00:06
おはようございます。 ライフハック時代の精神分析第1330回をお送りします。
えーっと、3月11日水曜日7時57分です。 なんか今日異常に寒いですね。
えーっと、一度とか言ってましたけれども、都心雪降ってましたしね、昨日ね。 まあなんかこう
まあこう寒暖差きますよね。 三寒四温的なやつ。
まあそうは言っても、えーっとなんて言うんですかね。 ここら辺からすでに春休みでして、
少しやっぱり時間のリズムが変更を余儀なくされて厳しい。 厳しくはないんだけど厳しく感じるんですよね。厳しくないんですよね。楽になってるんだけど、
なぜか変更がかかると厳しくなりますね。 あの今日はちょっとそういった話はできないな。
そういった話もしつつ、
まあしつつというかそれぐらいしかやりませんけれども。 昨日平安の話したじゃないですか。で驚いたのが
いいねが激減するというね、この現象が起きるんですね。 僕もいいねの数しか見ないようにしてるんですよ。
あの母数を見るとかなり虚しい気分になるっていうか、 まあ多分これ母数だけ見てるとこれやめるんじゃないかって思うんで、
これはやめろっていうことに近いなっていう感じが、近いじゃなくても多分ほとんど普通、正気の人ならとっくにやめてると思うんですけれども。
代わりにね、YouTubeの方は割と簡単に伸びるんですよね。
何にも別にしなくても7倍ぐらいの視聴者数が行くっていう。 7倍と言ったってあまりにも少なくて、
多分あれもYouTubeやってる人なら、 多分ここを直せあそこを直せってめちゃくちゃ言われるんでしょうけど、
断固直しませんけどね。 何でかっていうと、直した途端僕はやる気をゼロになっちゃうから。
僕はかなりそういう意味で、なんか僕のことがすごく安定した人と見なされがちなんですけど、多分それは
惰性でもなんでも続けるからなんですが、 私のやる気メーターっていうのは即ゼロになるみたいなところもあるので、
結構慎重に扱うんですよ、そういうところ。 インプレッションが直ちに1万倍になるとかだったら別ですけど、
いわゆるコンサルっていうものを受け入れたとしても、 1.8倍ぐらいにはなったよねっていう感じで、代わりにやる気を激減するっていうのは割に合わないんですよね。
数字が伸びるということが直ちにビジネスに直結するわけではないので、こういう世界ってバズるってのはお金になってないじゃんっていうのは非常にありますから。
なんないわけじゃないんですよ。なんないわけじゃないんだけど、 私もノートで1万円とかなら稼いだことあるんですけど、
03:01
1万円やばいでしょっていうか、1万円って半年かけて6万円ですもんね。半年で6万円で、
一家に3人いて生きていけるっていう人はいないと思うんですよね。かなり特殊な人生、生活を送らないと。
だからやっぱ6万円では厳しすぎるので、のわりにはノートで1万円稼ぐってそんなに簡単じゃないんですよね。
あれだったら本書いてる方が簡単は簡単だわなっていう。 それは本が書けないっていう話もあると思うんで、この辺はもうしょうがないんですよね。
ノートが書ければ本が書けるかということはそうはならないし、本が書ければノートが書けるかというと、そんなことは全く絶対ないんで。
これね、昔はおちあいひろみつというプロ野球で3回3冠を取った人が、またこういう関係ない話に突っ走ってるんですが、
清原和弘さんという人が、あの人は有名なの。甲子園でめちゃくちゃ打った人ですよね。
他の理由でもいろいろ有名ですが、とにかく甲子園でめちゃくちゃ打ってたんですよ。PL学園の4番で。
で、その時におちあいがプロに入ってきたばっかりの清原に何かアドバイス求められた時、
あのバッティング会社ダメなんだよっていうような話をされたっていう本当のことが知りませんよ。
そういう話を聞いたことがあって、なぜかっていうとプロ野球の選手が甲子園に行って、あなたみたいに何本も何本もホームラン打てるかというと、そうはならないんだと。
要するにいくらかは打てるかもしれないけど、多分あんたの方が打つと。
だからそういうことなんだなっていう話は私は非常に感慨させられるんですよね。
あのメジャーリーグでも昔そうだったじゃないですか。なんか向こうで超一流の人がやってきました。
あの私の時代は古いですから。ボブホーナーって人がヤクルトに来て、いきなり初打席から3連発打って、
なんかもうやっぱりメジャーっていうのはこう日本のプロ野球に来れば自由自在なんだって感じだったんだけど、終わってみればホームラン王ですらなかったんですよね。
