1. ライフハック時代の精神分析
  2. 「何者かになれない悩み」のた..
2026-03-16 45:29

「何者かになれない悩み」のための3チャレ

全く新しい体験と最も古い記憶の関係。
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感想

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サマリー

このエピソードでは、「何者かになれない悩み」を抱える人々に向けて、心理分析の観点からその根源を探求します。特に、クリストファー・ボラスが提唱する「変形性対象」という概念を中心に、人間の最も古い記憶、特に母親との関係性が、現在の自己認識や行動にどのように影響を与えているかを解説します。 幼少期の「自分=母親=世界」という一体感の記憶が、大人になってからの「何者かになりたい」という願望や、変化への期待、さらには失望感に繋がっていると指摘します。シンデレラの物語を例に、母親(あるいはそれに代わる存在)が世界を一変させる力を持つという幻想が、現代の消費文化や自己啓発においても繰り返されていることを示唆します。この根源的な記憶に触れることが、自己理解と成長に不可欠であり、3ヶ月チャレンジのような個別セッションがその一助となる可能性を示唆しています。

3ヶ月チャレンジの紹介と心理分析の必要性
おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1331回をお送りします。
はい、3月16日の月曜日、朝8時45分です。
最近ですね、この季節で肝断作が激しいせいなのか、いまいち体調がよろしくない感じが続くんですよね、私ね。
なんとかせねばといつも思うんですけど、簡単にはなんとかなりませんね。
で、今日はですね、
まあここのところyoutubeで3ヶ月チャレンジとは、みたいなことを一生懸命言ってるんだけど、
ほぼ何の成果も出ておりませんので、改めましてですね、今3ヶ月チャレンジでは、
4回お試しセットみたいなものを用意させてもらっているのと、
1回だけその中でも無料で50分間というのを、
もちろん1回使っていただくのでも結構なんですけど、
同じ方が何回も何回も無料の1回目のお試しをされるっていうものではないですから、
話の趣旨からしても、そもそも1回でことが足りるんなら、私1回コースをもっと強力にしますから。
私別にサブスクリプションにしたいとかいうわけではないんですよ。
やっぱり政治分析って本来的に数年かかってるケースをいっぱい私は読んできてる。見たことは1回もないんだけどね。
3ヶ月ってすごいもう本当にギリギリの線だと思っているので、
何かしらの一定の効果というものを実感するには、毎週毎週3ヶ月12回が本来必須だとぐらいは思っているわけです。
とはいえ、値段がお安くないって話にすぐなっちゃいますので、これもすごい考え方だと本当思うんですよね。
1回あたりのセッションのお値段は、一番高い場合でも今のところ7000円台で、これは例えば美容院というところでも一定の高価な、1000円カットとかじゃないやつね、
あのところに行かれればですね、6、7000円は行くと思うんですね。マッサージとかも保険が効かない場合は、1時間で多分テモミンとかでない限りは1000円とかでは済まないと思うんですよ。
で、もしマッサージに各種で行ったら、もう結構そんなに実は3ヶ月でかかってる値段ってそんなには違わないんですよ。3ヶ月チャレンジとかと。
そんなこと言っても安いですよって言ってるわけでは決してないですけれども、都内のマッサージに3回ずつ通っているのとは、値段的には遜色ないか少し安めだな、ぐらいには思うんですね。
でもお試しいるでしょうから、お試しは用意してあります。そのお試しの初回だったら無料です。
話してみてですね、これは無理だなって思ったら、そこでやめていただいても、そんなに金銭的な損害は全く発生しないというのを用意してあるんで、
一応3月中旬に入りましたから、第14期は5月からになりますが、このぐらいの時から考えておいていただくとですね、
4月に3,4回セッションを持たせてもらうという形を取った場合、これも14期に入っていただいた分には重当できますんで、4回事実上無料に近いんですよね。時間かかりますけどね。
そういうわけで、ちょっと考えておいていただいてもいいんではないかと。何か思うところがあったらですね。
思うところっていうのは、つまり、タスク管理とか仕事術ということで、あるいは調子に怒られるのがとてつもなく嫌だとか、
会社に行って怒られたくないとか、何かケアレスミスがあって、すごく難しいことになるといったお話に、個別で手当てさせていただくという形を取っています。
何で個別なのかっていう話。なぜ一般論をすることができないのか。なぜタイマー5分セットを用意どんでやるということが、何かこの自分自身のお悩みには刺さってこない感じがするのか、
効果がない感じがするのか、何かもっといいアイデアはないのかっていう話を今日はちょっとしてみたいと思いますね。
で、それはですね、やっぱり最早期の記憶ってやつ。母子関係を洗い出したいのではないんですよ。ここは誤解のないようにっていうか、結局母子関係を洗い出すことに絶対なっちゃうんだけど、だから誤解ではない。誤解ではないんだけど、大事なのは最早期の記憶。
