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2021-03-31 25:33

【GMV 349】Evernoteのノートはなぜ増えるのだろう?

アイデンティティは固まらない
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今日はですね、久しぶりに思いっきりライフハック方面に流れてしまいたいと思うんですけど、
最近Notionというの、N-O-T-I-O-Nというのを使い始めたんですが、
すごく自分はああいうものを楽に使えるように、つまり昔Evernoteを使ってたところに比べると、
すげえ楽になったと思うんですよ。
理由は簡単でして、扱うノートの数が激減してるからなんですね。
それにしてもですね、最近またEvernoteが色々と難しくなってきたこともありまして、
そしてガジェット、ITの方がどんどん進んだせいもありまして、5Gとか言ってますしね。
また立て続けにデジタルノート系が色々出てきているんですけど、
なんでこんなに出てくるんだろうとふと思ったんですよ。
アウトライナー系で言うとDynalistとかWorkfloweeとかRome Researchとかあるし、
日本ではScrapboxも結構話題になりましたし、一部ですけどね。
あとNotionとかそれこそObsidianとか他にも出てきているんですが、
随分出てるじゃないですか。もちろんEvernoteがある上にあるわけですよね。
昔いっ時、まだあるんですけど、Google Keepというのも話題になりましたよね。
iOSの標準のメモ帳も結構高機能だったりします。
どうしてこんなにあるんだろうと。
大概の方はですね、私と同じでノートの数、大した数じゃないんですよ、多分。
1000もあればいいぐらいなんじゃないかと。
昔はね、とにかくEvernoteの時代ですけど、
1万行った頃から効力がみたいな話があり、
1万もあるとですね、ある頃に効力がやっとわかるようでは。
大概の人はやっぱりそんなものにまして課金とかまでするはずがないんですよね、考えてみると。
で、なんで昔は1万言ってたんだろうと、私も言ってた側として不思議に今思うんですよ。
今たぶんEvernoteは私、アカウント3個目にしていて、
そのアカウント、3個目のアカウントで2万ぐらいなんですけど、多すぎるわけですよね。
そんなにいるはずがないんですよ。
で、あれは一体何なんだろうと思っていて、
ふとですね、昨日その人と話していた、
アイデンティティっていう言葉がですね、すごく関係深いなと思ったんですね。
この話、広がっちゃいがちで適当に収めますけれども、
私が一番感じるのはプロフィール書いてる時なんですね。
あのプロフィール書くっていう行為はどうも私好きになれなくて、
このプロフィールは素晴らしいなっていうものにまだいまいち出会えてないというせいもあるんですけれども、
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何しろプロフィールっていうのはしっくりこなかったんですよ。
で、なんでなんだろうと思ってたんですが、
アイデンティティっていうのはそもそもそうなんですけれども、
自分の説明じゃないですか、要するに。
で、自分を説明するのって他人というのかな、外部を必ず使いますよね。
私自身を説明するのに内側から湧き上がってくるものを使うことは、
事実上不可能というか意味をなさなくて、
名前がすでにそうじゃないですか。
佐々木昌吾という名前は何ら私の意思と関係なくついているわけですよ。
佐々木家の昌吾って名付けたのは父ではないけれども、
要するに父母みたいなもんですよね。
要するに私がつけたわけじゃないわけですよ。
軒場とか勝手に作り出したやつは別としても、あれはハンドルネームですけどね。
ハンドルネームぐらいなんじゃないかと思うんですよ、ある意味。
個人の何かを反映しているプロフィールって。
人は出身校であったり、勤めたことのある企業であったり、
書いた本はちょっとあれなんですけれども、
そうはいっても書いた本であったり、国籍であったり、誕生日であったり、
全て私の意思とは何の関係もないんです。
出身校は全く関係がないと言えるかどうかは別ですが、
でも例えば独教大学とか言ってみたところで、
独教大学というのは私が立てたもんじゃないですし、
しかも独教大学出た人は山のようにいるわけですよ。
私がいた段階ですでに1万人いたわけですよね。
それが毎年毎年いるわけじゃないですか。
だから独教大学を出ましたでは何の説明にもならないんですよね。
日本国民ですとか言っても1億2千万人いるわけじゃないですか。