結構打ちましたよ、ちゃんと。だけどホームラン王ですらなかったんですよね。そういうことってあるなっていう感じがするので。
本とノートは別物なんですよね。そういうふうにこう、なんか実力があればみたいな言い方ってすごく無理があるだろうと。
こういう話は今日ちょっと盛り混ぜられるのではないかと思いつつ話を進めていきたいんですけど、
あの私ここの番組でですね、自己肯定感とか、最近で言うと何だろう、休む力とか、小さな習慣とか、
先送りを無くす、そういう話をするべきだと思う。コミュニケーション力とか雑談力とか、
いう話をするべきだろうと思わなくはないんですけど、一切しないじゃないですか。
整理をするとか、片付けるとか、家が片付けられませんっていう話はいっぱいあるのに、私はいわゆる整理アドバイザーみたいな話は一切しないわけですが、
この番組でもしたことがないですよね。それはつまり結果だと思うんですよね、そういうものは。
06:11
ビジネス書ってよく小バカにされますけど、ビジネス書ってトータルで見回してみますとですね、
人間結局平均的な力を一番弱い部分でも発揮できれば、少なくとも何とかなるんだなと、多分相当良いところまで行けるだろうなって感じがするんですよ。
そんな人間はいませんが、昔ドイツで、今でもなのかな、全人教育って発想があるんですよね、あの国にはね。
つまりどの分野をとっても平均的な力を出せると、中で特に優れた力を持っていれば言うことなしだっていう、そういう考え方なんだと思うんですけど、大筋において。
あれは全くある意味正しいと思うんですよ、理論的には。多分昔ね、大相撲にアサショウリュウという、つい最近ですよね、そんな大昔ではないです。
あのモンゴルのすごい強い人がいたんですけど、横綱がいたんですけど、なんかそこが悪いんですよね。
で、そんな突出して悪いっていうわけじゃないと思うんだけど、でも確かにやや目立って良くないんですよね。
で、簡単に言うと、あの、まあ、モンゴル人だったんで、やっぱバッシングされがちなんですよ。特に相撲の世界ってめちゃくちゃ古いですからね。
でも、まあ、にしてもちょっと目立ってたよねっていう感じはあったんですよ。
で、報道ステーションかなんかだよね、報道ステーションは結局なんかこう、最後はなんか居酒屋で客にキレて殴ったとかいう、もうなんかしょうもない話で横綱クビになっちゃうという不幸なことが起きたわけですけど、
あの、要するにこの人は普通にやれれば良かったんですけどねって言っていたんですよね、その、いわゆるコメンテーターに相当する人が。
でもそれが出来ないんでしょうねっていう話をしていて、そうなんだよなぁと思うんですよね。
別に、なんか品格とか言われてますけど、品格がなんか抜群みたいな、でも、まあ、昔の日本のお相撲さんだって品格が抜群だったかっていうと、貧困法制かそんなにみたいな話をするとですね、そんなことがあるはずはないんですが、そういう世界じゃないですしね。
だけど、やっぱり居酒屋で、なんか一緒に来てた客を殴るとかはなかったよねっていう話になっちゃうわけですよ。なかったかどうか疑わしいと思うんですけどね。
でも、普通に出来るっていうのは、容易なことじゃないわけですよね。あらゆる分野で普通に出来るっていうのは。
で、私は今は、そこまでは言わないにしても、でも、3ヶ月チャレンジってある意味、精神分析ってある意味そうだなって思うんですよね。
あのフロイトの、あなた今痛ましい状態にありますが、ありきたりの不幸にそれを戻すことは出来て、それだけでも多くのものが得られますって、あれはドイツですよね。
09:07
あの人はドイツの人ですが、あれはですね、正しいっていうか、非常に理にかなった発想だと思うんですよね。
こう、カウンセリングで人が幸福になるっていうのはおかしいと思うんですよ。医者に行ったら、その人が病気を治すと、その人の人生は全て順風満帆に変わるっていうのはおかしいように、やっぱおかしいと思うんですよ。
ただ、サンチャリは治療を謳ってませんけれども、基礎方針は精神分析に則ってますから、僕の言い方をするならば、基本的に非常に人は凸凹がありますし、結局のところ、弱点とされる部分は、弱点でも何でもないものにはならないんですけれども、きっと。
ただ、弱点とされる一番本人がですね、本人が弱点だと思っている部分を、とりあえず何とかできるっていうところにまで持っていくだけでも、多分ビジネスっていうのはうまくいくように、僕はそれを営みって呼ぶんですけど、つまり、何の営みでもだって言いたいわけですよ。
