1. ライフハック時代の精神分析
  2. 平安に至る「方法」を語るべき..
2026-03-10 44:08

平安に至る「方法」を語るべき【1329】

グッドバイブスと精神分析の同じところと違うところ。
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おはようございます。ライフハック時代の精神分析、第1329回をお送りします。 3月10日火曜日、朝7時50分です。
うーん、あのー、一体これは何なんだっていう、このポッドキャストは何なんだっていうのをですね、
えー、しょっちゅう考えるんですね。で、何ならもうこれはYouTubeの、YouTubeにはなぜかポッドキャストっていう、あのー、カテゴライズがあるんですよ。
で、にしちゃおうかなと思うぐらいなんですけど、あのYouTubeのね、カテゴライズってよく意味がわからなくて、
例えば今私が盛んに出そうと頑張っているのが、なぜか全部ライブっていうことになっていて、ライブと動画は違うんですよ。
動画のところのコンテンツには入らないんですよ。最初僕ね、すごいそれはわかんなくて、一生懸命、だって撮って出してるのに動画って、動画じゃないですか、どう見たって。
出てこないんで、なんで動画にないんだろうと思ったらライブってところにあって、じゃあねGoogleMeetでライブでも、ライブストリーミングとしてさも同時には視聴できないんですけど、
撮ってから出しなんですけど、ライブストリーミングでやっちゃってるからそういうふうになってるんでしょうけど、ライブと動画はアーカイブの状態では同じじゃんって思うんですけれども、なんか分けられていて、
そういうなんかすごくサービス提供側の恣意的な言葉の使い方のために、えらいわかりにくいんですよね、あの種のものって。で、わかんなくなってやめちゃうんですよ。
だって自分が出したものどこにあるかわかんないのってすごい困るんで、後で最初にあそこ間違ってましたよって言っても、あそこにあるやつはどこにあるんだろう問題みたいなものにはまって、
なんか、なんていうのかな、そういうものを解説している動画なり本なりを読めばいいっていうふうに言われるんだけど、それってつまりどこに何があるかっていうことをひたすら解説しているものであり、
自分が知りたいわけじゃないことについては、読んでてめちゃくちゃ退屈なんですよね、そういうのって。勝手なことを言ってはおりますが、そういうわけなんですよね。
なのでしょうがないんですけど、Zoomとかもわかるんですけど、全部読めばいいっていうのは、でもZoomのやつってなんかね、設定するところが2箇所にまたがってるんですよね、同じ内容のことがですね。
あれも非常にこう、見ているだけでも苦痛になってくる、私のような人間はですね、基本的にそれについて本当に真剣にやろうという気は多分ないんだと思うんで、
あの、Podcastもだいたいでも、だいたいわかってやってるんですけどね、Podcastもね。でもまあこれも非常にいろんなトラブルにやたらと見舞われたものなので、もうなんかやりたくないという、そういう、そういう点についてはやりたくないということがありましてですね。
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で、これは何なのかと改めて考えると、やっぱこれはPRに一応してるつもりなんですよね。ただ、そう考えると落ち込んでくるんですよ。なぜかというと数字がどんどん落ち込んでるからなわけですね。
あの、もう減る一方みたいなノリになっちゃっているんで、いやこれPRとしては何も機能してないだろうと考えると、じゃあこれは一体何なんだろうと考えなきゃなんなくなるわけですね。
でも、そもそもPRとして機能してないものを毎日1時間も使っている余裕がお前にあるのかっていうと、それはもう全然ないわけですね。
で、これは本当に酷いもんでしてですね。私は現状をこのまま行くと、娘が大学に行く頃にはすっからかんになるどころか、今持ってる財産全部投げ出して、なんかこう家、邸棟にでも入れなきゃならないんじゃないの、この状態だとっていう話になってるわけですよ。
って言ってもしょうがないんですけどね。
まあ要するに、全くどうにもこうにもなってないはずなんですよね。
でも、しょうがないんで、こればっかりは。しょうがないんで、なるようにしかならないってわけじゃなくて、手は打つつもりなんですけど、その手がですね、非常に有効な手がどんどん打てているとか、そういうわけでは全くないんですね。
非常に常に白標を踏んでるとしか言いようがないんですよ。その割に落ち着いてますけど、もうこれ慣れっこになっちゃったんですよ。
25年間こうやって来てると慣れちゃうんですよ、こういう状態に。
だってこうじゃなかった時なんか考えてみると一回もないなっていう、この件がですね、話ちょっとなかなか本題に入れないんですけど、グッドバイブスでクラズノペイトさんに最初にご相談して、ヒットしたんですよね。
これはすごかったな、やっぱり。彼にはああいう能力があるなって思うんですよね。
