1. グッドモーニングボイス
  2. 話して伝わらないからこそ傾聴..
2023-12-22 43:37

話して伝わらないからこそ傾聴する【GMV 905】

「ない」ことで苦しまなくていい。

サマリー

テーマがない3日間を経て、慶長というテーマの重要性に気づき、傾聴の効果を実感しています。ある人は話を聞くだけではなく、聴くことの重要性を理解していないために喋ってしまい、対象喪失の体験をする必要があると述べています。傾聴することの重要性について話しています。私たちが抱える悩みは基本的に不在論であり、ないことに悩んでいることが問題です。また、伝えることができないという抵抗が存在し、傾聴をすることで相手の状況を理解し、伝え方を改善する必要があります。失われたものを永遠に求めてしまうことや、対称喪失による抑うつ的な気持ちについて考察されています。物作業を通して終結へと向かう過程や、不全を経て許しを得ることの重要性も説明されています。話して伝わらないからこそ傾聴するということは、寂しさや残念さを受け入れることであり、現実を見ることです。

3日間の空白とアナウンス
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
11月22日の金曜日朝7時15分ですね。
いやー、このここ3日落としてる、もしかして。
まんまないですよね。ちょっとびっくりで、当時が過ぎてしまっていて、これもびっくりで。
あの、まったく予期せぬ展開というか、忙しかったとかではないんですよね。
いろいろあったんですけども、でもこんなに間を空けたのは久しぶりだなと思って、ちょっとびっくりしてます。
そうはなるはず。でもまあ、そうなるか。いろいろあったことは確かに。火曜日がちょっとね、別に普通にできたはず。
火曜日やったっけ?
いや、とりあえずなんか、驚きました。
で、まあ、驚いたのはいいんですけど、12月の明日ですかね、明日タスクシュートジャーニー2というのをJ.MASUZAKIさんとやります。
これは、アーカイブ配信もしますし、普通にこう、なんていうのかな。
あの、
お募し込みももちろんいただけ、一般でですね。
あの、百チャレのためのイベントではないので、明日まで受け付けてると思いますので、既に満席だったと思うんですけど、一応枠拡大しておりますので、よろしければぜひお願いします。
同じくその1週間後の土曜日30日にですね、今度は倉殿慶三さんとタスクシュートとグッドバイブスというテーマで、もう少し前回よりも幅を広げてですね、
はい。
あの、時間も長くして、先送りゼロを、まあ不安ゼロから先送りゼロへみたいな、そういうタイトルでやろうと思っています。
あの、これは前回公表だったんで、引き続きやろうということになったんですけれども、こちらもアーカイブ配信ありますので、まあ大晦日の前の日ということになってしまうんだけれども、あの、当日ご参加いただけなくてもですね、
えーと、
お申し込みいただければ、後ほど、あの、アーカイブでご覧いただくこともできますので、よろしくお願いします。
さてと、えー、で、お知らせはそれでいいんですが、3日も空けたわりにはですね、まあテーマがない。
はい。
あの、テーマはいつもないんですけどね、実はね。
まあそうそう、昨日そういう話をしたんですよ。
僕今無理やり喋ってる感が濃厚というか、もう無理やり喋ってる。
で、えーと、ちょっと実験的にいろいろやっているんですけれども、場所を変えたりしてですね、ちょっと音があれかもしれませんけれどもね、なんでこういうことをやってるかというと寒いわけですね。寒いから、あの、うまく撮れる場所というのを今探しているわけですよ。
まあこの、多分一時的なものだと思うんです。
ここまで寒いことは、そうはないと思ってね。
ただ、
ちょっとこの時期だけは乗り切らなければと思っているので、いつもの場所じゃちょっととてもじゃないけど撮ってられないんだけど。
他に適当な場所がいまいちない。
今やっぱりちょっと移動してみたんですけど、そこは騒がしいかなみたいなのがありまして、えーと、またそういうどうでもいい話になっちゃってますけど。
あ、そうそう。
これを聞いている方で、カウンセラーの方っているのかなっていうのがちょっと引っかかってですね。
引っかかってていうのは全然いいんですよ、それは。
もう全く。
これを参考にしなければいいというだけなんですけど。
あの、全然これを聞いていただく分には全く差し支えないんですが、これカウンセリングの何かのプラスにはならないんじゃないかと思っておりまして。
えーと、なるような話を僕は、えー、これでやってないし、できもしないと思うので、まあその辺をご理解いただいた上で聞く分には全然OKって感じなんですけど。
あの、この番組って結局。
来年ね、ちょっとタイトル変えてみようかなみたいなのがあるんですよ。
内容変えるわけじゃないんだけど。
あの、分かんないじゃないですか。
グッドモーニングボイスってどういう意味なのかが全然。