私の説明にはならないんですよ。
で、しょうがないので、よく言いますよね。
便図みたいなのが、私セミナーでも見たことありますけど、
いろんな属性を重ねたところにあなたがいる。
私はあれ納得したことがないんですよ、あの説明に。
事実そうなんですけれどもね。
でも一人になるとは限らないじゃないですか。
所詮外部の属性を使っている説明なんで。
一人にならなかったらおかしいじゃないですか。
なぜなら私は一人しかいないから。
例えばビジネス著作家でタスクシュートを使っていますと言えば、
激減はしますよ。
でも一人にならないんですよ。
例えば大橋哲夫さんは違うのかってことになると、
微妙な話になりますよね。
J松崎さんは違うのかって言うとやっぱり微妙な話になるわけですよ。
この属性で絞り込んでも3、4人は出てきうる。
今後もっと増えうるわけですよね。
そうするとタスクシュートユーザーのビジネス著作家で絞っても、
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少なくはなりますよもちろん。
でも一人にならないんだから意味ないですよね。
そこに無理に何かくっつけるわけですよ。
タスクシュートユーザーでビジネス著作家で朝日川氏出身って言ったら、
多分当面は私しかいない気がするんですよ。
ただこれ説明としていいのかっていう話ですよね。
朝日川出身のタスクシュートユーザーでビジネス著作家ですと言ったら、
その3つの説明は私らしさを表すだろうか。
多少は表すでしょうけど、大した意味ないなっていう感じがするんですよね。
これだったら佐々木賞文の方がよっぽど説明として妥当な気が。
私名詞って作らなくなったんですけど、
名詞も名前だけ書いとけばいいとしか思えないんですよ。
もっとも同性同盟って絶対いますからね。
やっぱり1位2位は決まらないと思うんですよね。
基本は外から説明することしかできないんですよ。
ところがここに長らく釈然としない気分を抱いてたんですよね。
内側から説明したいと思っちゃうわけですよ。
多分それはね、もちろん教育効果なんですよ。
教育の影響が大ですよね。
個人であれってやつですよね。
私この影響を最大限に受けてるのは、
私の個人主義だと思うんですよ、夏目漱石の。
あれが一番やっぱり強烈だったなっていう感じになってるんですよね。
なんかあれを疑うという意識をあんまり持ち得たことがないんですよね。
だから自分を外から説明することも、
重ね合わせみたいなものによって
自分説明したくないっていう意識があって、
でもそれしか世に通じる説明の仕方がないので、
しょうがなくいろいろ重ねていくわけですよね。
どこもサービスに勤めてましたとか、
カンザスシティに留学してましたとか、
あれこれあれこれ重ねていけば、
結局のところ一人に限定されていくと。
そういう話だと思うんです。
ロッテのファンだとかですね。
でも今いるかもしれないですよね。
ロッテのファンでタスクシュートユーザーでビジネス著作家で、
カンザスシティに留学していて、
そういう人が将来一人も絶対現れないとは言えないし、
やっぱりこれは外からの説明であるということに違いはないんですよ。
内発的じゃないんですよ、創石流に言うならば。
で、この話、プロフィールの話ではなくて、
ノーションの話なんですよ。
なんでメモが増えていたのかと。
なんで2万だ5万だという話になっていたのかというと、
要は欲張るからなんですけど、
例えば何か本読んだら読書メモを取ると、
いいことがあるような気がしちゃうわけですよね。
別に私にとってはないんですけど、
あるいは漫画でもいいシーンがあったらスクショ撮ったりしてたわけですよ。
いいことがあるような気がして、別になかったんですけど。
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こういうことが山のように起こるわけですね。
とりあえずこれが一つなんです。
これは何を欲張ってるのかというと、
記憶というものを自分の意識範囲内でどんどんどんどん蓄積しているものを
なるべく多く意識しておきたいと。
自分というものに反映させたいという欲望なんですよ。
つまり自分というものを大きくしていきたいという、
多分私の場合は欲求が強くあったと思うんですね。
これがエヴァノートのそのノートの数に反映されていくんですよ。
私のアイデンティティを拡大しているような気がしていくんです。
さっきの重ね合わせと似てますよね。
本は外部にあるものなので。
それが血肉になるとかって言うけど、血肉にはならないわけですから。
本を食べてるわけじゃないんでね。
精神の糧になるとか言うんですけど、
