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2022-02-10 34:36

【GMV 552】未来計画の依存を手放す

予測は当たらないから失うものはない
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
雪が降っているという話だと思っていたのですが、一向に降る気配はなくて、雨が降っていて、
雨の方が気温が高いはずだからいいのですが、雨の方が冬は見える感じがしなくもないです。
グッドバイブス的じゃない話をしています。
あさって、だいぶ集まってきていただいているのですが、
グッドバイブス勉強会シーズン3の第2回、人間関係がテーマです。
昨日もそういう話をじらっとしゃべりましたけれども、
それで触発されたというのも変ですが、自分の本のことを思い出して、
本のCMも兼ねて仕事の方に書きましたので、
よろしければそれも見ていただくと、
どういう話が大体展開されるのかは、なんとなくイメージがつかめるのではないかと思います。
あと2日ですね。ギリギリまでお申し込みいただけますので、よろしければどうぞ。
今日はそういう話から離れることはできないんですけれども、
ちょっと依存ということについて最近考えておりまして、
つくづく世の中には依存が多いんだなと思うんですけれども、
私のこれ、これというのはつまり顔色の本なんかにも書いちゃいましたが、
要は人の顔色をうかがう依存みたいなのもあるわけですよ。
そういう名前はないですけれども。
人を怖がる依存みたいなので、
誰だって私と同じようなところはあるんですけど、
依存っていうのは結局その人に、結局グラデーションだってことですよね。
毎日お酒を飲むのをやめてみると結構辛いっていうのと、
アルコール依存は違うんですよ。
人の顔色をついうかがってしまうということと、
常時うかがっているということは違うんですよ。
ついついね、これも依存だからやっぱり依存なんだなっていうのを
昨日書いてて思いついたんですけど、
それは昨日今日急に思ったことではないですけど、
まず同じ話を従いますよね。
人が怖いっていう人は、人が怖い話ばっかり従いますよね。
これは非常に特徴的です。
やっぱり甘いものでものすごく困っている人は、
血統値とかのことについても考えている人は、
このことばっかり考えてしまうという日常生活が始まってしまうんですよ。
考えること自体をやめることができない。
03:00
世の中から甘いものについて考えずに生きていければ、
どんなに楽なのにと。
これが二つ目の特徴ですね。
常時考え続けているものだから、
それについて考えたくないんですよ。
私も人を怖がるということをやめられたら、
もう自分無敵だなって思う癖があるんですよ。
まだなくはないんですね。
これがそもそもおかしいんですよ。
多分、人を怖がるということを卒業できれば、
また違う悩みが襲ってくるんだけど、
あんまりにも自分を捉えていることというのはですね、
そこから逃れさえすれば、
全てがうまくいくような気がしてしまう。
昔の私が彼女ができれば、
全部の人生の問題を解決すると信じきっていたのと同じで、
畳から見るとそれは非常に危機な考え方なんですけど、
本人にとってはそれ以外はありえないような感じがするんですよ。
そういう意味で宗教的なわけですね。
この宗教を信じれば、
全てがうまくいくようになっているはずだというところまで
いくんですよ。
ちなみにあれは、
うちの父の言っている話を聞いている限り、
宗教にやっぱりそこまでかぶれてはいけないんですね。
なんていうのかな、宗教、
寺やっているとやっぱりそれは寺に来てほしいし、
寺の活動も真剣にやってほしいし、
なるべく積極的にやってほしいし、
そうなんだけれども、
常に寺の活動しかしない人というのは結構要注意なんですよ。
難しいんですよね、こういうのって。
だからといってバランスという答えにはならないんですよ、宗教なんで。
やっぱり宗教の答えがバランスであってはおかしいんですね。
宗教というのはスポーツジムとは違うんでね。
だからこの依存との兼ね合いというのは本当に厄介なんですが、
私のようにそもそもそれに依存したいとは全く思わないんですよ。
結構思っていない依存、これはいっぱいありますが、
そういう問題が多分ある意味では人の悩みの全てかなというような気もしなくもないです。
例えば不機嫌に、自分の不機嫌さに依存している人っていうのも結構いっぱいいらっしゃいます。
