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2021-05-17 45:13

【GMV 377】自分を他人に優先すると未来の報酬に期待することになる

依頼に全力で応えることが人生をつませることにはつながらない
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、梅雨入りなんですかね。間もなく梅雨入りするんでしょうね。
なんかこう、二宮もすごい荒れ模様な感じです。
荒れ模様だとですね、ただ時間的には余裕ができるんですよ。
散歩に行きにくいというか、行けなくなるのと、もう一つは庭に水をまかなくて済むので、
なんか40分以上は浮くというところがあって、おかげでグッドモーニングバイブスは早めに収録できたりします。
あのー、おとといだ。
おととい、週刊課講座というもの、おかげさまで盛況で、
私の主催ではないんですが、J松崎株式会社さんの主催でゲスト講師として行ってお話ししました。
オンラインですけどね。行ってって言っても家で喋ってるだけだったんですけど。
これの質問をいっぱいいただいたのがYouTubeにあってですね、
それを見て、なんかちょっと法則を入れた方がいいなと思ったので、
しばしばファジリデーターのエフタさんという方が、不意にご質問をまとめて投げかけてくれるという形をとっていただいてたんですよ。
私は、面白い現象なんですけど、記憶がつながってしまうんですね。
私は喋っていたつもりのことが、実は喋ってはいたんだけど、質問の中で喋ってたりしてるわけですよ。
ところが、私はそれをセミナーのエフタさんとのやり取りではなく、
私がトークをしている内容の中で繋いで喋っているように、僕の記憶は改ざんされてて、
エフタさんとの質問で喋っていることが、実はトークのメインで喋っていることであったかのように、僕の中で錯覚が起こっていて、
多分その辺でですね、ここら辺のロジックが繋がっていない感じがするっていうふうにおっしゃられている質問等が、
分かりにくかった部分の中にはですね、ロジカルが繋がっていないっていうか、
私のメイントークが、すべてのロジカルがロジカルに繋がっているというわけではそもそもない話ですし、
私が喋っているつもりであったことが、喋ってはいるんだけれども、
メインとして喋っておくべきだったことが、多分途切れていた感じがあったのかなと、後から聞いて思いました。
03:05
あの辺はすごい面白い現象なんですよね。
完璧に自分が喋った通りに記憶が起こるわけではないんで、
セミナー中にそういう現象が起きるんだなと。
起きますよね。起きそうなことではあります。
そのことを補強するっていうのはおかしいんですけど、
喋っていないわけじゃないことなので。
あともう一つはですね、ここの部分を理解したくないというか、受け入れたくないという気持ち。
それはご質問の中にはしばしに現れていて、
ただですね、これもこの番組では何度か使う表現ですが、
音度差があるんですよ。
割とすんなり受け入れられている方も結構いらっしゃっていて、
明らかに拒否反応的なものが出ている方もいらっしゃっているんだけど、
拒否反応の出ている方向けには話すわけにはいかないんですね。
数百名の方がいらっしゃる中で、メインテーマは習慣化であって、
今日この話もちょっとしますけど、なぜ拒否反応が出ちゃうのかということなんですよ。
あの部分ですよ。
自分のことを他人の依頼に優先しないと私が言った部分。
ここに拒否反応が出てしまうんですね。
でもここを話のメインに持っていっちゃうと、
習慣化がどっか行ってしまうし、時間的にも十分ではなかったし、
やっぱりあまりにも文脈から反れていってしまうので、
こっちの話はメインには持ってきてないんですね、最初から。
エフタさんからのご質問の中にも、ここも盛り込まれてはいたんですけど、
やっぱりここをずっと喋っているわけにはいかないので、
ここも今日は少しお話ししてみます。
見ますけど、ここは習慣化にどうしても直結しにくい部分ではあるんですね。
つまり拒否反応の方がですね。
拒否反応の方のお話は言わんとすることはわかっております。
あれですよね。
つまり人を自分に優先していたらズタズタになってしまって、
先生積んでしまう真っ暗だっていうお話なんですよね。
これはですね、その話今日は少ししようと思っています。
まず何で依頼ってことがそもそも習慣化に出てくるのかというと、
これはもう自明というか簡単でして、
冒頭の、今スライドがないから映せませんけど、
冒頭の質問にあったわけですね。参加動機にあったんですよ。
音楽をやってるって方で、音楽の優勝の依頼はちゃんとやれるんだけれども、