心の一番コアになっているところってとりあえず言っておきますね。中核には私一人っていう世界がないんだってことなんですね。なぜならそこには母親がいたはずだから。いなかったっていうケースがゼロだとは言いませんから、あれですけど、でも抱っこしてくれる誰かはいたんですね。
で、問題なのはその抱っこしている腕と自分自身の、もちろんありますよ、外から見れば高い目はね。だけれども赤ちゃんはそのことを知らないから、その時残っている記憶は腕と自分とその、抱っこしている人は一体になっちゃってるんですよ。そこが大事なんですよ。
例えば子宮の中にいた記憶というものがあるのかないのか知りませんが、仮にあるとしましょう。その場合子宮の中だここはとは思ってないんですよ。世界とはこういうもんだと。しかもその時自分しかいないんですけどそこには。だから自分っていう概念いらないですよね。自分しかいない空間で自分って概念いらないじゃないですか。自分イコール世界じゃないですか。
この感じが我々にはつかみにくいんだけど自分イコール世界の時代があったんですよ私たちは。自分イコール母親の時代があったんですよ。で境界線がないんだからその世界はある意味無限に近いじゃないですか。境界線は母親で終わってるわけじゃないんですよ。自分イコール母親イコール世界なんですよ。そういう時代があったわけですよね。
でそういう時代の中で起きた記憶が我々はものすごくこの形自体はおそらく人類一般だと思うんですよね。自分イコールその抱っこしてる人間イコール世界でその境界線はボワッとしていてなんだかわけわかんない混沌としたいい時もあればすごく悪い時もある。
幸せだなっていうそういうふうには全く思いませんけど界で満たされている時は自分イコール母親イコール世界イコール界だからユートピアなわけですよ。
でもユートピアには松木さんがこれは松木国宏さんがねあのこれは正しいと。私あのどうだっけな結構スロバキアかウィーンに行った時にオーストリアのね美術館で絶対ユートピアには一人って世界ないなっていうのは思ったんですよね。
なんかいちいちまぁだいたい聖母マリア様みたいなね絵が描かれてるわけですよね。なんか神様とか天使みたいなのがいたりもしますけどとにかくいちいちいるんですよね。あれ絶対親子だと思うんですよねやっぱりね。なんかみんな立ってんだけどなんかこう家族の写真みたいなんだけどなんかそういうのがなんか次から次へと本当に多いんですよね。
なんか有名な美術館とか行くと本当に多いんですよ。ずっと背伸びさせられる感じなんでなんかもうすっかりうんざりって言ってはいけないのかもしれないけどもうこれいいわみたいな気持ちになるんだけどそれぐらい人間が立ってる感じなんですよね。人間が立ってるなーって感じなんですよ。天国でしょあれ。
だから我々は一番原初のぼやーっとした記憶の中でやっぱり人と人を見てしまう。しょうがないですよね。自分って概念がないんだから見えるものが人間の手とか人間のおっぱいとかなんだから普通はそうだからしゃーないですよね。そういうもんなんですよ。そういう世界にいた時のあれは記憶の絵なんだと思うんですね。ユートピアっていうものは。
でこの時代に私たちが得た記憶というものが私はね私の考えでは私だけの考えでは全くなくて私はこれ対照関係論という本の中から得たわけだけれどもこの時の記憶のおかげでというかせいで会社に行きたくなくなったり怒られるのが異常に怖くなったり先送りを繰り返したり何者かになりたくなってみたり非常に傷つきやすくなってみたり
寒い日は外に出られないとかいうことになってみたりするんだと思うんですね。あるいは掃除ができなくなってみたりあるいは掃除に過剰に熱中してなんかこう休みの時は掃除しかしてないみたいなことが起こる。あるいはタスクシュートを使いたくなってみたりするんだと。私はそう思ってるんですよ。これは掃除術とかタスクシュートがどうこうって話とは違うところの話なんですよ。
その人個人の歴史の中で一番最初の歴史のスタートの中で起きた出来事のせいでそういうことが起こるんでタスクシュート一般の話をするときは絶対出てこないはずなんですよこの話。なんで三ヶ月チャレンジでは個別セッションをやりますと。そういう最早期の話には触れることに結局なってしまうんですといったことが言いたいわけですね。
そうしないとタスクシュートの一般的な話っていうのはその最早期の記憶の話をすっ飛ばすっていうかそれは終わったものとしての話しか出てこないはずなんですよ。タスクシュート一般の話に私の0歳10日目にお母さんがなんかおっぱいを正午は吸うのがとても痛いから叩けとか言ったらしいんだけど親父がそうして叩かれとか関係ないじゃないですか。
っていうか関係あるんですよこれが。だけど出てこないでしょそんな話はタスクシュートに。いや正午はこう0歳10日の時に引っ叩かれたからその時の傷があってうんたらかんたら難しい仕事の時はファン座入っちゃうんで注意しましょうみたいな。いらないじゃないですかそういう話はタスクシュートとかタスク管理とかどんなに精緻にできているGTDとかマニアナの法則とか言ってみたって出てこないでしょそういう話絶対に。
そういう話を引っ張り出してこないと解決しない話が課題があるんだというのが3ヶ月チャレンジの立場なんで。だからそれはタスクシュート不要説を唱えてるとかいらないという風に言ってるとか関係ないんですよ違うテーマ全く絶対に平行線を永遠にたどり続けるというかねじれの位置みたいな感じがするんですけどね私はね。
