昨日は出かけなきゃなんなくて、奥さんも早々に出かけなきゃなんなくてで、いろいろバタバタしてて飛ばしたわけですが、
今日は一段落したのは昨日の夜だったんでね、とりあえず。
また今日も新幹線の動向等をチェックはしているんですけれども、非常にこう、
それにしたって自分のところはね、ここ震度3だそうなんだけど、かすかに揺れたかな、みたいな感じはあったんですけどね。
そんなに巨大って感じの、ただ関東の方ではやっぱり、東京とかでしょうね、いわゆる長い揺れがあったっぽくて、
マグニチュード7ですからね。
なんかもう本当にいろいろ起こるなぁと思いつつ、全然関係ない話を、
今日もまた安定的に関係のない話を極少数の方と共有させてもらいたいと思うんですけど、
えっとですね、成田芳博さんという方の本を前々からずっと読もうと思っていて、ようやく読んでみて、
もっと早く読んどけばよかったなぁと思ったんですね。
この、なんていうんですかね、私は先方にとってはご迷惑なんだろうと思いつつ、
基本的に頭の中では2軸プラス2軸っていうのがありまして、
つまり松木邦博さんと藤山直樹さんが2軸で、プラス2っていうのが東方海人さんと山崎孝明さんなんですね。
私は精神分析っていうのは結局、これは藤山さんと松木さんがいなければ多分一生わかることはなかっただろうなという点で、
理解するためには絶対的な存在みたいになっちゃってですね。
プラスただ精神分析というのはなんとなくはわかったと、
フロイトが書いてあることを読めば少なくとも楽しめるようにはなり、
堂井滝男さんの本も別に甘えの話が書きたかったわけでもなんでもないということぐらいはわかるようになり、
小野木慶吾さんの後半の本もどれを読んでも何がベースにあるか、
つまりこれがわからなかったんですよね、何度も言ってますけど。
何がベースにあるのかがよくわからなかったんですよ。
だから表面的に読むと、なんか親子ちゃんと子育てしようね論みたいな、
それもすごくうがった見方をしているちゃんと子育てしようねの話を読んで、
意味がよくわからん、ていうか面白くないなって思ってたんですけど、
あれが抜群に面白くなるようになる。
甘えの講座は甘えの講座で、なんか国語論みたいになっちゃってて、
僕の頭の中では、甘えっていうのはそんなに深い意味があるんですね、
なんかこうある意味富山茂子さんとかの話を読んでいるのと何ら変わらない視点で読んでいて、
面白かったけど、国語の現代文の問題に出てきたら嫌だっただろうなみたいな感じ、
なんかうーんと考えてるし、時間がどんどんなくなるみたいなね、
そういうことを思わせるような読み方しかしてなくて、
二度読むもんじゃないなみたいなね、と思ってたんだけど、
実はそういうのでは全くなかった。
教えてくれよって感じなんだけど、教えてくれるはずはないんですよね。
その構造がなぜ教えてくれるはずはないのかと、
なぜ精神分析というのはこんなにある種の文化の下敷きになっているにも関わらず、
誰もそれについて触れることはないのかと、
そして精神分析って何なんだっていう話をですね、
理解するのに山崎孝明さんが、僕の中では必須だった。
なんか現実の日本とは繋がってなかったんですね。
日本語で書いてあるなんか不思議なカルチャーの、
なんていうんですかね。
世の中には不思議なゲームをやってる人っているじゃないですか。
例えばプロボーラーっているじゃないですか。ボーリングの。
でも私プロボーラーに会ったことってないんですよ。
なんか超有名な伝説の人いたじゃないですか。
中山律子さん。顔も名前も顔も知らないんですよね。
だけど名前だけ、長州力とかってそうじゃないですか。
僕のような世代にとっては。
絶対力道さんとかね、名前は知ってるんだけど、
知ってるというのとは違う気がする。
ある意味あれですよね。
徳川家康とかとあんま変わんないわけですよね。
力道さんと徳川家康違うけど。
でもアイコンとネームバリューはがっちりあるけど、
その人は歴史上の存在であって、
リアルにいた感じを本当の意味では抱いてないみたいなね。
なんならあれですよ。
なんかこう、アイヌの大乱を起こしたコマ社員とかいう人がいたみたいな。
それって一応日本陳太っていうようなことで、
歴史上の人物でもあるんだけど、