趣味の音楽が習慣化できなくてよくないんじゃないかみたいな、
そういうご質問がありましたね。趣旨としてはこうでした。
06:02
これに答えがあるわけです。
依頼はできると、これがもう答えですよね。
依頼は習慣化するのに容易なんですよ。
これを使わない手はないでしょうというのが、
私が依頼を持ってきているメインの理由で、
他には別にいらないと思うんですね。
なぜこの優勝の依頼をできるということだけではダメなのか。
私も音楽はやらないのでちょっと分からないんですけど、
本で完全に同じことが起こります。
優勝の依頼で書く原稿はちゃんと書けるけど、
趣味でやる、例えばブログは完全に趣味とは言えないけど、
趣味でやるブログは途切れがちになる。
ごく当然のことだと思うんですね。
だから私はセミナーでも何度も何度も強調させていただいたわけですよね。
報酬のあることは私たちはできますが、
報酬がないことを続けようとすると困難だと。
やりたいということは必ずしも報酬を伴う。
やりたいと思ったときにやればそれは報酬になりますけど、
やりたいと思ったことを毎日やりたいかというと別にそんなことはないですし、
食事ですらそうじゃないですか。食べたくない日もあるじゃないですか。
でも私たちは食事が途切れることはないですね。
なぜなら食事は生きていく上で必須の報酬を含むから、
これが途切れるということはできないわけですよね。
ここに大事なポイントがあって、
習慣化をするときはいつでもこのことを思い出すべきだと思うんですよ。
なぜ毎日食事はできるのに、例えば毎日日記は書けなくなるのかと。
自明だと僕は思うんです、それに関しては。
絶対にやらなくてはいけないこととそうではないことの違いでしかない。
だからこれを習慣化と言うべきなのかどうかも微妙なところがあるんですよ。
でも習慣化ということを言葉を使ってもいいと思うんです。
動物もこれで習慣化できるわけですからね。
報酬のあることはやるし、報酬のないことはやれなくなる。
だから私はまず依頼に着目しましょうという話をしました。
依頼に着目するということはですね、そもそもですね、
もう一つ私は、これはちょっと下脱線ですけど、
音楽はそれじゃダメなのかなというのがちょっとあるんですよね。
なぜ音楽が好きだと、趣味でもやりたいと思っているほどの方が
有償の音楽の依頼が来る、これってすごいことじゃないですか。
みんながこれを望んでいることだと僕なんかは思うんですよ。
あの方にダイレクトで聞き直してもよかったと思うんですけれども、
何しろ人数の多い回でしたし、
一人の方だけをピックアップして長々とやっているというのもよろしくなかったので、
09:00
昨日その日はしませんでしたけれども、
なんでそれじゃダメなのかというのはありますよね。
文章書くのが好きだと、小説書くのが好きだという人が、
趣味では続けているんですが、仕事が来ませんという話の方が一般的ですよね。
あれ逆の話ですからね。
依頼が来て有償でやっている、もう十分じゃないかって私は思うんですよね。
その趣味でやれないということっていうのは、
習慣化講座で何とかしなければならないほどの問題なんでしょうかね。
私は原稿を書くにあたって、
趣味で原稿を書かなければならないとは思わないんですよ、別に。
仕事で来るんだからそれで十分ですよね。
仕事で来るにもかかわらず、そこで満たしきれないものがあるっていうのは、
これがやっぱりセミナー中に言っていたことなんですけれども、
言っていたと思うんですけどね。
依頼をマインドフルでできていないってことなんではないかと思うんですね。
依頼をマインドフルでやるということを講談の中心で、
後半の中心で喋っていたわけですよ。
これはいたって単純なことだと僕は思うんですね。
依頼をマインドフルでやるというのは、
このマインドフルネスという言葉にあまりにも独特の漢字が付きまとってしまっているのかもしれませんけれども、
依頼をマインドフルでやるということは、それに注意をちゃんと払うというだけですね。
その時に心をルスにしないというのかな。
マインドですからね。
マインドがその依頼についてでフルになっている。
これがですね、その時に、依頼を実行している真っ最中に報酬を得るという方法というか、
それしかないだろうと思います。
依頼をしている真っ最中に、依頼以外のことに頭の70%以上が言っちゃっていればですね、
やってる時のことが実感できないというのは別に当たり前のことじゃないですか。
一方が違うと依頼の真っ最中に90%以上頭が大リーグの野球のことに言っちゃってるということになると、
音楽を作っている最中に音楽を作るということから得られている実感が9割方なくなっていくというのは別に何も驚くようなことじゃないと思うんですよ。
