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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
来週の日曜日にクロストーカーがあるので、よろしかったらご参加ください。
もう短くしようかなと。
このCM枠みたいなのを僕が意識したのは、いつぐらいからなのか、わからなくなっているんですけど。
ノートとかブログとか、ノートってブログサービスみたいな、ちょっと斜めに書けるSNSっぽいものを目指しているやつなんですけど、
あれ、書かなくなって、わりと久しい気がするんですね。
書かなくなって、久しいってことは書かなくなってないし、書くんですけど、書く気になったら。
基本的にはこれでノートの代わりにしちゃっている感覚なんですね、私の中では。
しゃべるのと書くのじゃ全然違うんで、これだけではやっぱりお伝えできないこともあって、
その辺を有料ノートの3カードってやつに流しているわけなんだけど、そっちの頻度も僕あんまり高くなっていないんですね。
いろいろ理由はあるんだけれども、一つには意外に忙しくて面倒くさいというのもあります。
書くべきだとは思っていないところもあるんで、書きたくなったら書こうぐらいな感じなんですけれども、
その話をするんですよ、クロストークでは。
ブログで自己発信という話は別にブログじゃなくてもいいんで、
ブログじゃない方を選択したいという方は今はむしろ追い風かなって思ってるんですよ。
ただブログにどうしても、つまり書くって方がしゃべるよりも、あるいは顔出しなんかよりもずっといいという人もいらっしゃるわけじゃないですか。
そういう場合にはそれだけだったら何の問題もないんだけど、それで来ていこうと思ったらちょっと考え方が必要だなと思うんですよね。
ライターになるって言ったらまた別なんですよ。
それだったら僕は昔ブログしかなかった時代に比べると、今は様々な問題があるとはいえライター業をやるっていう方には割といい状況なんじゃないかと。
それで十分食うっていうのは結構難しいですけど、そこはしょうがないですよね。
誰でもできちゃうやつなんで、誰でもできないんですけどね実は。
そんなような話をひっくるめてやりたいと思っているので、31日にチェックいただければと思います。
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そういう話のとしてはですね、私と竹内晴明さんで5000円ってのは安いと思うんですよ。
本気でやれば文章全くダメですっていう方を除けばですね、一月5000円はいけるようになりますからね。
本気でやれば。問題は一月5000円のために本気にはなれないだろうって話も当然あるとは思うんですけどね。
まあまあそんなわけです。
今回はランコッコさんという方からリクエストいただきましたので、こっちの話をしようと思います。
いつもポッドキャストを拝聴しています。
ありがとうございます。
同じ自分でも夜寝るときはもっと起きていたくて、寝技になると寝て痛いの話面白かったです。
相反する考えを入れ替えたいときに自分の中にスイッチみたいなものを感じるのですが、入れ替わりがうまくいかないときはこれが人間の脳は変化を拾うなのかと思うのです。
そのあたりのことについて配信していただければとリクエストします。
ありがとうございます。
まず、私がこの中で分かっていないというか、そうなんだろうかと思うのが一つに、脳は変化を拾うなんですね。
本当なのかなって思うんですよ。
脳は人じゃないので、そもそも拾うといったときには、
この話全体が比喩なんだけど、特に嫌うというこの擬人化をするときは注意で。
私は人格が変わるというときにですね、これももちろん比喩なんですけど、
人格が変わるとか変化する、ちょっと違うんでね、
同じ自分でも夜寝るときは起きていたいという、こういう欲求、
そういうのを私は最近別人問題と言ったんだけど、
これはもう本当に擬人化ってやつで、欲求を擬人化しているだけなんですよ。
脳は特にですね、その時々の人格に使われているだけであって、脳自体が好くとか嫌うという表現を取ったときに、
