2023-03-20 57:04

【755】愛する人に冷たくされた時のストレスをどうするか?

ハーローの猿の実験
収録状況とメンタルワークショップの話
おはようございます。グッドモーニング・ボイスです。
おはようと言いながら、ただいま3月19日日曜日20時13分、夜に向かっておりますね。
この夜収録、朝公開はどうしようかなっていうふうに毎回思うんですけどね。
モーニング言い出したからね。気にしてるのは私だけのような気もするので、よしとして進めようと思ってはいるんだけど、朝に撮りたいよなぁというのはありますね。
しかし、平日日間ということになると、やっぱり土日に1本は撮っておきたいという気持ちが。
やっぱりですね、この辺の日は微妙だなという。日は収録しなくてもいいんじゃないかとは思うんですけれども。
もう一つ理由がありまして、この話は後ほどしましょう。
とりあえず、やってるということですね。
今週は24日あたりがかなり厳しそうだなというのがあるんですよ。だからそれはアップしなければいいんですよ。
4月1日のCMをさらにさせてください。
これを頑張ってここをやろうというふうに決めておりますので。
やるんだけど、早終わりの期間がですね、間もなく終了してしまうんですよ。
焦らずにじっくりと時間を使うためのメンタルワークショップというのは長いんですけど、タイトル読めば内容は大体想像がつくだろうといったもので。
3月21日、つまりあさって旬分の日までが早終わりで、1000円オフとなります。
オフライン参加の方だけね。
オンライン参加最初から4000円で、これ以降も4000円。
オフラインは以降5000円になりますので、悩んでいる方は渋谷で美味しいものを食べるという理由でもぜひお願いしたいかなと思っています。
会場の広さに対して参加人数が0だ1だではなくなったのが素晴らしいので、話はしますよということは言ってありますが。
間もなく早終わりは終了になりますので、よろしければぜひご参加いただければと思います。
グッドバイブスファクトリーでのお悩み相談
4月の1日、エイプリルフールですね。
今日のお話は、とにかく当日もこういう話をすると思うんですけどね。
今日、グッドバイブスファクトリーというグループセッションの中で、だいたい常連さんプラス新しい方という方がお見えになってですね。
グラゾドさんがお答えしていくという中に、編集さんとのやりとり。
この話は私も経験談は喋れるなということで、経験談は喋ったんですけど。
編集さんとのやりとりというよりは、最近は編集さんとのやりとりはめっきりなくなりまして。
一寸先は闇っていうのをやっぱり意識しておくのは、この闇いけないんですよね。
一寸先には何があるかわかんなくて、結構光もいっぱいあるよという話なんですが、この話はまた後日にしかしすることにして、とにかくグッドバイブスファクトリーでいろんな方のお悩み相談があるわけです。
その中に編集さんとのやりとりというのは、今日は珍しく数件出て、そこで久しぶりにそういうのもあったなというのを思い出したんですけど。
今日はそっちじゃなくてですね、親との関わりみたいな話がですね。
これも複数の方がお話しされていくと必ずこの話は出てきますね。
何なら3ヶ月チャレンジでもこの話もかなり品質項目。
さらには100日チャレンジ、タスクシュートという、一見親との関わりがどこにそんなに出てくるんだという話でも、親との関係性というのが非常によく出てくるお話です。
今日それにまつわる、これも100日チャレンジで認定講師の方ではないな。
でもほとんど認定講師かそれ以上に活躍されている方の日記というかブログを読んで、ノートなんですけどね。
親との関わりという話が壮絶な、あのように壮絶な話があるのかというぐらいですね。
ほとんどこれここに書いていないで小説にするべきではないだろうかって思うようなお話がめんめんと綴ってあってですね。
私はごく普通の関わりだな、親とはと思った次第なんですよ。
そもそも親に殴られたことが僕ないですからね。
でもですね、僕は思ったんですよ。
そのいろいろなお話を聞き、そういう壮絶な体験談の日記も読みというか記事を読みながらですね。
つくづくこれは程度の差はあれですね。
同じ悩みに実は行き着いちゃっているよねと。
私は同じ、全く同じじゃないんだけど、でも結局メラニー・クラインがパターン化したというのか、心の構造として一つ示した。
いいおっぱいと悪いおっぱいと、それを破壊してしまう、スプリットしてしまう。
神砕くって意味なんですけどね、あれね。
破壊して神砕く、そしていいものと悪いものの分け。
いいものが自分に手に入り、悪いものが出てしまったという万能空想というものに浸っているうちにですね、これが板につく。
それが妄想分裂ポジションというもののポジションの獲得。
言ってみれば心のシステムなんですよね。
さらにそれをえぐい形というのかな、ややこしい形に発達させていく様々なシステム。
その中でも厳しいシステムというか、その人が人生の一つの型として抱えていくシステムに創的防衛システムというものが発生していくんですけれども、
この厳しさというのか、そのシステムの組む、あるいはそのシステムに頼るですかね、あるいは多用する、その使用頻度の差こそあれですね。
つまりそれが親の厳しさというか、セイクス歴の厳しさとマイルドさによって使用頻度が変わるにせよ、
そのシステムを使うということにおいては、私であってもこれほど壮絶な人であっても変わらない。
そのことをいろんなお悩み相談を聞いていて、今日は95%のクラゾノさんがお答えになっていた流れの中でも、
つくづくこのパターンって人間に品質だなと思ったんですよ。
親との関わりについて
だからクライン偉いなというふうに思ったと同時にですね、人間とはそういう生き物なんだなと。
つまり親がこうであれば誰もがこうなるよねっていうふうに人間は言うんですか。
しかしそれは人間が言うことなんですよね。
