1. 働く人に贈る精神分析チャット
  2. 人を警戒するのは投影したから..
2024-06-25 44:34

人を警戒するのは投影したから【1006】

目をつぶっても太陽は見えるし、耳を塞いでも音楽は聴ける。

サマリー

第9期の百日チャレンジのお知らせと、タスクシュードクラウド2の一般リリース目前の発表が行われます。次章では百日チャレンジについて話し、ストイックではない方法の良さについて考えます。そして最後の章ではタスクシュードクラウド2の新機能について詳しく語られます。 ナルシシスティックパーソナリティディスオーダーについて説明されます。日常の投影や投影による人間関係のトラブルについて言及し、投影による孤立化の問題について考察されます。 人の心理的な問題についての話です。人が他者の行動・機嫌を自分のせいだと感じることや、投影という現象について説明されています。 知覚と空想をセットで扱うことがあり得ることを説明し、投影された世界の中で生きることについて言及されています。

百日チャレンジとタスクシュードクラウド2のリリース
おはようございます。働く人に送る精神分析チャット第1006回となります。
6月25日を25日なんですね。25日。
昔、後頭日とか言って、今日車混んでなかったですね。
25日火曜日、朝7時25分です。
前回は昨日か、ご質問にお答えする回ということにしましたので、
今日はもっといつものパターンに戻そうかと思っております。
まずお知らせなんですけれども、第9期の百日チャレンジ。
これで百日チャレンジ言うと、あってない感じになりますかね。
百日チャレンジの第9期ですからね。すごいよね。
トータルで言うと800日が何らかの形で、かぶってはいるけど、終わったわけですよ。
第9期、百日チャレンジが29日にスタートとなります。
もうだから今週の土曜ですね。
あっという間に満席になるんで、こっからは。
もうこっからは、100名最終的に超えていくんですけれども、
どこかのタイミングではやっぱり締め切らせていただくので。
あと9期はですね、たぶん単価中にベータ版かな。
でもほぼ正式に近いタスク集と手帳、紙のやつが登場します。
ストイックではない方法の良さ
これをちょうど100日分にしたんですね。
128ページあるんだけど、100日分ということで。
だからこの今度からですね、これ紙使う方の話なんですけど、
タスク集と手帳を100日チャレンジとセットで使っていただくといいんじゃないかと。
なかなか組織立ってきた感じがするじゃないですか。
私だけがやってたら絶対ここまでは来れてないなっていう確信が持てるような。
Jさんなかなか頑張ってますよねっていうのと、
やっぱり組織力っていうものを作って気づいていくってすごい大事なんだなと。
大事だと思うことはできても、
作ることは僕にはできないんで、
せいぜいこうやってね、
広報担当でもないな。
広報としてはちょっとまだ弱いんですけど、
別に広報でこれやってるわけじゃないですからね。
でも、そういうのもいいんじゃないかと。
今日はちょっとね、そういうのがどうしていいのかって私もずっと考えてたんですよね。
そういうの全くないっていうのって難しいじゃないですか。
なんて言うんですかね。
現代社会に生きていて、組織にも属さず、
ツールも使わず、
ある意味グッドバイオスなんだけど、
別に倉園さんが開墾する村とかコミュニティを作って、
グッドバイオス自然ファクトリーとか作ってるわけじゃないわけですよ。
なぜなのかって話をね、
別にこれは一般的に現代の流儀がそうだからって言えばそれで通るんですけど、
じゃあこのツールなりを使うということにはどんな意味があるのか。
主に精神分析的な話をしたいんですけどね。
そういうことを今日話していきたいと思いますので。
百茶寮僕は人に勧めるのが割と全然抵抗なくなってきたっていうことですよ。
これに参加するところからメンタルというものを捉え直していくというか、
悪いことではないなって思ったんですね。
百日チャレンジは参加人数も多いですし目的が違うんで、
マシぐらいそこに向かうわけにはいきませんが、
効果は自然とある程度上がる。
この効果を上げるには百日チャレンジの基本方針というのはたまたまなんですけどね、
Jさんと私とのパーソナリティを反映してのことなんだけど良いんですよ。
何がいいかってストイックじゃないのがいいんですよ。
これはストイックになればなるほど話が難しくなっていく。
ストイックになったらダメであるだけじゃないんだけど話は難しくなるんですね。
イージーモードのほうがこのようなものは良いんですね。
世の中ちゃんとある程度そうなってるんですよ。
多数の人が参加するコミュニティなりシステムなりは比較的フォーマットが緩めになっていくんですね。
フォーマットっていうかその人に要求される精神性みたいなもの、精神的努力は少なくて済むんですよ。
ワンオンワンが一番厳しい。
