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2021-03-02 35:26

【GMV330】気が済まない

気が済まないのは何がゆるせないのか?
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
昨日はお休みを、えっとですね、本当は昨日収録してたんですけど、
いろいろとトラブってしまいまして、ファイルがどっか消えちゃったんですね。
というわけで、昨日の話は全部忘れたので、部分的に覚えてるんですけど、
何を喋ったかよく思い出せなくなりましたので、改めて今日は撮り直そうと。
えっと、ノープランだなぁとも思うんですけど、
これよく考えてみるとプランの問題じゃないなと思うんですよね。
で、今週の土曜日にですね、オンラインセミナーが第2回の、シーズン2の第2回がありますので、
これ単独で聴いていただいても問題ないと思うんですよ。
ので、全く問題ないと思うんですよ。
だから、よろしければですね、まだ残席ありますし、
直前になると急にご参加いただけるというケースも結構あるんですけれども、
直前まで受け付けておりますので、よろしければ是非、
価値マックスの自分に気づくって感じかなと思います。
今日もそういう話が少しできたらいいかなと思ってるんだけど、
それはわかんないですけど、ノープランなんで。
はい、そういう感じで、今週の土曜日、お時間ありましたらよろしくお願いします。
で、えーとですね、気が済まないって話をしたいなと思ってたんですね、今日は。
気が済まないという言葉はとってもいい言葉で、何がいいかっていうと、
それで私たちは意味がわかるという点がいいんですよ。
手を洗わないと気が済まないって言えばですね、脅迫神経症のことだと。
たとえこの脅迫神経症という言葉を知らなくてもわかるんですよ。
それがもう素晴らしいんですね。
ここがですね、私たちの多分敗戦と戦後による価値観の逆転で逆になっちゃったんですね。
気が済まないという説明の仕方はダメで、脅迫神経症というのが正しいってことになっちゃったんですよ。
でもこれは一尺三寸というのはダメで、3メーター60センチとかいうのは正しいっていうのと同じで、
意味のないことを言ってる感じがするんですね。
同じことを違う言葉で言うだけなのに、
昔の日本の言葉を使うと、後進的で保守的で武力で先進的な人はメートルを言うみたいな感じになっちゃうんですよ。
でもアメリカではヤードフォンドとか平気で言ってるわけですよ。
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しかもやっぱり意味のないことを言ってると思うんですね。
政治制度の話をしてるんじゃないので、別にハチョウチョウとか言ってもいいわけじゃないですか。
Cメジャーとか言わなくてもいいわけですよ。
ましてこのアーデュアとか言う必要はないと思うんですよね。
ドレミファソラシドはイタリア語なんですけど、私すっごい借銭としなかったんですよ、小学校の頃。
全部、小学校中学校の頃ですね。
全部日本語で言ってみたり、イタリア語で言ってみたり、ドイツ語で言ってみたり、英語で言ってみるというのが試験なんですよ。
なんでこんな4通りで言わなきゃならないのかと。
そんなんだったら日本語捨てちゃえばいいのにね、この音楽に関しては。
ハタンチョウとかって言わないじゃないですか。
なぜか子供っぽく聞こえるんですよね。
でも同じなわけですからね。
EメジャーとかEマイナーとか言ったって、それはただ英語に直してるだけであって、
どっちの方が先進的とかは全くないと思うんですけど、
4カ国語で喋ってると日本人ぐらいじゃないですかね、本当に。
しかもイタリア語では言わないんですよね、タンチョウチョウチョウは。
少なくとも中学ではやらないですね。
私私立なんかに行ったもんですから、学転なんかをやらされて、
本当学転なんかやらなきゃよかったと思うんですけど、やらないわけにはいかないからやったんですけども、
全く自分にとって学転ほど疲れるだけのものも珍しいなという感じでした。
まあいいんですけどそれは、ここで喋ったしね。
気が済まないっていうのはつまり日本語なんですよ。