なぜこれをですね、マインドフルでやるとフリーライドされた時どうするんだって話になってしまうのかと。
一見すごく繋がっているようで、僕は全然繋がっていないんじゃないかなと思うんですね。
12:01
マインドフルでやってないのかもしれない。これ音楽の人に失礼なんであれなんですけれども、
マインドフルでやってないのかもしれないですね。やってるかもしれない。
それはわかんないんですけど、マインドフルで仮にやってないとしましょう。
音楽の話じゃなくて、僕が原稿を書くのでもいいですよ。マインドフルは危険だと。
そういうご質問が結構あったわけですよ、ここのところで。
依頼にマインドフルで答えということをすると、例えばこうひどい足を引っ張るのが好きな上司とかはどう対応すればいいのかとか、
なぜこういう議論になるのかと思うんですよね。
なぜなるのかを今日は少し考えたいと思うんですけれども、
フリーライド、フリーライドって言葉も出てきましたね。
ただ乗りですかね。フリーライドしようとしている人にいいように利用されて人生積むんじゃないかとか、
そういうことなんですが、そういうご質問なんですけど。
つまりそれは、もしマインドフルでやるか、全く依頼に答えないかなら、またちょっと違うと思うんですけど、
依頼には答えていると思うんですよ。
だって依頼に答えているから優勝の音楽で依頼に答えて作品ができるわけですし、
参加した方全てそうだと思うんですよ。音楽の方の話に寄っちゃってますけど、
参加した全ての方、全員じゃないかもしれないけど、たぶん99%の方、依頼に答えてはいると思うんですよね、既に。
じゃないと仕事ゼロってことになってしまう。
仕事ってのは依頼の数なので、お金も出てるわけですよね。
だからセミナーにも参加できるぐらいの余裕はお持ちなわけですよね。
この場合、マインドフルでしなければ安全だが、マインドフルでしてしまうと危険であるというのは、
どうしてそういうことになるんだろうということが一つ、まず何よりもあると思うんですね。
なぜ私がマインドフルで原稿を書くと人生積むんだけれども、
マインドレスで原稿に5%くらいで、あとは千葉ロッテの野球をずっと見ながら原稿を書くと、
こうすると人生はハッピーになるというのはどうしてなんでしょうね。
この違いが、校舎の方が全然有利だという理由が出てこないような気がするんですよね。
マインドフルで対応しましょうと私はセミナーでは言いました。
依頼を自分都合に優先させてでも、マインドフルで依頼に対応しましょうという話はしましたが、
別にカニ鉱船に乗りましょうって話はしてないんですよ。
このようになるらしいんですけれども、
例えば、どんなにサイコパスのような編集さんに出した原稿が赤入れどころではなくて、
15:07
シュレッダーにかけられて、でも紙で出さないからな、シュレッダーでかけられて小包みで戻ってきましたと、
これでもマインドフルで対応しなければいけないんですっていう話をしたわけではないんですよ。
ただ原稿を書くときはマインドフルで書きましょうという趣旨としてはそういうことなんですね。
依頼ならできるわけですね。
例えば食事って出しましたけど、食事というのは肉体からの依頼ですが、
これはもしかすると肉体はただ乗りしようとしているのかもしれませんし、
自分の肉体がサイコパスってのはおかしいと思うんだけど、
とにかくいっぱい寝てあげてもお風呂に入ってあげてもありがとうの一言も言わないかもしれませんが、
私たちはスルーじゃないですか。
依頼に応えて基本マインドフルでやると、
マインドフルでやらない方もいらっしゃるかな、
特にお風呂なんかはですね、なるべく他のことをやりながら入るかもしれないんですけど、
僕それやめた方がいいと思うんですが、
寝てるとき一番考えられることなんですよね。
睡眠学習とかはしないと思うんですよ、やっぱり。
寝るときは寝ることに集中するのがいいと思うし、してると思うんですよね。
これがトイレとか食事とかになると、
途端にずっとスマホを読みながらになってしまうかもしれませんが、
マインドフルでやった方がきっといいと思います。
こっちの話もですね、もっと強調しておいたらよかったかなと思うんですけど、
いずれにしても肉体からの依頼には応えていると思うんですよ。
このときもマインドフルでやるとフリーライドされて人生つむっていうのは、
僕はおかしいと思うんですよね。
その間スマホを読むのも一切やめたら、
多分肉体にいいように操られて自分は死んでしまうだろうっていうのは、
どうも僕にはそれに近いように聞こえるんですよ。
依頼に対してマインドフルでやってはならないというのは。
この話ですね。
日記にしてみますね。
日記はいい例だと思うんですね。
