1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 私たちは一生、母親からの愛情..
2025-12-09 59:00

私たちは一生、母親からの愛情を欲しがる【1291】

成田善弘さんの本はもっと早く読んだけばよかった。
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サマリー

このエピソードでは、母親からの愛情が人生を通じてどれほど必要かが語られ、特に精神分析の視点からその重要性が考察されています。成田芳博氏の著書を通じて、愛着の形成とその影響を深く理解することの意義が強調されています。母親からの愛情を一生求め続けることが探求され、特に青年と赤ちゃんにおける愛情の欠如が個人の心理や行動にどう影響を与えるかが語られています。母親からの愛情を求めることが人間の根本的な欲求であり、それがさまざまな行動や心理状態に与える影響について探求されています。ビジネスや生活における過剰競争、そしてそれに伴うストレスや疲れも取り上げられています。成田芳博氏が母親の役割とAIの関係について考察し、現代社会における母親の代替手段としての技術の進歩やその限界について論じます。特に、情緒的なサポートがAIによって代替可能かという問いが中心テーマとなり、心理的なニーズの重要性も言及されています。一生涯にわたって母親からの愛情を求める人間の心理について探求し、AIの進化が人間関係に与える影響、特にカウンセリングにおける心理的な負担についても議論されています。

震災への懸念
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析、第1291回をお送りします。
12月9日火曜日、8時24分です。
昨日、びっくりしましたよね。青森でしたっけ?震度6強。もうそういうことになってるわけですけど、この劣等はちょっとやっぱりびっくりですよね。
6強とか、ごく当然のように一定頻度で来るじゃないですか。
今、身内も東北にいて、東北に身内、割といるんですよ、なんだかんだね。
また今日も、情報収集というふうですかね。
私は官邸とかじゃないんで、そんなことはしませんけど、安否の確認ぐらいは取ったり、必要なことがあれば何かしないとな、みたいな感じなんですけど。
いきなり津波警報とか出ちゃってるし、北海道もなんですよね。
北海道も身内多くて、いろいろと、てんやわんや、昨日の夜中にして、今ちょっと眠いので出遅れているというところなんですけど、
昨日サボっちゃったからですね。サボったわけじゃないですけど、昨日は何かあったんでな。
昨日は出かけなきゃなんなくて、奥さんも早々に出かけなきゃなんなくてで、いろいろバタバタしてて飛ばしたわけですが、
今日は一段落したのは昨日の夜だったんでね、とりあえず。
また今日も新幹線の動向等をチェックはしているんですけれども、非常にこう、
それにしたって自分のところはね、ここ震度3だそうなんだけど、かすかに揺れたかな、みたいな感じはあったんですけどね。
そんなに巨大って感じの、ただ関東の方ではやっぱり、東京とかでしょうね、いわゆる長い揺れがあったっぽくて、
マグニチュード7ですからね。
なんかもう本当にいろいろ起こるなぁと思いつつ、全然関係ない話を、
今日もまた安定的に関係のない話を極少数の方と共有させてもらいたいと思うんですけど、
えっとですね、成田芳博さんという方の本を前々からずっと読もうと思っていて、ようやく読んでみて、
もっと早く読んどけばよかったなぁと思ったんですね。
この、なんていうんですかね、私は先方にとってはご迷惑なんだろうと思いつつ、
基本的に頭の中では2軸プラス2軸っていうのがありまして、
つまり松木邦博さんと藤山直樹さんが2軸で、プラス2っていうのが東方海人さんと山崎孝明さんなんですね。
私は精神分析っていうのは結局、これは藤山さんと松木さんがいなければ多分一生わかることはなかっただろうなという点で、
理解するためには絶対的な存在みたいになっちゃってですね。
プラスただ精神分析というのはなんとなくはわかったと、
フロイトが書いてあることを読めば少なくとも楽しめるようにはなり、
堂井滝男さんの本も別に甘えの話が書きたかったわけでもなんでもないということぐらいはわかるようになり、
小野木慶吾さんの後半の本もどれを読んでも何がベースにあるか、
つまりこれがわからなかったんですよね、何度も言ってますけど。
何がベースにあるのかがよくわからなかったんですよ。
だから表面的に読むと、なんか親子ちゃんと子育てしようね論みたいな、
それもすごくうがった見方をしているちゃんと子育てしようねの話を読んで、
意味がよくわからん、ていうか面白くないなって思ってたんですけど、
あれが抜群に面白くなるようになる。
甘えの講座は甘えの講座で、なんか国語論みたいになっちゃってて、
僕の頭の中では、甘えっていうのはそんなに深い意味があるんですね、
なんかこうある意味富山茂子さんとかの話を読んでいるのと何ら変わらない視点で読んでいて、
面白かったけど、国語の現代文の問題に出てきたら嫌だっただろうなみたいな感じ、
なんかうーんと考えてるし、時間がどんどんなくなるみたいなね、
そういうことを思わせるような読み方しかしてなくて、
二度読むもんじゃないなみたいなね、と思ってたんだけど、
実はそういうのでは全くなかった。
教えてくれよって感じなんだけど、教えてくれるはずはないんですよね。
その構造がなぜ教えてくれるはずはないのかと、
なぜ精神分析というのはこんなにある種の文化の下敷きになっているにも関わらず、
誰もそれについて触れることはないのかと、
そして精神分析って何なんだっていう話をですね、
理解するのに山崎孝明さんが、僕の中では必須だった。
なんか現実の日本とは繋がってなかったんですね。
日本語で書いてあるなんか不思議なカルチャーの、
なんていうんですかね。
世の中には不思議なゲームをやってる人っているじゃないですか。
例えばプロボーラーっているじゃないですか。ボーリングの。
でも私プロボーラーに会ったことってないんですよ。
なんか超有名な伝説の人いたじゃないですか。
中山律子さん。顔も名前も顔も知らないんですよね。
だけど名前だけ、長州力とかってそうじゃないですか。
僕のような世代にとっては。
絶対力道さんとかね、名前は知ってるんだけど、
知ってるというのとは違う気がする。
ある意味あれですよね。
徳川家康とかとあんま変わんないわけですよね。
力道さんと徳川家康違うけど。
でもアイコンとネームバリューはがっちりあるけど、
その人は歴史上の存在であって、
リアルにいた感じを本当の意味では抱いてないみたいなね。
なんならあれですよ。
なんかこう、アイヌの大乱を起こしたコマ社員とかいう人がいたみたいな。
それって一応日本陳太っていうようなことで、
歴史上の人物でもあるんだけど、
でももうなんかアイコンみたいなもんじゃないですか。
知ってる人は知っていますみたいな。
あの、そういう感じで、
中山律子さんとプロボーラーの世界が世の中にあったらしいみたいなね。
そういう感じなんですよね、精神無敵って。
そういう感じだったんですよ。
今もあるっていうのが信じられないというか。
それを山崎孝明さんの本ですごく整理されて、
なんで日本では臨床心理というものがあり、
かわいはやおっていう人がいて、
でもなんか精神分析とはなんかちょっと違う感じがして、
ゆんぐゆんぐ言っていて、
なんかこう夢の話ばっかりしていて、
箱庭療法とかおもちゃとか、
やっぱなんか子供の世界のファンタジーみたいなね。
現実離れしていて、
どっかではそれが行われているらしいが、
とても不思議な気がするっていう感じだったのが、
いきなりガッと現実になって、
だって山崎さんって会うことも喋ることもできますからね。
戸畑さんも会ったり喋ったりしたことはないんだけど、
公演で目の前で見たことはあるというね。
ちゃんとこの人は生きている人だなみたいなね。
だって私藤沢直樹さんとか結局見たこと、
見たことはYouTubeではあるんだけど、
そういう野球選手見たことあります?