でもこれはもっと幅が広い意味があってですね、つまりこっちを使うことには。
恐怖神経症は手を洗わないと気が済まないんですよ。
コンロの元栓を確認しないと気が済まない。
でも、例えば気が済んだでしょうって言い方するじゃないですか。
これは怒りに関することを言ってますよね。
あいつに一言言ってやらないと気が済まないとかって人は言うじゃないですか。
これは手を洗わないと気が済まないというのとは、
少なくともアメリカとかドイツとかでは多分違う解釈が当たるんですよね。
でも日本人はこの2つは同じ意味を含んでいるということを認識してたわけですよね。
つまり昔の日本語を使ってみた方が、しかもこれ現代でも全然普通に通用する言葉ですけど、
気が済まないというのは同じ意味を含んでいるから気が済まないわけですよ。
だからここには復習的な意味があるわけですよね。
ルサンチマンみたいなやつ。
このルサンチマンはルサンチマンで、少なくとも精神分析では出てくるんですけど、
ルサンチマンという言葉じゃないけど出てくるんですけど、復習欲ですよね。
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この復習欲と脅迫神経症には実は共通点があるんだということを、
多分アメリカでもドイツでもイギリスでも研究されていると思うんですけど、
一生懸命研究しなくても我々は知っているわけですよ。
気が済まないという表現を1つ使えば、両方に共通点があることは一発で認識できるわけですよ。
これってすごいことだと思うんですよね。
アメリカに行くとここを横断するためには新しい認識や発見が必要だと思うんだけど、
我々はそんなものを要しないわけですよ。
我々は脅迫神経症という言葉の方をむしろ知らないから、
気が済まないという表現の方を使って、この共通点を理解できるわけですね。
あいつに一発言ってやらないと気が済まないというのと、
手を洗わないと気が済まないというのは同じことを含んでいる。
そうすると他にも気が済まないってありますよね。
あれは大変日本人的なやりとりだと思うんですけど、
物をもらうと謝るわけじゃないですか。特に高価な物をもらうと。
そんな物をいただけませんみたいな表現もありますよね。
でもこれを受け取っていただかないと私の気が済みませんからって言うじゃないですか。
あんまり最近言わないかもしれませんけど、この意味はわかるじゃないですか。
一言はお礼を言わせてください。そうしないと私の気が済みませんからって言うじゃないですか。
この気が済まないと、手を洗わないと気が済まないとと、
一言言ってやらないと気が済まないのは、
たぶん少なくともアメリカに行くと全部全く違う真理として説明されるはずなんですが、
我々はこの3つは共通していると思っているわけですよね。
同じ言い方をするわけですから。
何なんだろうって感じがあるわけですよ。
私の気が済まないからお礼を言う。
一言言わないと気が済まない。
手を洗わないと気が済まない。
で、あの、でですね。先日、ちょっと前になりますけど、
東京来学研究会の北信也さんとYouTubeでお話ししたわけですね。
で、その時には彼は体調が悪かった。
心身傷的ななんかなんですけど、
要は働きすぎないしは、
上司なのかな。上司が外国人で。
評価が不適切なのか、
自分のあり方や働き方が相手から気に食わないのか、
とにかくそこにトラブルがあって、ちょっと調子を崩したと。
で、こういうことは日本ではよくあることですけど、
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この北さんが時々私に聞くんですよ。
その表現として、仕事が終わらないと、
あるいはこのままでは気が済まないっていう言い方をする時があって、
あれは大変日本的表現だと思うんですね。
で、この言葉が出た時は非常に要注目で、
鬱だとかストレスだとか適応障害だとか、
全部英語なんですよ。
適応障害も鬱も日本語ですが、
要はそれはデプレッションであったり、
何でもいいんですけれども、
要するに元に英語があって、ただそれを翻訳しているだけなんですね。
だから漢字ばっかりで、実質中国語じゃないですか。
日本語になっている漢字はしないんですよね。
発達障害とかもそうですよ。