非常に習慣化が難しいと思っているので、
日記は誰からの依頼でもないからなんですよ。
筋トレでもいいんですけど、筋トレにしましょうかね。
筋トレか日記にしましょう。
筋トレもそうなんですよ。
誰からの依頼でもないですから。
そうすると私たちは自分を優先するとどういうことが起こるかというと、
多分どんな時でも他人がそこにやってきて何かを依頼してきた時と、
自分が何かをしたいことがぶつかる時はあると思うんです。
それも非常に頻繁にあると思うんですね。
この時の態度でマインドフルネスというものに対する捉え方が、
グッドバイブスと今日言ってませんが、
それはあの日はグッドバイブスという言葉も使いましたけどセミナー中、
18:01
マインドフルネスという言葉の方が皆さんに
一から説明せずに済むだろうという思惑もありまして、
マインドフルネスと言ったから今日こっちの言葉を使っています。
今ここにという意味では変わらないんですよ。
心をフルに満たして、
例えば庭を眺める時に、
私たちの頭って庭を眺めながら、
例えばグッドモーニングバイブスのことを考えるとかも容易にできるじゃないですか。
それをしないってことですよね。
これなんかひどく難しいと思っている方がいらっしゃるんですが、
できることはできると思うんですね。
24時間これだけで過ごすのは難しいですね。
私にはまだ難しいところがありますが、
できることはできるんですよ。やろうと思っている間は。
考えなければいいわけですから。
マインドフルで、マインドを満たして依頼のことをするって時に、
必ず自分が何かをしたいと思った時に依頼がやってきてしまうという、
あるいは自分が優先的に先に進めておきたいという他人の依頼をやっている時に、
さらに別の依頼がやってくるってことは、これは起こることです。
この時に私たちはマインドフルというものをどう考えているかが出るんだと思うんです。
だからそのことをお話ししたつもりなんですね。
自分のことを優先するというのは、
例えばうちの娘が今中学受験ですけど、
ちょっとパパはここ分からないところがあるんだけど、いいって言ってきた時に、
いやいやちょっと今日記書いてるからって言って、受け付けないと。
こういうことになった時に、私はマインドフルでなくなると思うんですよ。
こういう対応を娘にすることは僕は今しゃべっていて、絶対ありえそうにないなと思ったんで、
そこで何が起きているかが分かりやすいんですけれども、筋トレでもいいですよね。
いや今パパはちょっと筋トレやってるわけだから、終わるまで待ってなさいと。
待ちそうですけどね。
なんでこれがあれかというと、
未来報酬に意識がはっきりいっている時にこれが起こるということなんです。
娘の依頼は受け付けずに、つまり娘の依頼は現在からやってくるんですよ。
現在からしか絶対来られないんですよね。
娘が勉強教えてくれと言うだろうと思っているのとこれは違って、言ってきているわけですよね、現在。
それは現実からやってきているんですよ。
現実からやってきているものの価値は低く見て、少なくとも今現在は自分の筋トレをやりきることの方が、
こっちは未来に向かいますよね、意識が。
やりきっておかなければ報酬が得られなくなるという考え方なんだと思うんですよね。
21:05
これが自分を他人の依頼に優先した時に起こる現象で、
この時私はマインドフルネスから明らかに転落しているにもかかわらずですね、
僕なら転落って感じるんだけど、マインドフルネスでなくなっているにもかかわらず、
この判断の方が正しいって思うとするとですね、
私は時と場合によってはマインドフルじゃない方がいいんだということになっちゃうわけじゃないですか。
マインドフルがいつもできるかできないかというのとはまたこれ違うと思うんですよ。
マインドフルじゃない方がいいっていう選択になると思うんですね。
これをするということが自分の判断を狂わせると思うんです。
これをすることによって習慣化ができなくなっていくと僕はむしろ思うんですよね。
なぜならばこの場合筋トレでも日記でもいいんですけれども、報酬が未来にあることが確実になったからです。
だって現在受けた依頼は受け付けずに自分の未来を優先したわけだから、
自分の未来というものに行ってみれば期待をかけたわけですね。
このような文脈で考えてみたときにですね、
私ずいぶん昔に書いた本なんですけど、私の唯一のと言って、唯一のではないか、
私の中で一番売れた本、筆頭に書いたんですよ。
未来の自分に期待しない。これはですね、非常に受け入れられたんですよ。
先送り防止の本ですね。50の方法、優れる人になる50の方法とかいうので、
今100の方法になって審判になって門川さんが文庫と言うべきなのか単行と言うべきなのか、