今度何かあったら特に一発で解消したいことっていうとまた語弊があるんだからね、結構グッドバイブスの私PRってしにくいんですよね。
自分にヒットしたことがまんま再現性があるかどうかわからないことなんですよね。
ただ僕は、いやもう彼に余裕がないんですって言ったらですね、彼が即座に今まで余裕があったことっていつだったんですかって聞いて、すごい良い問いだったんですよ、考えてみると。
ない、全くない、一回もない、なんか1秒もなかったっていうことにその場で気づいたんですよね。
やっぱり余裕がないっていう言葉はとっさに出てるんだけど、余裕なんか今までなかったんですよね。
あったためしかないんですよ。
だから今後もそうだろうし、今までもずっとそうで、今もそうで、そうやっていくしかないんだっていう。
これは精神分析なんですよね、結局ね。
それが一瞬で起きたんですよね。
ここに頑張ってしまうんですよね、多くの場合ね。
いやでも余裕欲しいじゃないですかとか、その議論って実はやっている自分でもわかってるんですよ。
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実に不毛な議論をやってるわけですよ。
本気でそう思うなら、倉園さんに相談したって無駄なわけですよね。
だって倉園さんは私と同じぐらいに、私以上に彼に困ってる人なんで、そういうことであれば彼に聞くことに意味は何もないんですよ。
だから余裕がない、あったためしかない、それで本当の意味で困ったことはないってここなんですよね。
本当に困ってるんだと思ってるのがいけないんですよ。
だから精神分析って僕はいつも微妙なしかし技術だと思うんですよ。
素晴らしい技術なんだけど微妙なんですよ。
解決すると用無しになってしまうじゃないですか。
解決ってしてないじゃないですか。
つまり元々用無しであったことを理解するってことなんですよね。
ところがこれが一番正しいやり方なんですよ。
これがね、なんちゅうのかな、用無しではないんだけど用無しなんですよ。
用無しでつまり困ったことと困ってると思ってることは違うんってことなんですよね。
というか困ってないってことに気づけって話なんだ。
困ってないことに気づいたらそもそも困りごとの相談所っていらなくなるじゃないですか。
私このことでいつもゾクッとすることがあるんですよ。
3ヶ月チャレンジって結局いらないサービスだってことをみんなに気づかせるサービスなんだよねっていう話になっちゃってるんですよね。
これはどこかで。
でもこれが簡単ではない。
ケースによっては非常に難しい。
だから成り立つ。
でもそれってなんかこう、まあでも要するに相談所ってそういうものでもあるんですよね。
困りごとで食ってるわけですよね結局ね。
これが先日から言っている、それは外傷なのか浴堂なのか問題はどっちであっても同じなんですけれども。
究極、究極、究極。
どっちであっても同じだという見方を提供したのがビヨンという人で、彼のベータ要素という考え方とコンテナっていう、コンテナコンテインドね。
という考え方はコンテインという考え方ですね。
つまりどっちであっても同じように精神分析はいけるんだということをいろいろと徹底的に勉強してくれた。
ここまではPRだと思ったんですよね。
という良い方法がありますからそれをお伝えするのはサンチャレですっていうPR。
ここを細かく細かく解説しだすともはやPRではなくなる。
サンチャレの中でやってるレクチャーのようになります。
そういうレクチャーやってますから興味があったらどうぞってこれはPRですね。
なるべくPRしていかないとっていうのはあるわけですよ。
ただ聞いてくれてる人の数がこうも少ないと、
もはや聞いてる人はみんな内部の人なんではないかという疑惑が別に不思議はない数字になってきてるんですよ。
これを聞いてくださってる方は全員サンチャレの中の人プラス経験した人の数でまかないちゃうんですよね。
09:00
少なくとも初日の段階では。
一本足の方とその数字にすら満たされていないという感じで。
うちもうほぼ1.5人に1人、3人に2人はいいねをしてくれるっていう。
言い手率だけむやみに高いっていうこの状態はPRになってないのではないだろうかという。
ただレクチャーの補助がここで延々なされてるのではないだろうかという話がありますね。
多分今3カ月チャレンジはそこ期に近づいているんだと思いますね。
ここを踏ん張らないとフェードアウトしてしまいかねないので。
ここで踏ん張ろうと。
だから本書いたりもして本のあと書きじゃない。
あと書きもちょっとね3カ月チャレンジのことはさすがに書けないんで。
あと書きでそれっぽいことを書いて割とうまく書けたんですよね。
あと書きだけ外に出そうかなって今目論んでいるんですけれども。
あと書きだけ外に出すってどうなんだろうっていう。
普通初めにだけ外に出すとかやるわけですよね。
ビジネス書であれば。
あと書きだけ外に出す。
あと書きが一番うまく書けた。
あと書きがでもうまく書ける本っていうのは本書いた価値はあると思うんですよ。
