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2021-05-19 32:45

【GMV 379】着手するとハードルが下がる理由

ハードルそのものがイリュージョン
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
先日ですね、オンラインセミナーで週刊課の話をしてから、しばらくこれを引っ張っているんですけれども、
実際には週刊課の話に違いはないけれども、すぐにこの話も、他の話もだいたいそうですけれども、
違うテーマに動いていくんですよね。
多くの場合、週刊課は先送りの問題に切り替わりますね。
なぜならば、例えば今日は梅雨入りしたのかわかりませんが、天気がどんよりしていると。
どうも気圧が下がると頭痛がして、うんたらかんたらと。
信じない方がいいと思うんですけれども、まあ信じている方もいっぱいいらっしゃると思いますが、
このどんよりしていると、ジョギングができないと。
そういった話になるじゃないですか、週刊課って。つまり途切れるとか、三日坊主とかですね。
だからあの日は、やりたいという理由が全てであれば、週刊課というのは無理ですという話をまずしたわけですね。
でもそれはですね、やってみたらいいというふうにも思うんですね。
週刊課しようとするからいけないんだって、やりたいことをやってみたらいいじゃないですか。
週刊課しようというのは、やりたくなくなっても続けようということだと思うんですけれども、
そうじゃないと効果が上がらないことを多分やりたいんですよね。
やりたいからダイエットをしてみるでは、体重減らないですもんね。
あとそうですね、やりたいからなんだろう。
やりたいからブログってのは僕は同じじゃないと思うんですよ。
ブログは1回書くだけでも違うと思うんで、やりたいから貯蓄とか。
これは多分やりたいから貯蓄だけではお金は一向にたまらないからダメですよね。そういう話だと思うんですよ。
そのうちやりたい週刊課と長期計画が混ぜこぜになってきて、長期のプロジェクトみたいなやつですね。
本を書く習慣みたいな、この話は私は実は全然本当のところは同じようには語りにくいなとも思います。
つまり本を書くというのは私の感じでは習慣とは実はあんまり関係なくて、
毎日毎日全く違うことをやっている感触の中で書いてます。
それは効率的ではないとかっていう話も出るんですけど、私はそれは物書きの発想じゃないと今では思います。実はね。
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あまり言うと角が立つと思うんですけれども、なんて言うんですかね、
昔僕が自分もやっていた、今もやってるな、散歩の習慣というものとは違うんですね。
あれは、あれはその、何ですかね、
とにかく習慣でやるようなことではないんですよね。毎日インスピレーションがいる気がしますし、
毎日工芸をしているような感じがあるし、とにかくその、ただ習慣にすればいいというような感じが、
その、なんていうんですかね、散歩よりも質が高いとかいうわけでも決してないんですけれども、
質をコトにする話だとは思います。 だから仕事のプロジェクトを長期的に、締め切りに間に合わせるというのは、
実は習慣化となじまないんじゃないかなと思いつつ、 どうしても入ってこざるを得ないので、この話も一緒にしてしまうんですね。
まあ報酬が無関係じゃないということもありますね。 ただ、私は本音を言うと報酬はあるはずだと思っていて、
特にこう、仕事って依頼じゃないですか。 実はあの、私たちの習慣ができるものは全て肉体からの依頼か他人からの依頼だと
ここのところしているわけですけれども、
依頼である以上報酬ってあるはずなんですよね、実際には。 だから報酬を受け取り損ねるということはつまり、
今ここじゃないところに行っちゃうということなんですが、 食事ですらそうですね。栄養をとるから絶対に習慣化されるけれども、
ものすごく食事という習慣が、なんていうんですかね、 うまく作動しないというケースあると思うんですけど、それは多分絶対食事中に
食事以外のこともしているからだと思うんですよ。
集中するっていうか、 報酬っていうのはやっぱりこう、
先日あのクーラーをつけてもらったんですね。
家の部屋に、その時に
つけた方が報酬を受け取り損ねて帰って行ったんですよ。 そういうことが起きているのは、これは文字通り報酬ですよ。
先日再度取りにいらっしゃいましたね。お金ですから。 報酬なんですよ。
これが起きているんだと思うんですよ。 お金じゃない形なら。
私たちは片手間にほとんどそれについて意識しないでも、それはできると思うところがありますけど、
マルチタスクとかっていう話をして、 無理なんだろうなというふうに最近思わなくもないです。