ワンオンワンってマンツーマンのトレーニングって昔は過酷なトレーニングの代表みたいな感じだったじゃないですか。
ちょっと前ですけどね、ミキティ、安藤ミキさん、フィギュアスケートのかなり厳しい練習で泣いてたじゃないですか。
あの種の人が泣くって相当なものだと思うんですけれども、マンツーマンですね。
で、ああいう人が100人のレッスンとかに参加、昔はしたかもしれないけど、金ベネル取ろうっていうのにそんなのに参加するはずないじゃないですか。
このことはすごい関係があるんですよね。
で、大事なのはフィギュアスケートで安藤さんは別にメンタルを鍛えるためにあれやってたわけではないんですよ。
ここもすごい大事なポイントだと思うんですね。
いろいろ異謀しましたが、29日スタート、第9期の100日チャレンジということになります。
お申し込みはお早めに。
もうあんまり既に早くないんだけど、ここからが本当早いんですよね。
急に増えていくっていう、大変ありがたいんですけれども、これは参加する側の人にしてみれば自然なことで、やるかやらないか最後の最後まで悩めるよねっていうオンラインなんでね。
どんなものであろうと、直前まである意味悩めるじゃないですか。
だからすごい締め切り間際の参加率っていうのが急上昇感、この種のものを運営してると感じますね。
1ヶ月前とかだと本当に前々から考えてたっていう方だけがお申し込みになって、そこからもう渚の状態に入って。
1週間前、3日前、2日前、1日前みたいにガガってなっていくみたいな、そういうノリが感じられます。
当たり前ですけどね、ある意味では。
だからオンラインで商売やるよっていう人は、この感覚は大事だなって思いますね。
全然反応ないよって思って、いとも簡単に諦めてはいけないっていうことですね。
あと何だろう。
タスクシュードクラウド2の新機能
これもさっき言ったことと大いに関係するんですけど、タスクシュードクラウド2がいよいよ一般リリース目前となりました。
ちょっと遅れましたけどね。
これJさん頑張ってくださったのといろいろあったんで、本当に月切りで頑張っていたんで、
ちょっとなんか助けられないなみたいなところが、何しろ私コードというものが見ても分からない人間なんで、
いろいろ因に応にサポートをしていかなきゃとは思っておったんですけれども、
それにしてもめでたくリリース化、僕も使っていてですね。
これはいいというかすごい、もう全部やれます。
かつてタスクシュートを使ってて、おそらくこういうことがやりたいと思ってたことは、
タスクシュートの枠内で言えることであれば全部やれます。
一番分かりやすいところで言うと、カレンダービューがあります。
先週からあります。
ついてるってことです。
このカレンダービューに登場させるタスクなり、
タスクのない、タスクのカテゴリーを絞り込めます。
おそらくはこのタグのついたものだけとか、このモードのものだけとか、
このプロジェクトのものだけとか、何分以内のタスクだけとか、
そういうことができるようになっていくのではないかと。
今もある程度はやれますね。
僕は一応実験してるんで、かなりの部分やれます。
予定だけのタスク、そしてそのビューを保存しておきます。
これ聞いててもピンとこないっていう人もいらっしゃるかもしれませんけれども、
多分これが一番タスクシュートで、
あんまりここにこだ、こるのも、
僕はあんまりそんなにお勧めしませんけど、
でもやりたいって人は絶対いらっしゃると思うんで。
これはそういうものです。
タスクごとに全部色が変えられて、
これどういう意味があるんだって思われるかもしれませんけど、
そのタスクを色で判別して、
例えばですけどね、
翌日に送るのか、放っておいても構わないのかというのを、
一目で判別できるようになると思いますね。
リピートタスクごとにも色を設定できます。
これも大きいと思うんですよね。
好みってのもありますからね、色々とね。
このカラーってやつにはね。
色好み、これはどう考えてもおかしいですね。
とにかくいろいろやれることがあります。
あともう一つがサイドピークという表現を取ってますけど、
要するにタスクごとにノートを付けられて、
このノートの中にですね、
やろうと思えば文章を書くこともできてしまう。
だから、例えば私で言うと、
Ulyssesを今使ってるんだけれども、
Ulyssesをカットしてしまっても、
まだカットする気はないですけれども、
まだそこまではね、
例えばワード形式で書き出すとか、
そういう問題が残ってますから、
Ulyssesを使わなくなるってところまではいかないですけど、
ちょっとした文章書きのラフならば、
あそこに書いていったらいいなと。
例えば私の使い方で言うと、
3ヶ月チャレンジの個別セッションをさせていただいておりますけれども、
その中でやっぱり、
このキーワードは取っておかないとっていうのは、
ちょいちょいワンオワンでやってると出てくるんですよ。
