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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今週の末に、岡野純さんと対談します。
これは無料でオンラインなので、よろしければどなたでもご参加いただけるので、
わりと集まっていらっしゃるんですけど、何しろ無料なんでね。
PTXの方からチケットだけを入手しておいていただければ、
Zoomでご参加いただけるので、利手が合えばですね、よろしくお願いします。
今回は、タスク集とクラウドの実践ということで、
岡野さんはある意味、私よりも遥かに使い込んでいるというか、
なぜならば、時間がないからなんですよ。
仕事をやっている上に漫画を描いているので、
仕事をダブルでやっているようなものですから、私より遥かに忙しいので、
その時間をカツカツで使うといったことについてあれば、
何かしらヒントを得られると思います。
実は、今日ですね、資料を送っていただいたんですけど、
すごいなって思いました。
私は到底、あそこまではタスク集と扱えても、
行動をする気がしないなという感じが。
これはでも、たぶんですね、その人その人で、その内実は結局違うんで、
昔はこれを見ただけで圧倒されていたんですけど、
今ではそういうこととはまた違うんだろうなというのはわかるけれども、
ここまでやるのは大変というか、僕はやっぱり難しいだろうなと。
ただ、私は絵を描けない人間なんで、
そもそも漫画を描いているだけですごい思ってしまうんですけど。
そういう感じで、土曜日の18時から、よろしければお願いします。
娘がですね、カービィというゲームに今ハマっているんですよ。
今のゲームってすごいなと思うんですけど、
要は3DのアクションRPGの簡易版みたいな、
でもマリオみたいでもあるし、
今じゃもうカテゴライズって意味ないなと思うんだけど、
娘はすごい最近中学に通いだして、
帰ってくると結構クタクタなんですけど、即それをやるんですよね。
それを見てて、なんでゲームってやりたくなるんですか?
こうまでっていうのを久しぶりに思い出したんですね。
よくゲーミフィケーションといって、
仕事とかタスク管理をゲーム化してしまうと、
こういうモチベーションで入れていいんじゃないかというお話があったんですけど、
私はかつてそういうものがうまくいくとは信じられたためしがなかったんですね。
ゲームってよくよく見るとほとんどの場合が現実世界を模擬してるわけじゃないですか。
模してるわけじゃないですか。
野球にせよ戦争にせよね。
模してるということに意味があるのであって、
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現実にそれをやってしまうのは嫌なんですよね。
結局あれは。
野球ちょっと微妙だと思うんだけれども、
でもやっぱり野球の大変さというのは、
野球ができるところにあれの良さがあるんですよ。
カービィのだってあれリアルにやるんだったら絶対避けたいと思うんですよ。
少なくとも娘とかだったら。
これはですね、
つまりリアルであるものをどんなにそれがゲームだと思うとしても無理がある。
そこにゲーミフィケーションというものの何か肝があるような気がして仕方がないんですね。
つまりあれは現実じゃないからいいんじゃないかと。
あれは現実じゃないからいいんであって、
現実だったらダメなんだけど、
でもリアリティがあればあるほどいいんですね。
一旦現実でないとなってしまえば。
ということになってますよね。
昔だったらカービィみたいなゲームは完全に二次元だったと思うんですよね。
マリオだと思いますね。
あれ結局より空を飛んでるようで、
より攻撃が痛そうで、
より凄まじい感じがすればするほどいいんだけど、
それは現実じゃないからなんですね。
現実の方がいいんだったら、
今すぐヨーロッパに行ったらいいわけですけど、
誰もそうはしない。みんな逃げてきているわけですよね。
なんでリアルで、
なんでっていうのはないんですけど、
なんでゲームはあんなにのめり込めるんだろうと。
モチベーションってのはどういうもんだろうと。
昔僕もよく考えました。
タスクシュートをゲーミフィケーションみたいに扱えるんじゃないかみたいな。
まず無理だろうなと思う一方で、
タスク終わったら音鳴らすとかね。
今ではそれに近いことは、
iPhone使えば容易にできるんですけど、