その中で、よくですね、着手するハードルが高いという話があるじゃないですか。
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今日はそれを喋ろうかなと思ってたんですが、着手するハードルが高いから、
それを下げるというですね、ライフハックが一番ライフハックらしいライフハックなのかもしれないですね。
例えば、それこそ原稿を書くという仕事をするにあたって、どうもハードルが高い。
だから書くことを分解しましょうとか、 アプリがその時間が来たら自動で起動するようにしておきましょうとかっていうやつなんですけど、
だいぶ前からですね、確かにこれはライフハックらしくていいんですが、
私これだいぶ前からですね、なんかこうトリッキーだなぁと思ってたんですよ。
グッドバイブス的に言うと、ユージョン的だなぁと思ってたんですよ。
なぜかというとですね、着手するとハードルが下がるっていう言い方って変だと思いませんか。
着手する前はハードルが高かったんだけど、やってみたら意外と着手してみるとハードルが下がるって言うんですけど、
着手した時にハードルって乗り越えられているはずですよね。そういうことだと思うんですね。
だから僕はこの件のライフハックが実はですね、出た時はだいたい口ごもるか黙るっていう状態になってたんですよ。
あの、居心地が悪いのでよく覚えているんですよ。つまりタスクカフェとかね、あのやっていたセミナーで着手するとハードルが下がりますよねって話が出ると、なんとなく盛り上がるじゃないですか。
ところが私は着手するとハードルが下がるというのはおかしいと思うんですよ。着手した後ハードルが下がったところで何の意味もないじゃないですか。
問題なのは着手する前にこのハードルをどうするかという議論だったはずなのに、着手することができてるならハードルなんかどんなに高くったって関係ないですよね。
この話は何かどこかがこうトリッキーな感じがしていて、黙っちゃうということが僕は多かったんですけれども。
つまりイリュージョンなんですよね、ハードルが。ってことは高いとか低いという議論そのものがおかしくて、元々ないんですよそのハードル。
私はその方が自分の実感に合っていて、散歩するのはハードルが高いとかって思ってる日があったとしますよね。
で実際外に出て散歩を始めてみたらハードルは意外に低かったとかって言うんだけど、そうではないんですよね。感覚としてはいやハードルなかったなっていう感じなんですよ。
どっちかといえば。でそうするとだいたいですね、着手してハードルが下がるぐらいだったらばですね、
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これはそもそもイリュージョンだと思うんですね。 下がったり上がったりするというのが
着手後に変動するみたいな話だとするならば、着手後でのつまり現実ですから、そこにイリュージョンはもうないわけです。
つまり着手後のハードルと高さが下がったというならば、その低くなったハードルが現実のハードルであって、着手する前に高いと思っていたやつはイリュージョンなんですよ。
だから低くなったとか下げるっていうこと自体がそもそも変なんだと思うんですよね。
もともとどっちがリアルかといったら着手後に決まっているじゃないですか。
つまり何かをやる前にこいつは大変そうだとか、やりたくないとか気が重いとかいうのがやり始めたら意外にそうではなかったというのであったらですね、
やる前に考えているやつは脳内で作り出しているものに決まっていますよね。 これを下げるために
ライフハックがいるということにはならないと思うんですよ。 ちょうどこれはですね、
ある部屋に入る前に、部屋の前にハードルが置いてあると。 ところがそれは、入ってみたら意外と低かったって話をしているわけじゃないですか。
これを低くするためのライフハックが云々という話って、
例えば張り紙を貼っておくと。 このハードルは実は高くありませんと張り紙を貼っておくと、こういう話ですよねライフハックと言うのは。
そのハードル自体を立てなきゃいいわけですよ。 ところが立てるわけですね。なんで立てるんだろうと。
これはもう決まっていますよね。このハードルをもし立てるんだとすると、自分に対する嫌がらせだというのでないならばですね、
その部屋に自分を入らせないようにするためですよね。 なんか当選簿とかって全部そういうことですよね。
その部屋に入ったら危ないよと。 中には何がいるかわかったもんじゃないから、ここは閉めておきましょうっていう話なんですよ。
ということにしておいたくせにですね、 実はこのハードルは高くありませんという張り紙を貼るというライフハックって、