そもそも本来次元が違う話をするんですっていうことですね。で私はそういう問題をタイマーとかで解決できるわけがないと思うんですよ。最早期の記憶における傷つきの問題が5分タイマーセットしたからって片付くはずがないと思う。もちろん時々はタイマーのおかげで仕事進んだと最早期の記憶のことは一旦脇に置いといてこの仕事は進められましたってことは起きることあると思いますよ。でもそれは課題を解決したことにはならないと思うんですよね。
最早期の記憶と「自分=世界」の概念
なんつうんですかねこれはね。えっと今日はお風呂が壊れているからシャワーで済ませました。じゃあお風呂が壊れた時のライフハックはシャワーで済ませることですってのはおかしいと思うんですよ。お風呂が壊れるというのに対する課題の設定はいつかお風呂を直すってことであってシャワーで済ませることによって済むことはあるにしてもそれは解決とは言わないでしょうとそういう話ですね。
話を先に進めますがその最早期の記憶の話の中で最近私の中でいきなりホットになったのがクリストファー・ボラスという人が提唱している変形性対象というまた新しい概念かよって思われると思うんですし私もこういうの3ヶ月チャレンジの中でも話題になるんですよ。
どんどんどんどん新しい概念をなんでこの界隈では追加していって統一の理論を立てないのかとそれにはいろいろ事情があるんですけれども僕はよく地図のたてを使いたくなるんですね。メルカトル図法は不正確なんだけどしょうがないんですよねメルカトル図法は。
平面に急面の地図を平面に直すと地球の川向きをしてそれを四角い地図に直すときにはああいうことをやるしかないわけですよ。真上から円だけ取るとあの国連の旗みたいになるんだけど北半球の図しか出てこないじゃないですか。しかもすごいわかりにくいじゃないですか。
北極が中心になっているやつ。ああいう地図ばっかりだと困るからやっぱりメルカトル図法は不正確でも必要なわけですよね。
あのメルカトル図法を圧倒的に不正確にした地図が心の地図なんですよ。で心ってのはもともと形がないものなんだから図示するという段階ですでに大きく何かをねじ曲げることになるわけですよ。
てか格納を作り出してますよね。はっきり言って。だけどそうある種の心のモデルを持たないでしり臨床やるっていうのはもうほとんど神業になっちゃうからやっぱりある種の心のモデルはいるんですよね。
例えばコンテイナーとコンテインドみたいなのはやっぱりあれは確かに私は臨床やってるわけじゃないけれどもセッションやっててもコンテイナーとコンテインドっていうのは意識ちょっとするだけで全然違うんですよ。
ああそっかっていうことがいっぱい出てくるんだけどコンテイナー心はコンテイナーって言ったってそれは真実ではないですからね心は形がないんだから厳密に言うとコンテナーのはずがないんだけれどもだけどコンテナーなんだと考えることによって考えられるようになるわけですよね。
だから不正確な地図がどんどんできちゃうわけです。しかも心理臨床から見るクライアントさんは各々違うわけですからビオンとクライアントは見てる人が違うわけですからだから結局究極的には一致しないんですよね。
特にその人が腕が立てば立つほど他の人の理論でその通りにやるのは満足できなくなるはずなんですよね。だから結局はそういうことが起きるわけですよ。残念ながら。
でこの変形性対象というのは話戻しますけどめちゃくちゃ役に立つだと僕は思うんですね。ここのところ私はシンデレラの話あの話私欲動論と外相論説明するのに大変役に立つと思うようになったんであの話よくするんですけれどもあの中にこれ昨日のyoutubeでも話したんですけどビブデバビデブーが出てくるじゃないですかあれ難語ですよね非常に子供が喜びそうな言葉で意味不明ですよね。
呪文というものは基本意味不明です。あれ変形性対象を非常によく表していると思うんですね。
あのフェアリーゴッドマーザーみたいな言い方しますけど妖精なんだか魔女なんだかおばあちゃんなんだか知りませんけど要するに母親ですよ。母親はカボチャをバサに変えられるんですよ赤ちゃんにしてみると。
つまり母親は世界を一変させる存在として最初登場するというのがこのボラスっていう人の言い分に聞こえるんですね。
だけど自分イコール母親イコール世界ですから世界を一変させるってことは自分を一変させることでもあるわけですよ。
実際あのビブデバビデブーはカボチャを馬車に変えるのが願目じゃないんですよ。
シンデレラお姫様に変えることこそが願目ですよね。
つまり何者かになるってことですよ。
こういうふうに繋いでるわけです。私の頭の中では。
一変させてくれる存在によって私を一変させてほしいっていう願望を人は城内抱いてる気がするんです。
いつもそういう気持ちでいる。
その方法の一つに様々なCMが乗っかってくるんですよ。
いつもCMってそういうこと言ってくるじゃないですか。
あなたを一変させますってある意味言ってくるじゃないですか。
この体験こそがあなたに必要なもので。
自己啓発セミナーのやつみたいですけど。
3カ月チャレンジもそういうものとして見なされてると思うんですけどね。
タスクシュートだってそうですよ。
このツールこそがあなたを一変させますって。
究極的には信じられなければ多分新しいユーザー獲得できないと思うんですよね。
朝かつとか。
朝3時に起きるとあなたは一変します。
めちゃくちゃ眠い自分が出てきそうですけど。
とにかく一変するっていう可能性に賭けてるわけですよね。
私あんまり洋楽とか聞かない人間ですけど。
アーバーでしたっけ?