でももうなんかアイコンみたいなもんじゃないですか。
知ってる人は知っていますみたいな。
あの、そういう感じで、
中山律子さんとプロボーラーの世界が世の中にあったらしいみたいなね。
そういう感じなんですよね、精神無敵って。
そういう感じだったんですよ。
今もあるっていうのが信じられないというか。
それを山崎孝明さんの本ですごく整理されて、
なんで日本では臨床心理というものがあり、
かわいはやおっていう人がいて、
でもなんか精神分析とはなんかちょっと違う感じがして、
ゆんぐゆんぐ言っていて、
なんかこう夢の話ばっかりしていて、
箱庭療法とかおもちゃとか、
やっぱなんか子供の世界のファンタジーみたいなね。
現実離れしていて、
どっかではそれが行われているらしいが、
とても不思議な気がするっていう感じだったのが、
いきなりガッと現実になって、
だって山崎さんって会うことも喋ることもできますからね。
戸畑さんも会ったり喋ったりしたことはないんだけど、
公演で目の前で見たことはあるというね。
ちゃんとこの人は生きている人だなみたいなね。
だって私藤沢直樹さんとか結局見たこと、
見たことはYouTubeではあるんだけど、
そういう野球選手見たことあります?
みたいになっちゃうわけですよね。
そうではないんだということがだんだん分かってきて、
成田さんの本とかを読んでも、
一読してすぐに何書いてあるのかは分かる、
まあ基本的に言うと精神病水準というものは、
どんな人にもちゃんとあるっていうか、
卒業したりなくなったりはしないっていうか、
そういう言い方になるし、
メラニー・クライン的に言うとPSポジションっていうのは
ポジションだから、そのポジションを人は一生取ることがあるのであって、
そのポジションから卒業したりすることはできないんですよって言ってるのと、
基本的にはそういうことを、
普通の日本語で言うと、
一生母親の愛着を求めるものである。
まるでいいんですよ。
で、だからビジネス心理で、
これが困った時にはですね、
ここに手を当てれば、
何回上手くいくのではなかろうかっていう観点をまず持つこと。
この観点を全然持たないと、
朝起きられないんだったら、
グッスミンとかの夜飲みましょうみたいな話になって、
母親供給とかが考慮に入れられないのか、
あるいは薬になってしまうのか、
それは分かんないですけど、
つまり哺乳瓶が薬状態になっちゃってるっていうことなのか、
そこがちょっとどっちと取るべきなのかってなるんだけど、
とにかく観点は必要だろうと。
で、ちょっと先日もチラリとお話したと思うんですけどね、
あの、すいません。
メンタリストダイゴさんのお話が
3カ月チャレンジの参加者さんから出て、
私もちょっとこう、
電子ブックのサンプルとかを読みながら、
一つ入手したり、
昨日たまたま純駆動に行く機会があったんで、
純駆動で立ち読みしたりして、
すげえ力動的に見えるわけですよ。
だから3カ月チャレンジで、
ダイゴさんをみんなで読みましょうとかはしないですよ、私は。
そういうことはしないけど、
だからつまりですね、
どこから入っても、
全部が全部にこれを適用しなければならないとは思わないんですけど、
でも、どこから入ってもそれが見えてくるって大事なのかと思うんですよね。
ダイゴさんは、自分は好奇心が旺盛で、
そういう価値観に沿って、
いろんなことをやってらっしゃるし、
いろんな新しいものに、
ライフハッカーっぽく、
ライフハッカーじゃなくてメンタリストなんだけど、
ガッと飛びつくじゃないですか。
好奇心が旺盛だっていう。
パッと思い出すのは松木くにひろさんがですね、
YouTubeの中でやっぱり、
好奇心は猫を殺すって言葉を引用してるわけですよ。
好奇心というのは、
これはカワイハヨウさんがやっぱりかなり早い段階で
すごい強調されてたんだけど、
危険なんですよ。
トルーデさんのところに行っちゃった女の子が、
トルーデさんに棒に変えられて、
薪にされて、あっさり薪ストーブになっちゃったわけですよ。
つまり焼き殺されるわけですよ。
好奇心があっただけなのに。
なんでかというと、
だって私はやっぱりジャックと豆の日のジャックなんですよね、
好奇心といえば。
好奇心というのは男の子が父親になるときには、
