2022-05-31 29:29

【608GMV】恐れに工夫で対応しても恐れ自体は克服されない

ますます怖くなる
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
実は、テイク2で結構悩んだんですね。
悩む時というのは、外視でですね。
なんかあるんでしょうけれども、それがさっぱりわかんないんですよね。
これについては。これだけじゃないんですけどね。
自分も今、記録も撮ってなければ、ネタ帳も事実上ほぼないんで、商業出版は別です。
こういうのを書いてねって言われるのをことごとく忘れては問題ですから。
書いてねと言われたことは、どっかに書いておきますけれども。
それはネタ帳というものとは違う気がするし、記録には違いないですよね。
けど、これは誰かから依頼されてないわけなので、記録もネタも一切ないんですよ。
この話はもう何回もしてるんですが、
このことが私はとっても大事だなと思っているので、この話をしているんですよ。
こうしましょうって話ではないんだけど、
こうして見ることを検討すると、
皆さん聞いてる方のお仕事のいくばくくがすっごい楽になる可能性はあるんじゃないかと思います。
何しろ準備とネタがいらない。準備と記録がいらないんだから。
つまり、講演会とかに呼ばれていきなり喋り出す以上っていうことだったら楽じゃないですか。
問題は怖いってことですよね、きっと。怖いっていうことだと思うんですよ。
つまり怖くなければ楽なんですよ。
という構造を示すことができればいいかなと思ってこの話もするし、
自分は絶対持ちたいなと思っちゃうことはあるわけですよね。
今時だったらノーションとかにネタを貯めていくみたいな。
そもそもノーション自体がネタになるみたいなね。
あるんだけど、ここはちょっとそれこそフラズオンさんに教わった言葉で言うとガッツでですね、
封印してるんですね。封じ込めてます。
ネタをストックしないぞという。
だからグッドモーニングボイスに関しては、前にやってたグッドモーニングバイバスもそうだけど、
ネタなしでやると。できないんだったらその日はやらない。
結構できてるわけだから、今日で8回目でしたっけ?
できてるわけだから多分いけるんだろうなと。
608回も人前で30分も喋らないじゃないですか、多くの場合。
だからネタなくてもなんとかなるんだということ。
なんとかなるというか、ないほうがいいんだということなんですよね。
本も本当ならばこれでいけるといいんだけど、やっぱり怖いわけですよ。
今度は依頼する側が怖いと。
この怖いというのは大変共感できます。
03:00
私も怖がりですから。
ただこの怖いというのは結局いい結果には決して結びつかないからやめたほうがいいと。
これはもうグッドバイブスでは基本中の基本ですけどね、恐れと不安を同期にしない。
これを同期にしてもいいことって何にも起きないなと。
最近いくつかの2つのことからつくづく思いましたのうちの1つを今日お話しするんですがね、
これが多分さっきあれだな、テイク2になった理由なんでしょう。
この話をしようという気は全くなかったですから、
ついさっきまで、つい1秒前に考えついたんですが、
というか思い出したとも言ってもいいんですけど、
これあれですよね、だからネタにとっておけって言うんでしょうけれども、
これはですね、しゃべってみないとこれをしゃべる気になるかどうかなんてわかんないんですよ。
ネタ帳に書いておくことはできますが、そんなことを言えばですね、
このネタはずっと僕の頭の中にはあったんですよ。
ただこれについて今日しゃべろうという気がさらさらなかった。
今日しゃべろうという気がさらさらなかったと。
つまりネタ帳には書いてあろうとなかろうとダメなんですよね。
今、本を書いてます。
3冊かな、とにかく書いているんですが、
ほんと伸びに伸びに伸びてですね、
伸びることが悪いとかいいとかいう話ではないんですけど、
とにかく伸びに伸びに伸びちゃったんですよ。
原因は恐れと不安なんですよ。
誰のっていうとこれはもう難しいんですよね。
どなたのなのか私にはわかんないところもあります。
だって著者から見ると会社ってブラックボックスじゃないですか。
この場合出版社ですよ。
出版社さんはブラックボックスですよね。
僕と正面で対面している、それだって最近はオンラインが多いわけだから、
している、担当の編集さんは担当者としているけれど、
その向こう側で何がどうなっているのかは、
本当におぼろげにしかわかんないんですよね。
企画会議だろう、タイトル会議だろうね。