それでもいいと思ってたんだけど、えー、少しはちょっと広げるべく努力をした方がいいのかもしれないと思ったら、えー、ただタイトル変えちゃうと、何て言うんですかね。
えーと、そのタイトルのやっぱりテーマって出てくると思うんですけど、グッドモーニングボイスなら、まあ何喋っても基本OKだから。
そこが楽なんだなってのはあるんですけどね。
そこをどうしようか考え中といったところではありますが、はい。
んーと、で、えー、テーマなんですけどね。
テーマがないというのがテーマなんですよ。
いや、テーマがないのがテーマなわけじゃないんでね。
最初はそれでいこうと思ってるんですけど、要するに、えーと、よく慶長って言うじゃないですか。
で、私、最近、慶長ということの重要性が、あの、
カウンセリングって話ではないですよ。
一般的な言って、普通の相談でも慶長大事ってよく言いますよね。
何しろ聞くことが大事なんですよ、みたいな。
で、これは、えー、それはもう確実にその通りなんですよ。
カウンセリングであろうとなかろうと。
ただ問題は、そう簡単にできることではないと、いったことで、すいません、また移動しているわけですけど。
傾聴の重要性と傾聴できない理由
もうちょっとですね。どうしても。
お。
大丈夫かな、この音が。
入っていたらすいませんね。
入っちゃうと思うんですけど。
はい、えー、まあでも、いつもの結局場所に移動してきて、ここで撮ろう。
あのー、慶長なんですよね。
で、ようやく分かりかけてきたんですね。慶長ということが。
一つには、あのー、俗に聞き上手って言葉もありますが、
聞き上手なだけではない感じですね。
こういう形ではない感じがするんですね。
慶長するというのは、あの、まず、聞くしかないんだ、ということに思い至らなければならないんですよ。
えーと、カウンセラーのための番組みたいになってんな。
でも、多分、聴いてる人にカウンセラーは多くないと僕は今、ずっと思ってるんですけどね。
おそらくエンジニアさんが多い。
あのー、慶長できないっていうのは。
ま、自分が喋っちゃうでしょ。
自分が喋っちゃうというのもありますが
喋っちゃう分には僕はいいんじゃないかと思うんですね
それはそれで
良くないのは聞いてないことの方だと思うんですよ
なんで聞かないかというと
聞く理由がよく分かっていない
聞く動機が弱い
これしかないなって感じがするんですね
そうそうこれはですね
タスクシュートの話から僕は
傾聴というのが身についてきた
というのが分かってきたんですよ
だから最初やっぱり
ワンオンワンで
ワンオンワンでね
1対1でライベートに話を聞くと
言ったことをするんだけど
結局ワンオンワンで演説してるみたいになりかねないわけですよね
今締めてるつもりだけど
なっていく傾向がある
それはやっぱり僕がセミナーとかをしてきた
流れもあるんですよね
あれはもう
喋んないわけにいかないんで
誰も僕が喋るということを期待してる場に行ってですね
僕が黙って誰かの話を聞いていてはいけないわけだから
やっぱりこう
たとえ質問中心に動かしたとしても
結局私が喋ると
今度ほら
1月17日だったっけ
20日だったかな
東羅県で東京ライフ研究会
これ告知できないじゃん
やばいじゃん
東京ライフ研究会で
山崎さんが
ゲストで
ゲスト講師としていらっしゃることになっておりますが
山崎さんはよく喋る
喋ってくださるんですよやっぱりね
質問中心に展開させることに決めてるんだけど
でもわーっと喋って来られるんですよね
これはつまりセミナー形式なんですよ
これが多分
山崎さんもカウンセリングでは
ああはなってない気がするんですね
でなんでかというと
喋っても伝わらないから
ってのが大事なんですよ
あの腹落ちとかって言うんですけど
そんなにそんなに簡単にですね
あの腹落ちなんて
なかなかそうするもんではないんですよね
私あのタスクシュートも
昨日そうなんですよ
これもちょっと
これからの展開で出てくると思うんですけど
認定トレーナーの方がですね
認定トレーナーの最終試験ってのがあって
まあ一個しか試験ないんだけど
私とJと大橋さんとで話を聞いて
合否判定みたいなのがあって
これのあの
時々すごい方がやっぱりいらっしゃっていて
いやこれは我々が喋るのより
全然わかりやすいじゃないですか
タスクシュートっていう時があって
昨日がまさにそんな感じだったんですけどね
えっとこれを今後打ち出していこう
みたいなのがあるんですが
その時にも思ったんですよ
あの腹落ちなんて
そうするもんじゃないよねって言う
なんでかって言うと
よくタスクシュートは
難しいとか取り付き
取りなんかこうなんて言うんですかね
取っ付きにくいみたいなこと言われていたわけですよ
よく言われているわけですね
だけど私はそれは全然そう思えないなあ
というこれの何が難しいんだろうと
世の中で学校とかで習ってるものは
あれより数段難しいと思うんですよね
世の中の本当に中学生のレベルでも
