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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
2月26日月曜日、朝7時16分、海星ですね。
富士山は真っ白でとても綺麗でした。
ちょっとですね、本が出てからというものですね。
いろいろと実験的に、生活的なところっていうか、生活でですけれどもね。
あちらこちら、ポッドキャストとかボイシーとかを聞きまくるという、
ちょっと今までにない過ごし方を試みてみたんですね。
単純にいろんな人のそういうのを聞きたくなった不意にってことなんだけど。
それで少し反省しました。
というのはつまり、僕の反省っていうのは何かを悔い改めて、
これからの行動を改めようというわけでは全然なくて、
なんかこう、今までの自分の行動が少し違った感じに見えて、
やっぱりこういうものなんだなぁみたいに感じるといった話なんですね。
今日はその話をサクッとして終わりにしたいと思います。
あのね、3月の2日の出版記念パーティーには是非ですね、
夜7時から渋谷なんですが、これは是非いらしていただくと、
協助者のJマスザキも大変喜びますし、
私も久しぶりにいろんな方にお目にかかれるのではないかと楽しみにしておりますので、
ちょっとお値段貼っちゃうかもしれませんけれども、
それなりのところを多分Jさんが押さえてくれたんだと思うので、
いらして楽しんでいただければと思います。
で、何を反省したかと言いますと、
反省っていう言葉がいまいち、僕の場合反省になってないから。
レビュー。レビューっていうのもおかしいんですけどね。
まあでもレビューなんでしょうね、これはね。
あれですよ、ガツマカズオさんのボイシーとか、
佐々木敏直さんのボイシーとか、その他いろんな方のですね、
一通り聞いてみたんですね。
聞きながら何をやってたかというと、歩いてたんですけれどもね。
もう本当、おかしいぐらい雨が降って寒かったじゃないですか。
それで家の中でずっとこもってたら、なんか頭痛くなってきて、
多分ね、三欠に近い何かか、座り爪だったせいなんですよね。
それでもういいかと思って、外に、あんまり外には出てないけど、
どころどころフラフラ歩きながら、ちょっと回復を試みていたら、
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なんとなく面白くなってきてですね、いろいろ聞きまくっちゃったわけですね。
一つね、あ、そうだ、これで思い出したことがもう一つあるんですけど、
倉園さんに昔、昔でもない最近、アドバイスいただいたんですよね。
自分の声が聞いてて気分が悪くなるなら、解像度を下げろと。
つまり聞き流せっていう話なんですね。
これは非常に聞いたんですよ。私自身のにも聞いたんだけど、
人の話を聞く上で、意外とこれ聞くなっていう、なんかちょっと聞いてて、
なんとなく面倒くさくなってきたりしたら解像度を下げるという。
特に親の話とかね、繰り返し繰り返し同じ話になるお年頃なんでですね、
私ももうよく娘にそれを言われるんだけど、
それの頻度が上がってきているわけですよね、親は。80近いんで。
流して聞いていても何度も同じのが入ってくるから、
全然わかるわけですよ。難しい話はしてないしね。
こうするといくらでも聞いてられるなというね、
そういうのをテクニック的に身につけてですね、
この方が逆に親身になって聞けるなみたいな。
結局ずっと聞いていれば、いくら同じ話でも少しは新しい情報も入ってくるじゃないですか。
この流れでフォトキャスト聞いてたら、
割といくらでも誰のでも聞いてられるなっていうふうに発見いたしまして、
そうして聞いているわけですね。聞いてみたわけです。
でもこの話は蔵園さんからのアドバイスだったという程度ですが、
これでちょっと発見したのはですね、特に霞カツヨさんですよ。
この方すごいんだなっていうのをまず感じたんですね。
何がすごいって、やっぱり私より一段と深くというか、
こういう表現が正確かわからないんですけど、
自然の体としてっていうのかな。
自然の肉体としてライフハッカーなんだなっていうのを思い立ったっていうのかな。
そういう感じがしたんですよ。
なんつうんだろう、喋り方一つとっても、
私なんかとはもうそもそも遺伝子が違うみたいな、
あんまり僕この言い方ね、妥当でもなければ好きでもないんだけど、