あるというのはわかる。
だけど結局それは言葉だけであって、
私はその会議に出たことがあるわけでも、見たことがあるわけでもないんですよ。
何回も何回もやってるけれども、
やっぱりそれが、知っている人はご存知だと思いますけれども、
でも会社によって全く同じということはないじゃないですか。
会議なわけだから、そこにいる人もいろいろだと思うんですよね。
その人たちのことを私は何も知らない。
一人も知らない。
どういう位置させて実はここに行き着いているのかもわからない。
つまりブラックボックスなんですよ。
いいも悪いもないんですね。
僕はこうやってずっと仕事してきて、
今に至ってもブラックボックスなわけだから、
何にも見えないんですね。
ところが何かおぼろげに恐れと不安がある。
それは私に対してのなのかもしれないし、
他の何かについてなのかもしれませんが、
06:01
とにかく恐れと不安がある。
会社の資金みたいな話かもしれないですからね。
そういう話は私は一層わからないじゃないですか。
会社の資金状態なんて調べる気もないわけですから。
ただ恐れと不安があるのはわかる。
そうするとどうなるかというとこのようにですね、
伸びるんですね。
そしてよくわからない。
だって伸びることにメリットってないじゃないですか。
本は生産物だから、
多分どんな恐れや不安があるにせよ、
出るのが遅くなることにメリットはないと思うんですね。
これはでもタイミングのことはあるから、
早ければいいって話ではないですよ。
ただ恐れや不安があるゆえに、
方向性が逆を向くっていうことになるんだと。
全然いいことはないと思うんですよ。
そしてよく考えるまでもないんですが、
動機づけに恐れや不安があるという場合、
例えばこのグッドモーニングボイス、
ネタを貯めてからじゃないとできない。
いいことなんにもないじゃないですか。
ネタを貯めなくてもできる場合はですね、
私のこの608回もネタなしでやってきているわけだけど、
今後はもうネタが尽きてもそれも変だなと。
ネタをストックすることにするかもしれませんけれども、
それが恐れからきた場合、
多分それは継続させたいという話ですよね。
継続させたいと思うからネタをストックして、
ストックするまでできないという、
ここで途切れるじゃないですか。
これに何の意味があるかというと、
何の意味もないと思うんですよ。
これに近いことがきっと起きたんですね、
私のこの今回の本も。
私自身にしても、
今の時期に至りたいと全く思っていなかったんですよ。
そしていろんな形でいろんな修正やら、
修正、これも難しいんですよね。
修正が入ったなどというものとは違うんですよ。
もちろん編集さんによっては、
ものすごくあさひと却下という方もいらっしゃるんだけど、
今回はそういうわけでもなかったと。
だから、すったもんだが起こるわけですね。
そして私は感じる限り、
すったもんだがあった方が良かったのか、
良くなかったのかというと、
分からないわけですよ。
ということは確実に言えることは、
すったもんだ分は無駄だったに近いと思うんですよ。
無駄ではないかもしれない。
だけれども、少なくともこれ自体がここまでの段階で、
良い結果は生んでないということなんですね。
最良に最も良く解釈して、
変化なかったということはあるんです。
つまり、恐れをモチベーションにして追加したことによって、
追加したことは間違いなく発生しているけど、
良し悪しにおいての変化は、
僕の観点ではなかったわけですよ。
だから、こういうことが起きちゃうんだなということを、
今回、長い間考えてきたんですけど、
要するに、私の中にもきっと何か恐れや不安があったんだと思うんですよね。
売れるだろうかとか、評価されるだろうかとか、
09:02
一切いらないと思います。
本当に。
こんなにいらないものはないなというくらい、
ゴミを貯めているようなものです、これは。
文字通り。
そのゴミも無駄じゃないみたいな言い方はできるかもしれないです。
でも、そのゴミも無駄じゃないということを、
僕は思い出しています。
そのゴミも無駄じゃないみたいな言い方はできるかもしれない。
でも、家中臭くなりますみたいなのは、
その場合は、受け入れなければなりません。
そして、臭くはしたくなかったんだよなっていうくらいだったら、
こんな真似はしないことだなとしか言いようがないんですね。
本当にリスクヘッジってアホだなってやってて思います。
やってると思うんですね。
人がやってるのは、興味があんまり湧かなくても、