何点ですかね、もちろん不機嫌でいたいはずはないんですよ。
でもある種の人のイメージするとその人が機嫌が良かったのを見るのは滅多にないなっていう人っていらっしゃると思うんですよね。
あれも不機嫌依存みたいな言い方はしませんが、依存の一種だという風に見ると非常によくわかるような感じがあるんです。
まずあらゆるきっかけを捉えて不機嫌になっていく。
このあらゆるきっかけを捉えてはタバコを吸うとか、あらゆるきっかけを捉えては酒を飲むとかギャンブルするとか、これがまず依存の一つの特徴なんですね。
06:01
私以前アメリカでアルコール依存とドラッグ依存は一大国民問題なんで、あともう一つは糖質取りすぎですね。
別に良いじゃんとは絶対に日本人だと口にできなくなるレベルでひどいんですよ。
見ていると自分がおかしくなりそうだなっていうくらいひどいんですよ。
例えば平均的に見ていて大学生しか私はあんまり目の前では見ませんが、平均的に見ている大学生の女性とかでも僕の4倍くらい食べるなっていう感じがありますから、本当に。
見ているだけで食欲が失われるほど食べてしまう。あれは何なのかな。
よくわかんないんですけどね正直言って。そんなに食べられるかなっていうのもあるんですよ。
そういうようなのがあって今は知りませんが2000年ジャストぐらいの時にはそんな感じでした。
食べることに完全に依存しているという雰囲気があります。
常に食べてるんですよね。
あれと似てるんですよ。
何かをきっかけにする食べ物を目にするとか、食べ物の広告を目にするとか、食べ物の言葉を教科書で目にするたびに食べちゃうんですね。
そういうのに似てるんですよ。
何かをきっかけにすぐ機嫌が悪くなると。
そういう方ってのは多分不機嫌依存みたいなのがあって、不機嫌というものを手放しではならないって思っているところがあると思います。
一方でそれを手放せたらどんなにいいだろうと思ってらっしゃるんですよ。
そこのところが本人にとっての苦しみですよね。
機嫌が悪いってのは気分が悪いってことなので、気分の悪さにしがみついていたいっていうのは非常にキーな感じもしますが、本人にとってはそういうものってあります。
カジノがあるんでアメリカには。
ずっとカジノにいてずっと気分が悪そうな人って結構いっぱいいるんですよ。
アメリカ人でね。
なんか床とかにうずくまっちゃってるんだけど、床にうずくまるくらいならカジノにいなきゃいいんだけど、カジノにいるんですよね、その人は。
だからあれは典型的に依存ですけれども、依存させる装置も山のようにありますが、街中に。
それにしてもまた私の行ったところがよくなかったんですよね。
私、ねわだ州立大学行ってるんで、ねわだ州というのはカジノの州ですからね。
ラスベガスが州で一番でかいんだけど、州の中心はリノってところで、ラスベガスじゃなかったりして、私がいたのはリノなんですが、このリノもやっぱりカジノだらけなんです。
ゲームセンターみたいな感じで、昔喫茶店とかにゲーム置いてあったのはあんまり今はないから、見たことない人も多いかな。
喫茶店とかにもインベーダーとか置いてあったりする、その代わりに喫茶店にカジノが全部必ずあるみたいな、そういうのがあったりするんですよね。
本当に来るところ来るところにあって、家具屋さんにもカジノがあって、なんか不思議な世界なんですよね。
09:03
それがリノって街だったんですけど、今ちょっと何かですごいサブプライムローンか、なんかでひどいことになって、町の人たちがカジノを置いてあったりして、
夜はすごかったんですよ。町がカジノ町になっていく、絶対大学とか勉強とかに合う土地柄ではないのを修立大学に行ってたんですけどね、私は。
そういうふうにカジノを置いてあったりするんですよね。
それがリノって街だったんですけど、今ちょっと何かですごいサブプライムローンか、なんかでひどいことになって、
夜はすごいサブプライムローンか、なんかでひどいことに合う土地柄ではないのを修立大学に行ってたんですけどね、私は。
そういうところでも依存って当然ありますが、一つはやっぱりきっかけを捉えては絶対そこに行くってことと、
もう一つはそれから離れられるということに大変強い喜びを感じているんだけど離れられないということと、
それについての話題をずっとしているという、本人にとってあまり違和感がない。
私が人が怖い話ばかりしていられる、そしてそれを本に書くってことは、7、8ヶ月それについて考え続けるってことを意味してますから、