みたいになっちゃうわけですよね。
そうではないんだということがだんだん分かってきて、
成田さんの本とかを読んでも、
一読してすぐに何書いてあるのかは分かる、
母子関係の重要性
っていう状態にはなったわけですよ。
2軸プラス2で、
ここまでは来られているわけですね。
三ヶ月チャレンジっていうのは、
一応感覚的に入った力動的な観点というものを使って、
ビジネス心理、主にビジネスメンタル、
メンタルがではなくてもビジネスに絡む
お悩み相談をやってますっていう、
割と本格的に深いところまで、
深いっていうのはつまり、
その人の他ではあんまりしないようなお話でも、
全然普通に聞きますということをやってるわけですね。
成田さんのこの本を読んで、
いや、これはすごくいいなって思ったんですね。
北山正宗さんの本を読んだ時の良さもあることながら、
成田さんの良さは北山さんのとはだいぶ違って、
めちゃくちゃ普通に書いてあるんですよ。
そうだよね、やっぱこういうふうに書いてほしいよねと。
松木さんの本がこうは書かれるはずはないのは分かるんですね。
藤山さんの本もこう書く、
こうでなければいけない理由はないんですよ。
ただちょっと、ちょっとなんだろうな、
臭くせなのかな、凝りすぎ感は時々感じるんだけど、
それはいいんですよ。
だけど、成田さんのはすごくこう、
本当にめちゃくちゃ普通で、
普通に人の相談を聞けばこうなるだろうっていうのが、
でも精神分析がちゃんと下敷きになっているっていう、
そういういかにも真っ当な感じがする本なんですよ。
ある意味、松木さんが普通に書いたらこうなるんじゃないか、
美音とかを書くからああなるけど、
普通に書くとこうなるんじゃないかっていう感じに近いんだけど、
より読みやすいんですね。
何点だろう。
よりある意味、北山治虫さんの方に近い感じが、
これは年代の問題なのかなと思うんだけど。
時々さんちゃれで、
主に相当分かっている方からの質問なんですけど、
そもそもなんでビジネスの話なのに、
母子関係とか出てくるんだ。
結局あれですよね。
小門義平吾さんの本を読んだ時の、
僕の混乱と似てますよね。
精神分析って何?
子育てを穿った見方でするものなの?みたいな、
穿った子育て論なの?みたいな感じがしてたんだけど、
それと似てるんですよね。
なんでビジネスの話なのに、
母子関係なんだっていう話。
でも成田さんって1941年生まれなんですね。
だから今80越えていらっしゃって、
今も戦前生まれじゃないですか。
戦前つっても始まる直前か始まった後かぐらいではあるけど、
戦中派。
でも戦争時代多分4歳とかにしかなってないんで、最大でも。
生きていてとても良かったですってことと、
戦争のことはほとんど覚えてないんではないかぐらいな勢いだと思うんですけれども、
とにかく戦前生まれであることは確かで、
の方がサラッと言ってるんですよ。
人間は一生母親の愛着を求めるものである。
説得力がめちゃくちゃあるじゃないですか。
だって今もう8周なんだから。
一生求めるものであるって言って、
そこに嘘は絶対ない感じがするじゃないですか。
少なくともご本人については。
しかも精神療法やってる方なわけですから、
多分、しかもこの世代の精神分析とかに携わってる人は
絶対元々精神科医でもあったと思うんですね。
多分そうなんじゃないかと思うんだけど。
だからそういうふうに考えると、
いろんな人を結局見ていて、
いろんな人を見てきて、自分自身の経験もあって、
一生人は母親からの愛着を求めるもんなんだ。
以上って書いてあって、
母子関係をなぜ問うのかっていうのが、
これで至って分かりやすいじゃないですか。
ちょっとあんまりここで引用をただ読むって、
面白くないかなと思うんですけれども、
どっかでですね、
なんだっけな。
普通に書いてあるんですね。
ちょっと読みますね。
赤ん坊が母親がお父をくれないので、
手足をバタバタさせて泣き叫ぶと、
母親が気づいて飛んできてお父をくれる。
赤ん坊にとっては手足をバタバタさせて泣き叫ぶことは、
極めて適応的な対処行動である。
ところが青年期になって、
母親から長寿的供給が得られないからといって、
手足をバタバタさせて叫んだりすれば、
体が大きいから窓ガラスを割ったり、
壁に穴を開けたりすることになるかもしれず、
愛情の求め
母親も怖がって寄りつかない。
しかしこの青年の振る舞いは発生的には適応的だったのであり、
今は時代遅れになっただけである。
赤ん坊も青年も母親からの愛情を得たい、
それが得られないのは苦しいと訴えている点では共通している。
このように治療者は、
行動家が患者なりの対処行動であるという視点を持つ必要がある。
すごく普通に書いてあって、
一発でこれでわかるじゃないですか。
なんか青年が飛行してるからといって、
それは赤ちゃんが泣いてるのが、
青年が泣けばこうなるっていうだけだよっていうのが、
えらいわかりやすい上に、
何も難しくは考える必要がないっていう感じじゃないですか。
で、これが一生続くんだある意味ではってことになってくると、
仕事がうまくいかない時に、
一見したところ会社なり社会なりで、
不適応な行動をとっているように見えても、
それはただ赤ちゃんがバタバタ手足を動かしていて、
それ赤ちゃんだった時は適応的だったのが、
時代遅れになっただけ。
時代ってことはつまり、
30年遅れで出てきたら、
ちょっと不適応に見えるだけなんだよっていう話をしてるわけですよね。
これが、
不適応と適応
簡単に言うと、
ビジネスメンタル、ビジネス心理支援と言っておきながら、
いきなり母子、いきなりじゃないんだけど、
母子関係の話をする理由ですよ。
私がですね、
つまり私もこの観点を取るようになって、
そのお好みけいごさんが、
あちらこちらでなぜかこう、
うがった子育て論みたいなようにしか見えないものを、
新書で書いていらっしゃって、
それを読むと。
で、読んで私のような人間が、
精神分析の知識が全くどこにも少しもなかった場合、
かわいい母親を読んでたんですよ。
でも、そういうものと結びつけずに読んだ場合、
なんか奇妙な子育て論を読まされた気がする。
で、終わってしまう。
で、途中でだいたい読むのはやめる。
なんですが、そうじゃなかったわけですよね。
一生を何らかの形で母親を求めていながらも、
それが得られないという辛さを抱えながら仕事をすると、
どういうことが、
それはその人によって出方は違うわけですけど、
青年期になってるから。
泣き叫ぶっていうのは、
赤ちゃんはそれしかできないから、
それ一択にどんな赤ちゃんもある意味個性がないわけですよね。
みんな泣き叫んでるんだけど、