HSPなんてそのまんまで英語ですよね。
この話もいずれしたいんですけど、
なぜHSPは英語なのかという。
ただここで脱線しているとまた40分コースになるので、
わかんないですね。
すでにこれを聞いている人は何分コースだかご存知なわけですが、
とにかくここで脱線せずに、
なんで英語なのかと。
それはさっきのCメジャーと同じだと思うんですね。
英語で精神分析するのが先進的だからだと、
勝手に我々が信じ込んだためにそういうことになっちゃったわけですよ。
気が済まないで説明すれば、
我々は違う文化圏にいるわけだから、
当然心理的な機能も違ってくるわけで、心の働きも。
それはアメリカ人と日本人で心の働きが全くめちゃくちゃ違うということは
違わないんですけど、同じ人間ですからね。
でもある程度以上、宗教と文化が違う以上、
違う心理状態にすぐなるわけじゃないですか。
だとすると、私たちは私たちの枠組みを使った方が
多分理解しやすいことが多いと思うんですね。
そのうちのそういうものの中で、
野井武夫さんの甘えというやつを盛んに紹介してきたわけですけど、
気が済まないというのも同じなんですよ。
野井武夫さんは甘えの文脈の中で気が済まないの説明をされていて、
なるほどなったんですけれども、
私は脅迫神経症というのを読むセラピーの1というのでも紹介したように、
非常に非常に興味深い現象だと思っているんですね。
大変心理的なものが出てくるじゃないですか。
なぜ手を洗わないと気が済まないのかと。
本人もわかっているじゃないですか。
汚れを取るためじゃないと。
最近増えていると思うんですよ。
ウイルス除去99.9%のアルコールなのか、
もっといいやつだと99.999%まで除去できるのか。
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でもことはそういうことじゃないじゃないですか。
ことは気が済むかどうかの問題じゃないですか。
だから気が済むまで手を人は洗うんだけれども、
普通は1回で気が済みますよね、石鹸とかつければ。
でも気が済まないということが起こるわけですが、
それは手が汚いということじゃなくて、
やっぱり心理的なわけですよ。
マクベス夫人なのですよ。
自分が殺したから血が取れないわけじゃないですか。
これは心の問題ですよね。
気が済まないと言うんだけれども、
仕事が終わらないと気が済まないというのも、
非常に心の問題を反映していますよね。
つまりその人の心が問題があるというのではないですよ。
その心理状態を強く反映しているということです。
つまり仕事はここまでというのがあるのは、
普通外部の理由によって決まりますよね。
上司がここまでやってほしいと言ったとか、
お客さんはここまで求めていると言うと、
自分の気が済まないからここまでやるのではないですよね。
ところがしばしば、特に私たち日本人にこれが起こるんですよね。
ここまでやらないと私の気が済まないという言い方が発生するわけです。
しかもこれって私の気が済まないと言いつつ、
必ず対人関係を含んでますよね。
ここまでやってみせて初めて自分というものは、
仕事をちゃんとする人間と認められるのではなかろうか。
あるいはそれに少し上乗せした、しかもキリのいいところみたいな、
とっても複雑な基準がそこに持ち込まれていると思うんですよ。
それでは私の気が済みませんからと言って、
お礼を従うのも同じじゃないですか。
相手はここまではしなくていいと言うんだけど、
そこまでしないと私の気は済まないわけですよ。
でもこれは私一人で完結する話でもないわけですよね。
相手が求めているのを10とすれば、
11か少なくとも12か、
12か少なくとも11までは物を持って行ったり、
高価そうな物を持って行きたいと。
そこが私があなたに求める評価なんですっていう含みが
多分あると思うんですね。
この辺を指して竹尾さんが甘えだと言うんでしょうけれども、
何にせよあるわけですよね。
つまり自己完結的でありながら他者を含んでいるわけですよね。
非常にこれが気が済まないというものに
共通する事柄なんだろうなと。
つまりそれは一つの認識のパターンみたいなものが
ベースにあると思うんですよ。
パターン以上を常に向かうぞっていう