平気でそれができるというのはやっぱりどっかあれなんですよ。
よく言うじゃないですか、そういう依存みたいなものを生かしましょうみたいなライフハック的に言うんですけど、
あれは危険なんで、私はあんまりお勧めしたくないです。
それやっていて、商売になっている間はいいですよ。
例えば物を書く依存みたいになるというのは私は絶対いいことだとは思わないんですが、
つまり本が出せている間はそれでいいでしょうけど、もし世の中そういうことが起こるわけですよ、
本出せなくなりましたと、でも物を書くことにすっかり依存しきっていますという人は、
よしよしだと思うんですよね、そういうのって。
だから、あんまりどんなことでも依存ではない方がいいという気はします。
ただこれは依存というのは好きでするとは限らないというか、
めったに好きですることはないんで、なぜならば気分が悪いものだからですね。
ここ、何を持って依存というのかという話なんですよね。
単なる趣味思考としての繰り返しと依存に区別があるかというと、
さっきも最初の方に言ったようにグラデーションなんですが、
一つ大きな要素があると思います。
それはストレスが重要なファクターかどうかですね。
つまりもちろんストレスは単なる趣味思考の繰り返しにも入ってくるから、
ここも完全に分けることはできませんが、
ストレスを覚えたら必ずそれを選択するというのが、
多分依存の定義に近いのかなと思います。
12:01
だからストレスを覚えたら必ずお酒を飲む人はお酒を飲むんですよね。
強いストレスの時は絶対それを選択するんです。
タバコではなかったりします。
その選択には本人にとってとても大事な意味があり、
決して代替は効かないというところがポイントなんですよ。
例えばストレスを覚えたら必ずお酒が飲みたいという人は、
代わりにギャンブルに行くというわけにはいかないんですよ。
逆に必ずギャンブルに行きたい人は代わりに酒を飲むのではダメなんですよ。
ストレス解消には絶対ならない。
少なくとも本人はそう信じている。
だから選択するストレスの強度というのも大事だと思うんですが、
強いストレスに晒された時は必ずその選択が入ってくるというのが、
多分依存の重要なファクター。
だからストレスを覚えたら必ずスマホを見るとかね、
ストレスを覚えたらどうしてもツイッターで他人の悪口を書かずにはいられないとか、
これが多分依存の引き金というのかな、そういったものだと思うんですね。
だから私はグッドバイブスをやれば絶対依存から出せますとか、
そういう話はできないんですが、
グッドバイブスというのは大事なポイントをついていると思うんですよ、この問題については。
ストレスというのは恐怖感と必ず結びつきがあるというか、
恐怖によって引き起こされるものだと思うんですね、基本的には。
ネガティブな感情というものと無関係なストレスというのはあり得ないと思うので、
何らかの形でストレスと、ネガティブな感情でもやっぱり無関係なストレスというのはないと思いますね。
変化がストレスを起こすというのは有名な幕説ですけど、変化が怖いんですよね。
これが結婚であれ、単なる引っ越しであれ、十分ストレスになるのは当然です。
そこには不安要素が付きまといいますので、怖いということはですね、
その変化によって生物の立場にしてみるとですね、
生命が脅かされるという意味なんです。
生命が脅かされると言っても、何度もこの番組でも言いますが、
生命が脅かされると言っても、現代の人間がダイレクトに異種間生物とかに襲われるというケースはすごく少ない。
やっぱりイリュージョンはそこに介在せざるを得ないんですね、人間の場合は。
何かを自分なりにやりたいというか、
何かを自分が幻想を作り出す。
もちろんその幻想は虎に襲われるとかではないでしょうから、
その幻想はもっと精神的なものなんですよね。
多くの場合は何かを失うという意味でしょう。
だからなんですよね、私が思うに。
だから時間とか自尊心とかそういうものを持ち出すのは絶対やめといた方がいいんですよ。
これは本当にあるいは時間というものが大事だということは、
15:03
あるにせよイリュージョンが手伝わないでこういう感覚を引き起こすことはおそらく不可能なので、
目の前にある自分が持っている宝石を盗まれましたと、
これは失われていることはイリュージョンではないけれど、
時間が失われたということについては必ず概念上の説明を要求するはずなんですね。
信じているわけだから時間が失われたし、