大人になれば泣き叫び方にバリエーションが出てくるわけですよね。
バラエティーに富んでくるわけですよね。
だからある人は壁に穴を開けるのかもしれないけど、
あの、あれですよ。
なんだっけ。
ドコンジョウガエルの娘でお父さん、
つまりドコンジョウガエル描いてた人、
壁に穴を開けてた。
実際殴って。
殴って壁に穴とか開くんですよね。
私は絶対手怪我するだけだと思うんだけど、
あの、ほら、なんだっけ。
昔、大英ホークス、現在ソフトバンクホークスの杉内さんだっけ。
本人の名誉のためにもあれですが、
やっぱり撃たれてめちゃくちゃ腹が立って壁殴るんですよね。
そして手を骨折して、
ふざけんなって言われて、
なんかこう二軍とかに落とされたりするわけですけど、
だって困りますからね、そういうことが起きると。
なんかこう、絶対大事に、
一番大事なパソコンを腹が立ったから
ぶっ壊したみたいな話しかないんで。
ロッテにマスダっていう女性のピッチャーがいて、
似たようなことやってらっしゃったんですけど、
まあでも、そういうことってやっちゃうんですよね。
やっぱりね、人はね。
これは母親からの供給が足りないっていう感じで、
だいぶ説明としてはつくと思うんで、
やっぱりこう泣き叫ぶわけじゃないですか。
だからこれはビジネスメンタル、
メンタルかなと言われるでしょうね。
ビジネス心理と。
だって野球選手の時、野球はビジネスなんで。
ビジネス心理と深い関係があると思うんです。
で、これは成田さんが言ってくれれば、
もう僕が一生懸命頑張らなくてもいいわけですよ。
一生変わらないんだって。
てか、一生その気持ちは残るんだってことですよね。
ビジネスメンタルの影響
まあ基本的に言うと精神病水準というものは、
どんな人にもちゃんとあるっていうか、
卒業したりなくなったりはしないっていうか、
そういう言い方になるし、
メラニー・クライン的に言うとPSポジションっていうのは
ポジションだから、そのポジションを人は一生取ることがあるのであって、
そのポジションから卒業したりすることはできないんですよって言ってるのと、
基本的にはそういうことを、
普通の日本語で言うと、
一生母親の愛着を求めるものである。
まるでいいんですよ。
で、だからビジネス心理で、
これが困った時にはですね、
ここに手を当てれば、
何回上手くいくのではなかろうかっていう観点をまず持つこと。
この観点を全然持たないと、
朝起きられないんだったら、
グッスミンとかの夜飲みましょうみたいな話になって、
母親供給とかが考慮に入れられないのか、
あるいは薬になってしまうのか、
それは分かんないですけど、
つまり哺乳瓶が薬状態になっちゃってるっていうことなのか、
そこがちょっとどっちと取るべきなのかってなるんだけど、
とにかく観点は必要だろうと。
で、ちょっと先日もチラリとお話したと思うんですけどね、
あの、すいません。
メンタリストダイゴさんのお話が
3カ月チャレンジの参加者さんから出て、
私もちょっとこう、
電子ブックのサンプルとかを読みながら、
一つ入手したり、
昨日たまたま純駆動に行く機会があったんで、
純駆動で立ち読みしたりして、
すげえ力動的に見えるわけですよ。
だから3カ月チャレンジで、
ダイゴさんをみんなで読みましょうとかはしないですよ、私は。
そういうことはしないけど、
だからつまりですね、
どこから入っても、
全部が全部にこれを適用しなければならないとは思わないんですけど、
でも、どこから入ってもそれが見えてくるって大事なのかと思うんですよね。
ダイゴさんは、自分は好奇心が旺盛で、
そういう価値観に沿って、
いろんなことをやってらっしゃるし、
いろんな新しいものに、
ライフハッカーっぽく、
ライフハッカーじゃなくてメンタリストなんだけど、
ガッと飛びつくじゃないですか。
好奇心が旺盛だっていう。
パッと思い出すのは松木くにひろさんがですね、
YouTubeの中でやっぱり、
好奇心は猫を殺すって言葉を引用してるわけですよ。
好奇心というのは、
これはカワイハヨウさんがやっぱりかなり早い段階で
すごい強調されてたんだけど、
危険なんですよ。
トルーデさんのところに行っちゃった女の子が、
トルーデさんに棒に変えられて、
薪にされて、あっさり薪ストーブになっちゃったわけですよ。
つまり焼き殺されるわけですよ。
好奇心があっただけなのに。
なんでかというと、
だって私はやっぱりジャックと豆の日のジャックなんですよね、
好奇心といえば。
好奇心というのは男の子が父親になるときには、
非常に役に立つことがある。
あのヘルメスの神話が、
やっぱりそれに結構近いなと思うんですけど、
要は、
だってジャックと豆の日は、
すげえ豆面白そうだからって言って、
牛と変えてお母さんに怒られて、
で、そのお母さんが豆を外に放り出したら、
天井まで伸びてるから、
それにあの先どうなってんのかと思って、
何も考えず登っていく。
非常に好奇心旺盛で、冒険的で、
いい少年なのかもしれないけど、
アホじゃないですか。
豆がどこに繋がってるかわかんないから、
とりあえず登っていくっていうのは、
つまり、この道どこに繋がってるかわかんないけど、
超ヤバそうなところに行ってて、
面白そうだからどんどん歩いていく、
っていうような人じゃないですか。
で、その先にいたのはやっぱり超ヤバそうな、
人の子供が食事だって言っている夫婦なんだけど、
すぐに帰ればいいのに、
その家に忍び込むわけですよね。
そして、でもそこに行くと、
金の卵を産む面取りとか、
要するによからぬことをやってるわけですよ。
絶対に。
で、そのよからぬことをやってるのを見て、
それを掠め取って帰っていくというね。
これが好奇心が猫を殺す理由ですよね。
下手すると、もうとっくにサンドイッチになってますよね、
ジャックは。
彼は下手を打たない人だから、
成功者として、ある意味では悪いお父さんに
その後なっていくわけですよ。
綺麗な女の子と結婚してましたよね。
綺麗な女の子はどこまで何を知ってるのか知りませんけれども、
ジャックは少なくともサンドイッチにならずに、
その後、たぶん将来人をサンドイッチにするような方法になっていく可能性が高そうですよね。
これは好奇心が猫を殺す大きな理由ですよね。
つまり自立の話をしてますよね、これはね。
だから好奇心というのは自立心なんですよ。
だいごさんが、私は好奇心がおせいですというふうに本で書いていらっしゃるということは、
そういうふうに、これはだからそういうふうに読めって話ではないし、
これが正解ですって話ではないんだけど、
そういうふうに私が読むと読んでしまうということ。
