1. グッドモーニングボイス
  2. 【707GMV】なぜイリュージョン..
2022-11-23 42:01

【707GMV】なぜイリュージョンい従ってはいけないのか?

悪夢と啓示

00:06
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
現在は11月21日、月曜日の朝7時50分です。
これを撮って出しすれば、今日の配信分にできちゃうんだけど、
すでに今日は、昨日撮ったやつが配信されているという、何度も間の悪い感じで。
これ明日配信するのかというと、月水金ですからね。
今、あさって配信金なんですね。
ここをなんとかある意味するためにタスクシュートってあるんだけど、
私はこれに対して非常に独特の実験をしておりまして、
つまりタイミングというものを最適化するというのが、
タスクシュートの根幹ではないんだけど、主要な役割の一つなんですよ。
だけど、これをやっていると、本当にそれは最適なのっていう、
最適に意見見えるし、それでうまくいくんだけど、その間はいいんですよ。
こういう言い方をすると、また段階があって、
自分、ちょっとこなれた人みたいじゃないですか。
でも私はですね、段階とかは本当はないと思うんですね。
習熟度っていうのかな。
ただ、自分がいかにも今マネージメントできてないっていう状態って、
社会で生きていく上にはちょっと不都合じゃないですか。
場合によってはそれでね、調子崩してしまって、しばらく休業しなきゃならないと。
それもそれで悪くないと私は最近思うんですけど、
何でも良しになっちゃいますけれどもね、そんなこと言ってたら。
ただ、そういうことはあるので、未然に防ぐっていう意味では、
そういう時に応急処置的にタスクシュートを使うとすごくいいんですよ。
僕の場合そういう段階では今は全くないので、調子はすこぶるある意味いいんでね。
どんなタイミングで何をやっても、まずしくじることはないなっていうのがどこかにあって、
そういう時は別に最適のタイミングとかを測るよりはですね、
自分がやりたいようにやるというのがベストだろうと。
それをタスクシュートに記録はするんだけど、
ベストタイミングというものがタスクシュートが教えてくれているものはですね、
必ずしも意識し、参考にはするけど、それに沿って働く気はないんですよね。
これちょうどあれなんですよ。
道に慣れてきたら、カーナビってある意味いらなくなるじゃないですか。
教えている道は最もなんだけど、そこは通らないからねっていうのが出てくると思うんですけど、
そういう感じに最近なっているんですね。
でもこれは、その方がベデランドライバーかもしれないけれども、
どっちがいいっていう話ではないと思うんですよね。
いろいろな使い方があると言ってもいいと思います。
でですね、100日チャレンジなんですけど、
03:01
最近ちょっと一つ興味深いテーマが上がってきて、
前々からね、100日チャレンジじゃなくて、
前々からタスクシュートをすごく濃く使ってくださっているユーザーさんがいらっしゃっていて、
そういう人のケアみたいなのとか、
100日チャレンジとか、私たちJ松崎さんとか大橋さんとかとかですね、
やらないのかみたいなのをやらないのかとか、
そういう話もあってですね。
これは私ですね、すごく前々からやりたいなと正直思っていたものなんですよね。
ただ、多分そういう方は100日チャレンジに入っては来ないわけじゃないですか。
わざわざね、そんな基礎的なところからやること、
私はもう100日どころか1000日以上タスクシュート使ってますよっていう人もいらっしゃるわけですからね。
私はCMになっちゃうんですけど、そういう方にも100日チャレンジに入ってみてほしいんですね。
今それはJ松崎さんと大橋さんと一緒にタスクシュートを教えて広めるみたいな人を、
癖っていうとちょっと語弊があるんですが、
そういう方をでもやっぱり育てていこうみたいなのが今やっているんですね。
これをですね、もっと前の子さんのユーザーさんに手伝ってほしいというのは、
私の中ではこの3人の中では一番強くあるんですよ。
私というのは結構好きですからね。
問題はというのかな、
一応今回はその話は100日チャレンジの中から募集をかけるみたいな形にしてるんですけど、
それはですね、端的に言って100日チャレンジというものが想像以上に熱っぽく迎えられたということがあったんですね。
これは非常に大事なポイントでして、つまり我々の想像を遥かに超えてたんですよ。
だからもともと実験的に始めた、
ちょっとこうね盛り上げていきましょうということで始めたんだけど、
あれをあれをと人が集まってあっという間に想像以上に膨らんだので、