つまり人間とはそういうふうに物を見るバイアスを持っているんですよね。
ここがね、まず第一にこの問題に深く、そしてつらい形で関わってきた人には伝わりにくいお話なんですよ。
まず人間のこの長い記憶力がなければこういうことって不可能なんですよ。
子供の頃に親に何をされたっていうことをしっかり覚えておける。
しっかり覚えておけないんだけれども、かなり長期にわたって覚えておける。
この長期記憶というものが持っていなければこういうことは起きない。
牛はまず無理ですよね。
親に何されようと忘れちゃうからね。
人類というこの地球上の生命で哺乳類全体で見てもですね、人間というのは非常に稀な生物ですよね。
すっごい偏ってますよね。
昔々にあったこと、それも子供の頃にあったことを大人になっても覚えていて、ここにアイデンティティの同一性を見ちゃう。
昔されたあの私と今の私は同一の私であると信じられるという、そういう独特のね、単に長期記憶を保持しているだけじゃないんですよ。
アイデンティティというものでそれをつないでいくことができる。
言ってみれば心象というかイリュージョンというか、そのイリュージョンが同じものを見ていると信じられるという、そういうまた独特の心理構造を持っているわけですよね。
しかも一番最初にやった、おそらく私は万能になって悪いものを吐き出したからもう安心というこの感覚を保持、これを発見したのがクラインなんですけど。
でもこれを発見したのがクラインかもしれないけれども、フロイトは明らかにそこの道をつけましたし、そのフロイトが言ったのはエディプスですからね。
エディプスコンプレックスってこれギリシャ神話ですから。
人類はこの発見をしてからもう千年くらい、ないし二千年くらい、もうこういう心を持ったのが人間なんだよということを意識して生きてきたわけじゃないですか。
多分これは少なくともうちにいる目の中は絶対に理解しないことだと思うんですよ。
エディプスコンプレックスって何よって話なんですよ。
そもそも金身相関はタムーだとか、オストメスがこの世の中にいるとかそういう認識すらないですからね。
これ非常にやっぱり人間に固有を持っているのかな。
すごくこう人間というものを意味しているんだなと思ったわけですね。
だからうちのように私のようにマイルドな性育歴を持っていても同じ悩みを持つんですよね、類型としては。
非常によく似たパターンで、非常によく似たことを悩み始める。
それが人間らしいある意味悩み。
このパターンに全部押し込めてはいけないし、いわゆる濃さとかきつさとか厳しさとか、きつかったのはお父さんなのかお母さんなのかとか、
あるいはおばあちゃんなのかおじいちゃんなのか兄弟なのかで、やっぱり個別のパーソナルなパターンの違いってありますから、
結局最終的には僕が思うにね、やっぱり小人数グループか、ないしワンオンワンか、つまり個別か、あるいは両方、一番理想的なのは両方な気がするんですけどね。
この辺が必要にはなると思うんですよね。
そうしないと類型を理解するだけで、ある程度自分のパターンが外に反映されちゃってるなっていうふうに気づくには、やっぱりあんまり厳しい場合はまずいわけですよ。
万能感とアルコール依存症
でも、カウンセリングなり精神分析なりを必要としているということは厳しかったってことですから、多くの場合。
やっぱりその場合はですね、なるべくプライベート、なるべくプライバシーというものが確実に保証されているところから始めるのが、やっぱり自然だろうと思うんですね。
で、同じ話を先週からしているようなんだけど、ここでやっぱり僕も、もちろんそのことは知ってたし意識もしてたんだけど、
万能空想というか万能感、これがもう私たちがまず持って最初に意識するべきものなんじゃないかなと最近思うようになりました。
つまり力点が少し変わってきたということですね。
やっぱり万能感が大事だったなと。僕はずっとこれまで投影というものが鍵だという感じ。スプリッティングと投影。
これのどこに力点を置いてもあんまり意味ないんですけどね。でも万能はもっと強調されるべきだと思うようになりました。
この万能が良いのか悪いのかっていうと、あんまり良くはないんだけど、とにかくこの万能を僕らはものすごく大事にする。
大好きだってことは、良くも悪くも覚えておく、留意しておく必要があると思うし。
だからやっぱりですね、グッドバイブスとか精神分析とかそういうものが一般に留守する方がしないより良いような気がいよいよしてきたんですよ。
どうして自分は例えばギャンブルがやめられないんだろうとか、もっと単純なところでなんで私は水道壊してまでお酒飲み続けちゃうんだろうって言ったときに、
一つの答えをそこで出してくれないと困っちゃうと思うんですよね。気が付いたらもう水蔵がねっていう。
私も最近水蔵の血がですね、アルコール飲みもしないのにですね、精密検査要精密検査ですねとかあっさり言われてしまったんですけど、やっぱり水蔵とか困りますからね。
どうやら大丈夫そうなんだけれども、やっぱり血が少しでも傾くと数字ね、血液検査での数字が少しでも傾くとこんなに騒ぎ出す必要のある内臓疾患みたいな話が、
若い頃に酒を浴びるように飲んでですね、しかも全くやめられませんっていうのはある意味困るじゃないですか。
あの、ごく単純にね、ここはもう別に自己啓発とかそういう話は一切抜きにして壊さない方がいいっすよっていう話ですよね。
赤ちゃんの心理的欲求
でも飲むのやめられないですっていうのはこれはね、万能感を求めていって酒によって万能感が得られるといったらこれは当然なんですよ。
それはメンタルの弱さだとか言っても何の意味もないと僕は思うんですね。
メンタルが弱いとか人間としてだらしないとかそういうことを昔の人はごく簡単に言ってたんだけど、何の意味もないなって思うんですよ。
これは赤ちゃんがおっぱいを飲んだ時になんで赤ちゃんはおっぱいを欲しいのかという心理的な説明なんですよ。
そこが欠けてると思うんですよね、やっぱりね。