非常に役に立つことがある。
あのヘルメスの神話が、
やっぱりそれに結構近いなと思うんですけど、
要は、
だってジャックと豆の日は、
すげえ豆面白そうだからって言って、
牛と変えてお母さんに怒られて、
で、そのお母さんが豆を外に放り出したら、
天井まで伸びてるから、
それにあの先どうなってんのかと思って、
何も考えず登っていく。
非常に好奇心旺盛で、冒険的で、
いい少年なのかもしれないけど、
アホじゃないですか。
豆がどこに繋がってるかわかんないから、
とりあえず登っていくっていうのは、
つまり、この道どこに繋がってるかわかんないけど、
超ヤバそうなところに行ってて、
面白そうだからどんどん歩いていく、
っていうような人じゃないですか。
で、その先にいたのはやっぱり超ヤバそうな、
人の子供が食事だって言っている夫婦なんだけど、
すぐに帰ればいいのに、
その家に忍び込むわけですよね。
そして、でもそこに行くと、
金の卵を産む面取りとか、
要するによからぬことをやってるわけですよ。
絶対に。
で、そのよからぬことをやってるのを見て、
それを掠め取って帰っていくというね。
これが好奇心が猫を殺す理由ですよね。
下手すると、もうとっくにサンドイッチになってますよね、
ジャックは。
彼は下手を打たない人だから、
成功者として、ある意味では悪いお父さんに
その後なっていくわけですよ。
綺麗な女の子と結婚してましたよね。
綺麗な女の子はどこまで何を知ってるのか知りませんけれども、
ジャックは少なくともサンドイッチにならずに、
その後、たぶん将来人をサンドイッチにするような方法になっていく可能性が高そうですよね。
これは好奇心が猫を殺す大きな理由ですよね。
つまり自立の話をしてますよね、これはね。
だから好奇心というのは自立心なんですよ。
だいごさんが、私は好奇心がおせいですというふうに本で書いていらっしゃるということは、
そういうふうに、これはだからそういうふうに読めって話ではないし、
これが正解ですって話ではないんだけど、
そういうふうに私が読むと読んでしまうということ。
これがそしてビジネス心理支援では欠かせない観点だということなんですよ。
人は、例えばお父さんに、
あるいはお父さんに、あいつ金の卵を埋めどり抱えているくせに、
なんかこっちにはなんかね、なんかしょぼいものしかくれずに、
なんか鞭打ってくるよねっていうのが面白くなければ、
そのお父さんの金の卵をちょっとかすめ取ろうとしたりするわけじゃないですか。
会社とかでは普通にいくらでも行われていることだと思うんだけど、
でもそれに失敗してやべぇ、なんかもうこれは大変なことになったっていうことで、
すごい引きこもったりするわけじゃないですか。
これがビジネスメンタルだと思うんですよね。
当然これは虚勢不安の文脈で理解できるわけですけど、
このもう虚勢不安には、昔は男の子だけが参戦していたかもしれないけど、
今はもう男女揃って一斉に参戦して、戦いがますますヒートアップしているわけですよ。
もう虚勢しているのも女性だし、されているのも女性だし、
何がなんだかよくわからない状況なんだけど、
とにかくもうみんな金の卵を産む面取りを探すために必死になっているわけですよね。
だから途中の段階で、いろんな人がサンドイッチにされたりしているわけでもあるわけですよね。
そういう世界の中で大変な目にあっている、虚勢不安で恐れおののいている、
自分サンドイッチにされるの嫌なんだけど、金の卵もいるんだけどって言って葛藤されている方の支援が
ビジネス心理研なんですよ。でもあるわけですね。
こうしていくうちに、もちろんだからいざとなったら素早く逃げられるようにスピードハックスとかそういうのが役に立ったり、
もたもたしていると何が起きるかわからないから、25分だけ仕事をして5分だけさっさと休憩するっていうので、
どんどんどんどん先に先にと、結局あれはアーリーリタイアって時流行りましたけれども、
そういうことであって、早くこの過剰競争から抜け出さねばということで、みんな必死になっているから、
人の3倍とか人の5倍とか、プレゼンの資料は1秒でAIに作らせるとかそういう話にどんどんどんどんなっていくんだけど、
