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おはようございます。
キクセラピーを解消して第723回目になるのかな?
解消してから700回目じゃなくて、トータルで700回目。
解消してからは今日が第1回ということになります。
実はこれテイク2で、今12月29日木曜日9時33分なんですけど、
取って出しにしようと思っています。
昨日の夜撮ってたんですけどね、なんか筋肉はなくて、
結局撮らずに終わっちゃったんですよ、途中で。
で、なんか最近やっぱり下で取って出しというのが定番化してきて、
取って出しの方が僕はいいんですよね。
それを後で修正してから出すみたいなことをしているわけじゃないんで。
なんか出しちゃってからまずいことがあって指摘されたら、
それを取り下げるなり修正するっていうのはいいんだけど、
先に自分が修正するというのはどうもしっくりこないんですよ。
なんでいきなり出しちゃうというのは、僕の場合はもう自分に合っていてですね、
整えてから出すというのは理屈はその通りだと思うんだけど、
実際には僕はそういう生き方をしてこなかったから多分、
ずっとうつけ本番みたいなところがあるんですよね。
事前にしっかり準備するみたいなのは、やらなきゃならないときはやってきたんですけどね。
性に合わないというか、そう、性に合わないんでしょうね、結局。
親も、特に父親がそういう人間だったんですよね。
割と出たとこ勝負的な人間で、母はそれができないんだけど、
だから何もしないみたいなところがあって。
でもできる、得意なことはやっぱり出たとこ勝負に割となっちゃう人で、
そういう意味でこう、そういう親だったみたいなこともあるような気が今はしてます。
あんまり意識したことなかったんですけどね。
はい、そういうわけで今日はですね、いきなりキクセラピーというタイトルに解消してこの話をしたいんだけど、
キクセラピーというタイトルはいいじゃないですか。
いいってのはつまり、別にどういう意味かすぐわかるからそれでいいかなと思うんですね。
前のやつは、要はタイトリングコールを最初にするときに長くて、
忘れると、何て決めたっけみたいな、みんなの何だったっけみたいになるのが嫌で、
グッドモーニングバイブスとかグッドモーニングボイスって言ってる方がよっぽど楽だなと思って戻そうかと思ったんだけど、
戻すってのも、GMVっていうのに戻すってのもめんどくさくて、
キクセラピーにします。
なんですか、今日はもう年の瀬ということがありましてですね、
今日は100チャレ編にします。
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12月31日ぐらいに運が良ければですね、年の瀬スペシャルをやろうと。
新春したらすぐまたスペシャルをやろうぐらいに思ってるんですけど、
こういうのは大体できずに終わりそうな気もするんですけど、
でもね、うち毎年箱根駅でも見るという習慣があるんですけど、
これが長いんじゃないですか。
だからあの間どっかで退屈になって収録を始めることもできる、あるんじゃないかというふうに思っています。
今日は100チャレ編でいきます。
そういうわけで、どういうわけだか。
100チャレで、もう同じようなことを言ってる気もしますけれども、
タスクシュートをやるにあたってですね、
タスク管理の方も今回いらっしゃるからどっちでもいいんですけど、
私がですね、やっぱり一番強調しておきたいのはですね、
まず前段としてですね、私がどう考えているかどうでもいいんですよ。
別にあれは先送りをしないようにする、タスク管理するぐらいしか規定がないやり方だから、
その規定のないコミュニティですから、
しかも別にタスク管理も極論しなくても先送りさえしなければ、
ただどうやって先送りをしたかしないかの判断にタスクシュートが使えるよねっていう考え方だと思うので、
何か使わないとそれをしたかしないかすらわからなくなってしまうよねっていうことはあると思うんですよ。
なんですが、その遥か先まで行っちゃっていて、しかもそのことが多大な負担になっているという方はですね、
やっぱりちょっと考えてみていただくといいんじゃないかなと思うんですよね。
というかつまり、先に決めた通りにするのがいいんだってことにしてしまうと負担が増えるんですよ。
しかもですね、ここでは体系的に僕の考えとかをお伝えしているわけじゃないんで、
そんなことは初耳だということもいらっしゃると思うんですけど、
でもあんまりいないんじゃないかなと、一応キックオフとか100日チャレンジの最初の時とか、
コメントとかでも随所でこの話はしていますからね。
でも受け入れがたいというのはわかるんですよ。
だから受け入れがたい上にそれで全然うまくいってるよという人はそのままやっていただければいいんで、
ここであんまり僕の言ってることとマッチしてないとかあってないとかいうことを考えていただく必要がないんです。