これがそしてビジネス心理支援では欠かせない観点だということなんですよ。
人は、例えばお父さんに、
あるいはお父さんに、あいつ金の卵を埋めどり抱えているくせに、
なんかこっちにはなんかね、なんかしょぼいものしかくれずに、
なんか鞭打ってくるよねっていうのが面白くなければ、
そのお父さんの金の卵をちょっとかすめ取ろうとしたりするわけじゃないですか。
会社とかでは普通にいくらでも行われていることだと思うんだけど、
でもそれに失敗してやべぇ、なんかもうこれは大変なことになったっていうことで、
すごい引きこもったりするわけじゃないですか。
これがビジネスメンタルだと思うんですよね。
当然これは虚勢不安の文脈で理解できるわけですけど、
このもう虚勢不安には、昔は男の子だけが参戦していたかもしれないけど、
今はもう男女揃って一斉に参戦して、戦いがますますヒートアップしているわけですよ。
もう虚勢しているのも女性だし、されているのも女性だし、
何がなんだかよくわからない状況なんだけど、
とにかくもうみんな金の卵を産む面取りを探すために必死になっているわけですよね。
だから途中の段階で、いろんな人がサンドイッチにされたりしているわけでもあるわけですよね。
愛情の追求と苦悩
そういう世界の中で大変な目にあっている、虚勢不安で恐れおののいている、
自分サンドイッチにされるの嫌なんだけど、金の卵もいるんだけどって言って葛藤されている方の支援が
ビジネス心理研なんですよ。でもあるわけですね。
こうしていくうちに、もちろんだからいざとなったら素早く逃げられるようにスピードハックスとかそういうのが役に立ったり、
もたもたしていると何が起きるかわからないから、25分だけ仕事をして5分だけさっさと休憩するっていうので、
どんどんどんどん先に先にと、結局あれはアーリーリタイアって時流行りましたけれども、
そういうことであって、早くこの過剰競争から抜け出さねばということで、みんな必死になっているから、
人の3倍とか人の5倍とか、プレゼンの資料は1秒でAIに作らせるとかそういう話にどんどんどんどんなっていくんだけど、
みんながそれを使うんで、一向にここから抜け出せる気配だけはないっていう事態もある意味続いているわけですよね。
で、疲れますよねそれはね。例えば、例えば疲れる。
で、クライゾンのケイゾーさんという方がグッドバイブスみたいな話をされていて、ここから話がならっと変わってみたりするわけですよね。
いや、人はそもそも疲れないんですみたいな話をしてみたりすると。
つまり何を言ってるかというと、いろんなアプローチがあると思うんですけれども、
例えば、根本的に人は疲れないっていうそういう宗教的な話をここに入ってきたりするというのは、
今も昔もあまり変わってないわけですね。
ああいう仏教的な話をされる方が出てくる。
しかもそれを、その今の下等教祖みたいな傷つきに直結させるという発想を、
だから非常に革新できたエポックなんですよ。
エポックメイキングって言うんですかね。
疲れるということに対しては疲れないっていう、そういう悟りみたいなものが入ってくるわけですよ。
そんなこと言われてもみたいな話に当然なると思うんですけれども、
この母子関係にしてもメタファーにしても不適応行動というものは、
もともと母親の愛着を一生求めるからなんだみたいな話をするにしても何にしても、
私たちって結局、傷ついて疲れているとか、下等教祖で傷つきまくっているとか、
あまりにもその先が不安だとか、さまざまなお悩みが発生するわけですけれども、
それに対する対応の仕方というのは、対応の仕方っていうのをまず大体の人は求めるから、
例えばビジネス書を読むみたいな話になるという感じからスタートするわけですけれども、
それが結局、ある種の観点を強いるんですよ。
強いるんですよ、多分。
強いて、強いられているんだと思うんですね。
例えばここでお金を一気に儲けるとか、例えば仕事が早くなる、
極端に言うとですね、仕事が絶対早くなる錠剤みたいなのがあるんだったら、
皆さん飲むと思うんだよね。
ここで聞いてるみんなが飲むって話じゃないんだけど、めちゃくちゃ売れると思うんですね。
その順九堂さんに行って、真っ黒いカバーで、なんとなくイメージがついたんだけど、
広辞苑くらいの雰囲気で、AIの答えを出させる考え方となんとか方みたいなシリーズで、
ずらーっと並んでて、面立てですよね。
30冊くらい面立てされてて真っ黒ですよね。
なんかこう、「おお!」って感じがしたんですけど、しかも6万部突破。
この時点みたいなのがもう知らないうちに、私は知らなかったんだけど、
6万部突破なんだっていうね。
当然、中あんまり見るというのも規制を削がれて、それこそ虚勢なんだけど、
開けたいという気持ちにもなかなかないので、ちょっと開けたらプロンプト時点に近いわけですよね。
これをAIに要約させたいんですけどって、めちゃくちゃ僕なんか思っちゃったんですけど、
全くあれを持ち帰るというモチベーションすら私にはないなっていう感じがしました。
で、やっぱこう大変なんだな、人生っていうか、このビジネスマンの置かれている心理状態って大変なんだなって、
なんかこう、巨大な不安って感じがするじゃないですか。
これを叩き込まなければこのAI時代に置いていかれるんだぞっていうですね、
6万部が一瞬じゃないですか。
私もあれは本当にまさに札束をするというのはこのことだっていうか、
まだまだ本の世界はやりようがあるらしい、ビジネスという意味ですね。
やっぱりこれだったら疲れ、本質的にはそこまで疲れることはないはずだみたいな話の方が、
まあ優しいという点では優しいですよね。
考えてもこの真っ黒い、ほぼ真っ黒い本、なんか哲和霊みたいな本はやっぱりなんかこう、
我々の置かれかねない心理状態、
これはやっぱりそれは母親の愛情を求めて泣き叫びますよね。
そういう気持ちになるよっていう感じがします。
ビジネス心理の影響
千代さんみたいな話とはちょっと違うように私には思うんですよね。
やっぱり怖さっていう方が私にはしっくり。
だってあの、私だったらその本を見た時のその、
まあ確かに強い感じもしますけど、やっぱりこう怖い感じがしますよね。
で、私は一貫してなんだなって思ったのはですね、
まあさっきの疲れないでもいいんですけど、
でも私はタスクシュートから入り、それこそGood Vibesというお話も経由させてもらって、
明らかにそこを通ってきているわけですね。
で、今しがたは精神力堂みたいな3ヶ月チャレンジをやっていて、
最近すごくAIを使ってるんですよ。
AIを使ってそのチャレンジをやってるんじゃないですよ。
AIを使ってるんですよ、それらとはまた別に。