他の言い方が考えつかないんですよね。
非常に身体的なものを感じさせられたということなんです。
例えばもう同じような方向性を持っていても、
その姿勢が違うっていうのかな。
聞いていただければわかるんで、
ボイシーで霞カツヨさんの聞いていただくといいと思うんですけれども、
例えば私は急いで喋っているときでも、
霞さんほど早くは喋れないんですね。
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もちろんただただ早口にすることはできるんですけれども、
そうすると身体感を乗せることができなくなる。
よく体重を乗せるっていう言い方を野球とかスキーとかではするんですけれども、
この場合体重を声に乗せるっていうのもなんかちょっと不思議な感じがしちゃうんで、
それよりも身体の真からのパワーがですね、
早口にでも乗ってくるみたいな感じがあるんですね。
私はないんですよ。
ああいうふうにそれなりの身体感を声に乗せようと思ったら、
それはなんつーんですかね、そんなことを別にしているわけではないですけれども、
聞いてて感じたことなんですね。
そう思ったら、もっとゆっくり喋らないとこのぐらいのペースになってしまう。
多分これ1.2、1.25倍とかで、
まどろっこしくて聞いていられないという方はそうされてるんじゃないかと思うんですけれども、
僕のこの話をですね、1.25倍で聞くほど情報量あるかなと思っちゃうんですけどね。
いずれにしてもこういうペースじゃないと、
私は自分の体の感覚にフィットするようには喋れないんですよね。
声だけがこう、切り離されたように出てってしまう気がするんです。
だけど彼女はそうはならないんですよね。
これやっぱり時間の節約というか、
時間リソースに対する信念のようなものの差なんですよね。
つまり私は今では時間というものは無限だから、
私の所有している時間そのものが無限だから、
リソースという感じをもはや持ってないんですよ。
本当にそうなんですね。
最初にクラズノヘドさんからのGood Vibesを聞いた頃には、
まだそのリソース感もありながら、
でもやっぱり無限だよなみたいな感じと並行してたんですけれども、
今ではリソース感ってもうないんですよね。
だから時間がもったいないという感じは本当に全くないんですよ。
お金はあります。
お金は無限ではないから、私の感じでは。
所有しているお金は決して無限の感じはしないので、
お金がもったいないと感じることは不合理なレベルでも起こります。
例えば最近はスイカ使うから無円になっちゃったんだけど、
昔あったんですよね。
自動販売機に120円が飲まれるという事件が、500円でもいいんですけど、
500円とかだと結構すごい何という損失だぐらいに思ってしまうんだけど、
考えてみると別に僕は500円というものによって人生左右されるという事は流石に無いですからね。
500円で人生左右される物書きですって言ったら、
多分相当金銭管理が狂ってるなって思われるでしょうけど、
そういう事は無いんですよ。
無いんだけど500円飲まれると厳しいなって感じがするんで、
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きついなという感じ。
だからこれはイリュージョンなんですよ、文字通りね。
そしてですね、お金はまだそうは言ってもあります。
リソース感覚はありますが、時間は無いんですね。
消滅してしまいました。
そう感じていると、
彼女のように喋ると、
勝山和夫さんのように喋るというのはですね、
僕には無理なんですよね。
これはもう信念の問題として不可能。
あのように多分訓練という部分もあると思うんだけど、
身体の芯から出ている言葉そのものを早口に展開させるって事はできないんですよ。
でも面白いなと思ったのが、
勝山さんのボイシーで聞いていたのがかなり新しい方なんですけれども、
彼女今10時に寝て6時に起きるって仰ってるんですよ。
実は単純に寝ている時間そのもので言うと、
私より長いんですよね。
だから彼女のライフハックの方向性というものは、
必ずしも僕のそれと、
僕はライフハックっていうのを今しているっていう感じは持ってませんけれども、
必ずしも僕のと対立的なわけではないんですよ。
同じような方を向いてるんだけど、
でも彼女の中にはやっぱりある信念があって、
私にはそれがないので、
同じ方向を向いていても、
主張の仕方とか調子とかが全く違うんですね。