私自身もカウンセリング受けている中で、
やっぱり先生がこれをしゃべったらメモするってのがあるんですよね。
そうだろうなっていうのは、
やっぱりよく分かるんですけど、
これをタスクのサイドピークのところに、
だから誰々さんのセッション何時からってのをスタートして、
ここにちょいちょいキーワードで書いていく。
これはもうこのタイミングでここで書かなければ、
Ulyssesとかに書いちゃったらわけわかんなくなってしまうので、
前まではEvernoteにこれやってたんですけど、
絶対これはTask Shootに入れたほうが圧倒的にいいなっていうふうにやってて、
わずか数回でも圧倒的に実感するんで、
これがあるだけで私だったらTask Shoot Cloud 2に完全移行したんですけれども、
Liteと同期するっていうのももう一つ、
これからこれもまだ待たれている実装なんですけど、
Liteのほうはクラウド自体に通信環境がなくても作動しますんで、
これと同期もすると。
ここまで来たらいいじゃないですか。
あとはどうしてもGanttチャート系が欲しいっていうお方がいらっしゃれば、
それはGanttチャート系を使いましょうって話なんですよ。
連動させるものだとは僕はさらさら思わないので、
それは趣旨が全く違いますからね。
ここまであれば僕はいいと。
あとそうだ、
これも私はそんなにガリガリ使っていこうと思っている機能ではないですけれども、
曜日ごとにセクションのタイミングを変えられます。
これも多分結構期待されていた機能ではないかと思うんですね。
私は正直7日全部同じセクションで何ら困らない人間なんて、
ここにそんなにはありませんけれどもね。
でもやってみようかなとは思います。
日曜と土曜と平日とね。
こんな感じかなと思っております。
一通りお知らせでした。
今日はね、多分前回がご質問お答え会にしたため、
2回分溜まっていて、
多分全部僕の性格だから喋ってしまうんですね。
喋らずに2回に分けろよって思われるかもしれませんが、
メモを例えしておいたとしても、
水曜になったらほとんど喋りたい気持ちも合わせて全部忘れるんですよ。
私今そういう生き方しちゃってるんで。
喋りたいことがあったら全部喋るしかないので、
今日全部喋ろうと思っております。
何からいきますかね。
まあいいや。
前回?いや、先週?
土曜日、夜ぐらいだったと思うんですけど、
白大塚さんという、これもタスクシュート認定トレーナーの方と一緒に、
私、タスク管理のセミナーである意味も関わらず、
ほぼずっとナルシシズムの話をしていたんですね。
このナルシシズムって用語はそこでもいっぱい喋ったし、
最近いっぱい喋ってますからもうサッといきますが、
要するに誤解されてるわけです。
そうは言っても我々はNPDですかな。
ナルシシスティックパーソナリティディスオーダーの特徴
ナルシシスティックパーソナリティディスオーダー。
つまり、日本語に訳さずにそのままいきますと、
ナルシシスティックな人格障害の、
ある意味一時的にそれに近い状態になっている方とか、
そのままの人格障害の人には多分我々はそんな出会うことないと思うんだけど、
近いかなっていう感じに今一時的に背をなっていらっしゃる方。
似合うことはもうすでにあってると思うんですね。ほとんどの人。
で、それらの人はなんか自分の顔をずっと鏡で見てるとかでは全然ないんですよ。
だから大きな誤解なんですね。
あとなんかうぬぼれが強くて、人に対してなんか知らないけどね、
なんかあれですよ、おそ松くんのイヤミみたいなキャラクター。
あんなにご機嫌なキャラクターではさらさらない。
あれご機嫌かどうか、人によって捉え方あるかもしれませんけどね。
そういうことではなく、我々に無縁のことではないんですよ。
ただ我々はこれをかなり隠しているんですね。
で、これが漏れで始めると何が起きるかっていうと、
その人はたぶんものすごい不機嫌に見えるはずなんですよね。
だから我々がもしナルシシスティックな人に出会って、
まず最初に感じることは、この人いつも機嫌悪いのはずなんですよ。
いつもご機嫌だなっていう、なんか新庄監督、ビッグボスみたいな人ではないってことなんですよ。
ああいうのがナルシシストとは、世の中ではああいうのちょっとナルシスっぽいとかっていうのかもしれませんけれども、
いわゆる精神分析の世界ではそういう使い方はほとんどしないと僕は思いますね。
あれはちょっと違う。身近に接してみないとわからない。
実は身近に接すると彼すげえ不機嫌なのかもしれないけど、ちょっとそうは思えないわけですね。
で、なんで不機嫌かっていう話は散々したから、またおいおいするとして、
なぜこの種の人が難しいかっていうと、孤立するからなんですね。
だってずっと不機嫌だと、やっぱりどうしても友達できにくいじゃないですか。
でも、物の根にあるように、まちまち孤独になったりはしないんですよ。