ABBAのなんだっけあれ。
なんかこうあれじゃないですか。
お金お金お金っていう歌あるじゃないですか。
財布の中には1セントも入っていない。
お金持ちの男と結婚したら人生が一変するみたいな歌あるじゃないですか。
やたらと家庭法過去みたいなのを使いまくる歌ありますよね。
家庭法過去っていうことは要するに金がないって言ってるわけ。
お金があったらなーって世界なんだけど。
そういうふうにお金って思われてるから。
だからギャンブラー。ギャンブラーなんですよ。
変形性対象の一つの答えとしてギャンブルが出てくるわけですよ。
だって世界を一変させるじゃないですか。
3セブンが出れば。
3セブンが出るまでは世界は一変しないんだけど。
それはどうでもいい。どうでもよくはないと思うんだけど。
そこを耐え忍びさえすればいつか世界は一変するわけですよ。
で、その時に外的に変わるのはもちろんのこと。
内的にも変わるわけですね。
シンデレラは美しいお姫様になるわけですよ。
なるわけですよね。
そのためにそれを実現してくれるのが
最早期の。ここが大事なんですよ。
生後、ゼロ歳児の間の母なんですよ。
ゼロ歳児だけがこの特権を享受できるわけです。
なぜならば何が起きても世界が一変するからですよね。
例えば、私は一番これだと思うんですけど
おっぱいを出してくれるだけで世界は一変しますよね。
だってそこに食べ物が出てくるんですよ。
しかも赤ちゃんにとってはそれはおっぱいだということを知らない。
食べ物だということも知らない。
母親がそれを出してくれるということも知らないですよ。
全部、第一回目の体験はそうなるはずですよね。
何にも知らないのにそんなことが起きちゃうわけですよ。
これは魔法使いですよね。
そんなもんじゃないですけどね。
だから、ビブデパビデブーというのは何語ですよね。
モラスはイリウムっていう
やめてほしいんだけどそういう言葉の使い方をするんだけど
赤ちゃん言葉というものが
そのお母さんとその赤ちゃんだけに通じるような
文化というものの記号になっているわけですよ。
つまりそれは呪文なわけですよ。
魔法使いが唱える呪文なわけですよ。
そして世界は一変する。
変形性対象と「何者かになりたい」願望
ついでに私も一変する。
すごいんじゃないですか。
でもまさに居酒屋のトイレとかに入ると
目の前にドーンと世界一周旅行しませんかみたいなのが
出てくるわけですよ。
なぜかこのクルーズに78日間
78日間かよとかって毎度思うんですけどね。
そんなに長い間会場とかに私は居たくない人間なんで
あなたは一変するみたいなことが書いてあるわけですよね。
だからボラスってすごい現代的な対照関係論者だなと思うんですね。
現代の雰囲気をすごくよく
まさに同時代的なものを感じる
私としてはですね。
とにかくこういうことって本当に身の回りでは
常にいつでも
昨日見た
私ネットフリーで
世界WBC見たんですけど
やっぱ出てきますよね。
車とかが。
なんかよくわかんないけどただ高級車がずっと走ってて
極上の体験とかって言ってるわけです。
あれが呪文ってもんですよね。
そして魔法ってもんですよね。
で私はこれを買った日から
全てが変わる。
全く全てが一新されて
私は新しいものに生まれ変わる。
生まれ変わるわけですよ。
でもそれは生まれ譲る時の記憶なわけですよ。
だって生まれ出た時ってまさに生まれ変わった感じが
当人はしてるじゃないですか。
もちろんゼロ歳人。
ゼロ歳ゼロ日の赤ちゃんですね。
まさに生まれ変わっているわけですね。
生まれ出た時。
だからこの繰り返し繰り返し私たちが
手に入れている
おそらくiPhone17とか
知りませんけれども
新型のレクサスとか
あるいは新しいお家とか
新しいマンションとか
新しい彼女とか
新しい恋人とのセックスとか
全て
古い記憶を思い出しているわけですよ。
一番古い記憶。まさにそうですよね。
これ以上古い記憶は僕らは
もはや前世の記憶になってしまって
精神分析等は
一切オカルトを廃するので
前世の記憶はないわけですよ。
今世の記憶としては
一番古い記憶を思い出すわけです。
この思い出すという
つまりデジャビューっていう風に
ボラサー書くわけですけれども
意思感のどこかあるものを
私たちは
全く新しい体験という
名のもとに
求めていくわけです。
この究極の変化は
つまり
自分と世界の
同時の変化なんですよ。
それをもたらすものが
母親であり、この場合の母親は
自分でもあるので
自分でもあるわけです。
ここから様々な混乱と
臨床の対象である
精神病理というやつ
であったり、あるいは
性格の混乱
いわゆるパーソナリティ
障害みたいですね。
そういうものが基本的には
ここに
大元あるんだ
というのがボラスの考え方ですね。
この考え方には
変形性対象と移行対象:おもちゃと現実
非常にウィニコットらしいところがあります。
ウィニコットは万能の
環境としての母親みたいなこと
言ってますけれども、全くそうじゃないですか。
ただウィニコットの
理論をだいぶ細かく
しかも非常に
同時代的に
そういう感じに書き換えて
いってるというか、上書きしていってる
印象は受けるんですよね。
シンデレラの
魔女は間違いなく
そういう存在だと思うんで
これは昔から変わらないわけですけれども