これも大変微妙な表現だなと私は思うんですよ。
だいたい悪影響のことを全く考慮してないですよね。
ジャンクとかっていう言い方をする人もいるんですけど、
ある本がジャンクである本がビタミンであることは誰が決めるのかという、
この話、実は食生活とか食育みたいな話とすごい深い関係があると思うんですね。
私は娘が大好きだからやむを得ず飼ってるんですけど、
子供の頭の9割は食で決まるみたいな本で、
あれと考え方がすっごい似てるなと思って好きにはなれないんです。
これは僕の正しさなんですけどね。
娘が欲しい言うし、やたら読むから書っちゃうんですけど、
9割本とか10割本です。
だいたい食に関するやつですね。
私は読まないんですよ。絶対に。
この種の話って糖質制限を強くしてた時からもそうだったんですけど、
本当に難しい問題を自分に課すことになっちゃうんで、
だから本も何時でそういう視点は取らないようにして、
ためになるならないってやつですね。
これはまあ、いいんですよ。
何にしても欲張るんですよ、僕らは。しょうがないんですよね。
なるべく摂取したものを最大限生かしたいわけで、
そうするとエヴァノートのノートが増えると。
これがすごくアイデンティティに絡むんですけど、
そもそももう一つ、アイデアメモってあるじゃないですか。
あれは一体何なんだろうと思ってたんですね。
私毎日毎日つけてた時代があったんですよ。
毎日、毎日、毎日の方針を決めてるんですよ。
そこで変なことやってるな、と思ってたんですよ。
ずっとこれをやってて変なことやっているな、と思ってたんですよ。
振り返ってみても同じですよね。
この方針でいいんだろうかってことを毎日毎日やってるんですよ。
これは一体何の欲望なんだろうと思ったんですよ。
そもそも無駄だと思ってたんですね。
ですね 現実に毎日実行することとその日に立てたがる方針とはずれるんですね
これをどっちを優先するかって話必ずあると思うんですけど私は断じて毎日やってる ことを優先するべきだって思ったんですよ
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8回してここで意見が実は分かれているんだけど私にはどうしてもですねこの毎日 やってることを裏切って朝に不意に思いついた
8何何らか方針を優先させると人は死ぬんじゃないかと思うんですよ 究極的には
結局ベースとなると行動というものが私たちあると思うんですね 食べるとかですねで仕事もそれに近くてやっぱりこう
とこれまでにやってきたことがベースに近いと思うんですよ やり方を毎日のように変えるというのも一つの考え方だとは思うんですけれども
なんかですねえっと 過剰にリスクをとっていてしかもそれをなんていうのかな
ワクワク感みたいな話と関係があるので難しいんですけれどもね仕事へのモチベーション みたいなのも絡んでますから
ですけれどもどうしても私はそれがやっぱりこう フリーランスになってるから余計なんだと思うんですけど
釈然としなかったんですよそっちに向かっちゃうの でもだとすると毎日のこの方針って無駄じゃないですか
ほぼ生かされることはないわけなのでこれを何のために僕は毎日毎日エバーノートに 噛め込んでるのかと
でそれを確かにスクラップボックスとかに書くとより一層ですね ネットワーク化しやすくてなんかいかにも
血肉になっている感じがして余計嫌になったんですよ このなんか豪華なおもちゃで遊んでる自分っていうものに
ハマっていきたくないというこれにハマるぐらいなら野球見てたりとつく強く思ったんで その辺の葛藤がごく最近まであったんですね
グッドバイブス読むまでですよあったわけです 読む直前ぐらいかなあの頃
深刻な事態が進行していてそれも結構聞かたんですよ深刻な事態が進行し始めると 心理ですよ自分の体にジムマシンが引っ込まなくなるとか
妹がなんかどっか遠く行っちゃうとか本当にお金がいきなりなんか収入が42% ダウンするとかですね
深刻な事態が急速に進行し始めた時に8この方針やめたんですよね 不意にもう自然と消滅したんですあ
あれば遊びだったんだなとつくづく思ったんですけどこの深刻な事態になるとやら なくなるようなことは当てにできないと思ったんですよ
これも意見分かれるところだと思うんですけどね 余裕がある時にこそできることがある的な意見もあるじゃないですか
結局これは正しさなんだと思うんですよ それはいいんですがそうじゃなくて僕がその時に感じたことは
つまりまあグッドバイブスで言うところの依頼を優先しようとか 依頼本気でやろうってあるじゃないですか
で人が自分に依頼することで自分を規定していくみたいなのもまあこれちょっと 言い方が違うんですけれども