だって昔からの親友とかもいるわけじゃないですか。
いやあいつはああいうやつだからさみたいに。
人って結構寛容な人っていっぱい世の中にいますんで、そうじゃないって思う方もいらっしゃるかもしれないが、
意外とそんなことはなくて、別にあいつはいろいろいいやつなんだよっていう、そういうところはありますから。
ただ、事情を知らないと、あの人のご機嫌斜めには耐えられないってことになりやすいんですね。
このご機嫌斜めさというのはですね、伝わっちゃうんですよ。
伝えないようにしているところに我々のナルシシズムを隠すって部分があるんだけど、伝わってしまうんですよ。
で、なんでご機嫌が斜めかというと、ここが僕は最大のポイントだと思っているんですけど、
私が3ヶ月チャレンジをなぜやってるか。
なぜこれは精神分析でないんだけど、私は有効だと思っているというと、
我々は初期のという病的なものでない投影は、気づいてそれを引き取ることは普通ですよ。
投影を引き取るというのは普通なんだけど、可能ではないと思うんですね。
あれは投影の結果なんですよ。
投影投影言うのは何なのかって思われるかもしれませんが、
投影というのはですね、我々が普段から日常でずっとやっていることです。
人に自分しか見てないってことですよ。
特にナルシシズムの傾向が強くなると、その傾向も著しく強くなっていくんですね。
会社のトラブルというのは、多分ですが100%投影によるものだと僕は思います。
投影がゼロになったら会社のトラブルも、会社で何が起きようともゼロになるんじゃないかなって私は思いますね。
それぐらい僕らは投影によって生きて、投影というものをせずに生きるのは難しいですね。
非常に難しい。ほぼ不可能なんではないかというぐらい難しい。
ただ、している自覚が全然ない時と、かなりある時とはありまして、
している自覚がある時の長い人とずっと一緒にいる方が、一緒にいて絶対楽です。
投影していることに気づきもせず、四六時中しているっていう人と四六時中一緒にいるのは大変です。
だからナルシシストっていう人たちは孤独になりやすいんです。
彼らは無自覚に投影する時間が長い。
病理の人というのは全然自覚できないまま投影をひたすらしまくる。
ただ、我々の周りにそういう人はおそらく相当少ない。
なぜならばそういう人はどうしても孤独化しやすいので、引きこもっていってしまうんですよ。
おうちに。だから出会いにくい。出会いがないんですね、彼ら。
なぜ出会いがないかというと、自分しかいない世界に生きているからなんですよ。
ギリシャ神話のナルキッソスが自分に惚れ込んで、自分だけど彼は自分だと気づいてないわけですね。
水に映った鏡でもいいんだけど、自分の姿に惚れ込んで、ずっと見ていて離れられなくなり、
痩せ細って死んでいくっていうお話なんですけれども、
非常によく物語って引きこもっちゃっているわけですね。
しかも自覚できないんですよ。
なぜこの事態が進行しているのか、ナルキッソスにはわからない。
我々は女神、ネメシスだっけ、女神かわかりませんけど、罰を受けてそうなってるんだけど、
そういう人がいたんだろうなって感じがする話ですね、あれはね。非常に。
あれこそがナルシシズムの原型であって、自分の美形に惚れ込んでるっていう意味で、
いわゆる世の中で考えるナルシストの雰囲気に思ってるんだけど、そうではないんです。
だって痩せ細って死んでいく間に、ずっとご機嫌でいられないじゃないですか。
彼は不機嫌なんですよ。
だから自分に惚れ込んでフッてやって、なんか気持ちよさそうな人ではない。
放映がキーなんですね。
私の昔々勤めていた会社にこういう人がいらっしゃったんですけれども、
何でも自分のせいにしちゃうんですよ。
それはナルシシズムというよりは欲打つなんだけれども、投影なんですね結局。
この種の投影を説明するときに、
例えばプーチンがブライナであんなひどいことしてるのも私のせいなんですっていう、
極めて重症度の高い人の例がしばしば持ち出されるんですけど、
投影による人間関係のトラブル
そんな話をされてもですね、何それってなるじゃないですか。
さっぱり意味がわからないと思うかもしれませんけど、
全く筋違いな責任を自分で背負ってしまうというのは、
我々の周りにはそういう方はいらっしゃると思うんですね。
全く筋違いな。
例えば、噂から何か何だろう、
佐紀課長機嫌悪そうだねって言って、
いやあれ私のせいなのよっていう人がいたわけですよ。
昔私の勤めているドコモサービス。
で、その人はまたこれかって思うわけ。
周りの人が聞くとね。
この人いっつもこれだが、
私のせいじゃないよねっていうことはもう分かってるんだけど、
何さんって、まあいいや名前はやめておきましょう。
いたんですよ、そういう方が。
その人の中ではそうなんですよ。
これはプーチンの信仰が自分のせいだと思うと、
本質的には変わらないんです。
周りの人には明らかに、
佐紀課長不機嫌だのは事実だけど、