これやっぱり広げるというか、
もともと実験的に始めた、
何期も何期もやるなんて予定もなかったしね、
一つここで大事なイベントを立てておこうと、
スクシュートクラウド2の話もあるから、
ちょっとこうね盛り上げていきましょうということで始めたんだけど、
これやっぱり広げるという方向を、
もっとボトムアップに作っていく必要があるなという結論に至ったわけですね。
僕はそういうアイディアを持ったわけじゃなくて、
これはJ.Matsuzakiさんの方、100%彼のアイディアに近いんですね。
ここで僕が思ったのが、さっき言った誤算のユーザーさんに、
どうやってこれを本当は誤算のユーザーさんも、
06:03
もちろんやりたくないという方は別としても、
やりたいという方がいらっしゃったらどうやって手伝ってもらおうかと、
100日チャレンジという流れが一つできちゃったので、
そこに100日チャレンジ外から要請してくるというのも、
うまく流れに乗れるとは限らないなと。
この辺はですね、私はあまりそういうこと気にしないんだけれども、
いろいろとそういう気持ちの流れみたいなものが大事ってことがあると思うので、
いろいろなここで議論があって、皆さんの気持ち重視っていうのは最もだなと。
私は気持ち重視しない方ですからね。
ここで気持ち重視しない派で一生懸命喋るのもどうかと思って、
あんまりそういう話はしなかったんですけれども、
でも誤算の人、昔から使っている人にも参加してほしいなというのは、
私の中には強くあるんですよ。
で、私にできることとしてはですね、
ここでだから100日チャレンジに参加いただくということを募集かけようと思ったわけですね。
っていうのはですね、結局広げるといったことになると、
どうしても教えるという側面が出てくると思うんですよね。
良さを教えるんだってやっぱり大事な要素だし、
良さを教えられなければ広がらないと思うんですね。
で、問題だったのは、そもそも私と大橋さんとJ、
3人とか5人とか、そういう指で数えられる人間だけがやっていたから、
広まらなかったわけですよ。
これほど多くの人がユーザーさんになってくださっていて、
100日チャレンジみたいなものにも、
延べで言えば700名近く今ご参加いただいているのに、
広げる人は誰もいないみたいなのってなんかおかしいわけですよね。
だから、そういう詳しい人が広げるという方向にご参加いただくためにも、
やっぱり100日チャレンジに一度参加していただくのが、
私の感じでは一番いいなって思うようになりました。
これはもうご随意ってやつで、そもそも広げるという方ではあまり興味なく
使っていられればいいって方もいらっしゃるでしょうし、
広げるにしてもなぜ100チャレって思われるかもしれないんですが、
100日チャレンジに参加していただくとですね、
人が何を持ってタスクシュートに期待し、
どういうところでうまくいかないのかというのが、
手に取るように分かるというのが一つ大きいんですね。
私、長らくこういう仕事をやっていましたけれども、
やっぱり広げるときに一番大事なのはですね、
そのテーマなりツールなり、
方法論なり何でもいいんですけど、宗教でも同じなんだけど、
の一番基礎的な、一番素朴で、
基礎なんていうかね、そこからなんだっていうところに
答えられるかどうかがポイントだと思うんですね。
例えばタスクシュートで言えばね、
どうして記録を取るんですかってここから始まるんですよ。
09:00
そしてこの問いにスムーズに答えるのは容易じゃないんですね。
ここが文と最初に始めた人と一番子さんの人間の
実は合流点でもあると私は思うんですよ。
グッドバイブスで言えばですね、
グッドバイブスを知ってることを前提にしゃべっちゃい
しまってますけど、倉園圭三さんのね、メソッドの
グッドバイブスで言えば、どうして人を愛さなきゃならないのかとか、
なんで怒りを手放すのかとか、
正義の怒りはダメなのかとか、非常に一番根底の
聞いたことがある人ならすでにそこはクリアしてしまって
当然だっていうところから始まるんですよ。
その質問に答えるところから始めなければいけないんですね。
タスクシュートで言うともう一回、
何だって開始時刻なんかの記録をするんだと。
これってもうあまりにも気持ち悪いんですよ。
何だって始まるんだと。
これってもうあまりにも基本的な質問で答えにくいと思うんですね。
しかも相手がタスクシュートというものに、
必ずしも好意的でなかった場合、
いやめんどくさいんですけどって言われて、
もう一周されるじゃないですか。
ここを割と乗り越えていかないと、広まっていかないと思うんですよ。
これに答えられるのはどういう人かっていうと、
やっぱりそれこそ大橋さんとかJさんとか、