実際、女の子
みたいに、女の子の世界ですよね。
杖とか買ったり
よくわからない、比較的
安そうなドレスとかを買って
お姫様になってる。でもこれは結構
裕福な家でできることですよ。
基本的にそれは役に立たない服なんで。
それで一変するっていう
この一変っていうものを
子供はものすごく好むというか
実際のところは
おもちゃ売り場に行って出てきているものって
全部これだなって感じなんですよね。
ブロックで世界を
作ってみたり、これは世界が一変している
わけですし、おままごとで
自分がお母さんになって
いるっていうのも世界を一変させている
わけだし、自分も一変してますし
そういう世界
ですよね、おもちゃの空間。
私、実はおもちゃの売り場
っての
一時ですけど、いつぐらいかな
大学生付近の頃だったかな
あるとき
あるところでは
絶対行ってました、おもちゃ売り場。
で、常に身を置くんですよ。
これは一体
自分に何の意味があるんだろうと。
はっきり言って
私は、プラモとかやっては
人間じゃないし、パズルとか全然
根気が
続かないので
おもちゃって下らんもんだと思ってたんですよ。
特にその青年期においては。
違う人もいるじゃないですか。
すごくのめり込むタイプ。
三浦純さんとか、おもちゃ全部取っとけ
の人だったと思ったんですけど
よく覚えてないけど
アイデアマンみたいな人ね。
私は
おもちゃっていうのは基本的に
つまらんもんだと思ってたんですよ。
積み木であれ何であれ、これで楽しむのには
相当な努力がいるけど、相当な努力を
子供は持ってないから
結局のところ、どうでもいいものにしてしまう。
このどうでもいいものにしてしまうというのが
ウィニコットが言うところの
意向対象に対しては物作業を必要としない
っていう言い方だったんですけど
これはボラスの方がだいぶ先を
行ってる感じがするんですよね。
意向対象においては物作業を
必要としない。つまり
この意向対象なんですよ。
変形性対象っていう言い方は
母親なんですけど、変形性対象
というのは物にも宿るわけです。
さっき言ったように。
iPhone17だったり、新しい車だったりするわけですよ。
で、子供にとっては
おもちゃなんですよ。
完全にそれは意向対象なんだけども
やっぱり大事にしないですよね。
多くの子供は怒られますよね。
あんなに言ったから買ってあげたのに
なんかもうそこらへんに捨ててあるわけですよね。
うちの子ももちろんやります。
ある意味健全なんですよ。
なぜあれが起きるか
失望するからですよね。
つまり、母親が世界を
一変させて
泣いていたら
白い液体が出てきて
それが何か
瓶すらも変形の結果ですからね。
世界を変形させたから
瓶になるわけで
瓶というのはどこかにあったものが出てくるんじゃないんですよ。
最初に見たときにはね。
だから
しばしばちっちゃい子は
意外とそうでもないんだけど
テレビの中に人が入っているのかと思って
一生懸命後ろを見たりするわけですよ。
そういうのが
可愛らしいって思うっていうことは
つまり、我々は
からくりを知ってるって話なんだけど
世界を変形させてる。
だって
リモコンのスイッチを入れたら
いきなり人間が登場するっていうのは
世界が変形してるじゃないですか。
レンジで温めて
飲み物に変えるわけですよ。
だから魔女はしょっちゅう
料理してるわけですよ。
童話の中で。
料理っていうのは変形というものの
象徴としては非常に分かりやすいですよね。
だってよく分からない
芋とか
ネギとかそういったものが
どろっとした液体になって
しかもうまいみたいな。結構食わないですけどね。
子供はね。しかもうまいみたいな。
そういうのって魔法じゃないですか。
変形じゃないですか。
その変形を担っているのは
大体母親じゃないですか。
だからこの母親というのは万能なんですよね。
必要に応じて
世界を完全に変えられる。
だから恨まれるんですよ。
これほど万能であるのに
なぜ私の望みを
変形性対象の影と失望
全部叶えてくれないのだろうと
いつしか子供は
考えるようになっちゃうわけですよね。
運命の手なわけですよね。
ということをモラスは書いてるんだけど
運命の手なのに
私の世界を
完全な形になぜか
変えてくれないと。
場合によっては
自分に対して害を成してくると。
だからキシボジンみたいなものが
登場するわけですよね。
とんでもないやつだということになるわけですよ。
運命を全部になっているのに
自分に害を与えてくるっていう
こっちの方がもちろん心理臨床では
ずっと大事です。
レンジでチンとか料理も
大事かもしれないけど
大事なのはやっぱり変形性対象が
悪いことをしてくる。
自分に苦しみを与えてくると。
だからモラスが神美観とか
美の世界って言ってるときは
あそこを読み換えないと
この辺がすごいウィニコットと似てるんですよね。
美の世界とか神美の世界
って言ってるときは
マガマガしいとか
おぞましいとか薄汚いっていう
ような意味に近いと思うんですね。
うんちみたいな。
美の世界って言ったらまずうんちは
考えないといけないところがあるんですよ。
ああいう読み物って。
その辺もすごいウィニコットっぽいな
って最近思うようになったんですよね。
病理としてはその通りじゃないですか。
ところが私が