英語とか全然難しいですよ
あれより喋ったこともない言語
見たこともない
国語じゃない言語をね
あのようにやるなんていうの
覚えてるそのルールだけでも
どんだけ無根拠っては言わないけれども
根拠の分かりにくいですね
例えばnot anyはnoになるとか
そんなのそんなルールはですね
作ったところで
普通なら即忘れますよね
三人称単数現在ではsをつけるとか
すぐ忘れますよ
そんなのは
だけどなんとなく
常識的にみんな覚えてるってのは
やっぱ教育効果の絶大さを
感じさせる
あれに比べればですね
朝起きたらリストルーチンリストが
セットされるから
あれを
3分くらいいじって整える
めっちゃ簡単な話なんですよ
そんなものはね
あれですよ
sin 自乗 足す 忘れたけど
cos 自乗 イコール1
もうだめだごちゃごちゃになってんだ
でもこういう話ね
めちゃくちゃ難しい思い
そして三角関数の
計算式なんてのは
そこにさらに微積加えてきたりするからね
もう本当にあれができてこれができないわけがない
と思うんですよね
あれですよ
2H2O2は2H2Oとかだって十分難しいですよ
役立った気がする今のは
タスクシュートの難しさと対象喪失の体験
だから難しいことをやってきてるんですよ
皆さんは誰もがね
タスクシュートが難しいというのは
よっぽど片手間にやろうとしているケースのみ
つまり動機づけが弱いんですよね
動機づけが弱いその理由を知らなければいけないんですね
私がわーっとタスクシュートの効能とか使い方とか
公式ツールとかをガンガン喋ってみて
おじしましたって言ってくださるのは大変嬉しいんですが
だからといってその人が翌日から
タスクシュートを使うようになると思ってちゃダメなんですね
こう思ってるから演説しちゃうんですよ
Jさんがバーニングの話をしても
割と面白い専門学校語の日々の大変さにしてもですね
ドイツの話をしてもいろんな話をされるけど
その時は面白いと思って話聞くんだけど
それで終わるんですよね
だから演説して終わっちゃダメだということが
何度も演説すると分かるんですよ
これが大事です
これによって私たちは
ちょっと今日この話に強引につなげるんだけど
対象喪失を味わいますね
欲打つっぽくなるんですよ
喪失するんです
自分の信じてたものに裏切られるという体験
これは体験しなければいけないと思いますね
喪失というのはすごく大事で
ないんだっていうのがですね
人間は一回じゃ分からないんですよ
人間は一回じゃ分からないんですよ
人間は一回じゃ分からない生き物なんですね
母親はいないんだとかね
いなくなったんだとかそんなこと分からない
分かってるつもりでいいんだけど
全然分かってないんですよね
だから私たち一般に
これちょっと一般論になっちゃうんですけどね
一般に本当でも一般の悩みってのは
実は本当に僕は不在論ってのは
抱える悩みの不在論
松木さんの話にいきなり飛んでるんだけど
松木さんの精神分析の不在論ってのは
すごい良い話だって最近思うようになったんです
なぜなら
我々一般人にとってあれは大事な話なんです
我々にとっての悩みというのは
基本不在論なんですよ
ないってことが悩みなんです
ないってことは悩みに本当はならないんですよ
ないだけなんで
だけど我々はないということで悩む
それは悪いものがあるのとないのが
ごっちゃになっちゃうからですね
幽霊ってのはそういう意味では不在論なんですよね
幽霊はいないんですよ
だけど何々がいないということが
我々に悪いことが起きたって考えちゃうんですよ
そうですよね
墓場に幽霊が出るのはなぜか
その人がいなくなることによって
我々が苦痛を味わうからですよね
本当はないだけなのに
何か悪いものがあるになってしまう
だから赤ちゃんのことを笑えないんですよ
本当に
抵抗と伝え方の改善
ここのところで僕らはつまずいてるんですよ
実は
あまりにも単純で
頭では分かってるってやつですよ
抽象的には誰それがいなくなりました
恋人が別れちゃいました
離婚しちゃいました
会話しちゃいました
会社に仕事がなくなりました
全部ないだけなんだけど
そうは我々は捉えられない
悪いことが起こったと考えちゃう
悪いことがそこにあるんだと考えてしまう
つまりないということがあるになってしまうんですね
あるに化けるんですよ
これはグッドバイブスの全貌では全くないですけど
グッドバイブスで言ってる部分の
少なからぬところを含んでると思うんですよね
倉園さんも慶三さんもよくおっしゃるじゃないですか
罪と罰はないんだって言ってますよね
でもそこに我々はなかなか放達できず
あるに変えてしまうんですよね
倉園さんはわざわざ犯罪を除外されてるじゃないですか
社会では犯罪というものは規定されていて
それはないものにするわけにいかないから
だけど世の中一般で問題になっているのは
例えば上司が嫌なことを言ったという程度の話ですよね
だからそこに何かがあると思わないようにしよう
って話をしているんですよ