知り尽くしている人だと思うんですね。
知り尽くしていないと、
基礎的な答えをほとんど質問には答えられない。
だから私は100日チャレンジで、
これも鍛えるっていうのはね、
ちょっとあれなんですけれども、
この質問というものによって、
子さんのユーザーがどういう素朴な質問というもの、
疑問に自分は答えを持っているか、
どういった答えを提案できるんだろう、
それに説得性を持たせられるんだろうか、
これ結局タスクシュートをより深くというのかな、
知り尽くしていく上での、
多分避けられないステップなんだろうと思うんですね。
実際、子さんのユーザーの方がですね、
記録を取り忘れるとか、
1分単位で記録をつける意義が自分に理解できていないのは、
ありえないんですよね。
それはそんなことに、
いちいち疑問に思うようであれば、
1000日とか絶対あんなツールは使ってられないんですよ。
分かっているんだけど、
分かっているからといって、
分からせることができるわけじゃないんですね。
分かっていることを分からせることができるぐらいなら、
Good Vibesとかね、
精神分析とか、もう朝飯前ですよ。
しゃべって伝えればそれで済むんですから。
そういうことがあるから、
気が進めばってことなんだけど、
新しく一から学び直すというのではなくてね、
100日チャレンジというのは、
大きなコミュニティに今なりつつありますので、
12:02
そこにタスクシュートを昔から使っている人が
たくさんいるんですよね。
そういう人たちが、
コミュニティに今なりつつありますので、
そこにタスクシュートを昔から使っている人が
参加する意義っていうのは、
あるなと私は思うようになったんですね。
これは春ぐらいまでにかかりそうなんですけれどもね、
完全に準備が整うには。
そのくらいからでも全然遅くないので、
昔からタスクシュートというものに使いこなしてきていて、
今さら新しい基礎的なことを学ぶまでもないし、
三つ先送りなんていうのは、
簡単にクリアできるという方にも、
参加いただける方向というものを私たちも検討するし、
参加する方向というのをですね、
検討していただけると大変ありがたいなと。
これは私の願望みたいな、
私たちのと言っても、
今だったらもう私たちのと言ってもいいと思うので、
一番ここを希望しているのは私かなと思うので、
この素敵なポッドキャストで、
その辺のことを喋ってみました。
あまり関係あるようなないような話なんですけれども、
でも今言ったような件なんですよ。
グッドバイブス、
最近クラズノさんのポッドキャストを聞いててですね、
ミッドナイトラクザっていうのかな、
ミッドナイトなんですよね。
彼は夜起きてますから、
2時とか3時とかに収録する、
私じゃ絶対考えられない。
頭朦朧としてますよ。
その時間にポッドキャストを撮られていて、
かなりそれこそさっきの100日チャレンジの話じゃないけど、
彼のポッドキャストの中で、
100日チャレンジの話じゃないけど、
彼の基礎中の基礎的な話をされていて、
私はそれを朝娘を学校に送る車の中で、
特に帰りでですね、
聞きながら帰ってきて、
聞きながら帰ってきても終わらないんでね、
40分くらいはあったりすることもあるんで、
帰り道にかかるのはせいぜい10分ですから長くてもね、
聞き終わらないんだけど、
でも断片的に聞いて、
そうだな、こういう話だったなっていうのを思い出しながらですね、
また実践への意思を新たにするわけなんですけれども、
いい話が多いんですよね、やっぱりね。
で、このいい話っていうやつなんだけども、
私がですね、やっぱりタスクシュートでもそうだし、
グッドバイブスでもそうなんだけど、
なかなかオリジナルの佐々木メソッド的なものになってないじゃないですか。
これは基本、自信のなさから来るものなんですよ。
自信がないわけですよ。
だからどうしても人のメソッドに寄り添いながら情報を出していくと。
ただ、かなり近いところから出すんで、
そこにもう何て言うんですかね、
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私のオリジナリティみたいなものが出てくるんだけど、
さっきの百日チャレンジもそうじゃないですか。
あれすらJさんの発想で、発案で、
今の広げていくための講師といったものを養成していくよっていうアイデアも
Jさんのアイデアで、私はそれに寄り添うような形でね。
そして今、非公式にある意味近いじゃないですか。
そういう中で私が考えていることもあるので、
そっちについてちょっとお話ししてみましたみたいな話をするけど、
これって結局、自信満々だったらこんなことをしなくてもいいわけですよ。
このように野木場メソッドというものを作りましたと。