生活でも生計でも、だからよく言うじゃないですか、商売を営むみたいなやつですよね。そういう意味での家計、家計は営むって言わないな、でも生活を営むとは言うし、藤山直樹さんから取ってるわけですけど、私があそこで、ビジネスコンサルっていうのは営みコンサルであって、営みがうまくいくためには、
その人にとって今一番ネックになっているところを見ていけばいいっていう、大筋そういう考え方にのっとってるつもりなんですね。だから治療になってはならないっていうか、治療にできないというのは治療がそもそもできないから、資格上っていう単にそれだけの話なんですけど、あえて私のフィールドで言うならば、営みを何とかしようというわけではないですっていう話だと、
難しいっていうか、半ば無理ですっていう感じなんですよね。あの、とにかく苦しいんで何とかしてくださいっていう話になってしまったら、それはとにかくお医者さんだなっていう話に近いわけですよ。
あの、例えて言うなら全く同じことをするとしても、どこでそれをやるかっていう話なんですよね。テニス肘っていう有名なね、僕もだったんだけど、テニスばっかりやってるとなるんですよね。多くの場合、素人は結構、ああ、そういう打ち方、僕もビデオで見たとき、安全としましたからね、こういう打ち方しちゃってるんだ自分って思いましたけど、でもしちゃうんでね、しょうがないですよ、プロじゃないんでって。
テニス肘ですよ。膝とかも結構痛めるんだけど、テニス肘を要はテニスの流れの中でなったもんだから、テニスの流れの中で痛まないようにしていくっていうのは、どっちかというとスポーツ医学的な世界だし、医者にかかってないじゃないですか。でも肘の痛みを何とかしようとしてますよね。
12:11
これをただただ痛いから、整形外科医に行きますっていうのが治療なんですよ。でもやること変わらないですよね。テニスの肘の痛みを何とかするっていう、このやることは変わらないんだけど、私のビジネスコンサルって言ってるのは、つまりこのテニス肘をテニスをしながら、テニスのスクールの中でいろんなやり方をしながら、そういう人はいっぱいいますよ、いっぱい。めちゃくちゃいっぱいいます。していくっていうのがビジネスコンサル的で、
いやもうテニスの肘だろうと何だろうと、肘がとにかく痛くてしょうがないから整形外科医に行きますっていうのが治療なんですよ。だから、どういう営みの中でこれを捉えるかということを捨ててしまうというか、その枠組みをもう諦めてしまったら、これは治療になるし、枠組みはあくまでも保持している。
つまり、テニスでなったからテニスの枠組みの中で、要するにテニスやめないってことね。テニスやめるかやめないか、僕はテニスにしてやめちゃったんで、つまりある意味これは治療なんですよ。もはやテニスをやってないってことなんですね。だから、痛みの方を優先したわけじゃないですか、私は。だからそれは治療だったわけですよ。治療に行ってはいないんだけど、でもそれは治療的なプロセスだと思うんですね。実際痛みなくなりましたから、テニスやめたら。
だけどテニスやめましたから。
この点で、その営みというものを中心に、ここで本当にね、そんなことを言えばって言われるかもしれないんだけれども、だから精神分析は心理療法ではないんだっていうことを藤原直樹っていう人は盛んに言ってます。
ないんじゃなかろうか、みたいなノリなんですけどね。
テニス、心理療法ないんですとまでは言い切ってない気がするんだけど、でもないんですよね、みたいなノリで喋ってるときはあるし、そう言われても心理療法なんだろうか、みたいな感じはあるんですけど、そういう意味では精神分析っていう方向には相当寄っちゃってるんですよ、3ヶ月チャレンジは。
ただ、これは精神分析とは、精神分析側が絶対に認めてくれないと思うんで、やっぱり精神分析ではないんですよね。
そういう位置づけなんですよ、私の中では。つまり3チャレは3チャレです。
3チャレは3チャレなんです。治療ではないですから、資格がないしね、だいたい私何の資格もないんです。何の資格もない人間ってあんまいないですよね、何の資格もないんですよ、私。
いかなる資格も持ってないんですよ、しかも陰も出てないんですよ。
そういう意味では、メラニー・クラインって人がそうなんだけど、彼女に私は別にシンパシー何も感じないので、彼女は大学すら出てないんですけどね、だからそういう人っているんだよなって思いながら、彼女はやっぱり言われたんですよね、大人を見ちゃダメだと、児童だけ見ろみたいな、それを児童だけならなぜいいってことになるんだって感じもしますけど、当時はそういう児童だけ見る医者資格みたいなのはなかったから、そうなんでしょうねっていう、知りませんけどね。