そういう話をしているんだけど
我々はそれができず
悪いことが起きた
悪いものがあるんだと
お化けはいるんだと
要するにそういういないという
いないとかないとかいう中傷のレベルに
情緒が到達できないですね
気持ちはないってところに行き着けない
だからあるになってしまう
そういう問題を僕らは持っているんですね
だから演説しても無駄だということを
ただ知ればいい
無駄だというのはつまり伝わらなかったんですよね
そういう問題を僕らは持っているんですね
やり取りがあるように思ったけど
実はそこには何もなかったんだよと
そこに過度に絶望しちゃいけないわけですよ
それは僕らがない
もともとタスクシュートというものの話をしても
伝わるという現実は起こらないと
ただそう認識すればいいんだけど
伝わるはずだと思っちゃうから
一生懸命演説した人間は
自分の話は無駄だったんだとか
無視されたんだとか
余計なものを付け加えて抑鬱的になる
でもこれは必要なプロセスなんですよ
一生懸命演説した人間は
自分の話は無駄だったんだとか
一旦ここを踏む
そうすることによって
不在だということを
繰り返し繰り返し自分に叩きつけるというか
自分がそれを知る
そうすることによって我々は
ある程度
鬱にはならないけどそんなことでは
抑鬱的になる
自分に余計な罪の意識を背負う
そして
もっといい伝え方はないのかとか
つまり伝わるという前提を持っているからね
もっといい伝え方はないのかとか
いろんなことを
考えます
そして100回とかもしかすると
1000回とかやってついに分かるわけですよ
傾聴の重要性
伝わらないんだなと
どうすればいいんだろうと
ここに傾聴というものが出てくる
もっと早く学習しろよと
言われるかもしれませんが
腹落ちってそういうことなんですよ
簡単にできるもんじゃないんですね
だから伝わらないのだ
ということが分かる
そして抑鬱的な状態も抜ける
つまり
要するにこれは物詐欺を
そのものなんですよ
物詐欺をとそういうことなんです
失ったと思っていたものが
実は失ったんではなく
なかった
ないことと失うことは違うんだということですね
だからないんだと
いうことが分かる
伝わるということはないんだということが分かる
そして初めて
痛むという話になってくるんだけど
痛むは一旦飛ばしまして
痛む大事なんですけどすごくね
でも痛むんですよ
まずね
相手に罪はないというのは痛むということが分かるんだけど
相手に罪がないということは
自分にも罪はないのです
だから伝わらないということに対して
伝わらないけど頑張ったねということでですね
痛めばいいわけです
痛むというのはそういうことなんですよ
もともとないもので
辛い思いをしなくていいんだということに気づく
で気づくと何が起きるかというとですね
話聞くしかないなってことが分かるんですよ
なぜ伝わらないのか
私が伝え方の区分
つまり私の方をいじくりをすることが分かるんですよ
それに回しても無駄だってことに気づかなきゃいけないわけです
そう言いながら僕はベラベラ喋ってますけど今
これは誰か特定の人が目の前にいて
その人に伝えてるぞっていう構造じゃないからですね
これでいいんだけど
だって僕がここで傾聴してしまったら
この番組消滅しますからね
でも伝える人がいる場合は
伝えるべき人が存在する
その人が存在してくれたら
その人にとってのタスクシュートが取り入れられるネックは
何なんだろうということを考えなきゃいけない
この人にとってのタスクシュートが
これは全部同じですね
精神分析でもグッドバイブスでも絶対同じだと思います
何か絶対そこに
だから精神分析で抵抗という概念がありますが
つまり抵抗がある
タスクシュートが取り入れられない理由があるわけです
これを聞き出す
で大愛当人にもよく分かっていらっしゃらないから
いや私はタスクシュートぜひ学びたいと思ってます
ぐらいなノリだから
ノリはね
でもいざそれを取り入れるとなると
何らかの形で何が抵抗になるのか知りませんが
記録を取るのが面倒くさかったり
自分の正直なロゴをつけるということに
嫌悪感を覚えていらっしゃったり
あるいはひたすら逆算がしたいんだけど
タスクシュートは1日分しかリストがないから
ひたすらの逆算はおよそ向かないとか
いろんな理由がもちろんある
いろんな地点も今言ったようなバリエーションぐらいしかないんだけど
でもこれにさらに個人的な事情が加わって
100人いれば100通りの抵抗があるわけです
これを丁寧に全部聞き取っていくために
やると
やれることは傾聴以外に何もないんですね
ということが分かるわけですよ
ここを分かるようになるためには
出し尽くさなければいけない
自分がタスクシュートについて伝えたいことなり
Good Vibesについて伝えたいことなりを
出せる分だけ全部出す
それも1回や2回じゃダメで
1個1個について10回ずつぐらい出し尽くすと
これをやるとですね
あらゆるバリエーションについて10周ぐらいすると