これについて、一から話、
ブログで書き、本も書きってやっていけばいいんだけど、
なんか私はなかなかそういうことができない立ちなんですね。
でもこれをね、倉園さんが、
いや、ぜひそういうのを作るべきだっていうふうにおっしゃってくださったんで、
私はそういうふうにオリジナルのを作っていて、
それのサポートをしている人にギュッてなす。
なかなかすごいし面白いなと。
フロイトはこれができなかった人なんですけど、
いや、俺の精神分析を広めてくれと、
割と無理をユングなりアドラーなりに言って、
フロイトっていうのは、
決してそんなに、
なんて言えばいいんですかね、せせこましい人ではないんだけれども、
やっぱりエディプスコンプレックスっていうのをあれほど打ち出しただけあって、
非常にエディプスコンプレックスの強い人なんですよね。
エディプスコンプレックスっていろんな文脈があるんだけど、
原理の原理の一番のところに戻っていけばね、
やっぱりお母さんに対して、
俺と親父とどっちが男としていいのって話じゃないですか。
ある意味では。
つまり競争原理っていうものがこの世にはあるんだよっていう。
そしてこの競争原理には絶対に競争原理がある。
競争原理っていうものがこの世にはあるんだよっていう。
そしてこの競争原理には絶対に勝てないケースもあるんだよっていう。
勝っちゃダメなケースもあるんだよっていう。
これを彼はままならない現実原則みたいなものの象徴として打ち立てたわけですよ。
だから例えばこうね、
お相撲さんの世界なんかが一番いい例だと思うんですけど、
どんなに腕に自信がある人でも、
絶対横綱にいきなり序の口の人が勝てるってことはないわけですよね。
その辺誰か書いてたな、北野富士さんかな、書いてたような気がします。
一番素人と専門家の力量の差が
まざまざと見せつけられるのが相撲だみたいなね。
それはどうなのかわかんないですけど、確かに野球だったらね、
時々そうじゃないのがありますよね。
ほら大谷さんとか清原とか昔で言うと、
入ってすぐ大活躍みたいなケースもあるんだけど、
相撲はそういうのがないと。
ないのかどうかわかんないですけど、
そういうところがあるんですよね。
非常にエリプスの強い世界ってあるわけですよ。
18:03
フロイトはつまり精神分析というのをそういうものにしたかった。
フロイト心理学で絶対終わらせたくなかったわけですよね。
だから国際精神分析学会というものまで作って、
自分が死んでしまっても精神分析というものは
生き続けていくっていうのをすごくカチッとさせたかったわけですよ。
ユングとかアドラーは結局そこまでできてないので、
よしやしあるんですけどね、こういうことって。
だからユング心理学とかアドラー心理学って
人は平気で言うじゃないですか。
あれもちろんリスペクトして言ってるんだけれども、
同時にあれは私には別生に近いところもなくはないと思うんですよ。
だって本人たちも亡くなっちゃってるんで、
それ絶対ユング心理学って言わなきゃいけないのかっていうのが
微妙になっていきますよね。
フロイトのほうは精神分析って人に言ってもらえて、
フロイト心理学なんて言わないわけですよ。
この差はでかいんだよなって私はよく感じてきたんですよね。
ユング心理学っていうとちょっと怪しくなっちゃいますよね。
これが佐々木心理学だったらもうナンセンスな感じがするじゃないですか。
でもこういうことなんですよ。
だから私は、例えば日本でいえばモリタ療法とかってあるんだけれども、
モリタ療法っていうと広がらないんですよね。
それがどれほど素晴らしい療法でもなかなか広がらないんですよ。
どれほど素晴らしい療法でもなかなか広がらないモリタ療法って言ってる間はね、
そういうところっていうのは非常にエリプス感というものを私が感じるわけで、
現在クラゾノさんのGood Vibesも協会があるわけじゃないんで、
現在はクラゾノメソッドっていう状態なわけですよ。
ここはその人はその人の考え方なんで、
それを人命プラス強で乗り切っちゃってるキリスト教みたいなのもあるんですけれども、
多分今の時代はそれはかなり難しい時代に入ってきているんだろうなという感じはしますね。
そこに私はいつも考えるところの一つとして、
例えばタスクシュートで言うと、
これほらそうですよ、タスクシュートって言えてるじゃないですか。
これはそれなりの意義があると僕は思うんですね。
大橋メソッドって言わないんですよ。
これは個人の性格も結構反映して、
多分大橋さんがそういうのをあまり好かないっていうこともあるんだけれども、
人命プラスメソッドっていう状態を出しつつあるわけですね。
これツールがあることも大きいんだよね。
