どちらもコミュニティメンバーの資格を剥奪される恐怖感です。
怒られることは嫌ですが大きなメリットがあるなら嫌でもなくなるかもしれません
現代にはもう少し喪の作業が必要かと思います。
正義のために人を罰したいという気持ちを手放すというのはカルト的でしょうか?
成長戦略はいらないとまでいったら言い過ぎなのでしょうが。
擬似的な価値は、信じようとしている間だけ、信じられる
我が家は文字通りの信者ビジネスでした
赦すのが難しいなら罪など認めないこと
置かれた場所でも、新しい場所でも、何も咲かせられなくても、価値マックスなことに変わりはないんです。
多くの人にほんの少しずつ役に立つ存在になっていくということ