たぶん一番書く前よりは書いた後の方が何かが少しマシになってるから
あと書きがうまく書けるのであって。
っていう私は勝手な論を考えてるんですけど。
あと書きうまく書けた本は売れる売れない場ともかくとして
悪くはない体験であろうとは思ったりしてます。
本題に入りましょう。
グッドバイブスの話が出たので。
3カ月チャレンジもそうだしグッドバイブスもそうなんですけれども。
グッドバイブスって本当にそういう点では実は
皆さんあまりここの点は言われないようにも思うんですけど
非常に水際立ってると言いますか
すごい自己啓発なんですよね。
平安になる方法を説いてるんですよ。
それがうまくいってるかどうかじゃないですよ。
平安になる方法を解こうと思うってところがすごいんですよ。
平安になる方法をほとんどの方法論は解かないんですよ。
平安になってる前提か平安になりましょうって言ってるだけなんですよね。
なりましょう言ってるんだってそこそこなんだと思うんですけどね。
ほとんどの場合平安になってることが前提になっちゃってますからね。
それはそれでいいんですけど
どうすれば平安になれるんでしょうに対しては
何にも提供されてないというケースがほぼでほとんどです。
圧倒的です。
それは提供者側の方を長く観察していると
私はクラスの系統さんにもそういう弱点や欠点は当然あるんですけど
それはあって当然なんですけど
ずっと平安でいられるのはもうブッダですからね。
ずっと平安でいられる人しか
本当は平安になる方法は解けないんじゃないかって思うんだけど
平安になる方法をですよ。
12:03
どうすれば平安になれるんだと言おうとするっていうだけで
もう僕は自己啓発としては基本的には一流だと思うんですね。
それぐらいここを問わない。
BEYONDはここ完全にここに集中したんですよ。
でもほとんど
だってBEYOND全然有名じゃないじゃないですか。
だからいかにこれが難しくかつ難しく響きかつ
意味もなさそうにも響くかという話なんですね。
精神病部分と非精神病部分っていうあの区分けも本当にいいと思います。
もうちょっと違う名称が欲しいんですが
でもあれしか臨床でやる以上それ正しいなと思うんですよね。
私としては言語水準と非言語水準と言いたいんですけど
では精神病の人が言語を普通に使ってるのはどう説明するんだって話になってしまうんで
私はそれはそうではないのではないかと思うんですけれども
なかなかそれが上手い区分けとは言い難い気がする。
二者水準三者水準もいいと思うんですけども
結局これは何て言うんだろうな。
二者水準三者水準っていうのも
精神病部分と非精神病部分の方がやっぱりいい感じはしますよね。
二者部分って言えませんもんね。
二者水準になる。どうしても水準になっちゃうんですよね。
水準って言うとある人の効果が劣ってるみたいなニュアンスが出すぎると思うんですよね。
精神病部分はみんなにあるんですよ。
私はもう精神病とそうでない人を区分けするのは本当に難しい。
これは全然PRになってない話なんですけど話の最前線みたいな話なんですけど
だからこれ行ったり来たりするその分量がPR分量が多くなきゃいけないっていう風に
私はここで一応思ってるわけですよ。
なんでかっていうと危機に禁してるからですよ。
ただこの危機も考えてみるとずっと危機だったよねって言われるとそうなんで
危機は危機として平安でいなければいけないわけなんですけれども
これがちょっと明治矛盾っぽさがあるんだよね。
で今言った通りの話なんですよ。
要は精神病水準とか精神病部分と言われてるやつは
3カ月チャレンジでは非言語水準と言いたいんですけど
覚醒レベルが高すぎるんですね。
これがβ排出を生み出すっていう話なんですね。
つまりなんで平安になりましょうというのは平安になる方法を解くのが大事かというと
例えば赤面します。
例えば心臓がドキドキします。
頭が真っ白になります。
膝がガクガクと震えます。
これらは全て身体化じゃないですか。
あるいは行動化じゃないですか。
こういうのを身体化行動化って言うんだと
僕スラッシュ使うのすごい嫌なんですよね。
身体化または行動化と言うべきだけど
めんどくさいから中に棒点打ってみたり
中にグロ打ってみたりスラッシュ書いたりするわけでしょうか。
15:00
学者っぽくですね。
相互に入れ替え可能って言いたいんでしょうけど
言語としてはスラッシュあそこに打つのって
なんか1分の1って書いてるんじゃないんだからって思うんですけどね。
つまり身体化とか行動化というのは
行動に直すか直さないかを選べるとか
体に出るか出ないかを選べるわけがないから
身体化とか行動化とか言うんですよ。
行動でも身体表現でもないですよ。
化けちゃうわけですよ。勝手に。
それは覚醒水準が上がった時じゃないですか。
だって赤面する時って絶対そうですよね。
心臓ドキドキするのも頭が真っ白になるのも
膝がガクガク震えるのも
全ては覚醒水準があまりにも要するに
それこそドキドキしているから
あまりにも取り乱しているから
そこに上がっていってるわけですよね。
その覚醒レベルが上がっていってるわけですよね。