湧かないんですよ、人がやってるリスクヘッジって。
小塚みたいなものに見えるから。
でも、自分がやりたくもないリスクヘッジをやってると、
本当にアホなことやってるなと思いますよ。
本当にゴミをポケットに突っ込んでいってるみたいな感触なんですよ、これは。
なぜこれをしてるんだろうと。
説明できないなと。
あるいは、ゴミをみんなで集めて、
これがあれば大丈夫だよねって言い合ってるような、
不可解な、なんて言うんですかね。
やっぱり、倉園さんの言葉で言えば、夢を見てるんだなと。
そうとしか言いようがないんですよ。
みんなで寝てるんですね。
起きよよっていう話をしたくなるわけですよね。
なかなかでも、これが難しいというか、難しくはないんだけど、
恐怖は催眠術みたいなものですね、この場合。
怖い、怖いよっていうことを繰り返し言われて、
あれですよね、昔流行ったじゃないですか。
流行ってないか、昔も。
五円玉みたいなのをつらさげて、振り子みたいなのを見せつけられていて、
ここが恐怖なんですよ。
そうやって、だんだん眠くなるわけですね。
で、気がつくと夢を見ていて、ゴミをいっぱい貯める、
そういうことをやってる感じがします。
というか、そういうことしかやっていない感じがします。
だって、このグッドモーニング・ボイスだって、
もう一人いて、その人が心配症の人だったら、
はい、ネタを貯めましょうって散々やってたと思うんですね。
そして多分608回は続かずに、途切れ途切れになるケースも多々あって、
それでもこのネタがあったから大丈夫だったんです、
っていう解釈になってしまうんですよ。
こんなに残念なこともないじゃないですか。
しかもそのネタのほとんどは使わないんですよ、きっと。
これは皆さんご存知の通りだと思うんですよ。
エバーノートとか、スクラップボックスとか、
スクラップですからね。
貯めるのが悪いとは僕は言ってないですよ。
講座家なんだから、貯めるのは構わないんですよ。
何貯めたってその人の勝手じゃないですか。
ポイントは、これが役に立つと思っちゃダメだってことですよ。
エバーノートにネタ帳って入れて、どんどん貯め込んでいく。
12:02
スクラップですよね。別にいいじゃないですか。
それは自由ですよ。
ただ、恐怖を動機づけにしてやったならば、
良いことは起こらないだろうと。
良いことが減るだろうということだけは確実だと思います。
ただし、1個とても良いことがあります。
それは怖いという気持ちとセットになる安心感だけは得られます。
怖いから貯めてるんです。貯めると安心です。
というのだけは得られます。
それによってプロジェクトが遅延するかもしれないし、
多分するし、プロジェクトの質もよく言って変化がない状態だし、
時間も余計にきっとかかるし、ネタ貯めてるんですからね。
そして余計怖くなるという副作用もついてくるかもしれませんが、
それらとのセットの中の安心感というやつだけは得られます。
そういうメリットはある。
これが多分私たちは欲しくてネタ集めというものをするんですよ。
つまり、要は自分がまず恐怖という幻想を持ち、
その恐怖に対する役除けというお札をネタ帳という形で手に入れる。
これがネタ帳のもたらす大きなメリットなんですよ。
一旦自分を怖がらせておいてからの安心感というものが得られます。
もともとこの恐怖がなければその安心感はありませんけれども、
この恐怖がすでにあってしまっている以上、
お札は大切だという印象をもたらす。
これが多分メリットですよね。
佐々木さん、自分の時間がないんですだったかな。
ゴリュゴさんという方と作った青い顔がね、顔がね、
顔がどんどんと書いてある独特の印象の表紙で、
結構読んでいただいてありがたいんですけど、
ここで書かれていたのに、ここで突っ込まれたのが、
やっぱりゴリュゴさんのセミナーでは準備しないと怖いでしょう。
非常に彼はストレートな方なので、ストレートに何回か粘られたわけですね、この質問で。
これはもうガッチでという言葉がよく示している通り、
方法論ではどうにもならないですよ。
方法論を使ってしまうと怖さがそのまま温存されるので、
方法論は捨てるしかないんですね。
方法論にしがみつくという恐怖感を捨てたいわけだから、
ここをさらにどんな方法でというと、
どうにもこうにも動かしようがなくなってしまうわけです。
佐々木さんは何度もセミナーをしているから今では大丈夫なんでしょうって、
これは全く話が元に戻っているわけですよ。
15:02
そういうふうにも聞かれた記憶があります。
それってつまり、ネタが頭の中にあるんでしょうっていうのと何にも変わらないんですよね。