これじゃあ競争的にやっていた頃には立ち打ちできなかったわけだって思ったっていうのが一つなんですよ。
これをさっき私は反省と呼んだんですね。
競争する相手が間違ってるよねっていうことですね。
なんて言うんですかね、これは。
昔私スキーで結構やり込んでいて、
一時中高では部活にまで入っていた時代があったんですけども、
つくづく見て思ったことがあるんですよね。
プロの、プロではないな、
オリンピックの候補者みたいな人がエモーグル滑ってるのを見て、
これはダメだって思ったんですよ。
全く違う、何かが全く違うっていうか、
何もかもが全く違うって思ったんですよ。
全く違うに決まってるんですけど、
でも自分も相当40度くらいのところにポール立てて、
タイム出すくらいなことはしてたんで、
頑張ればどの辺までは行けるんだろうみたいなのを探ってた時代があったんですけど、
オリンピックの人のを見ると、
全く違うなって感じがしたんですよね。
何が一番違って、やっぱり膝が違うなって感じがしたんですよね。
膝が本当に理想の機械でできているみたいな雰囲気を体感させられて、
これはやっぱりすごいなって思う。
ああいう膝が欲しいなって思いましたね。
人の膝なんか欲しがらないじゃないですか。
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膝痛いとかは分からないんですけれども、
人の膝なんて別に僕も欲しいと思ったことはなかったけど、
あの時を膝に憧れるってのはこういうことなんだなっていうのを感じました。
あとストックの構え方が違うなって思いましたね、滑ってる時の。
ストックっていうのは構えるってものなんですけれども、スキーでは。
ストックの構え方が不思議な感じで違うなっていうのがあって、
そういうものを少し勝馬さんの喋りというか、
喋りに憧れたというのとはまた違うんですけれども、
持っている方向性が全く元々違うところがあるっていう、
だから遺伝子って言っちゃったんですけどね。
でも肯定的なものだとは思いますので、遺伝ではないとは思うんですけどね。
そのとにかく時間リソースという観念の強さなんだな、これはっていうのが一つですね。
あとはやっぱりこう、何だかんだと言っても、
例えば遊びだとしてもですね、
競争感覚というものの違いがあるなと。
何しろ勝馬さんは午前中に仕事を片付けるというのはまだ6時に起きるぐらいだから分かるんですよ。
午前中に仕事っていうのは僕も無理をすれば、
ただ僕の場合多分仕事を絞っちゃうだけなんだと思うんですけれどもね。
何とかなるかなと。
でも午後にハースでゴルフに行くっていう話を聞いた時に、
やっぱり競争的なものを感じますよね。
何かそこには。
僕は午後には何かこう、奥さんとショッピングに行くになっちゃうなこれ絶対にっていうふうに思ったんですね。
だからもちろんゴルフに行くっていうのが別にその競争心の現れだと言いたいわけではないんですよ。
そういう意味ではないです。
私だってゴルフにやりだしたらハマることはただ十分考えられるんですよ。
ただ何て言うんだろうな。
なかなかそういうふうに僕はなってないなっていうことでしかないんですよね。
だからライフハック、昔は彼女の本と売れ行きで勝負しようと思ったなんてことはないんですけれども、
勝負になってなかったからないんですけれども、
ただライフハックっていうジャンルで考えてみた時にですね、
やっぱり当時は特にそうでしたけれども、
リソースをマックスに活用しきるという考え方でいった場合、
私はあくまでもそういう方向の無理のないテクニックみたいなのをただただ模索していたけれども、
もっとそれをパワーのようなものにしていくという身体感覚なんですよね。
やっぱり私はそこで感じるの、身体感覚に違いがありました。
こんな気がします。
そして今の方が私健康だっていう現実があるんですよ。
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つまり私はあれをやっていた時は自分が健康でなかったんですよね、あんまり。
これは大きなハンディになってしまう。
つまり身体感覚というものまで動員して勝負しようとしているのに、
その身体に非常にダメージがあったと言いますか、
ハンディがあったと言いますか、やっぱりそれではダメですよね。
ネッカラのライフハッカーとは言い難い。
果たしてそんな人が世の中にいるのかどうかは分かりませんけれども、