時間が失われるということはまさに命が削られるのと同じだというような理屈をこねくり出せば、
そういうふうに思えるんですよ、我々の能力をもってすれば。
でもここにイリュージョン1%もありませんというのは嘘なんですよ。
間違いなくあるはずです。
そんなことを言っても時間ってあるじゃんって思われるかもしれませんが、
そういう話を本気でするなら、例えば量子力学とかが出てこないといけないと思うんですね。
量子力学の世界における時間概念みたいなものを、
僕らは日常全く扱っていません。
この時間がエネルギーに換算されるみたいな世界の話っていうのは、
もう数式の話ですけど、1秒の長さとか完全にデタラメですからね。
1秒ってどうやって決めるんだよって話をしたときに、
セシウムとか必ず出てくるんですよ。
セシウムっていうようなものが必ず出てくるんですよ。
あれ、意識してませんから。
私たちが時間だと言っている時間は間違いなく実態のないものなので、
1秒の長さってまちまちですからね。
この時間というものが所詮概念でしかないのに、
もちろんその間やりたいって、その間は本当は何でもいいんですけれども、
ファンザが見たかったんだけど、採点させられてますというのは何か、
損している気はするにせよ。
この損を厳密に測ろうとしたら、宝石を目の前で取られましたって話のほど、
厳密になりっこないんで、イリュージョンを介在させるしかないんです。
イリュージョンを介在させることの何がまずいかというと、
ありもしないストレスをそこに作り出すからなんですよ。
変化が起きたときっていうのは、そういうイリュージョンを容易く私たちは持つんですね。
だって例えば、引っ越しの時に、
隣人が嫌な人だったらどうしようとか、
隙間風が寒かったらどうしようとか、
全部イリュージョンなんだけど、作り出せます。
いくらでもポンポンポンポン出てくるんですよ。
だからストレスがいっぱいになるんですね、変化が大きいときは。
そうすると私たちは、自分が依存しているものというものにだいたい頼るんですよ。
こういう気分に依存しているものというものに、
だいたい頼るんですよ。
こういう気分になったらこれをする。
今でいいと多くの場合はスマホかな、スマホのゲームとかね、
決まった行動があるはずです。
これは迷信行動といって、
昔それをしたら気分が良くなったっていうようなのが、
行動科学で、いわゆるパブロフの犬のように、
ちょっと違うな、やっぱりネズミのレバー倒しが近いですね。
スキナーボックスなんですよ。
キツツキが木を3回叩いてみたら、ご馳走の虫が出てきましたというときには、
18:04
今後必ず3回叩くようになるっていう実験があるんですね。
それと全く変わらんのですよ、私たちは。
その何かをやることによって、ある日ストレスが解消されたと、
ハンザーを見たらストレスが解消されましたというときには、
繰り返しストレスが起きたときはそれをやるんですよね。
そのうち完全に依存するようになります。
別に気分が良かろうと悪かろうとというか、
悪いときは決まってそれをやるみたいなことになってくるので、
本当にそれによってストレスが解消されているかどうか、
もうだいたいどうでもよくなるんですよね。
そのとき依然として同じことをきっと言ってるんですよ。
時間が奪われたとかって。
完全に幻想に対して幻想を上書きするようなやり方なんで、
ここまでキツツキを見たら、
やっぱり考えなきゃいけないと思うんですよ。
その依存から脱してはいけないのかってことですね。
多くの場合、
片目から見ると脱して困ることは何もない依存っていうのがいっぱいあって、
不機嫌でいる依存っていうのが本当に大きいと思います。
今ではあんまりなくなったんですけど、
私もあったんですよ。
本を出すたびにこの人は文句を言ってくるって。
面白いじゃないですか。
これはキツツキの迷信行動と同じなんですよ。
僕が本を出すということがストレスになっちゃうんですね。
なっちゃうと思われてるんですよ。
そして、なんかこう、
著者にツイッターでいっぱい文句を書くとストレスが解消されると、
その人の中では完全に出来上がっている構造があると思うんですね。
これが私大好きな、
完全に出来上がっている構造があると思うんですね。
これが私だけのはずないじゃないですか。
もしその人が私だけにこれをやると言うんだったら、
もうファンみたいなもんですが、
ファンみたいなもんだけどこういうのって、
多分そういう著者がいっぱいいるんですよ、その人にとっては。