つまりそれってエネルギーコストが高いか低いかって話でしかないと思うんですね。
物質なんで、低いほうがいいのは前提としてあるに決まっているわけですよ。
でもそんなことを言えば、胃だって変化嫌うし、喉だって変化嫌うし、目だって変化嫌うし、
およそ物質は変化を嫌うわけですよ。物質が変化を大好きだったら、形状記憶がどっか行っちゃいますよね。
もうすでに違う形になっちゃうんですよ。
実際物質っていうのは全てがそうですが、毎一瞬毎一瞬変化はしているわけじゃないですか。
だから物は崩壊するし、水はなくなっちゃうし、あるいはまた空気から、空気からじゃ本当はないけど、
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雨降ってきたりもするわけですよ。常に変化しているわけですね。
変化大好きじゃないわけですよ。難民性も。
脳ぐらいになってくると、絶え間ない変化にさらされているだけに、形状記憶も非常に重要になるんですね。
じゃないと形自体が保てなくなりますよね。
柔らかいんですよね、また非常に。柔らかいっていうのは大事なポイントだなと思うんですよね。
これだけ我々は様々な知覚、解釈、イリュージョンを脳に寄ってやっているわけだから、
その脳が全く固定化された物質で変化しませんみたいになるのは、多分全然ダメだと思うんですよ。
つまり脳が変化を嫌うというのは、私はむしろ逆なんじゃないかというふうによく思うんですよね。
この物質は物質にしちゃ非常に変化によくついてきているなって感じがものすごいするわけです。
大変ですからね、変化というものがこれほど目まぐるしく現実世界では起きるわけですから、朝と夜じゃ全然違うじゃないですか、世の中なんてものは。
明るさ、その他、色彩、様々なものが変化するわけですけど、脳はそれに形状を変えないまま、根本的にはですよ、
形状を変えないままついていかなきゃいけないわけだから大変なんですよ。
実際コストはあるんですね。
例えば酸素消費量が脳が最大だったと思います。
それから体内でも一番熱が、これは周りが骨に囲まれているからなんですけれども、高い。
つまり熱排出量も多分小さくはない。
それは脳内の血管等の話もあるんで、脳それ自体のっていう話にはちょっとなりにくいんだけど、
何にしてもエネルギーコストっていうのがあるから、そこは低く抑えたいというのは当然働きます。
つまんないことに精を出すくらいなら寝ていた方がマシだっていうふうに脳自体が考えるのは当然で、脳は考えませんけど多分。
そういうエネルギーを節約する方向に向かいたいのは当然で、
ここのところ、我々は人格の側は脳を使ってやっていることなんだけど、非常にいい加減で変化って言ったときに、
変化が良いものになっているんですよ、ニュアンスとして。
変化というのは良いも悪いもないと思うんですね。
変化しないという状態がないと困っちゃう場合ですから、
同時にある程度は当然常に変化し続けているわけなので、
変化が好きとか嫌いっていうのは、私は変化が良いとか悪いということは言えないと思うんですよ。
ただ変化はするものなんですね。
この変化っていうのは成長っていうような言葉のニュアンスを混ぜるから、
変化は必要なもので、保守的なのはダメだみたいな話になっちゃうんですけど、なりがちなんですけどね。
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そういう話ではないと思うんですよ。
で、入れ替えるっていう相反する考えを入れ替えたいっていう話になってくると、
これはですね、すっごく意図的なものを感じるんですよね。
これが何を意味するのかちょっと私にはわかんないんだけど、
ダイエットの話だと皆さんわかりやすいんですけどね。
甘いものを食べたいと思ってるのに、
ナッパを食べるべきだに入れ替えたいとかそういう時にですね、
私がこの人格交代的な別人問題って言った時はそこまでは意図してないんですね。
むしろ勝手に変わっちゃうというニュアンスの方が強いんですね。
どっちにしても比喩だってことは大事です。