私はネッカラのライフハッカーとは確かに言い難いなと。
あの方向を突き詰めようとすると、そもそも身体が何らかの理由で損なわれてしまう。
その損なわれた身体を使って身体感覚で勝負したら、勝負になりにくいよねと。
昔はそれにしてはよくやってたなというふうに思ってしまったわけですね。
佐々木俊男さんとかはまたちょっと全然違って、政治経済のお話をされていて、
別に早く喋るわけでもなく、ただこれから日経平均が上がっていくわけだけれども、
もっと国民的に投資しようみたいな話で、
これはこれでやっぱりこう、何て言うんですかね。
ある信念の違いが感じられますよね。
勝間さんはそういう話はもうあんまりなさってないんですよね。
面白いなと思いました。
多分彼女はどちらかというと、やっぱり個人のライフハックみたいな方が、
分かんないですけどね、分かんないですけれども、
本来的には向いてるのかなという感じは、ボイシーだけを聞けばしますね。
佐々木さんのっていうのは、私も佐々木だけども、
もっと国のとか、世界の中でみたいな感じの方を感じました。
どっちもそして私にはないなという感じがしたんですね。
私はもう、それは日本人ですから、
それはGDPがドイツより上の方がいいのかもしれないぐらいには思います。
いいのかもしれないというのは、よく分かりませんというぐらいです。
ただ、無関心ではないですよというぐらいですね。
GDPが上の方がいいのかどうかは分かんないけれども、
そうか、4位と3位っていうことがあるのねぐらいのことは感じます。
感じますけど、感じるだけです。
それについて、例えば算出方法すら正確には分かっていないですし、
それが何を意味するのかもよく分かってはいないです。
そして結局私は、ライフハックの話は趣味でやるぐらいには全然いけるんですよ、まだ。
ただもう、政治経済となってくると趣味でもあんまりいくことはできないですね。
だから正直聞き流していたわけだけど、
風間さんのはそれでも3つ4つ聞いて、
佐々木敏直さんは1つしか聞かなかったんですね。
聞いててどっちの方が聞きやすいかというと、
ゆっくりしゃべってくれる佐々木さんの方が聞きやすかったんだけど、
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テーマが本当に興味が全く湧かない。
私、投資って全然向いてないんですよ、正直。
全然向いてません。
本当に全く向いてないなと思って、全くやってないんですね。
お金を増やしたいという気持ちが湧かないんですね、多分。
湧かないというのはあれですよ。
お金が欲しくもないと言ってるわけではないですけれども、
お金を増やしたいってやっぱり真剣さがものを言うと思うんですよ。
増やしたい人がこれだけいっぱいいるお金というものについて、
結局程度の増やしたさでは増やせないんですよ。
減らしてしまうんですね。
だからこの種のものは私には手を出しても無駄だなという感じが、
とてもするんです。
結局のところ、お金の話をしているのが佐々木さんであり、
梶山さんはもうお金の話はされてないんですよ。
昔あれほど本では書かれていたにもかかわらず。
つまり彼女にとってあくまでもお金というのは、
生活環境と個人の幸福のためのものなんですよね。
佐々木さんはちょっとやっぱり観点がさらに違ってきて、
私はどっちもそもそも不足している。
だからそういうふうに反省したわけです。
これだけではないですよ。
ブックカタリストとかね、
暮らしたただのりさんとかゴリゴさんとかを、
なんとなく一通り聞いて回ったんですよ。
そしてみんないろんなことやってられるんだなというふうに思ってですね。
で、私のポジションが少しですね、
多分少し客観的に見えたんですよね。
客観的って嘘ですけどね。
別の主観で見るようになったに過ぎないんですけれども。
そして、こんなことを強いれないほうが良かったのかもしれません。
今日これを聞いていて、
佐々木は余計なことやってるなと思われてるかもしれませんけれども、
いろんなことをするんですよ、人間とはね。
人間というものは。
で、私は昨日100日チャレンジの第7期のキックオフで、
喋っていたのが無意識の話だった。
やっぱり自分ってそうなんだなというふうに思いました。
まず何よりも。
他のことにほとんど興味がなくなってしまっておりますね。
私は無意識のことが多分今一番心を捉えられていて、
結局無意識のことって、