私はツールを作るという意欲と能力に欠けてるんですね。
一方で倉野さんには何があるかというと、
ケージに近いものが僕の感覚の中ではあるわけです。
グッドバイブスについては。
こういう経験があったからこれが言えるみたいな。
イスラム教はこれすごい大事なんですよね。
モハメットは強烈な宗教体験をしてるんですよ。
21:00
宗教的体験っていうと、
ちょっとうさんくさく聞こえるかもしれないんですけれども、
結構その種の経験ってあって、
心理学でもこれを体験的に研究した人がいますよね。
ウィリアム・ジェームズ。
宗教的体験の初葬っていう、
思いっきりそのまんまのタイトルなんだけども、
ケージをそこで得たりするわけです。
悪夢見るみたいなのもありますよね。
あまりにもある体験がひどかったんで、
これだけは、
そういう体験、
例えばビクトール・フランクルの夜と霧みたいなのがあるじゃないですか。
ああいうアウシュビッツ体験みたいなのを体験しているから、
彼には語れることがあるみたいな。
で、クラガノさんって両方語りますよね。
非常にいい体験っていうのも語る。
あのフォトキャストを聞いていると、
最新の第50回かな、で出てきますね。
で、すごく体験的な体験をしてるんですよね。
すっかり孤独になって、
川を見ていて、
見投げしたくなったみたいな、
そういう体験。
こっちは悪夢体験の方ですね。
こういうケージみたいなのをベースに置くっていうのは、
いわゆるメソッドではですね、
ごく普通なんですよ。
仏教でもあります。
だって彼は、さっきも言ったように、
彼の体験は、
彼の体験は、
彼の体験は、
彼の体験は、
仏教でもあります。
だって彼は悟ったという体験を語っているわけですからね。
で、僕はキリスト教には、
それがいまいち見えてこないなっていうのが、
いつも興味深いなと、
実は思っていたりするんですよ。
キリストのそういう啓示的体験、
ないわけじゃないんですけれども、
冒頭で語られるものが多いんですよね、
そういうのって。
例えば、モハメットは読めもしない字を、
無理やり読まされるという、
素晴らしい本だから読めみたいなのを、
読めるっていう夢を見ているっていう、
あのシーン有名だと思うんだけれども、
そういう話があるんだけれども、
よく聞くような話ですよ。
よく聞くような話ですが、
私には全くないわけですよ。
つまりさっき言った意味で、
大橋さんが持っているようなツールもなければ、
私は奥良園さんにあるような、
啓示的体験もないので、
自分メソッドの根底を、
どうしても知的なものに置いちゃう、
という傾向が強いんですよね。
経験に置くのが難しくて、
いくつかはもちろんありますよ。
ちょっとこれはひどい目にあったな、
みたいなのとか、
これは素晴らしかったな、
みたいなのがあるんだけど、
およそ宗教的体験っていうにはですね、
僕の感覚の中では、
十分じゃないんですよね。
多分これは私が宗教的体験に開かれていないというよりは、
開いていないんだろうなって感じは、
少しするんですよね。
それを体験するときって、
だいたい結構やばいんで、
命に関わるときがあるんでね、
僕はそういうのに対して、
かなり警戒して生きているんでしょうね。
結構うっかり、
ぼんやり生きているようでですね、
本当に危険なところは常に回避しよう、
24:00
みたいなのが、
かなり割とやっているんですよ。
だから本当に危険な目には、
合わないんですよね。
そういう意味で、
本当に啓示的な体験は、
持たないっていうところがある。
どうしてもそういうのは、
他から聞く、
みたいなところがあるわけですよ。
それで、
もうすでに25分なんですけど、
他から聞くというのでね、
私は、
一つすごく、
この本はすごいなと思ったっていうか、
その、
なんていうんですかね、
二つ先あるって言ったじゃないですか、
素晴らしい体験がある、
悪夢体験と。
特にね、
私は悪夢体験の方に、
興味を持たされるんですよ。
これだけはダメだっていうね。
なぜかというと、
私のように、
割と私は、
いわめて平凡な人間だと思っているんですけど、
平凡な人間が、
宗教を必要とする時というのは、
危機だと思っているわけですね。
例えば、
グラゾノさんのグッドバイブスも、
これほど真剣に引きつけられたら、
最大の理由は、
やっぱり私のその、
46、5、6、7あたりに出くわしている、
最悪の時期というものが、
多分に影響していて、
多分あの頃、
ブイブイ言わせていればですね、
絶対グッドバイブスに真剣な興味は持たなかったんじゃないかと、
思うんですね。
グラゾノさんの本っていうのは、
よく読んでたし、
文章が面白いと思っていましたから、
ちょっと偉そうですけど、
あの、
グッドバイブスのようなものでも、