これは何かね、多重人格的な話に直結させて、前やっていた自分のことはもう全部忘れましたとか、
使う言葉が日本語から英語に変わりましたとか、そういう話はしてないんですね。
どんな人でもある程度分裂はしているんですよ。
これ言ってたのはフェアワールかな。
夢見るという時のことを考えれば一発なんですね。
そもそも自分が何人もいたりしたりするわけじゃないですか。
あるいは自分じゃない人間になったりすることもあるわけですね。
だからこういう人格交代みたいなものはエソラ事ではなくて本当にあるんだけど、
起きている最中の私たちはほぼそうではないと思うんですね。
それよりもっと簡単な、さっきまで勉強しなかったんだけど今はする気がないとか、
そういう話を多分ここではなさっているんだろうなと思うんです。
入れ替えたい時に自分の中のスイッチみたいなものを感じるというのは、
私はそんなことはあんまりないんですけれども、
本当はグラデーションですからね。
カチャッと変わったりはしないんで。
ただそういうこともありますよね。
例えば寝起きなんかがそうですよ。
私も結構スイッチと言ってしまってもいいぐらいバチッとやらないと、
バチッとやる時が感じられますね。
そういうことは全くないわけではないですね。
入れ替えたいという時にカチャッと入れ替わるという感じがしなくもないこともあります。
しなくもないことがあるというのはどういうことかというと、
本当は僕はあんまり望ましくはないと思うんですよ。
つまりそれは遅れてるんですね、ある意味。
周りというのかな、本当の変化はグラデーションで起きているわけなのに、
カチャッと入れ替わっちゃうということは、その落差がでかすぎるということなんですよ。
ただ寝起きって落差がでかいんですよね。
だから体を痛めたりしちゃうわけですよ、そういう時に限ってね。
大きな変化が起こる時というのは、つまりその前の状態に固執のようなものが強い。
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睡眠時が一番僕は強いと思うんですよ。
身体の状態は大きく変わるんで、睡眠時と起床時は。
こういう時の変化を好まないというよりは、脳に限らず身体全体は、
ここのエネルギーコストは極めて大であるという風に考えていたものですね。
変化を嫌うといった時に、私たちはついついですね、
このグラデーションのすごい瞬間的な部分を割と無視して、
例えば仕事を先送りするという話が、極めてそこに着目されるというケースが結構あるわけです。
僕はそれにはいくらかの要素があると思うんですけど、
一つにはですね、この変化時のコストにちょっとこだわりすぎているなという印象があるんですね。
この話をすごく盛んにする時ほど、大体そうなんですよ。
めんどくさいってやつですよね。すっごいめんどくさいとか。
そこのめんどくさいということに非常にこだわられる方がいらっしゃるんですね。
私今ちょっとパッと思い浮かぶのは、
私と一緒に時々仕事をさせていただくことも多くある、
エフタさんという方がこのテーマにすごく取り上げるような印象として、
めんどくさくてめんどくさいということを何とかする自分とか、
そういうのに対する仕組みかという話、
私もそういう本を書いて非常にヒットしたので、
時代背景もあるとは思うんですけれども、
私は実はそこはそんなにないんですね。
めんどくさくてダメだみたいなのはないんですよ。
これはつまりそこにこだわると結構大事になっちゃうと思うんですね。
私はどっちかというとここはですね、
無視するぐらいな感じなんですよ。
めんどくささは無視する。
なぜかというと、原理よくそういうことがあるに決まっているからなんです。
たぶんここに理想みたいなものがあって、
よく言うんですよね。
自分の大好きなことをする時のように何でもできるようになりたいみたいな。
だけれども大好きなことをするのだって、
どうなのかな、そんなにスムーズにいかないんじゃないかと思うんですよね。
私寝るの大好きだけど、いつでもどこでもスパッと寝られるかというと、
毎日毎日スパッと寝られるかというと、
別にそんなことはないですし、
身体にせよ脳にせよ複雑なんで、