みんながそれを使うんで、一向にここから抜け出せる気配だけはないっていう事態もある意味続いているわけですよね。
で、疲れますよねそれはね。例えば、例えば疲れる。
で、クライゾンのケイゾーさんという方がグッドバイブスみたいな話をされていて、ここから話がならっと変わってみたりするわけですよね。
いや、人はそもそも疲れないんですみたいな話をしてみたりすると。
つまり何を言ってるかというと、いろんなアプローチがあると思うんですけれども、
例えば、根本的に人は疲れないっていうそういう宗教的な話をここに入ってきたりするというのは、
今も昔もあまり変わってないわけですね。
ああいう仏教的な話をされる方が出てくる。
しかもそれを、その今の下等教祖みたいな傷つきに直結させるという発想を、
だから非常に革新できたエポックなんですよ。
エポックメイキングって言うんですかね。
疲れるということに対しては疲れないっていう、そういう悟りみたいなものが入ってくるわけですよ。
そんなこと言われてもみたいな話に当然なると思うんですけれども、
この母子関係にしてもメタファーにしても不適応行動というものは、
もともと母親の愛着を一生求めるからなんだみたいな話をするにしても何にしても、
私たちって結局、傷ついて疲れているとか、下等教祖で傷つきまくっているとか、
あまりにもその先が不安だとか、さまざまなお悩みが発生するわけですけれども、
それに対する対応の仕方というのは、対応の仕方っていうのをまず大体の人は求めるから、
例えばビジネス書を読むみたいな話になるという感じからスタートするわけですけれども、
それが結局、ある種の観点を強いるんですよ。
強いるんですよ、多分。
強いて、強いられているんだと思うんですね。
例えばここでお金を一気に儲けるとか、例えば仕事が早くなる、
極端に言うとですね、仕事が絶対早くなる錠剤みたいなのがあるんだったら、
皆さん飲むと思うんだよね。
ここで聞いてるみんなが飲むって話じゃないんだけど、めちゃくちゃ売れると思うんですね。
その順九堂さんに行って、真っ黒いカバーで、なんとなくイメージがついたんだけど、
広辞苑くらいの雰囲気で、AIの答えを出させる考え方となんとか方みたいなシリーズで、
ずらーっと並んでて、面立てですよね。
30冊くらい面立てされてて真っ黒ですよね。
なんかこう、「おお!」って感じがしたんですけど、しかも6万部突破。
この時点みたいなのがもう知らないうちに、私は知らなかったんだけど、
6万部突破なんだっていうね。
当然、中あんまり見るというのも規制を削がれて、それこそ虚勢なんだけど、
開けたいという気持ちにもなかなかないので、ちょっと開けたらプロンプト時点に近いわけですよね。
これをAIに要約させたいんですけどって、めちゃくちゃ僕なんか思っちゃったんですけど、
全くあれを持ち帰るというモチベーションすら私にはないなっていう感じがしました。
で、やっぱこう大変なんだな、人生っていうか、このビジネスマンの置かれている心理状態って大変なんだなって、
なんかこう、巨大な不安って感じがするじゃないですか。
これを叩き込まなければこのAI時代に置いていかれるんだぞっていうですね、
6万部が一瞬じゃないですか。
私もあれは本当にまさに札束をするというのはこのことだっていうか、
まだまだ本の世界はやりようがあるらしい、ビジネスという意味ですね。
やっぱりこれだったら疲れ、本質的にはそこまで疲れることはないはずだみたいな話の方が、
まあ優しいという点では優しいですよね。
考えてもこの真っ黒い、ほぼ真っ黒い本、なんか哲和霊みたいな本はやっぱりなんかこう、
我々の置かれかねない心理状態、
これはやっぱりそれは母親の愛情を求めて泣き叫びますよね。
そういう気持ちになるよっていう感じがします。
千代さんみたいな話とはちょっと違うように私には思うんですよね。
やっぱり怖さっていう方が私にはしっくり。
だってあの、私だったらその本を見た時のその、
まあ確かに強い感じもしますけど、やっぱりこう怖い感じがしますよね。
で、私は一貫してなんだなって思ったのはですね、
まあさっきの疲れないでもいいんですけど、
でも私はタスクシュートから入り、それこそGood Vibesというお話も経由させてもらって、
明らかにそこを通ってきているわけですね。