わりと興味が全く持たなかったとは、
思わないんだけれども、
調子が良ければね、
方法や方向性を、
人ってあんまり変えようとは、
思わないと思うんですよね。
だけれども、
あの頃は、
ゼフ庁だったので、
これが私の宗教体験ではないですよ。
まして刑事ではないんだけど、
悪夢体験ではあったわけだ。
で、悪夢から抜けて、
というのは、
つまり普通に戻るってことなんですけど、
片目には。
それであってもね、
やっぱりあの、
なんていうんですかね、
臨界点を越えかねない悪夢のような所にいた場合は、
この戻って来られること自体が、
宗教体験に匹敵するわけですよ。
私の場合、
結局タスクシュートもそうなんですよ。
GTD、
GTDでしたね。
実質GTDと、
超整理法みたいなものの混流でやっていた、
私のライフハックは、
完全に行き詰まっていたんですよね、
2004年の頃に。
ここからスポッと抜け出した時に、
タスクシュートがあったわけですね。
タスクシュートを通じて、
スポッと抜け出したわけですよ。
これが私の一つの刑事になっていると、
言えば言える。
ただそれは、
人が作った方法とツールだった、
ということはあるんですね。
で、
人が作ったとしても、
27:00
これを私が使えば、
そこに新しい想像というのは、
起こると言ってもいいんだけど、
どうしてもやっぱりそこに
オリジナリティは一個欠けている、
という感覚は、
イリュージョンかもしれないんだけども、
でもやっぱり、
事実として抜きがたいところがあるわけです。
で、
でですね、
そういう、
その、
悪夢と言いますか、
非常にこう、
なんていうんですかね、
特に例えば自分の子供とかに
そういう体験をさせたくないのは、
こういうのもね、
何て言うんですかね、
何かちょっと間違った親心ってやつで、
そういうことをやるから、
自分の子供を
ある種の刑事から遠ざけるという、
ハメになるわけなんだけれども、
でもやっぱりそういう気持ちで
働いちゃうわけですよね。
自分だって歯ゆめには
二度と会いたくないねっていうふうに思うし、
クラウドさんもね、
こうポッドキャストの中で
そういう話をされていたんですけれども、
こういう体験を別に
しなきゃならないってことはないっていうね、
私はそういうのを、
ウィリアム・ジェームズの
宗教的体験の書葬も何度も読んだぐらいで、
集めているわけですね。
似てるんですよ。
面白いことにね。
似てるのには訳がありまして、
つまりそれは構造的に
似たところがあるからなんです。
特に悪夢のほうは、
これも全くクラウドさんが
よくお話になるとおりなんだけど、
恐怖体験なわけですよ。
恐れと不安がそこに
種としてあるわけです。
ただそれが
並々ならぬレベルのものであるために、
イリュージョンがね、
最近クラウドさんが
シリーズに出てきて、
イリュージョンがね、
猛烈なわけですね。
もう何だろうな、
完全に幻想の世界に
生きているようなものです。
最近のポッドキャストで言うならば、
私のこの
グッドモーニングバイブスで言う、
グッドモーニングボイスで言うならば、
マッチュリの症状なわけですよ。
それを見ていると
死んじゃうよねっていうのを
見ちゃうわけですね。
私はその
イリュージョンが
2004年、5年の
GTDとガリューライフハックの
今命は
あれは死ぬことは絶対ないなと思ったんだけど、
あのまま行ってたらね、
社会人としては
機能してなかっただろうなっていう
感情を
わりと強く持っている。
この辺りは分からないですけどね。
ほぼ引きこもり系の人で
しばらく苦しんでいたんじゃないかなと
思うんですよ。
引きこもっていたというわけでもないんですけどね。
仕事ができていたとは
とても思えない状態だったんですよ。
45歳、6歳、7歳には
もうそれの引きでは全くなくてね、
心臓ははっきり出てましたし、
30:00
チームマシンなんですけど、
初戦。
初戦といってもあれは厳しいんですよね。
全身に出だしたりすると。
コントロールを全く変えていると。
コントロールっていうのは幻想ですけども、
コントロールを全く変えた状態。
身体の
その
普通の健康状態というものを
全く維持できない。
あんな状態が通じていたら
本当に死にかねないんで
死なないんですけどね、人は
そんなに簡単には。
でも
そこからスポッと抜け出せるというのは
一つの啓示にはなり得る。
それぐらいの体験ではあったわけです。
物語なんですけど
私がいつもその
前に読んでいた本ですけどね、
その
身に詰まされるのが
あれなんですよ。
トルストイのアンナ・カレーニナ。
ちょっとネタバレになっちゃって悪いんだけど
最後の方のシーンが
非常に
いろんな
それこそ啓示的体験というものに