さっきの話
おもちゃ売り場に身を置いて
なんで俺はここにあるもの
全部欲しいとか
のち狂ったこと考えてたんだろうと思ったんだけど
そういう風な年齢になっても
なおこのおもちゃには
特有の魅力を感じるんですよ。
感じてたんですよ。
もちろんそう作ってあるわけだけど
この魅力の源泉は
変形性対象の移行対象が
ぐるりと
取り囲んでるからですよね。
つまり
ステッキとかドレスとか
完全にシンデレラが
変身する時の
魔法の空間を
おもちゃなんとか
そこに見せようと
頑張ってるわけですよね。
行ってみると分かります。
まさにそういう感じ。
非常に圧倒される感じがあるんですよ。
私はそこがすごい
気になってたんですね。
確かにここにあるものは全部魅力的なんだけど
大変自分を
傷つけるものでもあるんですね。
まずそれを全部手に入れても
幻滅しかやってこないという
予感があるというせいもありますけど
あまりにも現実的でなさすぎて
不気味なんですよね。おもちゃの空間というのは。
そういう感じが
私はしたんです。
だってあそこ夜に行ったら怖いですよ。
結構。おそらく私、三浦純さんの
全部取っておきましたの世界に
夜一人で入ったら
怖いだろうなって感じが
するんですよね。
学校はなぜ夜怖いかっていう
理屈とちょっと似てるんですけどね。
同じじゃないけどね。ちょっと似てるんですけど。
つまり母親は
万能なだけあって
変形させられるんですから世界を。
まさに神ですよね。
神っていうのは世界を作り出すことができる。
変形させられる。
告示してるわけですよ。
夜に登場する神は怖いわけですよ。
で、シンデレラの
魔法使いが
夜登場したのは
決して偶然じゃないと思うんですよね。
やっぱり昼にあれをやっちゃうと
手品がバレるんですよ。
カボチャを馬車にするだろう。
シンデレラをお姫様にするだろう。
ネズミを馬にするだろう。
夜にしかできないんですよ。
母親と家でも。
昼日中にあれをやると
たぶんバレるんですよね。
実は大したことやってねーなっていうのがバレるんですよ。
この失望感こそが
子供がおもちゃをそこら辺に
放り投げてしまう理由ですよね。
つまり物
現実の普通感とトラウマ
作業を必要としないんですよ。
痛まないんですよ。
あーなんかお母さんが
亡くなってしまって悲しい。
あのー
手を合わせましょうみたいなのを
おもちゃにやる子はまあいないですよ。
いるとするとちょっとこう
問題があるんじゃないだろうかって感じが
しなくはないんですよね。
つまり気遣わないんですよね。
なぜならばそれは偽物だからです。
意向対象というのは
真実のものでは決してないはずです。
ライナスの安心毛布ってまさにそうじゃないですか。
安心毛布が母親の代わりになってくれる
はずがないですよね。
毛布には何一つ変形する力はない。
だけれどもそんなことを言えば
えーと
ラジコンだろうとドローンだろうと
超高級なおもちゃだろうと
現実を変形させる力なんて全然ないんですよ。
だから我々はいつもいつも
この失望に最後は
行き当たることになるわけですね。
そこを脱しつつ
あるものがおそらく
文学作品のすごいやつとか
芸術作品のすごいやつとか
すごい音楽とかなんですよ。
とはいえ
今思い出したんですけど
私の道教大学の音楽の先生が繰り返し
強調してたんですけど
年一ぐらいにしないと
ダメだから合唱聞くのはみたいな
さすが大学の先生と思ったんですけど
大工ね
ベートーベンの大工
そんなしょっちゅう大工聞いてたら
大工の有難味なんかすぐなくなっちゃうから
みたいなことをザカンに言ってましたね。
日本人は何かというのを大工を
かけたがるけど
大工は何度も何度も聞いて
いられるもんじゃないから
みたいなことをよく言っていました。
つまり
芸術作品も
ラジコンよりはマシかもしれないけど
基本は変わらないんですよね。
現実を一変させるかもしれないけれども
一変させ
だいたい現実を一変させ続けるって
おかしいじゃないですか。
あまりにも現実が不安定になって
だから私は世界一周旅行の後って
めちゃくちゃ人は
大変なんじゃないかなって思うんですよね。
抑鬱的になりかねないな
っていう気がするんですよ。
だってこうわけわかんなくなっちゃうじゃないですか。
世界が一変した後
普段の家に戻ってきちゃったら。
だから
この
いずれにしてもこの
現実の普通感というものに
私たちは
もっともっと慣れなきゃいけないんだけど
実際のところ
途中言った通り
おもちゃっていうのは子供にとって
β要素だと思うんですよね。
β要素っていうのは現実
現実というものは
トラウマまでは当然いかないですけど
外傷体験になりうる
ようなもののような気がするんです。
やっぱり母親が
世界をどんどん変えていくのを
物語にするというのは
恐ろしいことでもありますよね。
その恐ろしさの方が
勝っちゃうのが一種病理です。
っていうような感じのニュアンスが
ボラスにはあるわけですけれども
だからこの変形性対象の
機能だけを持った
物体
それが意向対象ですよね。
おそらくこの場合は。
母親の機能化と自己の喪失
ミニコットとボラスを合流させて
考えるならそういうことになると思うんです。
やっぱりライナスくんは
母親は世界を
一変させる力がないんだと
