2022-06-01 19:50

【609GMV】ファンを評価者にするとスランプになる

誤解とヒステリー
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
クレームって言うべきなのか、誤解って言うべきなのか、同じことなんですけれども
グッドバイブスでですね
たぶん、引っかかる人と引っかからない人がいると思うんですけど
かなり頻繁に愛っていう言葉が出てくるじゃないですか
この愛するって話なんですが
たぶんもう少し この言葉が受け入れにくいという人には信頼するでもいいと思うんですけど
これだけが出てくるとわかりにくいという場合
これをひっくり返してですね
条件付きっていう話にすると途端に見えやすくなるという方はいらっしゃると思うんですね
私もそうなんですけど 条件付きで信頼するとか
でだいぶちょっと前ですね、ちょっと前にこのグッドモーニングボイスで話をした
軽蔑と愛の一種であるっていう、あの軽蔑っていうのがまさに強い条件を付加した愛なんですね
強い条件を
なんていうんですかね そこに組み込んだわけです
でこの強い弱いは本当はまあほぼないようなもんでどうでもいいようなもんでしかも
条件付けたらもう愛は愛じゃないんですが 信頼であってもですね
この言葉は非常にわかりやすいのがですね
これが要するにヒステリーの原因になるわけです
だからヒステリーっていうのは愛する対象に愛せない対象を見るものですね
あの良いおっぱいと悪いおっぱいは良いおっぱいなら良いんですよ
なんだけども悪いおっぱいがあるというのが許せないわけじゃないですか
二面性とか言ったりしますよね でも
二つあるのは面であって本体は一つなわけです
で私たちはこのことがですね全然納得してないはずなんですよ
例えば良い国家悪い国家があるわけですよ
福祉にお金を出すのは国家の良い面だけど
防衛費を増額するのは悪い面で
この二つを同じものだというふうに見なせないんですね
見なせないから私たちはそれを分断にかかるんだけど実は一つのものなので
相手を二つに分断した気になった時に現実に私がやることは自分を二つに分割してしまうんですよ
ウィニコット流に言うと本当の自分と偽りの自分というのがそこに現れるように
ここはちょっとですね今飛躍したんですけど本当はこれを言ったのウィニコットじゃないんでね
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本当の自分と偽りの自分言ったのはウィニコットなんだけど
今の話の流れは良いおっぱい悪いおっぱいから来てますから
今ちょっと専門的な話をガガッとしゃべったんでスルーしていただいて全然いいんですけど
説明になってなかったんで
要はこの悪い面がその本体の中に悪い面があるとなると
その面だけが愛せないからその面だけを切り捨てようっていうふうに考えるんだけど実際それができないので
相手を条件付きで愛するという話になるわけです条件付きで信頼すると
私には例えば一番なじみ深いのは赤入れされる原稿なんですね
良い編集悪い編集になっちゃうわけですよ
良いというのはつまり企画持ってきてくれたりお金くれたり売りに出てくれたり
褒めてくれると良い編集なんですよ
でも赤入れで何かはてなど書かれると悪い編集が出てくるわけですよ
これを私は絶対克服しなきゃダメだと思ってるんですけれども
克服しきれていないことが明瞭になる時があるんですね
それは腹が立つとかそういう分かりやすいことじゃなくて
いっぱい赤入れに対応してるじゃないですかハテナとかついていたり
絶対自分はこうは書いてないと思われるように書き直されていたり
わかんないんですけどねこれも自分がそう書いた可能性もゼロではない
でもまあゼロかなみたいなね
どっちでもいいんだけどどっちでも良くないと思ってる段階で既にダメなんですよ
でこれは誤解と言ってもいいと思うんですね
どう誤解してるかというとつまりその編集さんに悪意を見てしまうんですよ
そうすると何が起きるかというと
しばらく経ってから文章を書けなくなるんですよね
書けなくなるという時期が短ければ気にも止まらないんですが
書けなくなる日が来るんですよ
それは編集さんという人に悪意を見てしまうと
やっぱり私の中では読者代表として極めて大なので
関係ない文章が書けなくなってたりすることが起こるわけです
例えば仕事でも書けないとか関係ないですよね
この関係なさにいかにこの話が誤解とイリュージョンにまみれているかというのが
よくわかるっていうものなんですね
このえーとなんて言うんですかね
倉園さんの言葉を借りれば
応援する人ないしは助けてくれる人を評価する人に変えないっていうのがあるんだけど
これと同じ話ですね