で、今しがたは精神力堂みたいな3ヶ月チャレンジをやっていて、
最近すごくAIを使ってるんですよ。
AIを使ってそのチャレンジをやってるんじゃないですよ。
AIを使ってるんですよ、それらとはまた別に。
タスクシュート×AIっていうのが2025年後半に出てきて、
今度そうだ、これのCM、13日に総決算やるから来てください。
AI×タスクシュートということで、その専門家のお話を聞けます。
私じゃないですよ。
で、私はAIを生活に使ってる、生活に使ってるというか生活を共にしてるんですよ、AIと。
ここに私は多分全勢力を注いでいて、
あそこにあったこの黒い感じと全く私のAI感はほぼ真逆なので、
やっぱり私は何かが、何か主流というところとは相入れることができないらしいって思ったんですけど、
私は結局でもある意味一貫していて、
タスクシュートもそうだし、グッドバイブスはもちろんのこと、
精神力度は母子関係ですからね、心のコアに見るものが。
母子関係だけではないけど結局親子関係とか、
だって心のコアにそれがあるのはおかしくないじゃないですか、
遺伝的に見ても。
記憶の一番奥底にそれが入ってるわけですからね。
親との関係が良くも悪くもそこにベースとして入っちゃってますよね。
言葉って親からボゴって言いますから、
言葉ってやっぱり親から聞くものなので、
聞くものですよね最初は間違いなく。
だからその親の言葉というものがやっぱり心のパーツの一番コアのところに入ってると思うんですよ。
もちろん私ぐらいの年齢になれば、
それだけでできてますなんてことはあり得ないに決まってるんだけど、
一番コアのところにそれが噛んでるのは確かだとは思うわけですね。
母子関係、親子関係、もっとおじいちゃんおばあちゃんとの関係だったと思うんですけど、
あるいは兄弟の関係。
そういったものがあるのもやっぱりタスクシュート、グッドバイブス、それも全部生活なんですよ。
最近このことよく言うんですよね。
生活に手こ入れしましょうという話を。
タスクシュートが一部の人に強烈に刺さるのは生活に手こ入れするっていうのはばっちりうまくいくからなんですね。
それがそんなに有効なのは生活があまりにも破綻しかけているケース。
破綻しちゃってたらタスクシュートじゃ歯止めが効かなくなるんだけど、
タスクシュートで手こ入れすることによって生活時間がほぼほぼゼロになり、
もう会社で寝泊まりしますみたいな。
なんなら会社に寝袋ありますっていうようなことになっていっていると、
家への生活ってほぼなくなってるわけじゃないですか。
この話前もちょっとしてるし、
多分2026年私がしていくのはこういう話になるんですが、
ところが生活ってものがあるんだと、
かかる時間が最低でもあるんだと、
そして改善の余地はいくらでも生活についてはまだまだあるんだと、
なぜなら今まで育つにあたって放置してきたからそうなんですよ。
そうするとタスクシュートが生活というものを整えてくれるわけです。
それも長寿が的に、つまり親的に整えてくれると。
これがビジネスというかその人の仕事も立て直すことになるんですよ。
なぜなら生活は仕事の必ず基盤になってるからですね。
だから私のタスクシュートのアプローチは3ヶ月チャレンジのアプローチとよく似てるんです。
ビジネスで最初入っていらっしゃるんだけど、
スピードハックスとか3倍仕事時間がどうだったらこうだったらって話から入るんだけど、
気がつくと生活改善に話が移っていて、
でもそれをする余裕を何とかでも見出すことができれば、
その他様々な問題が生活のあちこちには出てはくるわけですよ。
だってそこに人間がいたのがいなくなるんだから、
何か起きるだろうっていう感じです。
ただ元には戻せないと考えたって。
だから私はここにAIというものを入れる。
それって事態を悪化させてるんじゃないのって言われるとある程度そうです。
これ僕の実験なんで。
ある程度はタスクシュートを入れて、
いわゆるAI的な家電、今後家電はAIと結ぶと思うんで。
つまりこれはお母さん代わりを必死になって機械化しているという事態なんですよ。
この事態は必ず進行すると思うんだけど、
あと残る部分をどうやって人間が、
だけど人間は余暇が増えるわけだから、どうにかできるだろうと思うんですよね。