それは無意識にお金も時間も関係ないわけじゃないですけれども、
あんまりにも世界が違うじゃないですか。
あまりにも私にとってはやっぱり縁が遠いんですよね。
私はやっぱりユングの本とライフハックの本とGDPの本があったら、
ユングの本しか読まない気がしますもの。
だからそういうふうに本来的な違いっていうのかな。
後天的なものだと思いますけれども、
そういう違いがどうしてもありましてですね。
自分はこの世界、この世界ってどの世界だっていうところなんだけど、
しかも私はこの世界の人間ではないという、
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非常にまた自分らしいポジションになっちゃってるんですね。
私はユング心理学の専門家でもなければ、
精神分析の資格も多分一生取ることができないようなポジションに生きてるわけですね。
まず大学院を卒業しなきゃならない段階で、
今の私にはほど遠いものが感じられるわけです。
Twitterでね、巷の謎資格って書かれてたんですけど、
なぜ世の中には巷の謎資格があるのかということを、
もう少しやっぱり僕らは検討していかなきゃならないですよねっていう感じは私は持ちます。
つまり私自身が巷の謎資格しか取れませんからね。
取ろうと思ったとしてもですね、
そしてそういうポジションの人間が相当数いるはずなんですよ。
今日はですね、短くしようと思ってます。
これもその反省の一環なんですよ。
いや、ダラダラトークの方が良かったんですという方も、
そういうレアな方もいらっしゃると思うんですけれども、
ちょっとね、やっぱりいろいろ思うところもありまして、
まず何よりもですね、佐々木敏直さんとか勝山和夫さんとか、
一つ絶対に現在のように本を出して2日目の私には非常に羨ましいところもあるんですね。
個人のインフルエンスが絶大だと、私はほぼ全くないと。
よくこれで著者やってんなっていうぐらいなんですよね。
これもまた私の独特のポジションなんだと思うんですけれども、
こういうですね、方向性のない喋りをしているからそうなるんですよ。
でも私の、本来私らしくあるんだとこうなるんですよね。
しょうがないんですよ。
目指したくないとか目指したいとかそういう話ではないと思います。
ただ、世の中で期待されているある種の興味の方向性というものがあるということなんです。
ライフハックで個人的な幸せを追求するのだとしても、
勝山さんおっしゃってましたけど、やっぱりメラトニンの量が増えてきて、
10時になったら眠くなり、10時になって寝ると6時になったら起きたくなり、
そこから仕事をすると午前中で仕事が終わるというのは、
ある種の方向性に合致してるんですよね。
私より長く寝ていらっしゃるんですから。
だから私の真似をしたいと思う人は少なくなるはずなんですよ。
だってあれより寝られないのにもかかわらず、夜まで仕事してるわけですからね、私はね。
誰もとは言いませんが、今の世の中でそんな生き方でいいのかと思われるのは当然ですよね。
GDPもドイツに抜かれたところだし、
なんかもうちょっとなんとかならないのかっていう話を考えられる人の方が多いと思います。
だから今しがたそういう話をしてみたわけですね。
でも私は無理だと言う。
無理な人間にやっぱり無理な人間なりの方向性というものは、
グッドバイブスというのでも当然、
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グッドバイブスというのが一つの私の興奮心となってるわけだけど、
それを含めてですね、なんかやっぱり模索していかなければならない。
私のような人間が、
カズマさんのようになろうとか、
佐々木敏直さんのように考えようとしても、
あんまりうまくいかない。
でも、希望がないわけじゃない。
っていう話が多分この番組なんだと思うんですね。
ただそうは言っても、ただ50分もダラダラ喋っておけばいいというものでもないというあたりが、
少し反省点なのかな。
あまりそんなことを考えてないんですよね。
25分こんなふうに喋ってるところを考えてもそうなわけですよ。
で、一定のそういう、
環境整備的なとかPDCA的なという観点はもう私は一切取らないものだとして、
ただ無意識という点については私は興味を持っている。
そういう生き物ですね。
生き物として考えているわけだけれども。
で、その無意識とはいえカウンセラーという商売のものでもないと。