このこと自体がちょっとすでに気にされてしまうというのと負担が増えるというのは同じことだと思うんですけどね。
つまり正解がそこにあるっていう発想だと思うんですよ。
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僕が言ってるのは要は、正解は別にないからって言ってるだけなんですよ。
だから正解がない以上、僕のやり方が正解なわけじゃない以上、それに肯定する必要はないし、
自分のほうがうまくいくということであればそれでいいわけですよ。
どっちが正しいんだろうっていう思考にあんまり陥らないほうがいいと思うんですね。
それでダスクシュートでもそうなんですけど、
つまり正解があるっていう発想が世の中にとか人生にとか言ってるわけじゃないんですよ。
正解があるというのはダスクシュートにって意味なんですね。
ここでは限定してるから。
ダスクシュートに正解はないと思うんですよ。
特にダスクに正解はないと思うんですね。
ダスクに正解がないということは、そこに書いてある通りにできなくても別にいいわけですね。
僕がよく未来が読めないと言ってるのは、読もうとした時に僕らは読んでないってことなんです。
正解を未来に置いてるだけなんですよ。
それはそれで構わないんだけど、そのことがわざわざ未来に正解を置いておいて、
しかも負担になるというならやめたほうがいいと思うんですね。
だから私は今回ですね、わざわざ出版社さんからいただいていた
ダスクシュート時間術の改訂版を出すっていう非常にありがたい企画をですね、
今一旦眠らせてしまってるわけですね。
今本書いてないんですよ。
私はこれ結局どんなに編集さんとやり取りを繰り返しても、
この点で折り合えないんだということがわかったんですよ。
それぐらいやっぱり今は世の中をそういう考えが覆ってるとは思いませんが、
この界隈でやっていくならば、未来に正解を置くっていうのは何らかの意味で避けて通れないんだなということを
少なくとも私の判定と実力では今はそうなんだなってわかったんですね。
わかったわけじゃないんだけど、たぶんそうなんだろうなと。
でも私はもうそれはどんな意味でもそっちには行きたくないっていうのがあるんですね。
必ずしもグラドの圭州さんとGood Vibesをやってるからとは言えないんですよ。
ダスクシュートに触れて以来1,2年かなしているうちに、
他のダスクシュートユーザーがどうであれ、
私はここに書いてあることが正解だと思うってことはありえないなってどこかで感じたんですね。
ある種の確信に至っちゃって、それ以来ずっと続けているわけです。
そうじゃなかった人もいるわけだから別にそれはそれでいいんですよ。
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ただ、私は続けてるんですよ。
これが負担で続かなくなるという方がここにコーデするというのはやめてもいいんじゃないかと思うんですよ。
ここをやめてもダスクシュートは続くんですよ。さほどの負担もなくですね。
つまり、書いてあることが自分の人生なり、ここ2,3日でもいいですが、
正しいダスクなんだと、少なくとも正しくありたいというダスクにしておいて、
それができないというのは間違ってるんだって感じを抱くと、多分負担になると思うんですね。
この中にはいろんな意味があるんだと思うんですね。
例えば自己投資って言葉があるじゃないですか。
当然私のこの感覚の中に自己投資はないんですよ。
投資には正解が必要じゃないですか。
正解は結果論だと思うんだけど、たとえ投資の世界でも。
でもある株にお金を払って株を買いましたと。
その株は値上がりしましたっていうのが、先ほどの取引一部を除くと値上がりしましたっていうのが正解ですよね。
つまり、読みは正しかったっていう、これが投資ですよね。
この読み、いるはずなんですよね、投資というからには。
でも私はその読みができない。
できないから投資はしないんですよ、自己であれ株であれ。
私投資とか持ってませんから。
その本当のお金の意味で言っても。
だから、しないんですよ。
少なくとも自分に直接関わる、自分とだけ関係している世界では、
家族で保険にも入ってないとかいうわけではないですよ。
それは家族の問題だからね。
家族だけの問題じゃなくなってくるんで。
年金払ってもいないとかいうわけではないですよ。
年金はこれはギブみたいな世界ですから。
投資じゃないような気がするんだけど。
だから、投資する意味でタスクシュートを使うなりも全然結構なんだけど、
それが辛いんだったらやめてみましょうっていう話をしているだけのつもりなんですね。
そうするとやる意味なくなるじゃないですかっていうご質問が出るんだけど、
僕はそれは投資にこそ意味があると感じていらっしゃるからであって、
やる意味がそれでなくなるはずはないんですよ。
なぜなら、私は投資もしてないし、