つまり意向対象というものは大体ものになっているわけですけれども、
例えばぬいぐるみだとどこまで代替できるかとか、
教育テレビならどこまで代替できるかとか、
そういうことを我々は壮大な実験としてやってるんですよ。
でもできないところは必ずあるはずで、
このできないところは人がやるのは、
だから本当はもっと冗長性を持って、
人がもっと介在できればいいんだけど、
それができない最大の理由が、
ビジネスがめちゃくちゃ過酷だってことなんですよ。
みんなが虚勢不安を恐れに恐れていて、
テツアレみたいな本がみんなが読むようになって、
読むのか知りませんが、
少なくとも20年ぐらい目立てになる時代だからこそ、
やっぱりみんなそっちにエネルギーを注ぎたい。
やっぱりお母さんやってる場合じゃないわけですよ、男女とも。
特に女性側もテツアレのような無双をしてですね、
男性と何ら変わらないと言いますか、
あるいはそれ以上になって、
みんなで鎧を着て、
鎧を着ちゃったらヨーロッパの鉄の鎧みたいなもんで、
男も男もないですから、
みんなが鎧を着てガチャガチャの世界に入ったから、
やっぱりお母さんやってる場合じゃないなっていうことで、
お母さんいなくなったと。
男であれ女であれですよ。
いわゆる今は夫と書いて主婦っていう方も、
でも増えませんもんね、やっぱりね。
なぜ増えないかは、ある程度男性がこれをやるのを、
依然として嫌がってるっていう部分もあるんでしょうけれども、
慣れないことだしね。
でも私はそれよりも遥かに、
昨日の鉄破霊的な本が、
みんなが読まなきゃならないと思ってる段階では、
やっぱりこう、本沸かしたお母さんやってる場合じゃないと、
人々が思ってるよねっていう感じですよね。
そこを相当部分じゃないんだけど、
そこを非常に手薄ながら、
ある程度汚名にかかっているのが、
私は心理臨床だと思うんですよね。
心理カウンセリングだと思うんですよ。
いろんな意味で。
しかしこれが、そんなにお母さんお母さんやっててはいいんだろうかっていう問いが、
ここにまで入ってきてるんで、
ここは行動を直すみたいなことになりかねないわけですね。
なかなかここで母子関係とか言わなくなってるわけですよ。
ここであったとしてもということですね。
ただしここには伝統として残るだろうと。
結局人間は全人類が、
成田三流に言うならば全人類が、
この母親を求めているということであれば一生なくせないじゃないですか。
結局行動をきちんとするっていうのは、
そこに母親性がいらないってことをある意味意味しますから。
朝ちゃんと起きて電車に乗って、
これ行動ですからね。
行動行動行動なわけですよ。
お金を儲けるというのは、
その母親の活動機能をしている部分を、
ものによって埋めるために、
よりお金を使うっていう話をしてるわけで、
これも母親をなくす方向に動いてるわけですよね。
なくても生きていけるという。
だから誰も母親役をやらなくていいんだってことを言ってるわけです。
で私が情緒って言っているところにAI、
つまりAIを生活に投入するってのはそういうことなんですよ。
仕事にじゃなくてね。
私は仕事にてこ入れして仕事は良くなるとは思わないので、
てこ入れは常に生活にかけるっていう方向で注目してるんで、
ただしここから母親をなくしてしまわないこと。
何らかの形でその家その家のパーソナルな条件にあった形で、
ぬいぐるみであれなんであれですね。
もふもふAIみたいなのでもあれなんであれ。
母親らしさというものを多くあればあるほどやっぱりいいと思うんですね。
だから冗長性だと。
お父さんがやっても全然いいんですよ。
冗長性というのはつまりその分お金は稼がずに済ませるってことですよね。
この成田さんは途中のコラムと称して実に面白いことを書いてるんですよね。
電話相談とかコンピューターのメールで2014年の本ですから、
すでにそういうものは全てがあります。
AIはない。
相談を受けるようになったと。
これで今後精神分析はどうなるのか伝える一方だろうとあっさり書いてあるんですよね。
さすがに1941年生まれの人だなと思うんですよね。
あとこの人は率直にスパッと書いちゃえって感じがしますからね。