あんたのせいじゃないでしょっていうのは分かってるんだよ。
その人にしてみると自分のせいな。
例えば、そこに事実が全く無根かっていうとそうじゃないんだけど、
事実は無根というか間違ってるんでね。
さっきまで話をしてたんだけど、
ちょっとこううっかり売り上げの話をして、
今そのことで課長悩んでるのは知ってたのに、
してしまって不機嫌になったと。
だから私のせいとかって言うわけですよ。
それは間違ってるわけですよ。
その人の癖みたいなものなんだよ。
何かにつけてその人はそうしちゃう。
これは投影なんですね。
その人は長寿が対象ってやつだと思うんだけれども、
誰でもいいですよ。その方の。
詳しく聞いたわけじゃないから。
ここでね、カウンセリング的に詳しく聞くと、
少し見えてくる事実があるんだけど、
詳しく聞いたわけじゃないから。
例えば、お母さんが少し神経質な方で、
神経症かな、水準で離乳させるのがやけに早い。
脱乳っていうのかな。
いつまでも飲ませてちゃダメだと思ってたから、
飲もうとすると怒る。
赤ちゃんにとってはきついですよね。
散々この番組でも言っている、
いいおっぱいを取り上げられる。
しかもかなり早期に。
理由も全然わからないじゃないですか。
全然わからない理由。
お母さんの卒入という概念は、
赤ちゃんには理解できる能力ではないですからね。
それなのに昨日までは、
よしよし、いい子いい子ってやってくれていたのに、
突然ダメだって事になるわけですよ。
人はこういう時、
何か自分したのかって思いますよ。
赤ちゃんはそれを100倍の筋違いから、
あるいは1万倍も筋違いな返答をつけて、
1万倍も間違った勢いで、
全責任は私にあるって思い込むわけですよ。
投影による孤立化
その原型みたいな責任という概念はないからね。
私のせいでお母さんの起源は、
起源って考えちゃいますよね。
起源という概念はないと思うんですよ。
私のせいで、
このおっぱいを二度ともらえないという宿命を
背負ってしまったんだ、
ぐらいに思うじゃないですか。
それを深刻にしたような感情にとらわれますよね。
恐らくこの辺りの原型を、
メラニくらいは見たわけですね。
だからこういうのは気をつけないといけないよね、
っていう話なんだけど、
気をつけようがないですよ。
あともう一つは、
これは多分記憶としては全然思い出せないですよ。
だってこれゼロサイズの記憶なんで、
僕らそんなの持ってないじゃないですか。
その時何が本当に起きたのかも覚えてないし、
ただそんなようなことがありましたと。
そして長寿るとですね、
投影するんですよ。
投影というのはつまり、
もともと持っているもののはずですよね、
投影なんだから。
自分が持っている解釈、
自分の持っている考え方、
あるいは自分の持っている人物像みたいなものを、
つまり、
自分にとってそれが非常に大事な話になっている。
だから私にとって、
お母さんの起源はとても大事。
大きくなればね、
親の起源を取って生きていけばダメだみたいなのとか、
親の起源によって子供を振り回している家は良くないから、
そういうのは卒業しましょうみたいなことが、
Twitterであのわずかな文字数で書いてあるんだけど、
そんなことを言われたぐらいでは、
卒業できるはずないんですよ。
まず卒業するということは、
気づかなきゃいけない。
で、気づくということの中には、
こういう思い出しようのないぐらい、
古い記憶があって、
しかもその古い記憶の方が、
自体が深刻に進行していたりするわけですね。
思い出して振り払うことができる記憶って、
例えば小学校6年とかの記憶だと思うんですよね。
古くてもう幼稚園の年長さんぐらいの記憶だと思うんですよ。
その時ね、あの先生のやったことはひどかったよね。
だからああいうのにも左右されることはないんだぐらいまでいけますよ。
意識、自意識的に。
でも1歳児だ、ゼロ歳児だ、
そういう記憶になってくると、
その時おっぱい捨てたらお父さんに叩かれたとかね。
これエディプスっぽさが出ますが、
思い出せないですよ、そんなの。
事実の確認のしようもないし。
だからそういう人とは距離を置きましょうでは。
私は済まないと思うんですよね。
投影による影響
意識でできる部分をやっておくのはいいかもしれないんですけれども、
意識できない部分ってあって、
しかもそっちのところもおそらく冗長的に
及ぼしている影響は多少ともあって、
だから私はこのしょうがないので、
知的にアプローチするというのか、
同時に2者関係のカウンセリングを持つというのが
必須だぐらいに今は思っているわけですね。
1人では無理だと思う。
これ第3者がいたんだよ。
プライバシーの関係でここまではやれない。
やっぱり絶対に安心できる2者関係を一旦成立させておいて、
ラポールですけど、
この2者関係の中でこういう作業を
ゆっくり時間かけて進行させていくというのが
カウンセリングであって、