完全に枯渇
枯渇するんですよ
何言ってもダメじゃんということが分かる
ここから傾聴が確実に始まっていくんですね
だから私は訓練分析というのが
精神分析では課されていますけど
非常に大事なプロセスだと思います
分かってるとか分かってないとか
関係ないんですね
話してみなければいけない
いかにそれが自分の話というのが
伝わりにくいかというのを
かみしめないといけない
話すのが下手とか上手いとかいう話と
別に言わないといけない
別に関係ないところに重大なネックがあって
要するに相手の人は聞きたくないと思っているわけですよ
聞きたくないと思っている人に話していくのは
不毛なわけですね
でもこの不毛なことはやらなきゃいけない
そうしないと相手の人が
どれほど聞きたくないと思っているかが
分からないんですね私たちに
相手の人の言い分を聞かなきゃいけない
ってことに最後は補達するはず
だからそのために
私たちの聞く以外はないんだというところまで
動機づけを強めていく必要があります
自分に喋りたいんだという動機づけがあるのは
大変いいことです
演説したいというのもですね
大変いいことです
話すことないですなんていうのでは
どうしようもないんで
何か伝えようと結局してるわけですから
話すことあるんですよ
そうじゃなくて
それ以上にですね
この話したいという気持ちを抑えるとか
話したい気持ちというのはエゴだと思って
否定するとかではなくてですね
話したいという気持ちをはるかに超えて
自重を聞き取りたいという気持ちを育てていかないといけない
と思うんですね
そうしないと傾聴にならないと思うんです
話聞いてるだけになってしまう
聞き込んでいきたいという気持ちにしていくしかないんだなという
だからそれは黙って聞いてるとか
聞き上手であるっていう話ではないんですね
聞くモチベーションが絶大に高くなっているという状態
なるはずなんですよ
にならなきゃいけないことですね
このことをですね
最近知ったんだけど
物作業に合わせて
先日宮崎駿さんの話しましたけど
あれは物作業だって話を僕はしたと思うんですね
もう一回言っておきますが
これは私の勝手な解釈ですから
ただ物作業だというのは
つまり
宮崎駿さんがプロフェッショナルの流儀で
これは傾聴の話から少しずれるんだけど
でも成功は傾聴の話になってる気がするんですけど
要するに宮崎さんは高畑さんを失ったというところから
スタートした
当然ですね
父親みたいなもんだから
でパクさんが亡くなりましたっていうふうに
宮崎さんが喋ってから
いろんなことを言い始めるわけですね
でも一貫して言うと
高畑さんはいるってことなんですよ
でいないんだったら失われたってことなんですね
だけどいるんですよ結局ね
宮崎さんの心の中にいるってことなんだけど
まあでもいるんですよもう
でいるというのがなくならない
だから居続けちゃうわけですね
でもそれはおかしいわけじゃない
お家の中にお母さんは離婚したのか
実家に帰ったのか知りませんがいない
で子供はお母さんはどこだっていう話があるんですけど
話になるのと変わらないですよね
これはね
この世にいない
まあこの実家帰った場合はこの世にはいるんだけど
いないという事実を受け入れることができない
思えばですね
宮崎さんだったと思うんですけど
初期の作品に母を訪ねてを
作られてるんだと思うんですけど
あれなんかはもうまんまですよね
対象喪失そのまんま
出会えるとかいう話がある場合
一見ややこしいですけれども
出会えるっていうのは
いかにも子供向けじゃないですか
現実にはおそらくは残酷な話かもしれませんが
出会えませんよね
出会えたとしても
出会うことはいいことなのかって問題は残っちゃいますよね
対象喪失というのは結局
この言葉通りなんですよ
対称喪失と抑うつ
現実にいるかいないかよりも
はるかに対象として失ったかどうかの方が重要ですよね
もちろん
死別の場合には対象喪失ということだけが問題になります
現実にはいないわけですからね
だけどここもですね
僕だからしゃべりますが
グッドワイブスと同じ話になっていくんですよ
あなたから何も失われていない
ここがですね
対象喪失って言葉のミソでして
対象が失われることによって
あなたは何も失ってないって
言い切るところまでやっぱり持っていかないとダメなんですよね
対象というのは幻ですからね
私たちの心の中にしか存在しない
だから対象と言ってるわけですよ
対人関係論からスタートした
対人関係論に展開したことがあったわけです
今もあると思います
臨床心理がですね
対人関係論
人との関係が大事だと
でも精神分析は対象関係論といったわけですよ
対人が対象に一文字変わったわけですよ
あなたの心の中にいるお母さんとの関係
あるいはあなたの心の中にいる悪いお母さんとの関係
この悪いお母さんというのがもしかすると
いないお母さんなのかもしれないと
我々は対象というものを喪失することもある
そうすると非常にうつ的になっていく