未来にあるタスクが正しいとも思ってないし、
場合によってはタスクを先に書いておかないんで、
でもタスクシュートはしているとはっきり思っておりますし、
その力っていうのかな、
効果なりは感じているんですよ。
だからやる意味がないのは、
投資をしなければ投資をしたいという欲求は満足させられないという意味であって、
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そういう意味であって、
投資をしようとしないとタスクシュートに意味があったりなかったりはしないんですね。
これが基本的に全てであって、
つまり現在よりも先のことに正解を何らかの意味で、
投資なり有意義なり生産性が高いなり効率がいいなりというのは全部同じ意味です。
そこに置くべきタスクを置いてそれを実行するのがいいってわけじゃないって私は思う。
それはそれがいいって思うのが辛くなったら思い出してみるといいんじゃないかというふうに思うわけですね。
辛くなんなければそのままやっていただければいいんですよ。
タスクシュートであっても一般のそれ以外の、一般のでもそうなんですよね。
やけにこれが多いっていうのは僕がまず気になっていて、
そしてそれはとても負担になっているように見えるというのも気になっているわけですね。
よくGTDと7つの習慣を組み合わせるみたいな、
あるいはタスクシュートと7つの習慣を組み合わせるといったやり方があるわけだけど、
それはつまりさっきの投資のような話になっているわけですね。
先に、先のために、未来を良くするために近未来に何て言うんですか、自己投資的なタスクを置くと。
でもなぜか実行できない。
そして、例えばタスクシュートでもおなじみのGTDでもよく出てくるレビューですね。
GTDでは終始レビューっていうのは僕はヒットワードだと思うんですけど、
僕はこれも負担になるならおすすめはしないんですよ。
私はいわゆるレビュー、みんながおそらくイメージしているような意味でのレビューは一切やってないんですね。
でもタスクシュートはやってるんですよ。
一番やっぱり人気があり、ごく普通のものとして受け止められているレビューっていうのは、
自己投資的な意味だと思うんですよ。
実際には、あるタイミングでこれらの投資的なタスク、
あるいは自分にとって自分の将来を有利に作用するであろう、影響するであろうタスクを
やろうとしたんだけど、はかばかしく実行できなかったという結果が残り、
その記録を残して、はかばかしくできなかったという過去の記録を眺めて、
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これではいけないということでレビューして、
将来にはもっと良い投資的な行動ができるまず、
タスクを近未来に置き、
そういうことで自分の未来をもっと明るくしていこうというのがタスクシュートだと思われていると思うんですけど、
それはそう思ってタスクシュートを使う人にとってのタスクシュートなんであって、
私はそういうことは過去にも一度もやったことがないので、
まずこれをやろうとして少なからぬ方がこのはかばかしく実行できなかったということで、
これをやろうとして少なからぬ方がこのはかばかしく実行できなかったということで、
これが一つ目の負担なんですね私が思うの。
これが一つ目の負担なんですね私が思うの。
もう一つの負担がレビューをすることができないですってこれも多いんですよ。
これがレビューをしなければいけないと決めたことによける二つ目の負担なんですよ。
そうすると未来のタスクシュートはやっぱり、
そうすると未来が明るくならないって感じるわけじゃないですか。
これが自然と発生してしまう三つ目の負担。
この三つの負担を全部一掃できるわけですよ。
そのためにはプランは正しいわけじゃない。
だからレビューは必須ではないと思えば未来が明るくならないという思い込みにとらわれずに済むわけです。
非常に簡単な話だと私は思うんですよね。
その三つを全部心の重荷にしてしまうと
自分が何かをそれをやると絶対に良かったのかどうか分からない何かを
それが例えば今の時期ですから年末の大掃除と振り返りと
これをどこかで何らかの形でやるのが正解だと決めるわけじゃないですか。
なぜ決めるというかというと、それやるのが正解ですって
例えば赤本とかに回答の欄に書いてあるわけじゃないでしょう。
誰もそれを正しいということを最終的に受け合ってくれる人はいないと思うんですよ。
ただそれが正しいんだよって、そういうことをやるのが正しいよって言ってくれる人はいると思いますけど
その人が間違ってないという保証はないじゃないですか。
その人が仮にすごく良いことをやったら
その人が正しいことをやったら
その人が正しいことをやったら
その人が仮にすごくリア充っぽくて
お金もいっぱい持っていて
やっぱりそういう人がそうやってきたんだから正しいんだと思うことはできますが