ところがですね常にこれをサポーターを評価者に切り替えて切り替えて生きているっていう人は
大勢いらっしゃるんですよ
あの例えばですけどね習い事とか
まあそれこそ倉園さんの書き上げ塾私もやってますが書き上げ塾でもいいんですが
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えーと書き上げ塾じゃなくて
例えば私だったらテニススクール行ってたんですよ
テニススクール行ってる時コーチにどう評価されるかを考えちゃうんですね
こういう人もいっぱいいると思うんですよね
コーチから見れば同評価もしないんですよ
私実はスキーのインストラクターやってたことがあるんでよくわかるんですよ
みんな同じなんですけれども中にはいらっしゃるわけです
このクラスって誰が一番上手いのかということをやたら気をかけてる人
でもインストラクターの目から見ると誰が一番とかを決めるのはほとんど不可能なんですね
あまりにもどんぐりだから
ある面ではこの人が一番だけどトータルで見るとどうかなみたいなのはもう
はっきり言ってどうでもいいわけですよ
それは言ってしまうと申し上げないんだけれども
まあこうですよレベルが低すぎて比較する意味が全くない
それにそのことを考えるんだったら早く上手くなりましょうみたいな
そこからならまだまだすぐ上手くなれますからっていう感じなんだけど
受ける方の中にはですねものすごくここが気になって
ここから一歩も出られないという人もいるんでしょうがないんでそういう人は褒めますよね
褒めまくる
他の生徒さんが面白くないというところまでいかないレベルでは
その人が一番上手いってことにしちゃいます
その方がそういうのって僕は学んだんですよ
スクールの教室で教えるという中でですね
これやんないとこの人はいつまで
こういう人って一番だと思うとえらい頑張るんですよね
でそういうのってどういうことかというとつまり条件つき
これはもう完全にヒステリーだと私は今なら思うんですね
だからもう少しまた上手に対応できたかなとも思うんだけど
まあでもあんなもんなんですよね
結局ヒステリーでよく話題になるのが双子なんですね
双子の兄弟にやたらと対抗心をむき出しにしちゃうと
何度も何度も出てきてもう本当に耳たこだと思うんですけど
イヴ・ホワイトなんですよ
イヴ・ホワイトは妹が生まれたからヒステリーが発症しちゃったんですね
今までずっと自分だけが一番だったのにお母さんの一番
これ完全にコーチにとっての一番上手い生徒と全く同じじゃないですか
まあ逆なんですけどね
コーチが親になっちゃってるんですけれども
つまり私だけを可愛がってくれるはずのお母さんが妹に取られたってわけですよ
一番可愛いのは誰だと
司令役姫のあれですよね
鏡よ鏡と全く同じあれもヒステリーじゃない
あれ完全にヒステリックですよね
だからあの種の話にいろんなところがきて
私の場合はそれが良い編集悪い編集になっちゃうんですよ
結局編集を親にしちゃってるわけですね
編集親でもなんでもないですよね担当の編集さんは
ところが編集さんを親にしちゃうから
関係ないところにその影響が波及してしまうわけです
編集さんにわけわかんないことを指摘されたから仕事なんか書けないと
こんな風に思えれば
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いやいや関係ないから書こうっていう風になれるんだけど
無意識がこれを受け止めてしまうと
不意に書けなくなるんですね
まあそれが1日程度であれば今日は忙しかったからというような
言い訳をして
その感覚からロックが外れればですね
すぐ行けるようになるんだけど
これが重く出てしまうと大きく出てしまうと
非常によろしくないことになるわけです
なんつったって本書く上で
公正を受けないなんてことはありえないし
公正を受けなかったことが
何かの有意義な意味になるのかというと
それはもうなんないですからね
つまりこれは誤解の産物なんです
編集さんに悪意を見るというのが
もう大きな誤解です
だけれどもここも私たちはですね
よくやっちゃうんですが
条件付きの愛というのは
つまり自分が愛される件についても
条件付きに愛されるって話になるわけですよ
これを受け入れちゃってますからね
そうですよね
テニスで良いショットを打てれば
コーチに愛されるってわけじゃないですか
これ条件付きの愛ですよね
全く相手はそんなこと考えてないんだけど
良いショット悪いショットになっちゃうわけですよ
そうすると良いショットを打てる時だけ
コーチは褒めてくれるから
この時だけ自分は評価されていて
評価に値する時だけ愛されていると思うから
話がわけわかんなくなっていくんですよ
そんなこと相手は思ってないですからね