だから、ある意味ではストレス解消の方法がいっぱいあるからいいように思う。
その辺がライフハックっていうのがちょっと表層的だと思うんですよね。
これは逆に考えると、まるで著者に食ってかかるということで、
ストレスを作り出しているようなものなんです。
先日、私この人についてちょっと何か書きたいと思っているんですけど、
ジージー佐藤さんという方が、
まるで蔵園さんがおっしゃるような話をしているんだと、
彼はいつもそうなんだけど、
ロッテにいたから私は追っていたりするんですけどね、
ツイッターでフォローしていたりするんですが、
もともと西部の選手で活躍した選手なんですけど、
誹謗中傷をするってことは、
本人を一番傷つけるっていうことをこの人は盛んに書くんですよ。
だから誹謗中傷やめようねって書くんですけど、
伝わりにくいんですよね、この話。
なんで誹謗中傷をするということが本人を一番傷つけるのかっていうと、
なんかこう、道徳の時間に言われるとしっくりくるんだけど、
21:02
ピンとこないじゃないですか。
著者に向かって鋭く批判をいっぱい重ねると、
重ねた人が一番傷つくってのはどういうことなのか。
著者が一番傷つきそうなもんですよね。
でも私は体感的に感じていて、
特にすごく売れた本があって、先送りの本だけど、
あの辺りからそういう経験を得るようになってから、
著者って大して傷つかないけれども、
書いてる人は傷つくだろうなというのは、
なんとなくわかるようになったんです。
これは実体験に基づくものなんですよね。
だからやめようねっていう勇気は僕はないんだけど、
ジジイさんは偉いんですけれどもね。
彼は北京オリンピックで、
ライトかな、ライト守ってて、
本当はレフト守る人なんですが、
落球してのすごいバッシングされた、
その経験があるんだと思うんですよね。
あのバッシング以降、彼はしばらく
試合に出場しなくなったんで、
効いたと思うんですけど、
それでもやっぱり中傷した人が一番傷つくっていう風に、
彼の場合はしかもそれを言い切って情報発信しちゃうんで、
あの辺やっぱりすごいなと思うんですが、
なんでなのかを説明するのはちょっと難しいんですけれども、
ナルシシズムが、
私の使いたい表現としてはそれになるんですが、
ナルシシズムが壊れていくからなんですよ。
嫌な形で。
全然説明として、
より分かりにくくなった気がしました。
でも僕の中でやっぱりそうなんですよね。
人は夢を見て生きているんです。
意味づけしてますから。
現実を見てるんだけど、
現実にオーバーラップさせる形で意味をつけていくんですが、
誹謗中傷が当たる先というのは相手ではないんですよね。
絶対に現実には当たらない。
夢の中で相手を叩きのめしているのと変わらなくて、
夢を見ているのは自分なので叩かれるのも自分になってしまうんですよね。
構造上。
意味づけというものをせっかくしたのに、
この意味づけはせっかくですよ。
青色の点滅が信号が見ると、
私たちは急いで渡るか渡っちゃダメかという選択を迫られる気がしますよね。
もう情緒的に。
リアリティを持ってそういう感じがします。
でもあれは信号が点滅しているだけですよね。
意味をつけているだけです。
でもこの意味づけ大事ですよね。
こういうことをしなければ、
世の中の中で生きている感じって全くなくなってしまうはずです。
だから世の中の中で生きている感じを持つためには、
例えばこの私が喋っているポッドキャストを皆さんが聞いているということ自体が意味づけですよ。
これただの音なので、
これにこの言葉こういう意味だという認識が存在しなければ、
この喋っているのは、
私が喋っているのを聞いている犬がただ聞いているように聞こえるはずなんですよ。
意味が全くないならば、
意味しかないですから、
言語が音声から通じた意味を取るというのは意味しかないので、
24:03
これ音声からでも文字からでも取れるというのは人間の凄まじいところだと思いますが、
何にしたってそこにあるのは、
幻想ですよね、完全に。
自分の頭の中でやっていることです。
この音自体にそういう意味があるわけじゃなくて、
だからこれを聞いている全ての人にとって、
全く違うように聞こえているはずです。
大体100人の方が毎日聞いていらっしゃいますが、
100通りの聞き方があるんですよ。
同じ聞き方をしている人は1人もいらっしゃらなくて、
当然僕がこう、僕の耳にも聞こえてますけれども、
僕とは皆さん違って聞いているんです。
そういうものですよね。
意味付けとコミュニケーションというか。