これは私は必須だと現代人には言う。
現代人はこれをやる資格を持っている。
特に現代で働いていまして、
お金をもらっている人、
これをやる資格があるというか権利があると
私は思うんですよね、今はね。
だからやれば一番いいんだけど、
そうは言っても踏ん切りがつかないし、
時間もいろいろかかるのはあれだし、
お金もかかるしということで、
しょうがないので、
私のこの話を聞くみたいなんで、
だけどこれはお茶を濁すレベルですからね。
これでそこまで到達するのは難しいんで、
枠組みだけなんとなくそういうことがあるんだなぐらいに
ご理解いただくのの一助になればいいかなと思ってるんですけれども、
つまりそういうことが、
もちろん卒入がすべてではないです。
大学院で嫌なことがあったとか、
中学校の時いじめられたとか、
いろんなことがあり得る。
ただいずれにしてもそれらの、
俗にトラウマって世の中の人は言うんでしょうけれども、
そういうことがあったとするじゃないですか。
何にもないってことはないですよね、どんな人でも。
どんなにそれなりに順風満帆な人生を送ってきても何かありますよ。
この何かを心理的にどう解釈するかというのが
大事なポイントなはずなんですよ。
そして、人とは固有物だっていうのは、
多少ともそういう時に教訓的に持ってしまう。
持たないほうがいいんだけど、どうしても持ってしまう。
そうすると何か自体が、
何か人間というものは、
不意に自分のせいで機嫌を害したり、
つまり自分の影響においてそういう事態が起こるんだという筋書きを、
ナラティブみたいな言い方をしてもいいんですけど、筋書きを。
つまり、私が何かしたからお母さんはおっぱいをくれなくなるっていう筋書きを、
これの筋書きは間違ってるけど書くじゃないですか。
この種の筋書きを持っている人は、世の中に普通にいっぱいいますよ。
これは信号が赤なら止まらなければいけないという筋書きと全く同じ。
これ筋書きですからね。
この種の筋書きを持っていない猫ちゃんは、
頭がそこそこ良く立って信号を簡単に無視して車に跳ねられてしまう。
かわいそうですけどね。
筋書きがないんで、猫が赤の信号を認識できていないとは僕には思えないんですよ。
知覚はしてると思うんですよね。信号が赤である。
でも、おまろうとは思わん。こういう筋書きは持ってないの。
だから人と接する。
そうすると、ちゃんと気をつけた言動を取ってないと、この人は私のせいで気分を返す。
そうすると、この人と今まで構築していた素敵な関係が一瞬でダメになり、
人間関係とはそういうことが起き得るもんだ。
で、筋書きを持っている人。
持ってますよね。少なからぬ人。
これ持ってるからって病気だとは絶対言えないでしょ。
持ってる。
これをどこまで無自覚に、あらゆる人間関係に適応していく。
この適応というのが党営なの。
なぜならその人は、この筋書きを当てはまるところに、どこにでも当てはめて、
自分の記憶を再現させている、反復ですが、に過ぎなくて、
実際にそこで何が起きているかに、ほとんど興味を持つこと自体ができなくなっている。
こういうのが、つまり、現実に触れ合えないと言ったりするわけです。
現実を見てないわけじゃないんだけど、その前に、前って言うのかな。
目と現実の間に光影が入ってしまっていて、それが現実を書き換えていくんです。
なんて言うんですかね。窓ガラスに絵を描くようになるんですね。
そうすると窓よりも絵が見えてしまう。
これが、分かっているか分かっていないかの差なんですよね。
分かってても見えるんだけど、絵は。
分かっていることによって、これは絵であって、ここには窓があるっていう認識ができる。
こうしないと、現実と触れ合うことができなくなっていく。
これが投影の厄介なところなんだ。
僕らは投影ばっかりしているくらいに思っておいた方がいい。
特に自分が窮地に陥ったときには、投影を真っ先に疑えるようになると、
神経症的な苦しみから脱出することがやりやすくなりますよね。
これをどうしてやりたくないかというと、自分のせいだって思いたくないからなんですよ、僕らは。
ここ難しいんですよね。
さっきの、私の知っている女性の社員さんの、広範圏社員だったんだね。
社員さんがね、何でも私のせいにすると言いながら、その人はある種の私のせいというのを避けたいんです。
つまりそれを投影だと捉えるのだけは避けたいんですよ。
これはですね、投影だと捉える方が怖いからなんですよ。
ここに難しさがあるんですよ。
その人自分の責任を取ってるじゃないかというと、取ってないんですよ。
責任を取るというのは、その現実が本当に自分に寄って引き起こすという、
その可能性と能力を持ってて初めて責任であって、
そもそも現実に事実無根のものに対して勝手に自分に罪を負うのを責任取ってるとは言わないんですよ。
課長が不機嫌なのを本当にどうにかしたければ、課長がどうして不機嫌になったのかをまず突き止めなければならないじゃないですか。