これを睡眠中にやる
非常に不思議な話に聞こえると思うんですけど
これを睡眠中にやるから幻覚を見るわけですよ。
悪夢で目を覚ましたり
夜叫んだりするわけですよ。
つまり寝てるんだけど
覚醒レベルはぐっと高いわけですよね。
緊張状態が非常に高いわけですよ。
これを精神病部分の作動って呼ぶってことはですね
覚醒水準下げるっていうことが必要なわけですよ。
だったらどうするのっていう問いが立つじゃないですか。
ここに。だから覚醒水準を下げましょう。
すなわち平安を目指しましょう。
その方法はって言ってる方法論は
自己啓発やライフハックではほとんどないと言っていいと
私は思うんですね。
なぜならばそんなものがあり得るとも大事だとも
信じられていないからですよ。
ただ私、赤面死ね方法ってライフハッカーが考え出すの
ありなんじゃないかって
以前にこの3ヶ月間の参加者さんが
その方が身体化っていうことについて
すごく詰めてる方だったんですけど
それはそんな気もするんですけどね。
ただ考えつかないんだろうやっぱりって感じがありますよね。
身体化が起きると薬飲むって話になりやすいわけですよ。
心臓を落ち着かせる薬とかありますよね。
おそらく赤面を抑える薬もあると思うんですね。
そういうことになりやすいんですよ。
つまりこれはお手上げだってことですよ、ある意味では。
それは方法論ではないと。
でも私はですね、ところがみんなこれをすごく
原始的にやってるじゃないかと思うんですね。
だって赤ちゃん抱っこして赤ちゃんがうわーってなったら
あれ覚醒水準が上がったわけですよね。
あれを身体化と言ってもいいと思うんですよ。
ギャーって鳴く、行動化だと言ってもいいと思うんですけど
いずれにしても選択の余地はもはやないわけですよ。
で、よしよしどうしたのってやるじゃないですか。
それを、すなわちそれが精神分析でもあるわけですよね。
18:04
つまりあれは言語がわからない人に向かって
赤ちゃんですね、言語的に
現状は平安であっていいんだと伝えるというのが
平安になる方法であるということを
みんな知ってるという話ですよね。
ただここにはいくつかの条件がありまして
つまりそれが私は精神病部分と非精神病部分
という話になると思うんですけれども
これはサンチャレのPRとしては
普通の言葉を使ってるから
イケてると思ってるんですけどね。
よしよしどうしたのって言っても
平安にはならないんですよ、確かに赤ちゃん。
でもああやってるうちに
落ち着いてくるということが起こりますよね。
これが僕はアルファ機能ってものだと思うんですね。
こうなるとレクチャー寄りになるんですよ。
しょうがないんですよね、ここはね。
これを説明するっていうことをいくらしたからといって
PRになるとは思わないんで
だから説明はせずに先へ進めるんですけれども
背中ポンポンと叩いたり
大丈夫大丈夫と言ってみたりすると
これがそのままその意味として
伝わるはずはないんだけれども
やっぱりこれで落ち着かせることはできるわけですよね。
ただしそこにはさっきも言ったように条件があって
母親自身が落ち着いていないことには
どうしようもないわけですよね。
つまりアルファ機能というのは
自分にも作動している。
どういうことかというとそれはつまり
覚醒水準をちゃんと
所定の位置に下げることができている。
なぜそれができるかというと
思考が働いてるからってことになるわけですよ。
少なくとも最低でも
夢思考アルファまでは
機能しているからっていうか
現実はベータ要素の塊
つまり変形の効かないもの自体
ものは変形しませんからね。
美音はそこをまた詩的なことを言うから
わけわかんなくなってるんですけど
じゃがいもは歌えない。じゃがいもは食べられるだけ
っていう話なんだけど
じゃがいもって変形できないんですよ。
じゃがいものまんまなんですよ。
我々はじゃがいもを
頭の中でマッシュポテトにしたりはできるんですよ。
だから思考は変形対象なんですよ。
しかしじゃがいもそのものは
もの自体はベータ要素は
変形が効かないんですよ。
これをトラウマで見てしまうのが
多くの場合トラウマで見てしまうのが
フラッシュバックというわけじゃないですか。
そのものずばりを見てしまい
それは思考であれば変形をこむるはずなのに
自分の少なくとも頭や心で扱うのに
都合のいい形に変わるはずなのに
変わんないから
変わんないからそのもの自体を見てしまうから
もの自体とか
感動的な用語を使ってるわけですよ。
もの自体は心の中に入ろうとすると
ベータ要素になってしまうわけですね。
って言ってるわけですよ。
その時我々は心臓がドキドキするはずだし
21:00
なんなら顔が赤くなる
汗をかく寒くても
膝が震えたり体が震えたりする
身体反応が出る
これは止めようと思って止まるものではないし
場合によっては
私がやってるのかも今は知れないように
行動に出てしまうわけですよ。
やばい金がなくなる
金がなくなるというのは
今のところ考えることができていますけれども
あまりにもひどい場合には
お金がないという事態について