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それは本当かどうかはわからないですよ。
その人リア充っぽいかもしれないけど
実は結構家庭内では厳しい状態にあって
お金もいっぱい持ってる風だけど
借金もいっぱいしてますみたいなことはあり得ると思うんですよね。
それ見ただけじゃわからないですからね。
そして何よりも今その人が間違いなく
見た目通りの成功を収めているとしても
その人が本当にPDCA回しまくってきたかどうかは疑問ですよ。
そんなの後からだったら本当何とでも言えますからね。
大橋さんみたいな、大橋絵蔵さんみたいな
記録が20年がっちり残ってますなんて人は
そう言うもんじゃないから
その人が本当に
外車2台持ってる人とかは
うちの周りにもいるんですよ、この地域は。
外車2台持っててセコムばっちりやってますみたいな
危ないからね、やっぱり。
見た目が目立ちますから。
そういう人が過去30年のタスクシュート的記録を持ってるかどうかは
わかんないですよ。
その人の頭の中では
自分は振り返りを毎週がっちりやって
改善に次ぐ改善をしてきたから
こういう成功を収めたんだというナラティブですね。
物語はその人の記憶の中にあるでしょう。
ある場合にはね、ある人はいるでしょうけど
その物語が真実を物語ってるかどうかは
はなはだ疑わしいと私なんかは思います。
なんか私の方がまだレビューした回数
実は多かったりしかねないですよ、はっきり言って。
私はそこまで成功してませんから。
つまりこれはレビューをして振り返って
改善を目論めば
必ずしも人生が好転するという
保証はないわけですよ。
これはこう言うとだからやめましょうねって
聞こえるのかもしれませんけどそうではなくて
だからこれができなくても悔やむことはないですよ
っていう話なんですよ。
これができないと人生が好転しないと思うから
悔やむわけじゃないですか。
人生がここで安定していくという
それはとても嫌ですよね。
たかだか2022年の振り返りをしなかったばっかりに
本来得られるはずだった
富と成功がですね
全部こう安定して
このレビューをしなかったためにホームレスになっちゃうとか
思ったらそれは大変重荷になりますよね。
ただそれは
いかにもうさんくさいんですよ。
その発想というのはですね。
そのようなことが
二つの辺の間の一つの核が同一であれば
合同みたいなほど
圧倒的な何かを持って証明してくれるわけでは
全然ないですからね。そんなものは。
本当にレビューすればそうなるのかと
人生安定したり
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まったくキラキラしたり
そんな違いを本当にレビューと
PDCAだけで生み出せるのかというのは
はなはな疑わしいですよ。
昔、柳田邦夫さんかな
マッハの恐怖という本を読んだことがあるんですけど
その本だったか違う本だったかでね
出だしが5センチずれると
マッハいくつで走るとこんなにずれちゃって
例えば当時あった
旧ソ連の
力を侵犯して撃墜される恐ろしい話みたいなの
ああいう話っての
をですね
要するにポーの小金虫だろうそれって思ったんですけど
ポーの小金虫でちょっと
宝探しみたいな話をちょっと
宿主の大きい地図をちょっとずれると
大きな違いを生むみたいな話なんですけど
そういう話はよくあるんだけど
この線は架空の線ですからね
ましてこれを人生に引くなんて
とんでもないと思うんですよ
ずれたかどうかを後で判断できないじゃないですか
地図があるから判断できるんだけど
人生って地図先にないでしょ
あるというのがつまり正解があるって
発想なんですよ
ないはずなんですよ人生の地図なんてものを
これを書くんですよね
話元に戻ってきてますけど私出版社の
一旦眠らせたっていうのは結局
この地図書いてくれっていう依頼なんですよ
私に気がちなのはねタスクシュート持ってるから書けるでしょ
この地図書く人は本売れるんですよ
そうなんでしょううまく書けばね
だけどこの地図はバーチャルなんですよ
だって人生の地図が書けっこないと私は思うんですよね
この辺の話もいくらでもできるんだけど
とにかく少々私は子供っぽいと思うんですよね
人生の地図が描けるだろうっていうのは
手塚治虫さんとか
藤子不条さんの
SFに出てきそうな話ですよね
そしてそういう話って最後にオチがつくじゃないですか
だいたいちょっとブラックジョークみたいになりますよね
誰が考えてもそうなるはずなんですよ
先に何かが決まっていてその通りに歩くって話だったら
途中で何かまずいことが起こりそうだったら
変更するじゃないですか
でも未来は完全に決まってますって言うんだったら
やる意味ないですよねタスクシュートだろうとタスク管理だろうと
PDCAだろうと全然意味ないですよ
100%決まってるんだったら改善はできないはずだし
もし改善ができるんだとすると