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要するに人が私に頼むことが 私の個性であるっていう一面は少なくともあると思うんですねここはあの
難しいところというか必ずいろんな意見があると思う ただ私はこの段階で
葬式のあの私の個人主義から離れ始めたわけですね今はもう 消し去ったとは言いませんけれどもほぼほぼ捨て去った感があるんです
内発的な私というものはない これはですねあの今日全部お話しするにはやっぱり広がりすぎたんであれなんですが
名前の構造にも似たような話があるんですね あの自分というものは一番被害者になった時に現れやすいっていう言葉があるんですよ
これは私は事実だろうなと思うんです 8何をしたいというよりは
ここがですね現代教育の効果で何をしたいを言えるようになれなきゃダメだっていう 教育が断続的にあるんですけれども何をしたいというのがなくても何々をしたくない
ならば言えるっていう形で自分を意識するっていうことはすごく多いと思うんですよ ボーッとしていて何もしてないと別にやりたいことが今あるわけじゃないけれども
例えばお母さんがあの寒い冬とかにですね 正午石油入れてきて言われると嫌だとその時になると正午は何がしたくないのかが
はっきりし始めると こういう規定の仕方を自分にするっていうのは私はいたって自然だと思うんですね
生物としては 生物って多分
外からの刺激を受けない限り 自己認識ってものとはほど遠い感じで生きている感じがするんです
目立たぬかとかほんとそうなんですよ ガラスの動画叩くとビクッとするってことは多分あれガラスのとか叩かないとすごく
こう あの
余裕を泳いでいる時というのは自己意識がすっごく弱いと思う たぶんないと思うんですよ
でも人間はイリュージョン作って自己認識 出せますけど何にもしてなくても
それはあくまでも 教育効果みたいなものであって基本的には変わんないと思うんですよ
えっと外部から 特に攻撃されたりすることによって私というのは急にはっきりする
私の肉体を守るだけなんだとなりますからね だけれども何にもない時にはですね何も別にないわけですよ
ところがここで長らく個人主義があったんでそういう時でもやりたいことが自分の中から ワイテック流じゃなきゃダメだっていう観念みたいなものを植え付けられたと思うんですね
これが僕のノートを増やしたと思うんですよ そういう観念に咳立てられてるんででもないわけですよ実際には散歩とかしてる時は
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基本的に気分は悪くないですし
なんていうのかな 外にいて自分だけ確立してそこから沸き上がらせようっていうそんなことを考えるぐらいなら散歩なんてそもそも多分してませんからね
だから方針とか考え始めちゃうわけじゃないですか でその方針とか考え始めちゃうと当然毎日毎日
私は変わっていくので ありとあらゆる意味で変化していくのでですね
えっと確定しないんですよね結局 自分に正直であればあるほどどこか強引に立ち切らないと多分確定しないと思うんです
で確定しない私というものが毎日毎日更新されるわけですよね 新しいことを考えついてしまうこれをメモるわけじゃないですか
つまり私はあのアイディアと呼ばれているメモって全部じゃないんですけど 大半がですね
アイデンティティの更新なんだと思うんですよ 私のアイデンティティをこう更新したいとかああ更新したいとかいうものを書き連ねていくんだと思うんです
だからいつまで経ってもなくならないし整合性も取れなくなっていく 普通は整合性が取れるということはある方針に従って一生生きていくってことですけど
無理なんですよね 例えばいきなり大橋哲夫さんと知り合っちゃう
この段階でそれまでの私の人生方針とは違う出来事が起きるんですよ しかも別に強制されたわけじゃないんですけど
アスクシュートを使い始めちゃう あれも私の人生設計にそれまでなかったものじゃないですか
必ずだからねじれるわけですよね でこの路線でいけそうだと思ってずーっと行くじゃないですか
でもグッドファイブスを読んじゃうと また方針が傾くわけですよね
というか方向性がもう変わっちゃうわけですよ そうするとアイデンティティというものは近代自我なので人に説明できないといけないんですね
年数が立てば立つほどこの説明は無理にが出てくるわけですよ それまではアスクシュート一遍倒だったくせにグッドファイブスを取り入れましたと
無理やりそこで成功性を取ろうとするとある意味嘘をつくことになるわけですよね だから過去を背負わない方がいいと思うんですけれども
ここを強引に接続しなければならぬと思ったらですね いっぱいアイデアが出てきちゃうわけですよね