3ヶ月チャレンジというのを今活動としてやっていて、
私はそれがライフワークだと思っているんですけれども、
それはそこら辺の言葉で間に合わせるとライフワークにはなり得ていない。
でも結構私の収益の中では重要なポジションでもあるんですよ。
これは余計なことかもしれませんけどね。
そしてそういうふうにやってきている人間としてちょっと考えるのがですね、
何かしなきゃいけないですよね、やっぱりね。
何もしないと、このまま何もしないというわけにはいかない。
で、そういうふうにいろんなことを総合的にというのかな、
トータルで考えていくしかないわけですよ。
もうあんまり考えているうちに入らないんですけど、
だってこんなふうに考えられるもんじゃないんで。
ダマってそういうふうには作られてないですよね。
ダマというのは特定のテーマについて分析的に詰めていくというのが得意であって、
非常に漠然とトータルで考えるっていうのには向いていない機関だなって思うんですけれども、
これは今までの使い方のせいかもしれませんけれども。
そうそう、そういうふうに考えてみて、まずインフルエンスというやつですよね。
私には全然ない。
全くないわけじゃないかもしれないけれども、非常に薄くしか機能していない。
そしてそれを増やそうというか増そうという感覚も持ってない。
こういう時にJ.松崎さんという方がドイツからいらっしゃるわけですけれども、
救世主のようにわりと私の人生に再登場ぐらいなんだけどされているわけですね。
インフルエンスは私に任せておけぐらいなノリがあるわけですよ。
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すごいなっていう、自分のラッキーさが不思議ですね、ある意味では。
これは何なんだろうなってまず考えたりもします。
何とも言いようがない。
僕にできることといえば感謝して祈るぐらいしか、
そんなんでまたいいのかと思われるかもしれない。
ありがとうございますっていう感じで。
それも誰に向かっているのかというと、やっぱり私は自分の生きているジャンルでおかげさまってやつなんですよね。
おかげさまって変な言葉なんですよ。
このおかげさまっていうのはJさんに言うべきじゃないですか。
でも彼は影なのかっていう、影ってなんだよっていう話なんですよ。
あれは陰謀的な世界だと思いますね。
日本人はあれに拝むっていう、しかも日常的に拝んじゃうっていうですね、
他の国にもあるのだろうと思うんですけれども、
非常にやっぱり人間の知恵ってすごいなって思うんですよね。
影ってラッキーってことだとしか言いようがないですよね。
私、目には見えないから影なわけじゃないですか。
実体もないから影なわけじゃないですか。
要するに世界の裏側ではそういう仕組みが働いてますよという話ですよ。
おかげさまで無事に過ごせてます。
そういう話なんだと思うんですよ。
私なんかの今の喋っていた話でもそうですよね。
そんなんじゃ死ぬだろうあなたはって言われる兼ねないような生き方をしています。
だからおかげさまなんですよ。
他の説明は一切成り立たせてくれないような何かなんですよ。
ただ私はこんな言い方をしているので、
つまり何を言いたいかというと、
それは信じられませんという方の気持ちはよくわかります。
信じましょうねと言いたいんだけれども、
そうはなかなか思えてないところは私の中にも多分にあります。
そんなんて大丈夫なのかよってことですよ。
だけれども他の説明が壊れていくんですよね。
後から振り返るとつくづくそう思います。
私の個人的な努力とか、
頭で考えてみた人生の方向性とか、
これが愚かであると言いたいわけじゃないですよ。
例えば勝間和夫さんなんかの場合は、
これが随分機能してるなってむしろ思っちゃうわけですね。
彼女にだって私の考えではおかげさまはあるはずなんだけど、
それにしては自力が強いなっていう話ですよ。
双木俊男さんにしてもそうです。
自分の場合は自力が弱すぎるなっていう話なんですよ。
だからおかげさまになるしかないっていうところなんだけど、
すごいおかげさま信仰者かっていうと、
そうでもないんですよね私は。
そういう教育を受けてきてないし、
私はやっぱり日本のこれまでの普通の教育の、
わりと普通の影響を強く受けてきた人間なんで、
簡単におかげさま信仰者にもなれない。
ここでもまた自分の中途半端さってものが何となく浮き上がってくるんですよ。
そしてこの中途半端さというのが私らしいんですよ。