そういうことはしたくないんです。
安崎課長が不機嫌になってるのは私のせいだと。
そういう罪悪感を持つことで、何とか早く償いたいという気持ちを喚起しているだけなんですよ。
この罪の意識を持ってるから早く課長を機嫌直してよっていう話に近いんですよ、これは。
これを脅迫的償いって言ったりするんだけど、
私のせいなのわかりましたからごめんなさいしてますから早く機嫌直して、機嫌その状態だと怖いんですけどっていうことなんですよ。
だからこれは昔の事件と昔の気分というものを引きずっているわけですね。
本当の話、本当に機嫌を何とかしたいなら、そもそも原因が本当にそれかどうかを突き止めなきゃならないじゃないですか。
こっちはしたくないんですよ。
こっちをするのは身が重い感じがするんです。
お母さんの機嫌を直すってまだできない年頃に何かが起きてしまったって、やれる気がしないわけです。
だけど今はそれとは違う時代が進行しているのかもしれない。
つまり投影ってのは、ものすごく妥当に見える人の機嫌を害するとか、バカだと思われてるとか全部投影なんですけど、
なぜあれがあんなにその人にとってリアリティを持つかというと、
かつてそういうことがあったので、現実にそういうことがあり得るんだと思うのは、
その方にとってとても妥当な話だからなんです。
が、事実がどうであるかに興味がないという点においては、別に責任感が強いというのとはちょっと違うんですよね。
自分の責任だとは言いたがるんだけれど。
ここで難しいんですよ。
その人にしてみると、自分がこれ以上何かを引き受けるのが辛いというのが事実として浮かび上がってきにくい。
でもその人にしてみると、課長が不機嫌になったのは私のせいではないと思うほうが辛いんです。
というか怖いんですね、その方。
万が一そうだった場合、お前は罪悪感すら持てないのかと言われたりするのが怖いんですよ。
親子関係がそこにもう始まっちゃってる。
もう親に叱られてる子供の状態なんで、ごめんなさい、いつでもできますっていう風に言っておく方が安心なんですね。
これぐらい僕らの世界って公営に満ちてるってことなんです、僕が言いたい。
カウンセリングの重要性
この人に責任感が足りないとか、心が弱いとか言いたいわけではないんですね。
この種のことがカウンセリングでは必ず再生されるので、だからさっきも言ったけど、
二者関係を確立させることがすごく大事なんですよ。
人との間で、言ってみればロールプレイをしてみて、
しかもなんとなくなんとか役をやってますって言うんではなくて、
本当に真剣にロールプレイをしてみて、
いつしか必ずその種の投影をする人は、カウンセラーの起源を取りたくなる日がやってくるんですよ。
親密な二者関係をセットして、
特にそのカウンセラーを信頼できると思うようなところまで行けば必ずなるんですよ。
僕もなるんですよ、実際。
ここで漠然としなきゃいけないんですよ。
なぜ俺がカウンセラーの起源を取りに来なきゃならないんだ。
お金払ってるの。時間もかけて。
だからお金と時間は欠かせないんです。
ここでお金も払わず時間もかけてないってことになってくると、
起源を取るのがバカバカしければやめちゃうし、
それでも起源を取りたいという人は起源を取りまくっちゃうじゃないですか。
普通の人間関係だった場合も。
一向にその外に出られる可能性を得ることができないんですよ。
親密な二者関係、プライバシーを共有しているにもかかわらず、
時間が限定されていてお金を払ってるという、
異常に特殊な状況を無理やりセットすることによって、
こういうことを可能にしているはずなんですよ。
あの世界ってのはね。
特に精神分析的な心理療法って言われているやつは、
そういうことをやっているはずなんです。
で、そこで起こることは、ものものがありふれたたわいもないことなんですよ。
親の起源を取るとか、
カウンセラーとクライアントの関係が親子関係のはずないですよ。
親子でやっちゃ絶対ダメなんですよ。
でもフロイトやっちゃったんですよね、アンナーフロイト。
だからあれはタブーなんですが、
親子関係ではあり得ないんですよ。
だって親子じゃないんだから。知りもしない人ですよ。
知りもしないってことは、この場合どんなにか大事かってことですね。
知らないから、この人の起源をどうやって取ればいいかわかんないじゃないですか。
なのに起源を取ろうとする。
こうして初めてその人は、
無自覚に人の起源を取ろうとしている自分というものに気がついて、
うまくいけばですけどね。
そうして初めてその人はその上で、
無自覚に人が起源を害しているのは自分のせいだと思い込み始めやすいんだなということに気づくんですよ。
幻覚と精神病
これに気づいて初めて、
もしかすると目の前にいるこの不機嫌な人に、
起源を害してないのかもしれないという事実まで踏み込めるはずなんですね。
私が作り出している幻覚か錯覚なのかもしれない。