なんかすごい変じゃないですか。 僕が感じたのはそういう変さだったんですよ。
なんというかひどくトリッキーなことをやっている。 自分でハードルを立てておきながら、このハードルは超えても大丈夫ですという紙を今度そのハードルに貼り始めるというのが
ライフハックとして素晴らしいって話は、ちっとも素晴らしい感じがしない。 立てなきゃいいじゃんということになっちゃうわけですね。
多分他人が立てたはずないですよね。 例えば私が書く原稿を書くということになってて、この原稿を書くハードルが高いとかいうのは
明らかに他人が立てたものではないですよね。 他人だったら多分、いやいや大したことはないから書けって絶対言いますよね。
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大概の人は、私に書かせるのを妨害しようとしている人を除いて、多分全員そういうと思うんですよね。
そうすると、私自身がハードルを感じているということは間違いなく自分でそのハードル立てたわけですよね。
それをアプリが自動で立ち上がるとか、
エバーノートの参照ノートが自動で開かれるとか、そういうことをやることでハードルが実は高くないことを自分に知らせようというのは
何だかものすごくこう、混み入っていて、しかも馬鹿げている。
そういう感じしかしないので、このハードルを立てなきゃいいわけですよ。
そのハードルは実は立ってないんですよ。だから着手すると意外に低いわけですよね。
これが全ての依頼について実はあるんだと思うんです。
人によってはその依頼という言葉を聞いただけでもハードルが上がっていく。
これがイリュージョンなんですけど、多分だとするとですね、この習慣化の話っていうのは
依頼というものを受けるとイリュージョンを作り出すという習慣の話なんだろうなと思うんですね。
裏テーマ的になってきますけれども、つまり何かを依頼されたと、途端にその依頼をやってはならないというイリュージョンを自分で作り出すという、
そういう習慣ができているんですよ。さっきの部屋の例えで言えばですね、ある部屋に入らなければならなくなった途端に
その部屋の前にハードルを置くという習慣がすっかり身についているせいで、
習慣という言葉を聞いたり、依頼という言葉を聞いたりした途端に先送りをするという結論に行き着くんだと思うんですね。
そもそも先送りというのは、私は先送りの本を何冊か書いてきましたが、
先送りというのはいつでもそうだと思うんですけれども、何かをしない言い訳を考え出せる、
何かをしない理由、格好の理由を考え出す行為だと思うんですね。
原稿で言えばですね、この原稿を今日は書かない理由というものが上手に見つけられるかどうかのゲームだと思うんですね。
とにかく書かないことは最初から結論としてあるわけで、次に考えるのはどうやったら自分を十分納得させられるだけの
有効な理由をここにくっつけられるだろうかっていう話だと思うんですよ。
ただ書かないっていうのはできないんですよ、私たちはやっぱり。
その依頼を受けてしまっているから、ただ書かない、とにかく書かないみたいなのはダメなんですよね。
何の理由もないけれど書かない。
多分、ここに格好の理由をつける、今日は例えば低気圧で頭痛がする、今日のような日に書くといい文章が書けないとか、
こういう理由、あ、いい理由だと、こうすればですね、今日書かないっていう結論に十分自分は納得がいくわけですよね。
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これが先送りだと思うんです。
で、多分これがですね、あまりにも気持ちがいいので、つまり書かずに済みますから、あまりにも気持ちがいいので、ここが報酬になって、
まず結論が先にあるわけですよ、書かないという。
ただ書かないだけだと絶対に書かなくちゃならないんですよ。
理由が書かないから書かないではダメなんですよね。何かいるんですよ。
で、この理由を考え出すゲームというものを私たちは多分やるんですよ。
ネットサーフィンとかしながら、SNSとか見ながら、今日これを書かずに済む非常に適切な理由というものを誰かが提供してくれるのを探すんだと思うんですね。
これとイリュージョンを作り出すというゲームはすごい似てるというか、ほとんど同じだなと思うんです。
だから先送りを繰り返したり、何らかの理由をつけて依頼というものに気が乗らないように自分を持っていくために、
ある種のSNSは確かに非常に有効だと思うんですよ。
上司はアホだみたいな。上司がアホだということが書いてあったら、やっぱり世の中の上司というのはアホが多いからこういう依頼が来てしまって、
これは格好の理由になるじゃないですか。気が乗らない、できれば今日やらない格好の理由が見つかるわけですよね。