中間みたいな方法を作ってくださったんですけど、それは100の方法になってるんですけど、
第1がやっぱり未来の自分に期待しないなんです。
ここはね、全ての編集さんがですね、これは良いですよねってよく言ってくださるんですけど、
これと全く同じだと思うんですね。未来の自分に期待しないから、その場で依頼されたら受けるわけですよ。
さっきも言いましたが、その依頼がこれからマグロ船に乗れとかだったら、受け入れなくていいと思うんですよ。
でも娘が勉強教えてくれと言ってるわけですよ。
これに対して自分の日記なり筋トレなりを優先させるっていうのは、
すっごくあからさまに他人とか現実とか他者とか現在とか外部といったものに対する価値を、
何て言うんですかね、価値の重みづけをグッと下げてですね、
自分の未来というものがもっと輝くようにする方が報酬がでかいって言ってるのと全く変わらないと思うんですね。
そんなことはあり得ないんですよ。
一つには何度もこの番組では言ってるんですけれども、
24:00
未来というものにはいけないからですね。
未来に報酬があるんだったらそれはできないんですよ。
報酬が未来にしかないんだったら。
そのことはもうあのセミナー中にですけれども、
おとといのオンラインセミナー中に150あったんですよ。
150のご質問のほとんど8割以上が未来にこういう報酬があると思っているのにそれができませんということで、
あとのバリエーションはもうそれができなくて3日で終わってしまうという方。
あと面白かったのが3日坊主の女王って書かれていた方と、
あるいはそれによって自責の念が募ってちょっと欲打つっぽくなってるって方までいらっしゃったんですけど、
全部同じようなことをおっしゃってるんですよ。
未来にある報酬がゲットできるはずなのに、
習慣化できないためにそれがゲットできない。
そうじゃないんですよ、習慣化というのは。
報酬があったことを繰り返す。
報酬をゲットしていることを繰り返せるんですよ。
食事ってそうじゃないですか。
食べたら報酬が得られるわけですよ。
だから繰り返せるんですよね。
現在において、現実においてそれをやって、
現実においてそれを得て、報酬をですね。
そして現実に報酬を得たということによって、
次もそれと同じようなことをやることを習慣と言うんですよ。
だから未来にあるはずの報酬を取りに行くために何かを繰り返すことはできないんですよ。
多分僕はできないと思うんです。
という話は受け入れられたんですよね。
これを前半に繰り返してしゃべってて、
こっちは受け入れられたんですよ。
だから依頼を自分の未来に優先させる。
自分の未来を他人からの依頼に優先させるのはやめましょうと言った方が、
ここで一気に話が蚊に抗戦化したわけですね。
というふうに受け止められたわけです。
そのようなことをしていては、
足を引っ張るだけが人生の生き甲斐になっている上司に、
いいように足を引っ張られて人生が進むという話になってしまったわけなんですけど、
そういうことではないということなんです。
自分の未来を現在の依頼に優先させるという態度だと、
結局のところは未来の自分に期待しますという話になってしまって、
元に戻っちゃうんですよ。
それだと習慣化ってできないんですと、
先を繰り返されるだけになっていくんですという話なんです。
だって報酬自体がイリュージョンになっちゃいますから。
報酬が未来にあるわけですからね。
過去にあっても同じですよ。
過去の栄光って言うじゃないですか。
栄光は過去にあったら、
それはもう報酬として手に入れられないですよね。
さっき私言いましたよね。
私の本が一番売れたと。
27:01
あの本が売れたから、
ああいう本をまた書こうって思っても書けるものじゃないんですよ。
だってそれは過去に売れたんであって、
同じ本を書いたからって、
未来にもまた売れるとは限らないじゃないですか。
報酬っていうのはもっとはっきりしたものじゃないと、
そういう蜃気楼みたいな報酬で、
100日も200日も同じことを続けていられるものではないわけです。
だから、
未来の自分に期待しないわけです。
この仕事はものすごく大変です。
音楽でもいいですよ。
多分、分かんないですけどね、僕は。
作曲、これからしようと、
パソコンの上の画面で、
こういうコードを作ってとかやっているのはとっても辛いので、
明日の朝の私なら元気で、
インスピレーションもいっぱい湧くから、
明日の朝にやろう。
これを先送りと言うんじゃないですか。
未来にだったら報酬があるっていうことなんだけど、
そういう未来の報酬を宛てにして、
現在の行動を取ることは不可能なんですよね。
まさに先送りが繰り返されるだけになってしまうんです。
っていう話は受けられるらしいんですよね。