非常にいろんなところから見てもですね、
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いちいち中途半端なんですよ。
これを受け入れようっていうのが反省点だったんですね。
なかなかこれが受け入れがたいんですよね。
どうしても僕は、おそらく世の中の今の傾向の一つなんだと思います。
中途半端は危ういという感じを抱かせる。
例えば臨床心理士とかであったらもっといいんじゃないだろうかとか、
それこそ勝雄さんのような信念の持ち主であった方が本は売れたでしょうしね。
もっと良かったんではないだろうかとか、
もっとツイッターのフォロワー数とか、
何でもいいんですけど、YouTubeとか。
YouTubeはやってないに等しいですから。
目高とか映しちゃってますから。
YouTubeとかもやっておいたら良かったんじゃないか。
みんなやっていらっしゃいますから。
メルマガとかを発行。
メルマガも今回もそうでしたけど、
今回のような時に考えさせられるわけですよね。
本出しましたっていうメルマガに、
読者さんが1万人とかいれば圧倒的なわけですよね。
現代の著者としては。
出版社さんが広告品を予算から削りカットしてきている。
しかし広告しないわけにはいかないこの時代においてはですね。
著者がメルマガフォロワー1万人で、
しかも本の話をしてますって言ったら素晴らしいことなんですよ。
それはJさんにお願いすると、
こういうポジションの人間は生きてて生きにくい上に、
みっともないじゃないかって思う方は絶対いらっしゃると思うってことを、
私は予測できちゃうんですよね。
この予測ができるっていう部分がイリュージョンなんですよ。
実に余計なことだと思うんだけれども、
予測できるぐらいには現代の影響というものを、
僕もちゃんと受けているわけです。
ただ私は予測できたとしても、
メルマガを発行する意欲とかはないわけですね。
ついてこないんですよ。
だから中途半端なんですね。
この中途半端さを肯定しないと、受け入れないといけない。
受け入れられなかったら、
多分私は自分のことが受け入れられる人間にはなれない。
多分こういう言い方ができる。
メルマガも発行すべきだし、
YouTubeの再生回数も増やすべきだし、
Twitterも多い方がいいし、
でもそういう風に考えていけば、
やっぱり勝間和夫さんのようになる方がいいっていう風になるはずなんです。
そこが私の本来的な在り方とは大きく崩れてしまう。
つまりそれは、いいとか悪いとかいう意味が全くない領域に入っていってしまう。
ちょうどそれはあれですね。
私にはオリンピック候補のスキーヤーの膝はないように、
私には勝間和夫さんが持っていらっしゃる何かはないわけですね。
あの膝は絶対自分の膝より、
モーグルやるなら絶対いいわけです。
ていうかああいうのがなければ、あそこまでは行かれる。
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ということはつまり、私はあそこまで行けないんですね。
こういう風なところだけを切り取ると、
自分ってものすごく残念な感じがするじゃないですか。
頑張ってそういう膝作ろうよっていう、それは無理なんですよ。
土台無理な感じがします。
膝の本来的な機能として、
私の膝にはないものを感じるっていうのが一つと、
あそこまで行く努力がそもそも私にはできないというのがもう一つなんですね。
こういう言い方をしているとネガティブな話にしかならないじゃないですか。
でも多分絶対違うんですよ。
私はただああいう風に生きていく必要もなければ、
理由もない。
つまりああいう風に生きていく必要もないわけですね。
考えてみればモーグルで、
誰も彼もがあれを目指さなくてもいいわけじゃないですか。
ということを私はボイシーの勝間さんと佐々木俊男さんの聞いてて考えたってことなんですね。
そこだけ切り取れば自分はただのダメ人間になっちゃうんだけど、
そうでは全くないはずだ。
現に私は今モーグルなんてしませんもん。
モーグルするっていうことが私の人生に必要ではなかったわけですよね。
もちろん今しても楽しいとは思いますよ。
だからそこがライフハックは趣味としてはないわけじゃないって話と近いんですけどね。
今しても楽しいと思います。
やっぱり今してもああいう膝が欲しくなったりはします。
でもそんなこと言うとそれとこれとは別なんですよね、やっぱりね。