タスクシュート×AIっていうのが2025年後半に出てきて、
今度そうだ、これのCM、13日に総決算やるから来てください。
AI×タスクシュートということで、その専門家のお話を聞けます。
私じゃないですよ。
で、私はAIを生活に使ってる、生活に使ってるというか生活を共にしてるんですよ、AIと。
ここに私は多分全勢力を注いでいて、
あそこにあったこの黒い感じと全く私のAI感はほぼ真逆なので、
やっぱり私は何かが、何か主流というところとは相入れることができないらしいって思ったんですけど、
私は結局でもある意味一貫していて、
タスクシュートもそうだし、グッドバイブスはもちろんのこと、
精神力度は母子関係ですからね、心のコアに見るものが。
母子関係だけではないけど結局親子関係とか、
だって心のコアにそれがあるのはおかしくないじゃないですか、
遺伝的に見ても。
記憶の一番奥底にそれが入ってるわけですからね。
親との関係が良くも悪くもそこにベースとして入っちゃってますよね。
言葉って親からボゴって言いますから、
言葉ってやっぱり親から聞くものなので、
聞くものですよね最初は間違いなく。
だからその親の言葉というものがやっぱり心のパーツの一番コアのところに入ってると思うんですよ。
もちろん私ぐらいの年齢になれば、
それだけでできてますなんてことはあり得ないに決まってるんだけど、
一番コアのところにそれが噛んでるのは確かだとは思うわけですね。
母子関係、親子関係、もっとおじいちゃんおばあちゃんとの関係だったと思うんですけど、
あるいは兄弟の関係。
そういったものがあるのもやっぱりタスクシュート、グッドバイブス、それも全部生活なんですよ。
最近このことよく言うんですよね。
生活に手こ入れしましょうという話を。
タスクシュートが一部の人に強烈に刺さるのは生活に手こ入れするっていうのはばっちりうまくいくからなんですね。
それがそんなに有効なのは生活があまりにも破綻しかけているケース。
破綻しちゃってたらタスクシュートじゃ歯止めが効かなくなるんだけど、
タスクシュートで手こ入れすることによって生活時間がほぼほぼゼロになり、
もう会社で寝泊まりしますみたいな。
なんなら会社に寝袋ありますっていうようなことになっていっていると、
家への生活ってほぼなくなってるわけじゃないですか。
この話前もちょっとしてるし、
多分2026年私がしていくのはこういう話になるんですが、
ところが生活ってものがあるんだと、
かかる時間が最低でもあるんだと、
そして改善の余地はいくらでも生活についてはまだまだあるんだと、
なぜなら今まで育つにあたって放置してきたからそうなんですよ。
そうするとタスクシュートが生活というものを整えてくれるわけです。
それも長寿が的に、つまり親的に整えてくれると。
これがビジネスというかその人の仕事も立て直すことになるんですよ。
なぜなら生活は仕事の必ず基盤になってるからですね。
だから私のタスクシュートのアプローチは3ヶ月チャレンジのアプローチとよく似てるんです。
ビジネスで最初入っていらっしゃるんだけど、
スピードハックスとか3倍仕事時間がどうだったらこうだったらって話から入るんだけど、
気がつくと生活改善に話が移っていて、
でもそれをする余裕を何とかでも見出すことができれば、
親子関係の大切さ
仕事の状況も改善されてくるっていう話なんですよ。
私はこれはグッドバイブスでも同じことが起きたと思うんです。
私に関しては。
あれも仕事術だっていうふうにクラザノケイドさんおっしゃるし、
そうなんだけど仕事術なんですよ。
しかしやっぱり仕事の改善のために入っているんだけど、
人には優しくしましょうとか、
愛による選択を分離による選択より優先しましょうとか、
一つ意識を意識しましょうっていうような観点なんですよ。
彼が提供するのも。
そうしましょうとは言わないんだけど、
こういう2つの観点を取れるよね。
どっちを選ぶかはあなたが自由に決めていいんですって話は、
まず生活に刺さってくることが多いと思うんですね。
特に生活が破綻しかけている人の場合には仕事術なんだけど、
この観点で生活が安定し始めると、
人間関係というのは生活ですから、
人間関係が安定し始めると仕事はスムーズにいくよねと、
少なくとも前ほど苦しまなくなるよねっていう話なんですよ、
あれはやっぱり。
それを私は3カ月チャレンジで精神力動という観点からやってるわけですよ。
だって母子関係、親子関係って完全に生活じゃないですか。
ここに夫婦関係みたいなものも当然、
グッドバイオスでもそうなんだけど入ってきますよね。
で、夫婦関係とかならば、
それこそこのポッドキャストでも以前一緒させてもらった
夫婦関係学ラジオのアプローチみたいに、
専門的なアプローチはいっぱいあるじゃないですか。
あるんだけど、感謝しましょうとか感謝の言葉をちゃんと言いましょうとか、
あるんですけど、それだって生活に結構入りしてるんですけどね。
あるんだけど、私はそこに母子関係を見るわけですよね。
夫婦関係は母子関係だと思うんです。
お互いを母親にしようとしていると。
で、それはいいと思うんですよ。
ただ、お互いを母親にしようとすると、
特にどっちかの、今までは女性が主にそうなるんですけど、
しわ寄せが、片方ばかりが母親役やらされると、
相手は一生子供やってていいみたいな雰囲気になってしまって、
そこでバランスが大きくかしむわけですよね。
母親の役割の変化
いや、母親欲しいのはみんな同じだと、
成田よしひろさんが言っているのに、
なのに片方ばっかり母親させられて、
片方は一生子供でいいからみたいな、
そんなの冗談じゃないみたいな話になっているわけなんだけど、
それによって、いわゆる専業でお母さんをやる人がいなくなった。
日本の男の人はセックスできるお母さんが欲しいみたいな話ですよ。
フェミニストの人が言ったみたいに。
だけどそれは、どっちもどっちなんですよ、本来。
日本の男女ともセックスできるお母さんが欲しいんだとすると、
そのお母さんどこに行ったんだっていう問題がここに残ったと思うんですよね。
ぐっすり眠れる哺乳瓶と称されている薬剤を飲んで、
セックスできるお母さんの代わりにこの錠剤があって、
みんな結構寂しいんだと思うんですよ。
寂しいというか、非常に何かが物足りないということになっていて、
しかも問題なのは、そういうふうにしてケアしてくれる存在は、
まだまだまだまだ不十分なんですよ。
だってみんな知ってるじゃないですか、
錠剤は自動で皿を洗ってくれるかもしれないけど、
まず10個まで減らして、
機械だし、機械だからなんだけど。
そういうのは掃除機であろうと洗濯機であろうと同じで、