で自分のようにパソコンに触ったこともない、触ったこともないんだと思ったんだけど、
この原稿も手で書いてる。
手で書いてるんだと思って。
こういう人間は無用の長物になるはずだと。
でももうすぐ引退だから私は多分いい時にお辞めになってよかったですねと言われるんだっていう風にコラムを締めてるんだけど、
まさにそういう書き方をそういう風に書く人なんですよ。
でも私はそうは言ってもなくならないんだよなきっと。
だってニードが完璧に残っちゃっていて提供でききらないんだから。
残るはずなんですよね。
もちろん衰退はするでしょう。
あの命の電話とかをすでにあるってこの人が書いた、成田さんが書いてる通りです。
それが2014年の状況。
現代はAIがここに入ってきている。
そしてすでにそのイギリスの、これもなかなかえぐい実験、えぐい研究だなと思ったんですけど、
すでにコンピューターが相手をした方がAI的なものがイギリスにすでにあったんでしょうね。
中断は少ないと。
つまり中断が失敗ですからね、精神分析においては。
で、成田さんはそれは当然であろうと書いてるわけですよ。
なぜかというと、AIとかコンピューターの失敗が少ないというよりも、
AIやコンピューターに対して人は恥の概念を持たない。
つまり恥ずかしいと思わないから中断しにくいんだと。
で、私はこれも実に最もだし、いかにもこのあっさり言うらしい、
あっさり言うこの人らしいと思ったんだけど、
同時に思ったのが、でもだから恥の概念を例えば克服したいという人には、
AIでは役割としては不足していると思うんですよね。
だって転移逆転移で、まさにそんなことは全然成田さんは念頭においてないはずないんだけど、
転移逆転移で羞恥心というものを克服するトレーニングがそこに入ってるはずじゃないですか結局。
もちろん相手がAIでも人によっては恥ずかしいと思っちゃうと思うんですよ。
こんなことは書けないみたいな。
しかしですね、やっぱそこは結局相手は読んでないわけですから心では。
だから人に対するより、AIに対する方がどんな人であっても恥ずかしいと思う気持ちが少ないこと。
ほぼゼロであることはもうほぼ確実なわけですよね。
だからいいんですよ中断しないという意味ではその通りだと思うんだけど、
それが身体的にもう記憶に紐づいてしまっていて身体的な痛みもあるんだろうと。
そのことに気づいておいて、自覚すればするほど
周知心というものを対人関係の中で感じることも
コントロールという言い方をしてたね、AIは。
コントロールが少しでも効くようになってくるはずだっていう。
これは答えとしては相当レベルが高いと思うんですよね。
今後このレベルがさらに100倍、1000倍と飛躍的に上がっていけば
想像もできないレベルでAIの答えというものが
私の情緒に刺さってくるのは確実だと思う。
その分、カウンセリングの仕事を奪っていく面も間違いなくあると思う。
ただし、私がAIに周知心を持ってないのは確かであって
同じ話を人にするのとAIにするのとでは
こっちの心持ちは断然違う。
だから良いというのが成田さんの見立てだし、そうなんだけど
だから克服できないんですよ、やっぱりAIでは。
なかなかね、このこと一つとってもですよね。
答えはAIの方が優れているんだけど、間違いなく今後そうなるんだけれども
だって人間こんなに覚えておけないですもん。
いきなりビオンはこう言っていますとか言って
次の瞬間にはセオラックはこう言っていますみたいなのが
バリバリバリバリ出してくるんで、しかもそれが的確なんでね。
だけど答えが的確かどうかということは
恐怖を克服することに必ずしも直結しているわけじゃないんですよ。
高いところが怖いのはなぜなのかどういう基準なのか
どういうプロセスでどうすればいいのか
全部AIの方がより良い言葉でより的確に
だからこれは決して侮れないんですよ、この話は。
ただし、だがしかし高いところが怖い。
こういう時に高いところの怖さということになると
そんなに差はないかもしれないけど
最初のやり取りする怖さにおいては
全く訓練になっていないという面は拭えないと思うんですよね。
もちろんそこを感じさせてくるAIみたいなのが将来出てくると思うんです。
姿形を持ってたりしてね。
しかしそれは運用上のリスクもでかくなってくるし