やっぱり効果音の問題じゃない。
トゥドゥイストっていうツールですとね、
タスク終了させる度に何かご褒美みたいな何かが溜まっていくんですけど、
私あれに何の興味も覚えなかったんですよね。
つまりそのポイントいくら貯めても誰か代わりに
タスクを素晴らしいやり方でやってくれるとかではないじゃないですか。
なんかそういう現実の大変さを疑似のご褒美によって
埋め合わせられないっていうのもあったりして、
いろいろあるんですよ。
私はトゥドゥイストでのタスクは日々毎日完璧に空白に仕切ってたから、
なんだか知らないポイントは大量に貯まってたんですけど、
一向に何の喜びにもなってないんですよ。
でも実行はするんですよね。
だからモチベーションが違うところから間違いなく得ていたわけで、
あれは一体どういうことなのかなと、
最近、昔思ってたんですけど、
ふとですね、倉園さんのお話聞いていて、
これだなと思ったのが思考が止まるってことなんですね。
ゲーム中って思考が止まるんですよね。
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娘があれをやりたがっているのを見てつくづく思ったんですよ。
これをやっている間はこれにかかりきりになることができる。
だから人はゲームってものが好きなんだと。
これだけが全てではないんですが、
私も一緒にカービィやってみて思ったのが、
常に対応を迫られているのでアクションだって、
そこがいいんですよね。
それをやっている真っ最中は、
次のセミナーの準備をしなければとか、
これをやって先に置かないと奥さん機嫌損ねるとか、
考えることができなくなるんですよ。
つまり考えることをさえしなければ、
ゲームをやるのと全く同じ快感は得られるはずだと思ったんですね。
私はゲーム終わった直後に、
この直後ってところにポイントがあったんですけど、
直後にマインドフルネスやってみたんですね。
徹底的に思考を追い出そうと。
非常に容易にできたんですよ。
なぜなら同じ状態だから。
やっぱりこういうことだなと思いました。
これを逆に考えると、
いかに僕らは日頃無駄なことばかり考えては、
自分で大変な思いをしているかということだと思うんですよ。
思考などというのは、
実際に仕事をしたり原稿を書いたりする上には、
ほぼ役に立たない。
原稿を書いている真っ最中の思考はいいですよ。
原稿を書く前の思考とか、
このグッドモーニング・ボイスのネタがまさにそうなんですけど、
これを事前に考えることほど無意味なことはないんですよ。
考えずに580回もやってきているんだから、
少なくともこれについてはですね、
考えたほうがより視聴者数は増やすことができたかもしれませんよ。
それは分からないんですけど、
少なくともこれをやるのに僕は考えるということは役に立った。
試しがないんですね。
だから仕事する役に立つのは、
作業中の思考であって、
作業前の思考じゃないんですね。
ところが僕らがしょっちゅうやっているのは、
作業前の思考ばかりなんですよ。
これを止めることができるから、
ゲームは楽しいんですね。
つまり止めりゃいいわけじゃないですか。
別にドラゴンみたいなやつと戦うために、
それをやっている最中は思考できなくなりますからね。
そのためにそれをやっていることによって、
思考を止める。
それが快感だというのであれば、
ゲームをやらずに思考を止めればいいわけですよね。
このネタを考えるとか、
こうやってえーとって言わないようにするとか、
言う思考が余計なんですよね。
もちろんそうする方が
ベターなものができるという信念はあるかもしれない。
でも私はそういう信念を持っていないから、
これについて考えるということは一切していないんです。
あらゆることについて、
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望めば私はたぶん間違いなく、
今よりずっと幸せになれるんですよ。
カービィーずっとやっているぐらいの感覚で
いられるはずなんですね。
考えてみると、
今回もそういうご質問をいただいたばかりなんですけど、
心に、メンタルに負担のかかる仕事を前にすると
たじろぐみたいなお話、
頻繁にありますが、
これ、事前にいくらメンタルに負担をかけても、
それによって仕事は
全然進むメリットを得られないんですよ。
事前に負担をかければかけるほど、
たぶんカービィーをやりたくなったり、
YouTubeを見たくなったり、