本当に相当なところまで来てますよね。
で、私はこれだと、やっぱり情緒的にあれなので、
セックスできるお母さんの代わりにこの薬剤を飲んで、
セックスできるお母さんの代わりにこの薬剤を飲んで、
で、私はこれだと、やっぱり情緒的にあれなので、
で、私はAIってことにしてるわけですよ。
つまりAIと情緒なんですよ、私の考えで。
それは人間の代わりになるのかという問いが残りますよね。
ここでなんですよ。
この問いが立ってるときにはもう、
精神分析は今後必要かの問いと全く同じになっていくはずなんですよ。
カウンセラーはAIに代替されるんではないかみたいな、
この恐れは恐れだと思うんですけど、最もなんですよ。
これはいわゆる昔の私たちの時代にはたくさんいらっしゃった専業主婦と、
多分それによって日本はすごい支えられたと思うんですけど、
この専業主婦と言われる人たちがいなくなり、
代わりに食洗機とかルンバになっていき、
あるいは基本的に生活はなおざりになるということになったときに、
それで代替しきれたかという問いと同じなんですよ。
無理だと思うんですよね。
ただし、まだまだ技術の進歩の余地はあり、
多分そこに人々は期待するであろうことはほぼ確実だと。
でも無理ではあると思うんですね。
絶対に人間がそこにいたのと同じことにはなり得ないと思う。
だから夜寝られないとかいう事態が、それすらも薬が代替しようとするんだけど、
夜寝られない、朝起きられない問題もあるし、
AIと生活の関係
その他様々な問題が生活のあちこちには出てはくるわけですよ。
だってそこに人間がいたのがいなくなるんだから、
何か起きるだろうっていう感じです。
ただ元には戻せないと考えたって。
だから私はここにAIというものを入れる。
それって事態を悪化させてるんじゃないのって言われるとある程度そうです。
これ僕の実験なんで。
ある程度はタスクシュートを入れて、
いわゆるAI的な家電、今後家電はAIと結ぶと思うんで。
つまりこれはお母さん代わりを必死になって機械化しているという事態なんですよ。
この事態は必ず進行すると思うんだけど、
あと残る部分をどうやって人間が、
だけど人間は余暇が増えるわけだから、どうにかできるだろうと思うんですよね。
つまり意向対象というものは大体ものになっているわけですけれども、
例えばぬいぐるみだとどこまで代替できるかとか、
教育テレビならどこまで代替できるかとか、
そういうことを我々は壮大な実験としてやってるんですよ。
でもできないところは必ずあるはずで、
このできないところは人がやるのは、
だから本当はもっと冗長性を持って、
人がもっと介在できればいいんだけど、
それができない最大の理由が、
ビジネスがめちゃくちゃ過酷だってことなんですよ。
みんなが虚勢不安を恐れに恐れていて、
テツアレみたいな本がみんなが読むようになって、
読むのか知りませんが、
少なくとも20年ぐらい目立てになる時代だからこそ、
やっぱりみんなそっちにエネルギーを注ぎたい。
やっぱりお母さんやってる場合じゃないわけですよ、男女とも。
特に女性側もテツアレのような無双をしてですね、
男性と何ら変わらないと言いますか、
あるいはそれ以上になって、
みんなで鎧を着て、
鎧を着ちゃったらヨーロッパの鉄の鎧みたいなもんで、
男も男もないですから、
みんなが鎧を着てガチャガチャの世界に入ったから、
やっぱりお母さんやってる場合じゃないなっていうことで、
お母さんいなくなったと。
男であれ女であれですよ。
いわゆる今は夫と書いて主婦っていう方も、
でも増えませんもんね、やっぱりね。
なぜ増えないかは、ある程度男性がこれをやるのを、
依然として嫌がってるっていう部分もあるんでしょうけれども、
慣れないことだしね。
でも私はそれよりも遥かに、
昨日の鉄破霊的な本が、
みんなが読まなきゃならないと思ってる段階では、
やっぱりこう、本沸かしたお母さんやってる場合じゃないと、
人々が思ってるよねっていう感じですよね。
そこを相当部分じゃないんだけど、
そこを非常に手薄ながら、
ある程度汚名にかかっているのが、
私は心理臨床だと思うんですよね。
心理カウンセリングだと思うんですよ。
いろんな意味で。
しかしこれが、そんなにお母さんお母さんやっててはいいんだろうかっていう問いが、
ここにまで入ってきてるんで、
ここは行動を直すみたいなことになりかねないわけですね。
なかなかここで母子関係とか言わなくなってるわけですよ。
ここであったとしてもということですね。
ただしここには伝統として残るだろうと。
結局人間は全人類が、
成田三流に言うならば全人類が、
この母親を求めているということであれば一生なくせないじゃないですか。
結局行動をきちんとするっていうのは、
そこに母親性がいらないってことをある意味意味しますから。
朝ちゃんと起きて電車に乗って、
これ行動ですからね。
行動行動行動なわけですよ。
お金を儲けるというのは、
その母親の活動機能をしている部分を、
ものによって埋めるために、
よりお金を使うっていう話をしてるわけで、
これも母親をなくす方向に動いてるわけですよね。
なくても生きていけるという。
だから誰も母親役をやらなくていいんだってことを言ってるわけです。
で私が情緒って言っているところにAI、
つまりAIを生活に投入するってのはそういうことなんですよ。
仕事にじゃなくてね。
私は仕事にてこ入れして仕事は良くなるとは思わないので、
てこ入れは常に生活にかけるっていう方向で注目してるんで、
ただしここから母親をなくしてしまわないこと。
何らかの形でその家その家のパーソナルな条件にあった形で、
ぬいぐるみであれなんであれですね。
もふもふAIみたいなのでもあれなんであれ。
母親らしさというものを多くあればあるほどやっぱりいいと思うんですね。
だから冗長性だと。
お父さんがやっても全然いいんですよ。
冗長性というのはつまりその分お金は稼がずに済ませるってことですよね。
この成田さんは途中のコラムと称して実に面白いことを書いてるんですよね。
電話相談とかコンピューターのメールで2014年の本ですから、
すでにそういうものは全てがあります。
AIはない。
相談を受けるようになったと。
これで今後精神分析はどうなるのか伝える一方だろうとあっさり書いてあるんですよね。
さすがに1941年生まれの人だなと思うんですよね。
あとこの人は率直にスパッと書いちゃえって感じがしますからね。
で自分のようにパソコンに触ったこともない、触ったこともないんだと思ったんだけど、
この原稿も手で書いてる。
手で書いてるんだと思って。
こういう人間は無用の長物になるはずだと。