ここに批判なり誹謗なり悪口なりを叩いてみると、
どこに返ってくるかって自分の脳内に返ってくるしかないんですよ。
それ全く同じように聞こえる人は今と同じ原理で、
1人もいないんですから、
言った通りの言葉を聞けるのは本人だけです。
言った通りの言葉を著者が聞くことは絶対できない、
原理的にできないんですよ。
そもそも著者は聞いていない可能性がありますから。
しゃべった本人にだけは間違いなく、
あるいはツイッターに書いた本人にだけはちゃんと目にできるんですよ。
そのことを脳内に作り出してしまった段階で、
本人には少なくともダメージがあるんですよね。
逆に言うと、そういう誹謗中傷がしたくなったという時点で、
深く傷ついているってことなんですけれども、
だからこれをいくらやっても、
これをやればやるほど本人が傷つくというのは、
実は本当なんです。
顔色をかがう本の中にも書きましたけど、
私は夢の中ではずいぶん乱暴的なことをやって、
嫌な奴を叩きのめしたり、
内心は流血騒動をしていたけど、
あれで自分は傷ついていなかったんだろうか、
という書き方をしたんですけど、
当然自分は傷ついていたんですよ。
傷ついていたに決まっているじゃないですか。
そして夢の中で叩きのめされた人は全く無傷じゃないですか。
この割に和なさを本では割と強調しておいたんだけれども、
この割に和なさを今のオリンピックのアスリートとか、
いろんなところで皆さんやっている人が食らっているわけですよ。
だからやめましょうねと。
ジジイさんは優しいんで、
そういうふうに書くんですけれども、
私はそういうことを書いたことはさすがにないですけれども、
どうしたって自分を守っているようにしか読まれないでしょうからね、
普通に読めば。
ジジイさんは北京オリンピックの直後に
そういう活動を始めたわけじゃないですけど、
この方は引退した選手を自分の会社で仕事をしてもらうとか、
いろいろこうやっていらっしゃるんですよ。
そういうグッドバイブスなんですね。
だからこの辺のことからするとですね、
すごくそういうのってよくわかるんだろうと思うんです。
27:00
何かをこう、
なんていうんですかね、
やっぱりナルシズムっていうのが一番近いんですけどね、
自分が見ている世界というのは自分なので、
その自分が気に食わない、
世界が気に食わないからといって、
いっぱいいろんなことをやるために、
自分の世界に傷をつけていくような感じがあって、
しかもそれをすることによって、
この自分である世界から脱出することができるわけですらないので、
だから痛いんですよ。
本当にあるんですよね。
本が出るたびにこの人は噛みついてくると。
でもそれは待ってましたとばかりにって感じがすごいするんですけど、
ある意味そうなんですよね。
カジノが開いた瞬間に入っていく人ってやっぱりいらっしゃって、
私もカジノのホテルというか、
里野って町には全てのホテルにカジノがあるので、
多分カジノのないホテルに泊まることは不可能なわけですよ。
やっぱり早朝といってもいいタイミング、
一時的に閉まるところだったんですね、そこは。
24時間開けているところもいっぱいありますけどね。
同時に、
全然しかも楽しそうじゃないっていう人もいっぱいいるんですよね。
あれがまさに待ってましたとばかりに、
でも楽しみに行っているわけじゃないという。
あれはやっぱりずっとその前に何かがあるはずなんですよね。
カジノがない時間帯における不快感というのが猛烈にあり、
それがカジノに入る瞬間に解放されるというか、
猛烈にあり、それがカジノに入る瞬間に解放されるみたいなんだけれども、
でも実際には床にうずくまったりしているし、
もう明らかに不愉快そうである人がいっぱいいる。
あの辺の感じっていうのがですね、
対人に対する怖がりとか、
脳内シミュレーションをして奥さんがこう言ってきたらこう言うとか、
そういうのの依存ときっと心理状態は近いに違いないと。
やめようと思うしかないなと。
最近ようやくこれをやめようと思うしかないんだと。
やめるのがどんなに怖くてもやっぱりやめようと思うしかない。
なぜなら私の脳内で起きていることを他の人が止めるのはできないので、
私の脳内で起きちゃっていることですからね。
一瞬もそれに触れられませんよね。
これをですね、私はライフハック系の人に特に時間に関しては
やめられたら素晴らしいですよっていうのを今はお伝えしたいんですよ。
私は時間に関しては割と簡単にやめられたんですよね。