それは色々ありますよね。気圧が低くなったとか、様々な理由があると思うんです。
というかもう無限に出てきますよね、理由は。結論は決まっているわけですからね、やらないという。
その部屋に入らないという場合にはハードルが高ければ高いほどいいわけですよね。
逆に間違って入っちゃったと、そしたらハードルが思ったより低かったって話になってしまうんですよ、入っちゃったから。
入っちゃったら中に大きな化け物はいなかったというような、そういう話ですよね、これは。
そしたらハードルの高さなんて実はどうでもいいことであって、低かろうが高かろうが部屋に入っちゃってるわけですからね、関係ないんですよね。
で、私たちがその格好の適切な理由付けとして最大のものがやっぱり、私の感覚ではですね、時間を失うだと思うんですよ。
これがもう最大だと思いますね。上司がとかそういうものは自分には響かないという人はいっぱいいてもですね。
2つ、3つかな。時間がかかりすぎる。これは適切な理由としてほぼ全ての人に響く。
やっぱりこれはですね、多分教育効果ですよね。なんかファシズムみたいじゃないですか。
日本全国1億人に近い人たちが時間を失ってはいけないって思ってるって、なんかもうなんかの国みたいですよね。
時間みたいな感じでみんながこう諸手を挙げて反対できないみたいな感じになってる。
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これと何の収益にもならないかな。これも結構でかい。
ただしこれは例外はあると思うんですよね。娘からのとかだったら理由にならせずに済むみたいな、そういう理由があると思いますね。
もう1つが最近流行りのっていうのかな。MPが削られる系ですね。気力が削られるとか精神が削られるとか。
これは多分ですね、響かない人にあんまり響かないと思うし、響かない方が遥かに良いと思いますけれども、精神削られませんけどね。
全然削られないと思うんですけど、これも結構広く信じようとされている。
これが広く信じられるようになると結構きついと思うんですけれども、でも時間がありますからね、何と言っても。
時間というのは気力とかと違って計測もできるので、なかなか動かしがたい何かのように見えるんですけれども、
時間が失われるイリュージョンというのは多分、人を説得、自分を説得ですね。
自分を何かをさせない説得材料としてはおそらく最強系だと思います。
逆に考えてみると、こいつがイリュージョンだということになればですね、後は割と雑魚だという感じもするんですよ。
ハードルないんで、もともと問題なのはそこにハードルがあると思うかどうかだけの問題なんですが、
着手して下がるわけでも何でもなくて、着手すると消えるんですよね、ハードルは。
だからそのハードルの後は何が作っているかというだけの問題で、作っている理由は簡単なんですよ。
それをしたくないという、それが理由なんですけれども、だからしなければ一番いいんだと僕は思うんですよね。
これは習慣系の話としては完璧に身も蓋もないんで、なぜなら毎日やろうという話をしているのに、
しなければいいわけず論にならないんですが、それでもですね、しないことに決めて困らない習慣というのは多分山のようにあるとは思います。
これまた別の話ですが、習慣化は素晴らしいというイリュージョンが蔓延しているので、
それさえ取り除いてしまえば、しなければならない習慣などというのは本当にもう1個か2個になるはずなんですよね。
多分1個になるとは思いますね。2個はいらないと思います。
そして考えてみるとですね、時間なんですよね。
この時間というやつだけがイリュージョンに決まっているんですが、不意にそうは思えない、多分そのことをすっかり忘れるタイミングというのがある。
依頼で、昨日話した依頼で搾取される系はですね、依頼という言葉自体から自分がイリュージョンを作り出すというパターンになっている人のパターン化の強さによって変わるんですよ。
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私はもともと依頼をされるということに対する拒否反応はさほどはなかったんで、大した問題じゃなかったんですよね、その搾取的な話っていうのは。
ところが時間を失うようになってくると、本当に失うような気がするもんだから、かえってですね、これは取りにくかったというのが本当のところです。
グッドバイブスを聞いて、倉園さんの話を聞いても、時間はなるほどイリュージョンなんですが、それはお金のイリュージョンというのと似ているんですよね。似ている感じがするんですよ。
イリュージョンなんだが、なくなると困る気がするという。なくなった記憶はないんだけど、というかなくなった経験がないんですね。経験がないんですけど、なくなるような気がする。