でももうすぐ引退だから私は多分いい時にお辞めになってよかったですねと言われるんだっていう風にコラムを締めてるんだけど、
まさにそういう書き方をそういう風に書く人なんですよ。
でも私はそうは言ってもなくならないんだよなきっと。
だってニードが完璧に残っちゃっていて提供でききらないんだから。
残るはずなんですよね。
もちろん衰退はするでしょう。
あの命の電話とかをすでにあるってこの人が書いた、成田さんが書いてる通りです。
それが2014年の状況。
現代はAIがここに入ってきている。
そしてすでにそのイギリスの、これもなかなかえぐい実験、えぐい研究だなと思ったんですけど、
すでにコンピューターが相手をした方がAI的なものがイギリスにすでにあったんでしょうね。
中断は少ないと。
つまり中断が失敗ですからね、精神分析においては。
で、成田さんはそれは当然であろうと書いてるわけですよ。
なぜかというと、AIとかコンピューターの失敗が少ないというよりも、
AIやコンピューターに対して人は恥の概念を持たない。
つまり恥ずかしいと思わないから中断しにくいんだと。
で、私はこれも実に最もだし、いかにもこのあっさり言うらしい、
あっさり言うこの人らしいと思ったんだけど、
同時に思ったのが、でもだから恥の概念を例えば克服したいという人には、
AIでは役割としては不足していると思うんですよね。
だって転移逆転移で、まさにそんなことは全然成田さんは念頭においてないはずないんだけど、
転移逆転移で羞恥心というものを克服するトレーニングがそこに入ってるはずじゃないですか結局。
もちろん相手がAIでも人によっては恥ずかしいと思っちゃうと思うんですよ。
こんなことは書けないみたいな。
しかしですね、やっぱそこは結局相手は読んでないわけですから心では。
だから人に対するより、AIに対する方がどんな人であっても恥ずかしいと思う気持ちが少ないこと。
ほぼゼロであることはもうほぼ確実なわけですよね。
だからいいんですよ中断しないという意味ではその通りだと思うんだけど、
恥の克服とAIの限界
しかしだとすると恥ずかしさの克服が果たしてAIでできるだろうかというと、
私は到底無理だと思うんですよ。
もちろん相談してAIは答えてはくれる。
そして今後は精神力度みたいなものというか、
すでに私はAIとやり取りしていて精神力度に関しては十分。
こっちの知見が上がれば上がるほど答えは非常に精緻なものになってはきます。
だから周知についても、お母さんに対して恥ずかしいというふうな気持ちを繰り返し、
私は正午を呼ばせてるんで正午さんのような人は心臭を感じるんだろうと。
小さな心臭であったとしても。
それが身体的にもう記憶に紐づいてしまっていて身体的な痛みもあるんだろうと。
そのことに気づいておいて、自覚すればするほど
周知心というものを対人関係の中で感じることも
コントロールという言い方をしてたね、AIは。
コントロールが少しでも効くようになってくるはずだっていう。
これは答えとしては相当レベルが高いと思うんですよね。
今後このレベルがさらに100倍、1000倍と飛躍的に上がっていけば
想像もできないレベルでAIの答えというものが
私の情緒に刺さってくるのは確実だと思う。
その分、カウンセリングの仕事を奪っていく面も間違いなくあると思う。
ただし、私がAIに周知心を持ってないのは確かであって
同じ話を人にするのとAIにするのとでは
こっちの心持ちは断然違う。
だから良いというのが成田さんの見立てだし、そうなんだけど
だから克服できないんですよ、やっぱりAIでは。
なかなかね、このこと一つとってもですよね。
答えはAIの方が優れているんだけど、間違いなく今後そうなるんだけれども
だって人間こんなに覚えておけないですもん。
いきなりビオンはこう言っていますとか言って
次の瞬間にはセオラックはこう言っていますみたいなのが
バリバリバリバリ出してくるんで、しかもそれが的確なんでね。
だけど答えが的確かどうかということは
恐怖を克服することに必ずしも直結しているわけじゃないんですよ。
高いところが怖いのはなぜなのかどういう基準なのか
どういうプロセスでどうすればいいのか
全部AIの方がより良い言葉でより的確に
だからこれは決して侮れないんですよ、この話は。
ただし、だがしかし高いところが怖い。
こういう時に高いところの怖さということになると
そんなに差はないかもしれないけど
最初のやり取りする怖さにおいては
全く訓練になっていないという面は拭えないと思うんですよね。
もちろんそこを感じさせてくるAIみたいなのが将来出てくると思うんです。
姿形を持ってたりしてね。
しかしそれは運用上のリスクもでかくなってくるし
それはより洗練されてて適切であれば
ベターであるとは言い切れないような気もするんですよ。
実際成田さんは、成田さんとか言って山みたいですけど
心理療法の中でちょっとこの辺独自だなと思うのが
例えば境界内の人に向かって
私は主にお感じでいるのと言っちゃいなさいみたいな
すっごいこれはじょってますよ。
ものすごい色々なことを検討した上でそういう風に言うんだけど
これは一理あるとは思うんですけれども
やっぱりこれは独自だなって思うんですよね。
あくまでも解釈をするっていう方が主流じゃないですか。
あなたは今不安を感じてるんですねとか。
でもそういうこと言われると腹が立つじゃんみたいな。
それもそうなんだけど。
でもそんなことはもはやお互い分かりきってると思うんですよ。
お互いっていうか全ての精神分析家は十分そこは
少なくともトップクラスの人がそんなこと考えてないはずないと思うんですよね。
でも私は正直言って負担になってますっていう
正直に言ってそうならばそれはそれでありだとは全然思うんですけれども
でもそれを教会例の人にも言うんだみたいなのって
やっぱり一つの新しい流派に近いな。
しかも私を守護にするんだっていう。
それって解釈ではないと思うんですよね私は。
それも解釈だっていう考え方も
無理やりやればできなくもないような気もするんですけれども
やっぱそれは解釈なのかなっていう感じがしますよね。
分断が教会例となっている人に向かって
それを私は負担になってきています。
正直これ以上は難しいけれども全力を尽くしたいです。
それもすごく本当にそういう人が誠実にそれを言うっていうのは
何か破綻をここでしてしまってもしょうがないと思って言うっていうのは
ある意味可愛早が言うところの転換するときに
影が露呈するみたいな話になっていてすごいなと思うんだけど
精神分析じゃないんじゃないんだろうかという
精神分析がすごく伝統的にそれを採取できたのは