15:10
とにかく大人を精神分析しちゃダメだみたいなことを、身内からまで身内っていうのはつまり、彼女の弟子みたいな人すらそういう視線を向けていたので、結局、見てないとは言えないような気がしかしするんですけれども、そういう時代ですからね、フロイトのお住み付きがあったしねっていうことはあります。
フロイトだってスーパーバイズドを受けたり、訓練分析受けたりはしてないんですけど、それはしょうがないですよね、師祖なんで、師祖ってそういうもんですよね。
これがまた、家元問題っていうか、家元の一番最初のご先祖様は実はスクールには通ってない。なぜなら自分がスクール作ったからっていう、そういう何かの矛盾みたいな話がありますが、私もサンジャレってある意味そういうもんだと思ってるんですよ。
ここから認定するつもりはないけれども、サンジャレ作ったのは私なんで、何かの資格を取ってたらそもそもおかしいわけですよね。
結局のところ、精神分析であれ、心理療法は違うって言うかもしれませんけど、でも私は心理療法であれですね、これは結局家系ラーメンだなって思うんですよ、ある意味では。
乗れ分けだよね、結局っていう感じがするんですよ。それは誰かが最初に作ったものであり、都定制度に近いですよね。
で、あれもって結局受け入れられる人と受け入れられない人って絶対いるじゃないですか。
あれをくぐり抜けれなければ男は一人前になれないみたいなことを言うけど、絶対くぐり抜けてない男がいっぱいいるはずであって、そういう人間は全員死んだ方がいいってことにはならないと思うんですよ。
極端な話ですよ、今の話はね、当然。
なので、私はああいう世界はもちろん苦手ですから、別に悪いことじゃないんだけど、もちろん苦手ですから、したがって治療はできないんです、とこういうことになるわけですね。
ただ治療はできないけど、テニスをしながらテニス肘となんとか付き合っていってる人はいますからね。
ついでになんですけど、自己肯定感とかそういった話は、私はその逆だっていうのはですね、昨日の平安の話と似ていて、まずその平安を手に入れた後の話をしているように聞こえるんですね、自己肯定感というのは。
私は人が平均的に振る舞うというのは大変なことだから、そんなことは望むべくもないと思うんですよ。
まずやりたいことはですね、一番平均から遠いところがあってもなんとかなるように、本人の中でですね、なんとかなるようだって感じられるところまで持っていかれれば、後のことは平均以上の部分って大体の人は、特にここで押し払いできるような人は平均以上の部分なんてないってことはありえないので、能力的に。
18:02
あとはなんとでもなるって感じがする。私自分自身のことを考えてみても平均を下回っている部分はいっぱいありますし、そこはだましだましやってきているだけなんだけれども、やっぱり問題となっているのは常にその、いわゆる平均に届いてない部分の方ですから、なぜそんなことで苦労してしまうのかってことで、むやみやたらと苦労してしまう方が問題であって、
それ以上の部分については取り立ててそれについて考える必要ってないような気がするんですよ。例えば文章を書くとかについて、私はあまり真剣に考えたことはないんですよね。文章力を上げようとか、そういう類の本もほぼ読んだことがないですし、
気がついたら何か数十冊本書いてましたけど、多分そこには訳はあるんでしょうけど、あんまりその訳にも興味ないんですよね。いろんな話を私もされたんですよ。文章力の話もされたし、マーケティングの話もされたし、だけどそれらの話をする人の方が私より本を書いているわけではないんですよね。これが僕は大事だって思うんですよ。
そういうわけについて言葉で言語化って言いますけど、この言語化も同じなんですよ。言語化ってのは後の話だと思うんですね。何かがつまり平安がでいいんだけど思うんですけど、平安が手に入った後で言語化するものであって、私は言語化をすれば平安になれるってことはありえないと思うんですね。
言語化ができるぐらいならもうその人平安は手に入っているはずだってある意味では思います。
なので、この一番ベースになる部分、要するに朝小龍が普通にやれればよかったのだっていう、居酒屋で素人の客を殴らなければよかったんだっていう、そんなことはできそうに思うわけですよ普通の人は。
普通というのは多くの大多数の人は。しかし、できないんですよ結構。そんなに簡単じゃないんですよね。だから普通にやれればというのは多くの部分、例えば朝小龍だってあの人ね、モンゴルから来て横綱やってるんだから普通以上に異様にやれてることがあるわけじゃないですか。