いっぱい作らなきゃならないから そのためにその時にたくさんのメモがエヴァノートとかに蓄積されていった
こうやってこうやってこうやって言えばアスクシュートをこれまでやってきて グッドファイブスもやることになりましたというところで
接合ができるぞみたいなそういうアイデアメモが発生するんですよ これアイデンティティの問題だと思うんです
で 私は
これ自体が嘘だなと思ったので つまり内発的な個人主義というものを これはグッドファイブスでそう言ってるわけじゃないですよ
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私が思ったことです
内発的な個人主義というものや内発的な自分というものは ほぼないなと思ったので あるいはイリュージョンを練り上げるしかないなと思ったので
やめたんですね やめてみるとそこはグッドファイブスでいけるんですよ
依頼されたことをやる で被害になったらイリュージョンを捨てる
その都度しか自分は現れないんですよ 要するに
人に何かを頼まれた時にやる これが被害だと思った時はイリュージョンを捨てる
これだけでいいんですよね その時その時自分というのが現れる
本を書けとか言われた時にはそれらしいことを多分言われるんだろうと 内学本を書けとかね
現在の私とは関係ない つまり私がこうでありたいと思っているような私とは多分関係ないことを頼まれる
これが被害というものを意識させるんだけど ここでイリュージョンを捨てれば多分うまくいくんだろうと
うまくいくというか 私というものが確立していないのであればですね
うまくいくもへったくりもないんですよね 極端に言うと
世の中の例えば自然現象を見ていてうまくいっているかどうかとかって考えないと思うんですよ
今日もお日様東から上ってうまくいきましたとかって言わないんですよね 人だけなんですよ
自分がうまくいったかどうかを気にするのはこれを確立されている自分があるはずだという
一つの観念があるからだと 思ったんですよ
そうするとノーションを使っててノートが増えないと これは楽なんですよ非常にね
依頼されたことしか書かないからノート増えないんですよ 私が身になったこととか学んだこととか方針とかを一切書かないので
ノート増えていかないんですよね 非常にこれをやっていると
もうノーションじゃなくてもいいなってことになっちゃうんですけど最終的には つまり逆に言うとこれをやらなきゃなんないとなっているときにノートって増えてきたんだろうなと
だからこれだけノートアプリとかサービスがどんどんどんどん出てくるんだろうと つまりそういう世の中なんだろうなっていうことなんですよ
決してこれは外部の要請によって必要なノートだけがあっても 2万になるかっていうとなるはずがないんですよね
まああとは私は毎日残している
記録のメモというものがあるからそいつをエバーノートに入れるというのをやってるんですけど 要するにこれもアレなんですよね
やんないならやんないでも大丈夫な気が最近は特にしてきているわけですよ そうすると最終的にこれは何を意味するんだろうと思ったんです
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最終的にこれは一番最初にグッドバイオスで聞いた 受動的ってことを意味するんだなって思ったんです
能動的であろうとするから私の脳がいらんことを考え始めるわけですよ 今日までやってきたことはともかくとして今日から明日以降の方針を考えようという
これは整合性を固めたいんですね この説明で
佐々木翔吾をお死としたいと でも佐々木翔吾という子の名前が受動的なのでねじれているんですよ
最初から確かにそうだったと思うんですよ 親は私に医者になってほしかったんですよ
なってないですもんね こういうことが起こるわけですよ
でもそこで親の満足と私の満足と私の不満なんですね 結局ねこれは
を接合しようとするとそこにアイデアが必要になってくると こういうことを生まれた時からずーっとやってきてるもんだから
えっと なくならんのですよねこの話多分いろんな部分がさらに必要になってきます例えば
少なからぬ人が職人とか研究職というものを憧れると その話昨日してたんですけどねその人と
その理由もここにあるし あとはですねここを捨ててしまうとなんか江戸時代の庶民みたいに
搾取されるんじゃないかって話も出てくるんですよ これは私はひどいイリュージョンだと思うんですけどね
そういう話も絡むんでまたそのうちこの話に行き着けたらいいかなと思います
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