その展開について
あなたの心は時間が癒やすさっていう
言うじゃないですか
恋人と別れたりしたときにね
あれがまさに物作業というやつなんですね
物作業というのは
つまり対象喪失というものを受け入れて
その人はただいないだけなんだと
私にとっては
私はいなければ
あの人がいなければいけないと思ったんだけど
つまりいるという状態
でないならば
悪いものがいる状態になっちゃうんだけど
つまりそうですよね
孤独があるとかそういうことなんですよ
孤独感があるって
人は言うじゃないですか
孤独感があるというのは
誰かが人がいないと言ってる
変わらない
いないことが悪いことなわけではないですよね
だって私たちは
つがいで生まれてくるわけじゃないんだから
誰かがいなければならないってことはないわけですよね
私たちは少なくとも身体としては
なんていうのかな
誰かとつがってなければ
生きていけない存在とかではないわけですよ
だから一人で生きていけるっていうことではないんだけれども
この点においては一人で生きていけるはずなんですよね
だけども有名なセリフですよね
ウィニコって
生まれた一人で生きている赤ちゃんというものはいない
つまり心の中ではそうじゃないってことなんですよ
心の中では人とつながっている
でこのつながりそのものはですね
誰かがいなくなることによって
失われるわけではない
この辺はすごいややこしいんだけれども
そういう話になる
で時が癒すってやつはですね
要するに物作業は時間とともに進むはずであり
物作業が終了すれば
対象創出の苦しみというものは
ゼロになるというわけではないんでしょうけれども
受け入れられないものではなくなるってことなんだと思うんですね
つまり抑鬱的である必要はなくなる
悲しいかもしれないですよね
うつである必要はないってことなんですね
そういうところまで行き着くはずだと
宮崎さんは作品を一発作ることによって
物作業をおそらく終了させた
だからファクさんはいなくて
まあいいんだってことに彼の心の中でなった
ただそのために相当な苦労をされたと
我々みんな苦労するんですよそれは
物作業の終結
作品作らなくてもですね
作品作っても作らなくても苦労するんですよ
そういうルートをたどるわけですね
彼は映画監督だと
我々はそういうルートをたどりませんけれども
でもそういう苦しみはだいたい誰もがある程度経験しますよね
恋愛でなくても
恋愛が一番わかりやすいですけれども
いっとき苦しむじゃないですか
えらく苦しむ
だけれどもそれが時とともに
あれは風化じゃないってことなんですよね
風化じゃないんですよ
あれやっぱり物作業なんですね
ちゃんと進行しているから
時とともに癒される感じがする
あれがちゃんと進行しないと
苦しみがずっと続くんで
ただ黙ってて風化するわけではないってこと
風化だったら誰もそれで欲打つ状態になる必要はなくて
うつになったりもしないわけじゃないですか
誰でも時間が経てば風化するっていうんであればですね
そうはならないケースがあるから
まあその難易性のうつではないのか
いずれにしてもこのある種のうつは
精神分析ではそう考えるんですね
対称喪失で物作業が完了しなかったり
不全でどっかで止まるとも同じことか
不全でどっかで止まると
うつという症状になる場合がある
うつはこれだけじゃないんだろうけれども
こういうパターンがあるってことですね
だからさっき私が最初の方で言ったのは
タスクシュートの話が伝わらないというのは
対称喪失を私たちみたいにし
それを糧にしてやってるような人間には起こるという
ことですよ
一つの対称喪失なわけですね
これは伝わるはずだという信念が失われる
失われることになって抑うつ的になると
だけど物作業が完了すれば伝わらなくてもいいんだな
っていうか伝わるなどという
この信念を支えていた事実はそこにないんだな
ということに気づけばいいってことですね
残念ながら世の中では常にそうだとは限らない
失われたものを永遠に求めてしまう
だから母を訪ねて
母というのはこの場合は全ての象徴に近いですからね
これだけは失いたくないというものが失われたと
そういう時の物作業が必要だということですね
だから訪ねて行ってしまうというのは
物作業における一つの過程なんですよ
いろんな過程がおそらくある
典型的な過程は書いてありますよ
フロイトも書きました
物作業というのはこう進行するみたいな
最初に悲しみが来る
次に怒りが来るみたいな
だいたい確かにそうなりますよね
なんでいなくなったんだふざけんなみたいな
私を置いて出て行きやがってみたいな
怒りに転嫁されるわけですよね
そこに罪を見るということですね
最後に痛みが来る
お痛みって痛むってやつですね
だからいなくなって人を痛む
その時自分を痛むわけですよ当然
いなくなって寂しいですねという風に自分を痛む
そこまで行くとだんだん完了していくわけですね
これがカウンセリングの終結に呼応しているわけです