しかも結構日本語流暢だったんですよ。あれも普通以上ですよね。二ヶ国語普通喋んないじゃないですか。しかも結構土俵の上で日本語喋るとか、そんなに簡単じゃないじゃないですか。でもできてるわけですから。で、あの人はなんか国に帰っても議員とかやってるし、だから全然普通以上なんですよ。
ほとんどの部分が普通以上であっても、突出して普通をなぜか下回る部分っていうのが人間あるもので、それは精神病部分があるっていう言い方をしてもいいと思うんですよ。私のこの文脈であるならば。だから精神病部分が作動しやすいタイミングで作動はしちゃうんだけれども、でもそれがまあ社会生活に支障も来たすんだけれども、でもそれが致命的な問題にはなってないという状態が手に入れば、
21:04
後のことはなんとかなると思うんですね。というか相当うまくいくんではなかろうかっていう感じがするんですよ。この話をしているときに必ず思い出すのがあの大富豪ですよね。また名前忘れる。大富豪ですよ。この番組では時々出しているラスベガスの最上階のホテルの最上階行って、あのビニールの手袋をはめて、なんかちょっと他の人の話混ざっていっちゃってるけど、ポーランド水しか使わずに、
なんか部屋はしかしめちゃくちゃ綺麗にしているはずなのに、めちゃくちゃ小汚くなっていて、当然そうなるんですけど掃除できないから。で、他の人にも居場所知られないから、自分で全部しなきゃなんなくって、何のために大富豪になったのかさっぱりわかんないような大富豪なんだけど、大富豪なんですよ。
で、この人がつまり平均よりできていることはいっぱいあるわけじゃないですか。世界一の富豪ですからね。しかし平均を突出して下回っている部分が一つあるわけですよね。汚いものには触れないという。それが全く同行して触れないという。で、これは痛ましい状態になるじゃないですか。フロイトが言う通りですよね。で、これをありきたりの不幸に戻すだけでいいじゃないですか。
汚いものを好んで触る人は誰もいないじゃない。誰もいないとは言わないまでも、多くの人は汚いものは触れないじゃないですか。あんまり触りたくないと思って。これがありきたりってことですよね。せめてそれが、その、潔癖症だよねあなたはって言われるぐらいの、言ってくれる人がそばにいるぐらいのレベルで収まっていれば、これもありきたりですよね。
たぶん世界一の不幸として何ら困ることなく生きていけると思うんだけど、彼は生涯それができなかったあれですよ。あれはお母さんがよろしくないですけれども、お母さんのせいだと、まあでもちょっとお母さんやっぱりあったよねっていう、お母さんがひどいことをしたわけじゃないんだけど、非常に問題はありましたね。
で、結局こういうことなんだと思っております。だって世界一の不幸に対して、あれは絶対治療、治療課題ですよ。でも彼は治療を受けるということがそもそもできなかったわけですよね。
ということを考えても、サンチャレも基本的には同じ作戦で言ってるわけです。作戦ではないけど。自己肯定感が、よく言いますが足りないみたいな。でもそれは、要は自信がないってことですね。
まあ自己肯定感、自己肯定できないって話なんだけど、自己肯定するのは後の話ですよ。やっぱり。まず自己肯定感がないって言ってるときに一番困ってることは多くの場合、そうですね、例えば人前で何か社内プレゼンをしましたみたいなときに、なんかこう、後で陰口を叩かれたみたいなことが、
その後、6ヶ月にわたって自分を家から出られなくしましたみたいな話ですよ。陰口を社内プレゼンで叩かれて、気分のいい人はいないですよね。落ち込むと思いますよ、相当程度、人によっては。でも、6ヶ月家から出られなくなったということと、会社に行くのが億劫になったっていうのはかなり違うんですよね。
24:22
でも、割と心理的には近いところにあったりするもんなんですよ。で、これがありきたりの不幸なのか痛ましい状態なのかっていうのの差を分けるんですよね。行ってさえしまえばその人は、プレゼンは、まあプレゼンだって実はめちゃくちゃ上手いのかもしれないんですよ。しかもこういう話の中では。だから自己肯定感が問題だって思われるのかもしれないけど、肯定するには相当の距離があると僕は思うんで、
自己肯定感という言葉は多分、私の3ヶ月シリーズのウェブサイトに出たことはないし、ノートに書いたことも多分ないんですよ。多分そういうことが私が本を書けている理由の一つなんだと思うんですね。だからこれは文章力とかじゃないと、ある意味では思うんですけどね。