心理的に赤ちゃんは万能感が欲しかったんですよ。
怖いんですよ、空腹になるのが。空腹は死を意味するから。
で、怖いってことがもう全てじゃないですか。
怖いということがあったら赤ちゃんはもう絶えがたくいいレベルで泣くじゃないですか。
あれは親になると、なぜこんなに切迫した調子で泣くんだろうって僕なんかも何回か思ったくらいですよ。
いや、わかるんですよ、赤ちゃんの気持ちになれば、多分さぞ切迫してるんだろうなと。
でもこっちはやっぱり何ら切迫する理由ないのに、えらい切迫感強い泣き方するんですよね、赤ちゃんの泣き方ってのは。
実に独特ですよね。
訴えかけてくるというのはまさに、私はタイプの人間なんでしょうね。
あの訴えかけにイラッとするという人も、何の関係もなくても、あるいは親でもイラッとするという人がいて、
それはよくわからないけど、僕はやっぱり切迫感を訴えられると、すごく同情しちゃうタイプなんですよね。
うわぁ、かわいそうだなぁ、みたいになるからイラッとはしないで済むんですよ。
すっごいかわいそうな人してくるんですよね。
何しろ切迫感が強いんで、何にも切迫する理由はないんですけどね。
そこが面白いところなんですよ。
で、この切迫感をなんとかできる万能薬があるなら、それは飛びつくに決まっているじゃないですか。
それがおっぱいなんですよね。ここがポイントだと僕は思うんですよね。
万能感、万能薬なんですよ。
で、これがお酒がそれになっちゃうといった時に、欲しいのは万能感だと。
万能感が大人になって欲しいのは、怖いからに、これはもう決まっていますよね。怖いんですよ。
まさに蔵殿さんがおっしゃった通りなんですよ。恐れと不安。
ただこれが切実な恐れと不安ですよ。
切迫感を伴っているんですよ。
ここが分からないんですよ、他の人にはね。赤ちゃんが切迫しているのはまあ分かるとして。
何をそんなに怖がっているんだこいつはって。大人になると思われちゃうんですよね。
だって周りに差し迫る危機がないのに、この人は切迫感があるためにお酒がやめられないと。
水蔵も良くないのにガブガブ飲むと。
他人が見るとどうしてもこれはね、何をバカなことをやっているんだと。
甘えるのもいい加減にしろって話になってしまうんですよね。
この人がどれほど恐ろしいものを見ているかというのは全く見えないので見えませんからね、他の人には。
切迫した不安、こみ上げてくる恐怖みたいなものから逃れるためなら何だってするぞと。
それがお酒を例えば飲むという行為であり、あるいはギャンブルをするといった行為であり。
あるいは勝ち目もないのにというか、ほとんど何の知識もないのに投資しまくるといった行為であり。
あるいはセックスしまくるというやり方であり。
相手がいないならばビデオ借りに行くんですよ。
冬の寒い最中で雪が降っているのに自転車飛ばして隣町までビデオ借りに行くんですよ。
僕は行ったんでよくわかる気がする時があるんですよ。
ただ僕はそこまで切迫する不安は最初から具体的にはなかったから。
なくてもこうですからね。
あればよっぽどそうなって不思議はないなと思うんですよね。
甘いものをはち切れるまで食べるとか全部同じなんですよね。
同じことだと思う。
で、最大の問題は、本来その万能感を与えてくれるはずの親がね。
親が、これは記事を読んでてつくづく思ったんですけどね。
最大の問題は万能感を与えてくれるのはおっぱいじゃないですか。
最初はね、原初的に言ってるんですけどね。
最初はそうだったのに、その自分の込み上げてくる不安を作り出すのもその親であった場合、これは混乱するよねってことなんですよね。
これが多分原初的な長寿画の持つ最大の問題だと思うんですよ。
親と万能感
倉園さんがよく罪悪感とおっしゃるのはここに理由があると思う。
つまり我々は、罪悪感を逃れるために酒飲む。
これは不安から逃れるために酒飲む。
全く同時にやってくるんですけど。
ちなみにこの万能感も同時なんで。
順序立てて言うと、恐怖、お酒飲む、罪悪感みたいな順番があるみたいだし、あるんですけど。
この世の中の出来事は基本的に時系列に沿って動くからあるんだけど。
ここはほとんど同時ですよね。
不安だ、飲む、罪悪感みたいなのがバババってきますでしょ。
赤ちゃんが鳴くときも同じじゃないですか。
うわーって鳴いていて、おっぱいをこう上げて、ううううってなるじゃないですか。
万能感を得るときと、切迫した不安と、ある種の罪悪感。赤ちゃんは罪悪感はないんだけど、罪悪感はほぼ同時にやってくるんですよね。
だから、よく分かんなくなってしまうわけですよ。
はい、実は間が10時間ぐらい空いて続きを収録中なんですが、
要話というのかな、頭の中では要話に全然なってないんですよ。
先ほど喋っていた内容から、今この瞬間までに一晩寝て、
娘にご飯を用意して、今駅まで戻ってきているという段階で話を繋ごうと。
わりと、やらかしているわけですけども。
取り直そうかと思ったんですけどもね。
さっき聞いてみて、この内容を完全に再現するのは無理だなと思いまして、
ちょっと聞いたんですよ。全部聞いたわけじゃないんだけど、
20分が、これは昨日の夜だからできた内容だなと思ったのでね。
ところどころ、文章を構成するようになればできるんだけど、
そんなことは私にはできないし、どの道ちょっと無理だなという感じでですね。
最初からやり直すしかなくなるので、このままなんとか繋ごうと思いました。
さっきの話を聞いていて、不意に思い出したんですけれども、
当然思い出せよって感じなんですけどね。
これ動物の行動学なんだと思うんだよな、あれは。
中で全く同じような話があったなと。
アリーハーローの針金の猿ですよ。
針金の猿を母親ザルに見立ててね、そこからのみミルクが取れるように子ザルを育てるというね、
残酷な実験があるんですよね。
動物と人間の比較
あれ残酷なので多分批判されてると思ったんですけど、
ハーローは大した心理学者なんですけど、こういうところはあるんですね。
それをやると子ザルははっきり言ってグレると。