よく寿命を持ち出しますよね。私はあれはデタラメだと思ってるんですよ。
私たちは、これは精神分析で自己愛と言いますが、強く自己愛を普通の人間は抱いています。全ての人が自分のことは好きってやつですよね。つまり死にたくないというやつです。
つまり寿命を持ち出すというのは、自分に嘘をついているんですよ。自分は死なないと人は思っているはずなんです。
例えば、最近で言えば大変大きな内戦みたいなのがあったりするニュースを見るじゃないですか。でもああいうことは自分の身には起こらないような気がするものです。
大きな飛行機事故とかを見ても、ああいうものは自分にはたぶん起こらないような気がする。
そして不意に明日死ぬかもしれないなどというのは、理屈であって誰も明日は死なないと思っているはずなんですよ。
特に一定の年齢、つまり平均寿命まではまだまだあるという人たちは、たぶんみんな永遠に生きると思っているんですよ。
この自己愛というのは強力で、これが完全に失われるとたぶん鬱になってしまうので、普通に健全に生きている人というのは、理屈にどれほど合わなくても自分は永遠に生きているという感覚を持っているはずなんです。
だからこの寿命が来るから時間がなくなるという理屈を持ち出した時は、ただ時間がなくなることの切迫感を訴えたいだけであって、本音でそんなことは思っていないんですね。
本当にそんなことを思い始めるとたぶん何もできなくなってしまうので、この議論にはふさわしくないと思うんですね。
この議論はそもそも鬱になるかどうかの話、抑鬱症を抱えるかどうかの話と関係ないので、時間がなくならないというのは、つまり時間がなくなった経験はないという、ただ締め切りが来るという話ですよ。
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時間がなくなるという、あるいは9時30分発の電車にもう間に合わない、つまり間に合わないという話をしているのであって、時間がなくなるという話をしているわけではないんですよ。
タスクシュートでもやっていない限り、ここで娘の相手をしていると、締め切りまでにはどのくらい減るかみたいな算出ができる人はいないと思いますので、
そしてそんな算出はタスクシュートを使ったところで厳密にはできないので、たぶん意味ないんですよね。
そうすると時間を失うというのはただ単に、本当はですね、さっきのと同じなんですよ。
ハードルを立てておいて、依頼を受けたくないと、これが先に来ている結論であって、後から最もらしい理由を用意するんですね。
時間そのものというものを私たちはたぶん持っていたいというふうに思っているわけでは決してないと思うので、時間そのものってそもそも持てないですよね。
私、以前内視鏡の検査で全身麻酔を受けたことがあるんですよ。私2回あるのかな。
受けた人は知っていると思うんですけど、私はそれにしてもかかりが良くてですね、しかも抜けるのもすごいスパッと抜けるんですよ。
そのためにあの経験、大変奇妙なものになるんですね。1回目が特にそうで、麻酔かけますからねと言われたんですよ。
しばらく、しばらくというかほんのちょっと麻酔かけるって言ってからなかなかかけてくれないなと思っていて忙しいのかなと思っていたんですよ。
麻酔いつかけてくれるんだろうと思ったら終わりましたよって言うんですよ。麻酔がじゃないですよ。検査がです。
つまり私がその思考の中で麻酔いつかけてくれるんだろうって思っている間に30分が経過したんですよ。
私はあの時に時間ってイリュージョンなんだと確信したんですね。
この宇宙空間の何かに時間みたいなものが概念じゃなくてあるかもしれないです。
それはまた全然別の話で時間エネルギーみたいなやつね。あるかもしれないですが、私が持っている時間感覚というのは嘘800なんですね。
だから記憶つないでるだけなんですよ。だからですね、完璧に途切れた場合、そこは全く意識できないんですよ。
よく時間を損したとか、例えば待ち合わせをすっぽう化されて時間を損させられたとか、あれは記憶の産物であって、
完璧に時間が30分失われた場合、私のさっきの麻酔みたいにね、意識が全然できないから。
あるじゃないですか、寝てる時って時間の長さが歪んでるけど、でもなんかあるじゃないですか。
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長く寝たとか、それなりに嘘じゃないですよね。全然正しくないけど6時間と9時間で、やっぱり9時間の方が長いんですよ。
それは感覚があるから、また時間を失われてないんですよ。この時間感覚というイリュージョンを使って私たちは損した得した言ってるんですけど、
完璧にきれいに30分が全く意識できない場合は、損したとかいう漢字はまるで受けないです。