考えることができなくなっていくわけですね。
そうするとなんかもう
ホルムズ海峡でああいうことがなってるから
お金がなくなるとか
なんかもうよくわからない
つなぐだけになっちゃうわけですよ
並べ立てるだけ
ベータ業機とか言ったりするんですけれども
並べ立てるだけになっていく
関係ありそうなものは片っ端から並べてくっつける
みたいなことが起きるわけですね。
ベータスクリーンと言ったりもするんですけど
そういうふうに私はなったのは
肌だけですが
つまり私は肌に関する覚醒水準が
異様に高かったので
ちょっとした刺激が膨大なんですよ。
赤ちゃんでそうですよね。
ちょっとした刺激で大泣きする
ああいうことが起きるわけです。
赤ちゃんが精神病なんではないんですよ。
赤ちゃんは
赤ちゃんだっておそらく
平安になることができれば
思考できるんである程度
だから穏やかになるんじゃないですか
赤ちゃんは穏やかに笑ったりもするじゃないですか
赤ちゃんがずっと狂ってるわけではない
現実のことが分かっていないかもしれないですけれども
ちゃんと穏やかになることはできてるわけですよね。
できてる場合には。
だから
クラインが言ったことは正しいんですよね。
児童にも精神分析が必要なんだと。
ケースによっては。
児童精神病ってのはあるんだと。
ということは逆に言うと
物が全く分かっていないような児童だって
正気の児童はいっぱいいるんだってこと
案にこれは言ってますよね。
そこは区別されてますよね。
だからこれは
覚醒水準を下げようと思えば
周りの人が手をかければ
これは当然個体差
っていうやつあると思います。
赤ちゃんは生まれつき
勘の強いことを言ったりしたりしますけど
そういうことってあると思います。
育てやすい子育てにくい子
だからなんか背中トントンしてあげれば
落ち着く子もいれば
落ち着けない子もいるでしょう。
ある程度は。
だけれどもこの場合圧倒的に物を言うのは
お母さんが平安かどうかですよね。
お母さんがつまり
今この状況は大丈夫なんだと思えているかどうかに
かかってきますよね。
大丈夫じゃないときに大丈夫だと思うのは
よくないし
大丈夫なときに大丈夫じゃないと思うのも
よくないわけですよ。
どっちもベータ要素のせいで
発生することなわけですよね。
つまりこれは
その人の本来
持っている能力から考えて
赤ちゃんなら赤ちゃんなりに
お母さんならお母さんなりに
お父さんならお父さんなりに
アルファ機能を発揮して
24:00
自分を
自分ができる範囲内で平安に
することができるという
そういう方向性を心が持っていることを
たぶん
正規と言うんでしょうね。
非精神病部分の作動
って言うべきなんでしょうね。
別の言い方をすると
非精神病水準ということになり
私としては言語水準と言いたくなり
言語が意味をなすんですよ。
だから赤ちゃんにとっては
意味はわかってないんだけども
よしよし大丈夫だからっていうのが
通るってことなんですよ。
通るってことはつまり
三者関係があるってことじゃないですか。
二者しかいないですよ
そこには。
子供とおそらく母親と
しかし言葉があるんですよ。
これが第三項って言われるものですよね。
言葉というのは第三者に通じますから
よしよし大丈夫っていうのは
他の人が聞いても意味わかるじゃないですか。
つまり三者関係がわかるんですよ。
赤ちゃんにも。
正気であれば。
わかってないかもしれないが
自分でわかったと
認識はできないし
他の人にそれを表明もできないが
おそらくわかってるんですよ。
ここが大事なんだと思うんですよね。
で、グラウンドさんは
それを説いたんですよ。
平安になる方法というのをグッドバイをして
話がいきなり飛んでますが
それはどういう方法かというと
一つ意識だってことを思い出せ
ってことなんですよ。
ドキドキしたり
戦闘体制を取ったり
身体化に走ったりする
覚醒水準を過剰に上げたり
何かにやたら注意を向けたりする
というのはすべて
分裂後の出来事の
必要のはずであって
すべてが統一体である
段階において
そんなことをする必要が全くどこにもないはずだ
ということを思い出せば
そして自分は依然として
一つのものの中にいるってこと
思い出せればその人は
必要な平安を取り戻して
要するにアルファ機能が
動き出すと
グラウンドファンスの言い方は絶対しませんが
アルファ機能が作動し出すと
そうすると心の中はすべて
アルファ要素で満たされていき
平安になれる
ということなわけですね
これを解いてるんですよ
彼の方法論は
大体はこれは解かれてない
わけです
平安になってからの話が
されてるわけです
よく考えましょうとか
ギターのバウンダリーをしっかりかけましょうとか
必要に応じて
距離を取りましょう
それはすべて平安になった後
できることです
いきなりは無理なんですよ
よく考えるなんて言ったって
考えられないからそもそもメーター要素を排出してるわけだから
考えられない人に向かって
よく考えましょうっていうのは
その前になすべきことがある
それはすなわち平安になるということで
平安になるために
ビヨン流に言うと