この幻覚や錯覚が著しく進行し始めると、
精神病と呼ばれるものが始まるわけです。
遠隔とか幻聴ってやつですよ。
不機嫌になってない人の顔が不機嫌に見え、
怒ってない人からおなり声が発されるってことまでできるんですよ。
なぜなら我々は、知覚の中にファンタジーを混ぜ込めることができちゃうからなんですよ。
知覚の中にファンタジーを入れることができるってことは、
どれだけコストかってことなんですよ、この話は。
でも僕らできます。間違いなくそれはできるじゃないですか。
いわゆる作詞を見てもわかるじゃないですか。
鳥の顔してるんだか、うさぎの顔してるんだかわかんないような絵。
あれは僕らがそもそも、
二次元の世界に三次元を見ることができるというのは、
知覚と空想の関係
作詞ができている証拠ですよね。
しかもそれが動く。動いてないでも動く。
動いてるように見せることができる。上手い画家だろう。
そういうことはすべて、
知覚と空想というものをセットで扱っていない限りあり得ないことです。
物理的な光の知覚だけがすべてであるならば、
たぶんそんなことは絶対起きないと思う。
だけれども僕らはその中にどんどんファンタジーを入れることができるので、
光影は避けられ、知覚とは投影なんですよ、ほとんど。
だけども知覚は幻覚ではない。
だから普通の人は空気の振動が全然ないように人の声がしたりはしたり。
でも声がするというのは、内心に起きる現象ですから。
そして空気の振動が作り出す現象ではない。
だって夢の中で人の声を聞いたり、夢の中で爆発音を聞いたりするじゃないですか。
外で爆発は起きてない。
音を知覚するために必要なものは、実は脳だけであり、
別に外界の現実の刺激はいらないんですよ。
あれらは所詮ひっかけに過ぎない。
だから僕らは盛大に投影して、その投影している世界の中で生きているんです。
これを自覚できるんですね。
私が作り出しているんだと。
これは私の心の中を外に置いてみただけのことだったと。
あるいは外のこの人の顔に、ちょっとノッペラ棒っぽい顔に、
私好みの絵を描いちゃってるだけなんだと。
それが怒ったり笑ったりしているんだと。
そういうふうに一瞬でも補足できればですね、
いわゆる伸縮的な苦しみというやつから、
トラウマみたいなやつから、逃れうるきっかけになりうるんですよ。
残念ながらナルシシズムというものが進行していればしているほど、
このきっかけは見失われやすいんですね。
なぜならば、自分の世界に生きているからですよ。
自分の世界に生きていれば生きているほど、
やっぱり現実と接触できる接点はそれだけ少なくなります。
そして少なくしてしまうんですよね。
人を見ればいつも不機嫌だという人にしてみれば、
ここになるシズムの難しさだと。
人を見ればいつも不機嫌な人は、人と関わりたくなくなりますね。
人と関わらずに済むためには、済ませるためには、
現実は価値がないと信じるしかないですよ。
ナルシシズムと現実の価値
現実に価値があり、人々は優しくしてくれ、
人が仕事をくれて、人が面倒を見てくれるのに、
その人たちを捨てられないですよ。
でも人というのはすごい怖くて、
いつでも危険を害するものなんだと、気分を害する、
私を見るだけでも私のことを嫌いする、
ここになるシズムの難しさがあるんですよね。
そう思っている人は、仕事を当てがわれようと、
何をされようと、この人が仕事をくれるのはどうせ、
私から搾取するために違いない、
そういうような物語を作り出して、
この人と親密にならずに済むような人生設計を立てていかないと、
いずれとても嫌な目に遭う、前がそうだったよ、
こういうのがナルシズムのものの考え方だと思うんですよ。
これは僕らが一時的にはみんな持ち得るものだと思うんですよ。
先週すごい嫌なことが立て続いたみたいなことがあれば、
翌週にはこの週の心理状態に陥ると思うんですね、僕は。
だからそのタスク管理の回で、
ナルシズムの話に終始してみたわけですよ。
現実の価値をぐっと落とせば、
タスクに書いてあるタスクの仕事なんて、
一つもやりたくなくなるに違いない。
これはやる気とか報酬の問題では全くないというか、
今言ったように、報酬そのものに対する
強い疑点が湧いているはずだ。
この人が報酬をくれるのは私を操るため。
そうとでも思わないと、その人に、
その人の価値を価値付けを高くしておくと、
接近しちゃうじゃないですか。
だから痩せ細って、
弱っていくっていうナルシズムの姿っていうのはですね、
よっぽど難だと僕は思うんですよね。
現実の価値というものがほぼゼロになる。
あとは何かっていうと、
鏡に映った自分の姿なんですよ。
そこを理想化している。
この話は先週散々したからいいと思うんですけど、
僕はパーマンにだってなれるっていうやつです。
あるいはドラえもんがいる。
だからこもるわけです。
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