そうして心細くなったので
毛布にしがみつくことで
自体をなんとか
切り抜けようとしている。
でもそれは毛布にしがみつくことで
自体を切り抜けようとする
という人もいるかもしれないけど
もう少しアグレッシブな
人はですね。やっぱり
iPhoneを片手に
母親は頼りにならんが
母親の変形的な
力というものはもっと
強力なものがこのiPhoneとか
ベンツとかにはあるから
やっぱりこれに乗ってこれを
携えていけば世界と
やっていける気がするということで
変形性対象に
過剰に期待してこういうものを
ゲットするんだと思うんですよ。
この時に
ボラスの表現、これもユニコットの表現だと
思うんだけど我々は
大変無慈悲なことをやっていると言うんですね。
なぜならば母親を
機能化して挙げくもの化して
そのものさえあれば
今はこれ母親はいらないって言ってるようなもんじゃないですか。
でもこれが独立っていう
気持ちつまり依存と
自立の話にこれは
関わってくると思うんだけれども
今までは私は
母であり母は世界で
あり全ては母親だっていう
世界に生きていたんだけど
地球の中はまたにそうですけど
自立するにあたってはやっぱり
母親には実は物事を変形
する力はないとだけど我々は
変形させるという夢を
諦めることができないんですね
特に行き詰まった時はそうなりますね
そこで
母親を外在化しちゃうわけです
外注するわけですよ
でこのものという
ものに母親が宿っていることにして
それがだから
iPhone17とかね
知らんけどMacBook Neoとか
そういったものに外注させることにして
この瞬間に我々は
これ逆じゃないんですよ
本来的に言うと母から出たから
これをやるというよりは母から
出る時にこれをやるって感じなので
せいぜい同時だと思うんですよね
移行対象を見出した瞬間に
母親を我々は失うわけですよね
だって移行対象がそこに
できたということは私イコール母
イコール世界の
この党式がぶち壊れたことになってるじゃないですか
当たり前じゃんって思われるかもしれないけど
これを最初にやった時は多分
ショックを受けたはずなんですよね
だから毛布になっちゃってるわけですよ
母親がライナス君の世界が
今までは私は母で
母は世界で
絶対だったはずなのに
私は母ではない母は世界ではない
で毛布になっちゃってるわけですよ
世界が一気に
実はその毛布を
見出してる時とかiPhone見出してる時とか
ベンツを見出してる時は
これでいけるって感じがするから
高揚してるんだけど実はもうその
瞬間には母親を自分たちは
失ったんだという世界も失ったんだ
っていうこの
抑鬱感が後から来る
っていう風に
言ってるように聞こえるんですね
だからこの変形性対称が
収められてる本は対称の影
この対称の影っていうのは
フロイトが人が鬱になる時に
使った表現
なんですよね自我に対称の
影が落ちるっていう表現を
使っていて要するに
私と世界が同じ
だって影が落ちるわけですから
対称と私が同化してしまう
そのしかも対称を失うと
だから我々はずっと
落ち込むと
実際シンデレラは魔法が解けた後
最古の記憶の探求と人格の再構成
普通に考えれば相当
落ち込むじゃないですか
12時になりました
服はミスボーらしくなりました
ガラスの靴だけ残るけど
とにかく元に戻っちゃうわけですよね
でも元に戻るしかない
じゃないですかやっぱり
世界一周旅行だって帰ってくる日は
やってくるわけで帰ってくるのは我が家
じゃないですか
ギャンブルはもしかすると元に
戻らなくて済むのかもしれないけど
私年春を思い出しますね
あの人そうじゃないですか
なんか一夜の夢のように
大金持ちとかにしてもらうんだけど
気がつくとまた貧乏になって
元の状態に戻ってますよね
あの感じっていうのが
変形性対称の世界の
感じなんだと思うんですよね
そしてあれは我々は非常に
よく知ってると思うんです
子供の時から繰り返し
いろんなことがありますよね
新しいおもちゃを買ってもらったり
クリスマスプレゼントもらったり
長寿では中学受験に受かったり
大学受験に受かったり
彼女ができたり
結婚したり新しい家を手に入れたり
車を手に入れたりするけど
気がつくと元に戻ってますよね
世界を一変させることは決してできないですよね
っていうのは世界が一変するはず
ないからだし
私たち自身も一変することはないからなんですよ
これだけ聞くとつまり
欲打物語みたいに聞こえるかもしれないけど
そうではないと思うんですよね
この問題は
中軸にあるのは
最古の記憶を
私たちは求めているということと
その最古の記憶は
人によって相当違うということと
だから
個人セッションにはそこに意味があると
言いたいわけですけれども
そしてその最古の記憶の中には
かなり
重苦しいものが含まれていても
何ら不思議ではない
ということなんです
母親は世界を一変させる
それは確かに育てている
子供のためかもしれないけど
そうじゃないかもしれないですよ
これがウェニコットの言うところの
母親が対象化するとトラウマになる
子供にトラウマが
外傷になるって話をしたんですけれども
そのことなんですが
だって料理を作ってるのは
それはその子のためかもしれないが
実は料理を作っていても
赤ちゃんが飲むのは