実は地図はないってことになるはずなんですよ
でもこういう話ってわざわざこんな風に
あだほど考えなくてもなかったと思うんですよね
地図なんてものは
24:00
どんなにロゴをきちんと取ってレビューしても
そういう意味では無駄ですよ
明日何が起きるかの予測は絶対できないはずです
できてないはずです
たまたま当たる日はあっても
たまたま当たる日も
300日に1日も発生はしないです
だから原理的に
そこには無理があるので
私たちがやってる気になっている何かはあるんですよ
それはですね
無くてもやれる改善なんだと
私は思うんだけれども
ここで議論する必要はやっぱりないんですね
この議論を深みにはまってもしょうがないので
私がただ言いたいのは
負担を減らそうねと
何なら負担はなくそうねと
そのためには自己投資をしないと
未来は暗くなるっていうその発想を
一旦眠らせてしまえばいいんです
別に捨てなくても
少なくともこの100日チャレンジ中は
その発想を眠らせておけばですね
その負担はなくなると同時に時間が空きます
なぜなら自己投資をしなければいけないという
自己投資に関わる時間が減るし
しかもおそらく自己投資されてますから
それをやめられればですね
その分の時間も空きます
問題はさっきの残るあれですよね
暗転問題ですよね
暗転はしないんですよ今言った事情から
なぜならば高転するか暗転するかは分からないから
このレビューをしなかったことによって
暗転とかは別にしないんです
自己投資しないことによって暗転ということはしないんです
でもこれを多分直接受け入れるのは難しいと思うので
だから100日なんですよ
100日だけこの自己投資を手放すという
あるいは眠らせるというチャレンジをしてみる
そうするとなんとなく感覚的にですね
時間ってそんなに足りなくはないなというのを
一つ分かるのと
心の負担からは解放これでできるんだなと
いつでもできるじゃないですか
自己投資をするのもいつでもできるでしょう
この軽々しさが気に入らないと思うんですよね
自己投資なんていうのはしようと思えばできるじゃないですか
時間が空いていれば
やめようと思えばいつでもやめられるんですよ
暗転も高転もしないければですね
この出し入れなんて自由自在なんですよ
私も昔4時起きとかしてましたからね
そんなことはできるんですよ
本当にやりたいとさえ思えば
これは軽々しくやればやるほどできるんですよ
そう思うとできるような気がするじゃないですか
危機感から決してそうはならない
そんな風に思うとですね
27:00
僕らはこの説明は込めてくるのでやめますけど
実に抑圧的になっていって
だって1回でも失敗すると大変なことが起きるという
思い込みにとらわれるので
危機感に比例した思い込みにとらわれるので
起きれなくなっちゃうんですよ朝の8時で
起きないと路頭に迷うって確信している人は
いつか必ずですねそもそも起きるってことが
非常に難しくなります
だって大変じゃないですか
1回でも起きそびれると
もう死にかねないって話をしているわけですよ
そういう結びつきを自分の心の中に作ってしまったら
もうダメだったっていう風に感じるじゃないですか
一番行き過ぎるとそういうところまで行っちゃうので
その時に思い出して欲しいんですよ
そういう因果関係はないってことですね
これの怖いところのもう1つ
私が喋っていることが怖く聞こえるなら怖いのは
人生を好転させる方法がせっかく見つかりかけたので
にタスクシュートによる
ログの見直しと
より良くなるプランというあれね
それを見つけかけたのにその好転させる方法を
これが怖いってことなんですよね
これは全然心配いらないんですよ
なぜならばタスクシュートによってそのように人生を好転させる方法があるという
受け合った人は多分いないはずなので
いるとすればその人は幻想を語っているだけだから
もともとそんなものはなかったから
それを見失うという恐怖に
落ち込むというのかな
恐怖に囚われる必要は
実は全然ないんですよ
だっておかしいじゃないですか
もし本当にそうならばですよ
タスクシュートをそういう風に
使えばそうなるというならば
僕とか大橋哲夫さんとかJ松崎さんとかみんなそれやっていて
今頃もう間違いなく
ウハウハのはずですよね
これをやりさえすれば何もかもうまくいくわけでは
そうだったらやっぱり僕らやってますよ
10年もやってるんだから
3人ともある意味大体10年くらいやってるんだから
少なくとも一時期はやりますよ
やろうと思えばできるわけですからね
朝4時起きだってできるんだから
今はもう10時くらいに起きたりもする
こういう人間でもやろうと思えば4時起きなんてできるんで
朝勝も英語の勉強も全部できますよ
それだけではですね
未来を思い描いた通りに
キラキラしたものにするなんていうわけにはいかないんですね
だからそのような方法というものは
僕は多分ないと思う
それを失うという恐怖というのは
誤解の産物なんですね