カウンセリングの終結って別れじゃないですか
結局カウンセラーの人といろいろなことがあったり
転移性恋愛で恋愛を起こしたりするから
カウンセリングが終了するというのは
すごい寂しくてすごい辛いみたいになるケースがあるわけですよね
ここを物作業で最後に痛むところまで行って終わるのか
終わってから痛むのかわかんないんですけども
不在論とカウンセリング
そういうのまで書いてあるわけです
だから終結があるというところもフロイトが書いているという話なわけですよ
じゃないとずっとカウンセリングが続くことになってしまったりし
あるいは終わることによって鬱になっては困るわけじゃないですか
要するに心理カウンセリングやってるのに
終わって心理的に鬱になりましたでは困るので
最後には物作業を経て終わらなきゃいけないわけですよね
そういう話がここにあるということですね
この話全域を追っているのが
つまりないものがあっちゃうわけですよ
パクさんがまだいるという話を宮崎さんはずっとされていましたけど
それなんですよね我々もそれが
我々の一般的な日常的な悩みの大半がこれだなって感じが
やっぱり僕はするようになったんですよね
もちろん重い神経症とか精神病とかになってくると
そうではないんでしょうけど
我々一般の人生相談の悩みっていうのは
8割以上は不在で問題だなと思うんですよね
失われたとは限りませんけど
とにかくあるべきものがないって言ってるわけですよ
最も抽象度を上げれば
例えば豊かな時間がないっていうのが問題なわけですよ
ないというのは問題にならないはずだって話なんですね
多くの場合ないだけなんでお金がないとかもそうなんだけど
お金がないっていうのは単なる対処喪失では済まないケースが多いですけれども
でもあるべきお金がないというそういう川沿いを数えている場合は
もう完全に不在論の世界ですよね
あるべきと言ってるのは先週からないわけですから
ないだけですよとないってことを受け入れましょうっていうのを
さまざまなパーソナルな状態状況に応じて
事情に応じてカスタマイズするというのが
ある意味カウンセリングなんだなというのを
最近ノートとかSNSで見ていても思うんですよね
この人が怒ってるのはないってことについて怒ってるんだ
例えば正義がないとかね
あるべき社会的なケアがないとか
あるいは夫の思いやりがないとかね
ことごとくそうなんですよ
ないだけなんですよ
思いやりがないというのと拳が飛んできたっていうのは
話が全然違うわけですね
拳はあるわけじゃないですか
だから思いやりがないというのは
悪いことがあるっていうのとイコールじゃないんですよね
あくまでもないというのはないだけなんですよ
それはなかったけれども
あなた気にしなかった時代があったじゃないですか
これが一つのカウンセリングの流れですよね
もちろんこれで納得されるって話ではないですよ
ただそういう事実はあるよねってことです
例えば恋人と別れました悲しいです
置いていったあいつはひどい奴でしたっていうのは
ないものがあるものになって化けてるんだけど
でもあなた出会う前はその人なしでも全然平気だったじゃないですかっていう
一面があるってことですね
それはつまりないだけがないという事実そのものは
問題を引き起こさないはずですよねっていうことなんですよ
たかし君がいないっていうのは
いなくて問題なかったじゃんっていう話なんですよ
でも出会った後にあいつがいなくなったのは大問題だとか
親友のあの人が取ってっちゃったとか
それはもう許しがたい悪がそこにあるから
罰さなきゃなんないみたいなのは
これは物作業の不全なんですよ
物作業は進行していけばいろいろと許しがたいかもしれない
でも許しがたいっていうのはやっぱり物作業の不全なんだと思うんですよね
許せるはずなんですよ
これは一連の経緯があった後では何かがあるように思うかもしれないけど
だから墓場にお化けが出るんだけど
墓場にお化けは出ませんと
なぜならその人はもういないからなんですね
お亡くなりになったのは過去のことだから
現在はいない
いなくても生きていけたはずだから
いなくなっても生きていけるはずだ
でも悲しいじゃないですかっていうのが最後に来ると思うんですね
最後まで残るとすればそれしかないと思うんですよ
許せないじゃないですか
最後までは僕は残らないと思うんですよね
許せるとは思うんです
でも悲しいじゃないですかというのはですね
多分悲しいってのが生きてるってことなんですよ
この場合は
どうしてもそれが悲しいというのであれば
それは生きているからなんですよね
だからここを肯定できないと生きていられなくなってしまうので
ここを肯定するしかない
つまり悲しいっていうのは
こう言うと変なんだけど
いいことなんですよって話になるしかないんです
生きてるのがいいことであるならば
そして生きてれば悲しいのであるならばですね
その人なしで生きるのが悲しいことだったり
寂しいことだったりするってんだったら