つまり誤解なんですね
ということがよく起こるんですよ
ということがよく起こるんですね
多分大学で学者の方が論文書くってのも同じなんですよ
論文なんて明らかに評価の対象だというふうに
考えられてるから
茶読が怖いみたいな話も
私も留学中にもよく聞きましたけど
茶読が怖いのは
つまり茶読で馬鹿にされてると思うからなんですよ
馬鹿にされてると思うの
相手に悪意を見てるわけじゃないですか
この悪意が誤解の産物だと思うんですね
本当に悪意を見てる人だっているっていう話をされれば
そりゃいるでしょうよね
でもそれは誤解を相手がしていることに対して
予防線を張るために私はこういう手を打ちますっていうのは
完全に自分の頭の中で悪意を作り出しているわけだから
やっぱり相手が本当にどう思っているかというと
誤解の産物なんですよね
この時に必ずやってることがあります
つまり相手がそういうことをしないならば
悪意を持たない編集さんなら私は好きだっていうこれ
これがつまりお互いがやることなんですよ
同時にやっちゃうことなんですね
信頼してくれる編集さんなら信頼する
こうやって私たちは信頼に条件をつけるわけですよ
これをお互いがやってるからお互いが
お互いがサポーターのはずなのに
お互いが評価者に変わってしまう
相手が評価しない人なら私も評価しないけど
相手が評価する人だから私も相手を評価する
ここをして良い編集悪い編集が発生するわけじゃないですか
でこのここに何にも不思議なことはないって
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思う方が不思議といらっしゃるんですけど
これほど不毛なこともないですよね
お互いがある意味誤解していて
その分そうしてパフォーマンスを
両者が落とす結果になってるのに
これに何の問題もないっていう風に考えられてしまう
何を書いても私たちはそれが評価されるとは限らないし
評価されるということを怖がるということは
もうその段階で相手を評価しているんですよ
でナルシズムなんですよこれはつまり
自分が評価するのは構わないが
相手に評価されるのは許せないっていうのは
これは相当ナルシスティックですよね
もうちょっと言うと
相手が私を愛するのは当然だけど
自分が愛するのは条件がつくっていうのも
これも相当なもんだと思うんですよ
でその中でも最大のものが
自分が相手を誤解するのはしょうがないけど
相手が自分を誤解するのは許さない
これが一番イリュージョンかなっていう感じがします
自分が相手を誤解してるのはもう
この相手が自分を誤解してるという風に
感じている段階で間違いないです
相手に悪意を見てますから
で誤解は悪意じゃないですからね
誤解ですからね
で自分が誤解してる時に
悪意を持ってないとでも思うんでしょうけども
完全に悪意を持ってますよね
もし相手が悪意を持っていないことが
間違いないのならば
相手が悪意を持っていないことが確実であるならば
相手が誤解したからといって
何も問題は起きないはずなんですよ
で普通人間というのは誤解をしますからね
この今の話の流れからしてもそうですけれども
何しろ高知に評価されるかどうかを考える
これ完全に多分誤解ですから
私インストラクターやった経験からすると
絶対そういうことはしないですから
なぜしないかというと
私がよくできた人間だとか
私が大学時代インストラクターやってた頃になって
全然人格ができてなかったんで
今もできてないですけど
そういう評価はしないですから
なぜならこれ前に誰だっけ
運転勉強の教習所で指導教官が
いきなり言ったこととも似てるんですよね
なんか私が見て
上手いか下手かを気にする人がいるけれども
私から見れば皆さんはめちゃくちゃ下手ですからって言って
これこれで伝えようとしてることが同じです
あれもものはもっと良い方があるような気もするんだけど
下手に決まっているんですよ
だって相手は警察官なんですからね
しかも運転オタクみたいな
私が免許取りに行った頃の教習所の先生っていうのは
ある意味結構ひどくて
運転の技術さえあれば
あとは何でもいいぐらいな人もいらっしゃったんですよ
中にはね
でも運転が上手いのは間違いなくて
そっから見れば
あんな青葉マークすらもらってないような人が
上手いわけがないわけですよ
だけれどもやっぱりいるんでしょうね
教習所の中でも
こういうS字クランクをして
この人にバカにされてるんじゃないかと
はっきり言ってバカにされてるに決まっているわけですよ
そんなことを言うならば
でそのレベルの人をバカにはしないんですよね
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将棋のプロがアマチュアと指してる時