だけども今の時代はなんかこの中途半端さというものが、
生きづらさに何かつながっているような印象を残してしまう。
それも多分イリュージョンなんですけどね。
この中途半端さを大事にしていこうと改めて思ったんですよ。
なぜならどこからどう見ても自分は今まで一生涯中途半端に生きてきているので、
これを多分どこかに寄せてしまったら、
僕の人生のこのおかげさまでうまくいってきた全てが狂っていく感じがするんですね。
これを説得的に説明するのは無理です。
僕にできるのは今までのポッドキャストでやってきたように、
これを拝見的に何となく直感的に伝えていくということしかできないんですよ。
おかげさまで3カ月チャレンジが今満席になっていると。
普通に考えればこんなに怪しい話ってないと思うんですよ。
ライブハッカーとしても中途半端で、しかもカウンセリングの資格は謎資格も含めて一つもないという。
そしてやっていることが精神分析的であると。
もうめちゃくちゃですよね。
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こういうものをでも、現代の日本は成立させるような何かを持っているっていうのも大事なポイントなんですね。
この辺は私は佐々木俊男さんの1週だけ聞いてみて、何となく感じたんですよね。
彼はバブルの頃と比較していました。
バブルの頃彼は記者だったとそうなんで、私よりもバブルってものを客観的にご存知なんです。
それを羽生高で超えるというのはどんなことなのかというのを何となくやっぱり時代の雰囲気と共に伝えていて、
すごい話に、すごいというかちゃんとした話だなって思ったんですよ。
そしてその中にはですね、きっとこういう生き方を可能にする、もちろんおかげさまって話ですよ。
つまりラッキーがないと無理なんだけれども、でもラッキーがあれば可能になるっていう部分もあるわけですよね。
ここにこうでなければ絶対ダメだっていう風になってしまうと、多分全体主義になっちゃうんですよね。
多分それだと多くの人がとてもじゃないけど生きていけない上に、うまく生きている人ですらすっごく苦悩するんですよ。
だってあの私見たんですけれども、あれ誰だっけ、こういう時は大橋哲夫さんですけどね、ヒットラー最後の12日か。
ヒットラーはめちゃくちゃ苦しんでいたのは確実じゃないですか、あの映画を見ていると。
あのようにこういう人間以外はみんな殺すっていうことをある程度実行してしまった人自身が、
生きていける世界ではめちゃくちゃ苦しい思いをしなければならないっていうのは、いかにおかげさまってものは大事かっていうと、私なんかは考えさせられてしまうんですよね。
伝わりは知りませんけれども、ああいう風になりたいっていうか、世の中ああしたいとは、あれを見てしまったらやっぱりなかなか思えないと思うんですよね。
もちろんあれは映画ですけれども。だからこうでなければダメっていうのって、危険極まりないなって感じはするんですよね。
それがどういう理由であっても、つまりこの方がいいよねっていうのの、ベタベタベタであってもその先にベストはないっていうのって大事なことなんじゃないだろうか。
実際なかなか難しいんですよ、本当に。何の罪もないごく当然のことであったとしてもですよ。
朝、例えば5時起きとは言わないけれども、7時には起きましょうみたいな世の中があったとすると、もうそれだけで私はある種の全体主義っぽさを感じるんですよ。
12時に起きたり7時に起きたり9時に起きたりして、どうしてダメなんだろうっていうのに対する何もないのに何か方向性だけが示されてしまうという話って怖い感じがします。
で、うちの例えば子がいるじゃないですか。試験ですってことになった時には試験があるから早く寝るというような話になるじゃないですか。
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それはとても良いことですっていう話になっちゃうじゃないですか。そして、なかなかそれに逆らえないですよね。
で、その点も良ければ良ければ良いほど良いって話になるじゃないですか。
真剣に子供のことを考えるなら余計そこにこだわるべきだ。ここでこだわらないっていうのは意外ときついんですよ。
だからおかげさま信仰ぐらいは持ってないと、なかなかやっていけないよねっていうような、まあこれはですね、中途半端なんですよねやっぱりね。
中途半端さが大事っていうような話なんです。