そんなにそれこそスイッチ一つでポンポン切り替わる、
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ここがですね、たぶんそういうことに対する苦労みたいなもの、
どこかちょっとしたトラウマみたいになっていらっしゃる方が、
例えば私のすぐやる50の方法みたいな本をよく売れたのは、
そういう背景があるんだと思うんですよ。
いつまでもダラダラしていたいということを、
ことさら重大に感じていらっしゃるという、
私はそういうのが、そういうのってのはですね、
だから仕組み化とか、あれにもあったよな、なんだっけな、
夢を叶えるぞって本にテレビをダラダラ見ちゃうっていうのをやめるために、
コンセントから抜いちゃえばいいっていう、これが仕組み化なんですよね。
テレビをパッと見られないようにすれば、もっと生産的なことをやるだろう。
私は嘘だと思うんですよ。
絶対その人はコンセントを毎度あっさり入れて、
テレビを見るようになっちゃうというふうに絶対思うんですよね。
そのうち絶対にそんなコンセントを抜かなくなると思うんですよ。
なんかね、自分の動かなさみたいなものを過大評価しちゃいけないと思うんですね。
もっと簡単にできることなので、
それを乗り越えるということは簡単だと思っておくのがいいと思うんですよ。
そして、そういう時に来るネガティブな感じっていうのは、
あるに決まってると思っておかなきゃダメだと思うんですよね。
好きなことだからとか、人格が切り替わるからとかなんとか、
そういう話に持っていって、
そのネガティブさというものを感じないようにする方法みたいなのを、
やけに高く評価しちゃいけないと思うんですよ。
感じるに決まっているんですよね。
感じないと困るから。
ご飯食べたいというのは空腹だからですよ。
血糖値が上がっているからですよ。
そうならないと困りますよね。
だからダイエットの時に空腹を感じなくなるとか、
私はあの方法をどうしてもいいと思わないんですよね。
空腹を感じないと困るんですよ。
ある程度食べると今度は食べたくなくなるじゃないですか。
これも食べたくなくならないと困るんですよ。
つまりネガティブな感じっていうのは、
常にそこかしこに要因があるものであって、
だから切り替えが大変だという感じを抱かない方がおかしいと思うんですよ。
こんなのは息止めてみれば一発で分かる。
ものすごい苦しくなるじゃないですか。
ある意味この苦しみがないようにしたいと言っているようなものですから。
死んじゃうんですよ、そんなことをしていたら。
だからネガティブなものっていうのは、
やることがネガティブだからあるとか、
親からのトラウマを受けたからあるとか、
本当はそういうものではないんですよね。
それはそのネガティブな解釈を課題評価する時に
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トラウマとかが出てくるのであって、
ネガティブな感じそのものはなくそうっていう方には無理があるし、
そこを僕はあんまり注目しない方がいいと思うんです。
本当はやりたいことのはずなのに前向きにできないとか、
倉園さんがお客様とか大切な人のためにやるときは
もっと前向きになれるって言ってたから、
そんなに後ろ向きなのは自分が人を愛せてないからだとか
考えるべきじゃないと思うんですよ。
僕はそんなことは全然考えないんですよね。
娘のためにやるのだって手間だなと感じるなんてことは
頻繁にあって、ただそれは無視するんですよ。
無視しても何にも問題ないと思うんですよね。
当たり前なんですよ、この感覚が出てくるのは。
私スイッチみたいなものも全く意識しないし、
その切り替え時に、昔の本を書いてましたからね、
書いてほしいという要請がたくさん感じられたし、
現にそういう要請がたくさんありますと編集さんも教えてくれたから
一生懸命考えて書いたんですけど、
あれですよ、仕組み感みたいなやつですよ。
ゴミ箱の上にバスケットのやつとかを付けると
みんながそこにゴミ捨てるように自然となるでしょみたいな
モチベーションを誘発するみたいな、ああいうのが受ける。
