今みたいに
今の大統領みたいに
すごく批判される
ということにも当然なります
ただこの序列と
ルールは完璧ではなくて
あの種のルール破りはでかいんで
本当はすぐに
待ちされるはずなんだけれども
そうはなかなかならないと
つまり序列と力は
完全に比例するわけでは
ないんですよね
これを完全に比例させようとして
やばいことになったときって
この世の中何回かありますよね
それに序列の
あまりにもでかい
世界の序列を作ると
てっぺんの方は
ある意味すごく他人に依存することにもなるじゃないですか
自分の命令がちゃんと
行き届いたかどうかの
監視みたいな話にまで
なっていきますよね
だから簡単じゃないんですけれども
この序列を作り出すというのはそもそも
でもまあ
あることは間違いないと思うんですよね
この場合のあるは
イリュージョンがあるっていうような
意味になっちゃうんですが
私はこれが
全然気に入ってないので
タスクシュートをやっていて
非常に気楽にやれるんですよ
なぜならこの時間の
使い方が
他人にどうこう言われる筋合いは
ゼロだと思っているので
この感覚がつまり
娘がどう使っていようとも
私が口を出す理由は
どこにもないというのと
当然一致しています
これが平気で言えるということは
いくらでも
言われうるということに
当然なりますよね
なぜなら価値のある使い方と
そうでない使い方があるということになっちゃうから
もちろん
何とか初期調くらいの
ところまで行けば人にどうこうは言われませんけれども
多分
言われないと思うんだけれども
結局
こういう使い方がいい
ああいう使い方が良くないというのは
この序列のことと
深い関係があるはずで
だから私は
もしもそういうのが一切ないんだと
21:00
地球上で生きているのは
ただ一人
外国語の勉強のほうが価値があるんだと
言うのであれば
それでいいと思うんですよ
でも私はまあそうじゃないだろうと思います
自分一人しかいないのに
外国語の勉強って
しないと思って
だからこの辺に
話を持っていっても
あんまり意味はなくて
もっともっと手前のところで
日常の仕事をする上で
この仕事をしなきゃ
ならないんだよなと思いつつ
思っているにもかかわらず
ファンザに行ってしまう
というのであれば
それは一つには
この序列を非常に逆説的に
聞こえると思うんですけど
意識しすぎていると思うんですね
逆になっちゃってるんですよ
ここのところにメンタルの
混乱がある
という気がして
そこにやっぱり手当てをしていくべき
だろうという風に
思います
序列を意識しすぎているから
これをしなければいけないんだけれども
これをするのはとても辛い
ということになっちゃうと思うんですね
時間をいくら
使ってもよくて
何をしてもいいんだったら
それをすると何をするのであっても
そんなに大変だとは思えないんですよね
私たちは
リソースの交換をして生きているので
例えばパソコンなりに
文章をうつにしたって
パソコンが供給されたわけじゃないですか
お金出して買ったにしても
電気も供給されている
こういう話もよくしてますけれども
これはクラゾノさんの受け売りに近いですけれども
でもとにかく
そういう状態にあるわけですよね
ってことは
こっちから何かを供給するのが
そんなに苦になるはずはないんだ
と思うんですよ
苦になるとすると
むしろこの序列の方の問題だと思うんです
自分が買いに行って
自分の序列が許しがたいと
だからそいつに提供するというのは
あるいはその提供したものを
無限に扱う
これをパワハラと呼ぶんだけど
その無限に扱われるのが
許せないから
ここで自分の仕事に
没頭していくことができない
そのリソースが惜しくなってくる
っていう話をしているんだと思うんです
これは
序列がなかったら
一瞬でも書いてみてほしいんですよ
この提出先が
自分より遥かに下だと
例えば自分の子供みたいな存在だと
多分それを書いて
手渡すのに
何にも
大きな苦労はなくなると思うんです
例えば子供が
小学校1年生の読書感想本を手伝う
みたいな話をしたとき
同じようなメンタルのハードルを
感じるかどうか
感じないんだったら
これは社会的な意味から来るんですよ
自分のメンタル的な苦痛ってのは
つまり上下関係を意識して
しまっているわけです
上下関係を意識するというのは
24:00
社会が決めたものに
決まっているはずなんですよ
自分で決めたものであるならば
苦しむ理由は全くないですからね
自分が一番偉い人になったことに
しちゃえばいいじゃないですか
そういう話なんですよ
これは
そうではないことを僕らは知っているから
この提出先は
自分より上なんじゃないだろうかと
そいつは私の提出したものを
ゴミのように扱うんじゃないだろうかと
そういう不安があるから
それに
リソースを投入する
ということに
自分自身が同意できなく
なっていくんですよ
漫画道という漫画を
藤子富士夫さん
二人で描かれている
あれは映画を描いている作品ですね
藤子富士夫物語ですけれども
やっぱりよく出てくるんですよ
そのシーン
漫画を持ち込み
出版社に持っていくと
そうすると窓から投げ捨てられる
そういう夢を
藤子富士夫Aの方ですね
しょっちゅう見ているんですよ
あれが嫌なんだと思う
あれは嫌に決まっているんだけど
ああいう感じを持っているから
リソースを投入するのが困難になっていく
はずじゃないですか
漫画を没頭して一生懸命描いて
面白いと思うものを
確かに面白いと思うものを
100ページなり描いて
それをふんっと窓から捨てられる
そのショックを受ける
という意識がある
ということは上下関係が
そこにあるような気がしていると
考えてみると出版社の編集さんは
漫画家より上下の上で
上なのか
という話は全然どこにもない
はずなんですけど
あれが父親的世界の
上下関係のものなのですよね