つまり僕さっきの10時間前の収録では人間だけだと、
人間だけなんですけどね、万能空想だの万能感だのってのは。
でも猿は親の育て方次第ではグレるんですよね。
人がグレるのとは違いますけどね。
だから哺乳類の頭のいいというのか、人間に近いというのか、
要するに哺乳的に育てられる動物ではこれは起こることなんだなと。
そういう意味では人間というのは依然として非常に特殊ですけれども、
こういうことは動物の様子を見ているだけでも近いこと、
全く同じこととか全然ないんだけど近いことは起こるんだということです。
このハーローの猿というのはつまりミルクをくれるのは針金の猿なんですよ。
でもそれをミルクをもらって授乳を受けるとなってくると刺さると。
これが多分ハーロー的に言うと親の虐待を意味してたんでしょうね。
だから絶対授乳されに行くんだけど子ザルは刺さるというね。
これで対比の実験がまたなかなかあれでですね。
針金ザルと一緒にブランケットで優しそうなぬいぐるみの猿みたいなのを置くのかな。
そうすると子ザルはブランケットの方一遍となっちゃうんですよ。
もうブランケットブランケットなんですよ。
ブランケットが移行対象ですよね。
これを移行対象というのは学術的にダメかもですし、
ハーローはドロイトなんかを意識してはいなかったかもしれませんけど、
でも知らなかったはずは絶対ないから。
知らなかったはずはないし、精神分析だって十分に理解していたはずですからね。
それで彼はそういうどちらかというと生物学的な方の心理学、生理心理学とか動物行動学とかそういう言い方するんだけど、
そういう方向から見てるんだと思うんですけど、全く同じ事態が起きるわけですね。
愛情の対象が恐怖の対象でもあると。
子ザルは授乳だけが理由であればですね、そんな針金の方には絶対行かないんですよ。
でもブランケットは飢えは満たしてくれないですよね。
ミルクは絶対必要じゃないですか。
だから子ザルはほんのちょっとだけその針金のザルの方に行って、ミルクはもらうんだけど、その時は針金刺さるんですよ。
痛い思いはするんだけど、そのミルクが終わったら即ブランケットに行くと。
これはですね、すごく対象関係論というものを植物的に表している、ほぼ許されがたい実験ではありますが、
万能感と自己肯定感
でも非常に重要な実験とされています。
こういうの多いんですよね。
電気ショック与えるやつもそうですよ。
サクランに電気ショック与えて与えられた不利をするというあの実験ね。
あれは非常に有名だけど、倫理的にはダメでしょうね、現在だったらね。
1950年代だったからあったことみたいな、そういう出来事。
60年代なのかな、ハリーハローの猿は。
70年代かもしれない。
でも今から見るともう40、50年昔であることは確実です。
だと思う。
この話、つまり、親が問題というか、親の愛情を求めに行く。
つまり、万能空想のためには親からおっぱいをもらい、私万能になりました。
これね、順序としては逆なんでしょうね。
まず、空腹という辛み、辛さがありましたと。
辛みって言葉、僕は変だと思う。ちょっと奇妙だと思うんですよね。
辛さですよね。
何でもいいんですよ。
とにかく、それこそ昨日の話の中で出てきたのだと、編集さんからの厳しい指摘があって辛くなりましたとか。
僕で言えばそうですね。
僕の場合は最近なんかで言うとね、もうちょっと下痢で辛いですとかね。
そういうふうに、わりとシンプルでどこにでもあるような辛さもあるじゃないですか。
で、これをおっぱいが万能に取り除いてくれる、ここなんですよね。
これ、くらどんさんがよくおっしゃってる価値マックスとは全然違いと思ってください。
全然全く違うわけではない部分もある気もするんだけど、この2つは全然違うんです。
この万能感というのは、偽りのってつけちゃうとそれもどうかなと思うんだけど。
万能だとか価値が高いとか、これ自己肯定感には関係あるんですけどね。
自己肯定感と価値マックスも僕は別物だと思います。
とにかくこの万能感と価値マックスは全然関係ないぐらいに持っておいてくださった方がいいと思います。
親とアンビバレントな感情
万能感というのは、苦痛を取り除いて、私万能な状態なんだという空想をするってことですよ。
その人の心の中でですね。
やっぱりね、ミルクとかおっぱいとかだと分かりにくいという部分もあるので、お酒ぐらいにすると一番いいかなと思います。
僕ゲンブルでこれを得たことはないんですよ。
そんなに大勝ちしたことがないからだと思うんだけど、酒はわかる気がします。
飲むと幸福感に、なんとも言えぬ幸福感に包まれて、いやもうバッチリオッケーだと。
何がどうバッチリオッケーなのか全然根拠はないんだけど、バッチリオッケーな感じがしますよね。
あれが万能感ですね。
万能感を得るために赤ちゃんは万能空想をすると。
僕らもすると。
これを与えてくれるのが親だと。
でも私に苦痛を与えるのも親だと。
ここで非常に嫌なアンビバレントが発生するわけですね。
親の育て方に非常に独特のと言いますか、極端なと言いますか、問題とされるようなケースでは、
どうしてもこの万能感を与える、でも苦痛も与えてくる。
そうすると万能感で、親は絶対何かをしてくれてるわけだから、その時赤ちゃんは万能感を得るわけですよ、言ってみれば。
例えば空腹という嫌なものはミルクが満たすと。
それは問題があろうとなかろうと今日まで生きてきたということはですね、それをやってくれたことは確実なんですよね。
そうすると、とにかく親といれば万能なんだと感じるんだけれども、そう感じた後でやってくる苦痛がありますが、その苦痛も大半はその親から与えてくると。
そういうことになってくるわけですね。
そうすると、親が正しいとするとですね、自分いなくならなきゃならなくなるんですよ。
ここを分かります。
スプリッティングしましたと。
自分の中で親部分と、この際そういう言い方しちゃいますが、親対象だなやっぱりな。