信じられにくいかもしれません。
ただでもタスク修道の力は大きいです。
未来ってのは思考する分無駄だというのが
確信を持てるようになったんですよ。
最初に言った通りです。
今雪が降ってるはずですが雨が降ってます。
どっちになるか分かりませんよって思って
すごく慎重に気象予報士さんがいっぱい言ってましたけど
30:03
でも雪が降ってる、多分確実だろうぐらいのノリはあったんですよ。
8時過ぎは。でも雨が降ってます。
未来ってのは予想できないはずなんですよ。
こんなに簡単なことも上から上空で雲を映してるのに
しかもかなりマクロじゃないですか。
私たちの身の回りに起きるミクロなことと違って
しかもこれ天気のことだけに絞ってるじゃないですか。
当たってないですよね。
こんなに当たりそうなことでも外す。
僕らはどうして脳内シミュレーションをこんなに信じられるのかと。
時間管理ってのは結局未来予測を含まずには置かないので
多分絶対に無駄なことなんですよ。
こう言っても多分イラッとされることでしかないと思うんで
私自身がグッドバイブスを知る前だったら
イラッとすることしかなかったと思うんで
これを何回言っても無駄かなと思うんだけど
これやめると本当にいいなとは思います。
私は本当に徐々にだったんですよ。
最初はグッドバイブスを聞いても
でもタスクシュートで一週間はやっちゃってるから
一週間後以降はやめておこうぐらいに思ってたんです。
それはもうすぐできたんですね。
タスクシュート何年もやってて
一週間しか私は見ない癖がついてたから
もちろん2週間先のこととイメージできなかったんですよ。
だけれどもずっといろんな話を
倉園さんから伺ってるしに
一週間って多分全く無駄なことやってるんだろうなと思ったら
消えたんですよ。一週間の予測ということが。
頭からスッと消えてすごい楽になったんですよね。
これで明日のも本当はやめたほうが絶対いいと思ったんだけど
明日のをやめないまま1年以上経過してたんですね。
そういう性格ですからね。
でも明日のことも今はいつしか消えたんですよ。
夜のうちに立てるみたいなのをタスクシュート的にやってたんですけどね。
明日の予定は。
でもそれも夜のうちには立てない。
少なくとも向こう3時間以降のことは一切立てない。
そのうちにタスクシュート上にはあるけれど
事実上1時間以上先のことについては
イメージすることも困難になりつつ
最近あってこのほうがずっといいんですよね。
はるかに仕事が進むし
だいたい気分の良さが全然違うんですね。
1週間先について考えていたときと
1時間先も考えなくなったときとでは
今のほうがはるかにいいです。
何というふうに例えればいいかは分からないですが
やっぱり依存なんですよね。
酒がやめられたらどんなにいいだろうと思っている人が
やめられたときのような心境ですよ。
天国と地獄というのはこういうことを
言うんだと思うんですね。
私は時間についてはライフハックやるのに
この未来予測いらないですから。
33:01
なぜなら未来予測は外れているので
これをどんなにやっているほうが安心だと思っても
それは本当ではないと思いますね。
これはカジノで一発当たったら
どんなにいいだろうと思っているのと
何も変わらないような
今ではそういう気がします。
それほど実がいないからやってたって構わないし
誰も止めはしないと思います。
むしろ推奨されると思うけれども
本当にこれは違う感じがしますね。
大体私、これも変な話なんですけどね
似たような話だと思うんですが
妻が私の抜け毛をやったら気にしていた時期があって
なんかよく分からないんだけど
でもそれが止まったんですよ。
そうしたら全く言われなくなった。
全く抜けなくなったんですよ。
ほとんどかな。全くってのは嘘だな。
ほとんど抜けなくなったんですよ。
こういうことってあるんですよね。
このほうが全然いいわけですよ。
訳の分からない薬とか
僕、つけたくもない薬をつけさせられてたわけですけど
一個に止まらなかったんですよ。
そんなものを塗ったって。
でも髪なくなるっていう勢いではなかったと思うんですけどね。
どっちにしても。
こういうことも多分関係があって
意識しなければ解決する問題
もちろんそれが難しいという言い方はあると思うんだけれども
やめといたほうがいいことの一つに
未来予測があって
これは一つの依存だと私は最近思います。
34:36

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