私で言えばファンザを見たくなったり、
漫画を読みたくなったりするんですよ。
全て同じ方向を向いていますよね。
思考を止めたいわけです。
だったら止めればいいわけですよね。
考えることに意味はないのに、
それを考えることで心をどんどんどんどん締めっぽくして
おも苦しくして、
仕事を進む力をますます失うだけなんだから、
それを止めさえすれば、
YouTubeを見ずに済むんですよね。
ということに気づいて、
ゲームをした直後に、
その思考を止めるワークというものを
自分なりにやってみたんですけれども、
つまり同じ結果が得られると。
ここが私の一つの発見だったんですけど、
同じ効果をもし得られるのであれば、
ゲームをやるよりは、
私の考えではマインドフルネスの方がベターです。
なぜならば、
ゲームをやっているときは、
思考を止めようとしているのではなくて、
ゲームをやろうとしちゃうからなんですね。
多分、思考を止めようと思って
思考が止められるのであれば、
それに越したことはないです。
その方が経済的だって話ではなくて、
その方が自分に自信がつきます。
この件について。
結局、結果として
思考が止まればいいんですけれども、
例えば、多分ですね、
時速300キロで高速道路を走らせれば
同じ効果が得られます。
私たちがあの種のことを好むのは、
思考を止めたくて仕方がないからなんです。
これをやるならば、
高速交通事故を起こすとか、
違反切符を切られるという話ではなくて、
思考を止めるために
300キロでぶっぱなさなくても
思考は止められるんですね。
これをやりまくっていると
私が思うに
思考を自分で止められると
思えなくなってしまうのが問題です。
それ自体問題じゃないかもしれないんですよ。
思考を止めるためのツールは
このように山と提供されているから、
多分、思考を自分の力で
止められないと思っていても
ゲームをするなり漫画を読むなり
高速道路に乗るなりすれば
いいのかもしれませんけれども
やっぱりその場で
自分の心一つで
思考が止められると
いつでも思えれば
もうそれだけで勝ちだと思うんですよね。
この件に関しては。
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この効果がまた
非常にデカいんですよね。
考えてみればすぐ分かるじゃないですか。
時速300キロで飛ばしたりすると
そういうスピードがすごく低くなるんですよ。
そういうスピードを
300キロで飛ばしたりすると
そういうスピードがすごい嫌いっていう人を
除いて痛快な感じがすると思うんですよ。
あの感覚がまんま得られるんですね。
野球見に行ったり
全部同じですよね。
サウナに入っては水風呂に入るとかも
全部同じなんですよ。
思考止まるはずですよね。
それをやっていれば。
それがそんなにいいならば
ということは
思考するのはそんなに嫌だ
ということになるわけです。
事前に考えるというのは
どんな場合でもそうだと思うんですけれども
嫌なことを考えるから
意味があるんですよ。
今日もそういうことを
書いてたんですけれども
事前にですね
本格とかはいいんですよ。
書けないだけですから。
だけれども
例えば社員研修をするだとか
こういう喋るだとか
講演するだとか
の時にですね
事前に考えておきたくなるのは
怖いからですよね。
その場で
頭真っ白になって
沈黙が続くということが恐怖だと
だから事前に考えておきたい。
こういうふうにして始まる思考というものに
ネガティブな感覚が
挟まってなかったら
それこそ変ですよね。
だって動機づけの元でが
ネガティブなんですから
不安だから考えるわけですから
不安だから考えるということは
その場に行った時に
喋れなくなりたくならない。
何かこう
ネガティブな思いを抱かれたくない
要するに非難されたくない
心の中だけでもということですよね。
非難されないために
黙って立ち止まってしまわないために
頭を真っ白にしてしまわないために
何か面白いネタを考えるわけだから
出どころの動機づけに
不安があるわけですよね。
ここからスタートする
思考の中に
不安な感情が混じっていないという
それこそ奇妙なわけです。
不安だから考えること
考えておかないと
不安だから
いつも不安でない限り
考えないわけですよね。
考えることと不安であることが
根前一体となっているわけですね。
この種の思考から
解放されたくて
ゲームをするわけですよね。
そうするとでも
ゲームをしている最中に