親対象と赤ちゃん同然の自分がいると。
ミニコットが提唱するストレスを減らす3つの方法
あるいは自分自身がいるでもいいですね。
その親のような存在、親と同一化するって言うんですけど、親と同一化していき、万能だと思いたいという自分がいる。
それは当然です。
苦痛を取り除きたい、ストレスをなくしたいという自分がいると。
でもその親がこう言うわけですよね。
お前はダメな人間だからそんな苦痛を抱えているんだと。
これがまさに自分の苦痛の正体なんですね。
親は確かに万能感も与えてくれるんですよ。
なんだけど同時にお前はダメな奴だからそんなストレスを抱えることになったんだぞと。
そういうことを言うわけですよ。
この責任は全部お前にあるんだぞと。
言ってるのもお前であれば、言われてるのもお前なんですよ。
これ当然そういうことになります。
親と同一化しているわけですから、万能感を得るということは、親と同一化したから万能感を得ているわけですから。
でも同一化というのは心の中でしか起きないことですよね、絶対に。
完全に親と同一化したら自分いなくなっちゃうじゃないですか。
そしてそんなことは起きてないじゃないですか。
赤ちゃんはミルク飲んだからって母親になってしまって、赤ちゃんはいなくなりましたなんてことはないんですよ。
心の中ではそういうことが起きるのかもしれませんが、現実にそういうことは起きない。
自分は必ずそこに残っているわけで。
その苦痛を抱えていて、ストレスを受けている、それが残った自分になっちゃうわけですね。
親と同一化して、そのダメだと言っている親と同一化している部分は万能ですか、万能感に包まれますが、
ダメだと言われている方の自分もまた残って、自分自身としてそこに残っているわけですよね。
で、このアンビバネットをずっと抱えることになってしまう、これをずっとやっているのですね。
万能だが、万能だと感じた時には必ず自分がダメ人間として攻撃されると。
これセットになってしまうわけです。いなくはなれないわけだから、自分自身というものは。
だから厳しいわけですよ。
ただカラクリとしてはこういう風、カラクリだというのを知るだけでも、
これを全くこのカラクリを知らないまま、なんだかよく分からないけれども万能感を得ようとすると、
ダメな自分を強烈に意識するので、それを徹底的になくすために、親対象に完全に同一化するために、
だから前後不覚になるまで酒を飲むとか、もう何がなんだか分からないレベルまでギャンブルするとか、
とにかくそういうことが必要になるわけですね。セックスも多分同じだと思います。
完全に自分というものが消せるところまでやり込むということをやらないと、
つまり親が絶対に正しいのならそういうことになりますよね。
一方で、そんな親はやめにしてですね、針金なんだから捨てて、
こっちが正解に近いと思うんですけどね、そんな親は捨てて、万能感なしでいきましょうっていうのは、
この種の人にとっては非常に厳しい、私にとってすら厳しかったのに、
この状況を抱えていて万能感なしでやれって言われるとですね、
ストレスのある、多々ある自分というものにずっとそこで頑張らなければならない感じになりますよね。
夫婦というものを赤ちゃんを抱えてそのまま放置されるという心理状態がそこで待ってるというか、
そういう事態がやってくるわけですね。
やっぱりこれはとても無理があるのでですね、
親対象となるアイテムとチャレンジ
方法としてはですね、とりあえず3つ考えられると思うんですね。
この3つはいずれもですね、ミニコットが意向対象と呼んだ新しい対象というアイテムというのかな、
アイテムとチャレンジを含む気がします。
つまり、親対象が、親が万能であるという、
これはもう今の話からしてもですね、選択肢にならないと思うんですよ。
大事なのは、よく男主とかギャンブルやめるとかもそうだけど、悪癖をやめるって話になるじゃないですか。
この話からするともはやそういうことではないっていうのが感じ取っていただければいいと思うんですよ。
ハーリーハーローの猿でいうところの、針金の猿を撤去するって感じなんですよね。
でも代わりはいりますよね。
ここにヒントになったのがハーローのブランケットなんですよ。
まさにブランケットっていうのはですね、ミニコットもブランケットって言いましたが、
意向対象になるんですね。
親の代わりを必要とする。
そして親が困った存在の場合、いずれにしても親離れって人間しなきゃならないから、
親というものとは異なる存在に移行するから、移行対象なんですね。
ミニコットはスヌーピーのブランケットを言いました。
そういうブランケット、それが必要であるという話ですね。
パートナーを探すチャレンジ
それが例えば奥さんだったり旦那さんであるというケースは非常に多いと思います。
つまりいわゆる人生のパートナーみたいなやつですね。
だからここが非常に重視されるのは自然の流れなんですね。
今の話から考えても。
例えばアルコールというものが親対象であった場合、
これだから部分対象っていうのは非常にいい言葉というか正しいんですよね。
親の一部じゃないですか。
ハリーハーローの猿でいうと針金とミルクの部分だけですよね。
ここが我々に万能感を与えがちなんですよね。
ミルクの代わりにお酒であるというのは私はかなり象徴的な感じがしますね。
それでその代わりを探さなければならないので、一つのチャレンジがここで発生します。
性欲うまく見つかるとは限りませんし、
パートナーもまだ問題のある人であるということも少なくないんですよね。
そしてパートナーに同じような人を選んでしまうというケースは多くあるんですけど、
それは不思議だとかオカルトだって言われるんですけど、
この観点からすれば全然不思議なことではないと思うんですよ。
親そっくりのものを選んでしまうのは子供の心理からすれば当然じゃないですか。
親と同一化する問題
親じゃないものがいいんだけど、親と全く違うものであっては困るわけですよ。