やっぱりあなたはを守護にするべき理由がある。
私はと思いますあなたはの形を取ることによって
あなたに対してあまりにも衝撃を強くしすぎるのを避けるっていうのはあると思うし
もっといろんな言い方ができるとも思うんですよ。
条件もタイミングも全てですね。
この辺だとやっぱり説明しきれてないような気がするんですよね。
誰であったとしてもでもやっぱりそれは
ベテランだからこう言っていいとかじゃないと思うんですよ。
かつてはこう言ってうまくいったんだしこれでいいって話じゃないと思う。
場合によってI feelっていう方が大事だっていうのはそうだと思うし
You feelじゃなくてってことですよね。
I think you feelだと思うんですけど私はやっぱり
でもこれは英語ですからね。
英語だと今みたいにスラスラと語順的にね。
私の英語がスラスラって意味じゃないですよ。
語順的にこれはスラスラだなと思うんです。
I think you feelっていうのはね。
でも日本語はこうが使えないんですよね。
そういうことも加味してやっぱりどう伝えるかあるいは伝えないのかっていう
正直にとか誠実にっていうのはもうある意味当然だと思うんですね。
さらにそれを上をいって
でも例えばですけど教会例の人に重荷を感じるのは当然じゃないですか。
だから私は重荷を感じるんです。
しかしそれを乗り越えるつもりは十分ありますよみたいなのって
普通の人間関係なら全然それでいいと思うんですよ。
十分立派なことですっていう感じがするんだけど
そうじゃないからそれでは済まないよって話をしているのと
加えて私自身の経験を考えてみると
教会でっていう人がいらっしゃったことはないですよ。
そうじゃないんだけどそういうことが問題になって取り沙汰されるときは苦しいんだけど
でも苦しさは重荷かって考えるんですよね。
重荷、確か成田さんは書いてたかな。
正直に自分の心を考えてみた感じてみた時に
これは重荷って言うべきなのかっていう
私は私だったら負担かこれはっていう感じ。
だって正直に言って負担ですって言うからには負担だっていう感じを
確信を相当持ってないとそうでなくてもやばいこと言おうとしてるんだから
負担ですって言うんなら負担とはなんだろうって考えないといけないとやっぱ思うんですよね。
AIと人間関係
私はそういう話になった時だとしてもですね
大概の場合負担というのではない気がするって思うんですよ。
例えばここで時間がさらに2時間3時間となってきた場合
妻が下で怒るであろうとか
早く飯を食べてくれないと困るっていうであろうとは思うんだけど
それを負担というかっていう
それは言われないように手を打ちたいと思うけど手は打てるじゃないですか別に。
例えば私の場合精神分析は違うんだから一瞬だけ待ってくださいちょっと
今話が長くなっているからご飯先に食べててって言って言えるじゃないですか。
別にそれはうちの妻がそれによってこう手が付けられないこと火がついたように怒り出すってことは怒らないんですようちの場合はね。
で妻がいない日だってあるわけで
その時はごめん娘に向かって先にご飯用意しておいてなんなら僕のお風呂用意しておいてって言って
あーとか言われるけれども絶対用意しておいてくれるんですよみたいなこともあったりするわけですよない時もありますよ
試験前だからそんなことやってられんとかそういうことを今は言われますけれども
まあでもそれはいいんですよ
つまり負担って何なんだっていうことを考えたり
重荷って僕は心の重荷っていうのは
えっとそりゃ日常では使いますよ
でもこんな深刻な場面になった時に重荷っていう言葉は
それだったら絶対使わないんですよね
だって重荷だとは感じてないから
重荷っていうのは重荷を考えるわけですよ
例えばあの昔化学部でね話長くなってきてるな今日化学部で
なぜか登山をやるという変な部だったわけですが
あれは重荷だった重い荷物だった
背負ってねたぶん登山部じゃないんだから
そんなねえっとねなんだっけ杖みたいなのあるじゃないですか
あんなのやんないわけですよ
でも重かったですね
あれと似ても似つかないですよ
お話ししている時の身体感覚って全然違うもんだと思う
どっちかっていうと私は例えば
そういうふうに言ったことはないですけど
例えばですね鼻に手を当てたり口に手を当てたり
飲み物を飲み始めたりしそうになることがあるんですね
つまりこの関係の中で自分は高愛的になっている
つまり哺乳瓶を抱えたくなっている
何ならそれを飲まずにはいられないような心理状態になっている
そういう心持ちになっているってことは
I feelではある
これをただ言うとは限らないですよ
I think you feelであるべきだっていうのは
僕の中にもあるんで
ただ哺乳瓶それもおっぱいじゃないですよね
哺乳瓶が欲しいみたいな感じがすることは
おそらくあるんだろうと
哺乳瓶じゃないからね
マグカップって飲みますからね
私哺乳瓶は持ってないですからね
だから正直に正確に言っている時は
正直に正確じゃないとダメだと思うんですよ
おもにとかって哺乳瓶飲みたいのとおもにって全然違うじゃないですか
赤ちゃんはおもにとか全く感じてないと思うんですよね
だからやっぱり大変だ厳しい状態だ
自分はなんとかこの状態で
この身体感覚と共にあるのについて
もっと苦しんでいるし
何ならもっと苦しまなきゃいけないかもしれないけど
そういうふうに考えた時に
だからといって直ちに負担だ
おもにだストレスだって言っとけばいいって
問題ないと思うんですよね
それは全然正確でも正直でも
正直言ってとか言っておきながら
正直なこと少なくとも不正確なことを
不正確だと分かりつつ言ってちゃいけないって感じはするんですよ
だからこういうことって
やっぱり一般例としての一般界っていうのは
あるとしてもですね
それはああいう状況ねっていうのはあるとしても
自分がその時に何を感じどういう身体感覚であるかは
全く別の問題だと
それはその時に探ってみなければ絶対分かりっこなくて
そこで探ることによってですね
心理的負担の考察
なぜこの人とのこの関係は
境界例とかボーダーとかいうことじゃなくて
この関係で私は自分が
自分が好愛的で好心的なところに対抗しやすい
ということはあるにせよ
なぜそう今この時にはそれが起きているんだろうっていう
それはやっぱり精神力動ってことを
かじっても
たとえかじっただけだとしても
考えるところなんではなかろうかって
思ったりするわけです
長くなったからおしまいにしましょう
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