心のスペースを持つということ
心に空っぽってものを
27:01
作り出すということ
その中にベータ要素をどんどん入り込むっていう状態を
まず持ちこたえて
なんとかそこに
隙間をこじ開けるということ
そういうことを
先にしていかなかったら
その人は平安になって
なれないわけですね
平安になってみると
改めてなってみると
顔から血の気が下がっていくから
赤面が取れていくとか
心臓そこまで早回しなくても
この場は乗り切れるはずだから
心臓が落ち着いてくる
っていうことになる
でもそれは先にそれを目指す
無理
で身体に直接働きかけるために
背中トントンやったりしますからね
赤ちゃんに対してはね
タッピングっていうのは
無意味ってことはないんですけれども
ただ私たちはそれを
なるべく言葉で
達成していきたいと
なぜならば直接触れることは
できないまして私は画面越しですから
直接触れるということ
自体がありえないことだから
だからやっぱり言葉か
態度かその辺しかないわけ
ですよね
態度ってやつは非常に怪しいんで
背中を見せるみたいな話に
一歩間違えるとなっちゃうんで
態度だけでいくわけにはいかない
態度でいくというよりは
必要なのは自分が平安である
ということですね
ここにまたさっきの
心臓ドキドキとか頭真っ白とかと
同じ
矛盾が出てくるわけです
つまり
あんたが平安であってはいかんだろう
ってことになるわけですよ
クライアントさんの立場から
参加者さんの立場からすると
自分が平安でないからこそ
どうすれば平安になるかを聞いてるわけですよ
平安ですでに
ある人の話を聞いても無意味なわけです
平安になる方法を
知ってるというなら
一旦平安で亡くなってくれってこと
これが転移状況ってものだと思うんですよね
で実際に
東映ドイツカってやつが起きたり
赤ちゃんがぐわーっと
鳴いた時にお母さんが
大丈夫って言ってるお母さんが
もはや大丈夫じゃなくなってくるみたいなことが
起きるわけですねこれが東映ドイツカですね
大丈夫じゃないでしょうっていう風に
ずーっと叫ばれてるうちに
大丈夫じゃなくなっていくわけですよ
つい怒鳴ってしまうとか
ひどく取り乱すってことが
起きるわけですね
こうなった後で
平安を取り戻して
見せてくれれば平安になる方法が
もしかしたら分かるかもしれない
ということ
だからカムセラは平安を
失うわけですね
でも平安を失っちゃうと
平安になる方法なんだったっけ
ってことが本当に起こるわけ
そしてここまで起こらなかったら
平安を失ったとは言えないわけですよね
ここに矛盾があるわけですよ
そうなってしまったら2人ともパニックになるだけで
平安を取り戻す
ところではなくなるわけですね
そうして実際に
セッションの中断というものが発生する
さらにその後でだったら
30:00
中断を
平安を取り戻して
中断から
回収していくという
破局なりを乗り越える
という言い方なんですけど
カムセラをしてみせることが
できるのかという
基本的にできるというのはおかしいんですよね
破局なんだ
破局を体験した人に体験させたいものは
破局なので
相手も破局を体験し
そして修正は効かない
でなければ本当じゃない
しかし修正が効かない
ということは
永遠に繰り返されるだけで
平安に戻る方法も
などというものは
出駄目だということになる
こういう細い線を
辿っていかなければならないはずなんですよね
これは治療プロセスです
私は
ここまではやろう
ここまでできるとは
なかなか思えない
やらなきゃならなくなれば
だからここが
ビジネスコンサル ビジネスメンタルコンサルで
治療ではないと言っている
ポイントの一つです
一つだけじゃないんで
一つはそれです
つまりこれをやるという
たてつけでは
三カ月チャレンジは設計されていない
しかし
起きてしまったら頑張ります
ただしできるという保障は
できるという保障が精神分析に果たして
あるんだろうか心理臨床にあるんだろうか
という疑念は私は持っていますが
持っているというのは別に彼らを
下げすんでいるわけじゃないですよ
だってこれ論理的におかしいだろうという
部分はあるんで
でも
この点で発想からまでいけば
そうだな
不可能ではないって
言い切れるかもしれないなという風には
思います でも私の
三カ月チャレンジはやっぱり
これは治療プロセス
以外の何物でもないと思うんですよ
ここまでいってしまったら
本来的に言うとビジネスコンサル
辞めますっていう話は
それだけのことだから
辞める辞めないはそれは精神分析だって
同じなんですけど
でもビジネスコンサルの方がやっぱり
これはビジネスの役に立ちませんよ
辞めますっていうのは至って
全うじゃないですか
このさっきの治療プロセスにおける
セッションのあるいは
分析の中断というのは
やっぱり治療の打ち切りって感じの方が
強いわけですよね
それはやっぱり
平安を
失うということ
平安を取り戻すということは
どこか
心の治療ないしは宗教
みたいなニュアンスが強いんですよ
ビジネスのためであるっていう
部分がほとんどどこにも
見当たらなくなっていくわけですね