私実際30分さっきのような漢字で、完全に途切れてるわけですよね。
その間何かが起きた漢字というのが1秒とかじゃないですよ。完全に一瞬もないっていう漢字なんですよ。
僕の意識の中では麻酔をかけてくれると言われた。麻酔をかけられるのはいつだろうと思ったこの間に30分が経っちゃったんですね。
これが意識が全く途絶えた時の時間感覚というものであって、つまり感覚がないんですね。
私まだにあの時30分損したという漢字を抱くことが全然できないですもん。
つまりこれはいつもの時間感覚というものが作り出されているものだから、それに対して損だ得だとか評価というものができるんだけれども、
ああいうふうに完璧に綺麗に失われてみるとむしろ失われたということに対する残念感とかその他も一切ないんですよ。
だからこういうのって要するに空想というのか脳内で作っている価値評価みたいなものとの結びつきであって、
それすら機能しない場合にはもともとないんですよ、そういうものって。
で、その時につくづく思ったんですけど、もしですね、そういうことは絶対ないですけど、
もしあの後に皆さん全ての人が世界の時計を30分遅らせて何事もなかったかのように、
要するに私が騙されていたら完全に私は騙されてしまう。
つまりその間に30分が経とうか5時間が経とうか関係なくて、
完全にそういうふうに作り出されると、私はその間に5時間経ったことに永遠に気づかないということは間違いないと思います。
また逆にですね、漢字としては未来に行っちゃった漢字がだからしたんですよ、30分ですけどね。
未来に行くとかってそういう意味ではできるなと思いました。
多分駄目でしょうけどね、ついで5年間眠らせるとか死んじゃうと思うんで駄目だと思うんですけれども、
こういうことなんだと、寝てすっきりとかいう感じでは全くないんですよ、あれとは全然違う。
だから寝てる時はちゃんと脳は歪ながら、歪んでいるけれども時間も感覚も意識に残して何とかしてるんですね。
私、そういえば子供の時はすっごい疲れた時はあれに近い状態が起こりました。
やっぱり私の眠りが大人になってからは少し浅いんだなという感じはします。
これも時間のイリュージョンに、つまり時間のイリュージョンというのが残っちゃうんですよね、寝てる時にまで。
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あんまり良いことのような気はそういう意味ではしないんですけどね。
これでですね、僕はこっちを確信すれば、依頼を受けるという時のハードルなるものは多分消滅すると思っていて、
現に私はずっと最近時間というのはイリュージョンなんだということを思い出すことさえできれば、
何かに着手する時のハードルなるものは消滅するんで、だから何かに着手するためのライフハックというものに興味を持てなくなっているんですけど、
着手する時にハードルがないならライフハックはいらないんで、
ハードルがないということを言うとですね、ものすごく難しいことが達成されたように言われるというか思われるらしいんですよね。
何て言うんですかね、そこハードルを意志力で乗り越えているように思われるので、
ハードルないんですけど、ハードルは自分が作っているんですよ。
作らなければいいだけなんですね。
だからここはもう最終的には堂々巡りになりますよね。
作りたい場合はしょうがないじゃないですか。
私はハードルを作りたいんだと、その場合どうにもならないんですよ。
ハードルを作りたいんだから、それを実際に他の人がハードルを作るのをやめさせる権利は私はないような気がするんです。
ハードルを作りたいということはつまり依頼は引き受けたくないし、
引き受けた依頼は実行したくないということなのであって、
あるいは習慣化したいと思っていることは実は実行したくないということなのであって、
それはしょうがないですよね。やりたくないんですからね。
私はやりたくないことをやらない権利というのは人はあると思いますから、
そこにハードルをがっちり立ててこの部屋に入れないようにしておくんですっていうのはしょうがないと思うんですよ。
そこを乗り越えるのにただ意思力とかがいるとか、
ライフハックがいるということには全然ならないわけで、
作らなければできますよね。
作るのはやると失うものがあるからというイリュージョンであって、
ないけれどもここのないということが信じられないという場合には、
常にそのハードルは高くそびえ続けていて、
それを乗り越えるには何の本当は努力もいりませんが、
多分この何の努力もいらないということが信じられるかどうかということなんだと思います。
それは失うものがないということが信じられるかどうかということなんですよね。
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