この形を他人からの依頼を廃した時にも、
再現されてしまうということです。
必ず筋トレなら筋トレ。
今のこの筋トレを続けることによって、
未来の自分がベターになるから、
現在の他人になど構っていられないというのは、
現在というものを極力荒廃して、
未来に生きていこうということなんですよ。
でもそれはできないってことなんです。
いずれこの姿勢で頑張っていると、
頑張りきれなくなるのが普通です。
日記もそうで、
日記というのはどういう未来に
栄光があるのか分かりませんが、
日記がたまるという未来が待っている。
だから娘からの現在の依頼というものは、
シャットアウトすると。
これをやるということは、
結局自分のを取ってしまえば、
まさに未来に報酬はあり、
そして依頼にも他人のを捨ててしまえばですね、
依頼、つまり現在の依頼というものには価値がないと。
そういう判断なんですね。
この判断は多分先送りを普通の人は招く。
でもですね、
そうすると自分のことはどうなってしまうか、
その心配をそんなにしなければならないという、
その真理の話かなと思うんです。
例えばこれは娘さんからの、
既に依頼を受けてしまうから話がへやこしくなる。
これに近いご質問もあったんですよね。
エフタさんから直にいただいたのがこれに近かった。
先に想定しておいて、
最初からここの筋トレのルームに鍵でもかけるのかな。
同じことになっちゃうと思うんですけど、
30:01
まあいいや、
例えば最初から出かけておくことで、
依頼が発生しないようにすればいいのではないか。
この議論も結構出るんですよね。
つまり、
ジムに行くなり、
時間をロックしておくというお話があったんですけど、
これも全く僕は未来想定型なんだと思うんですが、
そういう横槍が入らないように、
あらかじめ想定しておく方が
習慣化になるのではないかと。
実は前半も話を無視されてたんじゃないかなと、
そのお話、そのご質問をいただいたとき、
すごく心配になったんですよ。
これ完全に未来の想定型になっていて、
未来に何かが期待できると思っては
習慣化できませんという話を
3、40分一生懸命喋った直後に
これが出てしまうということはですね、
もしかすると前半が非常に納得がいったという話も
結構微妙なんじゃないかというふうに
思ったんですけれども、
これはですね、でもこの発想までが出るというところに
僕は違うものを感じたんです。
その時も、
エフタさんのまとめてもらったお話には
やっぱりパワハラ上司って言葉が出てきたんですけど、
この話にパワハラ上司は本来関係ないんですけれども、
あと、昔、
親が非常にひどいことをしたという話も
ちらっとお話しされてたかな、
これも記憶解散されて読んだだけなのかもしれないんですけど、
ちょっとすみません、分かんないですけど、
親に昔ひどいことをされたと、あれも依頼で見なさなければいけないのか、
これは完全に私への批判だったと思います。
だけれども、過去に親にされたひどいことが
依頼だったかどうかというのは、
今回の習慣化の文脈にはほぼ関係がないと
僕は思うんですね、本当は。
何が出てくるかということは、
習慣化の中にですね、
復習ということがあるんだと
いうふうに思ったんです。
もうその時にこの話に、さっき言った通り、
この話に行ってしまうのは、全ての人、多くの人には多分
あんまり響かないでしょうし、
しかも全然違う方面に行ってしまうので、
その時はやめておきましたけれども、
習慣化することにより、
奴らを見返したいと、
その奴らはいる方にはいらっしゃる。
例えば、昔自分をいじめた奴らとか、
それこそ自分をひどい目にあわせた親とか、
あるいは、
これはちょっとまた違いますが、
自分を陰で笑っている奴らとかね、
多分これいないと思うんですけどね、
いるという方にとってもいるんで、
33:01
そういう奴らに見返すためにですね、
私は闇で練習、
闇練とかっていう言葉もあるじゃないですか、
闇で特訓をして、
かつての自分ではないというところを
見せつけてやらなければならない、
という復習心というのと習慣化というのが多分
関係づくんだろうなと思ったんです。
この文脈で考える場合には、
自分を他人に優先してはならないというのは、
怒りをかいますよね。
これは、奴らの一味に僕がなっちゃうからなんですよ。
昔いじめた奴ら、
僕絶対一味じゃないと思うんですけど、
昔いじめた奴らの仲間だということになってしまうんですよね。
他人を自分に優先しましょうとか、
依頼に応えましょうという
そそ昔を受け入れることによって、
私は結局のところ復習を果たせずに、
あざわられたまま一生が終わる、
っていう積むですよね。
人生が積むっていう表現を時々、