それがいけないんですよっていう話なんですね、これは。
ネタ帳がいけないんじゃないんですよ。
怖いからネタを持っておけば大丈夫だっていう発想が、
怖いっていう気持ちを少なくとも温存するか、
多くの場合増幅する。
この増幅が一番余計ですよね。
だって怖くなくなりたいわけですよね。
ネタを持つにしてもお札を持つにしても何でもいいんですけど、
とにかく怖くなくなりたいからそうするんじゃないですか。
でもそうすることによって怖さを増やすんですよ。
これも不思議な話じゃないと思うんですよね。
ネタを持つということは、
ネタがなければしゃべれないという自己イメージとセットなんですよ。
そうでなければおかしいですよね。
ネタがなくてもしゃべれるのに必死にネタ集めするはずないじゃないですか。
ネタがなければしゃべれません。
それがとても怖いです。
だからネタを集めますというときに、
集めれば集めるほどある程度怖さが増えていっても、
つまりこれがなければ自分はダメなんだ、
これがなければ自分はダメなんだって自分に言い聞かせているようなもんですから、
これをやめるために自分は日記も今つけないですし、
記録も必要最小限度以下まで切り下げていて、
未来についての予防ですよね。
予防は基本ゼロにするようにしている。
自分自身についてはですね、
奥さんなり娘なりのためのものはやります。
娘なりのためのものはやります。
この辺が限界だってことですよね。
あるいは奥さんなりが私にやれって言ったことはやります。
これでも奥さんのためにやってるんで、
私のためにやってるわけじゃないんで。
これはだからあれみたいなもんですよ。
うちでよくやってたやつです。
うちでっていうのはうちの実家でね。
儀式ですよ、儀式。
儀式に重要な意味は、
これもちょっとこういう言い方はあれなんですが、
でもこの場合、儀式の極めて表面的な形式的なところです。
はい、こうやって保険に入っていますから安心してくださいと。
何の安心概念にもなってないじゃないですか、これは。
その時に何か悪いことが起きてるわけですから。
ここのところを盛んにいろんな言い方で
我々は言いくるめられるようになっています。
別にこれは何かの批判をしてるわけじゃないですよ。
こういう世の中の仕組みなんて。
そしてこれが現代の人たちにとっての安心材料なわけですから、
これについてとにかく言っても始まらないと思うんですよ。
ただミニマムにしておく必要はある気がするんですね。
なぜならさっき言った通り増幅したくないからです。
増幅しちゃうんですよね。
もともとはセットできている安心感だけだから、
この安心感を増やすためには不安の方も増やすしか他の方法がないです。
18:03
不安自体がなくなってしまえばこの安心感自体が消滅するんで、
いらなくなるんで、ビジネスにもなりませんし、
その他のもろもろのものがなくなってしまうんですよ。
いいことだと思うんですけどね。
私も本当にこの件についてはですね、
これ以上ないほど楽になれるにもかかわらず、
本を出す時には全く真逆のことを一生懸命やる羽目になってしまう。
ネタ集めだけは絶対やりませんけれどもね、
それでもやっぱり人とする仕事ですから、
ある意味ではそれは儀式なわけですよ。
だけれども儀式をずっとやっているうちに怖くなってくるわけですよね。
この怖さは本質的には正体のないものなので、もちろん正体不明です。
実際担当の編集さんは書くのも早いですし、
ちゃんとアウトラインもきちっと出してくれますし、
本も構成がきちんとされていますし、
私は安心ですって言ってくださいますけど、
それが本当じゃないか、本当はそうは思っていないことに
ご自身が気づいていらっしゃらない。
しょうがないですよね。
だって会社というのはいろんな不安が渦巻くんでしょうね。
きっと経営状態とか前期との比較とか、
不安になる要素にはこと書かないんで、
不安に取り憑かれている。
その取り憑いている不安が私に様々なものを要求しろと言ってくるわけですよ。
何を要求すればいいのかは分からない。
早く書けと言うのかと言うと、別に私は早く書いてるし、
アウトライン出せと言うのかと言うとアウトラインも出してるし、
ただ、それらのことはいつでもどこでもやっていて、
それによって常に結果がかんばしくなるわけではないはずなんですよ。
ここのところをもうちょっと考えてもいいと思うんですけどね、
結果が、あらゆる人にそれやってるわけじゃないですか。
それによって結果がかんばしくなってないのに、