それはここを乗り越え、言ってみれば何かをやりたいと思って
テレビゲームをしていたいと思っているのを
ご飯を食べたいに切り替えるのすら
ある種の困難さを感じるという時に
この困難さをなるべくハードルを下げておきたいっていう話なんですよね。
私はいろいろ試してみたし、やってもみたし
トライもそういう仕掛けにトライしてみたんだけど
今ではどれも全く最強しなくなっているし
当然だよなって思うんですよね。
何らこれの切り替えに無理だとは思わないんですよ。
苦痛だとは思っても苦痛と無理は全然違うと思うんですよね。
こういうものでは特に。
言ってしまえば、そもそもなんだけど
そもそもいろんな人格、別人格というのは
それ自体がイリュージョンですしね。
本当はグラデーションなんだ。
自分は一人じゃないですか。
同じ自分なんだ。
この同じ自分が癖物なんですよ。
同じ自分は変化し続けているんだけど同じ自分なんですよ。
これはタスクシュートでリピートタスクのお話を私がする時も
同じことをいつも意識するんですけど
最近どなたかに100日チャレンジで書かれてたんですよね。
私は要するにそういう前衛的で幻覚的なことばかりしゃべっているけど
人がしゃべっているのはそういう話じゃなくて
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そこには本来的な意味でのギャップがあると。
そうなんでしょうね。
でも事実って大事なものなんですよね。
リピートタスクでやることは毎日違うじゃないですか。
絶対毎日少しは違うんじゃないですか。
でも朝食って同じ朝食じゃないですか。
ここは認識の問題で。
ここにはすごいことがあるんですよね実際にはね。
言葉っていうのは全部そうなんだけど
全てその実態とは常に関係ないんだけど
その実態を人に認識させることができるみたいな
そういうもっと言語学得意な人ならもっと上手く言うんですけど
そういうことがあって
リピートタスクっていうのは全くそういうもんで
私が言う別人問題も全くそういうものなんですよ。
どれもイリュージョンなんですよ。
現実にはそういう事実はないはずなんです。
朝食だってどれも全部全く徹底的に違うっていうことができますしね。
これは自閉の人が問題になるやつですよ。
帽子かぶってるともうその人が同一人物だとは認定できなくなって
大変困ると。大変困るんですよ。
でも帽子かぶっている私と帽子をかぶっていない私は違うわけですよ。
あからさまに違うわけですよ。
印象が違うなとか言うのは
同じだという意識をどっかに持ってるせいであって
本当は違うわけですよね。
そういうことはあるんですよ。
昔ね、ほんと昔でした。
娘が1歳だったと思いますね。
2歳くらいかな。
長く、ちょっと長くね。
実家に妻と一緒に里帰りをして
その時たまたま妻のお兄さんが来てたんで
ちょっと長いしてたんですよね。
10日かそれくらいかな。
で、私がその追っかけで行って
行ったら泣いたんですよ。
びっくりしました。すごい泣いたんですよ。
私が認識の範疇の何か
どこにいたんでしょうね。
ものすごい泣いたんですね。
で、びっくりしました。
非常にいい体験だったなと思います。
人間のやっぱり認識というのは
こういうところがあるんだと。
で、赤ちゃんだということもありますけれども
翌日になったらけろっとして
パパーとか言ってたわけですよ。
非常にこれもびっくりしましたね。
こういうのって面白いなって思いましたね。
ああいうのが全く同じなんだけど
どこかが違うとか言い出す病気。
名前今ちょっと忘れちゃったんですけど
有名な病気があるんですよね。
非常に怖い話でもあるんですけれども
あなたはお母さんではなくて
お母さん、宇宙人のお母さんに負けてるんだ
とか言い出すやつですよ。
カニウスバーガー
なんかちょっとそういうような
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ややこしい名前の症候群があります。
デジャビューの話とちょっと似ておりますね。
話があちこち飛んでる感じなんですけど
要するに脳が変化を嫌うという言い方をするならば