酒を飲むのはやめてマラソンしなさいとか論外じゃないですか。
全然それじゃ違う話に感じられると思うんですよね。
だから禁煙パイポみたいなものってそうだけど、よく似たものを選びます。
親とよく似た非常に問題がある、
例えばアルコール依存症の親をある意味とは縁を切り彼氏がアルコール依存症です。
これは本当によく見受けられる、実に不思議だとされてるんだけど、実に不思議ではないですよね。
まさに禁煙パイポだって、パイポってものを考えてみればですね、
あれはタバコにそっくりでなければ意味がない。
私も今も冷蔵庫にありますが、アルコールゼロ飲料とか、
アルコールゼロ飲料はアルコールそっくりであってこそ意味があるわけじゃないですか。
サントリーのオールフリーはかなりよくできてるわけですよ。
アルコールが入ってないことを除けば完全にビルなんですよ。
これはまさにそういうものを僕らが意向対象として求めがちであるというのを非常によく表していると思うんですよね。
だからよくよく気をつけて選びましょうね。
親と全く同じものを選んだんでは何にもならない。
何にもならないというか、時代はますます悪化しかねないので、
親というもののどこに自分は万能感を得て、
親の何にその万能空想というものを何から得ているのか。
小猿はミルクを手に入れるために針金の猿に行くけど、
針金はごめんなんですよ。
この観点はすごく大事だと思います。
パートナーとかを選ぶ。
でも必ず同じ問題が起きます。
つまりパートナーと一緒にいてもパートナーによって万能感も得るけれども、
やっぱりパートナーに私をダメ人間扱いしているこの人はという瞬間がきます。
現実にそうすることもあるでしょうし、
されなくてもそういう気持ちになっていくはずです。
なぜならこれは自分の心の中で起きることだからですね。
親と同一化するからこそ万能感が得られるわけですから、
その万能感を得ようとした時には親と同一化し、
それによって登場するダメな自分が責められている記憶というものが
まざまざと蘇ってきます。
パートナーはそんなことを絶対しない人、絶対言わない人ですって言っても
多分ダメだと思うんです、ある意味では。
目つきとかね、目つきではないんですよ実際には。
相手の目を見た時にそういう目つきをしているという風に
知覚が歪むんですよ。
だからそういうことはやっぱり起きていくんだろうなと、
起きる瞬間はあるだろうなと。
だけれども親よりずっとマシだというところがミソですね。
手は出してこないとか暴言を吐かないというだけでも
もう全然違うじゃないですか。針金は存在しないわけだから。
あとはもう自分の心の認識の問題。
ただ相手の人が何も絶対に悪いことっていうのかなこの場合は
しないという風に言い切れない。
意向対象は完璧だっていうのではダメなわけですよ、ある意味。
そうすると今度は意向対象への全面依存が始まるじゃないですか。
でもそんなことは起きないんですけどね。
意向対象は親ではないので、
どれほどパーフェクトに近いと思っても
パーフェクトではないはずです。
ここで残念だとかソウルメイトみたいな話になりやすいんだけど
そういうことではないんですよ。
そういうことではなくて、
ここはもう親の問題って何だったかというと
白と黒しかないってことだったじゃないですか。
ミルクと針金しかないってことだったじゃないですか。
親と同一化する時に直ちに親からバッシングもされるって
これこそが問題だったわけですよね。
真っ白と真っ黒になってしまうんですよ。
グレーゾーンの重要性
こういうことを繰り返していると。
グレーであるってことが非常に大事なわけですよね。
親はグレーなんだと。
意向対象はグレーなんだと。
結局のところ私にとって完璧にいいものっていうのはないんだけれども
その方がずっといいんだっていうことを
これは結局納得するしかないですね。
最終的な着地点はここに行き着くしかないと思うんですよ。
この最終的な着地点、つまりグッドイナフなんですけどね。
グッドイナフマザーなんですが
グレーであると。
男の人だってグッドイナフマザーですよ。
パートナーが男だとしてもそれはマザーです。
グッドイナフマザーなんです、この場合はね。
このグレーであるということは何を意味するかというと
人であるということですよね。
つまり心の中の対象なんかではなくて
人間とは自分にとって100%真っ白な
100%自分の都合のために存在してくれるような存在っていませんよね。
いないんだということです。
ブランケットってパーフェクトなものではないじゃないですか。
極めて良いものかもしれないけれども
パーフェクトでは全然ないですよね。
現にアリハロノはこれを意図したんだろうけれども
ブランケットだけでは栄養は満たせなかった。
ミルクはくれなかった。
ちゃんとパーフェクトでないということがそこに提示されてたわけですよね。
だからグレーゾーンなわけで
グレーゾーンではないね、グレーなわけですよ。
グッドイナフなわけです。
許すことと対等な関係性
という認識はつまり
グラゾンさんがおっしゃるところの
グッドバイブスでよく言うところの
許すなんですね。
この許すという言葉は
よくグラゾンさんが許可の許ではない方っていう話とともに
上下関係を
つまり許すというとどうしても上から目線になるけれど
そうではなく対等なんだって話をよくセットで強調されるんですが
私よく
これは昔から自己啓発でもこの許す出てきますが
私はあれを聞いたときいつも下から目線になってるっていう風に
よく自分は思ってたんですよ。
これはどうして下からになるかというと
例えば私が仕事のパートナーの橋越雄さんと何かしていたときに
この許すが自分の課題として出てきたときには
どうしても下からになってんだと
これは私とおかしさの関係で私が下だからなんだろうかと思ってたんだけど
そういうことではなくて
子が親を許すからなんですよ、僕の感じでは。
子が親を許すときはどうしても下から目線になってしまう。