それにこだわってしまう。
まあでも、それはやると。
でも、全部やっても不安は残る。
当然なんですけど、不安から始まったものなんで。
なので、何かやらなきゃいけなくなるわけですよ。
そして何かやるということの中に、
入れなくていい文章、入れなくていい使い、入れなくていい赤、
などなどがどんどんどんどん積み上がっていくわけですね。
安心材料なんです。
お札をいっぱい買うのと同じです。
お札をいっぱい買うのと同じなんですよ、原則的に。
そして、でも不安は最終的には消えない。
なぜなら元々ないものなので、消しようがないんです。
お札じゃ絶対消えないんですよ、残念ながら。
これはスピリッチャルなんです。
オカルトなんですよ。
オカルトってそうじゃないですか。
私、だいぶ昔ですね、大学時代に肝試しをやったんですよ。
富士山の儒会とかね。
21:01
私、肝試し大好きなんですよ。大好きだったんですね。
今ではどうでもいいんですけど、大好きだった理由は簡単で、
女の子と手を繋げるじゃないですか。
私は全く怖くなかったんで。
これが皆さんが宗教というものを誤解している最大のポイントだなと思っていたんですが、
寺育ちの人間からすると、あんなもの全く怖くないですよ。
真っ暗だろうと、ちょっと人玉っぽいものが見えようと全く怖くない。
分かってないなってよく思ったものなんですけれども、
でも私は彼女が欲しくて仕方がなかった上に、
女の子には基本嫌いされていたから、
でもあそこに行けばしがみついてもらえるんで、
いつも私は人が肝試しを作ってくれるたびに行ってましたね。
で、それはどうでも全くいい話が今入ったんですけど、
これもう脳内で勝手に出てきたんだけど。
これ、そういう人たちはやっぱりいろんな知識とか、
お札とかをそれこそ手に入れるんですよね。
神社に祈りに行くとか、いろんなことをやるんだけど、
絶対無くなってないじゃないですか。
私は寺に生まれた人間なんですよ。
この何かに守られているとか、
その何かの何かの霊力とかいうものは、
当然誰が考えても、
脳科学者がわざわざそんな本を書いてましたけど、
脳が作り出したものに決まっているわけです。
これ決まっているといっても、
オカルト信じているというか、
こういうものを信じているという方には、
どうしようもないことなんだと思うんですけど、
決まっているんですよ。
脳にはそういう場所ありますもん。
恐怖映像を見たり、
恐怖映像を作り出すまでは行かないにしても、
そういうふうに解釈をする。
自分の心理状態に合わせた強い解釈を施して、
外界をこう見る。
視覚というのは幻想ですからね。
視覚というものの対象は外にあるかもしれないけれども、
対象があろうとなかろうと、
私たちの脳は同じものを作り出すことができます。
つまり、目の前にリンゴがあってもなくても、
リンゴの像を脳内で結ぶことは脳にはできるんです。
できなかったらリンゴは絶対に見えません。
つまり、幽霊だろうと何だろうと、
見えて何にもおかしなことはないわけですよ。
それに対して、物というものを使う。
つまり、薬除けの何とかで構わないですね。
そこに何かを見ることは、
私たちの脳には朝飯前ですよね。
当たり前じゃないですか。
そこに霊力なり、何かの霊波みたいなものを見るのは、
脳は、だってそれをやりたくてお金を払って買っているわけじゃないですか。
見せてくれって脳に頼めば見せてくれますよ。
それでも見られないってなったら、
よっぽどそれはですね、
その種のことを実は信じられていないってことだと思います。
僕がやろうと思えばすぐ見られると思いますね。
そういうものは。
どういう霊波かは知りませんよ。
その人のその人その人の脳波なんて、
脳を作り出すものなんて、
ただそういうものは作れます。
そしてこれを作ってしまったら、
当然ですが怖くなるじゃないですか。
24:01
今のようなからくりを全部意識していれば怖くないかもしれないけど、
それでも怖くなるんじゃないですかね。
つまりないものが見えるんだということを頭が信じて、
しかもそれは何かの役除けだったり、
何かの守護なんとかだったりするってことは、
守るべき対象もどっかにあるってことになるじゃないですか。
めちゃくちゃ怖いですよね。
そんなことをやっていれば怖くなるわけですよ。
僕はこれがネタ長男だと思うんですよね。
そんなことをやっていれば怖くなりますよね。
当然。
頭の中が真っ白になり、
血を浄して、
ビール瓶か何かが飛んできて、
ふざけんな二度と飲んだって言われて、
追い返されて、路頭に迷うと。
めちゃくちゃ怖いじゃないですか。