で、自己肯定感が低いっていう話になった時に、問題なのはそれが痛ましい状態を生み出すならば、もはやそれは自己肯定感を上げるという方法論では、多分うまくいかないと思うんですよね。
例えば筋トレをして自己肯定感を上げようみたいな、かなり男性向けだと思うんだけど、割と女性にも効くらしいんですね。自分の体型が変わると自信がつくみたいなやつですよね。
わからなくはないんだけど、果たして筋トレができるだろうかっていう方が、つまり気持ちが傷ついて家から出ることもできなくなった時に、果たして筋トレだけにできるってことがあるだろうかという話になると思うんですね。
例が大体においては、家から出られないって話に続いて、実は布団から出られませんっていう話になっていることが少なくないわけですね。
で、もちろんお金も欲しくなってるし、だからそういう方が3ヶ月チャレンジにやりますって言った時に、私は非常に心が痛むわけですよ。
ここで金をここに払ってしまうっていうのはどうかなって感じがあるわけですよね。
で、福祉みたいな話になっていくじゃないですか。私はそういう話になるのも大きな問題だと思うんですよね。
治療プロセスでないっていうのは福祉と被っちゃダメだって思うんですよ。
せっかく世の中には福祉というものがあるんだから、絶対に安くなりますからね。
いわゆる治療でいければ、治療だということにできればですね。
3ヶ月チャレンジ絶対国から治療だとは認められませんから、保険きくはずないですし、
どういう手帳とかを、うちの家族は持ってるわけですが、手帳とかを持ってたからといって安くできないんですよね、その理由によってでは。
この辺もまた治療ではないっていう。治療ではないっていうのは、
27:03
気持ちの問題だったり、覚悟の問題だったりするんだったら話は楽なんですけど、これはやっぱり法律の問題なんだと思うんです。
だからダメなんですよね。
なんでこの話をしてるかというと、だから自己肯定感というものが治療に接近していくっていう話が、
話がというか流れが、そういうプロセスがあって、結局自己肯定できないから筋トレをするというのは、私の考えでは無理があるわけです。
自己肯定できてるからすでに筋トレはできるんです。
やっぱりそれもベータ要素の扱いということになっていくわけですよね。
ベータ要素の扱いというのは、扱えるという前提に立ったら、もうすでに何かが飛んじゃってる感じなんですよ。
例えば戸畑海人さんが書いてましたね、カウンセリングに来て話が縮み乱れると、この人は心の中に大量のものを抱えているのではなかろうかっていうふうに彼は書いているわけですけれども、
あれは一般向けにうまいこと書いているわけで、つまりあれがよく言われるところのコンティニシキレないものが心の中にあふれかえっていると。
つまりベータ要素が心の中に居座っているというか、破ってきたり入ろうとしたりして、そもそもコンテナーがなかなか成立しようとしないと。
これが全く成立しないと精神病水準になっちゃうんだけど、そうではないんですよ、ほとんどの場合は。
ねじ込まれてくるようなベータ要素をとりあえず必死に防衛しているっていう状態。
だからそういう人は心からとにかく捨ててしまいたいものがいっぱいあるわけ。捨ててしまいたい、取り出してしまいたい。
あれですよ、それにこの引き出しは良くないなぁ、なんだろうなぁ、何なんだろう、この考えるためのスペースという言葉になっちゃっている段階ですでにうまい言葉がないという証拠なんですが、
何なんですかね、計算用紙みたいなもんですかね、計算用紙がないとできない3桁同士の掛け算みたいなものがもう書く場所がないみたいな感じなんです。
一旦、新しい白紙が用意できない心理状態ってありまして、一旦これを消すしかない。
心の中に書いてしまっているものを消すっていう行為は、それについて誰かに聞いてもらうとか喋るみたいな感じの形を、喋ったからといってそそ消えないんだけど、でも喋ってるうちに消えていく部分ってあるんですよね。
そういう人がガンガンガンガン喋るっていう、つまり戸畑さんが言うところの知事に見られて話があっちこっち飛ぶっていう話を聞いている中でですね、
アドバイスって不毛なんですよね。
その人の話はおそらく自分に自信がないとか、陰口を叩かれたとか、どうも心よく思われてないようだとかいう話が話の端々には出てくる、それはもう間違いないですよ。
30:14
でもそれを一つ一つ取り上げて、そんなことは気にする必要がないとか、私だったらそれはこのように考えるって答えていては、