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ある種の意思を感じますよね。
気が済まない。
だから気が済まない人は往々にして気難しいと言われるんですよ。
この気難しいも大変日本語的表現だと思います。
英語に直すのはまあ難しいですよね、これはきっと。
英語に直すというのは単に直ればいいということではないので、
アメリカ人がそれで理解しないとダメなので、
私は無理があると思うんですよ。
脅迫神経症にも相当する。
一生懸命俺を言いたい時にも相当する。
相手を殴ってやりたい時にも相当し、
仕事のキリについても相当するような
そういう表現を一言で英語で言えって
それは無理だと思うんですよね。
多分全部違うものとして認識されていると思います。
この気が済まないなんですけれども、
この気が済まないには一番大事だなと思うのは、
一言言ってやらないと気が済まないだと思うんですね。
これはさっきも言ったけど、
ルサンチマンが含まれているということはですね、
この気が済まないという表現には
俺を言うことまで含めてですよ。
ルサンチマンがきっとあるんですよ。
それが私はすごく気になるんですよ。
つまり、お礼を言おうとしているのに復讐もしようとしている
というのは相当変じゃないですか。
怒りに結びつきかねない。
もちろんお礼なんで復讐したり怒ったりしているわけではないんですよね。
でもすごくお礼を言いたいんですよね。
でもそこに若干の悔しさがある。
日本人は、これはパラノイアの人によく普通に見られる現象で
この辺も変質症と変質的な人格障害と結びついているんですよ。
非常に気難しさというのは変質症の非常に典型的なパターンの一つですし
しかも気が済まないというのは
変質的という言い方もするじゃないですか。
繰り返し繰り返し人に嫌がらせをするとかね。
とにかく同じ行動を好きでやっているわけではないし
習慣というのは決して同じではないんですけど
ドアノブも結局同じになりますよね。
同じ行動を繰り返し繰り返しやると。
スコンロの線ばっかり見に行くとか、手を洗ってばっかりいるとか
非常に脅迫的かつ反復的。
日本人のでよくあるじゃないですか。
お礼の品を持って行って相手は受け取らない。
お礼を受け取らせようとするけど受け取らない。
ああいうところにも現れているわけですよね。
そういうギャグいっぱい私子供の時に見てきました。
ほんのつまらないものって、いやそんなものは受け取れませんから
っていうのをずっと繰り返すやつですよね。
ああいうところがあるのでしょう。
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それが仕事に持ち込まれるということになると
その場合は仕事をするキリのいいところまで仕事をするということについても
なんかですね、脅迫見えたところがあり
脅迫はこの場合強く迫るやつですね。脅すやつじゃないやつ。
脅迫見えたところがあって、そして復讐見えたところがあるわけですよね。
復讐見えていてちょっとリベンジ感がある。
そうやってくると結構穏やかじゃない心理状態。
気が済まないは全然穏やかじゃないんですけどね。
一言言ってやらないと気が済まないわけですから。
どうしてそういうことが起こるんだろうというと
多分ですね、本当はですね。
本当は世の中の方のパターンというものを人は認識するんだと思うんです。
朝太陽が昇って夜沈むみたいな。
夏になると暑くなる。
世の中の側にパターンがあると認識するんですけど
やがて我々はですね、ある程度世の中が落ち着いていたり
自然環境が落ち着いていると、つまり日本のような国では
自分のパターンというものをすごく大事にするという性格が現れると思うんですね。
その性格なので、みんなに現れるというわけじゃないんですよ。
世の中のパターンに合わせて自分の行動パターンを決めていくという感じを持つんですけど
逆転するんですね。
世の中のパターンはもうどうでもいいから俺のパターンでいくぞみたいに
どこかになるわけです。
それってそういうふうに言うと鼻肌変な人みたいですけど
そんなことはないじゃないですか。
なぜかというとある程度まで自分の行動パターンでいきたいじゃないですか。
楽だから。
特に反復行動に無理を感じない人は