そんなことは起きないんですけれども、
そういった状況で、
そんなことは起きないんですけれども、
そういうことが起きるかもしれないと思ったセットで、
ネタ長男を作るんだから、
そのお札か霊力を持つ以上はですね、
そういう恐ろしい事態も必ず起きるんだと、
自分が、
催眠術にかかったように信じ込んでいくんですよ。
一旦そうなったら、
出るのがすごい大変ですよね。
私、一旦そうなってたわけだから、
それこそ倉園さんに、
二度目にって言うのが変だけど、
グッドバイブスを教えてもらうまでは、
基本私はその路線で突っ走ってたわけだから、
そりゃ怖くはなっていたわけですよ。
このアウトラインは作ってなかったんだけど、
役に立たたる仕方がなかったんで、
それこそ、
当時で言えば、
エヴァノートじゃないんですよね。
当時で言えば、
タスクマンのメモと、
何かを連動させて、
例えばグーグルカレンダーのメモみたいなのに、
結構リッチに作れるんですよ。
あそこにこういう喋るべきことを書いておき、
それをパワーポイントのスライドと消耗させると。
絶対安全みたいなね。
絶対安全ってことは、
めちゃくちゃ危険なところにこれから行くよって話をしているわけですもん。
それは怖かったわけですよね。
そして、
本当に研修ってやだなと思って、
本当に研修ってやだなと思いながら、
胃を痛くしてですね、
にもかかわらず帰りはカレーとか食べて、
つまりこれは胃科問題だったわけじゃないっていうことを、
よくよく物語ってますよね。
精神的なものなんですよね。
私の顔色の本で言う、
偏頭体モードをいっぱいにして、
行くわけですよ。
でもお札は持っている。
グーグルカレンダーとかに書いたやつですね。
そしてそれに合わせて、
時間もかかって、
淀みなく、淀みはあったと思うんですが、
時間いっぱいまで喋って、
ネタが切れなくて、
もうすぐ切れそうだとか思いながら、
あと1時間はあるけど、
どうやってこの展開をゆっくり進めようかとか、
わけわかんないことばっかり、
27:00
今じゃ絶対考えないようなことを考えて、
一生懸命こう喋ってね、
汗はかいてないけれども、
体中冷や汗だらけみたいなもんですよね、この状態は。
そうしてこうなって帰った時に、
無事だったと。
無事に決まってるんですが、
無事だったということで、
カレーを送って帰っていたわけですよ。
今こうやって喋ってみると、
結構楽しかったような気もするんですが、
要するにこういうことをやっていてはですね、
楽しめないんですよね。
ちっとも楽しくないです。
ここで皆さんに、
皆さんは言わないかもしれないけど、
よく言われる言葉が出てくるんですよね。
仕事だから楽しいはずはないって。
違うと思うんですよね、これは。
この恐怖で自分をいっぱいにするから楽しいはずがないんであって、
仕事かどうかは関係ないと思います。
これ例えば仕事じゃなくたって、
同じ観点で望み、
同じように、
例えばこのグッドモーニングボイスは仕事かどうかが
私の中では大変曖昧です。
これだってですね、
ネタを毎日のように用意して、
それこそノーションで、
バッチリ何月何日、
5月31日に喋るネタはこれと、
このアウトラインに沿ってこういう風に喋る。
ってやってたら、
ちっとも楽しくないですよ。
すっごい辛くなってくると思う。
対面で誰かがいるわけじゃないし、
触ることはできるから、
怖さは半分以下だと思いますけど、
でも原則怖いんですから。
怖いからそういうものを集めるわけじゃないですか。
しかもこれがある程度軌道に乗り始めて、
これで喋ることによって、
例えば6月8日の田島田さんとのクロストークに
来てもらう数が増えたとか、
ぜひよろしくお願いします。
6月8日ですよ。
増えたとかいうことになってくるとですね、
これを失うわけにはいかないと考えるようになり、
これを失わずに、
これまで600回もやってこれたのは、
そしてクロストークに人が来てくれると
脱されるようになったのは、
このノーションのネタのおかげだみたいに
考えるようになるんですよ。
当たり前ですよね。
そう考えるじゃないですか。
それを失うのが鼻肌恐ろしくなるから、
私は6月5日、6月6日、6月7日、
そして何なら1年先までのネタを
365日分整然と並べて、
すごい安心って思うんですよ。
これがめちゃくちゃ不毛だってことだと思うんですよ。
なくて同じことがやれるんですから。
29:29

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