多くの場合、話が一向に前へ進まなくなってしまうものなんですよね。
何でかっていうと、この返した言葉がすなわちベータ要素だからなんですよ、その人にとっては。
自己肯定感を上げる方法論とかメソッドを聞くっていうことが一見非常に役に立つような話になってる、自己啓発みたいなのもあるんだけど、
それはあの言葉が普通にアルファ要素に変換された場合に限るんですよ。
あの言葉がまんま心の中に入っていってしまうと、その人が必死になって計算用紙に消そうとしている中で、上から書いていくようなことが起きてしまうんですね。
で、この次が難しいんですよ。私、いつもこのことを、いつもっていうか、ベータ要素のことを考えるたびに、この点非常に困るなって思うのがですね、
うーんとね、これは嫌な例だなぁ、嫌な例ですが喋れますね。
ま、セックスなんですよ。何が言いたいかというと、自己肯定感を一見上げてくれるようなセックスについて語る、特に女性が、男性もいっぱいいるね、だから男女関係ないですね、そういう話ありますよね。
私、あれはベータ要素だと思うんですよ。
だってですよ、例えば、いい話じゃないから、でもここはもう、これが一番僕は、僕には確実だと思うんだけど、
例えば、すっごい、母子一体感でいっぱいの人が、セックスとまでは言わないまでも、息子がですよ、私ぐらいの、
本当に辛いことがあり、ベータ要素満載だから、母さんが夜、あの、ペッティングレベルでしてくれました、みたいな話。
多分、非常に肯定された気持ちになるでしょうけど、私はこれは、全然対処できない行動に、あの、営みになってしまうだろうと、営みってこういう時にも使えますね。
だから非常に幅広い言葉だなと思うんですよね。
ベータ要素になってしまう、それは。本人はベータ要素の侵入された感じは多分受けないと思うんです。
でも私は、いわゆる心に寄り添うということに対して、3ヶ月チャレンジでは、これはちょっと、今喋ってる何回でもすでに営業妨害だ、自分でって思わなくはないんだが、
でもまあ、喋っちゃいますが、3ヶ月チャレンジで心に寄り添う系の言葉に、私は別に同情的な内容とか共感的な言葉掛けとかを否定するものでは全くないんですが、
33:10
ここはよほど意識しておかないと、これがベータ要素になってしまうと、非常に厄介だっていうふうに思うんですよ。
ちょうど、例えば、掲載用紙を白紙にしたいと、その人はいじめられていて、なんかアホバカ死ねみたいなのが書いてあると、これ消していますと、そこに大変だったねと書き込みます。邪魔なんですよ。
大変だったねって書いてくれたから、これで幸せになれるっていう、なんていうのかな、そういうこれでわかってもらえる、うまく作動すればいいと思うんですよ。
でもこれがやろうとしていることは何かというと、掲載用紙にスペースを取りたいのであって、迫害的な言葉を消すことが全てじゃないんですよ。これから白紙を確保して、さあこれから計算しましょうっていう、ここが必須なんですよ。
だから私結局それは精神分析でも全く同じようなことを言ってるんで、治療基準なのか、あるいはコーチング基準なのかってことに、ここに至ればもはや、ただ私はですね、白紙のスペースを取る、そのためにはアルファ機能がいるっていう、これは美容院以外まだ明確に言ってる人がほとんどいないと思うので、
自分の考える力をとか言いますよ。コーチングの世界でも言うと思います。私は答えを教えないとか、でも大事なのは答えを教えないことではないんですよね。さっきの話がそうだったじゃないですか。大変だったねと書くことがいいとかいけないとか、書かない、私は書けませんよっていう話じゃないですよ。書かないことは重要なことじゃないんですよ。重要なことはここにスペースが空きつつあることのことなんだと思うんですね。
だからノーシングをくっつけてナッシングにするっていうのは言ってしまうとえらい簡単な言葉なんだけど、これを実際にやるのがどんだけ大変かっていう、このプロセスにおいて治療プロセスにぐっと寄りがちなんだけど、そこをサンチュリアでさらに踏みとどまらなければいけない気がしてるんですね。
なんでだって言われるとちょっと考えちゃうんですけど、いや実際には被りますよほとんど。でもここでいやあっさりといいんですたまにはみたいな、いやたまにはいいんですけど、いいんです治療になってもではないと思うんですよね。なんかそれはダメな気がするんですよ。
だからサンチュリアでは寄り添われないこともよくありますみたいな話になっておりますが、寄り添わないことに意味があるわけではないんです。別に寄り添うことに多大な意味があるとも思わないので。