その通りですね。
その通りな面はあると思います。
なるべく同じ処理で使い回しにしたい。
ここにリピートタスクという考え方が
私は根付いて目指しているとは思っているんですけれども
とはいえ、とはいえというのか
切り替えることは絶対切り替えるというか
しょっちゅう切り替わっちゃっているわけですね。
スイッチというものを意識するとすると
実態が起きている変化に少し追いつけていないんですよ。
前、食事が終わろうとしているのに
まだ食事真っ最中の自分から
固執してなるべくそういう状態を維持しようとしすぎているから
切り替えるときにガチャッという感じがするんですよね。
このギャップがでかいということです。
あれですよ。
ずっと家に引きこもっていたんで
外が変わっててびっくりしたみたいな
そういう変、そういうのが
小さい奴がちょっと怒っているって感じがしますね。
これは良し悪しではないんですよ、どっちにしても。
なぜなら、維持しようとするのと変化しようとするのの
攻めぎ合いはずっと起きているわけですから。
それがなくなることは生きている限り絶対ないはずですからね。
切り替え時のめんどくささを乗り越えにくいという話は
私はそこに固執しないことだという感じですね。
それをうまくやって工夫によって乗り切ろうとかするのは
ハードル走ってあるじゃないですか。
自動でやるハードルですよね。
あのハードルを飛ぶのに
飛ぶ瞬間だけ5センチ低くする仕掛けとか
飛ぶときにはそこが見えなくなる
ドラえもんの道具みたいな見えなくなることによって
飛べるようになるとか
そういう話をしているような気がするんですよ。
黙って飛べばいいじゃんって感じなんですよ。
ハードルはあるんですよ。
ない方が楽に通過できるに決まってるけど
あるのはもうあるんですよね。
なくなることは絶対ないんで。
この話の構造上
なくなりはしないんですよ、ハードルはね。
飛べないほど高いならば
下げることに意味はあるでしょうけど
飛べるのに
下げる、下げる、下げるっていう話ばっかり聞いてると
なんか下げなくてもいいから
飛べばいいっていう風に思っちゃうわけですよ。
なんか飛ぶと余計なエネルギーを使って
バカだと思われるとか
そういう議論が始まっちゃってる感じなんですよね。
なんかすっごい
そういう議論のほうが
よっぽど余計なコストだって感じが
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私なんかは受けてるんですね、今は。
で、今日は一番大事なのは
そのハードルはないってことなんですよ、本当は。
これ自体がイリュージョンなんですね。
まず第一に
実際には別人問題みたいな
別人というのも比喩だから
アレゴリーなんで
イリュージョンなんですよ、まずね。
で、常にグラデーションで
我々変化し続けているわけですから
そういう意味ではね
ここで人格が交代するっていう
そのここがあるっていうのが
既にもう完全にイリュージョンなわけです。
そこにハードルはないんですよ。
だからめんどくさいなって思うことは
当然絶対今後も
延々とあるはずなんですけれども
テレビゲームから勉強に向かう時の子どもが
めんどくさいと思わないわけがないんですね。
だけどそれは結局イリュージョンなんですよ。
明らかにそのような事実は
どこにもないんですね。
根拠がそこにないっていうことです。
テレビゲームのほうがコストがかかるのか
勉強のほうがコストがかかるのか
そんなことはわからない。
そしてコストがかかるからできないのかというと
そんなことは断じてないわけです。
その交代とか言っているけれども
脳の使い方が変わるというだけであって
脳の使い方などというのは
常に変わり続けているんだから
大きくは変わるかもしれないですけれども
大きく変わるだけであって
大きく変わるところに
ハードルが立っているってことはあり得ないわけですね。
スイッチももろんありません。
だからこの話全体の中で
一番大事なのは
黙って飛びましょうというものなんですね。
それはイリュージョンだから
飛び損ねることは決してないんですよ。
それだけで十分だろうと
そんなふうに思います。