自分のパターンでいきたいと思うのは
ごく自然な成り行きだとは思うんですよ。
ただですね、自分の行動パターンと世の中の行動パターンを
マッチさせるという段階において
自分を優先させてしまったらどうしたって気難しくは見えますよね。
その人少し微妙なんじゃないかと思うシーンは出てくるわけです。
もちろん我々は現実に対して自分というふうに見た時に
常に適切な行動ばっかり取れるわけじゃないから
そんなことを言えばですね
どこか逸脱した行動を取るのは当たり前なんですけど
これがパターンとなって現れてくると
つまり同じ逸脱が常に繰り返されるにも関わらず
当人はそれを頑固として変えない。
だから気難しいわけですよ。
この時に気難しい性格というものでは実際にはなくて
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ただ気が済まないから本人はそうしているという風に考えてみるとですね
後半に渡る変質的だったり変質というのは変態的という意味ではないですよ。
こだわるという意味ですね。
あるいは脅迫的であったり。
この二つは微妙に違うんですよ。
あるいはそれこそ無惨自慢的であったり
あるいは一生懸命お礼を言いたがるところであったり
そこ全てに関係してきているというか
すごく反映されてきていると。
これを一つで表す概念は欧米型の心理学には見当たらない。
かなり近いなというのがフランスの精神分析家が書いた本の中にあるんですけれども
一般的にはここまで広範囲なわけではないんですよ。
これ非常に私は興味深いと思うんですね。
つまり例の手を洗うのはやめられないでも
ここに多分治療のと言ったら言い過ぎだと思うんですけど
解決の糸口があるんじゃないかと。
つまりここで急にグッドバイブスなんですけど
ここで許すって話が出てくるんではないかと。
脅迫神経症と許すって話は関係があるんですよ。
だってあのマフベス夫人、血のを洗うっていうのはあれ、許すしかないじゃないですか。
自分で自分のしでかしたことをですね。
相手も死んでるんですからね。
で、許せない限り洗い続けることになっちゃうじゃないですか。
こういうことをシェイクスピアは知って書いたんだと思うんですけれども
許されなかったからみんな殺されちゃうんですけどね、あの劇では。
許すしかないっていうことになかなか至らないと思うんですよ。
なんでドアの鍵を何度も閉めようとするんだろうと。
その心のどこかに何かに対する憎しみとかですね。
親に対する憎しみとか。
おそらく社会だと私は思うんですけれども
そういうものが潜んでいるはずなんですよね。
そういう観点でなかなか脅迫神経症だけ見ると取れないんですけれども
やっぱりこの一言言ってやらないと気が済まないという心情と
鍵をかけ忘れるのを確認しないと気が済まないという心情を
よく観察していくときっと見つかると思うんですね。
お礼が一番わかりにくいんですけれども
一言でもお礼を言わせてください。
そうしないと私の気が済みませんからというのは
多分日本人の中にはですね
お礼を言われたり人に助けてもらうと
自分が対等の立場から転落したという感じを持つんだと思うんですね。
これがやっぱり集団的にはお手等としてなすことの難しさだと思うんだけれども
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人の世話になってばっかりではいけないんですよ。
なぜならば人の世話になるのは当然の集団だから
これはすごくややこしいなと思うんですけれども
ここがお礼と多分違うんですよ。
サンキューというだけじゃ済まないんですよ。
人に頼って生きていくのが当然だという仕組みの中にいるので
頼りすぎてはいけないんですよ、むしろ。
ちょうどよく頼らないといけない。
でもそれって無理があるじゃないですか。
どこをもってちょうど良いとするかなんてわからないですからね。
だから行為にも限度があるという言い方になっちゃうんですよね。
本当はあっちゃいけないんだけど
人間やっぱり完全じゃないんで
あるいは和を持ってって言っても
みんながみんなそのことをがっちり信じてるわけじゃないので
どこかで行為には限度があるって考え方になってしまってるんだと思うんですね。
だから過剰に助けてもらったら