それはいいことなんですよっていう
その部分が納得されないと
寂しさや残念さを受け入れる
物作業は終わらないっていうことだと思いますね
私自身のことを思えばですね
やっぱり
まあもう昔のことになっちゃうから
完全にいい思い出になっちゃうんですけど
これなんですよね
誰それと付き合いましたってのも
別れた直後は当然悲しいし寂しいし
腹が立つわけですけれども
それから年数経って後から考えてみると
やっぱりいい思い出になっちゃってるわけですよ
これは記憶を捏造したり歪めてるわけじゃないってことなんですよ
これはつまり寂しかったり残念だったりもする部分はあるんだけど
含めていいことです
と言えるためには生きてなきゃならないってことなんですね
だからそういうのってのは確かになるほど
物作業が終わってれば
なるほど罪はないって話
なるほど痛みと痛むっていう話
つまりこれが私別であればね
痛む以外の手はないから
痛むってことになるんだかと
つまり痛むというのは
不在は不在であるというのを納得するってことでもあるわけですね
まあ思いやるでしょ
相手のこと思いやるなくなってるわけだから
相手の選択を受け入れるとか相手の選択を肯定するとか
奇麗ごとに聞こえることが多いんだけど
結局こういうことなんですよ
でも奇麗ごとに聞こえるのが嫌だっていうんであれば
嫌だってことはないと思うんだけど
不在は不在であると
もともとその人と一緒じゃなかった時代に
楽しく生きてたじゃないですかと
今いなくなって楽しく生きられないわけがないじゃないですか
っていうような話でもあるんですよ
でもいいわけです
もっともっと軽いところでは
現実を見ること
タスクシュートの話が伝わりませんでいいわけですよ
記録取りましょうと言っても取ってもらえませんと
もともとタスクシュートを知らずに生きていた時代が
私になって当然あったわけですよ
大学の時代とか
なかったと思うんでねそもそも
だからその時代に生きていたことを思えばですね
伝わらないからと言って
生きていけなくなるなんてことはありえない
だからそれは少々残念に思うことがあるかもしれないけれども
何ら問題がないと言ってしまってもいいわけです
だけども出会って
タスクシュートにね
伝わると思って
思い込んで
それを手放さなければならないというのは
若干痛みに感じるというのであれば
それは生きていればこその話なわけです
僕が死んでしまっていれば
そんなことで傷んだりするはずはないわけですからね
というふうに
やはりかなり多くの我々の
苦悩というのは
ないものをないというふうに
受け入れられずに何かと取り違えている
そこに罪を見たり悪を見たりしている
つまり何かが存在していると思って
自分を苦しめていると信じている
つまりお腹の中にミルクがない赤ちゃんが
お腹の中に私を苦しめる悪いものがあると信じている
悪いおっぱいがあるってやつね
と信じている
そういう状態を脱さないと
現実を見に行きましょうって話になるわけですね
現実を見に行ってこの状態を脱しましょうということですね
我々は現実を見る能力があるんだから
やっぱりそれも生きているってことじゃないですか
多分人間が少なくとも人間が生きるってことは
本能で現実を見分けられないんで
ここが我々人間の特徴なんですよね
犬は多分ないものにあずらされているんですよね
犬が母犬を失ったって
もちろんしばらくの間はつらいと思うんですけれども
でもやっぱり永続はしないと思うんですね
彼らは本能で生きているから
イリュージョンというものに
あずらされることはないわけですよね
ないものはないわけですよ
あるものと生きている
それが現実に生きるってことだもんね
だけど我々は
幸か不幸か大脳がでかいんで
記憶とイリュージョンを大量に作っているんですよ
作り出すんですね
そして現実なのか非現実なのかも
区別がつかなくなってしまう
夢ってのが典型的ですよね
夢で見ているものは何一つないんだけれども
あると思っているから
一生懸命夢の中で頑張る
でもないわけですよ
でないというのは事実なんで
もう受け入れるより他ない
生きていきたければ
という話でしかない
これを
ちょっちゅうですね
日常生活の中で
確認する作業を
怠らなければ
だいぶ楽に生きられる
と思うんですよね
多分我々が
言葉が通じる我々がですよ
象徴機能を使える我々が
辛いとか
腹立たしいとか
怒りが収まらんと思っている時は
無いものがあると思っているところがあります
時間とかね
失ってしまったと思っているものが
あるはずです
失ってしまったってものがないってことが
分かればですね
結局クラゾンさんがよくおっしゃるやつですね
あなたは何も失っていない
無いものは失えないんですからね
これが私たちは
多分分からないんですね
イリュージョンに
混乱させられていて
分からなくなってしまうんです
だからあるんですよ
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