もちろんビジネスのためでもありますよ
人前で
ドギマギせずに喋れるようになる
というのはビジネスのためではありますから
それを特に人前で
話すことを必要としている
職業に就いている人の場合は
33:00
特にですよね
人前というのは徴収ということですよね
だからこの辺で
微妙な区別をつけていくしかないんですよ
その人がずっと引きこもってます
っていうのと
その人が後援者です
って話における
平安を取り戻す話は違うんですよ
その人は完全に家から
一歩も出ませんという場合
そして平安を取り戻す
だがそれを失う
だから中断するということになると
一気に治療力が強まるわけです
退職から
しかし私は後援者であり
なんならば
なんでもいいんですけども
そういう仕事に立ってます
お笑い芸人ですみたいなのもいいですよね
なんだけど人前で顔が赤くなってしまう
赤くなるのが笑いを取るためであればいいんだけど
そうではなくて
これで困ってるって平安を取り戻す
ってことになると
これはビジネスコンサルだなと言えると思うんです
だからもはや文脈を問うしかないんですよ
これはPRになってると思うな
それなりに
心臓を静かにさせる
という話になりました
といった時に
ここに逆説が
もう一個加わるんですよね
これは自己啓発でしばしば言われてます
唯一私が
広範囲に広がっている
平安を取り戻す方法論の
一つだなと思うのが
心臓高くなっても
いいではないですかってやつですよ
顔が赤くなってもいいではないですかと
こう思えれば
大丈夫だからって思えれば
顔が赤くなくなります
心臓は静かになります
膝の震えは止まりますっていうのは
逆説的によく問われますね
私たちが
私とJ松崎が先送りゼロで
辞席をやめましょうって言ってるのは
全く同じことです
先送りしたっていいじゃないですかって思えれば
心の底から思えれば
先送りはなくなりますって言ってるやつですよ
ちょっと
トリッキーですけどね
これは先送りは
でもこれが膝のガクガクなら
機能します
要するにそういうことなんです
平安を取り戻しましょうって話なんです
なぜならば
目の前にあるものは
アルファ機能アルファ要素に変えなければ
ならないからなんですよ
なぜならばではないな
方法論としてはアルファ要素を
作り出すベータ要素だけではなく
変形を現実にかけて
変形がかかるということは
現実でないってことですからね
現実は変形なんてかかりませんから
見てるだけで変形かかるとか
頭で考えれば変形かかるとか
目の前にあるジャガイモが
歌謡曲になるおかしいじゃないですか
ジャガイモの歌は歌えますけど
ジャガイモは歌えないんですよ
ジャガイモっていうのは
それについて考えただけでは変形しないんですよ
ジャガイモのイメージについて
考えるからそいつが変形するわけですよね
アルファ要素と
ベータ要素は根本的に
違うわけです
36:00
ベータ要素は写真でしかないんです
だからフラッシュバック
って言うんですよ
動画なんですよね
それは変わることができない
変えることができない
変えようという
意識を持てるかってことで
持つためには
アルファ機能を
発揮させるしかない
それが持てれば変形させられれば
変形させられるということは
それは現実ではないわけですから
心の中のものなので
私を本当の意味で
これがクラゾーサガイってことですよね
ないものは傷つけない
心の中のものは
あなたを傷つけることはない
ないものだからそれは
ないものはあなたを傷つけない
したがって平安でいていい
っていうそういうロジックを
解いてるわけですね
この方法論の
よく出回ってるバージョンがさっき言ったように
どうなってもいいじゃないですか
ある側のあなたで大丈夫ですってやつなんですが
これは結論なんですよ
結論部分を言ってるやつなんですね
論理展開はしてないと思うんですね
私は
でもそれすらも最近は
それはまあまあ人気ですけれども
でもこれよりやっぱ
どうしても人気なのは
身体科には身体運動なんですよ
つまり呼吸法なんですよね
それは呼吸法なら
なんで呼吸なのかというと
呼吸ぐらいしかもはや
コントロールできるものがないからです
取り乱しすぎていて
頭真っ白心臓ドキドキで顔も真っ赤になってて
足がガクガク震えます
4つとも来てますってときに
呼吸にさえ注目できないと僕は思うんだけど
でもせいぜい呼吸だろうと
胸に手をまてましょうなんつったって
そんなこと覚えてないですよ
呼吸だけは
思い出せる可能性があって
で深呼吸すると
この4つが一斉に沈まる可能性が
あるわけですよ
でもそれは深呼吸ができるということは
安全だということだからです
今のね
なんかこうあちこちで
戦闘状態になってますけど
あんなところで深呼吸とかしてらんないじゃないですか
つまり我々が
そういう緊迫感のある状態で
身体が緊迫した反応になるのは
生存のための方法論であって
生存のために機能しているのであって
それが
つまりそうしていいときは
そうなるべきなんですよ
心臓が高鳴るべきときに
高鳴らないんですってのは
それはそれで良くないわけです