その分きっちりと返さなければ気が済まないということになるんだと思うんです。
このきっちりと返してやらないとというところに
なんかこうちょっと厳密には違いますが
復習的なものが入ってくる。
そうではなくて
行為に甘えておく自分を許すとか
そもそも甘えすぎるということによるバッシングを許すとか
そういうふうにしていくことによって
この気が済まなさというものから
解放されて生き得ると思うんですね。
このお礼はいいと思うんですよ。
気が済まないから頑張ってお礼しますと。
それはそれでいいと思うんですけど
この復習心をそのまま
仕事とかに持ち込まない方がいいと思うんです。
持ち込むじゃないですか。
こうやって喋ってるのを聞いている限り
その真理って理解しにくいと思われるかもしれませんが
私なんか原稿書いててよくわかるんですよ。
そのことの意味が。
ライフハックとかでもあると思うんですよね。
例えばGTDとかでもいいですよ。
誰かがGTDのタスク管理とかの本を書いて
バカ売れしてると。
6万部とか7万部とか10万部とか売れてるというのを見てですね。
自分のGTDの認識の方が優れてる。
何だったら自分はタスクシュートをやっていて
もっと先を行っているというか
効果的な方法を知っていると。
このままでは気が済まないとかってなるじゃないですか。
この言い方はこれに関わったことのない人には
わかりにくいかもしれないんですけども
きっとあると思うんですよ。
そうですね。嫌な話になるかもしれませんが
例えば同級生で
みんなにあんまりリスペクトされてもいなかったような子が
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昔の学校って結構ひどかったから
先生とかまで挙げつらうんですよね。
そういう子が社会人になってすごい体制していると。
奥さんもすごい綺麗で六本木とかに住んでると。
なんか気が済まなくなってくる人って
いても不思議ないと思うんですよね。
それで急に一年放棄して仕事に精を出すとか。
ちょっとピタッとこないかもしれませんけれども
仕事をやる時に
ルサンチュマンを果たすという時が一番燃えるという人って
僕はいっぱいいると思うんです。
そこには現実のパターンと
自分の行動パターンとずれというもの
しかも自分の行動パターンが
現実によって
より良く、より強く、よりインパクトよく
認識されなければいけない
っていうニュアンスがある気がするんですね。
現実のパターンとして
私はこういう風にやっていて
こういう行動パターンで生きていて
こんな風に認識されて
このぐらいリスペクトされています。
でも気が済みません。
私は特別な存在でありたいんだと
何者かでありたいんだと。
だから気が済むまでやる。
そうすることによって
結局それは気が済むまでやるんだから
自己完結しているようだけど
そうではないと思うんですね。
10という認識では
このぐらいで終わってしまうならば
自分は10に常にやると。
でもそれって不適切な行動ですよね。
人が誰もそれを求めていないのに
だから過剰なお礼とよく似てくるんだと思うんですけど
人が誰もそれを求めていないのに
そこを常に超える行動パターンを
自分の中で形成して
だからもっとリスペクトされるように
結果としてなれるはずだっていう
雰囲気が出てくるじゃないですか。
この過剰分というのが
ちょうどルサンチマンに
対応するような気がするんですよ。
カギも同じで
100発100中って
ありえないじゃないですか。本来。
人は閉じまりを忘れることもあるじゃないですか。
火の元栓を消し忘れることも
あっちゃいけないかもしれないが
あるじゃないですか。
つまり現実というのは常に
誰かの完璧主義を満たすためには
存在してるわけじゃないんですよね。
でもある種の人って
そういうのを許せなかったり
ここで許せないっていうのが出てくると思うんですよ。
許せなかったりするんだと思うんですね。
自分は完璧にしておきたいと。
だからどうしても
例えばセキュリティの最新
最先端の技術みたいなのって
30:01
どこか脅迫地味できますよね。
この脅迫は脅す方じゃないです。
繰り返しになりますけども。
家を出た瞬間に自動的に鍵がかかるみたいな
そういう完璧に近づいていく