アマチュアの人の
腕がへぼいかどうかは気にするはずがない
なんだっけ
うつ病九段で書いてありましたよね
1万回刺しても一回も負けるはずがない相手って
そういうもんなんだと思うんですよね
何も考えずに普通は刺すんだっていう
だけどうつ病だったから
いろいろ考えながら刺さなきゃなんだ
くって自分は病気なんだなということ
つまりアマチュアの人とプロが刺した時
思考を使ったらすでに病気だっていうことなんですよね
あれは
でも好きのインストラクターごときでは
そこまでいかないにしてもですね
やっぱりこの人上手いなとかは思わないんですよ
はっきり言って
自分のところに来ているような人の場合は
テニスはもうちょっと上手くなってくると
近づいていくっていうことはありますけど
でもやっぱりコーチの目から見て
そうですね
1万回やって一回も負けないなんてことはないかもしれないですけれども
まあそれは評価の対象とは違うような気がしますね
私の場合はもっともっと話は単純です
原稿を出して編集さんに直してもらってんだ
どう考えても評価されるためじゃないんでね
ここに評価感が入ってくるってのは
よっぽどだと思うんだけど
入ってきちゃうんですよね
私がこう
あの寝られてないというか
鍛えられてないというか
何なのか
でも私は一応商業で50出してるわけだから
タイトルは
少なくとも100回はこういうことをやってきてるわけで
えーと
今もなおそういう悪意を相手に見るとすればですね
本当にこう
しょうもないなと思うんですね
でこのしょうもないっていうのが
そもそもイリュージョンに基づくものだから
どうでもいいことなんですけれども
このどうでもよさがですね
本当にどうでもよくならないと
ダメなんだとは思うんですね
この場合は相互に誤解してるかどうかは
なんとも言えないところですけれども
少なくとも私は相手を誤解しているわけですよ
悪意を一瞬でも感じたらもう誤解なんですね
この感覚は必ず後になって
書けないという話に戻ってきくるわけです
自己発信など自己表現など情報発信でもそうなんですけど
書けないと思ったら
私は今やこれを疑うのが真っ先かなと
これだけが全原因ではないと
本当に時間がないとか
コロナになっちゃったとか
あるとは思うんですけれども
これをそういうんじゃなければですね
もう真っ先に疑うべきですよね
いい評価者悪い評価者
評価者を作ったっていう以上そういうことになるんだけど
amazonのレビューですよ
星5と1が机ある以上
星5と1はあるんでね
潜在的にしても
ああいうのは全部誤解の産物でしかなくて
決してあれが真実を指し示すことはできない
今言った通りなんですよ
よくグラゾンさんがおっしゃるところの
人のデフォルトがそもそも
悪意であるっていうような話は別ですよ
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人とはそもそも悪意に満ちて生まれてくる
っていうような話は別です
でもこの話を
これを成り立たせるためにはですね
例えば母子っていう話を持ち出すならば
お母さんの子供を産んだのは
その子を痛ぶるためだぐらいに
なんだけおかしくなるんでね
信頼とか愛ってのはそういうことですよね
自分だったものを外に出すわけですから
お母さんってそういうことですよね
もともと自分だったものを外に出すわけですから
自分自身を切り刻みたいのが
デフォルトだぐらいだ
あるいは自分自身を攻撃したいという
気持ちがデフォルトだぐらいにいかないと
本性は制約説だから
すっごい私は言ってる話だなって思うんですよ
性善説の方がある意味よっぽど簡単じゃないですか
性善説だったら人はみんな自分好きですよね
お母さんから見ると自分から出てきてあるじゃないですか
そして私たちはみんなそうやって
生まれてきているわけじゃないですか
自分のことが大好きだったら
それだけで性善説成立するんだけど
この逆いかなきゃなんないと思うんですよ
制約説ってものを完璧に成り立たせようと思ったら
制約説ってのも性善説でもそうだけど
デフォルトは完璧に成り立たせないと意味ないと思うんですよね
善と悪の入り混じったものだとかっていうぐらいだったら
デフォルトどっちだって話に必ずなっちゃうと思うので
そういう意味で
一番最初に戻った時
赤ちゃんってのはどういう存在なのかっていうような話なんですよね
あの赤ちゃんが生まれた時
ああいうあどけない時でも
実は悪意に満ちているって言うんなら
編集さんが赤入れしたのに悪意を見るのは
誤解じゃないことになるんだけど
僕の感じではそうはならないなっていう気がします
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