酷似しているというか
それをトルストイが作ったんだけど
実にやっぱり上手いなって
思わせられたんですよね。
アンナ・カレーニナ
女性の
不倫をして
ブロンスキーというやつね。
こいつが最低なんですよ。
ブロンスキーって
まさにこれが
良いおっぱい、悪いおっぱいの
良いおっぱいなんですよ。
アンナというのは極めて聡明で
真っ当な女性として
描かれているんで
不倫をすると
シーンというのが
実にまた非常に
よくて
要するにブロンスキーに
イカれちゃうんだけれども
こいつについてって
私は破滅するだけだっていうのを
頭では完全に理解しているんですね。
これは要するにあれですよ。
これは絶対ダメだって言いながら
お酒いっぱい飲んじゃう人みたいな
その状態なんですよ。
良いおっぱいというのは
まさにああいうものだと
僕は思うんですよね。
実によく描かれている。
全くブロンスキーというのが
いかに女性から見て
モテるわけですよ当然。
魅力的であるかというのが
完璧にこの辺が
トルストイの天才なんでしょうね。
完璧に描かれていて
これとくっついて何がいけないんだって
思わせる力があるんだけど
特に私は男ですからね。
こいつについてって
良いことは絶対ないだろうなっていうのは
読んでて非常によく分かるわけですね。
どこからどう見ても最低なんですよ。
ヒカルゲンジにも
そういうところありますけどね。
あの辺やっぱり
ロミオとジュリエットとかを
読んでも
もう一つだなって
僕なんかは思っちゃうんですよね。
それぐらいこの
ブロンスキーっていうのは
よく描けているなっていう感じが
やっぱりします。
くっつくんだけど
アンナはどんどん
ダメ、ダメっていうか
33:00
破滅していくわけですよ。
この流れもね
読んでてめちゃくちゃ辛くなるんだけど
気になって気になって
読んじゃうっていう
これもすごいんですよね。
悪いおっぱいといいおっぱいは
同じものなんでね。
残念ながら
非常にそこが悲惨だなって
感じがやっぱりしますね。
アンナは最初からそれは分かっているんで
でも分かっているのに
もうくっついていかないと
得ないと
どんどんどんどん
正気を失っていくんですよね。
正気なんだけれども
発狂とかは全然しないんだけれども
もう完全に正気を失っていて
もうなんていうんですかね
あれこそまさに
ザ・ヒステリーって感じなんですよ。
本当にかわいそうだなって感じがする。
アンナ何にも悪くないんだけど
もうブロンスキーは
あまりにも魅力的なんでね
完璧に
いかれてしまうんだけど
もちろんそれがだんだんだんだん
ブロンスキーは結局
鬱陶しくなるわけですよ。
で、鬱陶しくなるのは当然なんですよね。
これはカワイハヨがうまいこと書いていて
人というのは弱いものなので
人にある程度は付きまとわれたいと
でもどうこして付きまとわれたくはないんだと
これは誰もが同じで
カンセリングというのは因果な商売で
付きまとわれるように患者を誘っておきながら
それが鬱陶しくなる日が必ずやってくる
それを何度も何度も体験しなければいけない
みたいなことを書いているんですけど
それをね、前回の
たぶんポッドキャストでもしゃべったと思うんですけど
ドイさんが非常に率直に書いていて
患者をね、わざわざ
あなたちょっと精神分析受けてみませんかと
来た患者さんに
お金はかかりますけれども
損にはなりませんよみたいなことを
俺は言っちゃったと
こういうことを言うもんではないんだけど
言っちゃったってことを書いておいて
そしてそのうち進展していくにつれて
あなたみたいな患者はもうごめんだと
とても鬱陶しいんだっていうことを
言っちゃったと
こんなことを言うもんじゃないんだけど
言っちゃったってことをやっぱり書いているわけですよ
非常に物凄いなと思いますよね
めちゃくちゃ無責任じゃないですか
これは非常に男女の関係では
よく見られる現象のように
私には思えるんですね
今は男女どっちもこれをやりますね
誘っておきながら
何かいざという時には
責任を取ろうとしないといいますか
最後までは面倒見ようとしないと
あんなはもう完全に
すごく聡明なんだけど
完全にブロンスキーに行かれてしまうんで
自殺を決意するわけですよ
そしてあの人を自殺して
ものすごく後悔させてやろうという
夢を見出すんですね
完全に幻想の世界なんですよ
近くに対して東郷市庁所のように
36:01
居もしない人がいるとか
声が聞こえるという現象が起きないんだけど
もう読者にはですね
彼女が無優描写みたいになっているというのは
手に取るように伝わってくるんですよね
最後の描写は
ものすごいなと思います
読んでてめちゃくちゃ恐くなってきますね
これなんですよ
これがイリュージョンですね