単なる哺乳瓶のミルクだけかもしれないじゃないですか
世界を一変させることと
世界を一変させて
あなた仕様にするっていうことは
イコールじゃないわけですよね
私たちはボラスの
考え方によると
まず目撃するっていうことなんですよ
まず知覚するんです
変形性対象は欲望の対象ではないんですよ
お母さんといい関係になるためのものではないんですよ
まず見るものなんですよ
変形性対象は
変形性対象の魅惑と不気味さ
欲望の対象ではなくて知覚対象なんですね
そしてそこでは世界が
今よりずっと不安定で
やたらと入れ替わっていくわけです
なんとなく子供の話ってそうじゃないですか
なんかやたらとこう
目まぐるしく切り替わっていき
夜になってポツンと自分がいて
みたいなそういう童話ってよくあるじゃないですか
ああいう感じなんだと
でそこには
とてもこう
魅惑的なものはあるけど
同時にとても不気味なものがありますよね
でこの不気味さと魅惑さの
比率は人によって
違うんだと思うんですね
だからみんながみんな
この種の話を必要としているわけではないかもしれないが
私は極めて多くの人が
実際には必要としていると
私がおもちゃ売り場に行って
一生懸命考えてた
そういうこと一生懸命考えてたというか
思い出そうとしてたんでしょうね
思い出したいんですよ
でこれ
なんで思い出したいかっていう話は
ちょっともう40分過ぎたから
ズルーしますけれども
思い出したくなる理由はいっぱいあると思うんですね
だけど思い出せないと
でこのサポートをするっていうことが
一つにはサンチャレ
みたいなものであり
精神分析はおそらくそうでしょうある意味では
で私はこれを
なんで思い出さなければいけないのかっていうと
一つはその人が思い出したいと
強く願っていて思い出せないこと
そのこと自体が結構
苦痛だからってことがあると思います
もう一つはこれを思い出す
ということ思い出せませんけど
思い出しきれないけど
いわゆる新しいインパクトの強い体験
新車買うとかいう体験ですよ
によって思い出そうとしていること
これをこの記憶に
触れるということがですね
やっぱりある種人格の再構成
ってことに繋がっていくんだと思うんですね
新車買ったって
何も結局変わらなかったとか
新しい家買ったり結婚したけど
変わらなかったよっていうかもしれないけど
変わってはいるんですよ
自分が望んだところではないかもしれませんが
変わってはいるんですよ
気がつくとそれによって
ある種の病気が治っていたり
気がつくとある種の上司が怖くなくなっていたり
ってことはおそらく起きているんですよ
それはやっぱり
母親との関係をある意味言っているし
母親との間にあった
外相的体験ってものを
ある意味言っているし
それが何らかの形で癒されるってことが
おそらく起きているんですよね
ある種の芸術体験っていうのは
まさにそういうことになり得るものだと
私には思えるんですよ
私でいうと
それはある種の音楽を聞いた体験が
そういう感じだったんですけど
この話はおいおいしていきたいと思うんですけど
3ヶ月チャレンジも
ある意味それを目指すんですね
これはつまり何を言っているかというと
普通というものを受け入れるっていうことの
一つの大事なプロセスになるなと思うんですね
普通じゃないですよね
変形性というものに
ヒットされるってことは
でもそこで起きていることは
実は普通ですよね
お母さんが療養している
お母さんが赤ちゃんのためにミルクを温める
普通ですよね
普通にできることです
赤ちゃんから見るから異常事態なんだけど
それは普通のことなんですよ
普通だってなった瞬間に
決して抑鬱する理由はないんですよ
本当は
ステッキをそこら辺に捨ててしまって
残念これも相変わらず
期待外れだったかってなるんだけど
そうじゃないんですよこれは
それはその時の強いインパクトを
私たちが思い出し
そびれているから
そういう記憶とそういうユートピアによって
本来世界は
一変するべきものだし
母親によって一変させられるべきものだし
自分は母親だったという記憶を
男の子であろうと
何であろうと関係なく
自分イコール母親イコール世界だったという
この党式に戻りたいと思っているんだけど
これこそがまさに
誤解であって
そして別に
普通のことすら起きていれば
ここで皆さんが残念に思う
っていうのがまさに
党式の錯覚に
私もそうなんですよ
党式の錯覚に惑わされているんですよ
この党式の
錯覚の中にしかも
禍々しいものが入っていると
一段とややこしい
話になっていくわけです
例えばお母さんがめちゃくちゃミルクを厚くして
飲むのを強要させたとか
それだとしても変形性対象であることに
違いはないじゃないですか
そうすると世界はもっと難しいことになる
この変形性対象の話は
もっとバリエーションが豊かで
移行対象の話から
大きく飛躍しているなって思えるところが
いっぱいあって面白いんですけれども
っていう話を
3ヶ月チャレンジと普通を受け入れるプロセス
3カ月チャレンジというところでは
一生懸命やっていこうとしているので
興味を持ったらチェックしてやってくれると
嬉しいなという話でした
45:29

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