不安だから考えることが
できないはずの時間に
考えずにゲームをしているから
不安になるという
この心理的なスパイラルを
ずっと
ゲーム中
一瞬忘れることが
できるかもしれないんだけど
舞い戻ってきちゃうわけですよね。
これをやって
ハッピーに過ごせたり
平安でいられるわけがないですよ。
だから
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どこかで思い切られて
思い切らなければいけないんだな
と思うようになりました。
私はこのグッドモーニングボイスは
それのためにやっているわけではありませんが
その効果としては
極めて大だなと思います。
これ失敗しても
その日はパスすればいいだけですからね。
ただ一旦始めると不思議なことに
うまくいっていない回は
当然あると思うんですけど
喋れずに止まってしまう回って
一回もなかったわけじゃないですか。
結局ね。
出しているやつは
ものすごい長い間沈黙というのはないですよね。
僕はそれが理由で
リテイクしたことはないんですよ。
なんかあまりにも荒の方向に
行っちゃったり
出現が連発しているなという時は
リテイクしますが
完全に喋ることがなくなってしまって
空白の時間がずっと続くから
リテイクということはなかったんですね。
で、
これの感覚で
セミナーすることも
できるようになってきたんですね。
で、そうしてみて
つくづく思うのは
やっぱり事前に不安だから
準備するっていうのは
間違いなんだなってことなんです。
結局。
そんな理由で原稿も書かないし
そんな理由で原稿の準備もしないんだから
そんな理由でセミナーの準備
準備するのは
必要な場合は必要に応じてやればいいんだけど
このネガティブな不安から
不安を動機づけにして
準備するということが
やっぱり心の負担になるので
それ自体を避けたくなるんですよね。
で、
大概の思考っていうのは
この理由によって行われているので
出なきゃったらやらないじゃないですか。
事前に準備しなくても
うまくいくっていう感覚でいるんだったら
準備しないですよね。
事前に準備しなくても
うまくいくんだったら
事前に考えることはしないですよね。
この感じの方がいいのに
僕らその逆を習ってきてるから
常にネガティブな気分と
実行をし続けてなきゃならないわけですよ。
で、
それから逃れるために
ゲームするわけですよ。
だからゲームは楽しいんですよ。
だからゲーミフィケーションというのは
うまくいかないんですね。
ゲーミフィケーションで
例えばタスクシュートなりをやっている時というのは
タスクを実行しちゃってるんですよ。
その時は不安な理由だとしてもですね
タスクシュートというゲームによって
その不安から逃れることができないじゃないですか。
まさにその仕事をしている
真っ最中だから
実際には仕事をしている時には
不安ってなくなってるんで
うまくいかないわけではないんですけど
あれはゲームとはちょっと違うんですよね。
ゲームってのはやっぱり
バーチャルなことに
バーチャルな対応に迫られているうちに
現実の思考から解放されるという
そういう報酬によって支えられている世界であって
現実そのものでそれをやろうというのは
ちょっと違う話になってしまう。
だから多分
ゲームは楽しいけれども
ゲーミフィケーションされた
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タスク管理というのは
あんまりそういう効果は生まない。
ただ結局のところ
思考するのをやめて実行すれば
不安から解放されるので
その力というものは大きいと思うんです。
そして結局そうであるならば
ネガティブな思考なんて
やめてしまえば一番いいわけですよね。
そのネガティブさにおける
影響力と
悪影響ですけどね
強い影響があるんですよ。
身体的にもあるし
やっぱりそのようにして
一日過ごすということの重苦しさは
なみなみならないものがあると思うんですね。
これを軽く考える人は
ぜひ自分が
現実逃避したときの
楽しさの裏側を考えてみるといいと思うんですよ。
何でもいいんですけれども
時速300キロのレースゲームでも
何でもいいんですけれども
それがすごい楽しいと思うのであれば
そのちょうど反対側に
専門とした思考
仲間無意識でやってしまっている
不安からくる何かの準備を
しなければいけないような思考に
苛まれるとき
どれほどその反対側が
重苦しいものかというのが
わかると思うんです。