期待例も別でしょうけどね
赤くなるべきときは赤くなるんですよ
めちゃくちゃ怒って顔が真っ赤になる
って人はいっぱいいるじゃないですか
つまり赤面というのはある意味
本人は怒るつもりがないんだけど
怒ってるって可能性が
相当あるんだと思うんですね
だけどその人は
怒りという感情をそこで
分離されているので顔だけが赤くなっていて
不思議な
違和感を覚えるんだと思うんです
私だって顔が赤くなりますもん
怒れば
そのときそのことが変だとか
不思議だとは思いませんもん
余計だなとは思いますけどね
39:01
熱くなりますもん体が
熱くする必要はないんだけど本当は
ほとんどの場合
でもしょうがないですよね
そういうものですから
闘争時に我々はそういう風に
生き延びてきたわけですから
ご先祖様がですね
でその
名残だっていう部分だけ強調するのが
現代の考え方なんですよ
だから深呼吸をして
なんなら薬を飲んで
落ち着きましょうという話をしているわけです
それは落ち着きますよね
落ち着ける状況であるならば
落ち着ける状況であるかどうかが
思考できないんですよ
それがつまり
β要素の
大量発生ということや
大量発生すると困るので
心の中がβ要素だらけになれば
もはや我々は
とてもじゃないけど生きた心地もしませんから
赤ちゃんがガーって鳴いているときと
全く変わらない状態に置かれるわけですから
β排出をします
ほとんどの場合は誰かに
何かを投げつけるとか
誰かに何かを
言いまくるとか
そういう事態になるはずです
やっぱり相手の人が
βを投げ返してくると
つまり果てしない言い争いみたいなことが
起きるはずです
分かんないけど何が起きるのか
相手の人が一生懸命
持ちこたえていても
もしかするとボカンと切れちゃって
そこまで言うんだったら私家出て行くとか
急に言い出す人がいますよね
あれはつまりβ
代謝はできていないときに
よく起こる現象なんだと思うんですよね
そういう
話を
3ヶ月チャレンジではしまして
だから結局のところ
問題を解決するというよりは
我々はつまり精神病部分が
作動しやすい条件ってのを
個々人それぞれ
全く異なるやり方で
持ってるんですね
これが大概似てるだろうっていう風な
前提で動いているのが
行動原理とか
物質原理での
対策なんですよ
人前に調べればそれは緊張するよね
みたいな話ですよ
そうではないんですよ
人前といっても
こういう人前とかそういう人前とか
ああいう人前とかがあって
一人一人が違うんですよ
だからやっぱり私はワンワンセッションは
しなきゃならないと思ってるんです
一人一人の
言葉で表現すれば
そういうのは
私にもありますよみたいな話になるんだけど
そうでは全くないということなんです
そのシチュエーションで
そこまで体がガタガタ
しなければならないっていうことは
他の人にはまず起きない
なぜならばそれは
その人の非常にユニークな
ヒストリーに
深く関わっていることだから
きっとそういうことが起きる
ヒストリーに私が
42:00
興味津々だから話をかかってるって
わけじゃないですよ
私の感覚では
そういうことが起きる
ということは理解できない
っていうところからスタートするわけです
これは結構最後まで続くんです
分かったような気がするけど
実は分かってないってこともたくさんあります
ここまで言えば
分かるだろうっていう話になりやすいんですけれども
私たちはみんな
外してそうではないんです
戸畑さんがよく書いてましたよね
戸畑海人さんが
今カウンセラーの本で
新書大賞まで取って
絶好調の戸畑さんが
書いてました
カウンセラーなら分かるでしょう
あれしょっちゅう言われるんでしょうね
分かんないんですよ分かるはずがないんです
大体において情報
少なすぎですし
ほとんどの場合
カウンセラーに向かってクライアントさんが
喋ることというのは確信部分は
饒舌な人であれ
寡黙な人であれ確信部分には
触れないように
巧みに避けられているなぜならそこは
ベータ要素だから言葉に
直りにくいケースによって
ほとんど言葉にならない
だからそこについてそもそも
ほとんど語られてない本人は
周辺情報を大量に出して
これだけ言ったんだし
あなたはカウンセラーなんだから
想像力を働かせて私の心持ちの状態を
測ってください無理なんですよ
それをやると何が起きるかというと
一緒に破綻するんです
でそういうシーンは
しょっちゅう出てきてますね戸畑さんの方も
何か投げつけられてみたり
そんなこと
分かんないなんてカウンセラーなんて
ありえないとか言われたりしていますね
ああいう風になるはず
なんですよつまりあんたは
まだまだ平安の中に
居上がるっていう
いう意見を述べられて
意見というかいう思いをぶつけられていて
まさにそうなんですよ
平安である人が平安について語っているのを
いくら聞いたって
私は平安にはなれないっていう話なんですよね
繰り返しになりますが
私はこれを
天意と言うんだと思うんですけどね
はい
44:08

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