これは僕は俗化だと思うんだけど、
取りますけれども、そういうことなんだと思います。
これは、中間化の原動力に、
もしかするとなるのかもしれません。
何かを続けると。
筋トレを続けるっていうのは、
どうしても僕の中では釈然としませんが、
ましてこれで日記が続くとなってくると釈然としないんですけども、
でも何かあるのかもしれませんね。
例えば、この強いリベンジ思考による
朝勝が続き、
朝勝がすごく何か自分を成功に導き、
だからこれ一見未来報酬型なんですが、
実は同時に、
過去に対する復習というものも含んでいて、
それがセットになる原動力なのかなと思います。
別にこれ、
非難してるわけじゃないですよ。
私はただそういう文脈で習慣を捉えてなかったから、
普通に習慣について報酬があれば続きますし、
ない場合は続きません。
その報酬を得るには現在という時間帯だけが
報酬を得られる時間帯で、
未来に行って報酬を取ってくることはできないし、
ずっと未来にあり続ける蜃気楼みたいなもので
何かを繰り返すことは不可能ですという話をしてたんですが、
場合によっては、
遠い未来にではなくか、
むしろ近い未来、
自分が成功したところを見せつけて、
過去に自分を馬鹿にしたやつらを見返すという、
そういう原動力で習慣にすることはできるのかもしれないと、
そういう感じのことは抱きました。
ただ、私はこれを習慣化とは認識していなかったので、
そういう文脈で考えたほうが、
36:02
フリーライドとか、
蚊に好戦みたいな話がむしろしっくりくるなという感じが
あって、
蚊に好戦はもっと大変で困っちゃうんですけれども、
これはですね、
習慣化の文脈では、
私は考えていなかったから、
この文脈のご質問は
答えるのは難しいですが、
蚊に好戦というのは、
蚊に好戦というのは、
蚊に好戦というのは、
筋トレとか日記とか朝勝とか、
筋トレとか日記とか朝勝とか、
何でもいいんですけれども、
そこに依頼がない場合、
単純習慣化は非常に難しいんですよ。
これは何かを成し遂げる話になっていて、
習慣化の話から大きくズレたと思うんですね。
特にその成し遂げようというのが、
リベンジであるならば、
結局のところ習慣化だけではダメだって話ですから。
だってそれは、例えば文章を毎日書くようにしていて、
文章が上手くなりました。
ではダメですよね、明らかに。
そうなったからといって何の復習も果たせない気がするので、
やっぱりこれは何か違うものを要しなければならない。
だからそれは単純習慣化の話では、
全くなくなるんだろうなというのが、
まずあります。
もう一つはですね、
依頼に応えるというのが難しいと思うんですよね、
こういう文脈に入ってしまったら。
こういう文脈から少なくとも私の話としてはですね、
依頼に応えるというもの、
依頼にマインドフルで対応するということを、
単にニュートラルに捉えてほしいわけです。
トイレに行くということは、
依頼に応えるということだと思うんですよ、
自分の肉体の。
何ら復習とは関係がない。
トイレに行ったからといってですね、
それをマインドフルでやったからといって、
世の中のその間に、
日経のオンラインを見て、
世界の情勢をトイレ中に把握している人に差をつけられて、
人生お先真っ暗になるということで、
佐々木がそれをそそのかすみたいな、
その文脈って相当無理があるじゃないですか。
ほぼギャグになっちゃうじゃないですか。
だから、この想定をする、
未来の計画を立てるということを、
現在をすっぽかして、
うつつをぬかすのはうつつって、現在って意味なんですよ。
現在の現を書くんですね。ぬかすんですよ、うつつを。
うつつをぬかすっていうのは、
いい意味じゃないじゃないですか。
うつつをぬかすというのは、よく言いますよね、昔の言い回しでは。
女にうつつをぬかすとかって言うじゃないですか。
39:00
つまり、何か自分の心がとらわれているものに、
持ってかれてしまって、
現在に心がないって状態は、
昔から良くなかったんですよ。
この状態を取り戻そうって話なんです。
うつつを取り戻そうって話なんですよ、単に。
単に。うつつを取り戻したからといって、
フリーライドされるって話には、やっぱりつながらないんですね。
決してニュートラルにここは、
やっていただければいいだけなんです。
娘が宿題見てって言ったら、見ればいいんですよ。
日給や筋トレはその後すれば、
それで十分ですよね。
ここに、なんかこうですね、エンドレスで、
実は娘さんは、
小さな頃からサイコパスっぽくて、
筋トレをするためなら、
いつまででも宿題の分からなさを
引っ張ろうとしているとか、
そういうことを考えるほど話が複雑じゃない、
ということだったんですよ。
これだけでも十分だと思いますので、