それはより洗練されてて適切であれば
ベターであるとは言い切れないような気もするんですよ。
実際成田さんは、成田さんとか言って山みたいですけど
心理療法の中でちょっとこの辺独自だなと思うのが
例えば境界内の人に向かって
私は主にお感じでいるのと言っちゃいなさいみたいな
すっごいこれはじょってますよ。
ものすごい色々なことを検討した上でそういう風に言うんだけど
これは一理あるとは思うんですけれども
やっぱりこれは独自だなって思うんですよね。
あくまでも解釈をするっていう方が主流じゃないですか。
あなたは今不安を感じてるんですねとか。
でもそういうこと言われると腹が立つじゃんみたいな。
それもそうなんだけど。
でもそんなことはもはやお互い分かりきってると思うんですよ。
お互いっていうか全ての精神分析家は十分そこは
少なくともトップクラスの人がそんなこと考えてないはずないと思うんですよね。
でも私は正直言って負担になってますっていう
正直に言ってそうならばそれはそれでありだとは全然思うんですけれども
でもそれを教会例の人にも言うんだみたいなのって
やっぱり一つの新しい流派に近いな。
しかも私を守護にするんだっていう。
それって解釈ではないと思うんですよね私は。
それも解釈だっていう考え方も
無理やりやればできなくもないような気もするんですけれども
やっぱそれは解釈なのかなっていう感じがしますよね。
分断が教会例となっている人に向かって
それを私は負担になってきています。
正直これ以上は難しいけれども全力を尽くしたいです。
それもすごく本当にそういう人が誠実にそれを言うっていうのは
何か破綻をここでしてしまってもしょうがないと思って言うっていうのは
ある意味可愛早が言うところの転換するときに
影が露呈するみたいな話になっていてすごいなと思うんだけど
精神分析じゃないんじゃないんだろうかという
精神分析がすごく伝統的にそれを採取できたのは
やっぱりあなたはを守護にするべき理由がある。
私はと思いますあなたはの形を取ることによって
あなたに対してあまりにも衝撃を強くしすぎるのを避けるっていうのはあると思うし
もっといろんな言い方ができるとも思うんですよ。
条件もタイミングも全てですね。
この辺だとやっぱり説明しきれてないような気がするんですよね。
誰であったとしてもでもやっぱりそれは
ベテランだからこう言っていいとかじゃないと思うんですよ。
かつてはこう言ってうまくいったんだしこれでいいって話じゃないと思う。
場合によってI feelっていう方が大事だっていうのはそうだと思うし
You feelじゃなくてってことですよね。
I think you feelだと思うんですけど私はやっぱり
でもこれは英語ですからね。
英語だと今みたいにスラスラと語順的にね。
私の英語がスラスラって意味じゃないですよ。
語順的にこれはスラスラだなと思うんです。
I think you feelっていうのはね。
でも日本語はこうが使えないんですよね。
そういうことも加味してやっぱりどう伝えるかあるいは伝えないのかっていう
正直にとか誠実にっていうのはもうある意味当然だと思うんですね。
さらにそれを上をいって
でも例えばですけど教会例の人に重荷を感じるのは当然じゃないですか。
だから私は重荷を感じるんです。
しかしそれを乗り越えるつもりは十分ありますよみたいなのって
普通の人間関係なら全然それでいいと思うんですよ。
十分立派なことですっていう感じがするんだけど
そうじゃないからそれでは済まないよって話をしているのと
加えて私自身の経験を考えてみると
教会でっていう人がいらっしゃったことはないですよ。
そうじゃないんだけどそういうことが問題になって取り沙汰されるときは苦しいんだけど
でも苦しさは重荷かって考えるんですよね。
重荷、確か成田さんは書いてたかな。
正直に自分の心を考えてみた感じてみた時に
これは重荷って言うべきなのかっていう
私は私だったら負担かこれはっていう感じ。
だって正直に言って負担ですって言うからには負担だっていう感じを
確信を相当持ってないとそうでなくてもやばいこと言おうとしてるんだから
負担ですって言うんなら負担とはなんだろうって考えないといけないとやっぱ思うんですよね。