そういうパターンを求めていきますよね。
つまり力でねじ伏せようという気配が出てくるわけですよ。
何か本当はあらゆるもの
どんなものでもいいんですけど
自然物というのは
完璧な計算机のパターンみたいなものに
絶対に沿ってるわけじゃないのに
それに何が何でも沿わせないと気が済まない
ってことになってきてると思うんですよ。
でもこれを最先端の技術とかじゃなくて
手でやるということになるとですね
結局何度も何度も反復して確認する
というようなことにしかならないはずで
前に藤本真晴さんってもう亡くなっちゃった
私好きだった絵を描く漫画家さんがいたんですけど
大変面白いのがあってですね
ガスコンロの船や閉じまりはちゃんとしたでしょうか
っていうのがすごい気になるので旅行に行けないんですけど
今回は絶対大丈夫。ビデオで撮ってきたからと
ビデオで撮って閉めましたねっていうのを全部撮るんですね。
ところが飛行機の中でうたたにして
不吉な夢を見るんですよ。
小人が部屋の中に登場して勝手にガスコンロの
船を回し始めてですね
家が火事になると。なんかこう某人間みたいな小人が
わーって出てきてですね
これはものすごくよく描けている感じがするんですよね
あれがやっぱりですね、許せないという真理が生むものだと
どこまででも行けるということですよね
完全にオカルトなんだけれども
本人の中ではリアリティがあってしまう
私という話を昔聞いたことがあります
物理の先生か。物理のですからね
先生か何かが
家の中に冷蔵庫があるんだけど
猫が開けてやしないかと思って心配になるんで
ものすごく似てると思いません。その人は間違いなく
気が済まないタイプだったし
非常に脅迫的なところのある先生だったんですけれども
なるほどなと今思うと
つくづくああいうセリフってやっぱ
よくインパクト強く思い出させる。猫が冷蔵庫を開けて
その中のものを勝手に漁って
やるかもしれないです。猫だったらね
だから自動鍵付きの冷蔵庫とかを
その後買ったような話も聞いたんですけど
要するにそういうことなんだと思うんですね
あってはならないと
現実に対して自分の思いを
かぶせていくみたいな感じのこと
それがやっぱり仕事とか
贈り物とかそういうところに
現実に現れる。そのことを私たちは
気が済まないと言うんだと思うし
実際に気が済まないという心理に相当するものを
我々は意識するんだと思うんですよ
33:00
これは結構
日常用語じゃないですか
だから私大変良いと思うんですね
常に病気とは限らないと思うんですよ
全部これを脅迫神経症と言ったらおかしいですよね
一言言ってやらないと気が済まないとか
っていう言い方をするとき
あれは分かりやすいと思うんですよ
この心理がどの程度ですね
本を書くときとか
私の場合に昔何度かやってしまったことがあるんですよ
一言書いておかないと気が済まない
絶対良くないんですね。面白いことですよね
これは決して良い結果を生まないということを
学ぶんですよ
物書きはね。少なくともこの心理だけで物を書くと
良いことは起こらない
書いたときはすごく良いものが書けた気がするケースも
結構あるんですよ
熱入れて書きますからね
私はその経験が何度かあってから
情熱を込めれば良いってものではないし
やる気に満ち溢れたまま物を書けば良いという風なことは
決してなくてですね
意外と
それこそ燃え上がらずにですね
情熱いっぱいで書かないという
精神状態でも書けるというのは
大事なことだよなと思うんです
自分の気が済むまで
自分が気が済むように物を書いたり仕事をするというのは
まずいことなんじゃないかなという風に
まずいというのまでは言い過ぎかもわからないですけど
そうじゃない部分が
そこに優勢じゃないと
あんまり良くないんじゃないのかなというか
優勢でありたいかなという感じがします
そういう時って
平安だと
あまりに心が平安だと
あまりに心が平安だと
あまりに心が平安だと
昨日のグッドモーニング・ワイブズが
撮れなかったようなことになり得るような気もするんですけど
それはそれで良いと思っておいた方が
健全なんじゃないだろうかという気がします
35:26

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