ここから先は、ごくごく簡単なCMも含めて、
あと数分タスクシュートに
この話を移したいんですけどね。
タスクシュートの管理トレーニングセンターのCMを
させていただいたんですけど、
タスクシュートとノープランが相入れないと、
私はもう全くそうは思わないんですね。
CMのためにそれを言ったわけでもなんでもなくて、
途中申しましたが、24時間頭痛を抜かさずにいることは、
依然として私にも困難なんですが、
だいぶできるようになりました。
ただ、昔は本当に困難でした。
昔ってどれくらいかというとタスクシュートを知る前です。
知る前本当に困難だったんですよ。
何にもないまま、
うつつを抜かすのも当然だと思って、
シャワーを浴びている最中は何か考えていたし、
トイレにいる間は絶対スモークじゃないけど見ていたし、
散歩の途中も心は散歩になかったし、
食事中すら何か雑誌読んでいる。
つまり常にうつつを抜かし続けているようなタイプの人だったんですね。
別に珍しいタイプだとは思いません。
ごく普通だと思います。
テレビ見ててもテレビ見てないんですよ。
だから僕は昔からスモークをよく見てたんですけど、
どっちかかったか覚えてないんですよ。
そういうことも多々あったんですね。
仕事中も仕事のことは考えてないんですよ。
一体あれは何だったんだろうって思うんですね。
私は発達障害とかフリーライドとかパオハラとか
という言葉は自分には適用しない方がいいと思います。
自分には適用しない方がいいと思います。
そういう言葉は世の中にあるのはあるとして、
自分にそれを適用するのはやめた方がいいと思うんですよね。
ADDだからずっとうつつを抜かし続けるのはしょうがないんだが、
ADDだからずっとうつつを抜かし続けるのはしょうがないんだが、
そういう人向けの習慣化の方法を教えてっていうのは
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すっごい僕は無理があると思うんです。
そういう傾向ってある時はありますし、
ある人はあるんですけれども。
一時的であればうつつを取り戻すことはできるんですよ。
一時的であればうつつを取り戻すことはできるんですよ。
ずーっと失いっぱなしでなければならないような
脳の構造になってますっていうことは多分ないです。
同時に違うことを考えやすい脳とそうじゃない人はいます。
間違いなく。
同時にいろんなことを考えないようにすることはできるんですよ。
いるんですよ で僕はそのためにタスクシュートは役に立つと思っているんです
四六時中映つ昔話だったら時間効率は絶対良くなると思いますね だってスモーグを見てどっちかったか覚えてもいないような方ず
あの意識状態でずっと仕事していて その方が仕事が進むとしたらむしろ不思議だと思うんですね
タスクシュートっていうのはそういうツールなんです 今やるべきこと 今ここでやるべきことを
やり始めるよって自分に言って やり終わるまで他のこと考えない これ自体は
神秘的な話ではないと思うんです これがもし自分がやる筋トレならそれはそれでいいじゃないですか
筋トレをやる 筋トレが終わった 途中で何かを娘に頼まれたら筋トレを中断して そういう機能ありますからね
宿題を見てあげて筋トレを再開する それでいいと思うんですよ でこの時に未来をいちいち想定しないということですね
一番やっぱり避けたいのはそのような未来が来ないように部屋に鍵をかけて 筋トレをした方がいいんだみたいな
これはもうものすごく未来思考だと思う そういう時代が想定されている段階でも未来そのものですからね
それが自分に報酬をもたらすというのはどう考えても 奇妙だし
新疲労の世界に生きているみたいになると思うんですね その状態を繰り返している限り現在から報酬って薄くなりますよ
現在からの報酬でゼロには絶対なんないんで 食事をすれば栄養取れますからね
食事中に他のことばっかりずっと見た映画のことを考えながら食事しても 栄養は取れますが
現在から報酬を得ているという実感は多分すごく薄くなると それをずっと繰り返しているということは何も繰り返したくなくなるはずだという話なんですね
それにタスクシュートというのは一石を投じ寄るツールだというのが一つと
マインドフルネスっていうのは全部から報酬を得続けられるようにするための一種の明星法なんですよね
グッドワイブスというのはこれを他人との関わりというのをその中でも特に強調したと
そこを強調したからと言ってですね カニ鉱泉に乗っけられることをどうすればいいんだという議論は本来はなくていい議論だったということです
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