対等は正しいんですよ。
対等は対等なんです。
なぜ対等か。
自分を許すからですね。
親対象と同一化しているのは自分なんで
親を許すと言おうと
パートナーを許すと言おうと
先を許すは変なんだけど
印象を許すと言おうと
何でも構わないんですが
針金の猿を許すのでもいいんですか
ここで対等なのは心の中の親を許すからなんですね。
もうそうだとこの場合は言い切れると思うんですよ。
心の中の親を許すから
私は心の中の親を許すという文脈を意識してたから
子供が親を許すから下から目線な感じを受けてたんですね。
自分の心で
だって自分で自分を許すのに上も下もないじゃないですか。
さっきも言ったパートナーの大橋さんは
この場合の単なるサンプルで
実は何の関係もないんですよ。
誰でも同じなんですね。
自分の奥さんでも同じです。
自分の子供ですら同じですよ。
私が子供をバッシングされてると思ってみたり
今はないですけれども
50年後とかならあるでしょう。
自分の子供だって
自分の子供の子がエバってるなんてことは
ザラにあるじゃないですか。
だからそういうことはあり得る。
そしてその時私はいつも同じ問題を抱えてるんですよね。
親と同一化すると万能になって
ストレスを全部排除できるんだけど
その親がストレス源であった場合は
これをやった瞬間にストレスが舞い戻ってくる
っていう問題なわけで
このように親がしたのは
しかし親が自分にとって
100%都合のいい存在ではないからだと
認識するっていうことになるしかないんですよ。
最終的には。
だって親は自分の100%都合のいい存在ではないわけですから。
それどころか
1%も都合良くなかったよということが
仮にあったとしても
それは良くないんだけれども
でもしょうがないんですよね。
もうそれは起きちゃったほどですからね。
だからこの場合の許すというのは
最終的には多分親その人ではなくて
多分ではなくて
親対象を許すことの意味
絶対親その人ではなくて
あくまでも自分の心の中にできてしまった
親対象というものを許すんですよね。
だから自分で自分を許すんですよ。
この瞬間にもう一つの
その親対象に攻撃されている
無力になって攻撃されてストレスを抱えている自分も
許せるはずなんですよ。
論理的に。
なぜならばその親が許さなかったのが
その無力な子供だから。
その親のやっていることを許せることであるならば
当然その子供は何の罪ももともとないわけだから
許されて当然なわけですよね。
この場合許されるは微妙におかしい気がするんだけど
そういうふうに攻め立てられる理由は
どこにもないということです。
そういうふうに攻めている親ですらも
攻められる理由はどこにもないということです。
だって針金の猿は悪くはないじゃないですか。
作ったハローは悪いかもしれないけど
針金の猿は悪くはないじゃないですか。
でも絶対にその子猿は
針金の猿を憎んでるじゃないですか。
でも針金の猿は悪くはないじゃないですか。
仮に針金の猿が悪かったとしたって
何の意味もないですよね。
そこに何の意図もないです。
多分その
毒親と呼ばれたりなんかしている
そういう存在というのは
針金の猿の意味もあるんですよね。
何を自分がしているのかを
十分に認識しているわけではないんだけど
結果としてそういうことが起きてしまっている。
それではとてもされた方は納得しない。
子猿もきっと納得しませんが
でもハローは悪いかもしれないけど
針金の猿は悪くはないんですよ。
そういうふうに考えていくと
結局この話はですね
最後にはパートナーという人を許すとか
そういう話にすれば
同じ構造が生まれるから
必ずこの種の問題を抱えた場合
パートナーを作れば作ったで
パートナーは親にしてしまいます。
だからこの問題必ず人間関係の中で
再燃するはずです。
別にそんな問題をそれほど深刻に抱えてなくたって
この種のことをやらかしているわけですよ。
仕事のパートナーである人とやっていたりするわけですよ。
その時許す許せないとか
ごちゃごちゃ言ってる割には
その時は本気で思ってるんですよ。
大橋さんが許せるとか許せないとかね。
でもそんなのは独り相撲だってことなんですよ。
この独り相撲だということが見えればですね
見えた瞬間にもう許してるんで
許せば見えるなんですよ。
大橋さんを許してる気になれば
実は自分の親を許してることになっていて
自分の親を許しているということは
自分の親いなかったりしますからね。
いたとしても全然私がイメージしているのとは別人の親が
今では埼玉県とかに住んでるわけですけど
あれを許すとか許さないとか話にならないんですよ。
私の心の中の話なんです。
その時もう私は子供なんで
下から目線に僕の場合はなっていたと。
そういうことですね。
カウンセリングの親役
これをパートナーとやるのもしんどいというケースが普通ですね。
だからカウンセラーとやるんですよ。
カウンセラーはお金を払うことで
この親役を引き受けてくれるんだと
こういうケースでは全部が同じケースじゃないですよ。
いっぱいありますからね。
カウンセラーというのは多分力量があれば特に
意識的に同時に無意識的に
この親役というのを引き受けてくれるはずなんですよ。
性別関係なく年齢も関係なくですね。
自分より年下で性別が逆転していても
あるいは同性であっても
多分カウンセラーが引き受けてくれるのは
多くのケースにおいては母親です。
そしてその母親であるカウンセラーは
とてもおそらく親切であり原則でして
殴ることは絶対するはずがないし
そしたら捕まりますからね。
金ちょろまかすとかもしれません。
そしておそらくほぼ嘘もつきませんし
お金は取りますよ。
お金は取られると思うんだけど嘘もつかないし
あと時間は区切られると僕は思います。
まれに昔イクラゾンさんがやってたみたいに
イクラでもつけようぞみたいな人も
いらっしゃるんですよカウンセラーでも。
様々な流儀と流派と結局人によって
方法論があると思うんですけれども