ただフェースを開けるということについて、その邪魔になるようなことに対してはやっちゃいますが、それでも慎重に参観しようんですよね結局ね。だから書いたり消したりになるけれども、消す方が優勢になっていかないと書き込んでいきまくっていたんではやっぱり考えることができるようにはなかなかならないんです。
36:20
その人が頭が良くないとかいう話じゃないですよ。外して僕より良かったりします。そういうことは問題に全くならないんですよ。考えるというのは受動的なことなんですよっていう話なんですね。
心にスペースを空けてそこに外部にあるものを持ち込まなかったら考えようがないんです。だから考えるっていうのは目は受信機だし耳が受信機じゃないといけないんですよ。
頭の中で大量の要するに算出していたのでは考えようがないんですね。その人はただ空想を作り出すことに専念していて計算式が頭の中に入ってこないんで考えるってことはまず受動的なことじゃなければどうしようもなくて需要的というのか取り込み的というのか外にあることについて考えないとどうにもならないですね。
3カ月チャレンジはさらにこの外にあることについて取り込んで考えるんだけどそれが対象が何でもいいわけじゃなくて営みにつながっているという意識を保持しながらこれを能動的に取り込む。能動的に取り込むって不思議なんだよね。だから積極的に受動的になるみたいな話になってるんだけどでもそういうことなんですよね。
この積極性がなくても頑張るのが治療なんだけどこの積極性がないと成り立たなくなるのが3カ月チャレンジだと言ってもいいと思います。このようなことはウェブサイトではうまく説明できる気がしないんですよね。ここまで話してきてようやく出てくる。これは概念ですからね。
もうそろそろもうおしまいでいいと思うんですけどね。要はそういうスペースだからあれですね。松木さんの言葉を借りれば不在であるということをこれも変だよな。不在があるっていう言い方をするしかなくなりますね。でも不在ということに気づかないといけないんですよ。
そういう意味であのよくある望んだ時には常におっぱいがあるなんてすごい甘やかされてるよね。ではないんですよ。望んだ時に常におっぱいがあるという風になっている人は対して非常に迫害的なんですって話をシンデレラの話ではしてるわけです。
つまりすべてが完備されている環境だからその人は甘やかされすぎて考える力が身につきませんでした。ではない。多くの場合望んだ時にはおっぱいがあるっていう状態を最初に何らかの形で徹底された人がそのまんますぐ次に生後1,2日の話をしてますよ。生後1,2日の話をしてます。
そのままそのすぐ次に迫害的なことをされたりするとこの空白がないってことなんですよ。ネグレットの話ではないですよ。空白がいるってことなんですよ。空白がないと赤ちゃんは考えようがなくなる。シンデレラは空白がない人の話なんですよ。なんか次から次へとやってきちゃうんですよね。
39:20
お母さんはずっといてくれた。だからその時は何も考えませんよね。お母さんが全部やってくれるから。いいお母さん。死んじゃいました。即ママ母が来てますよね。あれだから死んでないんじゃないか論があるんだけど。まあ即来たとしましょう。考える余地がないじゃないですか。いなくなっただから私は自分で何とかしなきゃっていう観念が育つ前にいきなりママ母が掃除をしろとかしかも掃除をしろとか言ってますからね。
いなくなっただから私が掃除しなきゃって思うべき時に掃除しろっていうことを迫害的に言ってくる人が来るわけですよ。だから万能感を保持した環境都市の母親という話はですね、非常に悲惨な話な感じが最近しています。ミニコットはこれを虐待に近い話として説明してるんではなかろうかなという感じが最近してます。
今日はなんかやっぱりこう外部向けの説明に昨日頑張ったつもりなので今日はもう全然あっさりそれがすっ飛んじゃってるような気がしてきました。でもこれは外部向けの説明のつもりなんですけどね。私としてはこういうことに、こういうことまでいかないと地方肯定感を高めますっていう本なら高められるとはなかなか思えないんですけど本を批判してるわけじゃないですよ。それは難しすぎることだって言ってるだけです。
いっぱいあるわけじゃないですか。だから外部向けとして私はそういう簡単な話ではないっていう話を考えなければ先送りとか地方肯定感が低すぎるとか雑談力が足りないとかぐるぐる思考が止まらないとかいった一見したところここまではいらないようなことだって解決できないと思うっていう話。
間違ってないとは言いませんけど。