そして私もそうだし
空野さんもよくおっしゃるんだけど
恐れと不安でイリュージョン作って
その中にどっぷりはまるというのが
自分をこういう道に導くから
ダメなんですよ
ダメってことはないと言いたいんですけどね
イリュージョンっていうのは実態のないものなんで
でもまずいわけですよね
これをやり出すと
あんな華麗に結局自分を破滅させるようなに
彼女が怖いのは当然
ブロンスキーに振られることなんだけど
それほどいいことはある意味ないわけですよね
なんていうんだろうな
アルコール依存症の人がアルコールを手放すことを
恐れに恐れているっていうのは
まさにああいう状態なんですね
もちろんあんなは不倫騒動のせいで
社交界から追放されていますから
ブロンスキーと別れても
善と悠々ってわけにはいかないんですけど
あの状況でベストの選択は
別れること以外の何者でもないのは
読者にはもうはっきり分かってるんだけど
同時に絶対この人別れられないだろうな
読者にははっきり分かってるんですよね
この辺がやっぱりすごいんですよ
どっぷりイリュージョンの中で
あの人が泣き叫ぶだろう
泣き叫ぶって言ったら自分死んでるんでね
何の意味もないんですけど
それが彼女にとって
あまりにも興奮させるっていうのかな
この興奮させる対象っていう言い方を
精神分析ではするんだけど
本当にすっかり彼女はそれにのぼせ余ってしまって
死の直前のところのシーンが非常にいいんですよ
はっと目が覚めるんですね
恐ろしいですよね
なんて言えばいいのかな
崖から見投げした直後にはっと目が覚めるようなもんですよ
これははっと目が覚めて
私は何をしているんだろうって思うんですよ
一切手遅れなんですけどね
このシーンを読むために
あの本読む価値あるんですよ
途中省くとですね
最近ファスト供用っていうのが問題視されてたり
されてなかったりですけれども
ああいう話はいくらでもあって
昔から本を買い詰まって読むような
ブックガイドってあるじゃないですか
今に始まった話じゃないと思うんですけどね
ただそれが今YouTubeで
代々的に行われてきてどうなのみたいな話になってるというだけでね
とにかくはっと目覚めると
これが私がさっきからこういう悪夢と啓示のコントラストなんですよ
39:05
この体験を一度でもして
そこで生き延びればですね
やっぱりその人は宗教を語れるようになると私は思うんですよね
これが私にはどうも欠けている感じがするんだけれども
アンナのその体験なんですよ
イリュージョンから自分を完全に外して
消滅させるイリュージョンから目覚めるというのはどういうことなのかと
自分が間違いなくこれは現実だと思い込んでしまって
自分を死に追いやるというところまで持っていける力がある
ある意味マッチューリシの少女のおばあさんなんだけどね
ここからはっと目覚めて
私は何をやっているの?なぜ?っていう有名なセリフがあるんですよね
これがあるとですね
これがあっても人間ってのは再びイリュージョンに入ることはあるんだろうけど
たぶん二度とこのイリュージョンを見て
そのままには行動すまいと決意できるんじゃないかなって思うんですよ
ついつい私がやっちゃうやつね
ここは怒ってもしょうがないでしょとか言っているときに
あのシーンを思い出すべきですよ
死にはしませんけどねそういうことではね
ここではもうこの何ですかね
百チャレの人にガツンと言ってやらなきゃダメでしょみたいに思ったときほどダメなんですよ
完全にこうなんつうんですかね
夢の霧って私がとりあえず名付けているんですけど
ノームなんですよね
全く何も見えなくなっちゃっている状態がありまして
そこからパッと晴れるってことは可能なんですよね
なぜならばイリュージョンだからですよ
ないんでそこには
自分が作り出しているんで
100%自分が作り出しているんですよ
これがですね面白いんだけれども
頭では確かにそう分かっているんですけどね
何にも分かってないんですよ
これがね
いやここはもうこうするしかないっていうね
前回のポッドキャストでもお話しした通り
その判断は完璧に狂っているんだけど
もうこうするしかない
これは絶対こうだなって思った時は
大体ダメだなっていう風に
これはそういう法則があるわけじゃないんでね
これは絶対こうだなと思って本当にそうだってことも
ないわけじゃないと思うんだけども
私の経験ではですね
大体そういう時はダメな感じがします
そういう風に思わない絵ですからね
だからこのハッとなる経験というものをですね
私は集めているわけですね
集めているってところがいかにも私らしいんでねっていう
今日はそういうお話でした
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