私もそういう時期があったんですよ
イクラでもやりますみたいな時間はね。
でも区切られるとは思います。
多くの場合普通の場合はですね。
一つは区切らないと混乱していくんですよね。
その人を親に見立ててしまうのが
永続してしまうというそういう問題が
起こるんだけれども
もう一つは単に次のお客さんが待ってるケースも
力量がある人はいずれそういう風になっていっちゃうんで
そこはしょうがないとは思います。
カウンセラーも整形立てる必要はありますからね。
カウンセラーを親を見立てるとして
必ずそのカウンセラーを見立てて
必ずそのカウンセラーを憎む日がやってくるはずですよね。
今の構造からして。
親に見立てたという分その瞬間に
半分以上憎くなってますよね。
だからそのカウンセラーのところに行けばスッキリするし
万能感が得られるし幸せになれる気がすると
それは絶対に必要なことなんですよ。
そう思わないとそこに通ったりは絶対する気にならないから。
カウンセラーへの依存
でもこうやって通っていれば
いずれ親そっくりの人間だというふうに
自分の情緒的な部分
特にその情緒的にこじれてる部分が認識し始めて
依存度急速に増すんですよね。きっと。
猛烈に増す。
もう常に一緒にいないとダメだみたいな感じになると思います。
最愛の彼氏みたいな存在ですよね。
そうした瞬間に
そこにもう親はいるから
悪くなってくるということが出てくるんですよ。
自分が暴言を吐かれたり
いろんなことをされた記憶とともに
そのカウンセラーを見るようになるから
そういうふうになってくる。
だからなんですけどね。
よくよくそこで起きていることを見ましょうというか
感じ取りましょうとか
そこで起こっている今ここで起きていることを
認識しましょうとかそういう話をいっぱい
するどこかで聞いたと思うんですよね。
グッドバイオスだけじゃなくて
必ずこういう話をどこかで山のように聞いていると思うんですよ。
それはどうしてかというと見えないからなんですよ。
結局
憎くなっている時というのは自分の心の中だけしか
もう見えなくなっていくんですよね。人ってのは。
でも一生懸命そこに通っているうちに
現実なんでそこがどういうところかは知りませんが
ルームなりそういうところに通っているうちに
手は出されていないし
怒られてもいないし怒る人もいるんでね
難しいんですけど多分怒られてもいないし
まして暴言は吐かれていないはずで
というふうに認識していっても
自分はひどい夢にあっているような気がするっていう
その矛盾の中から
見つかるものが多分出てくるんですよね。
そのうちにカウンセラーも
理想の対象とかではなくて
単なる人間なんだということも
見えてくるはずなんですよ。だからカウンセラーは何かを
やらかすっていうのはそういう意味なんですよね。やらかしてくれないと
困るんですよ。やらかしてくれないと
カウンセラーは理想の対象だからってことになるんですよ。
そうするとものすごく辛くなるじゃないですか。
今の状況から考えて
親が正しいのだろうか
自分は間違ってたのだろうかっていうことをずっと
悩んでいる人にとって正しい親を見つけてしまったら
自分は本当にダメな存在だったんだってことになるので
カウンセラーが完璧でないという
完璧じゃないんですけど完璧なカウンセラーなんて
いないんでね。完璧じゃないんだけど
完璧じゃないんだというふうに認識するのが
その人にとっては辛いことなので
完璧でないんだということを認識できるようになるまで
完璧なカウンセラーはいない
割と足しげく通うということが必要だったりするわけです。
さっきの文脈で言うと
もう脱足ですけど
完璧なカウンセラーがここに仮にいたとしましょう
かわいい俳優さんのようなすごい人みたいなのだったとしても
してもその人は金取るんですよ。
そして時間も区切ってくるんですよ。
つまり完璧じゃないんだということを
ここで絶対的に担保されてしまうんですよ。
私の親で私を愛してくれて
100%私のために存在してくれてる。
だから私は消えてなくなってしまった
痛いほどのストレスをほとんど消してしまうぐらい
自分というものがいらないんだというふうに
思いそうになることを
カウンセリングについて
食い止めてしまうんですよ。お金を払うという行為によって。
金をこの人取るんだって思うでしょ。
100%自分のためにいてくれるはずの人なのに
金取るんだって思うじゃないですか。
ここで矛盾に突き当たらだろう
得なくなるこの矛盾に突き当たらないと
自分の心から出るのがすっごく難しくなっている人にとっては
このお金を払うという行為がですね
たぶんすごい救いになるんじゃないかなと
そういうからくりなんだろうと
時間を区切るというのも同じですね
本当に自分をほとんど愛してくれる存在ならば
そういうパートナーみたいなね
時間を区切るっておかしいじゃないですか
君との関係はこの9時までねみたいなのは絶対
その瞬間にもう別れたくなるぐらいでしょ
でもカウンセリングでは時間を切るんですよ
永遠には付き合ってくれない。しかも
他の患者さんもいるとなるということになるとですね
独占したいという気持ちにもなるじゃないですか
この独占したいという気持ちとその万能空想というのは
完全に同じ意味ですけれどもね
万能の世界の中では人は嫉妬なんてしなくて
済むわけですよ。万能なんだから
だけれども実際には他の患者さんというものも
いるんだということもありますよね
少なくともその人は自分一人のためだけにやっている
カウンセラーではないという現実も突きつけられますよね
つまり万能観には限りがあるんですよ
限りがあったら万能観じゃないんだけど限りがあるんですよ
限界と許容
だからグッドイナフで留まらなければならない
そういうことを含めて結局
許さなければならないじゃないですか
許さなければならないわけです
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